テーマ:「中国紀行2002.9(2)」
要旨:
直感能力者という人に会い、直感力を高める為には、目的意識を持たず、受身的である方が良いという話を聞きました。
そこで私は考えました。目的とは全てエゴであり私利私欲です。
直感能力者は、悪い事も含めて全て認めると全部良い方向に変わるとも言いました。
エゴや私利私欲をそれと認めることが大事なのだと思います。
認識することは、状況や自分を変えることです。まずは知ることです。
だから、変えようという意識を持たなくても、情報は結果的に世界を変えるのです。

『あなたも心理学者だ』という本で、「トリックスター」について書かれていました。その内容は「失敗は、実は自分で呼び寄せている」というものです。大変に面白いです。
私は株で大儲けをした時、「いつかしっぺ返しが来る」と言われたことがありました。これは、金儲けに対するトリックスターです。
逆に、お金の損をした時に「損をした方が良かったのだ」と考えるのも同じくトリックスターです。
トリックスターは、時に六爻占術の判断を誤らせることもあります。
しかし、儲けることも損することも全て肯定できれば、トリックスターは発動しなくなるのです。
この本の中には、「反動形成」という言葉も出てきます。これは、人間は本来自分が持っている欲求と正反対の行動をとることです。
成長を説きながら今の自分を否定している精神世界の人なども反動形成と言えます。
私は、不完全から完全に成長するのではなく、完全から完全に移行するのだと考えています。
そう考えれば、自分も世界も、変えなければならない部分はないはずです。否定すべき所は何もないはずです。
今も、いつでも完全だと思えれば、善悪どちらにも偏らない中間状態になり、トリックスターの入り込む余地もなくなります。
目次
○9月17日の報告(2002/09/17)
○縁の不思議(2002/09/17)
○9月18日の報告(2002/09/18)
○9月21日の報告(2002/09/21)
○『あなたも心理学者だ』より1(2002/09/19)
○『あなたも心理学者だ』より2(2002/09/21)
○『あなたも心理学者だ』より3(2002/09/21)
○『あなたも心理学者だ』より4(2002/09/21)
9月17日の報告(2002/09/17)

 午前中はまず、「男性機能復活・増強」ヒーラーです。
 歌ヒーリングのお姉さんが紹介するのは、ヒーラーが多いです。
 でも今回は「森田さん、昨日見せてもらった女装写真で心配なことが増えました。それは森田さんが男に戻らなくなってしまうのではないかと・・」という心配をしたかは分かりませんが、男性機能復活・増強です。
 しかし写真を見てもらえば解りますが、痛いの何の・・・



 午前にはもう一人が来ました。 痛い部分を取り除くというヒーラーです。
 この人は結構香水がきつくて、それだけで眠くなってしまいました・・



 午後の一人目は、また・・ヒーラーでした(もういいって(笑))
 しかもまた「ダイエットヒーラー」です(以下同文・・(笑))



 歌ヒーリングのお姉さんとスリーショット



 今日の最後はヒーラーではありません。直感能力者です。
 今までと違う点は、存在とかマスターとか精霊とかが付いていない点です。
 彼女は私の名刺から、私の情報を読み取り、次のように言いました。
・森田さんは活発な人。
・細かいところまで見通すことができる。
・すぐ実行に移す。
・しかし計画を立てて一歩一歩やっていく面もある。
・少し女性っぽいところもある(隣で聞いていた歌ヒーリングのお姉さんはここで笑いました)。
・超能力や超常現象を解明しようとする大きな目標がある。
・一つの分野だけに囚われていない。それは情報を集めるという意味からプラスに働いている。
・全ての次元の能力者が必要。高いも低いも無く、全て収集した方が良い。
・解明に関しては、来年の三月から大きく発展する。
・金運はだんだん良くなっていく。
 ここで一般的な生き方(特に直感的生き方)についての話題に移りました。
・直感は「取りに行く」のではなく「待っている」もの。主体的より受け身的。
・人は自然に任せていくのが良い。
・易も最初は超能力者が発見したもの。瞑想は続けたほうが良い。
・直感に従って生きた方が良い。
・嫌な事が起こっても、それを楽しんだ方が良い。
・強い意志を無くせば、直感が降りる。主観を無くせば、直感が降りる。
・そして最も大事なことは、直感が降りたときに行動すること。


縁の不思議(2002/09/17)

 今回の旅の前半は、精霊や存在などの外部要因を使った遠隔探査関係が目白押しでした。耳で喋ったり、お腹で喋ったり、鼻で喋ったり・・
 その後はヒーラーが続きました。
 そしてここで一回、直感能力者が入って、また明日はヒーラーでしょう・・
 明後日はまた飛行機で別の場所に移動します。
 これらの出会いは、全て決まっていました。トラさんは昨日、言いました。
「私たちは決められた運命の俳優をしているにすぎない」・・と。
 これに関して抵抗を示す人も多いはずです。自分の運命は自分で決めていると・・
 でも、私も「俳優説」に乗っています。特に人と人の出会いは、そうです。
 おそらく神の意図ではなく、自然に決まっているのです。
 今日の直感能力者は言いました。「直感に従った方がいい、自然に任せた方がいい、嫌な事があっても楽しんだ方がいい。」
 確かにこの通りだと思います。私たちが「俳優」なら、なおさらです。
 トラさんが大学で選んだのは外国語学部日本語学科でした。
 だからクラスメートたちは、日本との貿易関係などで「一旗揚げて」います。
 そういう職が来るのではないかと、トラさんは期待した感じがあります。
 でも国が提案した職は、考古学者でした。
 トラさんは最初、全然やる気が出なかったと言います。
 私から見れば、ピッタリの職に見えるのに・・です(笑)。
 でも、やる気が無くても、トラさんはその運命に乗りました。

 ここの調査でも同様です。
 歌ヒーリングのお姉さんが集めてくる人を、トラさんは知りません。その日の午後に来る人を知りません。
「明日はどんな人が来るのでしょうか?」「分からない・・」という会話があります(笑)。
 だから、私は最近、訊きもしません。
 強い意志を無くせば、直感が降りる・・・
 ああなりたい、こうなりたい・・という夢や希望を無くせば、直感が降りる・・
 トラさんは淡々と生きてきたような気がします。
 クラスメートが派手な外交関係に活躍しているのに、自分は中国古代の文化の発掘にいそしみました。
 しかしただ淡々と生きていれば、六爻占術を見逃していたと思います。
「これ(六爻占術)はとてつもないものだ」という直感が降りて、それを行動に移して、六爻占術の解明を始めました。
 あらかじめ決まっていたのは、どこまででしょうか・・・
 フナイオープンワールドで私は言いました。「直感は未来からの通信です」・・と。
 ひょっとすると直感に従った行動は、俳優が台本を逸脱することなのではないでしょうか・・
 中国にも考古学者はたくさんいるはずです。同じように六爻占術に出会った人もいたはずです。
 でも、直感が降りなかったのか、もしくは降りてもそれに従わなかったのではないでしょうか・・
 いえ、もしくはあまりに主体的に生き過ぎていたのかも知れません。
 直感は主体的ではなく、受け身的・・・
 直感が降りても、それを受けられる精神的余裕(空き)がないと、入り込めないかも知れません。

9月18日の報告(2002/09/18)

 今日は二人来ました。まずは直感能力者です。
 部屋に入り私と対面するなり、言いました。「あなたは楽観的に人生を送っていますね・・」
 私は答えました。「はい、苦労したことがないでしょうと、みんなから言われます。事実、そうですが・・(笑)」
 彼女が私に対して言った事を箇条書きにします。
・森田さんはとても女性的です。
・女装の写真を見せると、「女装は続けた方が良い」・・と
・バイクの事故はもう無いでしょう。
・森田さんの会社はもう一人経営者がいます。年上の人です。背が低いです(当たり)。
・森田さんは瞑想をしています。その効果は三年後に出ます。
・森田さんの次元が高いから、私(その人)の手が冷たくなったでしょう・・と言って手を握らせました。確かにヒヤッとしました。相手の次元が高いと自分の体が冷たくなるのだそうです。
・私が「運命(時間というものの要素)について興味があるが、その解明はなされると思うか?」という質問には、「2008年に大きな成果がある」・・と。
・同じ様な研究をしている人よりも、ずっと成果が上げられるでしょう。
・大きな災害はないでしょう。
 直感に関して次のように言いました。
・直感は努力しても得られません。無為自然が良いです。



また、彼女はこうも言いました。
・浅い瞑想を何時間やっても効果はありません。一分でも深い瞑想に入ればそれでOKです。
 これにはトラさんも大きく頷きました。
 実際にトラさんの瞑想はとても短いです。でも二、三分あれば遊体離脱できると言っていました。

 もう一人は霊感者でした。ヒーラーとして一昨日来ましたが、今日はヒーリングは無いと言いました。
 彼女は霊が見えます。その霊がどういう悪さをしているかも分かります。
 で、その人の前で、そのこと(悪い事も含めて全て)を告げると、全部良い方向に向かうそうです。
 以下は、彼女の私に対する発言です。
・森田さんは女性のエネルギーが出ています(女装の写真は見せていません)。女性の霊が取り憑いているのかも知れません。でも霊にはプラスの霊とマイナスの霊があり、この場合はプラスです。森田さんに何かの情報を送ろうとしているので、このまま運命に任せると良いです。
・頭から緑の光が出ているので、たぶん瞑想修行をしているのでしょう。状態に入れれば、超能力が出るはずです。
 これに関して私は「普段、考えていることが多すぎるので、頭を休ませる意味で瞑想しているにすぎません」と言うと、「超能力はそれに気づかない人も多いのです」と言いました。
・瞑想は「空」の状態であり、「空」とは決して何もないことではありません。全てがあると言った方が正しいと思います・・と言いました。



 さて、昨日から直感が問題となっています。直感は目的意識を持つと、降りてこないというのが彼女たちの意見です。
 そこで考えました。エゴとか、私利私欲とは何だろう・・と。この定義は難しいと思います。
 自分だけが良くて相手にとっては良くないこと・・というのがエゴでしょうか?
 その判断は難しいものがありそうです。今は相手にとって良くなくても、将来は良いかも知れないからです。それは人が判断すべき次元ではありません。
「私はあなたの将来を思って言っているのよ」とか「いつか私の言ったことがわかる日が来るでしょう」などと言いますが、あれはエゴではなく愛なのでしょうか・・
 私は次のように考えます。目的は、全てエゴだと・・目的は、全て私利私欲だと・・
 この定義に当てはめると「目的意識を捨てれば直感が降りる」というのは当たっていそうです。だって「エゴを捨てれば直感が降りる」というのと同じだからです。
 だから「みなさん、しっかりとした目的を持って生きなさい」と言うのは、「みなさん、しっかりとエゴに生きなさい」と言っているのと同じです(笑)。
 だから「地球を良くしよう」とか「人類を助けよう」とかいう目的は、「金儲けをしよう」というのと同じエゴなのです。
 でも、それをエゴだと認識すると、どうでしょうか・・今日来た人は言いました。
「そのこと(悪いことも含めて全て)を告げると、全部良い方向に向かうそうです」・・と。
 認識するということは、それだけで状況を変えると思います。
 だから「情報」は結果的に世界を変えてしまうのです。変えようという意識無しにです。
 自分を「変える」前に、まず自分を「知る」こと。それが結果的に「変える」ことになると思います。

9月21日の報告(2002/09/21)

 午前中会ったのは透視能力者でした。
 彼女が変わった点は相手に手を触れるのです。ちょうど脈を取るようなスタイルになります。おお、いい感じ・・(笑)



 相手に触れれば相手の全てが分かる・・そんな超能力者がSF小説に出てきたような気がします・
 しかし彼女には限界がありました。それは手を触れている人と血の繋がりがある人までしか分からないのです。
 私の母親と娘を透視してもらいましたが、そのほとんどは当たっていました。
 しかし会社のこととか株のこととかは分かりません。
 彼女の透視した内容は六爻占術でも出すことができるものでした。容姿とか体の状態とか・・
 しかし未来までは見えません。
 こうして超能力者に会って調査をしていくと、いかに六爻占術がすごいかが分かります。
 相手に触れるという行為は、おそらく「場」にアクセスするためでしょう・・
 同様に、コインを振るまえに相手に触れたりすれば、やはり場を取りやすくすると思います。それを口実に手を握ったり・・(笑)
 お昼にホテルに帰ると、占って欲しい人達がいました。トラさんとダンさんはさっそく占いを始めました。



 その後、昼食となり、それはものすごく豪華でした。
 しかも、占ってもらった人たちに、またまたお金を出してもらいました。
 中国では、ちゃんとした占いというのは、これだけの価値を持っているのです。
 日本ではここまでしないと思います。



 しかしお昼から「飲み干し乾杯責め」に遭い、大変でした。
 最後には「森田さんは本当に酒に強い」などと言われて・・
 ここまで応戦する必要はないのでしょうか・・・(笑)
 私は普段、酒に強い方ではありません。晩酌ではワイン一杯で酔います。
 しかしこういう場では自分の中の何かが変わるのです(笑)。

『あなたも心理学者だ』より1(2002/09/19)

  
 飛行機の中で、『あなたも心理学者だ(心の謎を探る会編)夢文庫』(河出書房新社出版)という本を読みました。これが結構面白い・・
「失敗は、実は自分で呼び寄せている。」
 幸運の中で、突然しっぺ返しをくらう時があります。
 それをユングは「トリックスター」と名付けたそうです。
 私もユングを読みましたが、これは初めてです。
 幸せに浸っている時に突然邪魔をする出来事は外から来るのではなく、実は無意識のうちに自らが呼び寄せるのだと言うのです。
 これにはとっても納得しました。本の抜粋を入れます。
 憧れていた彼女と恋人同士になり、周囲も祝福してくれて、結婚は時間の問題で、結婚後も幸せな生活を送ろうと思っている。
 しかし一方で、こんな幸せがいつまで続くのか、心のどこかに不安がある・・
 そんなとき、幸せな状態に浸りきっている自分に注意を与えようとして現れるのがトリックスターである。
 つまり無意識の自分が「幸せ気分で浮かれているばかりではダメだ」と、いまの自分に警告を与える。それがトリックスターだ。
 トリックスターがどのような形で現れるかは人それぞれである。
 たとえば彼女が傷つくようなセリフをうっかり口にしてしまう。結婚費用としてためたお金を黙ってクルマの購入にあててしまう。合コンで知り合った女性とついフラフラと一緒にホテルに行ってしまう、なんてこともトリックスターのしわざである。
 これらは全て幸せな自分に警告を与える為に、自分の無意識が行わせている。
 仕事で順風満帆な出世コースを歩んでいた男が、思いもよらぬ失敗を繰り返すことがある。これも彼の中のトリックスターがわざとさせたことかも知れない。
 私がニッセンで大儲けをしたことを言ったら、「森田さん、世の中はバランスしているのです。そのうちにしっぺ返しをくらいますよ」と警告した人がいました。
 彼はたぶん、金儲けに対してトリックスターを持っている人なのです。
 トリックスターの原因は何かと思えば、たぶん、全てを肯定できないからなのではないでしょうか・・・
 お金を儲けた状態も、損をした状態も、全て肯定できれば、トリックスターは働かない気がします。
 損をし続けているとき「そのうち、いい事があるだろう」と思うのも、一つのトリックスターだと思います。
 本来、時空はそんな事とは関係なく動いているはずです。
 六爻占術でお金儲けをし続けていくことは、可能なはずです。
 しかし本人に当たり続けることへの罪悪感があるとすれば、それが問題です。
「この銘柄は上がる」とか言ってこのHPに書き込んだときだけ外れるのは、そういう「天狗」になった自分に警告を与える為でしょう。
 そうさせる為に、わざわざ場を外させるかも知れません(自分の無意識が・・です)。
 貧乏人が大富豪になれないのは、このトリックスターに原因があると言っても過言ではないと思います。
 柳の下には二匹目のドジョウはいない・・と言います。
 本当は二匹目のドジョウはいるのに、トリックスターがわざと隠すのです。
 ニッセンの後の田中商事は二匹目のドジョウでした。これが儲かるかは、トリックスターとの戦いです。三匹目、四匹目はなおさらです。
 これを突破する鍵は、昨日の直感能力者が言いました。
 「空」は全てがある状態です・・と。
 エゴを無くそうとか、私利私欲を無くそうとかした時、無くしたように見えてもそれは無意識の世界に封じ込められます。
 そしていざという時、コインの目すら狂わせるかも知れません。
 これが本当なら、精神世界の人には六爻占術は向かないかも知れません。
 だって彼らは自己成長しようとします。自己成長とは、否定すべき何かが自分の中にあるので、それを昇華しようというのですから・・
 否定すべきものは、無意識の世界に入り、トリックスターとして作用する・・
 でも、実は、彼らはそれで満足するのです。金儲けに失敗したことに・・
 もちろんコインはトリックスターなどくぐり抜けるという仮説もあります。
 そのときは、トリックスターが判断を間違えさせるのです。
 六爻占術も、最後は自分との戦いかも知れません・・
 ところで、私はナルシストです(笑)。
 でもね・・・ナルちゃんが、トリックスターを発動させないのです。
 みなさんは自分の内面、外面が全部好きですか?
 みなさんは、金銭に対して、罪悪感がありますか?
 みなさんはエゴという言葉に対して「無くそう」という気はありますか?
 みなさんは私利私欲を無くそうと思いますか?
 もしもYESがあれば、あなたはトリックスターと無縁ではありません。
 「限界」は自分で設定しているのです。
 恋愛でもそうです。財運でもそうです。
 もしも限界突破しようと思えば、自分の否定する部分を肯定しないといけません。
 肯定するのは、ある意味、ナルシストになることです。

『あなたも心理学者だ』より2(2002/09/21)

 さて、『あなたも心理学者だ』より、少し書こうと思います。
 この本の最初に「優しすぎる相手こそ、実は残忍である」という話が出てきます。
 本の抜粋を書きます。
 これは「反動形成」と呼ばれる心理で、人間は本来自分が持っている欲求と、正反対の行動をとることがある。

 私は「精神世界」というのがどうしても理解できませんでした。
 しかし大変失礼ながら、これを読んで理解出来たような気がします。
 精神世界は反動形成なのです。
 私は、子供から大人に「成長する」のではなく、「移行する」のだと思っています。
 子供は不完全ではありません。完全から完全に移行するのです。
 なのに「成長」という言葉を使うのは、不完全という意味があるのだと思います。
 そして大人になっても「成長」を言うのが「精神世界」です。
 この本から類推すれば、そういう人たちは反動形成をしているのです。
 ちょっとひどいことを書きます。彼らは自分の全てが好きではないのです。
 それを未熟だの、成長過程にある・・などと置き換えているのです。それで合理化できるからてす。
 人間は自分自身の中に、否定すべきものなど無いはずです。
 エゴも私利私欲も、そういう言葉で表現してしまうから、「捨てるもの」として意識されてしまうです。
 人はある部分だけを取り出して、それをエゴだのと言うことはできないと思います。
 エゴがあるとすれば、全体がエゴのはずです。それを認めれば、エゴがエゴで無くなるはずです。
 そうなると、自分の中に、未熟だから変えようという部分は、何も無いはずです。
 同様に、世界もそうです。変えようとする部分など、何も無いはずです。
 精神世界のスローガンに「自分を変えて世界を変えよう」というのがありますが、これなどは二重否定です。
 自分も世界も、完全から完全に移行しているにすぎません。
 私は自分の中に否定すべきものがとても少ないと思っています。
 これは私がラッキーで、裕福だからでしょうか?
 でも否定すべきものが少ないから、ラッキーで裕福になったとは、言えませんか?
 私が女装するのは、世間のニューハーフとは少し違います。
 世間のニューハーフは、男性を否定しているところがあります。
「なぜ男に生まれてしまったのか・・・」と悩んでいる風があります。
(この書き込みは、これから始まる生まれ変わりの村の調査の前章になりそうですね・・)
 私は男性であるモリケンも、大好きです(笑)。同様に、女装したりんごも大好きです。
 完全から完全への移行だと思っています。
 前世、今世、来世・・と、魂が成長していくわけではありません。
 今完全にならないで、いつなるのでしょうか・・・
 昨夜は、トリックスターの書き込みをしました。
 もしも自分が完全なら、トリックスターの出番は無いと思いませんか?

 さて、この本の最後の章にも関連した事が書いてあります。
 「虐待されて育った子供が親になると、虐待を繰り返す謎」という題です。
 虐待されて育った人は自分の中に「悪い親」と「良い親」という極端な二つのイメージが出来て、自分は「良い親」になろうと心に誓う。
 しかし現実は思うようにはいかず、「良い親」を演じきることが出来ない。
 そんなとき、封じ込められた「悪い親」が出てしまうらしいのです。
 つまり中間に身を置けないのです。
 精神世界の人が突然豹変したように攻撃的言葉を使うときがありますが、このケースに似ていると思いました。
 悪いとか、未熟というイメージは善と成長という概念を作り出します。
 そうすると、全てが完全という中間的状態に漂うことが出来なくなります。
 そうです・・自分で書いていて、とても納得しました(笑)。
 完全とは、常に中間的状態なのです。行き着いた先ではないのです。
 だから、いつだって完全だし、今すぐになることが出来ます。

『あなたも心理学者だ』より3(2002/09/21)

「偶然や運も自分でコントロールできると思う心理とは」という題名で、大変に興味ある事が書いてあります。まずはその抜粋です。
 世の中には努力によって何とかなるものもあれば、偶然によって決まってしまうものもある。
 勉強や仕事の成績などは努力によるところが大きいが、宝くじで一億円当てるとか、懸賞はがきを出して世界一周旅行が当たるとなると、偶然や運を当てにするしかない。 そうと分かっていても、私たちはけっこう矛盾した行動をとるときが多い。
 宝くじを買うとき、当たりそうな番号を選んでみたり・・。
 それをやったからといって、当たったり、勝つ可能性が高まるわけではない。
 だがついやってしまう。
 人間にこうした不可解な心理があることはいくつかの実験で証明されている。
 たとえば大学生にチップを賭けてダイスゲームをやってもらうという実験がある。
 これはサイコロを振る前にチップを賭けた時と、サイコロを振った後、目が分かる前にチップを賭けたときとでは、掛け金がどう違うのかを調べたもので、結果はサイコロを振る前に賭けたときのほうが、掛け金の額が高くなることが分かった。
 冷静に考えれば、サイコロを振る前だろうと振った後だろうと、思い通りの目が出る確率は、どちらも1/6である。
 にもかかわらず、振る前のほうが掛け金が高くなるのは、強く思いを込めて振れば、それだけ思い通りの目が出やすくなると考えてしまうからである。

 またこんな実験もある。
 当選すると50ドルがもらえる宝くじを作り、被験者に一枚一ドルで買ってもらう。
 被験者は二つのグループに分けられ、一つは自分で宝くじの番号を選んでもらい、もう一つには適当な番号の宝くじを渡す。
 そして抽選日の朝、被験者に一人一人に会って、「知人が宝くじをほしがっているので、譲ってくれないか」と頼む。
 いくらなら譲ってくれるかを交渉するのだが、自分で番号を選んだグループの平均値は8.16ドル。一方、適当な番号を渡されたグループの平均値は、1.96ドルだった。
 つまり自分で番号を選んだ人たちほど、その宝くじが当たる確率が高いと思っていたのである。
 もちろんこれだって、当選番号はこれから決まるのだから、自分で選んだものだろうがそうでなかろうが、当たる確率は全て同じだ。
 にも関わらず、自分で選んだもののほうが、当たりやすいと思ってしまう。
 私たちの頭の中には「努力すれば報われる」とか「技術の高いものが成功する」といった大原則があるため、偶然が支配することがらについても、つい技能や能力によって結果が違ってくると錯覚してしまうのだ。

 私は少し前提を変えてみます。
 この本の中では、私たちの頭の中には「努力すれば報われる」とか「技術の高いものが成功する」といった大原則があるため・・とありますが、これを変えてみるのです。
 つまり、この世の中は運命で決まっていると考えてみます。
 これは偶然で成り立っているとしても、同じです。
 要は、私たちの努力は反映されないとするのです。
 つまり経験則でいく限り、運命は決まっていると・・・
 こういう前提で、ダイスや宝くじが当たったら、どうでしょうか・・
 自分が念を入れて振ったものとか、自分が選んだものが当たったとすれば、自分の努力が反映された・・・と思います。
 では、ダイスや宝くじ以外だったらどうでしょうか・・
 恋愛や、仕事や、旅行がうまくいったとき、それは自分の運命を自分で選んだのだと思うに違いありません。
 今私が書いているのは、とても複雑な事を書いています。
 宝くじですら「私」が反映するのだから、他の事項ならなおさらではないか・・と言っているのです。
 本の作者は、宝くじやダイスのみが「錯覚」だという表現を使っていますが、全てにおいて、それは言えるのではないかと思います。
 「私」が関与すれば、みんな「私」が達成したのだと思い込んでしまうのです。
 精神世界にもこういう人は多いです。「思ったことは全て実現してきた」・・と
 なぜ思うのでしょうか・・それは、自分に価値を置きたいという、人間の性(さが)かも知れません。
 しかし、もしも人が完全ならば、わざわざ「錯覚」の価値を作り出す必要もないと思いませんか?
 この問題は「私」というのを考える上で、とても面白い材料だと思います。

『あなたも心理学者だ』より4(2002/09/21)

「人にものを頼むと、実はその相手に好かれる不思議」の抜粋からいきます。

 人に好かれようと思えば、人に何かをしてもらうのではなく、何かをしてやることだと考えるのがふつうだが、実際は、この逆のケースが多いのである。
 実は、人間には人から何かを頼まれると、その相手に好意を抱く傾向がある。
 たとえお金を貸してくれと頼まれても、その相手を嫌いにはならない。悪い気はしないのである。
 こうした心理を明らかにしたのがジェッカーとランディの実験である。
 彼らはまず、学習に関する実験をすると言って人を集めた。
 そして問題を出して参加者が正しい答えを出すごとにお金を与えた。
 本当の実験はこれからである。
 今度は参加者に先ほど渡したお金を返してくれるように頼むのだ。
 このとき、参加者の1/3は、実験者から「実験資金が無くなったので、よかったら返してもらえないか」と頼まれた。
 別の1/3の参加者は、実験者からではなく、大学の事務員から頼まれた。
 残りの1/3は、誰からも頼まれなかった。
 こうして、その後、参加者全員にアンケート調査し、実験者に対する好感度をたずねたのである。
 実験者に最も好意を示したのは、実験者からお金を返してくれるように頼まれた人たちだった。

 さて精神世界では、ギブ・アンド・テイクからギブ・アンド・キブに・・とか言われます。
「まずは与える方から先にしなさい」などとも言われます。与えるということは善でした。
 しかしこの本に書かれた実験によれば、人は与えることを依頼される方に「快」を感じるのです。
 だとすれば、与えることを依頼されるほうが、自然の摂理に適っているとも言えます。
 さて、ここで自分を振り返ってみました。私は一方的に与えられたことに「快」を感じただろうか・・・と。
 やはり、感じていませんでした。
 一方的に与えられるものは、私にとって必要のないときが多いです。なのに、与えられて・・・
 私にとっては、お返しの負担の方が多くなります。もちろん、お返しはしませんが・・(笑)
 HPに「森田にE-MAILを出しても、数が多いためほとんど返事を書けません」と書いてあるのも、そのためです。
 与えるというのがなぜ「善」なのか・・そちらの方が問題です。