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要旨: トラさんと共に、チベットへ旅立ちました。 トラさんは不思議な人で、自由に幽体離脱が出来るし、頻繁に霊から身体を取り憑かれても平然としています。 トラさんの本職は考古学で、遺跡発掘の際に時空解析方法という大変な情報を発見しました。 それはコイン占いなのですが、超能力をも凌ぐほどの情報量があるそうなのです。 その情報はトラさんの手によって日本語に翻訳され、私の元に届けられることになっています。 チベットには高山病が付きものでトラさんもかかりましたが、私はほとんど何ともありませんでした。 先入観を持たないよう事前にほとんど本を読まず、現地で聞く情報を重視した旅をしています。 旅行二日目に、デプン寺の僧侶に会いました。彼からツンカバのことやチベット密教のことを色々聞かせてもらい、さらには孫さん瞑想法とほとんど同じ瞑想法を教えてもらったのでした。 後から聞けば、僧侶が初対面の相手に瞑想法などを教えることは滅多なことではないのだそうです。 僧侶と会ったことで、あるインスピレーションを得ました。 私は、夢を無ければ何でも叶うと言っています。夢に執着すれば夢しか叶わないのです。 この宇宙は二極で成り立っていますが、瞬間的に合一あるいは清算されている世界ではないかと思ったのです。 青空の下で瞑想をしていると、ある疑問が湧きました。 生命体を運営するのにコストはかかっているのか、という問題です。私はコストがゼロだとは考えていないのです。 ですが生命に関しては、エネルギー保存の法則は成り立っていないと思います。 そこで閃いたのは、神が後押しをしているということです。 よく「私達は生かされている」と言われますが、「神は私達と共に生きている」のです。 チベット密教には、「あるがままでよし」というゾクチェンの教えがあります。 しかし私がこうした気付きを書き込みする時、とてつもない寂しさを覚えることがあります。 私が次第に現実や他の人達から離れていくような・・・。 でも、これは私の業ではないかと考えています。選択の余地がないという意味です。 チベットに来て、業とは一般的に言われるような個人に属するものではないことに気付きました。それは全体の業なのです。 |
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○出発(2001/06/20) ○前日の夜(2001/06/21) ○ラサに着いた晩(2001/06/23) ○グル登場(2001/06/24) ○青空の下で(2001/06/25) ○海抜4500メートル(2001/06/26) ○標高4500メートルでの夜(2001/06/27) ○業(2001/06/27) |
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出発(2001/06/20) 今日の午後の便で北京に行き、二日後、そこからチベットに向かいます。 今回の旅もトラさんと一緒です。彼とは北京で待ち合わせています。 私が興味あること、それは前回の「中国諦め紀行」で行った生まれ変わりの村です。 そこで彼は霊に取り付かれました。とはいっても、そういうことを嫌がるトラさんではありません。 その後の顛末を聞きたいです。霊はチベットまで一緒に行くのでしょうか? 成田を飛び立ち、少したつと富士山が見えました。こんな風に富士山を見たのは初めてなので、とても感動しました。 トラさんとも再会しました。トラさんは考古学者です。 あるとき中国の山奥で古代の遺跡を発掘していると、大変なことを発見しました。 それは時空に対する古代人の対処方法でした。 彼はそれを分析して現代にも通用するように変えました。 その情報を冊子にして地下のルートで販売すると、あっという間に売り切れました。 そして今、トラさんには全国に500人の弟子がいます。 今日もその中の一人がトラさんと私を接待してくれました。 その弟子にとっての私とは・・ 日本で不思議研究所の所長をやっているからエライのではないのです。 トラさんを「ねえ、トラさん♪」などと呼んでしまうからエライのです(笑)。 弟子は考えます。「こいつは師匠とツーカーの仲だ。タダモノではない」・・と。 それほどその情報は凄いらしいのです。 トラさんはその情報を今、日本語に直しています。そしてそれは近々私の元に届けられます。 中国古代人の時空解析方法・・ほえ〜・・ 私は無事に日本に帰れるでしょうか・・(笑) と、ここまでは『インディ・ジョーンズ』のノリなのですが・・ その古代人の時空情報とは、単にコイン占いなのです(ドテッ)。 しかしコイン占いを馬鹿にしてはいけません。 (私は最初、とても馬鹿にしていました。「トラさん、コインなんかで人を騙してはいけないよ」などと言っていました。) しかし真面目にやると超能力より凄いのです。 トラさんは言いました。「森田さん、コイン占いだと言って軽んじてはいけません。密閉されたビンの中に何が入っているかさえ、当てることが出来ます。」 古代人の解析方法はとても複雑らしいのです。CD−ROM一枚分の情報量があると言います。 私は、だんだん興奮してきました。CD−ROMを無事に持って帰れるでしょうか・・ さて、例の霊の話です(笑)。 生まれ変わりの村でトラさんに取り憑いた霊は、しばらくトラさんの体から出たり入ったりしているうちに、最近はだんだん出て行く方が増えて、ほとんど戻って来ないそうです(笑)。 「今はどこかに遊びに行っています」などとのんきな答えが返ってきました。 トラさんの体を共有するもう一つのアイデンティティ・・う〜む。 |
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前日の夜(2001/06/21) さて、トラさんの特異体質をちょっと書きましょう。 彼はある時期、密教系の修行をしたことがありました。瞑想を主体とした修行でした。 光の存在が次々に現れました。幽体離脱は自由自在に出来るようになりました。 しかし瞑想をしていない昼間であってもそういう世界が現れるようになり、「このままだとまともな生活が出来なくなってしまう・・」と思い、やめたそうです。 最後のリョウさんツアーには助手の通訳として参加しました。 数回、私のとなりで瞑想したのですが、二回に一回は体脱をしていました。 体脱に要する時間は5分だそうです。 別の話です。ある時トラさんは友達から五台山に行かないかと誘われました。 トラさんは考古学の仕事が忙しかったので「私の分身が行くかも知れないからよろしく〜」とだけ伝えておきました。もちろん冗談半分で言ったそうです。 すると、現地にはトラさんが現れ、全く実体のある人物として行動を共にしたそうです。 一緒にお昼まで食べ、その料金は友達が払ったそうです。 しかし、彼は一日中研究所にいました。友達はトラさん本人だと信じて疑わなかったそうです。 私が山西省にいるとき、トラさんはお昼を食べに家に帰ります(家には可愛い奥さんと子供がいます)。 そして約束の時間が近付き、私が「あ〜、トラさん遅いな・・遅刻するんじゃないだろうな」と思うと、トラさんの後頭部を私がコンコンと叩くのだそうです。 彼の世界は、意識の世界と合体しているようなのです。 何故こんな人と知り合ったのでしょうか・・ それは『不思議エネルギーの世界2』を書くために中国を訪れたとき(五年程前)、着いた翌日に私の部屋をノックし、「私も不思議なことに興味があります。是非ご一緒させて下さい」と言われたのが最初でした。 なぜ私のことを知っているのか、なぜ部屋まで訪ねて来られたのか・・不可解な点も多かったのですが、なぜか翌日から私の乗った車の道筋に彼が立っていて、乗ってくるのでした・・(とは言え、私の存在は友達から聞いたらしいのですが・・) さて、夜は可愛い女の子が訪ねてきました。この二人はトラさんの弟子の友達です。 自動書記でチャネリングするのですが、変わっている点は二人でするのです。 質問をするとどんどん答えてくれます。 トラさんが質問しました。「ここにいる日本人は本当の女性になるために手術をするでしょうか?」 答えは「不(ありません)」 「私と彼はチベットに行きますが、何か問題はあるでしょうか?」 「トラさんの身体に不調が出ます。吐き気をもよおします。日本人はもともと体が強いのであまり問題はないでしょう。」 「私達はチベットで何か成果はあるでしょうか?」 「考古学の調査と不思議の調査・・・それとグルに会えるでしょう。」 (「日本人」とは私のことです。一般的な日本人を指すのではなく、この部屋には日本人は私しかいなかったのと、私の名前を彼女たちが知らないので「日本人」という呼んでいたのです。) さて、明日は首都(県庁)であるラサに飛びます。北京から6時間もかかるのです。 約一ヶ月弱に渡るチベット紀行がいよいよ始まります。前半は観光、後半は修行に重点を置きます。 |
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ラサに着いた晩(2001/06/23) この写真はホテルを出たところで撮ったものです。 私の向こう側は広場になっていて、そこは露天の市場になっています。 ホテルは一流ではなく、部屋から国際電話がかかりませんが、立地としては良い場所にあると思います。 超一流ホテルはこういう繁華街からは外れた場所にあるからです。 夕食を食べ部屋に戻りこれを書き込みしています。今、外の気温は9度です。 でもホテルの室内は22度です(暖房があるから当たり前ですね)。 先程お湯を沸騰させてみました。沸点は89度です。予定通りぬるいです(笑)。北京でカップラーメンを食べておいてよかったです。 でも89度のお湯でインスタント味噌汁を作って食べました。とても美味しかったです。 これから日本茶を飲もうと思います。 スタコラ走ると、平地よりは動悸がします。左脳で考えると、平地よりは疲れます。 なぜ左脳で考えると疲れるのか・・それは呼吸を止めてジッと考え込むことが多いからでしょう。しかし今のところ高山病の大きな兆候は出ていません。 持って来たいろいろな袋がパンパンに膨れていて楽しいです。 ティーバック袋・・コーヒーの袋・・お味噌汁の袋・・気圧のせいでみんな太ってしまっています。 今、日本茶を飲んでいます。ふう〜、ふう〜、美味しい・・ なんか、時系列的な書き込みが続いていますが・・ ここに来るまでチベット系の本はできるだけ読みませんでした。だって読んだら来る意味がないじゃないですか・・人間の先入観ほど恐ろしいものはありませんから・・。 というわけで、平凡な旅行記が続いています(笑)。 魂に性差はありませんでした。魂のレベルに近付けば、境を無くした情報に出会えるはずです。それには「私」を無くする必要があります。 ただチベットという空間に来て、ただ過ごしていれば良いと思っています。 「私」という自我をできるだけ無くし、アンテナを外に開いてじっと待つ・・。 空の青さ、空気の薄さ、市場・・時間はあります。じっと待ちましょう・・。 信号は微弱なはずですから・・微弱だから強い先入観があってはいけません・・。 楽しく過ごしながら、じっと待ちましょう。 期待はエネルギーとなり、微弱な信号の邪魔になります。夢など、捨てることです。 夢が無ければ何でも叶います。 |
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グル登場(2001/06/24) チベット二日目、トラさんは予言通り調子が悪くて朝は何も食べられませんでした。 私はお腹いっぱい食べて朝の市場を散歩してきました。 私が泊まっているホテルは大昭寺という有名なお寺のすぐ近くでした。市場はその寺の境内にあったのでした。 チベットの民族衣装が欲しかったので、そこで二着も買ってしまいました。手編みのショルダーも買いました。 そしてお昼を食べて出かけたのは午後の三時です(遅い♪)。 行ったお寺はデプン寺と言います。ツンカバの弟子が立てたお寺で、ゲルク派最大の寺院です。 トラさんは階段を登るのが苦しそうでした。私は予言通り、何でもありません。 現地の通訳(チベット語、北京語、日本)の女性も息切れする中、私だけがピョンピョンと階段を駆け登りました。 このお寺は今でも700人の僧侶が修行をしています。 台所には直径3メートルもある釜が何個もあってびっくり・・・ 行った時間が遅かったので観光客は誰もいませんでした。暇な僧侶が場内を案内してくれました。 お経の原本である経典を見せてもらいました。すべて手書きのそれは、とてもとても美しいものでした。 私はツンカバのことやチベット密教のことを色々と質問しました。因果応報に関して今までの常識を覆す概念も聞きました。 話が途切れると僧侶は私に訊きました。 「あなた、ただの観光客ではなさそうですね・・瞑想なんか、しているでしょう・・」 まさかツンカバの霊から直接指導されている人から教わっている・・などと言えず 「はい、真似事をしています・・」と言うと、 「ふむふむ・・では、ゲルク派の瞑想の入門知識だけを教えてあげましょう。」 「はい、よろしくお願いします」と私・・ 「まず丹田の部分に小さな種があると思うのです。その種の中にはあなたの心があります。それがグルグル回りながら上にあがり、最後は眉間から外に飛び出します。同時に種は割れてあなたの心は広大な時空間(無の空間)に広がります。それを何度もやると、とても効果があります。瞑想は一日五分でも良いから続けなさい。」 おお、これはまさに孫さん瞑想のやり方ではありませんか・・火の玉を種と言い換えているだけです。 お礼の100元を僧侶の衣服にねじ込もうとすると、「いらん、いらん」と言うではないですか・・ しかし通訳の女性とトラさんに言わせると、こういうこと(見ず知らずの人に教えるということ)はほとんどあり得ないのだそうです。 しかもゲルク派では瞑想修行までいくのには理論を20年も習わねばならず、そのための洗礼のような儀式すらあるとのことです。 これを聞いてその僧侶をもう一度見ようと思い彼の後を追ったら、もうどこにもいないのです。 まさか・・幻なんてことはないですよね・・。 さて、ツンカバが開いたゲルク派は、黄教とも言われ、色は黄色です。ですからツンカバが被っている帽子も黄色、経典を包んである風呂敷も黄色です。 不思議研のカラーも黄色ですが・・(笑)。 夜はホテルのすぐ近くにある大昭寺に行きました。20時から読経があると聞いたからです。 50人くらいの僧侶がお経を上げていました。 そのお経は日本のものとは全然違いました。明るくエネルギッシュなのです。 僧侶も楽しそうに体でリズムを取りながら読んでいるのです。 さて下の写真の説明です。 一番上はツンカパの弟子が立てたデプン寺の庭です。僧侶も見えます。 二番目は暇だからといって案内してくれた僧です。私は民族衣装を着て左に写っています。右は通訳の女性です。僧がお経の説明をしているところです。このあとに瞑想の講義がありました。 一番下は20時半に大昭寺の屋上で撮ったものです。ずっと後方にポタラ宮殿が見えます。右肩の後ろに私のホテルも見えます。 この写真を撮り終わってから雷が来たのですが、その後にお日様が出てきてビックリしました。北京と時差が無いので夜が遅いのです。 以下の書き込みは今日会った不思議な僧侶から得たインスピレーションです。 高山病に関しては飛行機を降りたときに眩暈を感じたのが最後で、あとはほとんど何の症状もありません。 いえ、それよりも感覚が研ぎ澄まされたような感じすらあります。 これを書いている今、外は満天の星です。 澄んだ青空・・朝夕の冷え込み(昨日は摂氏2度でした)・・夜の星星・・薄い空気・・ このチベットに密教が栄えたのはこの自然と関係があるのかも知れません。 宗教は論理的ではないとされます。 しかしこの自然の中にいれば、論理以上のものが存在するということは、肯定されるような気がします。 私がこれから書き込む内容も、論理からはズレてくるかも知れません。 この世の中の多くは二分化されています。その対極は補完しあう立場にあります。 陰が無いと陽は無いでしょうか?闇がないと光は無いでしょうか? 私は闇が無くても光はあるような気がしてきたのです。 昨日は、夢が無ければ何でも叶います・・と書きました。 夢は普通、何かを実現するための原因となります。夢は方向性を決めます。 しかし原因が無ければ結果は無いのでしょうか?鶏が先か卵が先か・・ 今日はトラさんと進化の話をしました。そのときトラさんは言いました。 「人間が海から上がってきた形跡はありません」・・と。 さらに、「人間は人間として突然誕生しています。私の研究では」・・と。 いきなり結果が現れるのがこの時空の成り立ちだとすれば、私たちが起こったことの意味を考えるのはどんなものでしょうか・・。 「私は試されていたんだ・・」「あのことの意味は××だったんだ・・」 試す・・何を目的にして試すのでしょうか?意味・・意味って何でしょう? しかし、もしも起こることに相対的意味など無かったとしたら・・ 結果だけがドンドン起こる世界・・ それは原因ありて結果ありの現代文明の流れからは外れます。 一般的な仏教が言うところの因果応報(カルマの世界)ではありません。 いえ、私がこれから言いたいのは・・ 正確に言えばやはり原因と結果の世界であり、因果応報の世界なのです。 ただ、それが同時に起こっているのではないかと思うのです。 闇の中を光が通った時、その軌跡を見れば「光は闇を照らした」と言えるかも知れませんが、瞬間を捉えれば光しか存在していないはずです。 光は一瞬で清算してお終いのはずです。 一般的な仏教で言うところの因果応報はとても長いスパンで人生を捉えます。 しかし一瞬一瞬因果応報が清算されていたらどうでしょうか・・何も残りません。 そこに善悪をつけるのは人間の意識でしょう。 チベットは「線形」ではありません。 「線形」とは数学で言うところの方程式などに乗ることを言います。倍働けば倍の見返りがある世界のことを言います。 しかしチベットはそうでは無い様子です。 今日は今日、明日は明日・・その日はその日で清算・・その瞬間はその瞬間で清算・・ しかし因果応報は無くても宇宙は動いています。 何のために?分かりません・・。しかし何かはあると思います。 夢が無ければ何でも叶う・・というのは、その時点で宇宙の法に預けてしまうからだと思います。 夢・・それは意識の世界です。何でも叶う・・それは潜在意識の世界です。 意識・・それは陽だと思います。潜在意識・・それは陰だと思います。 西洋的な神・・それは陽だと思います。お蔭様・・それは陰だと思います。 さてこれらは、どちから一方が「良い」のでしょうか?どうも違うような気がします。 夢が無ければ何でも叶うと聞いて、では夢を捨てればいいんだと考えてしまうようなものです。 たぶん、どちらもアリなのです。どちらもアリなのですが、それは瞬間清算の世界だと思うのです。だから夢に執着しなければ何でも叶うのです。 夢に執着すると夢しか叶わないのです(それでも良いという人はもちろんいるでしょう)。 しかし、解脱が夢だとすれば、解脱しか叶わないのです。 男でしか幸せになれないと思えば、女ではなれないのです(突然二丁目的・・)。 この宇宙が二極の世界だとしても、それが瞬間的に合一、あるいは清算されていれば、その向こう側の一体化された世界も常に見えてくるような気がします。 私達はいつも外の世界に対極を求めてきました。でも対極が内在化されているとすれば、瞬間清算はいつでも可能です。 そしてその状態で接する外の世界は、もう一つの合一の世界のような気がするのです。合一した者同士の合一です。 今日出会った僧侶は多分グルでしょう(笑)。これで予言はすべて清算されました。 あとは夢と希望のない旅行が始まります(笑)。 夢と希望は強いエネルギーの世界・・。それが無くなったとき、そこは微細な世界・・。 期待は禁物です。明日はこんなに書きません(笑)。 |
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青空の下で(2001/06/25) まずは写真の説明から・・ 一番上はツンカパの弟子が立てたセラ寺です。青空があまりに綺麗だったのでそれを目的に撮りました。私は白系の民族衣装を着て、サングラスをかけてすまして座っていますが、空の青さに圧倒されてどうでも良い存在になっています(笑)。 とは言え、この青空の下でちょっとしたインスピレーションに出会っています。 下の左は、ポタラ宮にあったパンタのごみ箱と一緒に撮りました。パンタがメガネをかけているがわかりますか? 下の真中はホテルの厨房です。何をやっているかと言うとトラさんの高山病が思わしくないので、ショウガを切って煮込んでもらうところです。 右はその完成品です。生姜を煮込んだものに塩を入たものです。私も少し飲ませてもらいましたがかなり苦いです。この方法はトラさんが編み出したものです。 ここに出している写真ですが、品質としては相当荒いはずです。伝送スピードを早くするためにわざと品質を落としているからです。 だってホテルの人が秒針のついた目覚まし時計で計っているのです。 (インターネットなんて繋ぐ人は初めてだったんですって・・) 記事と写真をアップするのに90秒ほどかかるのですが、それでも2000円くらい取られます。こちらで2000円と言えばかなり高いです。私の手編みのバックなんてたったの200円ですから。 でも、私が朝パソコンを持っていくとみんな集まるんです。そして写真が出ると、「あらまぁ・・綺麗」みたいな事をチベット語で言うのです。 さて、ここで少し雑談をしましょう。 チベットとネパールの国境付近には面白い習慣があるのだそうです。一妻多夫制です。 こんなのが日本であったら楽しいでしょうか。女性が「あの人とあの人と、そしてあの人も・・ふふふ」という具合に数人の男を選ぶことができます(笑)。 しかし・・選べないのです(笑)。 何故かと言うと、妻は嫁いだ家の兄弟達を全部夫にしないといけないのです。 つまり、その家の兄弟達に回されるのです(どっかーーん)。 一対一で毎晩変わるのか、乱交パーティーになるのかはわかりませんが・・・。 子供が生まれると全部長男の子供になるのだそうです。しかし、そういう趣味の女性には良いかも知れません。 10人兄弟の家などにに嫁いだ日には体がもたないかも知れませんが・・。 青空の下で得たインスピレーションを書きましょう。私は青空の下ですこし瞑想しました。その時、ふと疑問が湧きました。 この地球上に生育するすべての生命体の運営コストはいかほどでしょうか? もっとぶっちゃけた話をすれば、あなたの生命の運営費はタダですか? それでもこの質問は分かりにくいですね。 つまりこの宇宙に住む生命体は、別の宇宙から何かを買っているでしょうか? 例えば食料とか衣服とか・・ 買っていないですよね。自給自足をしているように見えますよね。 もちろん惑星内での経済はあります。 私たちは食うために一生懸命に働いています。何かを食べそれをエネルギーに変えて働きます。 生命を維持するために大変なコストがかかっています。 それなのに「値段はタダか」・・などと訊かれても困ります。 しかし私達の宇宙は別の宇宙から何かの物資を買ってはいません。 私達はもともとあった物質やエネルギーを使って生活をしています。 この三次元ではエネルギー保存の法則が成り立っていますので、それらは永久になくなりません。 宇宙という倉庫がカラになることはありません。 物質とエネルギーを考えれば、その運営費はタダです。 では生命はどうでしょうか? 同様に宇宙レベルのスケールで考えれば、私たちの生命運営費はタダでしょうか? 車に例えれば、水で走っているようなものでしょうか? 高価なガソリンに相当するものは必要ないのでしょうか? 私は銀河運動装置を使って金魚を蘇生させました。 そのとき使ったエネルギーはもの凄いものがありました。 総計600ワット(数個)のモーターを二時間も回転させたのです。 銀河運動装置は銀河の動きを模型化したものです。その動きは生命を作り出します。 私たちは実際に銀河の上に存在しているからこうして生まれてきたのです。 銀河の動きから生命エネルギーを貰っているのです。 さて、銀河にはモーターのようなものは付いているでしょうか? 付いていません。あれは慣性で回っています。 そういう意味ではコストはゼロです。私の装置とはえらい違いです。 ということは、生命のコストもゼロでしょうか?私はそうは考えません。 ちょうど車が水で走っているようなものです。水では走りません。では・・ 私はチベットの青空の下で突然閃きました。神が車の後を押しているのです。 生命に関する限り、エネルギー保存の法則は成り立っていないと思います。 なぜなら地球の自転や公転にはエネルギーは必要ないのに、その運動から生命の源が降りてきているからです。 「私達は生かされている」・・という表現よりも、「神は私達と共に生きている」・・のです。 生かされているというフレーズには、神が車の後押しをして人間が運転している様子が目に浮かびます。 生かされているから道を誤ってはいけないとか・・。 神と共に生きているというフレーズは、後押しをするのは神と人間で、運転するのも神と人間なのです(表現が宗教的ですがそう思ったのだからしようがありません)。 鉱物は惑星を形成する本体そのものなので、神に例えれば神の肉体そのものです。 私たち生命体は神の精神、または神の心に近いのかも知れません。 今まで生命は物資と同じ自然現象だと思っていました。 アダムとイブがりんごを食べてエデンを追い出されてからは、人間は独立した固体だと思っていました。 しかし車の後押しをし、一緒に運転する存在だったのです。 この視点からすれば、チベット密教ゾクチェンの教え「あるがままでよし」というのは的を得ていると思います。 以下、ゾクチェンの教えの一部です。 あるがままのものを定義できる概念などありはしないのです。 にもかかわらず、顕現は現れ続けるます。すべてよしとして・・。 一切はすでに成熟しているのですから、努力の病を捨て去り、あるがままで完全な境地にとどまることです。 すべてははじまりから、自分はすでに自分が到達したいと思っている場所にいるのだということが、直接明らかになります。 この境地は<あるがままで完璧な>と呼びます。 瞑想すらも必要なくなります。 瞑想で妄想を消す必要もなくなります。 海面が荒れていると海底が見えません。海面が穏やかになるとよく見えます。 妄想が見えるようになったのは海面が穏やかになった証拠です。 何も変える必要はありません。 リラックスすることです。 あるがままで完全な境地とは、リラックスした状態です。 みずからの真実は、あるがままで完璧な境地であるということを、本当に悟ることきができたら、それが成長なのです。 |
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海抜4500メートル(2001/06/26) <生まれ変わりの村> トラさんの生まれた場所は、例の生まれ変わりの村からそう離れてはいません。 まずはトラさんのお母さんの話です。 トラさんが五歳の頃、トラさんのお母さんの身体に別の存在が入りました。それは男性でした。日常生活でもその男性がほとんど出てきていたと言います。 トラさんの一家は面白いことを考えました。 「こういう風になると病気を治したりすることが出来るかも知れない」・・と。 そういう例は多いのだそうです。例えばブラジルのドクターフリッツなどはその最たる例でしょう。 しかし・・全然ダメだったらしいのです。霊に能力が無かったのです(笑)。 お父さんが「もっと修行してから出直しなさい」と言ったかどうか知りませんが、それ以来(それでも2年はお母さんに滞在したのですが)どこかに行ってしまったそうです。 とは言え、お母さんの体だけはどんなに怪我をしても数秒で復帰したそうです。 真っ赤に焼けた火箸でジュ〜とやっても、数秒で普通の皮膚に戻ったそうです。 次はトラさんの近所の話です。 ある人が死んでお葬式が終わった日、トラさんの友達がその家の前を通ると死んだ人がスタコラ歩いて出てきて(もちろん霊です)、「ちょっと遊びに行ってくるから・・」と言ったそうです。 さらに初七日のお墓参りが終わったときです。 一家と親戚は庭でお酒を飲んでバカ話をしていました。 するとその家の娘さんが突然倒れ、すぐに起き上がるとお父さんの声で「おい、楽しそうにやっているじゃないか・・わしにも一杯くれ」と言ったそうです。 コップにお酒を注ぐと「グビグビ・・」と飲み干し、「もっと♪」と言うのです。 そのお父さんは約一年に渡って出てきていたそうです。 そしてある時「また遊びに行ってくる」と言ったきり出て来なくなったそうです。 以上の二件とも肉体と取り付いた霊の性が別です。 この他の事例を調べても、男性に女性の霊が取り憑くと、全く女性の声に変化するそうです。女性に男性が取り付けば男性の声になるそうです。 声帯って何でしょう? トラさんに言わせるとお母さんも近所の人も当時、精神的にあまり強い人ではなかったそうです。 生まれ変わりの村はその周辺も含めて霊的エネルギーが高いので、自分自身のエネルギーが低いと霊に入られてしまうらしいのです。 自分自身のエネルギーが高いと、入られても主導権を自分が取れるそうです。これはトラさんの場合がそうです。 「これはあんたの肉体じゃないからね。貸しているだけだよ。出て行けと言ったらいつでも出て行くんだよ」、と言うと「はい・・」と答えるそうです。 「私には入らないのかしら・・」と訊いたら、「森田さんに入ると質問攻めにされそうで霊も怖いのです」と言われました。 この話を聞いていたチベット語の通訳が言いました。 「そんな面白い村、なぜ世界的に有名にならないのでしょうか・・」 するとトラさんは言いました。「何故でしょうか・・。わかりません・・」とのん気な答えをしながらも、「もしかすると霊的エネルギーのバリアかなんかがあるのかも知れません。縁の無い人は入れないような・・」 こういう幽霊がらみの話はよく聞きますが、いずれも単発的なものが多いです。 しかし生まれ変わりの村の周辺は恒常的に起こっているようです。 またアメリカの科学者などが調査するときは、科学的ということにこだわりすぎてつまらなさを感じます。 この村を突っ込んで調査することはこの世とあの世の解明につながると思います。 チベットも広い意味では生まれ変わりの地域です。ダライラマなどは生まれ変わりの象徴です。 ところでトラさんの高山病ですが、ほとんど快方に向かっています。 しかし面白い現象も起きています。トラさんの天目のところに赤いマークが出てきたのです。 これは生姜湯を飲み、キスシーン(ホッペ)の写真を見た後、邪気よ天目から出て行けという瞑想を行ったのだそうです。 すると何かが出て行ったかと思うと、今度は外からすごい気が入ってきたのだそうです。 その気は中国本土では感じられないほどの強さだということです。 彼は風(ルン)ではないかと言っています。チベット密教では気とは言わずに風(ルン)と言います。 トラさんは高山病というのを利用してステップアップした様子です。 さて話は飛びます。 チベットはかつて海だったそうです。そして今でも1年に数センチ上昇しているそうです。行くのなら早くしないと高山病はもっと大変です。 しかしチベットの人が平地に降りると「低地病」になるそうです。症状は高山病とほぼ同じだそうです。かれらに間違えて酸素を吸わせるともっとひどくなるそうです(笑)。 <魔女> ラサのチベット博物館に行った時、面白いものを見ました。 ラサの地形になぞらえて、豊満熟女が横たわっているのです。それは魔女だそうです(笑)。 ラサの自然環境は厳しくて、災害も多いのです。それは魔女の仕業だということで、寺を建てることにしました。その建て方がおかしいのです。 有名な寺はすべて豊満熟女・・いえ、魔女の大事な所に立っています。 ラサのお寺には女人禁制という部屋があります。 これはどうも女性が怖くてそうしているのかも知れません(笑)。 ところでその絵を見た帰り、車の中でウトウトしました。良い気持ちの夢心地・・♪ しかし豊満熟女、いえ魔女の一番大事な所にズブズブと吸い込まれる夢を見てしまいました。怖かったぁぁ(笑)。 しかし、チベット密教の悟りの秘訣はここにあるのかも知れないと思いました。 先日行ったデプン寺は、まさにアソコに位置しています(笑)。う〜む、深い(何が?) チベット博物館は小型の受信機を貸してくれて、日本語で説明が聞けます。展示物に書いている番号を押すと喋り始めます。 しかしその絵には番号がありませんでした(笑)。 チベット語の通訳が「森田さん、あのね、うふふ・・」と教えてくれたのです。 <海抜4500メートル> さて朝はジープに乗って出発しました。 7時間かけて着いたところはナンカルツェという場所です。 ここはチベット密教カギュ派の始祖マルパやミラレパの故郷です。 ミラレパと言えば、チベット密教をかじった人なら名前は聞いたことがあるかも知れません。 彼は自分の実家がひどい目に遭った仕返しに黒魔術を学び復讐をしますが、その罪の意識に悩まされ、仏の道へと入っていきます。 それが並みの修行ではないのです。ほとんど洞窟とか荒野で瞑想します。 しかし実際に行ってビックリです。下の写真をご覧下さい。私の後ろにあるのは雪です。 もうすぐ7月だというのにこの状態です。空気も薄いです。 持って来た食料品の袋がはちきれんばかりに膨らんでいます(こういう時、人間も膨らんでいるのでしょうか?)。 この写真を撮った地点からしばらく降りたところに海抜4700メートルという標識がありました。 だから4800メートルくらいあるのかも知れません。 標高は高いですが、私はいたって元気です。 澄んだ空気のせいかも知れませんが、頭は研ぎ澄まされたような感じです。 |
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標高4500メートルでの夜(2001/06/27) <旅のメモ> 読み流して下さい(笑)。 チベットにはバター茶というのがあります。普通の家庭ではそれを飲んでいるのです。お茶にバターをタップリと入れたものです。それはそれはコクがあります。 一日に20〜30杯も飲むのだそうです。信じられません。私は一生に一杯で充分です。 嘘か本当か知りませんが・・(トラさんの情報です) チベットの人はほとんど顔を洗わないのだそうです。 一生に三回洗えば良い方だそうです。でもたぶん嘘だと思いますが・・。 旅のメモ・・おしまい <仏教> 私はここにチベット密教関係の本を10冊ほど持ってきていますが、ほとんど読みません。目次だけ目を通しておき、後から見るようにしています。 もしも現地で聞いた情報が「本当の情報」とは違っていても、私は聞いた情報の方を大切にしたいと思っています。 先入観があると、それ以外のものが目に入らなくなる可能性があるからです。私があまり本を読まないのはこのためです。 神坂さんもほとんど本を読みません。だってフナイオープンワールドに出るのに、まだ船井さんのことを知らないのですから・・。 本の情報はやはり、他人の旅なのです。 しかも本に書いてあることは、その多くが別の本の写しだったりします。 先日、ラサの寺で経典を見せてもらいました。それはチベット語で書いてありました。 チベット語は表音文字です。発音記号のようなものです。ですのでインドにあったサンスクリット語(かな?)の経典を書き写すのはさほど大変ではなかったと言うことです。 (これらはトラさんの情報です。トラさんの専門は宗教考古学です。) 中国の昔のお経には幾つかの漢字が列記されていたと言います。 「空」「食う」・・とか(笑)。そのうちだんだん「空」になったのだそうです。 高層が「う〜ん、やはり食うだ」と言ったら「食う」になっていたかも知れません。 仏陀が生きていた頃はお経はありませんでした。 仏陀の弟子にアーナンダという人がいまして、彼が仏陀の言ったことをよく覚えていて、仏陀の死後、それをお経にしたわけです。ですから仏陀が作ったわけではありません。 アーナンダが「あーなんだ、こうなんだ」と言いながら書いたものです。 それが中国に渡り漢字になり、日本に着きます。つまり解釈の歴史が仏教の歴史です。 それは切り口の歴史でもあるのです。 チベットでお経を聞いていた時、指先を動かして拍子を取っている西洋人もいました。 私もその一人でした。りんごちゃんスタイルなら、踊り出すかも知れません。 ということは、仏教と一口に言っても、国によってその内容が全然違うのかも知れません。 それはチベット密教の内部でも同様です。「ゾクチェンの教え」はニンマ派です。 ニンマ派はチベットの土着系と言われています。ツンカパが作ったゲルグ派とはかなり違うと思います。 ゲルク派は理論系と言われています。理論を20年もやらないと実践(瞑想)には移れないと聞きます。 その点、ニンマ派はいきなり瞑想です(笑)。 「あるがままでいいじゃないの」それがニンマ派です。 ただし「どちらか一方」でもないような気がします。 立方体を切った時、正方形にもなれば三角形にもなるようにです。 <夜> 標高4500メートルの夜は少々頭痛を感じました。 その原因は酸素不足だと思いまして、色々策を練りました。 昼間は何でもないのにどうして夜だけこうなるのか・・ それは寝ているから頭が固定されているので、吐いた空気をもう一度吸うのが原因だと思いました。 それでなくても酸素が薄いのに、一度吐いた空気を吸うのではもっと薄いです。 もちろんこんなホテルに酸素枕などありません。それで考えたのがパソコンのファンです。 パソコンを枕元に立ててみました。するとファンが回っているので何となく空気が流通しているように感じます。 でも夜も深まると気温が氷点下になり、さすがにファンも動きません。 そこで最後の手段、ドライヤーを持ち出しました。ドライヤーを送風状態にして自分の顔に向けたのです。 そして朝を迎えたのですが、気分は良好でした。しかし肌がカサカサに乾いてしまいました。 次回はちゃんとクリームを塗ってからにしようと思います。 <聖者ミラレパ探索> 午前中は4700メートルあたりに点在するミラレパのお寺を訪ねました。 しかし、彼の像はどこにもないのです。さすがです。 彼は死ぬとき「私を奉ったものを立ててはならないし、像も残してはならない」と言ったと思います。その通りでした。 しかし彼の瞑想法は口述の形で伝えられているはずでした。 私は僧にしつこく訊きました。そして多くの情報を得ました。 「アイデンティティとは何か、魂とは何か」・・その大きなヒントが隠されていそうです。 その情報に関してはまたいずれアップしたいと思いますが、今日はこの記事の最後に少しだけ書きます。 実際にミラレパが修行したのは5000メートル級の場所だと聞き、私達はチャレンジしました。 しかし中国製のジープでは問題が多すぎるのです(タイヤの空気圧の問題もあり)。 私達が難儀しているのを尻目に、トヨタのランドクルーザーがスイスイと上がっていきました。さすが日本製・・ <魂とは何か> 聖者ミラレパは最後の方は裸だったと聞きます。 アソコを丸出しにしているので女性が布で隠そうとすると「なぜここを出すのがいけないのか」と言ったそうです(見ようによってはルンペンに近いものはありますが・・)。 ミラレパは最後の方は悟っていたと思われます。 自分自身は魂の領域に近づいていたのではないでしょうか・・。 だから性差の象徴である性器を出すことに躊躇が無くなったのかも知れません。 もう一つは彼が空性というものをしきりに説いていたことです。 それに達するための瞑想法があるに違いないと私は踏んでいるのです。 そのヒントを得ることが出来ました。 |
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業(2001/06/27) 私はリアクションが欲しくてここに書き込んでいます。 確固とした自分の考えをアピールし、宣伝をするためではありません。 「不思議の友」を発行しているのもそのためです。 「不思議の友」は、3%ほどの人がリアクションをくれますが、そのためにあれだけの情報を出しています。 最近私は感じます。みんなと離れていることを・・。 去年の今頃、私は導師との旅行で松林の体験をしました。 あれを書き込むのは大変でした。でも一ヶ月もかかってやっと書き込みました。 でもつい最近、私にとっての大きな出来事・・女装でのフォーカス35の旅はリアルタイムには書き込めませんでした。 私は現実の世界で女装をしている時はとても楽しいのですが、ここにいざ書き込むとなると、とてつもない寂しさを感じる時があるのです。 あの時はその寂しさを突破できませんでした。 チベットでの「青空の下の気づき」を書き込んだ瞬間も、とても寂しさを感じました。 「宇宙から見て私たちの生命はタダか?」 現実の世界を生きている人が、そんなことはどうでもよいでしょう? 次第に現実から離れていく私・・。 ここを見るだけの人・・「不思議の友」を送っても無反応の97%の人達・・ 怖いのです。そして寂しいのです。 チベットのホテルの部屋で軽快にキーを打ちます。そこまでは「軽い」んです。 でも、ドアに行くまでが「重い」んです。 『「不思議の友」6』の「はじめに」に書いたことが今、現実の私に起こっています。ステップ・バイ・ステップの話・・ 女装のフォーカス35の書き込みは、とうとう投稿ボタンを押せませんでした。 でもこの怖さが・・この寂しさが・・私の原動力になっていることは分かっているのです。 それが大きくなっていることは、私のエネルギーが上がっているのだと勝手に解釈しています。 ミラレパの瞑想法・・これを書くと、またまた現実から離れていきそうです。 でも、これは私の「業(ごう)」ではないかと思います。 業とはカルマです。しかし一般的に言うところの業ではありません。 チベットに来て知ったのですが、業とは個人のものではないのです。全体の業なのです。 高僧の生まれ変わりとされれば、その人は僧侶になり一般の生活が出来ません。 その方が幸せだと言う人もいれば、不幸せだと言う人もいます。 しかし・・業なのです。 全体の流れ(時空)の中で彼は生まれ変わりに抜擢されたのです。 チベットは15世紀からダライラマが政権を取っています。宗教・政治に渡りすべて治めてきました。 この長さは徳川政権を上回ります。世界一ではないでしょうか・・。 その長い間には飢饉も災害もありました。しかし民衆が氾濫のようなものを起こしたのは一度も無いと聞きます。 これはすべて彼らが業として受け入れるからです。自分自身の業ではなく、時空の業なのです。 この旅の最初に「夢を無くせばすべて叶う」と書きました。これに似ています。 夢を無くすことによって時空にパイを預けるのです。 私も今、これしか選択の余地は無いのです。そういう意味で業なのです。 しかしこの書き込みは自分が変わるための踏み台にしたいという意図もあります。 いえ、みなさんが踏み台かも知れません。いえ、みなさんにとっては私が踏み台かも知れません。 輪廻は死んでからあるのではありません。生きているうちにもあります。 |
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