テーマ:「新刊本の本音&裏話(後編)」
書き込み期間:2004/06/07〜2004/08/19
要旨:
第五章では、大変に面白い六爻占術の事例が出てきます。
その一つは、病気の治療に使う金額を三万元以上にするというように、数値を変えることで運命を変更しようとする方法です。
もう一つ、赤頭巾を被ることで他人の良い金運を自分の方に持って来た事例もあります。
これらの方法には、運命は方程式で出来ているという前提があります。
そしていずれの事例にも共通するのは、エネルギーを外側に配置する方法であるというところです。
つまり、本人に原因があるとか、自分の行いや人間性を良くしなさいということを一切言わないのです。
今までの占いでは霊感の要素が強かったですが、六爻占術は運命を波動として扱います。
波動とは無味乾燥の波にすぎません。精神レベルなどは何ら関与しないのです。
六爻占術のもう一つの特徴は、善悪の価値判断がないという点です。もし善悪を区別するものであれば、私は六爻占術をやっていません。
運命が純粋な方程式である以上、法則と方法さえ知れば善人であろうと悪人であろうと関係なしに扱えるものです。
運命変更のグッズをセットする際に意識でスイッチを入れる話から、やはり意識が主体だと考える人が多そうですが、私は意識が源であるとは考えていません。
私達は場の流れに乗っているだけであり、問いが発せられる源は五次元だからです。
しかし意識を主体と考えず自由への執着を手放したことで、五次元との繋がりに気付くことが出来ました。
第六章から、いよいよ問いが中心の話になります。
神への祈りや願掛けなどが一方的であったのに対して、時空に問いを発するのは双方向の関係になります。しかもこちらが問いを発しないのに時空の方から一方的に踏み込んでくることもありません。
また、時空は人間が対等の位置から発した問いでなければ答を出さないという性質があります。依存した問いではダメなのです。
問いこそが世界を変える最も重要なキーになると私は考えています。
問題に直面した時、答を探すことで頭が一杯になりがちですが、答よりも適切な問いを探した方が良いのです。
宗教は、信者から問いを捨てさせ、代わりに祈らせることをやってきました。
ところが、時空は祈りには答えず、問いには答える存在だったのです。
問いこそが人間を独立させ、時空と対等な関係を持ち、自由に向かわせるためのキーだったのです。
時空には問いの中身が軽いか重いか、善か悪かという価値判断はありません。
本の中では、キリストの問いもデートに着ていく服の色を問うのも時空にとっては同格だということを書きました。
この話を入れるかどうか議論になり、最終的には入れることになったものです。
一方、入れることの出来なかった話もありました。犯罪を犯した人が運命変更で逮捕を免れた事例です。
時空には本当に価値観がないのです。しかしその事をを全面的に読者の前に出すには重い問題なのです。
第六章では、時空と繋がり五次元に通じる方法について書きました。
それは、三次元での頑張りを諦めること、リラックス状態になること、理由抜きで流れに乗ること、今の自分を肯定することなどです。
特に今の自分を肯定することについては、読んで楽な気持ちになったと言う人が多いですが、実は相当に大変なことなのです。
どんなに嫌な部分も変えようとせずにそのまま肯定するのでなければならないからです。
私自身も嫉妬心と押し付けの強い人間であることを、ごく最近になってやっと認めることが出来ました。
それで欠点が直ったわけではありませんが、今までよりも少し世界が開けた気がします。
なぜ自分を肯定することが五次元への道かというと、自分を肯定できない人が他人を、ひいては世界や時空をすべて肯定することなど出来ないからです。だから、すべては自分が始まりなのです。
「おわりに」では、快が地球を救うということを書きました。
快を追究することは否定的に言われることが多いです。
しかし快こそが人間の根本原理なのですから、その快をただ認めることです。
これがコインの出した情報であり、地球の出した回等でもあります。
六爻占術の法則から言っても、楽しみに生きれば災害を減らし、財運を上げることにも繋がることが分かります。
日本の神話にも同様の話があります。神々が宴会に興じて天宇受売神が奔放に踊り明かしているところへ天照大神が天岩戸を開けて外に出てきたというその逸話には、まさに私が新刊本の「おわりに」で言いたいことが集約されています。
この本自体が読者の運命を好転し、それが返ってきて私の運命も好転し、歯車の様に全てが繋がったこの世界全体が快に転じれば良いです。 。
目次
○第五章「数値一つで運命が変わる」
○第五章「運命は波動が作り出しているのではないか」
○第五章「運命を変える二つの方法」
○第五章「エネルギーで運命を変える」
○第五章「金運などは、自分に固有の運ではない」
○第五章「運命変更のGを楽しもう」
○第五章「五次元の扉を開く鍵の一つは意識」
○第五章「励起パルス」
○第六章「問いと答え――運命変更の鍵としてのシンクロニシティ」
○第六章「コインを振らないで未来が分かるか」
○第六章「問いがキー」
○第六章「意味付けと外応の違い」
○第六章「問いは人生を変える」
○第六章「全体の業」
○第六章「時空は価値観を持たない」
○第六章「時空はどうすれば答えてくれるか」
○第六章「運命のジェットコースターに乗る」
○第六章「今の自分を肯定する」
○第六章「今の自分を肯定する(続)」
○第六章「人は自由になれるのか?」
○第六章について
○第六章「時空との信頼関係へ」
○第六章「個を持ったまま時空と繋がる」
○第六章「時空全体に広がった私こそが「源」である」
○第六章から「おわりに」へ向かうにあたって
○おわりに「人間と地球の運命は」
○おわりに「人間と地球の運命は(続)」
第五章「数値一つで運命が変わる」

 この章の中には、大変に面白い例が出てきます。
 ある人のお父さんが病気になり、トラさんの所に占いに来ました。
 トラさんは言いました。
「三万元を使えば病気は治りますが、使う金額が三万元以下だと治りません。」
 この判断を聞いた相談者は、次のように思ったかも知れません。
「なんだ、この占い師は・・・俺に金をもっと使えと言うのか。それで治る保証があればいいが、治らなかったら金を損するだけじゃないか・・。もっとマシな方法を教えろよ・・」
 もしも相談者に六爻占術の知識があれば、トラさんの判断がどんなに華麗か理解できると思います。
 本当ならば、新刊本に理由を書きたいところでした。でも、ちょっと複雑なのです。だからここに書きます(笑)。
 マイナスエネルギー(忌神)が「日破」か「暗動」か・・という問題なのです。
 「日破」というのは、読んで字のごとく、お日様から破られて弱くなっている状態です。
 「暗動」というのは、暗黙のうちに動くという意味で、強くなっている状態です。
 マイナスエネルギー(忌神)が強ければ、当然お父さんには良くないことです。弱い方が良いのです。
 その境目が「日破」か「暗動」か・・ということで、その二つの間にあるのが三万元という金額なのです。
 六爻占術テキスト第四巻にはこの卦と説明が載っていますが、最初に読んだ時、やはりトラさんは天才だと思いました。
 普通ならば十二支の置物などで対処するところですが、トラさんは違いました。「数値」で挑戦をしたのです。
 これはトラさんが「六爻占術は方程式のようなものだ」というのが分かっていたからこそ、出来た判断だと思います。
 六爻占術の通信教育をやっていると、「日から冲されても、同時に日から剋されていれば、それは日破でしょう」という質問をしてくる人がいます。でも弱い暗動の時の方が多いのです。
 この微妙な差は、実際の方程式ではどうやって表現されているのでしょうか・・
 でもその方程式が分かっていない今は、手探りで数値を変えなければなりません。それが三万元なのです。
 これは「外応」だという点にも注意しないといけません。
 お金を使い過ぎるという「外応」を自ら作り出し、マイナスエネルギー(忌神)を日破にさせて、お父さんを助けるのです。
 もしかするとこれを読んでいるみなさんの中でも、この現象が自動的にみなさんを助けてくれたことだって、あるのかも知れません。
 無駄遣いをすることによって、身内の誰かの命が救われるということが・・
 お金で損をすれば凶だと思っているあなた・・時空の方程式はそんなに単純ではなさそうなのです。

第五章「運命は波動が作り出しているのではないか」

 私たちは方程式によって動かされているのではないか・・というところまで述べました。
 では、どういう方程式に支配されているのか・・とうのがここのセクションのテーマです。
 六爻占術の卦には、十二支と五行が出てきます。十二支にはサイクル、すなわち波動のイメージがあります。12で一回転し、それは何度も何度も繰り返すから、波動のイメージです。
 五行は「生剋」の元になっています。ここにはエネルギーのイメージがあります。
 でも卦はそれだけではありません。吉凶に直接関係ないと言われている項目があります。
 青竜、朱雀、白虎などと言われているもの(六神)です。吉凶に関係が無いとすれば、それは情報です。
 ということでこれらを合わせたのが、新刊本では放送局の電波という表現でされています。
 放送局の電波は搬送波と呼ばれ、エネルギーを持った波に、情報という変調がかかっています。
 但し新刊本以外では、ビックバンのときの波動を使って表現しています。
 ノベルティのビデオなどには、それが収録されています。
 ノベルティ・ビデオをご覧になった方は分かったと思いますが、あれは映像メディアでないと説得力を生みません。
 だから新刊本では弦楽器と放送局の電波で説明したのです。
 まだ理由はあります。時間に終わりがあるというのは、科学の世界では一般的ではないためです。
 私はアンテナと電波が得意とする分野です。ところが得意分野をこの章では、あまり使っていません。
 ともすると理系の人は、得意分野から攻め込みます。でもそれをやると大半の読者は引きます。理系の分野というのは、一般の生活からかけ離れているからです。
 だからこそ、弦楽器と放送局・・なのです。
 さて、今までの占いは霊感のようなものが主流でした。でもこの章からは波動が霊感に取って代わるのです。
 霊感には、おどろおどろしい感情のようなものがありました。しかし波動は、無味乾燥の、ただの波です。
 無味乾燥のただの波に乗れるか乗れないかが、人生のキーになるのです。
 行いを良くしろとか、自分の精神レベルを上げろとか言われてきました。それが運命好転のキーだと言われてきました。
 行いを「良くする」にも、レベルを「上げる」にも、基準というものが必要でした。その基準そのものがひとつの「脅(おど)し」でもあったと思います。
 運の悪いあなたは基準以下だと、暗黙のうちに言っているからです。
 だから「行いを良くしろ」とか「レベルを上げろ」という人は、他人が言う「脅し」を批判しますが、自分がそれをやっていることは、棚に上げています。
 どんな崇高な宗教にも、この要素はあったと思います。
 しかし・・単に、波動なのです。
 この点について、本の中では何も触れていませんが、運がただの波動だということは、天地がひっくり返るほどの情報だと思っています。

第五章「運命を変える二つの方法」

「運命を変える」・・ということに関しては、世の中には数多くの本が出ていました。
 そのほとんどには「自分の運命は自分に原因があるので、自分を変えることによってしか変わらない」と書いてありました。
 これによってどれだけの人間が、苦しめられたでしょうか・・
 これによってどれだけの人間が、自分を否定したでしょうか・・
 それによってどれだけの人間が、自分を変えようとしたでしょうか・・
 でもそういう本を書いた人にも、そういうことを言った人にも、責任はありません。だって真実を知らなかったからです。
「自分に原因がある」・・ということに何の根拠もなかったことに、それを受ける側も気付くべきだったかも知れません。
 ただ、偉い人がそう言うから・・で、鵜呑みにしてしまったかも知れません。
 私の本に書いてあるのには、根拠があります。
 アインシュタインの場の説明の理論に、異論を唱える科学者は少ないはずです。
 でも私がこれを使って「運命を変えること」を説明すれば、異論が殺到します(笑)。
 でも、根拠がありました。それは、数々の検証データです。
 データが積み重なって方程式が出来ます。今はその(方程式化の)数歩手前です(数歩です(笑))。
 アインシュタインは、かなり近いことを言っています。
 星の運行は、「場」の道筋を通っているに過ぎないと、アインシュタインは言いました。
 だからその軌道を変えるには、通り道である「場」を変えれば良いのです。
 今までは「自分に原因がある」と言い、まるで自分にハンドルが付いているように言われてきました(だから本来は、離すべきハンドルすら無いのです。でもハンドルが無いと怖いから、オモチャのハンドルが付いているのです(笑))。
 ハンドルが無くなった船で何が出来るかと言えば、流れを変えることです。
 そんなことが出来るのかと言われれば・・出来るのです。時空に作用することが出来るエネルギーを使うのです。
 これによって人生は、内側から外側の時代に入りました。
 早く知っていたら、私だって人生がもっと変わったと思います(笑)。
 自分を反省したり、自分を向上させたりすることに対する葛藤を持たないで済んだからです。それが逆に、もっと自分を向上させることにつながるのですから・・。
 そして・・自分を否定すれば、争いが増える。肯定をすれば、争いは減る。この事にも気付くべきでした・・・
 でも「脅し」が主流の世紀末では無理でした。この概念は、21世紀という時代を必要としたのです。

第五章「エネルギーで運命を変える」

 本の中に書いた文章をコピーします。

 エネルギーで運命を変えるとき、必ずと言っていいほど外側にエネルギーを配置しました。でも自分が源だと思っている限り、外のエネルギーを利用しようとすることに気が付きません。むしろ自分以外のものを利用して運命を好転したら、しっぺ返しがあるなどと思ったりもします。トラさんは数多くの人の運命を向上させてきましたが、しっぺ返しがあった人など誰もいないと言います。
 宇宙は陰と陽に分かれて、アンバランスな状態になって初めて躍動的に動き出したというのが六爻占術からの見方です。トラさんも次のように言っています。
「陰陽のバランスがいったん取れると、宇宙が静止状態になり、すべての物事がゼロになってしまいます。ですから宇宙がアンバランスであればこそ、にぎやかな世界が生まれて、さまざまな人生ができたのです」
 だとすればアンバランスによって成り立つ時空が、しっぺ返しという手を使って、人間に対してだけバランスを取らせるシステムが働くとは考えにくいのです。

 ここを読んだだけでも、時空がいかにダイナミックかが理解出来ます。
 なのに人間は、ダイナミックな方を良しとしてきませんでした(今の年号が「平成」とか、それを物語っています)。
 波風が立たないように・・出過ぎないように・・
 時空はわざわざアンバランスを作り出したかったのに、それをすればしっぺ返しがあると思ってきました。
 そうして、調和だの感謝だのがいきなり前面に出ました。何かしても、感謝しておけば良いと・・
 なーんだ・・単に、自分に不利益が起こらないための、防衛じゃん・・(笑)。
 アンバランス・・それは時空自身が自問自答するためにも、必要なことでした。
 出版記念講演会で最後に出した、崖から飛んでいるスライドは、まさにアンバランスな世界にジャンプするシーンでした。
 その後のシーンは、アンバランスを良しとする人にだけ開かれる五次元の扉・・です。
 私が富士通で突然辞表を出したのも、バランスが極まってしまったからかも知れません。
 私がベンチャービジネスの成功を手放したのも、バランスが極まってしまったからかも知れません。
 それをしないと私自身の人生が「にぎやかな世界」でなくなるからです。
 六爻占術をやっていると、その世界にアンバランスを感じます。だいたいコインが三枚だというのも、アンバランスです。五行なのに六回投げるのも、アンバランスです。
 さて、私は時々「森田さんはバランス感覚がいい」と言われます(笑)。でも本当にそうでしょうか?
 自分ではアンバランス感覚がいい・・と思っています(笑)。
 なぜなら、アンバランスなことを実行可能にできるように、それを「バランス」に見せかけているからです(笑)。
 人生の面白さは、アンバランスをいかにバランス良くやるか・・です(笑)。

第五章「金運などは、自分に固有の運ではない」

  
 六爻占術という占いをやって気が付くことは、金運などの運は自分に固有の運ではないということです。
 占った結果「おお、金運がいいぞ・・しめしめ」などと思っても、それが世爻(自分)を生じているのではなく応爻(他人)を生じていれば、良い金運は他人のものです。
 でも私の本の中には、もっと強烈な例が出てきました。
 一緒に商売に出かける相手の金運がとても良いので、その人の金運をこちらにも持って来ようというものです(笑)。
 これは普通では出来ない発想です。だって金運は、その人固有のものだという固定概念があるからです。
 私がトラさんに取って代わったとしても、同様の判断が出来るでしょうか・・・。
 さらに問題は「生き方」です。
 六爻占術のテキストのどこを読んでも「あなたの生き方が悪いから、金運も悪いのよ」
 などと書いてありません。
「前世で無駄遣いしすぎたから、今世はダメなのよ」とも書いてありません。
「ポジティブに生きていないから、金運が悪いのよ」とも書いてありません。
 金運を上げるには、赤頭巾を被ることでした(笑)。
 私の事例からいけば、申と羊の置物を置くだけでした。心の反省も、努力も必要ありません。
 赤頭巾をかぶった人はトラさんに電話しました。「金運もだいぶ上がったけど、気温も上がったので(笑)、赤頭巾を取ってもいいでしょうか」・・と。
 トラさんは「定着させるために枕の下に置きなさい」と言いました(笑)。
 成功本というものが世の中には沢山あります。その著者達がこの事実を知ったらどうするでしょうか・・・。
 しかし私達がやることは方程式にのっとり、外側にエネルギーを置くことだけでした。
 それで大金がガッポガポ・・(笑)。笑いが止まりません・・・(笑)
 私の場合、去年は置物でしたが、今年は「明」という字を飾っただけです。
 その後半年経ちましたが、金運では一度もコインを振っていません。だって大過寸前なほど、金運が良いからです(笑)。
 でももともとの年運は妻財(金運)が日から剋されて弱かったのです。決して良い卦ではありません。
 しかし「明」を会社にも、自宅にも、りんごの部屋にも飾った結果、ウハウハ状態になってしまいました(笑)。
 普通ならば何かしら努力をするものです。しかし私は、毎日ブラブラしています(笑)。
 それは未来から流れてくる小判を、私の方に来るように流れを変えただけです。
 私はざるをセットして、自動的にそこに溜まる小判を時々回収すれば良いのです。
 小判がザクザク・・(笑)
 でも、もしも財運が固有のものだとすれば、こんなに安心していないと思います。
 いつ逃げるかも知れない運に、ビクビクしているかも知れません(笑)。
 でも分かっています。金運は自分のものではないのです。来年悪ければ、またセットし直せば良いだけです(笑)。
 世の中の成功本には、そのセットの仕方が書いてないから、読みません。
 ざるのかき回し方は書いてありますが・・
 なぜかき回し方が書いてあるかと言えば、自分固有の運だと思っているからです。
 五次元に「固有」など、あるわけありません。「共有」だから、それを持って来れば良いだけです。
 五次元では既に「個人資産」という資本主義の元は、崩壊しているのです。

第五章「運命変更のGを楽しもう」

 読者ハガキの中には「運命変更すらも、もともと決まっていたのではないか」という意見を書く人が多いです。
 しかし私は第五章に、ちゃんと意見を述べています。
 私は一月一日に年運を振っています。さて、下の図では運命変更はAからBにしました。
 運命を変えることすらも決まっていたとすれば、年運にはBが出ていないといけません。
 しかし年運には、BではなくてAが出ていたのです。そして最終的には、Bを通過していきました。
 これは運命変更というのは、宇宙の始まりから決まっていたものを変更したと言えるのです。だからミニビックバンです。



『バック・トゥ・ザ・フューチャー』には、タイムマシンで過去に行き、過去を変えたら現在が変わっていたというストーリーが出てきます。
 AとBが現在ならば、年運を振ったのは過去になります。その流れからいけば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と同じなのです。
 また、トロッコに縛り付けられて身動きが取れない人からすれば、リモコンを手にしてトロッコのポイントを変えるのです。
 私はどうしてもトロッコの喩え話の方が好きです。
「こんちくしょう、おまえ(運命)の好きにはさせないぞ」という感じがするからです。
 私は時空の秘密を暴きたいです。だから執拗にその相手(時空)を追い求める様は、恋人をもっと知りたい様子に似ています(笑)。
 しかし、自分をへりくだってまで恋人になってもらいたいとは思いません。相手と私は対等だからです。
 私は昼間も夜も、ほとんどの時間は、時空の秘密の解明に当てています。
 だから変更をかけるときは、並ではありません(笑)。並な変更(チマチマした変更)ならばかけない方がマシです。
 言い換えれば「G」のかからない変更は、しても面白くないのです。
 AからBへ変更がかかったときは、「あんたも方程式なんだね」と思います。
 この一説、すなわち「方程式なんだね」はもう一つの意味を持ちます。
 読者ハガキには「六爻占術は誰でもが使えるのでしょうか? もしもそうならば大変に危険です。悪人がそれを使えてしまうからです」と書いてくる人がいます。
 善人でも悪人でも使えるのが方程式です。六爻占術の「G」は、善悪を加速します。
 でもちょっと考えてみて下さい。今まで善を主体とした考え方は、うんざりするほどありました。
「自分の利益(特に不労所得など)のために能力を使えば、いずれ能力は落ちる」・・これは占い師に対して言われました。
「人格が高くないといずれその能力は落ちる」・・これは超能力に対して言われてきました。
 科学も宗教も善に向かわなければならない・・・という考え方がこれだけあったにも関わらず、世の中は良くなったでしょうか?
 むしろ悪くなったのではないでしょうか・・偽善者が増えて(笑)。
 善人しか使えない六爻占術ならば、私は降りています。降りて、本物を探します。
 本物には善悪の考えがあってはなりません。
 さて、みなさんはもう「G」を体験しましたか? 私は十分に楽しんでいます。
 崖から飛んで、上に引き上げられる「G」ほど快感はありません。
 流れに乗れとか自然に任せろとか言う私ですが、自分がやっている事はそうでもありません(笑)。
 流れに乗ったままでは、強い「G」を楽しむことは出来ないからです。

第五章「五次元の扉を開く鍵の一つは意識」

 運命変更の置物などを置いても、人間が意識しないといけません。
「今日はこの色の服がラッキーだわ」と思っても、意識でそう思わないと効力を発揮しません。
 これは「リモコンスイッチ」の考え方です。外にセットしたエネルギーグッズに、スイッチを入れるのです。スイッチを切る時も意識を使います。
 さて、今まで超能力等の世界では、自分がエネルギーを出す側でした。手かざしをしたり、力んだり、気合いをかけたりしました。
 自分のエネルギーをアップするため、自然の中に入ってエネルギー補給したりもしました。
 しかしそういうことが一切不要なのが六爻占術の世界です。
 リモコンでスイッチを入れるのは、外を流れるエネルギーを制御するためです。
 このリモコンは、巨大なエネルギー源へとつながっていると思います。
 このエネルギー源の凄さ、怖さを私は何度も体験しました。もしかすると神に近いことすら出来るのではないかと思います。
 しかもそのリモコンは、使う人の善悪を問いません。
 時空はどこから来てどこに向かっているのか・・それは、我々にリモコンを与えてくれたことにヒントがあるような気がします。

第五章「励起パルス」

 意識が問いを発し、意識が運命変更グッズのスイッチを入れるのならば、意識の勝利だと考える人は多そうです。
 あとは意識のレベルを上げていくだけです・・と、結論付ける人も多そうです。
 六爻占術が私以外の人間に遭遇していたら、「意識向上型世直し」の道具として使われたかも知れません。
 しかし私は、自分の意識がすべての源であると、考えることが出来ません。
 自分は、オールを使ったりサーフボードを操作したりすることが出来ないからです。
 それは「場」の考え方から、来ています。私達は場の流れに乗っているだけなのです。
 だから意識が一番の源となって「操作」をすることは、その場の流れから反します。
 だから考え付いたのが、励起パルス(造語)という仮説です。
 五次元から「あなた、問わなくていいの?」と、問いかけられるのです。つまり問いの元は五次元なのです。
 この解釈を拡大すれば、時空は私たちを使って(笑)自問自答しているとも言えるのです。
 さあ、これで意識は後ろに下がりました。
 私が自由に執着していたら、この発案は出ませんでした。
 六爻占術においては、五次元と私達は密接に繋がっているのです。

第六章「問いと答え――運命変更の鍵としてのシンクロニシティ」

強い意志を手放していくと、五次元からの励起パルスを受信できるようになります。それはあなたに「問いを発してみたら?」という時空からの問いかけです。時空は勝手に答を送ったりする存在ではないので、こういう方法であなたに問いかけるのです。双方向な通信が始まります。
 この章では「問い」の応酬を元にした、運命変更のより一般的な方法と、私と時空の深い照応関係について考えてみたいと思います。

 どひゃ〜・・いきなり本文そのものです(笑)。
 しかし第六章は、いよいよ最終章です。イキます、イカせます(笑)。
 しょっぱなにいきなり本文そのものを出したのには、意味があります。
 まず『運命を変える未来からの情報』という本は、私がこれまでに書いた他の本と違い、導入部が必ずあるのです。これにより読者はすんなりと新しい章に入ることが出来ます。
 これを推奨してくれたのは、出版社の編集者です。
 実際にその部分を書いてみると、全体として見てもやはり「成長」した本になったと思います(笑)。
 さてこの数行の導入部ですが、非常に重要なことが書いてあります。
 私の本は、何度読んでも新しい気付きがあるという読者ハガキが多いです。それはまさにこれから書こうとする部分もその一つだと思います。
 以下です。
『それはあなたに「問いを発してみたら?」という時空からの問いかけです。時空は勝手に答を送ったりする存在ではないので、こういう方法であなたに問いかけるのです。双方向な通信が始まります。』
 これって恋人以上の関係です(笑)。時空の気の遣い方は、鈴木健二(『気配りのすすめ』)以上です。
 今までのすべての宗教が言ってきた教義をくつがえします。今までの科学の常識もくつがえします。今までの心理学もくつがえします。自由の定義もくつがえします。
 問いがドアへのノックだとすれば、時空はあなたの心をノックするのです。いきなり踏み込みません(笑)。そしてこちらがノックしないと、時空のドアも開きません。
 うーん・・節度のある恋人関係です(笑)。双方向通信・・
 祈りや願掛けや意味付けは、すべて一方方向通信でした・・
 新刊本全体で言おうとしていることが、導入部の数行に書いてあるのです。

第六章「コインを振らないで未来が分かるか」

 いきなり新刊本の本文です。

 トラさんが六爻占術の株占いの講義をしたとき、翌日の株式市場の値動き情勢を聞かれました。その時、突然一匹のバッタが飛んできて黒板にぶつかって枠に落ちて、またどこかへ飛んでいきました。
 この外応(バッタの飛んだ曲線)をすぐ使って
『翌日の値動き情勢は始値が高いですが、途中は値下がりして終値がまた高くなる』
 と判断しました。
 翌日の株価は次のようになりました。
 上海の株式市場は始値:1190.5、昼:1187.1、終値:1204,1でした。
 シンセン株式市場は始値:3385.7、昼:3380.2、終値:3409.1でした。
 まさにバッタの飛んだ曲線の通りでした。

 本文は以上です。
 この現象を外応(がいおう)と言います。外応とは、問いを発したとき、外側の現象が答を教えてくれることを言います。
 さて、これから書き込むのは、本を出版してから三ヶ月後の私として書きます。
 バッタは昆虫ですから「自由」という概念が少ないので、黒板にぶつかる羽目になろうが、文句は言わないと思います。
 しかし人間の行動が外応になった例はたくさんあります。あまりに多くてここでは書き切れません。
 さて、彼らが動いたのは、問いをした人がいたのが原因です。その問いが原因で周りの人が動いた(巻き込まれた)のです。
 私は人生そのものが、問いへの答ではないかという仮説を持っています。
 ところで私の問いは、「時空はどうなっているのか」という根元的なものです。しかも強烈で、今までに何度も何度も発しています。
 私は中国でも新聞広告で不思議な人を集めました。その時に出会ったのがトラさんでした。
 もしも人生が問いの結果だとすれば、新聞広告で問いを発するというのは、うまいやり方だと思います。答えるべき人が「それを見る」というだけの行動で、私と出会えるからです。
 しかしその後、六爻占術と出会うまでには八年もの年月が必要でした。
 この「八年」は・・やはり「問い」が動かした「答え」のような気がしてなりません。
 さて、私は自分と反対の考えに遭遇した時、自分の側に「答え」がどんどん降りることが多いです。
 例えば六爻占術で億万長者になった頃、大学教授が電話をかけてきて「世の中はバランスしているのだから、そのうちしっぺ返しを食らうよ」と言いました。
 それが契機で、そういうものは無さそうだということを本にも書けました。
 それに限らず、私は反対の意見から触発される時が非常に多いのです。十二支の反対側から冲されるようなものです。
 さてそう言う人は、私の問いの結果ではないかと言えないでしょうか? つまり人生をかけて私に答を教えてくれるという・・・。
 これは言い過ぎでしょうか? しかし、どうもそうは思えないのです。
 私の問いが強烈なので、私にその答を導き出させるために反対意見を演じていると、思えたりするのです。
 そうだという仮定で話を進めてみましょう。
 その人にだって問いはあるはずです。ではなぜ私の問いへの答えとして、生きてしまったのでしょうか・・
 私の仮説の一つは、私の問いが低周波だったのではないかと思うのです。
 相手も問いを発しますが、私よりも周波数が高いとすれば、つまり短いスパンの問いだとすれば、長いスパンの問い(低周波の問い)に巻き込まれてしまうのです。
 しかも私に答としての気付きを与えてくれる人は、あたかも自主的に行動していると思っていることです。
 ということは、周波数が低く(スパンが長く)、強い問いを持っている人のところには近付かない方がいい・・(笑)。
 だって自分が勝手に変わり、その人に答を教える人生に取って代わってしまうのですから・・。さらにそれが自動的に生きがいになるようにセットされる・・・
 もちろん動かされている相手は、そんなことは全面否定するでしょうが・・・
 以上の原則が本当だとすれば、問いこそ人を内側から動かす、最大のエゴかも知れません。

第六章「問いがキー」

  いきなり本文です。

 アインシュタインも次のように言っているそうです。
「もし自分が殺されそうになって、助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられたとしたら、最初の五十五分は適切な問いを探すのに費やすだろう!」
 適切な問いを探せば答は半分自動的に降りてくることを、アインシュタインは知っていたと言えます。
 例えば経営に息詰まった社長が、「どうして売上が伸びないのだろう?」という問いばかり持たないで、「どうしたらお客さんに喜んでもらえるだろう?」という問いに変えてみるのも良いと思います。
 それでも良い答が得られなければ、「どうしたらもっと楽しい生活ができるだろうか?」というような問いに変えても良いはずです。
 問いはキーです。なぜなら時空は問われない限り答えないからです。

 本文は以上です。
 ここまできて、やっと「問い」が出ました。
 六爻占術から出てくる世界観で、最も偉大なのが「問い」です。これは今後、世界を変えると思います。
 精神世界で「問いがキー」だと言った人を、私は知りません。
 サイババも言わなかったし、バシャールも言わなかった・・
 世界は愛では変わらないけれど、問いでは変わるのです。
 人はドツボに嵌まっている時、問いを出すことが出来ません。今自分が没頭している事の答を、自分で探そうとするのがオチです。
 このことが、失敗をする人のほとんどだと思います。問いを忘れているのです。
 しかも「私だけがどうしてこんなに不幸なのか」・・という問いには、答えてくれません。
 人間が時空と対等の関係の問いにしか、時空は答えません。なんて素晴らしいのでしょうか・・
 答は自分で探すものではないのです。探すのは問いだけです。
 大学の正式課程に「運命工学科」が出来ると、答を出すというテストは無くなるかも知れません。問いを作れ・・という問題に取って代わります(笑)。
 幸せへの問いを発していると、孤独と向き合う方向とは違う、没頭するタイプの答がその人の人生に降りると書きました。
 さて、「問い」そのものを排除する方向のものを考えてみましょう。それは宗教だと思います。
 宗教は信者各自が問いをすることを勧めません。疑問に思ったことを口にするのは難しい雰囲気にあります。
 何故でしょうか・・それは教祖が答を用意しているからです。
 なのに信者が独自で時空に問われたら、教祖の存在の意味がありません。
 教祖が死んでからは、書き物が作られました。そこに答が書き込まれました。聖書、コーラン、お経です。
 キリスト、釈迦がやったことは、この世から問いを無くすことだったのです。
 逆に祈りならOKでした。別の答が降りないからです(笑)。
 問い・・それは人間を独立させ、自由への一歩を踏み出させるものです。
 人間は長いこと、答を求めてさまよってきました。宗教にもすがりました。そこに答があるような気がしたからです。
 でも、たった独りになって時空に問いを発してみたら、なんと答えてくれたのです。
 長い道のりを経て、やっと時空への門に辿り着いたようです。そして、問えば時空の門は開いたのです。

第六章「意味付けと外応の違い」

 いきなり本文です。

 外応は単なる偶然じゃないか、という疑問に答えるために、目の前に起こることが外応かそうでないかの見分け方について考えてみましょう。
 ニッセンの株の買い付けを始めた頃のことです。売り物が出なくて一日数千株しか買えませんでした。それを見てある人が言いました。
「それは、その株を買うなっていうことじゃない?」
 土地の入札の問い合わせをしたとき最初、入札の事務局に電話が通じませんでした。私が電話番号を書き間違えたからです。
 こういう時も人から言われそうです。
「それは入札をするなっていうことじゃない?」・・と。
 富士通の時、喫茶店で辞表を書き終わり、立ち上がるとウエイトレスとぶつかりました。そしてスーツにコーヒーがこぼされました。こういうときも人によっては
「それは辞表を考え直せと言うことじゃない?」と言う人がいると思います。
 しかしもしもこれらのアドバイスに従ったら、今の私はありません。
 これらを「意味づけ」と言います。
 私は意味づけには従いません。その理由はたったひとつです。私は時空の謎を解明したいし、私はどこから来てどこに行くのかを知りたいからです。
 私は時空と対等に勝負をしているのです。それなのに時空からの一方的なアドバイスに従えましょうか? もしも一方的なアドバイスというものがあればの話ですが・・・。

 本文は以上です。
 私は上記のことを、何十年も前からやってきました。つまり意味付けに従ったことがないのです。
 ちょっとこの件とは違いますが、ジンクスも破壊して生きている方です。
 あるネクタイをして契約が取れたとき、翌日はそのネクタイを絶対にしません(笑)。
 もしもそういう暗黙のルールが宇宙にあるのなら、私は降ります。時空の解明なんてしてやるものか・・と思います(笑)。
 さて、意味付けをする人がいたとき、私はその人に訊きたいです。「あんた、何様のつもり?」・・と(笑)。
 神や時空は別にあんたのことなんか、気にしていないですよ・・・
 なのにいちいち「これは××のメッセージかも知れない」・・などと、思うのはやめたらどうでしょうか・・
 この章は意味付けは意味無しだということを比較的論理的に言っていますが、私の本音は「意味付けする人って、バカじゃないの?」・・の一言です(笑)。
 さてところが私の場合は、かなりの事が起こりました。喫茶店で辞表を書いて立ち上がった時、大事なスーツにコーヒーをこぼされたのです。
 しかも、それまでの私の行為は衝動的です。一秒で会社から飛び出してきました。だから「ここで考え直せ」というメッセージかも知れません(笑)。
 でも本にも書きましたが、それを採用すれば今の私はありません。
 これは、とてもとても重要なポイントです。まさに運命の分かれ道です。
 無視するか、意味付けするか・・・
 ところでコーヒーをこぼされるのは、そんなにマズイことでしょうか?
 用神(占う対象)の陰陽五行が木ならば、生じられます。
 現に会社に帰ってからスーツを女子社員に無理矢理脱がされ(イヤン)、同じ部内の女性達が総出で拭いてくれたのでした。そのとき起こったのが笑い声でした。
「森田さんて、結構おっちょこちょいなのよね・・」とか言っていたと思います。なにせ26歳&独身のバレンタインデーですから(笑)。
 意味付けも、スパンで変わります。意味付けなど、やってられないと思いませんか?
 そしてもう一度言いたいです。「あんた、何様?」
 しかも意味付けは、意味のあるメッセージを送ってくれる存在を上に見ています。
 上の存在
 ↓
 選ばれた、あなた
 ↓
 平民
 意味付けに「対等」はありません。
 対等だと思っていた友達から「あなたの成長のためよ」と言って勝手に何かをされたら、嫌な感じはしませんか? あなたはその友達から、降りたくありませんか?
 意味付けをする人は、時空と対等ではないのです。
 しかし対等にならなければ、時空と融合するはずもありません。ましてや五次元に行くなど、100年早いです。

第六章「問いは人生を変える」

いきなり本文です。

 私が会社を辞めたときのことはすでに書きました。
 そこから時を遡ること十年、高校生の時「神はいるのか? 時空はどうなっているのか?」という問いを持ちました。一時たりともその問いから外に出たことはありません。
 入った大学はカトリック系で、教授は神父さんでした。宗教学という講座は数多く受け、神に対する問いはますます深まりました。
 「神が沈黙しているのは何故か」当時、この問いを考え続けました。
 しかし本当に神は沈黙していたのでしょうか? とんでもありません。なんと、しっかりと問いに答えていたのです。
 私は富士通に入り、ある日の朝、景色が過去になります。辞表を出したとき
「何故?」と聞く課長に「理由抜きに辞めてはいけませんか?」と問いをしました。
 そのとき辞表を出しているとなどまったく知らない女子社員たちが後ろで談笑して、大きな笑い声が聞こえました。
 − 中略 −
 そして不思議研究所を作り、新聞広告で大きな問いを投げかけます。
「不思議な人はいませんか? 不思議な情報を持っている人はいませんか?」
 この問いに答えるようにトラさんが私のドアをノックし、孫さんがあらわれ、神坂さんが電話で答えてきました。
 「六爻占術は本当に当たるのか?」この問いには株の上昇で答えてくれました。
 私にも確かに金銭欲はあります。でももしも金銭欲が最優先されていれば、不思議研究所を作らずにあのまま会社を大きくしていたはずです。

 本文は以上です。
 私は問いが人生を変えると思います。言い換えれば問いが変わらない限り、人生は変わらないと思います。
 このHPに来る人の中には、「時空に対する問いを持っている」と言う人が多いです。でもそれはその人の生活を見れば分かります。それが答えだからです。
 さて本題です。
 私の言う問いとは、潜在意識のレベルからの問いです。そうでないと、さすがに人生までは影響しないと思います。いいとこ、外応止まりです(笑)。
 潜在意識では、すべての人が何らかの問いを持っていると思います。だから人生が顕在化しているのだと思います。
「幸福になるには?」・・という問いを持っていると、没頭するものを見つけるタイプの人生が降りてくると書きました。幸福は孤独を忘れることが一番の条件だと思うからです。
 もしも私が「金持ちになるには?」・・という問いを持っていたら、あのまま会社を大きくしていました。
「幸せな金持ちになるには?」などという問いを持った日には、最悪です(笑)。
 しかしみなさん、私と比較するのは良くありません。私はたぶん特殊だからです(笑)。
 というのは、17歳まで「自己」が無かったのです(笑)。だからそれまで孤独感を感じたことがありませんでした。まさに「幸せ」な状態の中にいたのです。
 そして「自己」は17歳のとき、同学年の女生徒と付き合うことで、出てきたのです。
 つまり恋愛に対して、渇望感というのが無かったのに、気が付いたら恋愛に入っていたのです(笑)。
 しかも「自己」が発生すると同時に、宇宙に神を感じてしまったのです。脈略無しです。「気持ちの準備」&「前戯無し」で、いきなり本番です(笑)。
 何を言いたいかというと、私は「求めて」いなかったのです。これは成長が奥手だったということが原因かも知れません。
 だから私の潜在意識の中に、幸福を求める心とか愛を求める心が少ないと思います。
 欲しいのはレスであり、私と同じような時空に対する「目」です。
 つまり自己が形成されていきなり入り込んだのが、時空への問いなのです。空きっ腹に薬を飲んだようなものです。効き目抜群です(笑)。だから私の問いはブレないのです。
 ここで私のことを羨ましいと思う人がいるかも知れません。
 幸福や愛を問うていれば、空いた時間は外に出て行き、そういう出会いや刺激を求めたと思います。しかし私は積極的にそうしないようしています。
 これでチャラです、悪いけど・・(笑)。
 問いの答が人生だと書きましたが、その問いが発せられる場所は、潜在意識です。
 それでも私は、それを変える方法があると思います。DVDとその特別付録は、このために作りました。
 だからここには書きません。この部分は新刊本を超えているからです。

第六章「全体の業」

 いきなり本文です。

 カルマという言葉があります。業(ごう)とも言われます。
 普通は前世の出来事が今世に影響することをカルマと言います。
 しかし私はそう考えません。カルマはこの宇宙全体が背負っているのです。
 考えてもみて下さい。私が誰かに親切をしたとして、それが本心の「親切」かは自分ではなかなか分かりません。無意識で見返りを期待しているかも知れません。ですので本人は徳を積んだと思っても、時空はそう判断しないかも知れません。
 つまり行為の精算は宇宙が終わってみないと分からないのです。
 ですから前世とか今世とういう短いスパンでは判断できません。
 しかし宇宙が一度終われば精算できます。
 今世の運命は、前回の宇宙のカルマなのではないでしょうか。
 これがチベットを旅行しているときに得た「全体の業(ごう)」というインスピレーションでした。

 本文は以上です。
 チベットのお花畑で、「全体の業」が降りました。



 この写真を見ると、エンヤが聞こえてきます(笑)。
 全体の業とは何か・・それは「宇宙は何のために存在しているのか」という問いの一つでもあります。
 人はずっと個人の行く末ばかりを考えてきました。個人のカルマを消すのが目的でもあると考えてきました。
 だから精神世界の本には「前回の宇宙が滅んだのは人間の行いがいけなかったからだ」などと書いてあるのが多いです。それに乗ってしまった多くの人達・・
 頭に来ませんか? 戦う相手が違うのです。自分じゃありません、業(ごう)は・・。

第六章「時空は価値観を持たない」


 いきなり本文です。

 キリストも磔(はりつけ)にされるときに問いを投げかけたと言われています。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか?(マタイによる福音書より)」
 遠藤周作という作家は「沈黙(新潮文庫)」という小説で
「主よ、あなたは何故いつも黙っておられるのですか?」
 というフレーズを何度も書きます。
 この問いは重いです。キリストや遠藤周作の登場人物に神が答えてくれたかはここでは問題にしません。
 しかし私たちの問いに時空は何でも答えてくれます。どんなに軽い問いであっても・・です。
 きょうのデートはあのレストランで良いか? きょう何色の服を着ていけば良いか?
 これらの問いは大変に軽く感じられます。そんな問いの重量感を時空は無視して、何でも答えてくれます。
− 中略 −
 時空は価値観を持たないのです。ということは、キリストの発する問いでも私の発する問いでも、時空にとっては同格なのです。

 本文は以上です。
 まず裏話をしましょう。
 キリストが磔にされるときに言った言葉を書くか書かないか、編集者と議論になったのです。なぜならこのキリストの言葉はかなり重いからです。
 そして私の押しで(笑)、このキリストの言葉は載せることになりました。
 でも比較する相手は、デートの服の色です(笑)。次元が違いすぎます。
 一方は超高次元、一方は超低次元・・(笑)。
 しかし時空はワンピースの色を問う娘と、キリストの区別がつきません(笑)。
 これは六爻占術が持つ価値観の中では、トップクラスに入るでしょう・・
 それでも例として入れることが難しいものがありました。それは悪いことをして、警察に捕まらないようにするための運命変更の例です。
 最初はこれを入れてしまおうかと思いました。しかし・・
 読者感想文の中にも、こんなのがありました。
「六爻占術に善悪の価値観が無いと言うことは、悪人の味方もするということですね? それは問題です。社会を悪くします。」
 一般の精神世界でも、「善悪がない」・・などとよく言います。
 しかし一方で「レベルを上げた人になりましょう」とも言います。
 「レベル」の中には善悪の基準も入っていそうです。
 キリストの例に対抗したのが、デートの服を選ぶ女性だから問題ないのです。
 もしも凶悪犯を逃がす例だとすれば、そのまま受け入れられたかどうか・・・。
 時空には価値観が無い・・・これは結構重い問題なのです。
 拘置所に入っていて、まだ最終判決が降りない人からも六爻占術テキストの注文が来ています。
 さらに、原爆を作ったのはアインシュタインだと言う人もいます。
 もしかすると六爻占術は、原爆どころの代物(しろもの)では無いかも知れないからです。
 しかし既に幕は切って落とされました。

第六章「時空はどうすれば答えてくれるか」

 いきなり本文です。

 私は六爻占術を勉強する過程で、運命があることにガッカリました。そんな運命を決めた奴は誰だろうと思いました。自由が無いこともショックでした。
 私は意識を持って生まれてきたのに、自分で決めることもできなかったのかと・・
 そして諦めました。
 その結果、事態は逆転しました。お金が転がり込み、土地に変わりました。もっと嬉しいことに時空の謎に一歩近づきました。
 転換のキーの最初は「諦め」です。
 つまり自我の希望や願望を手放したのです。

 本文は以上です。
 このタイトルは「時空はどうすれば答えてくれるか」ですが、言い換えれば、時空と繋がる方法のことです。
 時空と繋がるには、どうすれば良いでしょうか・・それは三次元を諦めることです。
 メチャ、簡単でしょう?(笑)。
 みんな三次元で頑張っちゃっているから、繋がれないのです。
 考えてもみて下さい。忙しい忙しい言っている人と、あなたはゆっくり話をする気になれますか? 時空とて同じです。
 時空のカフェは、忙しい人が立ち寄る所ではないのです。それはむしろ、何もしない部屋から通じるカフェなのです。
 願望を強く持ち続ければ、それは実現するかも知れません。でも時空と繋がった形のものではないと思います。
 私は三次元の世界での諦めには、かなり慣れているつもりです。「森田さんには苦労の陰が少ない」と言われるのも、諦めが早いからです。
 諦めていなければ、もっと苦労が顔に出ています。お肌にも出ています(笑)。
 そんなことを言うと、信じられないという人も多いと思います。なぜなら私は根源的な問いをずっと諦めないで追求しているからです。
 それは諦める領域が違うのです。
 普通は逆です。時空の問題など諦めて、三次元に生きている人が多いからです。
「諦めたら終わり」ではありません。「諦めないと始まりません」・・五次元は。
 新刊本このページはかなり深いことを書いたつもりですが・・・

第六章「運命のジェットコースターに乗る」

 いきなり本文です。

 私は長いこと、問いと答がペアになっていることなど知りませんでした。でも今から思えば富士通で辞表を出す数日前から
「このままでいたら、時空の探求ができなくなりはしないか?」
 という気持ちが心をかすめていました。そしてバレンタインデーの当日、
「これでいいのか?」
 という具体的な問いが出ます。風景がセピア色になったのがその答でした。
 なぜその日だったのでしょうか?
 私はとても真面目な社員で、入社以来四年間に渡り無遅刻無欠勤でした。始業の三十分前に会社に着くと、早速仕事の準備に取りかかるのが日常でした。そのとき頭はすでに仕事のことで一杯でした。だからたとえ社内が「セピア色」になったとしても、それを答として受け取ることができなかったのです。まるで武蔵が柳生石舟斎に対してガチガチになって斬りかかっていくようでした。鳥の声も水の音も聞こえませんでした。
 しかしバレンタインデーの日は違いました。女子社員のくれたチョコと手紙に私は仕事を忘れ、一瞬の空白ができたのです。
 不思議研究所を始めるときも同様でした。それまで私は、多くの悩みを持ってベッドに入っていました。しかし仕事で順風満帆の日々が続いたとき、私の頭はまっ白になってきました。そこで答を受け取ったのです。
 つまり心があることに執着していると答を受信できないのです。逆に一瞬でも心が開くと受信できるのです。
 不思議研究所の設立を宣言して、実際に始めるまでの準備としてやったことは、私の手帳をまっ白にすることでした。それは今から思えば、いつでも答を受けられる状態にすることだったのです。
 さて、答が降りたときどうすれば良いでしょうか? というのは行動に移せない人がかなりいると思うからです。
 実はみなさんの中にも答が降りているはずです。それに対して「決断」とか「決心」をしてはいないでしょうか?
 決断とか決心をするためには「よく考える」という行為がつきものです。それは過去の経験に照らし合わせたり、行動に移すための理由を考えたりするためでしょう。
 でも未来からの通信には理由がありません。過去から現在への延長線上にはないような突拍子もない答えが降りてくるのが常なのです。決断とか決心を発動すると、せっかく未来から答が来ても、それを逃してしまうと思うのです。
 私の例から言っても、心が空白になったときに答は降ります。だから心が空白のまま、つまり理由抜きにそれに乗るしかないのです。そこでタイヤに飛び乗って流れに身を任せられるかが勝負なのです。とにかく運命に身を任せられないと乗れません。

 本文は以上です。
 ここには五次元に行くための、非常に重要なポイントを書いています。ポイントは二つあります。
 1.リラックスすること
 2.理由を問わないこと
 リラックスも、そう簡単ではないことが書いてあります。
 私は富士通にいる間、おそらく何度も五次元からのパルスを受けたと思います。でも私が仕事に熱中しているがために、アンテナから拾えなかったのです。
 それがバレンタインデーの日だったことは、偶然ではなかったのです。チョコと手紙の小山に、私に一瞬の「空白」が出来たのです。
 そしてチョコを目の前にして、景色がセピア色に変わります(チョコが多かった理由は26歳独身だったからです(笑))。
 不思議研を始めてからは、手帳をまっ白にするというのを始めます。その後、何もしない部屋に行くということも始めます。人生全体が「空白」に向かっています(笑)。
 私は仙女の卵(道教の導師)に連れられて、六次元の旅というものをしたことがあります。満月の晩にバナナの葉の上で幽体離脱をして・・(笑)。
 あの時は視力が倍になりました。今もそのままです。あの時も一瞬のリラックスをしたのです。
 またつい先日、あまり理由はなく孤独の深淵に落ち込みました。
 脱力感を抱いたままリンゴの部屋(昼ひとりになれる部屋)で過ごしました。その時もかなりのリラックスが訪れました。
 そしてそれから醒めると、私のエネルギーを見る能力が少し上がりました。それだけではありません。
 どうも私は精神的にシフトしたような気がしてなりません。このシフトがとういうものかは、時間が経ってみないと分かりません。
 でも、富士通を辞めたり、不思議研を始めたりしたときと、同様の変化を感じています。
 そういうリラックスが持てるかどうかがキーの一つです。
 もう一つのポイントは、「理由抜き」です。
 なぜ理由抜きなのか・・それはパルスが未来からの信号だからです。過去との整合性など何もありません。
 この取り扱いも結構大変なはずです。だって大人の世界ではみんな「理由」を訊かれるからです。
「なぜ私を好きなの?」「さあ・・・」と正直に言ってしまうと、振られます(笑)。
 五次元からのパルスはリラックスしている時に突然降ってきて、とんでもないことを告げます。
 それに乗れるか乗れないか・・そこで人生が決まると言っても過言ではありません。
 だから面白いのですが・・

第六章「今の自分を肯定する」

 新刊本でここが一番大事です。ですので二回に分けて書きます。
 まず本文です。

 五次元の世界に行くために自分を変える必要があるのでしょうか?
 病気は今までの自分の生き方を正すためのサインだという人もいます。しかしウサギ八匹で病気が治った人は自分を変えたでしょうか?
 私は財運をアップするために自分を変えたでしょうか?
 自分を変えるために何か変えたでしょうか?
 一般的に言われていることは、自分が源なので自分が変わらない限り運命も変わらないということです。
 でも、これは逆なのです。
 五次元に行くことで最も重要なことは、今のあなたの心身の状態をそのまま受け入れること、つまり肯定することです。
 それはなぜかと言えば、あなたは流れの中にいる流れの一部分であり、今のあなたになることは宇宙が誕生した時から決まっていた可能性があるからです。
 前世ともほとんど関係ないと思います。そんな短いスパンで決まるものではありません。あなたが前世で悪いことをしようが、それすら宇宙の誕生から決まっていたからだと思います。しいて上げれば前の宇宙のカルマです。
 宇宙の誕生から今のあなたが存在することは決まっていたとすれば、他の誰でもないあなたが、別のあなたになる必要などあるでしょうか?
 それどころか今の自分を肯定することが流れに乗ることになるのです。変えようとすることはカヌーと同じです。オールの操作に夢中になり、まわりの景色が見えなくなります。
 あれを変えれば・・これを変えれば・・と思うと、その点にばかり目がいきます。
 しかし肯定するということは、そこから別のところ、すなわち外の世界に目がいきます。

 本文は以上です。
 これが出来ている人は、いますか?
 好きな部分を肯定するのは簡単です。嫌な部分を否定するのは簡単です。
 そして否定する部分を変えて、肯定するようにするというのが今までのやり方でした。
 でもここで言っている手法は違います。否定する部分を、そのまま肯定するのです。
 実はこんなに大変なことはありません。
 私の本を読むとホッとすると言う人が多いですが、実は本当に大変なのは私のやり方の方です。
 間違いを犯した時、「今度からやめよう」というのは今までのやり方であり、一番簡単な対処法です。でもそれでは五次元には行けないのです。
 私は二三日前、自分の嫉妬心が強いことをやっと認めました。それだけではなく、私は自分の価値観を人に押し付けるだけの人間だと気付きました。そしてそれを認めました。
 認めたら、次のドアが開きました。少しだけ新しい世界に入りました。
 もちろん欠点が直ったわけではありません。ですが気付きが変えたのです。自分をもっと肯定する方向に・・。それは同時に相手(周囲)も肯定することに繋がりました。
 そして私の目は、自分自身のことではなく、もっと外に向きました。

第六章「今の自分を肯定する(続)」

 まず本文の続きです。

 あなたの身体にも欠点はいろいろあるはずです。それをひとつひとつ認めてあげて下さい。宇宙の誕生から決まっていた身体なのですから。
 同様にあなたの性格にも欠点はあるはずです。それを全部認めてあげて下さい。欠点すら決まっていたことなのです。宇宙が決めてくれた欠点は、本当は欠点などではないはずなのです。
 全部認めて、タイヤに乗って下さい。オールなど捨てることです。
 人生には急流もあり、滝もあります。もちろんゆっくりとした流れもあります。
 オールを捨てれば流れに乗ります。そのとき、自然に五次元に移行します。

 本文は以上です。
 五次元に行く方法は、欠点を認めてオールを捨てること・・・
 本を書いた時点でも、その半年後の今でも、私は同じ考えです。
 要するに自分に関しては、全肯定すること・・・なのです。
 これを読んで「ああ、何も直さなくていいのね・・ああ、楽になった」と言う人は多いです。しかし前回書いたように、これが一番難しいのです。
 でも今回はもう一つの問題を考えてみたいと思います。何故自分を肯定することが五次元への道なのか・・という問題です。
 もしも自分を肯定していなかったとします。その人は他の人を肯定できるでしょうか?
 出来ないと思います。自分を肯定していない人が、他人を肯定できましょうか・・
 では自分を肯定できない人が、全世界を肯定できるでしょうか? 出来ないと思います。
 では自分を肯定できない人が、時空を肯定できるでしょうか? 出来ないと思います。
 なのに人は「あなたを信じているから」などと簡単に言います。
 たまったものではないですよね・・自分すら肯定(信じること)が出来ないのに、他人に押し付けたりするのですから。
 だから自分を肯定出来る人が、全時空を肯定できるのだと思います。だから五次元への道なのだと思います。
 そしてそう言う人は、自動的にオールを手放せるのだと思います。
 となると、すべては「自分」が始まりなのです。
 でも何も直す必要はありません。ただ、肯定するだけです。

第六章「人は自由になれるのか?」

 さっそく本文です。

 最初運命が決まっていると言われたとき、目の前が暗くなりました。私は自由になるのが生きる目的だと思っていたからです。
 運命が決まっているのだとすれば、人間に生まれた意味はないと思いました。
 ところが流れに乗ることを続けるうちに、自由の意味が変わってきたのです。
 自由は自分に理由があると書きます。
 だから自分という意味合いが変われば、自由も変わるはずです。
 それまでの私は個としての私を磨き、個としての自由度を上げることに夢中になっていました。
 周囲に流されず、自分の意志で決めようとしてきました。
 そういう努力は、つらいものでもありました。いつも何かに流されてしまう自分がいたからです。
 岐路に立たされるたびに眉間にしわを寄せて「自分で決めること」に集中しました。当然笑顔が消えました。
 歴史は自由を獲得する戦いにも見えました。人類が進歩発展するには、まず自分が個を確立して自由に向かわなければならないと思いました。しかし自由とは流れに乗って個を手放すときに、逆に感じられるものだったのではないでしょうか。
 ところで問いを外に発する時、なぜ答が外からやってくるのでしょうか。これは心の内と外がつながっているということではないでしょうか。
 私は毎晩瞑想していますが、その時は窓を開け放し、外の音をいっぱいに入れます。自分がそれらの外界と一つになったとき、真の合一だと思っているからです。
 問いをしたときその答が瞬間的に外界に現れるのは、自分と外界が一体となっているからなのではないでしょうか。すると問いに答えているのは、結局のところ自分自身だったということになるのではないでしょうか。
― 中略 ―
 つまり時空は私たちと一体だったのです。
 ここまで考えたとき、私にとっての自由の意味が変わりました。
 私は今まで個としての自由にこだわりすぎていました。
 運命を受け入れ、個としての自由を手放したとき、その向こうには広大な自由があることを知ったのです。
 問いと答を繰り返す中で、時空は変わっていくのです。私たちはちっぽけな個としての存在ではないのです。

 この章も、かなり重要です。と言うのは、二回の逆転現象が起こるからです。
 私は「個」の自由にこだわっていました。そして「運命はすべて決まっていた」ということを受け入れて、「個」の自由を手放しました。
 しかしその後、運命変更のシステムを研究していくうちに、時空の側、つまり外側から変更できることを知りました。
 これが可能になるのはどういうことかと言えば、「私」が向こう側に行くということなのです。
 私はこの感覚が好きで、好きで、好きで、たまりません。
 そして、ひとつの本の中で、ひっくり返りが二度起こる本も珍しいと思います。
 ところが読者ハガキなどを読むと「運命が決まっていてガッカリしたが、変更できてホッとした」というのが、結構多いです。
 この文章から察すると、一度もひっくり返っていないと思います。
 視点がこちら側だけに固定されていると、「この感覚が好きで、好きで、好きで、たまりません」が味わえないと思います。
 二度の逆転が起こった時、既に私の肉体にあると思われた「個」など、問題ではないのです。そこで欠点に気付こうが認めようが、問題ではないのです。
 この反転は、風船の中に人が入っていた時、風船をどんどん膨らますと、風船の外に出てしまうという現象にも近いです。





 これは三次元空間が有限だから起こるのです。無限だと、風船は無限に膨らむだけです。

第六章について

 今回は第六章についての本音・裏話です。
 この第六章については、初稿がかなりそのまま生き残っています。最初編集者に送ったとき、「素晴らしい、最後の盛り上がりが特に素晴らしい」と言ってもらえました。
 それでも修正が入りました。修正のポイントは何かと言えば「エネルギー」でした。
 エネルギーが徐々に上がりながら、最後の「おわりに」にバトンタッチしていくのです。
 エネルギーを落とさないためには、論理的になりすぎない方がいい・・
「人は自由になれるのか?」というセクションも、左脳的に「???状態」にならない方がいいのです。
 しかし、このセクションだけで本来なら何十ページも書けるはずです。それを2ページで済ませています。
 編集者と読み直しをして点検する時、「エネルギーが落ちていないか」はとても大事でした。
 エネルギー落ちていなければ、読者は何度でも読めるはずです。逆に読者のエネルギーを奪う本は、ごまんとあります(笑)。
 そう言う意味では、第六章は言葉足らずです。
 前回、本文の引用から省いた部分に以下の二つがあります。
『答が現れるのは、私が変わるのと同時に、外界も変わることの前兆です。』
『ところが時空は私たちと一体となって変わりたいのです。』
 この二つのセンテンスも、とても重要でした。
 ここに「私」の向こう側に現れた、広大な自由の世界があると思うからです。
 いかに無駄な言葉を省き、研ぎ澄まされた文章でエネルギーを盛り上げていくか・・
 私のライターとしての力量が試されたのは、やはりこの六章なのです。
 よく『不思議の友』の方が文章がうまいと批評する人もいます。ところが『不思議の友』では六章のような文章を絶対に書けません。
 なぜかと言えば、五章までの積み上げを持っていないからです。五章までの積み上げがあるから、六章では手放しで飛ばせるのです。
 そして六章最後の一言に向かうのでした・・
(ライターが自分で自分に酔うなって? まあ、本音・裏話だからいいじゃないですか・・(笑))

第六章「時空との信頼関係へ」

 本文です。

 運命の変更は、四次元の運命の曲を変えることを意味します。
 最初の曲は時空ができた時に弦に乗りました。
 ということは、運命変更は宇宙そのものの再生に相当するのです。
 もしも最初の運命を作ったのが神であれば、神そのものになるのです。
 ここまでくればあなたと時空の信頼関係ができます。それはそうです。あなたは時空そのものであり、神なのですから。乗ったことのない時空のジェットコースターにも手放しで乗ることでがきます。見ればそのジェットコースターにはレールはありません。五次元という自由空間に飛び立てるのです。

 ここもたぶん気持ちよく読んだはずです。
 では、時空の信頼関係を物語る私の話を一つ・・
 私はフィリピンで発信器を体内に入れてもらう実験をしました。そのとき怖くないかと言えば、・・まったく怖くなかったのです。三次元だけの世界の方がよほど怖いです。
 光の超能力者も言いました。「私は地獄だろうが何だろうが、全く怖くありません。」
 なのに一般的な超常の世界などでは、マイナスエネルギーが怖いだの浮遊霊が怖いだのと言います。
 時空を信頼するというのは、向こう側の世界はひっくるめて信頼しないといけません。
 トラさんは私とチベットで旅行しているとき、隣のベッドに霊が寝ていても何でもありません。
 霊体が60体も入ってきても、何でもありません(笑)。さすがにとぎめ無く入ってきたときはビックリしたと言っていました。
 自分だけいいとこ取りをして、時空を信頼していると言えるでしょうか?
 リスクを冒さない人間に、信頼という言葉はあるでしょうか?
 しかしその先には、とんでもない乗り物があります。レールのないジェットコースターです。
 加速をかけて飛び出した先は、五次元です。もうイクしか、ありません。

第六章「個を持ったまま時空と繋がる」

本文です。

 私が高校二年の時から持った問いは「私たちはどこから来てどこに行くのか?」でした。この答を得るために世界を回り、多くの体験をしてきました。
 六爻占術に出会った当初はこの問いを放棄したくなるほどでした。運命が決められていれば私たちの意識など無力になるからです。
「こんな占いなど知りたくもなかった」
 と思った時期もありました。しかし事態は百八十度ひっくり返っただけでなく次元を上昇し始めたのです。
 あれほど捨て去ろうとした意識にスポットライトが当たりました。
― 中略 ―
 執着しない意識の代表例は好奇心だと思います。好奇心と欲望は紙一重です。何が境目になるかと言えばやはり執着心なのです。子供は何でも問いかけます。逆に大人になると、分かった風な顔をして答を言う人が多いです。問いがキーだとすれば問いを発する人は好奇心が旺盛なのだと思います。私たちがいちばん生き生きとするのは、好奇心が刺激された時ではないでしょうか・・・。
 好奇心にはエゴがありません。エゴというのは執着心を持った意識から生まれると思います。
 好奇心は一瞬一瞬通り過ぎて過去に流れます。しかし執着心は未来まで残ります。
― 中略 ―
 その問いは「どうやって生きればよいか?」というような時空に依存したものではありません。「私はこうやってみたいのだが?」という具体的な問いかけです。時空はあなたに対するコンサルタントになり、あなたとは対等になります。それはそうです、あなたは時空そのものなのですから。この境地に達するために個を無くす必要はありません。あなた自身を変える必要もありません。

 この本も、いよいよ最後の詰めに入ってきました。今回の引用では私の好きな箇所がたくさん出てきます。
『私が高校二年の時から持った問いは「私たちはどこから来てどこに行くのか?」でした。この答を得るために世界を回り、多くの体験をしてきました。六爻占術に出会った当初はこの問いを放棄したくなるほどでした。』
 17歳で持った問いの答がいまここで得られようとしているのです。でもそれは私にとっては過酷な試練でした。
 チベットで「決まった運命」のことを知った時、気が遠くなるような感じを受けました。
 好奇心にはエゴがない・・これは本当だと思います。
 私はしたい放題しています。言いたい放題言っています。貪欲な私の好奇心は多額の資金を投入して『不思議の友』を作らせます。
 六爻占術のテキストは10万円です。でもそこに、私のエゴを感じますか?
 ファックスDMやメルマガでテキストや本を売って、そこにエゴを感じますか?
 ノベルティを付けて本を売って、そこにエゴを感じますか?
 悪いけど、全部好奇心です。私には目的が無いのです。ウソ付けと思いますか?
 目的のある人生なんて、本当につまらないと思います。今日一日の行動がある目的のためだったら、本当につまらない・・
 だから私の手帳は白紙です。好奇心には目的が無いのです。
 そして「どうやって生きればよいか?」という問いは、依存の問いです。時空は依存されたら、無視します。素晴らしい・・
 キリストの最後の言葉「神よ、なぜ私を見捨てるのか?」・・素晴らしく依存の問いです。だから時空は無視します・・
 時空の恋人として立候補するのは大変です。だって個を確立していないといけないからです。敵も互角の勝負をしたいからです。
 自由への一歩・・それはまず、依存から脱出することです。

第六章「時空全体に広がった私こそが「源」である」

 最後のところは、さすがに長い本文は出しません(買っていない人は買って読んで下さい)。でもセンテンスだけ出します。特筆すべきは二カ所です。

『全体としての私という存在になったとき初めて「自分が源である」と言えると思います。』

 自分が源というのは、精神世界ではよく言われることです。でもまさか、この言葉を自分の本に書くとは思いませんでした。
 読者ハガキも同様のことを書いてあるものが多いです。「もりけんさんの本にあの言葉が出てきてビックリしました。でもなぜそう言えるのかがやっとわかりました」・・・と。
 この本での「自分が源」とは、二回の反転を経験しないと出てきません。
 そうして出てきた「源」は、自分という枠をはるかに超えたものになるのです。
 もう一カ所はこれです。最後の結論です。

『そうして時空と一体になったとき、あなたは時空を創り出し、あなたも時空から創り出されるという関係に入るのです。「私たちはどこから来てどこに向かっているのか?」という問いの答は、風のままに、流れのままに、つまり「自由」だと思いませんか?』

 書いた本人ですら、何度読んでも気持ちが良いです。創造の定義が変わり、自由の定義も変わっています。
 最後の一節を巡って編集者と話しました。
「私森田は、私の長年の問いの答を本に書いたことがありません。あまり書きたくないのですが、どうしましょうか・・」
 編集者は答えました。
「そろそろ書いても良いのではないでしょうか・・書けば森田さんは次に行けますよ。」
 ということで、最後のフレーズを書くことにしました。17歳から問い続けたきたことの、とりあえずの答えです。
 これを本に託すのは、私にとっては人生そのものを託すようなものです。
 このフレーズ(答え)はみなさん、どう思いましたか?
 私らしくないですか? それとも私らしいですか?

第六章から「おわりに」へ向かうにあたって

 まずは、ボツになった原稿を入れます。

あとがき
 本を買うとき、まずあとがきを読む人が多いと聞きます。
 ですからここには「ウリ」の文章を書く必要があるかと思いますが、私は本音を書きます。
「時空はどうなっているのか?」という問いを持ってここまで書いてきました。
 しかし・・
 完璧な結論は得られませんでした。
 でもここまで読み進んだ方はどうだったでしょうか?
「そんなことはない」と思った人も多いと思います。
 なぜなら究極の問いには答えられなくても、そこに至る幾つもの問いには答えているからです。
 何よりも良いのは、私自身がこの本を書くことにより多くの気づきを得ていることです。作者が書いていく段階で何も気づきが無い本は、おそらく読者に対しても気づきを与えることは無いと思うからです。
 最初、運命があることを知り、ガッカリした私・・
 それを認めるのに時間のかかった私・・
 次に今の自分を認め、今という時間に起こる出来事をすべて認めた私・・
 そうして踏み出した世界は、いままでの概念とはまったく違う自由の世界だったのでした。

 ボツ原稿は以上です(笑)。
 あとがきに当たる部分は、普通こういう感じです。しかし実際のあとがき(おわりに)は、全然違います。
 どこが違うのでしょうか・・・弾を撃ち続けているのです。
 普通のあとがきは、セックスに例えるならばイッた後の後戯です。
 しかし私が実際に書いたのは、あとがきですら登り詰めていく前戯に当たります。
 前回も書きましたが、本文の最後は次です。
『そうして時空と一体になったとき、あなたは時空を創り出し、あなたも時空から創り出されるという関係に入るのです。「私たちはどこから来てどこに向かっているのか?」という問いの答は、風のままに、流れのままに、つまり「自由」だと思いませんか?』
 こんなセンテンスで、イカせません(笑)。
 私の講演会を聴いた人は分かると思いますが、最後にゆっくりとした「まとめ」などはやりません。
 私は正確に時間を気にしながら、最後の一秒まで本論をマシンガンで喋ります。
 本も同じです。本文が終わって一息つけるか・・とんでもありません。本文以上に撃ちまくります。
 こんな本が、他にあるでしょうか? もしかすると新刊本の最大の特徴は、ここにあるかも知れません。
 文字の一つ一つが弾なのです。最後のトドメの一発まで、無駄玉を使いません。
 そして、もしかするとこれは、私の人生かも知れません。

おわりに「人間と地球の運命は」

 本文です。

 コインに出ているのは次の情報でした。
『人間が自分の快に生きれば地球は救われ、人間も救われる』
 コインの情報によれば、楽しみとか快楽というところが災害を消すファクターになっているのです。
 快が地球を救うとは、どういうことでしょうか・・
 一般的に言えば、何かを救うときにやるのはマイナス要素を減らすことです。地球の温暖化が進んでそれが原因で水害が起こるとすれば、温暖化を防止することをやります。
 人間のエゴがいけなかったのだと、反省をうながしたりもします。
 でも、そういう手を使うと却って災害を大きくすると、コインは告げています。
 さて、あなたは快をどう思いますか? 普通、快は否定されるほうが多いです。
「自分の好きなことをしていてよいのか? もっと社会のことを考えろ」
 などと言われます。ましてや地球が危機に瀕したとき、自分の快楽に溺れていてはいけないとも言われます。
 しかし地球の出した回答は違いました。なぜ地球がそういう回答を出したか、外応を使って考えれば簡単です。
 私の職場である不思議研究所は笑いが絶えないところです。私自身が大きな声で笑うのも原因です。仕事の相手から
「このプロジェクトがうまくいくかどうか、コインを振らないのですか?」
 と聞かれて、そのとき笑い声がしました。それでコインすら振る必要がなくなりました。
 土地の入札のときも同様です。入札価格を知るためにコインを振ろうとしたら近くで笑い声がしました。それで「いける」と判断できたのです。
 外応はコインの結果より優先されるからです。
 逆に緊張している職場だとどうなるでしょうか・・
 全員がピリピリしていると笑い声が出ません。時には怒鳴り声もあるかも知れません。そういうときに問いを発するとどうなるでしょうか?
 運命は良くないほうに変わります。
 笑顔でありがとうと言っていれば、運命が好転するということが書かれた本は、大変に多いです。ポジティブに生きたほうが良いという本も多いです。
 その理由は、外応にあったのです。笑いの絶えない環境は、自然とうまくいきます。
 逆に地球のために欲望を捨てなさいとか言われると、突然嫌な気持ちになります。
 人間というのは本来、快に生きたいのです。しかしそれを抑制するのが成長した人間だと言われてきました。
 今地球は、その生き方の方向転換をさせたいのではないでしょうか・・

 本文は以上です。
 ここで初めて「快」が登場しました。
 考えてみれば「快」の発見というのは偉大なものがあると思います(私のことです)。だってそれまで人間の根本原則は快だと言った人を、私は知らないからです。
 逆に、精神世界や環境団体などは、快をランクの低いもののように言うときがあります。
 もともと人間は快の原則で動いていました。だからそれを認めるだけでいいのです。
 地球の方向転換とは、快を認める・・たったのそれだけなのです。
 本文には不思議研究所のことも書きました。不思議研は信じられないほど笑う職場です。
 何故でしょうか・・・お客が優先ではないからです(笑)。
 お客が優先でないとピリピリした雰囲気にはなりません。 自分たちのペースでゆっくりと仕事をすれば良いのです。余裕があるから笑い声も出ます。
 するとどうなるかと言えば、さらに注文が入ります。好循環が起こっているのです。
 普通の会社はたぶん、この逆だと思います。お客様が優先で、お客様の不満の無いように、ピリピリやるのです。それは自分を殺した快であり、前者とは快の度合いが違います。
 つまり「快」にも度合いや種類があるのです。
「人生に遊びを持て」と言う人がいますが、冗談じゃありません。
 なぜなら、本筋の人生から外れた「遊び」の快よりも度合いが高い快を、私は本当の人生の中で持っているからです。
 人生そのものが高純度の快の人が、わざわざ純度を落とした「遊び」の快をしますか?
「遊び」という言葉がその人から消えたとき、その人は本当の遊びそのものの世界に入ったのだと思います。
「人生に遊びを持て」・・・悲しい言葉です。もっと本質的に高純度な快を追求しませんか?

事務所の入り口にて


おわりに「人間と地球の運命は(続)」

 本文です。

 今地球は、その生き方の方向転換をさせたいのではないでしょうか・・
 外部に原因がなく、地球自身のプログラムでそれがはじまったとすれば、なおさらです。
 この話、私は日本の神話を思い出させます。天照大神が天岩戸(あまのいわと)に引き篭ってしまった話です。
 太陽神が隠れると世の中は真っ暗闇になってしまいました。普通ここで恐怖が支配するものです。でもそのとき困った神々はなんと宴会を始めました。天宇受売神(あめのうずめのかみ)に至っては胸を露わにしてセクシーに躍りました。その踊りがあまりにおかしかった為、見ていた神様はどっと笑います。
 その笑い声を聞いた天照大神は不思議に思い「私が隠れて暗くなったかと思ったら、天宇受売は踊っているし、神々は笑っている。一体どういう訳か」と少し岩戸を開けて外の様子を見ようとしました。
 そこで隠れていた天手力男神が天照大神の手を取って引っぱり出すのです。
 今地球がしようとしていることは、これではないでしょうか・・。
 確かに世の中は大変な方向に向かっているかも知れません。凶悪犯罪が増え、戦争も無くなる気配はありません。そんなときに災害が来れば、人類への警告だと注意を促す人も出ます。
 とすると、ますます悪い外応を作り出すことになります。
 六爻占術によれば、隣の部屋の人が自分のために笑ったとしても、まわりの人の運命を好転させるのです。
 地球の上でみんなが笑い、楽しく生きるようになったらどうでしょうか。地球にとっては大変大きな外応になるはずです。
 このことに人類はずっと気が付かなかったかもしれません。目には目をの論理で、テロを仕掛けられれば戦争でお返しをしていました。でも、人類が自分のしたいことをして楽しむようになり、笑い声が絶えなくなれば戦争も災害も減ると思いませんか?

 この、天照大神が岩戸に隠れる逸話は、本当にすごいと思います。だって私の本にドンピシャリだからです。
 こんな逸話がありながら、どうして今まで、全世界で、もしくは一個人の中でこれが出来なかったのでしょうか・・
 古事記の原文を読むと、天宇受売神(あめのうずめのかみ)は胸をはだけただけではありません。陰部まで露わにしています。
 ハッキリ言って、引いていません・・・彼女は五次元にジャンプしたのです・・
 地球の危機にシビアな顔をして「みなさん生き方を変えましょう」・・だと?
 まず、言っているあなたが脱ぎなさい。服だけではなく、その凝り固まった常識を・・
 そう言っています、この神話は・・
 さて、本文は続きます。

 もう一つ、耳寄りな情報を伝えます。占いの中のルールで次のようなことが言えます。快に従って生きると財運を上げるのです。
 なぜなら六爻占術のルールでは、快は財運のプラスエネルギーとして作用しているからです。
 私が辞表を出して独立し、さらに不思議研究所を作っていく過程は、快を追求する過程でもありました。
 そして財運そのものを追ってはいないのに、大金が転がり込み、土地に化けました。
 快というのは財を上げるのです。ですから本当に好きな事をすれば、お金はついてくるものです。

 六爻占術のルールというのは、非常に参考になります。
「子孫」というのが卦の中にありますが、これは子供・好奇心・楽しみ・エッチという意味です。そして子孫は妻財を生じます。
 ということは好奇心・楽しみ・エッチをすれば、財運が上がるのです。
 一般的精神世界でも言われています。「好きなことをすればお金はついてくる」・・と。まさにその通りです。
 本には書かなかったけれど、子孫にはもう一つの意味もあります。「占い」という意味です。ここで言う占いは、六爻占術のことだと思います。
 ですので六爻占術をやれば財運が上がるようになっているのです。
 さて、子孫は官鬼を剋します。官鬼は事故や災害や病気です。楽しめば、事故や病気を減らすのです。
 そして本文はいよいよ最後の一節に突入します。

 時空と私たちはいつもつながっています。そういう繋がりの世界に人類が入ったとき次元が上昇すると思います。五次元に入るのはとても簡単です。
 自分を肯定して、運命を受け入れ、オールを手放せば良いのです。欠点も愛おしい自分の一部だと受け入れたとき、あなたは時空そのものに広がります。
 怒っている人、笑っている人、すべてあなた自身でもあります。あなたに代わって、あなたに答を送っているからです。
 そしてあなたが笑ったとき、相手はあなたから運をもらうことになります。運は減るものではありません。あなたから運をもらった相手は今度はあなたに微笑み返すかも知れません。そしてあなたの運はもっと上がります。
 自分が幸せになることで地球も救えたらどんなに素晴らしいでしょうか。
 ここまで読んでくれてほんとうにありがとう。
 問いと答の応酬で私に多くの気づきを与えてくれました編集の川島克之氏、この紙面を借りてお礼を申し上げます。
 最後になりましたが私があなたにこの本を通じて外応のプレゼントをします。今一番したいことを問いの形で発して下さい。そして次のページを開いて下さい。
(講談社への業務連絡・・ページを変えて、下の文章をページの真ん中に、円で囲んで出して下さい。)
 あなたはすべてうまくいっています。そしてこれからはもっとうまくいきます。

 私の本は、この最後の部分に向かってボルテージを上げてきました。
『そしてあなたが笑ったとき、相手はあなたから運をもらうことになります。運は減るものではありません。あなたから運をもらった相手は今度はあなたに微笑み返すかも知れません。そしてあなたの運はもっと上がります。自分が幸せになることで地球も救えたらどんなに素晴らしいでしょうか。』
 私はこの部分が大好きです。
 私達は歯車の様に繋がっているということを書きましたが、自分中心に考えるとそれはとても嫌です。「なんだ、世界はがんじがらめなのか」・・と。
 ところが表記の様に考えると、何だか楽しくなります。楽しいことががんじがらめになれば、より楽しくなります。
 さて、最後の部分です。この本の「おわりに」いう章の出だしを見てもらえばわかりますが、ページの途中から始まっています。本章の最後の行を揃えるためです。
 本自体が、読者の運命を好転したらどうでしょうか・・読者の運が良くなれば、がんじがらめの歯車の作用で、それは私にも返ってきます(笑)。
 実際のセンテンスの流れは、読者に対して読んでくれたお礼と、編集者へのお礼・・・・・・
 この数行は書いている本人でも息をしていません(笑)。
 そして最後のページを開き、息をしてもらいます・・・すべてのものを肯定して・・ゆっくりと・・
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 事が始まったのは、2003年の中国紀行の真っ最中でした。編集者からメールが来たのです。新刊本を書きませんか・・と。一年がかりで今、ここに辿り着きました。
 新刊本の本音、裏話はこれで終わります。長い間読んでくれて、本当にありがとう。

書き込み期間:2004/06/07〜2004/08/19