テーマ:「六爻占術2003.05」
書き込み期間:2003/05/03〜2003/05/31
要旨:
私が所属していたアンテナのゼミの先生から『社史』という本が送られてきました。
科学の世界で、アンテナほど「分からない」という言葉が出てくる分野はないのではないかと思います。例えば「なぜ電波が飛ぶのか」という質問に、教授も答えられないのです。
大学時代にアンテナの研究をしたことは、今の時空解明とも繋がっています。
ゼミの先生は会社を経営していますが、神田さんの方法とは全く正反対なのです。
「良いものを作っていれば売れる」という正直者を地で行き、「売る気があるのか」と言われるほど広告など何もしません。
それでも緩やかに売上は伸び続けて、会社は生き残っています。
私も経営者ですが、どちらかと言えば神田さんよりもゼミの先生に近いスタンスかも知れません。
私も先生も、手帳をスケジュールで埋めていません。そしてビジネスで成功することそのものよりも商品を作る過程に至福を感じ、自分が知りたいことの追究に興味を持っています。
私は何をやっている時でも、自由の問題だけは捨てていません。しかし、自由を追求していく世界には「救い」がありません。運命の話をすればほとんどの人が変更する方法に注目します。
ただ私は、救いよりも自分の幸せよりも、真実の姿を見たいのです。この点だけは、マヒして生きたくはないのです。
神はキリスト教が説くような、人々を救う存在ではないでしょう。神は血も涙もない方程式です。
神に意識があったとしても、人間と同質のものではないでしょう。我々の尺度で意味付けをしても無意味だと思います。
ある日私は女装でゼミの先生の会社を訪れて、そこで不思議の最前線の話をしましたが、社員達から非常に違和感を示されたことがありました。
それでもあえて女装で行くのは、過去の自分と決別し、仮の調和を壊したいがためでもあります。
仮の調和とは、周囲と軋轢を起こさずに表面上、穏便に済ませる生き方です。
ですが私や船井さん、神坂さんなどは、むしろ本音を曲げずに仮の調和を作らないスタンスです。
私達の決まっている運命も仮の予約です。自由がないという問題を認識して本当の自由を奪還する第一歩は、まず仮の調和から抜け出すことだと思います。
但し、こうした問題を考えるのにも、あくまで日常生活との接点を持って、身体感覚で理解できるようでありたいです。
神坂さんが実験してからでないと研究結果を発表しないのも、同様のスタンスがあるからです。
観念だけで論じても仕方がないのです。実際に自分でやってみるかどうかです。
目次
○異端
○ゼミの先生が送ってくれた本
○ゼミの教授
○神田さんとゼミの先生
○「経営」って、何のため?
○一体感
○神田さんと先生の商い方
○『「不思議の友」10』「第五章ゼミの先生」より
○『「不思議の友」10』第六章「アンテナと六爻占術」
○思考の過程
○親切
○マヒしていませんか?
○救い
○ホスピス
○神の意識
○時間は一次元か二次元か三次元か
○なぜ「時間次元」が問題になったのか
○五感を超える
○築きながら壊すこと
○『アネモネ』の記者に送るファックス
○「すべて任せます」
○エネルギーの変化
○神坂さんとの講演会
○仮の調和
○「たった一回」と「仮の調和」
○歴史の転換
○日常生活との接点
○無駄
○身体感覚
○「奴」は我々を封じ込めている
異端

 以前は、自分が異端だとは思いませんでした。でも、今は思います。
 私はコインが何故その時その目が出るか、その理由が分かります。たらいの理論からすれば、簡単です。この理由は、『「不思議の友」10』に書きました。
 これが分からないのは、自分の生き方に照らし合わせすぎると思うのです。たらい理論が出てきてから、自分の生き方をどうのこうの・・という書き込みが目立ちます。
 私はどうだっていいのです。時空の解明を前にして・・
 でも、たらい理論を聞いた人の中で、私が思い付いた理由を信用する人は、ほとんどいないはずです。
 これをもって、私は異端だと思いました。
 すべての科学者は科学的ではありません。なぜなら、私のたらい理論を否定できる何ものも、無いと思いますから・・
 肯定も、否定も、できないはずです。だから、異端扱いは本来、おかしいのですが・・
 私のことを取り上げるメディアは、よりいっそう少なくなるはずです。そんなとき、『不思議の友』を持っていて、良かったです。
 神坂さんも異端です。トラさんも、今のところ異端です。孫さんも異端です。
 私は普通だと思っていました(笑)。でも異端であることが分かりました。
 みんな『不思議の友』に「乗って」います。
 異端が異端で無くなる日・・それは人類が自由を失い、自由を取り戻す日です。

ゼミの先生が送ってくれた本

『不思議の友』に入れようかと思って読み始めました。1999年に書かれたこの本にも出てきます。「電波が何故飛ぶか、分からない・・」
 ゼミの先生は、八木博士の下で研究していたにも関わらず・・
 本の抜粋です。
「なぜだとあちこちで聞かれたが、理論では説明できないのだから、言いようがない。それでも実用上差し支えないのがアンテナだった。」
 この本は、1999年に書かれています(新しいという意味)。理科系の本の中では、異色だと思います。
「二丁目」にいると、外の世界がアブノーマルに見えてきます。
 理科系の世界では、どの教授も「答えたがります」。しかしアンテナの分野は違います。
 アンテナ側から世界を見ると、他の理科系の世界がアブノーマルに見えます。
 再び、本の抜粋です。
「電波やアンテナについては、分からないことを人に聞くのがためらわれる雰囲気がある。電子回路の分野で活躍されて名をとげ、現在は引退された名誉教授に小声で『君だから聞くのだけれど、アンテナはなぜ・・うんぬん』ということはしばしば起こる。」
 私がアンテナのゼミ(卒研)を取らなければ、理科系に対して、これほど柔軟に対応できたとは限りません。「?]が多く、「権威」の教授ですら、「分からない」を連発していました。
 しかし、もともと科学というのは、こういうものではなかったでしょうか・・
 私は四年間の理系大学生活でアカデミックなものを得られるとは、全く思っていませんでした。
 今だって同じです。研究者になるにはそれなりのコースがあります。
 しかしアンテナを研究する所に行ってしまったことは、そこで得た知識よりも「雰囲気」にあるのではないかと思いました。足が地に着かないような雰囲気です。
 電波がなぜ飛ぶか分かっていないのに利用されていることは、六爻占術のこれからと極めて似た関係になるような気がします。
 そしてその原理が分かるのは、同時かも知れません。両方とも波動に関係していそうだからです。
 本の最後のページには、「アンテナに電波が来てくれるのは、観音菩薩が来てくれるのと同じです」と書いてありました。

ゼミの教授

 ゼミの先生が私に送った本とは、会社創立33年を祝って作った『社史』なのです。
 表紙にはマルコーニ、マクスウエル、ヘルツ、八木博士が載っています。自分の会社も、先生(社長)の顔も、表紙にはありません。
 この本に書かれていることは、ほとんど経営者としての人物像です。私はその面を知らなかったので、非常に面白いです。
 あまり儲からないけれど、先進的なことをやっているのです。会社経営って何かと思いました。
 神田さんは言いました。「良いものを作っていれば売れるというのは、正直者の誤りだ。」
 まさに、それをやっているのです。先生の会社は、儲かっていませんでした(笑)。
 でも儲かったら、何かが失われるような気もしました。
 先生の教え子の中では、私が一番変わっていることをしています。でも意外に、一番近いのかも知れません・・
 アンテナの研究をしたことは、時空の解明にとても役立ちそうな気がしてきました。
 先生のところに偶然にDM(リニューアル『「不思議の友」8』)を出してしまい、今こうして本を読んでいるのも、「流れ」の成せる業なのですが・・
 先生はセスナ機に乗ります。父親が危篤の時、セスナで仙台に帰ろうかと思うシーンがありました。でも離陸許可を取っている時間がなく、無許可で飛び立とうとします。
 しかし仙台で着陸許可が下りないと思い、断念します。結局、間に合いません・・
 セスナ機に乗るのは、アンテナ研究の一環です。立てたアンテナの周りを旋回して、測定するのです。電波は三次元に出るからです。でも、ほとんど採算無視です。
 神田さんファン(私もそう)には申し訳ないですが、正直者はバカでしょうか・・
 バカでも、正直は素敵かも知れません。
 私は先生とは違うルートから迫っていますが、アンテナとは外れていないと思います。
 私が先生と電話で話した時、先生は「女装、綺麗だね」「奥さんとはうまくいっているの?」という質問で女装を肯定したと思います。
 先生が追究したかったもの、それはアンテナだけではなかったような気がします。
 私との電話の感じでは、私という教え子が誕生たことを、ものすごく肯定しているような気がしました。
 それは、「ノーベル賞が取れるかも知れないよ・・」というのと、「女社長になったお祝いをしないといけないね・・」という二点です(笑)。

神田さんとゼミの先生

 ゼミの先生の会社はどう考えても神田さん流ではありません。
 神田さんが批判したこと「良い物を作っていればそのうち売れる」「努力すればそのうち売れる」そのものをやっています。
 ある日、会社の税理士からゼミの先生は言われます。「あなた、売る気、あるの?」
 しかし読んだ後、とても後味が良いのは、ゼミの先生の会社の話です。
 以前私が感動した「超マシン誕生」を思わせます。
 神田さんとゼミの先生は、よく考えてみれば、両方とも上智大学出身でした(笑)。
 さて、先日神田さんから送られたリーダーシップセミナーの用紙には「会社を急成長させるには」と書いてありました。
 ゼミの先生が経営する会社は、社長が「あなた、売る気、あるの?」と言われます。
 しかし、亀の歩行のように、売上は伸びていきます。広告など何もせずに・・
 神田さんが言った「正直者が落ちる五つの間違い」をそのまま実行しながら・・
 先生の会社の辞書には急成長という単語は、たぶんありません・・(笑)
 しかし、しぶとく、しぶとく、生き続けます。
『社史』の中に「あなた、売る気、あるの?」という言葉が出てくるのです。
 先生はこの本の序文で次のように書いています。
「これを書いた著者は意外なるご意見も述べられており、褒められているのか、それともけなされているのか、自分でも判断に苦しむところか少なくありません。いずれにせよ、汗顔一斗の思いであります。私は大学に職を奉じてはおりましたものの、反面はしょせん中小企業の一介の親爺(おやじ)であります。」
 ゼミの先生は、大学では理論しかできないから、実験をしたかったのかも知れません。
 そのためには「中小企業の一介の親爺(おやじ)」になる必要がありました・・
「あなた、売る気、あるの?」に対して先生は反論します。「売る気になんかなったら、タダの経営者じゃないか・・」
 しかし先生は次のようにも書いています。「幸いにも決算書には赤インクを用いたことはなく・・」
 先生のサインを出します。アンテナは中国語で「天線」と書くのでしょうか・・無線は「無銭」と書くのでしょうか?(笑)


「経営」って、何のため?

 あとがきで『社史』を取材して書き上げた記者が次のように言っています。
「私立大学の先生が、親が亡くなったので実家の家業を継いで社長になったものの、やはり大学のほうが本業なので、会社のほうは実務を下の者に任せるというケースなら、考えられることである。だが先生のように、自分が作りたくて創設した会社なのに、その会社には週に一度くらいしか来ないという形で長く経営を続けてきたというのは、”創業社長”としては他に例がないことではなかろうか。つまり先生は、まったく創業社長らしくない創業社長だったのである。しかしそれでいながら会社は紆余曲折を経つつも成長を続け、創立25周年(平成二年)を迎え、盛大な記念式典と祝賀パーティーを催し、記念に社史も刊行するというのだから、会社の経営だけに専念しながら苦労している世の多くの創業社長にとっては、なぜだ? と問い返したくなるかもしれない。世の創業社長たちは、自分は副業を持つどころか、本業一本に打ち込んでいながらなかなかうまくいかないのに、会社のほうを副業にして週に一回しか社員に顔を見せない大学の先生のほうがなぜうまくいったのか、という疑問を抱かざるを得ないのではないか。」
 実は、これは『不思議の友』のために書いている原稿なのですが、前章までが神田さん特集でした。その後ゼミの先生の特集です。しかもビジネスの話として・・です。
 ゼミの先生は、神田さんの本では「悪い例」として載ることばかりをしています。
 それでも、記者があとがきで上記のコメントを書くに至りました。
 私は神田さんの本を読んだりゴールド会員としての情報を得る中で、「経営って、いったい何のため?」と問うようになりました。
 広告を変えて、DMの文章を変えて、そういうことに「時間」を使って、金を得て・・それは何のためでしょうか・・。
「金を得る幸福」の為でしょうか?「自分の実力はこんなにあった」という満足感でしょうか・・
 もちろんこの原稿は事前に神田さんにも送ります。私は神田さんも推しました。
 でもゼミの先生も推さざるを得ません。ここまで徹底されたら、「売る気はあるのか」「学者タイプだ」「職人のビジネスだ」という批判を越えています。
 この機に及んで、恩師をビジネスの視点から論じることになるとは、夢にも思っていませんでした。しかも私も社長です。教授と学生だったのが、社長同士として、ビジネスを論じてしまうのです。
 しかも、狙いは「副業」にあるのではないでしょうか・・
 だって先生のケースって、最良のケースだと思いませんか?
 神田さんに会見を打診したら、忙しいという理由で断られました。そんなに忙しくても、そこに生き甲斐を見いだしていれば、いいのでしょうか・・
 私の手帳は真っ白です。たぶん先生の手帳も真っ白ではないかと推察します。
 私や先生は暇です(笑)。先生は週に一度しか会社に行きません。私の手帳は真っ白です。
 それは出発点でしょうか、到達点でしょうか・・・
 神田さんに言わせれば、到達点ではないと思いました。なぜなら、もしも到達点なら、コンサルタントとして、その状態にいた方が良いからです。
 コンサルタントが「忙しい、忙しい」と言うのは、その状態が「売り」なはずです。こうすれば、忙しくなるんだ・・と。
 いったい、何のため?
 今の私の問いは、「根本的なところで、何か違いはしないでしょうか?」・・です
 やはり、キーのひとつは、「謎解き」があるか、ないか・・だと思います。
 ゼミの先生は「分からない」に対して、自分では挑戦していたと思います。
「分からないから、知りたい」というのは、人間の大きな原動力になると思います。
 好きな人といたいのも、「もっと知りたい」という欲求が原動力ですよね・・
「謎解き」に時間をかけたいと思えば、そういう方向に何もかもを、持っていく・・
 会社にはロクに出ないで・・手帳は空白で(笑)。
「謎解き」というのは、原因追及です。
 しかし原因などには興味はなく、結果の世界で成功したいとすれば、「バリバリと働き、いっぱい金を稼ぐ」というのがそのパターンとなると思います。
 だからそれに向かうし、それを演出したいのではないでしょうか・・
「ノーベル賞が取れる」という言葉は、ゼミの先生が言いました。でも、私には興味がありません。
 奴の首根っこを掴むまでは、ノーベル賞どころではありません。首根っこを掴めば、ノーベル賞など、どうでも良くなります。

一体感

 ゼミの先生の場合は、本業(教授)と副業(社長)が一体感を持っていたからだとも思います。本業で頑張ることが、そのまま副業にも繋がると思っていたと思います。
 アンテナの開発をする会社ならば、社長が第一線の学者であることは、プラスに働くと思います。
「あんた、売る気はあるのか?」と言われましたが、実を言えば、先生はあらゆる時が「売り込み」だったと思います。商店街の例とは違うと思います。
 先生は、新案のアンテナをどんどん学会誌に発表しました。それを具体化するのは、会社の仕事でした。
 このように、本人が仕事に対する「一体感」のようなものを持っていれば、何をしていても良いということになると思います。わざわざDMなどを出す必要が無いのです。
 つまり先生は、本物の情報だけで勝負してしまったのではないでしょうか。
 正直者が犯す五つの間違い・・ではあっても、本物の正直者になってしまえば、それは強力な武器に変身すると思います。
 しかし「うちの製品は良い製品のはずだ・・」程度の正直者だと、ダメなのだと思います。
 ある日先生は、小型トランシーバーのアンテナとして、まったく非常識と言われていた1/2波長のアンテナを考えます。それが10倍の性能アップになるのですが、誰も信用してくれません。従来の計算式では「電波は飛ばない」と出るのです。
 しかしそれを証明してくれる別の教授が出てきて、大ヒットするのです。
 先生のすごいところは、考えたノウハウが、自分の工場でお金に替わるのです(笑)。
「一体感」の感覚というのは、無敵かも知れません。
 他の社長はそれが無いから、外からの経営ノウハウが必要なのではないでしょうか・・
「あんた、売る気はあるのか?」これを言ったのは、先生の会社の公認会計士でした。
 そのあと次の言葉も言います。「二足のワラジは、やめたほうがいいよ。」
 しかし「一体感」を持っている先生は、いつも一足のワラジだったと思います。
 これがあったから、「分からない」と言えたのだと思います。自分の一体感の感覚の中で分かった時、初めて分かるのだと思います。
 本の最後の方には、時空の解明に挑戦したいようなことが書いてあります。アンテナの解明がそれに繋がると書いてあります。
 私はモロ、それをやっているわけで・・(笑)。私の場合には、もっと一体化しています。
『不思議の友』の前半は「時空の解明」、後半は「ビジネス」(笑)。
 それが一体化しすぎていて、批判を食らう(笑)。モリケンは金儲け主義だと・・
 先生の場合は、一見、土俵が違って見えるのですね・・
 こうして考えると、先生もけっこう「やり手」です(笑)。神田さん以上かも知れません。

神田さんと先生の商い方

 神田さんは短期戦に強いと思います。
 私はずっと長期戦しか視野に入れてきませんでした。私のビジネス講演会で紹介した本一冊で勝負してきました。今より将来像に注意しろという本です。
 将来像だけがしっかりしていれば、短期に目を奪われているよりもうまくいく・・というものです。
 ゼミの先生の場合も同様だと思いました。だから週一回の出勤でOKだと思いました。
 ただ、短期も繋げれば長期になります。努力は必要ですが・・
 努力という言葉を神田さんは否定する感じで言っていますが、むしろ、努力は神田さんの方だと思います。
 DMの作成とか広告コピーの作成は、私にはそれほど面白い仕事ではなく、「努力」だったからです。
 しかしゼミの先生は、それすらしませんでした。だから「売る気はあるのか」と言われました。
 先生にとっては良いアンテナを作れば売れるという考えのみだったと思います。良いアンテナを作る時間に全てを当てました。DMなどは考えずに・・
 その時間は至福の時間だったはずです。だから先生は努力を一切していないと思います。
 
 私は『不思議の友』を送ったのは最初1500人でした。それまでに名刺交換した人に出したのです。その人たちが紹介をしてくれて、5年で15000人になりました。
 私は『不思議の友』を増やすようなキャンペーンはほとんどしていません。
『不思議の友』の内容アップに力を入れました。それは努力ではありませんでした。至福の時間でした。
 至福の時間が何であるか・・によって、ビジネスの手法は、全然違うと思いました。
 でも今回DMとか広告をやって「努力」しました。効果があっても「おお、俺はすごいだろう」という気にはなれませんでした。
 神田さんは「売れる要因は商品の本質ではない」と言います。買ってからでないと商品の本質は分からないからです。
 しかし私のように紹介で自然に拡大できた時は、やはり商品の本質がモノを言ったのだと思います。
 この両者の視点は、ビジネスを考える上で、とても重要だと思います。どちらが良いということは外して考えたいと思います。

『「不思議の友」10』「第五章ゼミの先生」より

 ところでこの本には驚いたことが書かれていました。
 私が大学四年の時、外国の文献を読んでそれをみんなの前で発表するという授業がありました。
 先生が推薦した幾つかの論文の中から、「車間レーダー」というのを選んで、発表しました。車の一台一台にレーダーを付けて、飛行機のコックピットのように、夜間でも霧でも電子の目で見ることができる装置です。障害物が現れれば自動的に停止します。ですので事故は激減するはずです。
 学生の間からは「そんなことをするのは電波の無駄使いだ」とか「高価なレーダーを車一台に乗せるなんて、無理だ」とか、色々な意見が出ました。
 その発表を先生は非常に評価してくれました。何に評価したかといえば、学生にそれだけ意見が出るほど面白い発表をやったからです。
 その「車間レーダー」の研究を先生の会社が開始したことが載っていました。
 縦横10センチのカードにすべて搭載するところまでいったそうです。

『「不思議の友」10』第六章「アンテナと六爻占術」

 ゼミの先生の本の最後には次の言葉が書かれていました。 
「人間の運命はどのように展開するかを知る『宿命通』は、いまだに実現されておらず、今後の人間とアンテナの課題でもある。」
 この言葉を受けて、アンテナから六爻占術の解明に近づいてみたいと思います。
−−− 中略 −−−
 以上のように、六爻占術はテレビの装置に似ていないでしょうか?
 コインがアンテナです。卦はテレビ受像器です。卦をを見れば未来が見えてきます。
 では送信所はどこにあるのでしょうか?
 私の仮説ですが、宇宙(時空)全体であると思います。
 宇宙全体が送信所となるケースは過去に発見されています。
 1965年、ペンジアスとウイルソンの二人がニュージャージー州に新しく建設されたアンテナをいろいろな方向に向けて試験していたとき、二人はアンテナをどの方向に向けても不思議なマイクロ波を受信してしまうことに気が付きました。
 最初はこのやっかい者のマイクロ波がアンテナに付いた鳥のふんなどによる影響だと考えました。しかしアンテナを大掃除しても状態は変わりませんでした。
 これはビックバンのときに発生したマイクロ波(マイクロ波背景輻射)だと気づき、二人はノーベル賞をもらいます。だから宇宙全体から出ている電波だったのです。
 どの方法にアンテナを向けても受信できるように、私たちはどこにいても「運命の場」の影響を受けます。
 そこには送信所が無いのです。送信所は私たちを含めた全体です。
 宇宙には四つの力しかありません。重力、電磁力、強い力、弱い力・・です。
 この中で私たちが比較的自由に使えるのは電磁力です。運命と電磁力は似ていると思います。
 運命も人間が変えることが出来るからです。電波も人間が発射することが出来るからです。
 しかし他の三つの力は、自由に使えません。
 そういう意味から、アンテナを研究することは、運命の問題を研究することと大きく外れていないと思います。
 それにしてもゼミの先生の本の最後の言葉・・ 
「人間の運命はどのように展開するかを知る『宿命通』は、いまだに実現されておらず、今後の人間とアンテナの課題でもある。」
 まるで私にバトンタッチするために書かれたような気もします。

思考の過程

 八木博士もゼミの先生に似ています。
 八木アンテナを発明(発見)して学会誌に発表したあと、自分で八木アンテナ(株)を作り、大儲けをします。
 しかし八木博士が生きている時代に、なぜ八木アンテナは電波が良く飛ぶのか、分からなかったのです。
 アンテナ業界ほど「分からない」が連発されるところも少ないと思います。
 だからアンテナの開発というのは、右脳の世界でもあるのです。芸術の世界と似ています(笑)。
 だから、日本が世界相手に互角に戦える分野のひとつと言えるかも知れません。
 六爻占術とも、似ているかも知れません。だからゼミの先生は、「ノーベル賞が取れるかもしれない」と言ったのだと思います。
 似ているのです。六爻占術とアンテナは・・・
 電波は波動です。宇宙を動かす四つの力のうち、電磁波は、我々が自由に使えます。
 ですので電磁波を研究することは、根元的なものに迫れる可能性があります。
 八木アンテナを発明した八木博士は、生前に「なぜ八木アンテナは良く飛ぶのか」の理由を知ることは出来ませんでした。
 アンテナの世界では「分からない」は合い言葉です(笑)。それは根元に近いからかも知れません。
 私はレーダーが専門でした。レーダーは相手を「特定」できます。
 六爻占術が「場」なら、波動です。波動なら、発信源があるのが普通です。
 発信源を壊せばその波動は止まります。だからイラクでは先に放送局が壊されました。
 時空の波動を出している送信所はどこか・・「奴」の宮殿かと、思いました(笑)。
 私はちょっと興奮しました。でも、マイクロ波背景輻射が脳裏に浮かびました。
 
 最初、アンテナの研究室に入った時、ここが異常だと思いました。教授に聞いても「分からない・・」(笑)
 そのうち、外の世界が異常だと感じ始めました。
 他の分野では、なぜそれほど「答えたがる」のか・・「それほど分かっているのか」と訊きたくなります。
 ゼミの先生が例の言葉を本の最後に書けるのも、「分からない」という同じ土俵にいるからだと思います。
 電波だろうが、六爻占術の場だろうが、科学・非科学は、関知しないのです。もともと、アンテナは科学的ではないのです。
 アンテナを考えている時、この世界にも「生じられる関係」というのがあることが分かりました。
 例えば水力発電器では、引力は運動を生じ、運動は電流を生じ、電流は磁気を生じ、それらはエネルギーを生じ、エネルギーは物質を生じ、物質は引力を生じ・・
 昔、神坂さんが作った永久運動装置は、五行生剋に似ています。
 五行生剋は一周すればゼロなのに、我々は一部を取り出すから吉凶が生まれます。

親切

 私の記事が載った雑誌『アネモネ』の注文が飛鳥新社へ殺到したそうです。
 私の狙いは、ここでした(笑)。
『「不思議の友」9.5』はどこから発想が出たかと言えば、『アネモネ』です。
 あれだけの記事を書いてくれた雑誌に対して、何か出来ないかと思いました。そして経費を100万円も出して、『不思議の友』の増刊号となりました。
 もともと、通販を売る気で出来たものではありません。
 先日、「森田さんは不親切だ」という意見が来たことをここに書き込みました。それを言った人には、私の行為が出来るでしょうか?
 親切というのは、欲が無く、もっと小さいものだという考え方があります。
 ここまで書いて分かると思いますが、私が『アネモネ』にしたことは、親切ではありません。
 欲を欲で返したのです。それも半端なやり方ではなく・・
 向こうが直球のど真ん中を投げ込みました。私は思いっきりバットを振り、それはもちろん、ホームランを狙っています。
 しかし打球は伸びて、場外ホームランになりました。なぜなら私の側に、ものすごい収入とデータを残したからです。
 ビジネス講演会は、経費の100万円をひねり出すことがきっかけでした。
 ビデオの販売が計画され、読売ホールと西埜さんと社長室ビデオがデビューしました。
 それらのお膳立てが完了して、『「不思議の友」9.5』は出ました。その結果が「注文が飛鳥新社へ殺到」です。
 雑誌に取材されて、そのままいい気になっている人は多いと思います(該当者の方、失礼)。
 でも私は経営者です。一つのメディアにどれほどの金がかかるか、分かっています。
 彼らに対して私が何を出来るか・・それは私の側のメディアの発動でした。もちろん自分でメディアを持たない人は、これが出来ません。
 自分はメディアなど持たずにビュアに生きる・・それはそれで良いかも知れません。精神世界では大変にそういう人が多いです。
 メディアを持ったとしても、それを安い価格で売っています。もったいない話です。
「注文が飛鳥新社へ殺到」・・これは私の記事の内容が3%、私の作為(さくい)が97%の出来事なのです。
 しかし直球をまともに打ち返すことは、私の中では、親切をブッちぎる、定義の外にある「親切」なのです。
 なぜなら、完璧に元以上のものを獲得し、生きるというエネルギーを十分に燃焼したからです。

マヒしていませんか?

 学生時代は、自由を論じても別に普通でした。
 しかし50才のオヤジになって自由を論じることは、時として周りに違和感を感じます。
 なぜなら、マヒしているような感じを受けるからです。
 何にマヒしたかと言うと、自分自身だったり、世の中だったり、歴史だったり・・です。
 世の中に出てすることは、利用することです。学んだ多くのことを利用することです。
 自分自身のために・・それは精神的なことであったり、経済的なことであったりします。
 でもね、私はマヒしていませんよ・・
 次から次へとテーマが移っていくようですが、私の中ではかなり「続いて」います。
 孫さんもしつこく追いかけています。
 そうして、私が一番捨てていないのが自由の問題です。
 自由を得ても、金にはなりません。自由を得ても、自分は成長しません。
 それがために、電話にも出ません。
 マヒした人生だけは、送りたくありません。
「ピーナッツから芽が出て、それがどうした?」と言った人がいました。
 私は何十回も見ていますが、「それがどうした?」ではなく「それはどうして?」・・です。
「それがどうした」と言った人は、続きを言いました。「社会に影響を与えなければ、意味ないじゃん。」
 これは精神世界の人に、よく言われることです。「私の知っている××先生は、病気が治せるのよ・・孫さんは治すの?えー、治療はしない??」
 つまり、社会に出ると「有効性」がモノを言います。
「社会に影響を与えなければ、意味ないじゃん」・・しかし、一般的に、企業がやっているのはこれです。これでないところは、非常に稀です。
 私(不思議研究所)も広い意味では企業です。しかし、「有効性」を売りにしてはいません。
 例えば神田さんは、もちろん「有効性」です。それはコンサルタントにとっては必要なことです。
 もしかすると、とてつもなく世の中が変わるのは、この点かも知れません。
 「有効性」はニーズとも言います。でもその時代は、もうすぐ終わり・・
 終わりは結果主義、始まりは原因主義・・有効性は、結果主義なのです。

救い

 誰にでも救って欲しい時があると思います。でもこの人には救って欲しくないという人は、いませんか?(笑)だって借りが出来るから・・
 雑誌『アネモネ』の評判に「楽になった」というハガキが多いそうです。
 それを読んで、アネモネはさすがだと思いました。冊子全体に言えることですが、救いの手を差しのべているからです。
 これは批判ではありません。理由は簡単です。私もやっているからです。
 でもそろそろ決別したいと思う時があります。
 以前ここで、「運命は決まっている」というテーマが長いこと続いたときがありました。その時は、主体性をいかに確保するかという書き込みが多かったです。
 今回の『「不思議の友」10』は、「運命が決まっている」どころの話ではありません。たらいに乗り、どんぶらこです。為す術もありません。
 M男なら、女王様が相手にしてくれました。でもたらいには女王様は乗れません。孤独に川を下るだけです。
 そこに「救い」があるでしょうか・・無いのです。
 しかし『「不思議の友」10』では、他の話題がたくさん載ります。それにボカされます。
 
 隣のコーナーで「自由」についての私の書き込みがまとまって載っていますが、そこで言っていることは、私は問題から目をそらしたくないということです。
 しかしそれでは「救い」が無いのです。
 何のための「救い」だと思いますか?自由からの逃走のための・・ですよ・・
 ここまで来て、堂々巡りはしたくないですが、「自由からの逃走欲求」の方が大きいから、致し方ありません。
 救いを求めている限り、私達は救われないと思っています。
 運命の話をすれば、すぐに「変更」の話題に行こうとします。しかし私が垣間見たいのは、真実の姿です。
 親切も不親切も無く・・成長も退行も無く・・愛も慈悲も無く・・ただ、あるがままを見たい・・
『自由からの逃走』という本は、私にその扉を開いた本です。でも今まで誰も「素晴らしい本だ」とは言いません。なぜなら、そこには救いが無いからです。
 今の世界に存在する救いは、結果を救うものです。神田さんの方式もそうです。『アネモネ』も同様です。
 しかし、結果を変えようとしても、どうしようもないのです。原因を突き止めなければ、救いようがありません。
 キリストの言う神の救い?・・あるわけないです。神はは方程式ですから。
 そろそろドツボから出ようではありませんか・・それでも、救いが欲しいですか?
 こうしてPCに向かう一分一秒まで「決まっている」ことを認めるのは、嫌ですか?
 自由の問題は、私には評論ではないのです。自分の問題として、ずっと考え続けてきています。
 みなさんは、どうですか?問題は、何ですか?自分の幸せが問題ではなかったですか?

ホスピス

 「声大賞」を書いたくれた中に、お年寄りの方が何人かいました。みんな85才以上でした。その人達が一様に『不思議の友』を評価して「ホスピス」だと言いました。
 カルマだの善行だのという話が多い中で、『不思議の友』の情報は180度違っていて、それがまた真実ではないかと思える・・と言うのです。
 死を前にしてこの本が読めたことはなんて幸せだと・・
 長い人生を生きてくると、もうそこには善も悪もないと言います。戦争まで経験して、それらを肯定も否定も出来ないと言うのです。
 もっと若ければ六爻占術で未来を変えたりしたいが、変える未来はもうあの世にしかないと言うのです。
 私達は今、自由とか不自由とかを論じています。しかし、お年寄りにしてみればどちらでも良いことでしょう。
 かといってその人たちが生を手放しているかと言えば、そうではないような気がします。欄外にまで書いているからです。私にこの事を伝えようとして・・
 キリスト教の神の救いの話も出ていますが、モンロー研による調査によれば、神父さんが死後まず行く所は死後の世界の認識を再教育する場所です。
 このことは仏教の国の機関ではなく、キリスト教本拠地のアメリカで起こった出来事です。モンロー研ではキリスト教よりもむしろ、仏教の側に真理があると言っています。
 現状を認識するという点では、モンロー研は大変に貢献していると思います。しかもモンロー研での調査結果と生まれ変わりの村の調査結果は、ほぼ同じです。
 善だの悪だのと言っている人は、死後、途中に引っかかります。原因は行為にあるのではなく、観念にあるのです。
 だとすれば、自由になるには善行のような行為ではなく、観念にあるのてす。

神の意識

 神は方程式だと書きました。方程式には、血も涙もありません。
 私にはこれが気に入っている点です。信じれば救うとか・・セコイです。
 さて神に意識があったとして、我々と同じ意識でしょうか・・
 どうも違うのではないかと思うのは、我々の意識は過去にしか無いからです。過去を意味付けするために意識があります。
 神がいて意識を持っていたとすれば、そんなセコイ意識でしょうか・・
 なぜ我々は自由ではないのでしょうか。上に書いたように、意識は過去にしか、無いからでしょう。過去に、自由はありますか?
  
 トラさんは日本語学科を出たのに、国から考古学者に任命されます。
 トラさんの同級生は、日本との貿易関係で活躍している人が多いです。
 だからトラさんは、考古学者に任命されたとき、とても嫌だったそうです(笑)。
 日本語学科を出た考古学者は、少ないのではないでしょうか・・
 しかも中国では職業選択の幅は少なくて、国から言われなければ考古学者にはなれないでしょう。
 そしてトラさんは私と出会います。私は孫さんと出会い、トラさんは私を通じて孫さんとも出会います。孫さんは私を通じてローリーモンローさんとも出会います。
 インターネットの普及がピッタシカンカンで、私は日本にいながらトラさんから直接指導を受けています。中国にいる弟子以上に情報をもらえます。
 この出来過ぎていると思う現実は、無味乾燥な方程式だけで出来るものでしょうか・・
 別の例を挙げれば、人間は偶然の進化の繰り返しで出来るものでしょうか・・地球の存在も同様です。
 方程式は、本当に方程式でしょうか・・
 しかし私には、方程式に意識があったとしても、人間と同質とは思えません。チャチな意味付けはしたくありません。
 今までは、一方が暴走していたような気がします。「神の意図」の暴走と、「偶然」の暴走です。

時間は一次元か二次元か三次元か

 こういうことは、今まであまり考えたことがありませんでした。時間は一次元で問題なかったからです。
 私達が「利用」できる時間次元は、三次元なのです。
 運命における障害物を回避するため、私は第五の時間を考えました。でも障害物が二次元のようなものなら、避けようがありません。
 例えば空間的に二次元を移動するとき、エベレストにぶつかったらどうするでしょうか・・越えられません。出来れば飛行機で飛びたいです。
 どうせ回避するシステムがあるのなら、三次元くらい奮発しても良いはずです(笑)。
 佐佐木康二さんも同様なことを言っています。「空間が三次元なら、時間も三次元でなければならない」・・と。
 ところが歴史始まって以来、三次元はおろか、二次元の時間帯ですら使ったことはありません。今、その入り口です。
 自分のプライドにしがみ付き、新しい事を追えない人は、さようなら・・です。
 船井さんはすごいです。「この世は監獄だ」と言いましたから・・
 現状を見ないで、ドツボにはまりこむ人・・さようなら・・です。
 そういう人は、この変化の時を経験しないで、いきなり来世です(笑)。
 時間は三次元、それなら波動の回転は自在です。出会った相手と逆転可能です。
 時間は三次元、それなら自由に飛び越せます。
 その向こうには、やっと、自由が待っていそうな気がします。それも、ものすごい自由が・・

なぜ「時間次元」が問題になったのか

 それは「たらい理論」が出てきたからです。しかし今までは違いました。
 私たちは自分に主体性があり、運命をどんどん創っていければ、時間次元も関係なかったのです。
 あって無いようなものですから・・ことさら、考える必要もありません。
 考えるとすれば、どうやったら上手く変えることが出来るかということでした。
 それは精神的な世界でもありました。「あなたがすべて創り出している」と言われて、とても納得してきました。
 社会も同様です。良い方向に変えようとするにはどうすれば良いかを考えてきました。そのために歴史を勉強しました。
 元は、「我」にあり・・でした。こいつがひっくり返るのです。行き着いた先は・・
 私達は無力なたらいに乗っています。しかし、どうもコントロールできそうです。
 私が以前乗ったタイヤはコントロール不能で、「どけ〜、バカ野郎!」「どけねえんだよ、バカ野郎!」状態でした。 
 でも時空のたらいは、そうでもなさそうです。しかし、たらい(我自身)にはハンドルもアクセルもありません。
 もしも時間が一次元なら、滝壺にドボンです。
 時間が二次元なら、ちょうど川幅がガバガバに広くなった感じです。それでも抜本的には、川全体の危機には対応できません。
 ところで、私達はとんでもない鍵を手に入れつつあります。それは・・川全体の流れを変えるという鍵です。
 この発想は、「自分が変わる」どころの話ではありません。自分なんか、変わらなくてもいいのです。川の流れを変えれば、乗っているたらいは、当然変わります。
 この動きは空間上の出来事ではありません。時間上のことなのです。
 飛行機やロケットの発明で空間的な自由は手に入れました。次は、時間です。

五感を超える

 時間が三次元もあったとしても、私たちには未来を見渡すことが出来ません。空間ならそれができます。光があるからです。
 光は、これから行く先を照らしてくれます。しかし、光は時間を超えることはできず、その存在世界は空間次元に限られます。
 となると、時間が三次元分あったとしても、私たちには「感知」することが出来ません。五感は、三次元の波動にしか反応しないからです。
 五感を超える方法は沢山あります。気功や超能力もそれです。私も一応、毎晩瞑想していますが、五感を超えたいと思うからです。
 さて、「科学」は証明を求めます。
 光は空間を越えることが出来ませんでした。たぶん、横波だからでしょう。
『不思議エネルギーの世界2』に書きましたが、横波は次元の境を走っていると思います。海面の波は横波ですが、波は海中には入れません。
 縦波は海中に入れます。音波がそれです。海中から水上に出ることも可能です。
 もしもこの時空が「エネルギー」で満たされていれば、そこを走る「波」があるはずです。それを使えば、「見える」はずです。
 神坂さんは、未知エネルギーの測定に世界で初めて挑戦し、成功した人です。
 五感を超える日は、もうすぐです。
 時間次元を空間的に見る方法があるかも知れません。それは次元を落として、三次元の何かに変換する方法です。私はそれが六爻占術だと思います。
 超能力が使えない人でも、普通の五感(意識)を使って、この空間次元に「落とした」のです。コインを「落とす」のがそれです・・
 オシロスコープという機械があります。声などの波形を見ることが出来ます。あれは次元変換です。
 声という波動は時間的な変化です。それをブラウン管で「見る」ことの出来る空間次元に落としました。それが卦だと思います。

築きながら壊すこと

 私は築きながら壊しています。
 築く方、それは時空の解明です。少しずつですがデータが集まり、築かれていきつつあります。
 しかし築く方向はとても奇妙な方向です。自由が無くなる方法なのですから・・
 さて、一方では壊しています。私が女装するのは、その一つの手段だと思います。
 講演会の二次会で、私の女装についての話が出ました。
 ある男性は、私が女装するようになってHPを離れたと言いました。
 ある女性は、私が女装するようになってHPに来るようになったと言いました。
 壊れるものと築くもの・・
 女装でゼミの先生が経営する会社に行きました。そこではアンテナの開発をしています。社員は男女ともカーキ色の作業服でした。
 ゼミの先生は事前に知っていましたからまだ良かったのです。しかしその会社にはゼミの先輩後輩がいます。つまり私の知り合いです。彼らも私を見に来ました。
 以前、電気科の同窓会に女装で行きました。受け入れられました。
 しかし会社に、それも就業時間中に行くと、インパクトは全く違いました。
 それでも私は「電気関係と不思議の最前線」を喋りました。
 電波は次元の間を縫って飛ぶ・・・
 アマチュア無線を日本で一番最初に始めた人が私の体内に入れる発信器の製作に関わってくれた・・
 太陽の活動の影響は木星に原因の一部がある・・
 喋っているうちに彼らがだんだん私から遠のきました。椅子を下げるのです(笑)。彼らの顔には、ものすごい違和感が浮き出ているのがわかりました。
 そんな話をしている時、彼らの一人が質問しました。「なぜ女装するのですか?」その声は乾いていました。
 私は生まれ変わりの村の話をしました。彼らは一様に黙りました。
 実を言えば、先生と喋る時間はほとんどありませんでした。何を思ったか、私と同じ大学の、しかも理系のバリバリの連中を連れてきたのです。彼らはその時だけ研究の手を休めてきました。
 そこに異様な人(私)がいました。発信器をお腹に入れた話をしました。しかし彼らは、全く上の空でした。
 先生とのツーショットのシャツターを切ってくれる人すら出ませんでした。写真を撮ってくれる人が出ないことを知った時、そこにいる時間がもったいなくなりました。
 タクシーを呼んでもらいました。早足で玄関に向かいました。玄関で見送ってくれたのは、先生だけでした・・ 
 私は私をちょっとだけ壊すことが出来ました。
 今から思えば、先生は何故あの人たちを連れてきたのでしょう・・
 それも私が女装で来たのを確認してから呼びに行った様子です(笑)。
 もともと、女装でなければ行く気はありませんでした。男装で行っても刺激はゼロですから・・(笑)
 どうも私は、現状に決別したくて毎日を生きているような気がします・・
 最近とても思うことは、人は何のために生きるのかということです。
 こう言っては何ですが、先生の会社も「応用科学」です。それは原理を利用するだけです。
 しかし、先生が一つだけ忘れていることがありました。それは、私は先生のことを今は先生だとは思っていないことです。
 私は先生とは対等です。私が神坂さんと対等であるように・・

『アネモネ』の記者に送るファックス

 前略
 紹介された本は非常に面白かったです。
 本の中の喩えである、糸の先にくくりつけられた1ペニー硬貨は、まさしく私の心です。
 周囲や人の目をクルクルと気にして、あれこれと詮索して、理由付けをしようとします。その思考の98%は過去の巻き戻しだというのは、本当です。
 私の言う97%の不自由を1%も上回っています。
 さて、私は学生時代に『自由からの逃走(エーリッヒフロム著)東京創元社』という本に感銘を受けました。その出だしは以下の文です。
「いくたびか逆転しながらも、自由は勝利を重ねてきた。この戦いのうちに、多くの人々は死んだ。抑圧に抵抗する戦いに死ぬことは、自由なしに生きるよりもましだとかたく信じながら。このような死は、彼らの個性の最高の肯定であった。歴史は、人間が自分自身を支配し、自分で決断し、彼がよしとするままに、考え、感じることができるということを、次第に実証しつつあるように思われた。人間は自然の支配をなげすてた。そして自分自身の主人公となった。」
 私がこの本を読んだのはハイティーンでした。この一文にしびれました。
 いきなりこの出だしから・・ということは、これが否定される予感に、しびれたのです。
 フロムが言いたいのは、人は自由なんか欲していなくて、本当は自由から逃げたいのだ・・ということです。
 私も同感です。
 で、紹介された本と比較してみれば、接点がありそうな気がします。
 本の中でよく出てくるフレーズ「今ここに生きる」というのは自由に向かうことです。しかし1ペニーを気にするのは、自由がきっと恐いのです。
 
 昨日、私は三十年ぶりに大学のゼミの先生のところに行きました。先生はアンテナを開発する会社の社長をしていました。私自身、アンテナの研究室にいましたので・・。
 アンテナを開発する会社は男が中心の、まさにハードな世界でした。私はそこに真っ赤なOL服でしかもミニスカートで行きました。パンストは光沢系を選びました。
 先方の会社の女子社員はカーキー色の制服を着ていました。私は完璧に浮きました。
 先生には事前に言ってあったので良かったのですが、ゼミの先輩後輩からは白い目で見られました。
 そして、ほとんど追い出されるように帰ってきました。
 やりたい放題、自由に生きれば周囲とあつれきを起こします。
 1ペニーを気にするのは、もしかして「あつれき」を気にするのではないでしょうか・・
 自分が周囲に受け入れられているかどうか・・を。
 帰りの電車では少し考え込みました。私は何でこんなことをしたのだろうと自問自答したのです。
 そういうとき、「女装」は周囲にどんどんバレます。自分のエネルギーが低いからです。じっと見られる視線に耐えられず、私のほうが目をそむけます。そうすると好奇な視線はどんどん集まります。
 NHKの『宮本武蔵』を見ていますが、武蔵は相手に「質問」します。巌流島では小次郎に「なぜサヤを捨てる?」という質問をします。質問は自問自答であれ、エネルギーを減らすのです。それを武蔵は知っているのです。(逆に外に向かう質問はエネルギーを増やします。)
 電車の中では私がそうでした。うつむいて自問自答すれば、自分に精気がなくなります。周囲は私をバカにするのが容易になります。
 でも普段は違います。女装がバレても平気な顔でいます。バレたのがわかればこちらから微笑み返します。すると相手は私から目をそらせます。私に精気があるからです。
 このように考えると、自問自答(あるいは反省)というのは、精気を減らすのです。
 
 ところで私はなぜ女装で行ったのでしょうか。以前も同窓会に三度も女装で行きました。
 同窓会に女装で行くのは勇気がいるでしょうと言う人が多いですが、私にとっては女装するなら同窓会に行かなくては意味がないと思いました。
 森田健というのは過去からの連続体です。そこを不連続にすれば私という基点を失います。1ペニー硬貨が座標を失うようなものです。
 私が「今の私」であるためには、過去の私はどんどん壊していかなければなりません。いえ、壊さなくても比較対照の座標を失えば良いのです。
 だからゼミの先生の会社を追い出されるように出たことは、私にとってはひとつの成果なのです。
 長々と「言い訳」を書いてしまいました。
 ところでいつか「時空について」の取材をしたいということですが、私の時空論はどんどん変わりつつあります。情報が次々に更新されるからです。
 昔はレーダー付きのタイタニック号が「時空の中での私」でした。
 今は、なんと「たらいに乗っている私」なのです。スクリューも舵もありません。ただ流れに乗っているだけです。でもリモコンを持っています。それは「未来の水門を開くためのリモコン」です。
 いつかまた機会があったら話しましょう。

「すべて任せます」

 アネモネの記者から電話がありました。
 私がリクエストしていた事があるのです。それは、その人と私の私信の交換文を『「不思議の友」10』に使いたいということでした。
 彼は言いました。「すべて森田さんに任せます」・・と。
 同じ事は神坂さんにも言われました。「すべて森田さんに任せます」・・と。
 こう言われると、私は、真剣に扱おうという気になります。たぶんみなさんでも同じでしょう。
 神坂さんの場合には、どうすれば良い形で世に出せるかを考えました。
 一つクリアーしないといけないのは、私もやってみることでした。
 私が同じ物を作ってみることに費やした時間は、約五年です。
 普通はたぶん、右から左に紹介するだけです。私は結果だけを取って、紹介しません。
「すべて任せます」には、ここまで入っていたのでしょうか・・
 話を元に戻します。
 許可されるのに条件があったとすれば、一気にトーンダウンします。
 私はどこかで思います。「なんだ、その程度の人だったか」・・と。
 アネモネの記者にすれば、自分の私信がどう「利用」されるかは、ドキドキものでしょう。特に、お料理するのが私ですから・・(笑)
 
 でもおそらく、彼は「すべてを任せる」ことによって、今度は私の料理を100%味わう側に回れたのです。それはおらく彼のお料理メニューには無いものかも知れません。
 神坂さんは70才までやった自分の研究を私に手放したことで、ここ数年の上昇はすごいものがあったのだと思います。
 私と出会ってから書いた論文は、それまでの50年間の量に匹敵するものだからです。
 『アネモネ』の記者も、手放すことで、たぶん次のステップに向かったのだと思います。
「わたしを好きにして・・」時空に対してこれが言えますか?
 自由を求めるあまり、逆なことを言っていませんか?「私の好きにさせろ」・・と。
 やり放題、好き放題・・これは「好きにして」が根底に無いと、出来ないことでもあるのですが・・分かりますか?
 あまり「私」に固執してしまうと、「やり放題」も出来ません。ましてや「好きにして」も言えません。
 私は時空に対して「こんちくしょう」と思います。でもどこかで受け入れていないと、時空そのものの懐に飛び込んでいけません。
 すべて任せます・・好きにして・・と言いながら、私は時空に体を開きます(笑)。
 でも、あちらが近寄ってきたら、「好きにさせて・・」とも、言いたいです(笑)。
 この書き込みは、精神的な分野でとても大切なことだと思っています。世の中では一方だけを言うのがほとんどだからです。

エネルギーの変化

 神坂さんの研究で、蘇生は注目されてもエネルギーの方はなかなか注目されません。
 その理由は・・画期的な感じはしないし、喋っても五分程度で終わってしまうからです(笑)。
 いえ、本当の理由はそうではないと思います。
 実を言えば、最初、神坂さんが何を喋っているのか、サッパリわからなかったのです。
 ニュートンの第三法則???それ、何だったけ・・という感じです(笑)。
 神坂さんが言いたいことを理解するのに、一年もかかりました。
 蘇生は、孫さんの情報が契機になっている部分もあり、私たちにも「それはありそうだ・・」という感じになります。
 しかしエネルギーの方は別です。全く無の状態から発案したのだと思います。
 蘇生はいつでも100%再現可能かと言えば、そうではありません。しかしエネルギーの実験はいつでも100%再現可能です。
 そういう意味から、これはノーベル賞ものだと思います。私だって、絶対に思い付きそうにありません。
 そして六爻占術の解明に関係ありそうなのが、この分野です。
 神坂さんの測定機械は「加速時」を測定しています。加速時は、時間の関数が二つ出ます。それがキーになり、私は高次元の時間要素を増やしました。
 奴の領域では、どんなに早く飛んでも、惰性で飛んでいる限りは止まっているのと同じなのです。まったくふざけた世界です。
 経験則が惰性だとすれば、ピッタリ合います。
 しかし、神坂さんを世に出す(紹介する)人は私以外にいないのではないかと思います。
 不思議を研究する人をチラチラと思い浮かべて見ましたが、他の人が神坂さんを紹介するというのは、絵になりません(現実化しません)。
 いったい何故でしょうか・・
 それは、エネルギーの関係に私が注目したからだと思います。蘇生ではなく・・
 神坂さんは講演会でも言いました。「私は今朝も、この機械でエネルギー値を測ってきました。」
 波動をやる人は、蘇生に目が行きます。
 それは、トラさんとて同じ気がします。私以外の人がトラさんと会っても、こうなったでしょうか・・
 神坂さんに会った当初、私は佐々木さんにも会っていました。佐々木さんはすごい理論家でした。だから神坂さんの影が薄れました。
 でも何年もして、神坂さんが浮上します。それは実験の強みです。
 トラさんとて同じです。実験の強みです。
 実験は理論をくつがえします。今、理論が間に合いません。

神坂さんとの講演会

 今回の神坂さんはとても落ち着いて話されたと思います。
 神坂さんは伝えたい事が沢山ある様子で、話し始めると止まらなくなるので、今までの講演会では時間が心配でした。特に主催者が私ではないときはなおさらでした。
 でも今回は私が主催者ですので、私はどっしりと構えて聴いていました。
 するとピッタリ2時間でした。話の内容もとても素晴らしいものでした。
 私と神坂さんは33才離れています。私は今51才なので、18才の若造とジョイントしたようなものです。
 でも神坂さんにそういう風なところは一切ありませんでした。私を認め、聴衆を認めて喋っていました。まるで同士に語りかけるようでした。
 内容もさることながら、私にはこういう「ジョイント」が出来たことが嬉しいです。
 
 私が注目するのは、やはりエネルギーの世界です。神坂さんのエネルギーを測る装置こそ、国家プロジェクトになっても良いのではないかと思います。
 眉唾(まゆつば)の要素は一切無いからです。再現性も100%です。精度を上げることなど、いくらでも可能です。未知エネルギーが流れる方向性すら、分かります。
 なにしろこれは、三次元以上に存在するエネルギーを極めて簡単に、バネばかりで測ってしまうものだからです。
 私はトルク測定器で測る装置を作りました。トルク測定器は20万円もしますが、そのあとは3ボルトで動くマブチモーターと自作の低電圧装置で出来ます。合計23万円でできました。
 神坂さんのと違う点は、デジタル表示される点です。これを使えば「気エネルギー」の量が数値で出てきます。
 しかしトルク測定器の会社に発注するとき、全く相手にされませんでした。それは、逆トルクだと言われました。空中の逆トルクを測ってどうすると・・
 ところで神坂さんは何台も試作品を作っています。私達が見たのは完成品だけでした。一つのものを何十台も作ると言います。
 たった一枚のスライドで紹介する機械も、そういう経緯があるのです。自分で造るのと、それを外から見て評価するのとは、全く違います。しかし、作れば場の中に入れます。
 私の機械では、スイッチを入れるとモーターが回り始めて、すぐにトルク計の表示板にデジタルで数字が出ます。
 たった2ボルトで回るモーターでも、トルク計では二桁の値を出してくれます。それを場所を変え、時間を変えて測定すると、10〜20%もの違いを出します。
 この「違い」を、なぜ今まで捨てていたのでしょうか・・あり得ないという先入観は恐ろしいものです。
 さて、私の装置は10秒もすれば、デジタル表示はゼロになります。つまりモーターが定常回転になると、反動がゼロになるからです。
 なぜ加速減速時にしか作用しないのか・・その理由はまだ解けていません。これが解ければ、未知エネルギーの正体がかなり解明されます。
 そしてそれは、私たちが今取り組んでいる運命の解明に、とても関係すると思います。 
 しかし加速減速が関係しているということを考えられるまでには十年の歳月が必要でした。反動の違いなど、別の要因だと思われていたからです。
 でも神坂さんの研究は、10年かかって測定し続けたとは言え、やっと入り口に辿り着いたばかりなのです。
 感想文の中に「これからですね」という表現がありましたが、「これから」を引き継ぐのは私達です。 
 広告の裏を使った封筒が話題に上りました。現実にこれを受け取ってみると、すごいインパクトがありました。
 昨日も、地球を良くしようというような会から彼らの講演会の報告が届きました。それはカラーで印刷されて、封筒はとても立派でした。
 神坂さんの手紙には地球環境のことなど一言も書いてありませでしたが、広告の裏の封筒はそれ以上に語っていました。
 神坂さんの家に行くと、随所に置かれたメモ用紙がそれです。広告の紙をメモに使っています。また牛乳パックも、厚紙として大活躍していました。紙の第二の人生です。
 さて、みなさんが入れてくれたの感想文ですが、今までで一番内容があったと思います。これだけ入れば、「捨てたものではない」と思いました。
 何が捨てたものではないかと言えば、日本が、世界が、時空が、人生が・・です。
 これを書いた人の中には私より20才も年下の人もいると思います。その人たちは神坂さんと私の研究を引き継ぐことになります。
 フナイオープンワールドは3000人もの人が聞きました。今回の私の講演会は150人です。たった5%です。
 しかし自由は5%どころか3%しかないというのが今の私たちの定説です。その3%を使えば、残りの97%を動かせるようにもなります。
 しかもここへくるまで神坂さんは孤独でした。私達には仲間があり、メディアがあります。波動は瞬間的に伝わるそうです。
 捨てたものではありません。日本も、世界も、人生も・・
 日本で出した新聞広告で神坂さんと知り合い、中国で出した新聞広告でトラさんと知り合いました。それはまるで旧友との再会のようでした。そんな感じすらします。
 このまま行けば大海に出るのか分かりませんが、とにかくタイヤを離さないで行こうと思います。
 ビデオは大変によく録画されていました。これを持って世に伝えようと思います。

仮の調和

 私は「仮予約」という言葉を使いましたが、「仮の調和」もアリだと思いました。とりあえずうまくやっておこうというスタンスです。
 私の女装の件で衝突した、船井メディアが出している雑誌『F*Ace(フェイス)』の編集長に対して、「このままでは笑顔の対談が出来ません」と書きました。
 返事は「何ふざけたことを言っている・・」でした。
 でも、よく考えてみればその通りです。普通の社会人なら自分の気持ちなど、押し隠して対談に臨むものです。仕事というのはそういうものです。仕事に私心を挟んではいけません。
 それも某編集長が言うように「たかが服装にゴチャゴチャこだわるんじゃないよ・・」です。
 こうして人は「仮の調和」をするのではないかと思います。いえ、むしろ「仮の調和」を勧めるのが現代です。相手と波長を合わせてうまくやるのが「愛と調和」です。
 『卒業写真』のままでいるのはイヤでした。しかしあの頃のエネルギーはむしろ、越えていたいです。持続を捨てた時、今が戻ってくると思います。
 
 さて、本物と言われている人ほど「仮の調和」から抜け出します。
 船井さんに対して、私は本音を曲げたことはありません。
「その通りです、船井さん・・」と言いながら、陰では別の事を言いません。
「ですが、船井さん、私は・・と思います」と言います。それは神坂さんに対しても同様です。
「思えば実現する」に反論したのは去年のFOWの前でした。
 30才も下の人から反論されるのです。器が大きくなければやっていられません。しかし神坂さんはずっと考え続けました。
 それから約9ヶ月が経ち、「我々は自由だと思い込んでいる」という発言に変わりました。
 私に合わせているわけではありません。その日の朝まで考えたというのですから・・
 これは「仮の調和」を作らないためだと思います。
 しかし・・考えてみれば、「たかが自由」です。考えてみれば、「たかが女装」です。
「仮の調和」は「仮の修復」では、戻りません。あり得ないと思いますが、某編集長が「まあまあ」と言ってきて修復しようとしても無理です。
 しかし服装について話せばそれで修復できます。それはまさに「今」だからです。
 過去を修復しようとしても無理です。でも「今」なら過去も未来も修復可能です。これは不思議な現象だと思います。
 私が女装したいのは、たぶん「仮の調和」を壊したいのかも知れません。ゼミの先生の会社にも男装でいけば充分に「仮の調和」を維持することが出来ました。
 しかし女装で行って調和しなれば、調和する必要などないのです。
 私の女装が気持ち悪いとHPを去る人とは調和する必要がないのです。もしくは、問題を問題として認識していないのです。
 自由が無い・・エライ話です。その問題を問題として認識していない人は、大変に多いです。だって「自分の幸せを得るため」には、関係ない問題ですから・・
「仮の調和」というのは、言い換えると「仮の生き方」にもつながると思います。
 仮・・それは外から与えられたという意味です。仮予約・・これも外から与えられた運命です。
 これを奪還するには、まず、「仮の調和」から抜け出す必要があると思いました。

「たった一回」と「仮の調和」

 NHKの『宮本武蔵』にこんなシーンが出てきました。柳生(中井貴一)が訊きます。
「小次郎とやら、ツバメを切ったのはたった一度か・・たった一度でそんなに自信を持つのか・・」
 小次郎は言います。「たった一度でも、体が覚えています。」
 今度の『「不思議の友」10』には「たった一回」という話が出てきます。
 科学は再現性を求めます。だから一回では科学の世界ではダメだと言います。
 しかし、よく考えてみて下さい。再現性とて、最初は「一回」なのです。何が始まる時でも「一回」なのです。地球の大変革がある時でも、最初は「一回」なのです。
 この「一回」を見過ごす人が大変に多いと思います。
 私は富士通を辞めるとき、その一回を見過ごしませんでした。
 果たして人生は科学のように「再現性」でしょうか・・いえ、すべて「たった一回」のはずです。
 今は「仮の調和」とか「仮の人生」について話をしています。そうやると生きるのが大変だとか、が話されています。
 科学の世界で言うところの一般解(何にでも通用する方程式)を得ようとしているのでしょうか・・
 すべてが一回ならば、その一回を失えば、ずっと失うような気がします。
 新聞広告を出そうと決めた日がありました。その日に行動を起こしました。それを見て神坂さんとトラさんと出会います。
 たぶん、私も神坂さんもトラさんも「一回」を逃していないのです。
 どでかいことをする必要はないと思います。それは自分の「快」に忠実になることではないでしょうか・・
 
 女装でゼミの先生の会社に行ったことに対して、今は、少し変わってきています。
 女装で行って受け入れられないのは、相手から「切られた」のではなく、私が「切った」のではないかと思います(武蔵の影響(笑))。
 私はもしかすると、そのために女装するのかも知れません。だから同窓会といった「過去の宝庫」に女装で行きたがるのです。
 私は外出しない女装など、考えられません(笑)。
 切ればすぐに次の獲物(笑)が入っているのは、神田さんもそう言っています。
 たぶん、もっと上質で、ピチピチしたのが入ってくると思います。
 だから「仮の調和」でいる限り、ピチピチは入って来られません。だって波動が違いますから・・
 ゼミの先生の会社に着いた時、私は二の足を踏みました。入って行けなかったのです。
 だからタクシーの運転手に写真を撮ってもらったりして、「自己」を取り戻そうとしていました。その「場」で私はピエロでした。
 ビルの中ではマジに働いている人たちが見えます。測定器を当てたり、何かを書いたり、電話をかけたり・・
 私はいったい何でしょうか・・
 夢みたいな時空の解明を言う私に比べて、向こうは具体的でした。具体的な世界に、私のような抽象は、完全に負けるのです。
 思い起こせば『F*Ace』の編集長は具体的でした。神田さんも具体的な世界です。ですので女装は出来ません(別に批判はありません)。
 しかし「仮の調和」が生息する世界は、実は具体的な世界だと思います。なぜかと言えば、「具体」が最優先されるからです。
 ピエロは場つなぎにしかなれません。「場」が独立していないとすれば、ピエロは偉大です(笑)。
 永続性を求めると、たった一回が失われると思いませんか?
 惰性で飛ぶロケットは永続性・・加速で回転する地球はたった一回・・

歴史の転換

 私は大学生の時にアルバイトで貯めたお金でロシアからヨーロッパ、そして北アフリカに行きました。
 目的は・・と言えば、「宗教」について・・です。
 ヨーロッパで教会を見たあと、北アフリカでモスクを見ました。
 さて、ユングはこう言いました。「肉体的に滅ぼされた者は、滅ぼした者を精神的に滅ぼす。だからヨーロッパが東洋に精神的に滅ぼされる日は近い」・・と。
 ヨーロッパの宗教(キリスト教)は地元で生まれたものではありません。滅ぼしに行った中東から原料としてしょってきたのです。
 自然にできたものなら、何を作る必要もありません。北アフリカのモスクが良い例です。
 砂漠のオアシスには広場しかありません。なぜかと言うと、自然そのものが「礼拝堂」だからです。彼らは外で礼拝するだけです。
 しかしヨーロッパのキリスト教は違いました。自然にはその「神的要素」がありません。
 だから人工的に作らざるを得なかったのではないでしょうか・・
 神はこんなにも偉大なのだということを示すためには、巨大な建物が必要でした。
 だって、外の世界は「合理的」なのですから、放っておけば人は何もしません。
 人工的な宗教の中で育つとどうなるでしょうか・・一体感が無くなるはずです。
 神は自然の一部ではなく、「上」から判定するための存在に変わりました。
 自然との一体感が無くなると、どうなるでしょうか・・六爻占術などの育つ地盤が出来ません。そして理性で感情をコントロールするのが彼らの仕事になります。
 
『自由からの逃走』の出だしはまさに、彼らの言葉の代弁です。
「いくたびか逆転しながらも、自由は勝利を重ねてきた。この戦いのうちに、多くの人々は死んだ。抑圧に抵抗する戦いに死ぬことは、自由なしに生きるよりもましだとかたく信じながら。このような死は、彼らの個性の最高の肯定であった。歴史は、人間が自分自身を支配し、自分で決断し、彼がよしとするままに、考え、感じることができるということを、次第に実証しつつあるように思われた。人間は自然の支配をなげすてた。そして自分自身の主人公となった。」
 人工的な宗教の下で、人工的科学を築こうとしました。
 果たして日本はどうでしょうか・・自然との調和を無視した寺、仏閣には行く気がしません。建物よりも、環境が大事とされます。池とか、森とか・・
 六爻占術というのは、「自然」と「人工」の両方を持ち合わせています。
 自然とは、五行であり、十二支であり、それで構成された卦であります。
 人工とは、まだ勉強していないですが、運命の変更です。
 キリスト教では、神から与えられた「自由な生」を全うするのが基本の仕事です。間違ったことをすれば、当然、責任は自分に来ます。
 しかし六爻占術の概念からすれば、全く逆です。神から与えられた「不自由な生」を全うするのが基本の仕事です。間違ったことをすれば、当然、責任はありません。
 キリスト教では「運命の変更」は自由に出来ます。神は寛大だからです。
 六爻占術の側では、自由に出来ません。神は方程式だからです。その「式」がまだ解っていないのも理由です。
 180度、完璧に違ったこの概念・・
 キリスト教は科学が発達しても何とか凌いできました。
 しかしあの巨大な塔が崩れるのは、意外にも中で「ちゃり〜ん」とコインを振り始める人が出てきた時ではないでしょうか・・
 アームストロング船長が月に降り立った瞬間は、歴史が変わりました。それはテレビで全世界の人が見ていました。
 しかし、ある昼下がり、日本の女性がキリスト教の本拠地イタリアの教会の近くでコインを振ったことなど、誰が気にしたでしょうか・・
 ユングは言いました。「肉体的に滅ぼされた者は、滅ぼした者を精神的に滅ぼす。だからヨーロッパが東洋に精神的に滅ぼされる日は近い」・・と。
 そう言えば、ユングはコイン占いをやっていました。それで「シンクロニシィティ」という概念を作りました。
 その一世紀後に、たった一人の日本人の女性がコインを振りました・・
 その音が世界にこだまするのは、そんなに遠くない・・その歴史的記録が、本日、このHPに成されました。
 私の冗談は、本当になります。

日常生活との接点

 確かに真理ではあっても、私の場合は日常生活との接点を置きたいと思います。神坂さんも同様だと思います。
「私は実験してみないものは、発表しません」と言いました。実験も一つの日常生活です。
 神坂さんがなぜそうなったかと言えば、「先生は教わったことだけを教えているんだ。だから自分で確かめていない」と気付くのです。
 「仮の調和」とかが話題になりましたが、その是非を問うとき、観念で言ってもしようがありません。それを実際にやるのとやらないのでは、エライ差なのです。
 私に色々なことを進言する人がいますが、それは自分でやってみればいいと思います。
 孫さんは多くの超能力者と交流があります。その時、本物かどうかを判断する方法の一つに「再現性」があります。
 どんな時にも再現性を持つ人を、孫さんは本物として信用しません。
 それは自分の超能力が、いかに再現性のないものか、知っているからだと思います。

無駄

 私は人生に諦め、絶望して就職しました。このまま一生会社のために働いて終わるのだと思いました。
 当時の私は、「時空って何?」などと考えることすらしませんでした。だってどうせ諦めているのに、考えても無駄だからです(笑)。
 ある日突然アレが降り、辞表を出しますが、そのとき思いました。
「あ〜、俺は富士通で四年も働いてしまった・・なんて無駄だったのだぁぁ・・」
 その後会社を作りますが、不思議研を始めるまでは普通の社長でした。
 それぞれ、私には、過去との接点というものが無いのです。
 この春は三回も講演をしましたが、当時はこんなものではありません。日本中を講演して回る身でした。
 ところが今思い出そうとしても、何を喋ったのか思い出せません(笑)。
 つまり、今とは全く接点が無いのです。
 講演が終わると懇親会とか二次会は無くて、主催者(商工会議所とかコンピュータメーカーとか)が、接待に連れて行ってくれました。それなりの所に・・(笑)
 ビシッとネクタイを締め、アタッシュケースを持って国内便を乗り継ぐ日々でした。
 その頂点の頃にまたアレが降りました。アレが降りると、私に選択肢はありません。
 そして思いました。「ああ、この10年間も無駄だったぁぁぁ・・」
 当時はマイクを持てばビジネスの話でした。客のほとんどはネクタイ野郎でした(笑)。
 で、今は「不思議な話」しかしません。ネクタイ野郎は「いかにもという客がいた」と言われます(笑)。
 
 しかし、不思議研をもっと早く始めていれば、もっと成果は上がったでしょうか?
 私が不思議研をやろうと思い立ったその年に孫さんは最初の蘇生が出来ました。
 私が不思議研を始めた時にトラさんは六爻占術と出会いました。
 時空がその水流を変えたのは、1990年に入ってからでした。
 もしかすると私は、その水流に乗っただけかも知れません。それは孫さん、トラさんとて同じかも知れません。
 神坂さんもデータを毎日取り始めるのが1990年に入ってからです。
 こうして考えると、アレが降りるたびに私はそれまでのことが無駄になります(笑)。
 世の中には「何でも無駄じゃない」という人が多いです。
 しかし私には、無駄でも良いのです。無駄と思われるくらいに価値観の違う方向にこそ、興味があるからです。
 無駄でなかったら、それは「延長」です。
 みなさん、今日一日、無駄に過ごしましたか?

身体感覚

 人生が有意義の側に焦点が当たれば、無駄はそのためにあるということになります。
 一方が外側に出れば、一方は内側になります。
 しかしどうも、そうではないような気がしてきました。
 もともと97%も運命が決まっているとすれば、無駄か有意義かという質問事態がナンセンスになると思います。 
 時空から見れば、無駄か有意義か、どちらでやっていても、「決まったコース」を進んでいるに過ぎないからです。
 無駄か有意義かは、我々が自分を慰める理由付けにしか過ぎません。
 だから私の中では、どちらでも良いことです。
 そのループから脱出する方法の一つが、内と外、無駄と有意義の境を無くすることだと思います。
 もちろん今書き込んでいるのは私の仮説です。
 私は身体感覚を大事にしています。内と外、無駄と有意義も、身体感覚で知りたいです。
 そしてそれを超越した向こう側に、第二の時間系が出現することも、身体感覚で知りたいです。

 私は「楽観的」ではありません。私は「悲観的」ではありません。
 世の中の人は、このどちらかに分かれる人が多いです。
「楽観」と「悲観」、どちら、「今」にはいません。
「これから良い世の中にしよう・・」「これから良い世の中が来る・・」なんて言う人は、「おめでたい人」だと思います。
 だってそうでしょう・・「良い」とはどういうことか、分かっていないのに・・
「良いこと」とは、その人にとってのエゴです。だから私は、「良い世の中」にしたくはありません。なんでもいいのです。「世の中」ならば(笑)。
 しかし、私は誰よりも、「世の中」を考えている自負があります。「変える」のは、すごいことだからです。「変える」などと、やすやすと言って欲しくないです。
 本当に「変える」時は、奴と対等になれる時です。「変える」などと言える人は、身体感覚になっていない人だと思います。
「何かが違う」という感覚を、外からの価値観で蓋をしていると思います。
 世の中にあるあらゆる情報の中で、私の身体を納得させるものは、一つもありません。
 私がなぜ存在するか・・です。もちろん私にも、まだ気が付きません。

「奴」は我々を封じ込めている

 今回の諸々の展開は、「時間は有限である」ということから派生しています。
 元々三次元宇宙は有限なので、時間も有限だと、なぜ気が付かなかったのでしょうか・・
 テレポーテーションは空間の有限性を利用しているのです。出発点はそこでした。そして風船の外に出る方法に気が付きました。
 さらに今回は、時間の有限性です。時間が有限だと、どうなるか・・
 時空は波動なら、例の分布常数回路です。今までは時間は無限だと思っていました。
 しかし有限なら、それは、まるでアンテナです。
 私の専門領域です(専門というほどでもないですが・・)
 有限だと、波動はお互いに干渉するのです。過去と未来から来る波動が干渉すると・・
 実際にGIFで作ることが可能です。それは動いている波動として見せることが出来ます。
 それがとんでもないことになったのです。
 奴は我々を有限の世界に封じ込め、さらに干渉させて、がんじがらめにしているのです。
 これに変化を与えるには、「未来からの波動」を変えるしかないのです。
 しかしこれは、大きな進展かも知れません。
 たぶん誰も、未来から波動が来ているなどは、思わなかった・・過去のカルマばかり気にしていたから・・奴はそんなに甘くない・・

書き込み期間:2003/05/03〜2003/05/31