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                      |  | テーマ:「五行を斬る(1)」 |  |   
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                      | 書き込み期間:2006/03/14〜2006/03/25 |   
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                | 要旨: 原点に戻って、五行の性質を考えてみましょう。
 五行の生剋は一方方向で、関係性は固定されています。
 五行では、木と土の間に火が加わると、剋が解かれて連続相生という現象が起こります。これは他の物理法則には見られない特徴です。
 もう一つ特徴的なのは、一般的物理世界ではゼロ値を基点にプラスとマイナスに分かれますが、五行にはゼロの概念が存在しない点です。
 ゼロ基準が無いということは、計測不能ということです。ここに五行を捉えることの難しさがあります。
 
 五行は相対的かも知れません。
 その理由の一つは、量的な計り方が出来ないからです。
 新居の風水を占ったとき、私が振った卦では火が月日から生じられ、妻が振った卦では火が月日から剋されていました。月日の生剋がエネルギーの大小を表しているとすれば、矛盾します。
 置物で運命改善をするときも、五行の量を増やしているのではないと思います。
 もう一つの理由は、方角の問題です。
 例えば、私の部屋と娘の部屋は隣り合っています。私の部屋の中で西の位置は、娘の部屋から見れば東の位置になります。
 コインを何度か振ると、世爻の五行は違っていることもあります。
 試合を占うと、世爻が片方のチームになります。同じ試合を何人もの人が振れば、世爻の五行はみな同じではないはずです。選手一人一人の五行はそれぞれバラバラかも知れませんが、チームの五行は一つに統一されています。
 私が以前、植物の種に対する五行の生剋関係に関して実験を行ったところ、植物の五行を特定することは出来ませんでした。
 物には固定された五行は無いのではないかと思います。
 五行が表しているのは、あくまでも相対的な関係性なのです。
 
 五行を捉えるのに厄介な問題はまだあります。
 コインの落ち方と裏表の出方は、どの様に決まるのでしょうか。
 どう見ても重力の法則に従って落ちているとしか思えません。
 実際、表と裏の出る確率を調べてみると、どちらも50%でした。
 重力以外とは別な力の働く余地が必要だとすれば、軽いコインの方が良いことになりますが、そうではありません。
 ということは、五行は重力(従来の物理法則)と全く矛盾なく動いているのです。だから、五行が単独で発見されることがないのです。
 五行を斬るのは、まるで闇を斬るかのようです。ここまでの考察でも、まだ何も見えてはいません。
 それでも、五行がエネルギーではないという仮説が出ただけで、ひとまずは良いと思っています。
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                | ○ 一方方向で、しかも役割が決まっている五行の要素 ○ 五行ではそれぞれの役割が固定されて、なおかつ一方方向なのにも関わらず、フィードバックにも似た現象が起きる
 ○ ゼロの概念が無い
 ○ 計測不能
 ○ 相対性
 ○ 相対性(方角)
 ○ 五行とて「他力」
 ○ WBC決勝戦の卦
 ○ 対等感覚
 ○ 実験結果
 ○ コインはなぜ落ちる
 ○ 闇を斬る
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	| 一方方向で、しかも役割が決まっている五行の要素 
 
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		| 五行の生剋関係を見ると、気が付くことがあります。それぞれ一方方向で、役割が決まっているのです。火は土しか生じず、金しか剋しません。 当たり前の事を書いていますが、やはり原点に戻るために、考えてみましょう。
 私たち個人個人の役割は、それほど決まっていないように見えます。
 私はAさんだけを好きになり(生じること)、Bさんだけを嫌いになる(剋する)ことは、ありません。だって一生のうちには、色々なドラマがあるからです(笑)。
 私がAさんを好きになれば、Aさんだって私を好きになる可能性があります(笑)。
 しかし五行の世界は違います。火は土を好きになるのですが、一生かかっても、いえ時空が終わるまでかかっても、土から好かれることはありません(泣)(笑)
 もしも私は生まれ変わったとき、五行の火や土に生まれてしまったら、こんなに悲惨なことはありません(笑)。好きな人からは、絶対に愛されない運命だからです。
 世間が分かった風な人は、よく言います、「世の中は無常だ」・・と。
 しかし五行の関係性は、時空の始まりから終わりまで、固定されたままです(泣)。
 「世の中は有常だ」・・これほど悲惨なことはありません。
 こんな話(五行の生剋の話)は知っているよ、その後の展開の書き込みを読みたいよ・・という方には残念ですが、今日はこれ以上書きません(笑)。
 何故かと言えば、私が最も「神」を感じてしまうポイントがここだからです。
 偶然に任せれば、「固定される」ことなどあり得ません。
 「一方方向で、しかも単一の役割」を決めた存在(何か)がいる(ある)のです。
 だから私には「五行の性質は分かった、次に行こう」ということが、なかなか出来ないのです。
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	| 五行ではそれぞれの役割が固定されて、なおかつ一方方向なのにも関わらず、フィードバックにも似た現象が起きる 
 
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		| 昨日は「一方方向で、しかも役割が決まっている五行の要素」という書き込みをしました。 世の中の法則のほとんどは同様です。電気のプラスは、プラスの役目しかしません。磁石のNは、Nの役目しかしません。
 なので「火は土しか生じず、金しか剋しません」というのは、他の物理の法則の流れにも合っています。
 さて、話を進めます。
 一般的物理の世界(プラスマイナスやNとS)では、関係性は一方方向です。
 しかし五行の世界は違うことが起こります。
 火と土の他に木が出てきたらどうでしょうか・・。木は土を剋するので、敵が現れたことになります。
 でも木は火を生じ、火は土を生じるので、剋がキャンセルする形になります(連続相生)。
 私が知る限り、他の物理の法則の世界で、こういう関係性があるのを知りません。
 (しかし私もそれほど物理科学に精通していません。他にもあったら、是非教えて下さい。)
 五行ではそれぞれの役割が固定されて、なおかつ一方方向なのにも関わらず、フィードバックにも似た現象が起きるのです。
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	| ゼロの概念が無い 
 
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		| 一般的物理の世界では、ゼロを基点にして性質が逆転します。例えばプラスとマイナスです。 家庭に来ている電線は一秒間に50回ないしは60回で、ゼロを基点としてプラスとマイナスの間を行ったり来たりしています。
 テレビ電波に至っては、1000万回も行ったり来たりしています。
 つまりこいつらは、ゼロ以下とかゼロ以上になれる存在です。
 しかし五行は違います。
 火はどんなに剋していっても、ゼロ以下(すなわち水のような性質)にはなりません。ゼロ値を超えて逆の性質になることが不可能なのです。
 いえ、もっと問いを深めれば、五行にはゼロという値すら、無いのではないかと思います。
 さらにもっと問いを深めれば、五行にはゼロという概念すら、無いのではないか・・と。
 何故「ゼロの概念」が無いのではないかと思ったかといえば、五行には「逆の要素」というのが無いからです。
 火の反対は水と思うかも知れません。しかしここに土を持ってきた場合、連続相生というおかしな現象が起こります。
 ゼロの概念が無いというのは、この世界では五行だけかも知れません。
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	| 計測不能 
 
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		| 五行にはゼロの概念が無いかも知れないと書きました。 この「五行を斬る」という作業は、あらゆる可能性から切り込んでいます。なので現代科学では「非常識」という視点までも含みます。そのところをご了解下さい。
 さて、五行にゼロの概念がないと、困ることがあります。測定できないのです。
 ある値を計測するということは通常、ゼロの点からの距離(値)を測る事に他ならないからです。
 他の物理の要素の中で、こういうものは他にないかも知れません。
 だから五行を捕まえることは、至難の業なのです。
 さて、ゼロという概念がないということを、もう少し考えてみます。
 もしもゼロという概念があれば、「宇宙空間のこの部分には五行の『火』はゼロだ」、あるいは「限りなくゼロに近い」ということもあり得ます。
 でも、それは起こり得ないと思います(理由は次回、書きたいと思います)。
 ゼロが無い・・この概念は、現代科学では最も取り扱いにくいと思います。
 
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	| 相対性 
 
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		| 五行にはゼロの概念が無い・・この仮説に至った最大の理由を書きます。 今、新居を設計中でして、家族が新居の風水を振りました。
 すると、 たとえば私が振った卦では、火は月日から生じられていました。
 しかし妻が振った卦では、火は月日から剋されていました。
 月日から生じられれば、一般的には、エネルギーとしては最大値です。月日から剋されれば、最小値です。
 しかしです。火は南の方向なので、我が家の南は、矛盾したエネルギーに満ちています(笑)。だから昨日書いた仮説が出てきます。
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 もしもゼロという概念があれば、「宇宙空間のこの部分には五行の『火』はゼロだ」ということもあり得ます。
 でも、それは起こりえないと思います。
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 ゼロという概念には、どこかに「絶対性」という考え方が潜んでいると思います。
 月日から生じられているから、それはゼロのポイントから高い位置にある・・。
 月日から剋されているから、それはゼロに近い位置にある・・。
 こう解釈するということは、エネルギーの大小でモノを見ています。
 五行が世に出て2000年経ちますが、「量」の見方が、「何も見えなくさせていた」と考えてみたのです。
 
 改善のために置物を置くのは、そのエネルギーの「量」を増やすためでしょうか?
 私はそうは考えなくなりました。
 個別の「量」という考え方はオフライン的です。しかもアナログ的です。
 そう言えば、面相師も同様の事を言いました。
 「森田さんの家の風水ですが、森田さんにはこの色が良いが、奥さんにはこの色が良い」・・と。
 妻にコインを振ってもらったら、やはりその色(妻にとっての良い色)が出ました。そしてキッチンはその色にすることにしました。
 全てが相対性の世界だとすれば、ゼロ値は存在しなくても良いと思いました。
 そしてこの考え方には、面白い側面があります。
 「宇宙はゼロから始まったのか?」という議論から脱却できる点です。
 「宇宙が誕生する前、私たちも何らかの形で存在していたかも知れません」・・は、講演会の最初に言ったフレーズでした。
 以上のことは、もちろん仮説ですが、視点としては「ゼロではない」と思います(笑)。
 
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	| 相対性(方角) 
 
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 これは有名な(笑)相冲図です。この中で、方角だけに注目してください。
 方角というのは相対的です。
 私の部屋と娘の部屋は、隣同士です。私の部屋の中で西の位置に置物を置いたとき、それは娘の部屋から見れば東にあたります。自分がどこにいるかが基準になります。
 北極点で「この置物を北の方角に置け」と言われると固まります。これ以上北には行けないからです(笑)。
 五行が相対的だというのは、非常に困ります。
 既に書いたように、測定するのが難しくなるからです。
 これから見ても、「宇宙のこの場所の火の五行の値は5.2だ」などと測定することは出来ないと思います。
 
 ここまでは人間を中心に考えました。次は物を考えてみましょう。
 リンゴが机にあったとします。リンゴの吉凶を占って(笑)、コインを振ったとします。
 そこに出てくる五行は、独立したリンゴの五行でしょうか?
 そうではないと思います。コインを振った人間との関係性が出てしまうと思います。
 相対性というのは、非常に厄介なことです。でも、何とかしたいです。
 (と言っても、分かった風な結論を出す気はありません。だからこうしてしつこく食い下がっています)
 
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	| 五行とて「他力」 
 
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		| 今まで書いたのは、五行には絶対的というものは無い。相対的である。ゼロの概念も無い、すなわち測定できない・・などなど。 今日は私のぶっ飛んだ仮説を紹介します。なので当然のことながら、肯定的レスは期待していません。
 ネットワーク論が出て以来、私は五行に対しても、ネットワーク論の仮説を当てはめて考えることが多くなりました。
 五行には、相対的な「関係性」だけの意味しかないのではないか・・と。
 つまり六爻占術でコインを振って世爻が「火」だと出たとき、それは「火」が最初に決まったのではなく、他の要素が「木」「金」「土」「水」だったので、世爻が次のように思ったのです(笑)。
 「残りは火だけじゃないか・・本当は水が好きなのにぃ・・ブツブツ」と言いながら、火であることを認めたのです(笑)。
 つまり「自分は空洞で、他の全てが原因」という思考方法を、そのまま五行にも当てはめたのです。
 だからこの視点からすれば、エネルギーの考え方は皆無です。
 エネルギー的思考には、「そこに現存として存在する」というイメージがあり、それは「自力」を思わせます。
 しかし五行とて「他力」の可能性は無いでしょうか?
 「関係性」だとすれば、コインを何度か振ったとき、世爻の五行が違っても不思議はありません。
 関係性さえ崩れなければ、何も「火」である必要は無いのです。
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	| WBC決勝戦の卦 
 
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		| 以下は、今日のWBCの決勝戦を占った判断です。 
 
  
 森田の判断
 世爻を王ジャパン、応爻をキューバチームとします。
 世爻は日と同性で強く、原神が独発して忌神を入暮させながら世爻を生じ、
 応爻は月から剋されて弱く、王ジャパンが勝ちます。
 発動して六冲卦に変わって、点を取り合う動きのあるゲームになります。
 
 さて、世爻には金が臨んでいます。
 もしもイチローや王監督を振ったとすれば、金が来ないかも知れません。おそらく選手の五行はみんなバラバラでしょう。
 それどころか、今日の試合を振った人がいるとすれば、世爻に金が来ていない人だっているはずです。それでも王ジャパンが勝つことは、当たったのではないでしょうか・・。
 しかし病気の判断などでは、金は骨の情報になり、土は胃の情報になったりします。つまり五行を無視できません。
 とはいえ、それは「情報」を私たちに伝えるためではないでしょうか・・。
 エネルギーを持つということは、アインシュタインの相対性理論から言えば質量に換算されます。それがどうも、ピンと来ませんでした。
 ネットワーク論に変わったとき、初めて「全体」に目が行くようになりました。
 五行とは単に関係だけを記述するものだった・・と思いました。
 今日の試合の卦から言えば、月日からの生剋と原神の発動が決め手です。
 世爻の「金」そのものにエネルギーが充満したわけではないと解釈します。
 
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	| 対等感覚 
 
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		| 私達は、五行の制約の下にあると言われています。 しかし五行がエネルギーでもなく、何の五行にでも取って代われるとするならば、それを「制約」と呼べるのでしょうか?
 私達は自分たちの自由を規制するものを、全て「制約」と呼ぶようです。
 最初は「神」もしかり・・でした。
 私達は神から支配された存在であり、自由を得ることは、神から自由になることだと思ってきました。
 五行にも、神に似せた性質を投影しているような気がします。すなわち、下の関係です。
 上の世界に君臨する五行の支配下に、我々は存在しているという概念です。
 
 
  
 ところで私自身は「五行の上に立つ」という「自由」を得たいとは思っていません。
 全ては横のネットワークだと思っているからです。
 私は運命変更をかけるとき、用神や原神を「強める」ことを主として行っていません。
 トラさんも、その方法はあまり効果が少ないとも言っています。
 「強める」というのには、エネルギー的思考があると思います。
 そこには、相手に対して優位に立ちたいという意図もあるような気がします。それは五行に対する被害者意識(笑)、あるいは劣等感があるような気もします。
 全てが対等だとすれば、五行とて同じだと思います。
 私が今回のテーマを展開しているのも、そこに「原因」(笑)があると思います。
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	| 実験結果 
 
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		| 以前、五行の生剋に関して実験を行ったことがあります。それをお見せしたいと思います。 まずは、文字による生剋です。水と書いた紙と、金と書いた紙を敷き、カイワレ大根の種(木の五行だと仮定)にどういう影響があるかを実験しました。
 ほとんど差はありませんでした。
 
 
  
 
  
 次は十二支の文字を大きく書いてみました。それでも差はほとんど生じません。(なぜ巳と亥にしたのかは不明です(笑))
 
  
 次は色でやってみました。白は金の五行で、黒は水の五行のつもりです。ブツはもやしです。ここでもほとんど差は認められません。
 
  
 つまり物には固定された五行は無いのではないかと思いました。
 しかし色を使って運命を改善できたケースは多いです。十二支の文字を使って改善するケースも多いです。
 でもこの実験には疑問もあります。何を改善するのか・・ということです。
 「早期発芽成長」が「良い運命」とは限りません。
 私なんか、中学を卒業するまで「万年チビ」と呼ばれていました(笑)。それが私にとって、マイナスとは思えません。
 元々の問題設定が違っていたのではないかというのが、この実験かも知れません。
 
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	| コインはなぜ落ちる 
 
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		| 五行がエネルギーだと思っていたとき、コインの落ち方も決めているという仮説も持っていました。 コインはなぜ当たるのか・・・
 でも、どう考えても重力に従って落ちているような・・・。
 しかし机に落ちて、クルクルと回ったりしているとき、何らかのエネルギーが働いて、表を裏に変えているのかも知れません。
 もしもそうだとすれば、軽いコインの方が正確だと言えます。
 でも実際はそうではありません。不思議研がトラさんと一緒に開発した「場の取れるコイン」は、10円玉よりも重いです。
 こんな重いコインをどうやって動かすのか・・・。
 私は表の出る数と裏の出る数を記録してみました。するとほぼ50%でした。
 ということは、単に重力に従って落ちているのです。
 別に他から、別の力を受けているわけではありません。
 六爻占術を始めたとき、まず最初にぶち当たるのが、この難問でした。
 「場を取る」と言いますが、それは一体どういうことなのか・・。
 「場」はエネルギーの一種なのか・・。
 物理学者の前でコインを振ったとき、彼らは一体なんて言うか・・
 「バカバカしい・・。単に重力の法則で落ちているだけなのに・・」
 未知のエネルギーが発見されて証明されれば、こんなに説得力のあることはありません。
 でも、そうではなさそうなのです・・。
 コインは何故、未来の情報を載せて、裏表を決めて、落ちるのでしょうか・・。それは何らかのエネルギーではないのでしょうか・・。
 
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	| 闇を斬る 
 
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		| コインの続きです。 重力の法則は分かっています。リンゴが木から落ちるのをニュートンが見て、発見したのです。
 重いコインの方が「場」が取れるということは、出来るだけ重力に忠実に落ちた方が良いということになります。
 ということは、五行にもしもエネルギーがあると仮定するならば、従来の物理の法則と全く矛盾なく動いているのです。
 これがおそらく、五行の「エネルギー」を発見できない理由なのだと思います。
 そして、重いコインの方が場が取れるとすれば、「五行にはエネルギーは無い」という仮説だって成り立つと思います(既に言っていますが)。
 剣豪のドラマで真っ暗な闇の中で対戦するとき、相手が無になってしまうと、斬りかかることすら出来ない場面が出てきます。
 そんなとき、相手が邪悪のエネルギー(怒りとか)を出して来ると、とたんに相手は斬られます。
 それでなくても剣豪は、殺気を事前にキャッチします。
 剣豪のドラマに例えれば、五行は無になって潜んでいる状態です。宮本武蔵ですら、斬れません。
 ここまで書き進んできましたが、まだ何も見えない状態です。
 でも、「エネルギーが無い」という仮説が出ただけでも良いと思います。それが正しいにせよ、違うにせよ・・・。
 
 ところで少し脱線しますが、イチローは「孤高、クール、哲学的」というのがウリだったそうです。しかしWBCで一転しました。
 感情をモロに出すイチローに、日本中が同調して燃えました(笑)。
 今後、彼へのCM出演が殺到するそうです。そして出演料の値も跳ね上がるそうです。
 それは感情を出したことによって、国民が彼を身近に感じられるようになったからです。
 しかし五行は、ちっとも身近ではありません。以前のイチローよりも、もっとクールです(笑)。
 だから五行に対してのCM出演は、今のところありません(笑)。
 イチローよ、五行に対して一度吠えて欲しい。五行も熱くなって吠え返すかもしれません(笑)。
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                | 書き込み期間:2006/03/14〜2006/03/25 | 
               
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