肉体は衣服か(2001/07/05) ミラレパの第二の聖地の場所に行く許可を当局に申請しました。ネパール国境です。 政府と軍の両方の許可が必要なのですが、許可が下りる確率は50%だそうです。
前回の書き込みまでで、肉体は衣服だという考え方が何度か出てきました。 みなさんの中には「そうだ!!」という風に考える人もたくさん出たのではないでしょうか・・ 私は女装の時からその考え方だったので、ここチベットに来てからは確認しただけでした。 しかしです・・これから書き込む内容は、まさに「踏絵」です。肉体が衣服か・・本当にそうだと思えるのか・・かなりショッキングな書き込みになるかも知れません。 では、いきます。 車で走っていると通訳が小高い丘を指差して「あれが鳥葬の丘です」と言いました。以下、その説明です。 チベット人は死ぬとその体を鳥に食べさせるのだそうです。チベットに住む人の大半はチベット密教を信仰しています。 チベット密教では肉体は衣服だとしています。肉体と魂は全く別物なのです。だから鳥葬が何の抵抗もなく出来るのです。 魂が抜けた肉体は服と同じだから、もしもそれを食べてくれる生き物がいたら、それに供した方が良い・・という考え方です。 まるで物なのです。物をリサイクルに出すのと同じです。 みなさん、ここまで読んで、何の抵抗も無かったでしょうか?私はありました。 まず、「あれが鳥葬の丘です」と言われて、私はカメラを向けることが出来ませんでした。 さらに心の中で念仏を唱えました。 ここまでで、既に私は死体を物として捉えてはいないのです。 さらに私の家族、知人・・そんな人が鳥に食べられると思っただけで身の毛がよだつ思いがしました。 そんな葬式をするとすれば、みんなが帰った後、一人で丘に登り、鳥達を追っ払い、少なくとも死体を土葬にすると思います。しかし、土葬はなんと一番ランクが低いのです。 超高僧はミイラのように保管されます。これが第一ランクです。 しかしこれにあずかれるのは最低でも活仏である必要があり、その中でも優れた業績がなければなりません。 ですのでラマ層を含め、大抵の市民は鳥葬となります。これはとても栄誉のあることなのです。 鳥が食べなければ、「あの人は今生の行いが良くなかったから、鳥すらも食べないんだ」と思われます。 第三ランクが水葬です。これは身寄りの無い人などが対象です。 最後のランクが土葬です。これは病気の人が対象です。鳥が食べて病気になってはいけないからです。 鳥に食べさせるのが嫌で土葬にしたとすれば「お前は故人に対してなんて事をするんだ」と言われるでしょう。 しかしあなたの家族が鳥に食べられるのを、あなたは何でもありませんか?死体を鳥葬の丘に放置し、そのまま帰ることが出来ますか? 肉体は単なる衣服に過ぎない・・私達は本当にこう思っているでしょうか・・