TOPページ > もりけん語録集(六爻占術編) 


「六爻占術2001.10」

 これは一種のオーリングテストのようなものなのです。
 しかしコインのすごさは多くの情報を持っているのです。
(コイン占い1)

 メチャクチャ強運の要素ばかりだと、それは安定したような状態で、お金の流通が起こらないのです。
そこになんと、「墓に入る」という要素が出てきたとき、お金が入るのです。
(全てが吉になると、うまくいかない)

 たった一人の人間でも、宇宙全部の情報を持っているのかも知れません。
 おまけに時空を越えていそうです。
(コイン占い2)


 この規則を発見した人は、まさに古代の神坂さんだと思います。そこに微妙な規則性を発見したのです。まさにそれは、誤差の世界に埋もれている情報でした。
(コイン占い2)

 裏表の概念をひっくり返されます。行き過ぎた善は、悪になるようなものです。
 こういうことが時空のルールだとすれば、私たちの生き方も考えたほうが良さそうです。
 このように、コイン占いは多くの問題提起をしてくれます。
(コイン占い2)


 私は今は、未来の変え方を知るところまでは習っていません。
 というのは、未来の事象さえ正確に出せないのに、変えようがないからです。
 まずは正確な未来を知るところからスタートなのです。
 しかし変えなくても、時流に乗ることは出来ます。
(コイン占い3)


 コイン占いというのは、微妙なエネルギーの関係なのです・・たぶん。
 時間もエネルギーの一つとして循環しているのです。
(コイン占い4)


 コイン占いの面白い点は、ピンスポットで設問を作り、それを訊けるのです。
(女装外出とコイン占いの続き)


 毎日女装するのも良くない、一生男装のままなのも良くない・・それはこのことかも知れません。
 内部に潜む二つの性を肯定してこそ、調和が取れるのではないでしょうか・・。
(コイン恋愛占い)


 人が違っても、日が違っても、結果は同じなのです。
 コインは、同じ人が何度振っても同じ結果が出るそうです。
 トラさんは、「他の占いではこういうことは起こらないでしょう?」と言っていました。
(コイン恋愛占い)


 我々は神に操られているだけなのか、それとも神の意図を知り、それに挑戦することができるのか・・コイン三枚で、神のシステムに近づけるのかも知れません。
(今回の中国時空紀行の最後の書き込み)


 コイン占いは、コインを振ったのが最初なのです。理論が先ではないのです。でもここが重要です。
 コイン占いとその対象となる現象に相関関係があるとすれば、コイン占いのシステムを解析することは、時空そのもののシステムを解析することなのです。
(帰りの飛行機の中で)


 コインのすごいところはデジタルなのです。
 デジタルだから超能力のようなものは必要ないのです。誰でも出来ます。
(帰りの飛行機の中で)


 出た目は違っていても、方式にのっとって変換していくと、結果は同じなんです。
 これは何度もやってみました。でも、同じなのです。
(何度やっても結果は同じ)


 空亡は、エネルギー充電状態なのです。いつか、それは解かれるのです。
(発動と空亡)


 エネルギーの量、方向、時期・・なんですね。
 それらを全てコインから割り出すというのがすごいと思います。
(発動と空亡)


 トラさんは、このように常に自分の実験に立ち返ります。
 神坂さんと似たような感じのところがあります。
(日本のコインはどちらが裏で、どちらが表?)


 なぜ外したか、なぜ当たったか・・これが「奴」の調査そのものです。
(コイン占いによる日本シリーズの予想)



「六爻占術2001.11」

 縁は・・ここで単に出会う人でも、縁なのです。
 そしてその縁を深く持つためには、少しくらいの喧嘩もOKというわけです。
 そういうことが無いと、ただの通りすがりの人になってしまうと言うのです。
(『神秘学から見た宗教』)


 それで、二人とも私と出会い、私が振り向くまで待っていました。私は二人に、五年もかかって振り向きました。五年間にも渡り、彼らは私にサインを送りつづけてきました。
 一体、何のために??いえ、もう、何のため・・などというのは、無いかも知れません。
(「理由」の無い日々)


 人は理由を求めます。あの人と出会った理由・・ここに来たワケ・・
 理由を見つけて満足します。理由を使って説得します。
 しかし理由を言わずにずっと過ごせたら、素晴らしいと思いませんか?
(「理由」の無い日々)


 本気で「奴」と対面するには、5時に行きなさいと言わねばならないし、5時に行かなければなりません(笑)。しかし・・奴には・・理由すら、無い可能性もあります・・
(宿題と「奴」)


 人の幸せは、コインで測れるでしょうか?トラさんのマニュアルには、「幸せか不幸か」という項目はありません。コインにはそれが、たぶん分かりません。
 吉でも凶でも、幸か不幸かは関係ないと思いました。
(コイン占いの、生き方への影響)


 今の私は、コイン占いサイドからでも、「奴」との狭間だと思います。
 なぜなら、自分の運命なのに、外部の因子が多いのです。外部の因子、それは変数です。
 トラさんは、その外部の変数を変えることにより、相談者の運命を変えるのです。
(エネルギーの強弱と波動)


 実にコイン占いを始めると、この「陰陽はいつでもどこでも存在し、対立しあい、矛盾しあうものなのです」というセンテンスとの勝負なのです。
(コイン占い講座・・易の宇宙観)


 コイン占いに善悪を持ち込むと、大切な何かを見失います・・
(コイン占い講座・・易の宇宙観)


「奴」はエネルギーと情報なのかも知れません。
 神に意思など、無かった・・いや、意思を持った神など、いなかった・・
(コイン占い講座・・コイン占いと神)


 私達は、神を置くことによって孤独から逃れてきました。いえ、神でなくてもかまいません。意味付けでも、いいのです。意味付けも、孤独から逃れる方法です。
 成長という意識・・それも孤独から逃れる方法です。
 でも、「神の存在の認識がありません」には逃げ場がないのです。
(コイン占い講座・・コイン占いと神)


 宇宙は、「唯一、その関係で閉じる」というものを作らなかった・・。
 自分Eは、ABCDの全てと関係している・・・
 そして、全体のプラスマイナスは、ゼロです。
(五行説)


 コイン占いが人生をも当てるのは、私たちの人生も、未知のエネルギーの流れに乗ってしまっているから・・未知のエネルギーは時間をも作り出しているから・・・
(コイン占いと未知のエネルギー)


 コイン占いの要素は、天体から来ているのではないかと・・・
 最初の開発者は、「奴」を睨んで、天体を見ていたのではないかと・・
 コイン占いはピンポイントの出来事を占いますが、そのバックボーンは大宇宙だと・・
(どこまで行って、「止まる」か)


 地球の公転の位置と、地軸の傾きが織り成す何かは、私たちの「運命」に何かしらの影響を持っているのです。奴のシステムです。
(地軸の傾きから割り出される月日のエネルギー)


 もともとコイン占いでは、月日から剋されたらアウトなのです。
 しかし、月日から剋されても逃げる手があります。それは空亡です。
 8匹のうさぎや、9個の鈴や、緑の線は、月日のエネルギーとのマッチングにあると言っても、過言ではありません。
(地軸の傾きから割り出される月日のエネルギー2)



「六爻占術2001.12─六爻占術からの気づき」

 つまり、ルールは最初にありき・・ではないのです。
 あくまで事象、あるいは現実が優先されます。
 その元になるのは、現実のデータでしかありません。
(ルール)


 コイン占いが当たるのは、意思や努力が反映されないからではないでしょうか?
 それでもみなさんは、「意思や努力を、元々計算に入れているんだ」と言い聞かせますか?
(我々の意思や努力を、時空は認めない)


 ここまでくると、まるで未来の自分が今の自分をコントロールしているようです。
 つまり、発動には時間差をもったアイデンティティが二つあるようです。
(陰と陽・・そしてメビウス)


 コイン占いでは、タイムスパンで時間の切り取りが可能です。
 三次元空間の基点の移動も可能です。
 これは超能力とさえ言えるのではないでしょうか・・・
(他人になってコインを振るとき)


 運命の分かれ目であるピンポイントのある日を通過していなければ良いのです。
 言い換えると、人生には分かれ目というのがありそうです。
(人生の分かれ道)


 そのポイントである、空亡が解ける瞬間を通過しないと、良いエネルギーはゲットできないのです。 チャンスはその一瞬にしか無いのです。
(人生の分かれ道)


 運命には、努力が必要とされないのと、努力が必要とされるのがあります。
 それすら、初めから決まっているようなのです。それはコインの目に出るのです。
(人生の分かれ道)


 ではどんな人が月日からのエネルギーを受けるのでしょうか・・。
 あくまでも今までの私の感じですが・・それは「とてもしなやかな人」なのです。
(運が強いとはどういうことか)


 私たちには、自身の中にはエネルギーは無く、他のところからのエネルギーを循環させているに過ぎないのです。
 私たちはエネルギーを創り出してはいない・・これが重要です。
(運が強いとはどういうことか)


 時空は私たちに対して、元々のビジョンは持てと言い、しかもそれに固執しないでしなやかに生きろと言っているような気がします。 
(運が強いとはどういうことか)


 しなやかに生きるというのは、そういう過去を、原因の世界から捨て去ることだと思います。現在とは、陽と陰の狭間です。
 その狭間に生きることがしなやかに生きることだと思います。
(過去は陽、未来は陰)


 毎日変化している地球の自転に対して、周波数が合うように自分を乗せてしまえばよいのです。
 そういう変化にうまく乗っていくと、常に自分は墓に入らないようになります。
(墓に入る)


 ピンポイントでしか、吉凶を答えることは不可能なのです。
 もしも意識を広角にしてコインを振れば、波動の陰陽がお互いに重なり合い、吉凶はゼロになるはずです。七色の光が透明になるように・・
(六爻占術から見た「自分とは何か」)


 いくら相手にエネルギーを送っても、情報が変わらないと、変化は起こりません。
 逆に情報が書き換わると、エネルギーの流れは、一気に変わります・・
(エネルギーと情報)


 さきほど考えました。すべてに剋されている状態ってあるのだろうか・・と。
 無いのです。
 64通りの目と月日の関係の中で、全てから剋されるというのは、無いのです。
(「奴」は私たちを「生かそう」としている)


 月日の五行は循環しています。とすると、同じのに出会うものを入れると、剋されるよりも生かされる場合のほうが多いのです。
(「奴」は私たちを「生かそう」としている)


 知全く同じ事件なのに、取り出す時間の長さでこうも変わるのです。
 吉か凶かは、時空の最初から最後まで見ないと分からないと思いました。
(「奴」は私たちを「生かそう」としている)



「六爻占術2001.12─トラさんとの宿題のやりとり」

 指輪である用神が世爻になくて応爻にあるので、自分のところではないという情報です。
 つまりコインには、それぞれの立場という情報が出るのです。
(12/2の宿題)

 万物は、その波動の運命で生きているのかも知れません。
 そして物と触れ合うのも、その接点なのかも知れません。
 物体もエネルギーの真っ只中なのです。人間でも物体でも、平等なのです。
 少なくともコイン占いの世界では・・
(12/3の宿題)



「六爻占術2002.01─六爻占術からの気付き」

 いき詰まりを自ら肯定し、それがある意味良いのだと言っています。
 しかしですよ、西洋科学のいき詰まりは東洋で打破出来るような気がします。
 その芽はすでに色々なところから出ています。
(『ホーキング、未来を語る』より)


 時空は、波のように上下を繰り返し、そのたびにチャンスは訪れます。
 それを的確に掴む人が、うまくいきます。
(運命)


 こうやって考えると、どうもこの世は、起こるべくして起こっているような気がします。
 人の出会いもそうです。人が出会い、生剋を繰り返して関係が深まったり別れたりするのも、ある意味エネルギーのなす波の仕業だと思います。
(この世に偶然は無い)


 もしも「ハプニング」が大事だとすると、その人はたぶん、生き方が大事なのだと思います。自分を大切にして生きたいのだと思います。
(この世に偶然は無い)


 私は、矛盾するデータにドキドキします。
 なぜなら、いままでの理論では説明でなかったことが説明できるかも知れないからです。
 私は、そのために色々な調査をしています。
(科学者)


 自分は誰でもないから、誰であります。
 科学者であると同時に宗教家、芸術家、占術家でもあると思います。
(科学者)


 物の性質を推理していく方が、すごいと思います。
 なぜなら、物が波動として、どのように存在しているかが分かるからです。
(器の中に入っているものを当てる)


 六爻占術は、二つの未来予知から成り立っているのです。
 一つは占う対象の未来を知っているということです。
 二つ目は、それをコインに出す際、コインの目も、知っているということです。
 二つの未来予知が同時進行しているのです。
(潜在意識は未来を知っている、だから次に出るコインの目も知っている)


 潜在意識を陰の世界だとすると、顕在意識は陽の世界です。
 六爻占術は陰を陽に変換しているのです。オーラメーターもその役割をしています。
 潜在意識の情報を、物理の世界で表現させているのです。
(潜在意識は未来を知っている、だから次に出るコインの目も知っている)


 「奴」は無意識の世界にいそうです。そして、コインはその通信手段かも知れません。
(潜在意識は未来を知っている、だから次に出るコインの目も知っている)


 六根占術は論理的なのです。時空の論理なのです。
(論理と孤独)


 世爻と応爻は固定されたハードウエアで、用神はソフトウエアだという感じがします。
 ソフトとしての用神は、自分のエネルギーも入るし、相手のエネルギーも入るし、世間のエネルギーも入る・・という「場」のようなものだと思います。
(用神)


 病気を占い、治し方が書いてあるとすれば、時空は「治ることが善」だと言っているようなものです。それは余計なお世話ではないでしょうか?
(病気の治し方)


 「奴」は人間だけのためにあるのではありません。
 腐敗菌は悪いという価値観のもと、高等生物を生かす方向に持っていくための「治し方」を出すはずがありません。
(病気の治し方)


 運命とはこういう・・一般的には非科学とされていることでしか、変えることが出来ないのではないかと思うようにもなりました。
(運命を変える方法)


 今までの授業や問題を見ていくと、ものすごく論理的だと思いませんか?
 私は思います。超能力の「超」の字も無く、まるで理科の授業のようです。
(運命を変える方法)



「六爻占術2002.02─六爻占術からの気付き」

 私の大仮説によれば、潜在意識は何でも知っている・・というものでした。
 だから、念など入れなくも、次に何が出るのを潜在意識は知っていなくてはなりません。
 六爻占術の確率が80%だとすれば、トランプだって80%の確率からスタートしないと、おかしくないでしょうか?
(六爻占術と願望実現の実験)

 結局変えるという意識をもってしては変えることができないのです。
 自然の流れそのものの中で変わるということです。なかなか意味深い結果だと思います。
 神坂さんからは「自然に逆らっては何も出来ない」というコメントもありました。
(船井総研直観力研究会in淡路島)

 知っているというのは、知らないことよりも危険なのではないかと思います。
 それは神坂さんの実験とて同じです。
 私たちは誰もやろうとしませんでした。
 それは「知っている」と思っていたからではないでしょうか・・
(船井総研直観力研究会in淡路島)

 『占いの宇宙誌』の本には、占いは偶然に対する意味付けだと書いてありました。
 しかし逆かも知れません。占いは必然なのだけれど、そこに意味付けはしない・・
(『占いの宇宙誌(原書房)藤巻一保著』を読みました)

 つまり本人を超えたところでのエネルギーなのです。
 そこに入れば、誰でもが影響を受けるかも知れないのです。
 やはり、視点を大きく捉える必要がありそうです。
(用神)



「六爻占術2002.03」

 「ここで振れば、イケるな・・」こう思えるとき、私は「時空とつながった」と定義していました。それは正しかったのです。
(コインをジャラジャラかき回し始めたら、何も考えてはいけない)

 どうもこの世は、違っているから発展していくのです。
 合(ごう)されると動きが止まり、五行が同じになると発展しないのです。
(トラさんとの授業から)

 トラさんは、理論よりも実験データを重要視したいと言っています。
 つまり、日本と中国以外で六爻占術をする場合は、日にちを一日ずらしてやってみる必要があるのではないかと言っています。
(トラさんとの授業から)

 内面を変えないと運命は変わらない?
 とんでもありません。外側からでしか、変わらない様子です。
(会社の災難対策)

 生まれた時間が最も影響を与えるというのは、四柱推命の考え方です。
 だとすれば、六爻占術においても占った日が初期値として出てくるのは、言えるのではないでしょうか・・
(占った日が大切だということ)

 六爻占術は、まさにダイナミックに「開発中」なのです。
(株占い)

 今までの私の感触では、難しいけれど、とても勉強しがいがあるということです。
(六爻占術雑感)

 株とかトラさんの宿題をやっている中で、私は次のようなことを感じています。
 六爻占術は、原爆よりすごいのではないか・・と。
(六爻占術雑感)

 孫さんの蘇生も同様です。神坂さんの銀河運動装置も同様です。
 起こってはいけないことが、今、起こっているような気がします。
(六爻占術雑感)

 トラさんのテキストは、「生きている」という表現が当たっています。
 そう、六爻占術の向こう側にある世界は、まさに生の世界だと思います。
(「生きている」トラさんのテキスト)



「六爻占術2002.04―六爻占術からの気付き」

 私は理論よりも、実験が好きなのです。私には、全てが分かりません。
 だから、立ち止まりません。
(六爻占術解明への挑戦)

 六爻占術がこれほど論理的で無かったら、私はやらなかったかも知れません。
 瞑想修行をして、悟りを得てからでしか出来ないのなら、やらなかったかも知れません。
(場はエネルギーではないと思うようになったわけ)

 バーチャルとリアルの差は、ないのです。バーチャルとリアルは、平等なのです。
(バーチャルな人生とそうでない人生)

 人生の占いは、どこからも持ってこようがありません。
 持ってこようがないということは、逆に、さよならすることが難しいのです。
 これは何でしょうか?私は「自分に固執しているから」・・だと思えてならないのです。
(バーチャルな人生とそうでない人生)

 しかし卦を読むのは本当に大変です。真っ暗闇の中で、杖を使って前を探るようなものです。杖が当たったものが何なのか、それを知るのがコインの卦です。
(六爻占術と杖)

 「今」ごと未来に行ってしまうために、危機を回避することができないのです。
 危機を回避するためには、「今」ごと行ってはいけないのです。
(六爻占術と杖)

 コインに情報が乗るのは、エネルギーの圧力が高いからではないかと・・
 つまり希薄な世界で生きてはいないのです。
 ここは神と悪魔の両方の圧力が高い世界なのです。
(神と悪魔)

 論理のゲームには不確実さが少ないです。反対にカジノ系には不確実さがあります。
 カジノ系は堅実に暮らすことを尊んできた日本人の倫理観に合わないのではないかと言っています。
(『賭けに勝つ人、はまる人(松井政就著)集英社新書』)

 株を売り買いすることは賭事の要素が入るので、好きでは無かったのです。
 それが今は一変しています。私を取り巻くスタンスが変わったからです。
(『賭けに勝つ人、はまる人(松井政就著)集英社新書』)

 私はトラさんのテキストのすごさの一つは、世爻の求め方だと思います。
 あれを解析するだけで、何かが掴めると思っています。
(『断易入門(菅原壮著)東洋書院』)

 振った目だけで世爻(自分と言うポイント)が出てしまうということは、自分とはこれほどのものだったのかということです。
 エネルギーなど持たない、ただのポイントなのです。その反対側が応爻なのです。
(『断易入門(菅原壮著)東洋書院』)

 なぜ当たったか、なぜ外れたかを、検討します。
 そして当たらないと、ルールの方を疑います。
 これってとても科学的な態度ではないでしょうか・・
(ルールを見直すこと)

 世爻は自分で応爻は相手方・・六爻占術に出会った人も、最初にはまる罠だと思います。
 やはり卦そのものをエネルギーの総体として捉える必要があると思います。
(『断易の占い方(丹籐龍則著)鴨書店』)



「六爻占術2002.04―風水」

 風水と聞いて、ここで一般的なルールを得ようとした方も多いと思います。
 しかし六爻占術は違います。個々に対応するのです。
(六爻占術と風水)

 風水の場合、空間系なので、変更可能なのです。
 ということは、吉でない人も希望が持てます。
 だって、今以上の人生にアップする可能性があるのですから・・
(二爻と五爻)

 私は、悪いものをほっておける性格なんです。みなさんも、ほっておきましよう。
 だって「運命の変え方」が出るまで、無理なのですから・・
(風水は、気になりますか?)

 門が悪い影響かどうかは、コインを振ってみないと分からないのです。
 あくまで個別の問題なのです。
(風水の実際1)



「六爻占術2002.05」

 コインが手から離れて落ちるまでに、念力では制御できませんでした。
 もう一つは、ジャラジャラとかき混ぜている間に、意識は結果に介入できませんでした。
 しかし、六爻占術は当たります。
(超能力を使っての六爻占術解明第一歩)

 堅い自分でいれば、変化に乗ることはできません。
 空の状態になるには、柔らかい自分になる必要があります。
(善悪と欲望)

 私は目の前の欲に対して、忠実に満たしていきます。抑えるということはほとんどありません。
 瞬間瞬間、満たしているから、次に残りません。私は満たしているから、「持ち」ません。
 私は欲があるようで、無いのです。だから変化に乗れます。
(善悪と欲望)

 しかし本当に欲望に忠実なら、欲望は消えて無くなると思います。
 つまり変化に乗ることと、自分は無いということは、とても似ているのです。
(善悪と欲望)

 それはまるでミームなのです。六爻占術が、自分自身を広めるために「導いた」のです。
 私は「宿主」であり「媒体」です。
(宇宙の意志)

ある種のミームが拡大しようとするとき、その宿主には損をさせない・・つまり宇宙の意志(ミーム)に反していなければツキは来るというのは、本当かも知れません。
(宇宙の意志)

 ドツボから這い出るのは、脱げば良いだけではないでしょうか・・自分への定義を・・
(運命の流れ)

 運は偶然という意味を含みます。
 六爻占術をやっていくと、運に支配されるのが減るのではないでしょうか・・
(運)

 「人間性を高めないと能力は伸びない。占いも同じ」ということは言えると思います。
 ただ、私にとっての「人間性を高めること」とは、「自分を放棄できるか」ということですが・・
(運)

 私は、悪いこともそのまま通過してしまった方が、運命が開けるような気がします。
(最初の卦)

 世界は自分を中心にして考えがちです。自分だけが不幸だと考えがえがちです。
 しかしそれは相手との関係に置いては、バランスを取っている行為なのです。
 ですので、六爻占術を学べば学ぶほど、運命を変える気がしなくなるのではないでしょうか・・
(船井さんの部屋で)

 世界はそんなに割り切れるものではない・・こう思うことによっていつも混沌としている自分を肯定しようとします。しかし、混沌すらも「奴」の手中にあるかも知れません。
(船井さんの部屋で)

 「データが不足しています・・計算不能です・・」こうではないのです。
 「奴」は、十分にデータを提供していると思います。
(船井さんの部屋で)

 世の中はどうすれば良くなるか・・
 何も変えないで、今が必要必然ベストだと思った瞬間に、良い方向に変わるような気がするのです。
(必要必然ベスト)

 被害者意識を捨てるのは、多少の努力が要りそうなのです。
 あるがままということが世界を変えるとすれば、そこに何も努力が必要ないなら、それを言う必要もなくなると思います。
(必要必然ベスト)

 私たちは白黒をつけたいのです。でも、向こうの世界はそうでもありません。
 愛しているのに別れたりするのも、こういうことかも知れません。
 結果を重要視しすぎているかも知れません。
(私たちの世界はやはり、結果の世界)

 人の出会いや別れも、鉛の流れそのものです。
 「未来は陰、過去は陽、向こうの世界は陰、こちらは陽」
 つまり鉛の流れは、陰の流れなのです。陰は原因の世界、陽は結果の世界です。
(新しい手法で)



「六爻占術2002.06」

 運は運の波動を持っていて、私たちがそれにマッチングすればいいのです。
 貧乏人が貧乏から抜け出せないのは、マッチングの仕方に問題があったのです。
(「宝くじ」と「シュレディンガーの猫」)

 株の銘柄を乗り換えるように、私たちは運を乗り換えることが出来るかも知れません。
(「宝くじ」と「シュレディンガーの猫」)

 私は自分の運命など、どうでも良いのです。決まっていようと、いまいとも・・
 知りたいのは、「奴」の手中です。
(運がゼロ)

 私たちは未来を知らないから、変えるとか、変えないとかの領域に住んでいないのです。
 未来が分かって初めて「変える」ということが出てきます。
(運がゼロ)

 運は起こったことの自己評価にすぎません。
 意識も同様です。起こったできごとのつじつま合わせをしているだけです。
(運や意識)

 そこに私たちの「自由」はありません。
 方程式を利用出来ても、方程式は変えることができません。
(時間と空間)

 つまり自分を切り捨てて、軽くなることによってしか、変わりません。
 ましてや何かを身につけようという生き方をしていれば、自分の質量が重くなる一方で、どんどん変わりにくくなります。
(時間と空間)

 運命を受け入れれば受け入れるほどワダチの幅は広くなり、自由度が上がるのではないでしょうか。
(時間と空間)

 運命が決まっていることを承認しても、私の「自由」は揺らぎませんでした。
 本当の自由とは、自分を変えたり、未来を変えたりする世界には、無いのです。
(運命が決まっている・・ということのドキドキ感)

 今の私は、何を持つかというと、六爻占術だと思います。
 これを知るか知らないかで、格差が来る世の中になります。
(対価―六爻占術の場合)

 持てる者と持たざる者・・それは未来を知ることの道具を持てる者になったのです。
 未来を知れる者は、資本を持つものなど、敵ではありません。
(対価―六爻占術の場合)

 変化を作り出せば、それは運命を変えることでしょう。
 変化に身を任すとは、運命に身を任すと言い換えても良いのではないでしょうか・・
(宗教の先人達)

 科学者は方程式を見つけて「終わり」ます。私はそこから始まると思っています。
 なぜなら、その方程式が存在するのは、「何故か」を問いたいからです。
(科学者の不思議)

 サッカーは瞬間のスポーツです。敵の一瞬のスキをついてゴールを決めます。
 しかしその一瞬すら、あらかじめ決まっているのです。そう思いませんか?
(自由意志と快)

 自由意志が自分のものではない理由が見えてきませんか?
 「快」か「不快」か・・これは「私」が「決めて」いるわけではないのです。
(自由意志と快)

 あなたの「自由意志」は「快はどちらか」を選んでいるに過ぎません。
 つまり360度広がった可能性の中から、どれが最も「快」かを選んでいるわけです。
(自由意志と快)

 どうも・・何を「快」とし、何を「不快」とするかは、ほとんど変わっていないのです。
 それが変わっていないということは、私が何かを選択する基準というのは変わらないということです。
(りんごの会の私の報告)

 方程式を使っているのなら、「コントロールする」とは、言いません。
 神、あるいは「奴」は、方程式に託して、手放し状態であるはずだからです。
 神、あるいは「奴」が直接この世界に切り込むことは出来ません。
 そういう意味で、超法的存在にはなれないのです。
(運命と方程式)

もしも時間をつかさどる法則があり、自由意志がその法則を越えるものなら、運命を変えることができます。
 自由意志すらその法則の内部にあるのなら、運命を変えることは、かなり難しいと思いませんか?
(自由意志は超法的か)

 次のステップに行くためには、完結・・すなわちループすることが必要だと思います。
 欲望というのは、それだけでは原動力になりません。
 だから金銭欲や名誉欲を否定すると、ループが完結しなくなるのです。
(ループ)

 運命は決まっているかいないか・・ループしながら上がっていく世界に、運命は関係ないとさえ、思います。
 ループ・・それは欲を肯定して、さらにゼロにする働きがあると思います。
(ループ)

 プロとアマの境が曖昧になります。我々アマが、プロと渡り合えるようになります。
 プロの占い師とのやりとりというのは、無くなってくるはずです。
 このことは、当たるということよりも革命的なことのように感じます。
(ブラックボックスからオープンボックス化へ)

 研究機関や学術機関からではなく、ダイレクトに家庭に入り込む六爻占術は、それこそ世界を変えてしまうかも知れません。「権威」が知らないうちに・・です。
(ブラックボックスからオープンボックス化へ)



「六爻占術2002.07」

 六爻占術でいくら良い結果が出ても、そのチャンスを利用しないと、現実化しないそうです。
 逆に、悪い結果もある意味で一つのチャンスであり、それを回避することでダメージを最小限に出来るのです。
(運命とチャンスに対する考え方)

 反対者のいない存在は、凶なのです。マイナス要因のないことは、うまくいかないのです。
(過ぎたるは及ばざるがごとし)

 自分が変わることによって運命はほとんど変わらないそうです。
 むしろ運命が変わることによって自分が変わるそうです。
(トラさんからの話)

 風水では月日の生剋をあまり見ません。その代わりに爻の間の関係を見ます。
 それは、風水は地上のエネルギーの関係だからだと思いました。
(森田家の風水)

 運命を変えることができるのは「情報」かも知れません。
 未来の情報を先取りする情報で、運命は変わるのです。
(運命を変える方法)

 占いと言えば、占い師のところに行くのが常でした。当たる当たらないは、占い師のせいにできました。
 しかし六爻占術は、自分でしなければなりません。
 コインを投げ、判断し、最後は行動に移す・・その一つが欠けてもチャンスは来ません。
(チャンス)

 コインが出したのは、選択肢でした。行ったら危険だよ・・という。
 選択をするのは本人です。
(死の情報)

 私が場を取れるのは、その結果には従うというスタンスがあるからかも知れません。それが私の差し出すリスクです。
(コインのおっしゃるとおりに生きる我が家)

 六爻占術を解明するにあたり、相当な発想の転換が必要だと思います。
 場の理論からすれば、この世の物質というのは結果なのです。原因は「場」です。
(場)

 トラさんは言いました。「自分が変わっても運命は変わらない。むしろ運命が変わることで自分が変わる。」
 つまり「私」という存在も「場」が作り出している可能性があります。
(空間が曲がっているということ)

 お金で幸せを買うことはできないと言います。
 なぜ、できないのでしょうか・・なぜ、できないと言うのでしょうか・・
 この言葉に縛られている限り、スタートラインには立てないと思います。
(私からの挑戦状・・『「不思議の友」8』)

 自分を見つめてみれば、自由など、ほんのわずかなはずです。
 「人は好きなことしかできない」・・だとすれば、その結果が私であり、あなたです。
(「快」について)



「六爻占術2002.08」

 凶悪犯でも同様だと思います。コインは善悪を越えています。
 もし六爻占術が犯罪に使えなかったら、私はやっていないかも知れません。
(六爻占術と善悪)

 未来など決まっていないと思っていたのが、そうではなくなったのです。
 自分に全ての原因があり、自分が変わることでしか人生とか世界は変わらないと思っていたのが、そうではなくなりました。
(私たちは何のために生きているのでしょうか)

 「現在」は、未来からのフィードバックで幾らでも修正可能なのです。
 苦労を進んで経験して、何になるでしょうか・・
 そこで積んだ経験など、使い物にならないかも知れないのにです。
(未来からのフィードバック)

 経験したことのない未来があたかも経験則のように使えるのです。
 未来を選択するのに、未来の情報そのものを使えるのです。
 未来則・・これは人類を大きく変えていく言葉になるかも知れません。
(経験則から未来則へ)

 今まで、「わたし」が対面するのは経験則のみでした。
 瞬間に生きるようとする場合に、「敵」は過去だけでした。
 しかし今度から私たちの前に立ちはだかる要素の一つが未来なのです。
(経験則は未来則に対して、過去を手放せるか)

 従来の精神世界は、結果よりも過程を重んじていると思います。
 結果はついてくるもの・・とか言います。ところが未来則では結果が重要なのです。
(未来則は、未来の一点から現在に線が引かれる)

 経験則が言うところの「思いは実現する」には努力の匂いがします。
 しかし未来則が言うところの「思いは実現する」には、努力の匂いはしません。
 そのルートに乗りさえすれば良いのです。
(思いは実現するのでしょうか?)

 私には、「思い」が「主体的」だとは、どうしても思えないフシがあるのです
 思いが主体的なら、六爻占術はこれほど当たらないのではないでしょうか・・
(思いは実現するのでしょうか?)

 陰の世界で全てのものは、エネルギーのような状態で出来上がっているのです。
 コインはそこにアクセスして、陰のエネルギーをコインの裏表で表します。
 エネルギーの状態がどうなっているかを知るのが六爻占術です。
(陰から陽に)

 コインを振った時点で、「変化」が初めて現れると思います。正確に言えば、卦を読んだ時点です。
 そのとき、未来の情報が頭の中に入ります。今まで経験則でしかなかった領域に、未来則が入ります。
 情報を知るということは、既に変化の中に入ったのです。
(コインを振った時点で未来は決まる?)

 六爻占術を手にするとき、我々は倍以上の経験を積みながら生きているのと同じなのです。
 それは過去の経験だけでなく、未来の経験も蓄積しているのです。
(未来則は経験則に蓄積される)

 精神世界では自分を変えると運命も変わると言います。
 しかし六爻占術側では逆です。運命が変わって初めて自分が変わるのです。
 起源は自分ではなく、時空なのです。
(自由意志と創造)

 自由意志と創造が発揮できるのは、未来則に対してなのです。
 経験則を使ってやる限り、すべては折り込まれているからです。
(自由意志と創造)

 人間が演じているシナリオも、「奴(神)」がいちいち書いたのではなくて、方程式のような感じで、自動的にレールが作られているのだと思います。
 戦争で死のうが事故で死のうが、「奴(神)」には善悪の判断がないから、知ったことではないのです。
(シナリオとルール)

 「今」が主体ではなく、主体は時空全体に広がっているのです。
 そして過去からも未来からも影響を受けて、「今」は、のっぴきならない状態なのです。
 ここで私の「全ては折り込まれている」という表現に結びつきます。
(「私」とは時空の端末機1)

 私とは時空全体に広がっていて、何にでもアクセスすることは可能なのです。
 だから三次元のこの肉体の私は、端末機のようなものなのです。
(「私」とは時空の端末機1)

 運命を変えるためには、原因の世界にアクセスしないといけないのです。
 六爻占術では未来を陰、過去を陽としています。未来は原因で、過去が結果になります。
 ということは、未来そのものを変えることによって、今を変えるのです。
(原因の世界へ)

 精神世界ではよく言われています。心の世界は数式では割り切れないと・・
 それはわけの分からないカルマであったり、「想い」であったりしました。
 しかも究極は悟りの世界だと・・
 でも六爻占術は、向こう側の世界も数式で割り切れる世界だと教えてくれています。
(原因の世界へ)

 ここで言いたいのは、コインでアクセスするのは「未来」だけではないという点です。
 過去も未来もたたみ込まれた原因の世界なのです。だから過去も占えるのです。
 そして本当の「私」がいるのは、おそらくコインの向こう側なのです。
 ということはコインを通して、本当の自分に教えてもらっているのです。
(「自分という意識は結果である」・・という仮説)

 本当の自分とは高次元の時空全体に広がっているのです。
 時空のネットワークそのものが私自身なのです。
 だから本当の自分は何でも知っているのです。過去から未来まで・・
(「私」とは時空の端末機2)

 向こうの世界は生のエネルギーの補給基地なのです。
 しかも時間までたたみ込まれて、あらゆる出来事が記憶されています。
 そこには未来の記憶も含まれます。私たちは端末を叩くだけでそこにアクセスできます。
 すごいと思いませんか?宇宙の英知を、全て使うことができるのです。
(「私」とは時空の端末機2)

 我々は時空が計算した結果に従うだけでした。思考ですら時空側のものでした。
 ところがここに来て、本当の自分(時空側の自分)が仮の自分(肉体を持った自分)に対してフィードバックをかけて、両者で選択を検討できるようになったのです。
(たかが端末、されど端末)

 時空は死んだ後、再び輪廻転生するのではないでしょうか・・
 つまり我々が輪廻するように、神(時空)も輪廻するのです。
(時空の輪廻)

 原因の世界では、単に風水の悪さだけかも知れません。
 なのに、数多くのことに意味を見つけようとする私たち・・
 もしもこうだとすれば、もう、今までのようにやっていられません。
(風水)

 今まで私は、未来はある決まった形に展開されているとばかり思っていました。
 それはタイムマシンの概念から来る誤解です。
 未来は「在る」のでは無いのです。三次元に実現する方程式としてのみ「在る」のです。
 これなら再計算など不要です。
(運命方程式の仕組み1)

 六爻占術や直感は、未来からやってきます。
 そしてそれを使って未来を変更することが可能なのです。
 運命方程式の変数を変えてしまえばよいのです。
(運命方程式の仕組み2)

 まず、今という瞬間は、過去と未来の両方から影響を受けているということです。
 過去からでしか影響を受けていないという先入観はここで吹き飛ばされます。
(運命方程式の仕組み2)

 経験則で成功するためには、自分を空にして、運命方程式の側に自分を合わせることが肝要でした。
 運命を作り出すのは、向こう側の方程式だからです。抵抗するだけ無駄です。
 しかし未来則で成功するのは・・逆になるような気もします。
 夢や希望がピンポイントに定まっていないといけません。
(願望実現と自由意志)

 六爻占術は危険を回避し、自分の良しとする方向に運命を変えます。
 その結果、どうなるかというと、快の状態が増えるのです。
(運命を知る者の生き方)

 人にはその内部に、否定されるべきものはあるのでしょうか・・私は無いと思います。
 なぜなら、人は、人が作ったものではないからです。
 神坂さんの言葉を借りるなら、人は自然に出来ました。
(運命を知る者の生き方)

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