テーマ:「チベット紀行(4)」
要旨:
ラサに帰ってくるときに訪れた尼寺では、みんなが賑やかで楽しそうな雰囲気でした。そこには男性の寺にはない明るさと快活さに満ちていました。
彼女は修行のためというよりは家を出たくて僧になったと言い、仏像の名前を半分しか知らなかったりしました。
しかし、悟りを得ようと修行に必死な男性僧達よりも、私はむしろ彼女達の方に空を感じたのでした。
男性僧からは涅槃を目指している感じがしますが、尼僧からは今を楽しく生きている感じがします。
男性僧と尼僧の違いは、肉体以上の価値を得るために修行や成長をしようとすることが本当に正しいことなのか、という問題提起を私達に投げかけます。
私は目的を持たない時間が好きです。チベットでの旅も、目的地などはどうでも良くなりました。期待感なども持っていません。
しかし思いもかけず精霊と遭遇し、虹のトンネルをくぐり抜ける体験をしました。
人生は無駄だと考えた方が良いのではないかと思います。神は何らかの目的のために宇宙を作ったというよりも、無駄な時間を費やすために宇宙を作ったと考えた方が、空の概念に合致していそうです。
私は女装した時に「魂に性差はない」という気付きを得ましたが、今回のチベット紀行ではアイデンティティという概念そのものが吹き飛びました。
もう一つ得たインスピレーションは、「全体の業」というものでした。
私はこれから、運命は決まっているのかどうかという実験を始めるつもりです。
目次
○ラサに帰って(2001/07/14)
○尼寺(2001/07/14)
○北京に向かう機内にて(2001/07/16)
○日本に向かう飛行機の中で(2001/07/16)
○簡単な旅の感想(2001/07/16)
○空と全体の業(2001/07/17)
○風(ルン)の渦巻き(2001/07/17)
○ランクルの危機(2001/07/18)
○風(ルン)に任せて(2001/07/23)
○虹のトンネル(2001/07/23)
○神と人間の視点の違い(2001/07/26)
○境界は無い(2001/07/29)
ラサに帰って(2001/07/14)

 ラサに帰ってきました。
 途中の食堂のテレビで、チベットは今日から本格的に雨季に入るというニュースをやっていました。チベットの梅雨入り宣言です。
 梅雨は9月まで続くみたいです。そのためでしょうか、さっそく雨が降って・・・
 と言いたいのですが、海抜5000メートルでは小さな氷の粒でした。
 運転手に言わせるとチベットでは雪は降らないそうです。
 小学校の教科書に出てくる雪の結晶の下に「これは別の国の現象です」と書かれているそうです。
 意識のない風(ルン)・・意識がないと水も結晶しないのでしょうか・・(笑)。
 さて私達の車はほとんど霧の中を走って帰ってきました。
 通訳は「森田さんの来たこの季節が一番良いかも知れないですね・・」と言いました。
 運転手は言いました。「ロンボク寺(5000メートルの寺)にはもう行けないだろうな・・」
 チベットに行きたいと思う人は、日本でいうところの初夏か秋口が良いそうです。
 ラサのホテルですが私が泊まっているのは香巴拉酒店(SHANBALA HOTEL TEL0891−6323888)と言います。ここはお勧めです。
 ガイドブック「地球の歩き方」には出ていないホテルです。
 ちゃんとお湯のシャワーも使えて、24時間電気もあります。
 私が帰国するのは7月16日ですが、7月17日からチベット解放50周年式典というのが各地であります。
 今日もラサに帰ってくるとき公安の車に沢山出くわしました。
 17日から一ヶ月間、チベット族以外の人が開放地域以外を旅行するのは不可能となるそうです。
 もちろん私はこの事は事前に知っていたのですが、これから旅行する人は中国政府のイベントがあるかないかを調べる必要がありそうです。
 そのときは私のような旅は出来なくなります。

 ホテルに帰ってきて体重を計ったら53キロに落ちていました。
 女装をしたとき確か56キロにだったと思いますので、この旅では3キロ痩せました。
 でもデジカメの写真を見ると顔は女性的に丸いですね(笑)。
 実を言うと今、体はガタガタなんです(笑)。
 あと一日ランドクルーザーの旅が続いたら、からだのネジが全部外れたと思います(笑)。
 筋肉も痛いです。これは脱出不能になった車を一生懸命に押したのが原因だと思います。
 でもそういう状態の時、真っ先に飛び出していくのが通訳の女性なのです。
 デジカメですが、新しく買ってきたソニーのDSC−P1は壊れました。
 これはレンズフードが自動的に開くタイプなのですが、そこに砂が入ったりしてうまく開かなくなったのです。なのに指を突っ込んで無理やり開いていたら、とうとう全く開かなくなりました。
 無理やり指を突っ込んで開いてはいけません・・何事も・・(笑)。
 おまけにこの機種は充電でしか使えません。電気のない地域では充電できないのです。
 もう一台持ってきたニコンCOOLPIX990はレンズフードも手動だし、電池も単三が使えるので助かりました。
 ラサに帰ってきて、なんて空気が濃いんだろうと思いました。飛行場で眩暈を感じたことなど嘘のようです。

 ところでトラさんはあれから自分でコイン占いをしました。すると7月1日から完全に治ると出たのです。その通り、7月1日から何でもなくなりました。
 トラさんのエネルギーを見る能力ですが、彼は生命体から出るのしか見えないみたいです。でも生命体に関しては私よりもすごいです。
 以前中国ツアーの時、孫さんのヒーリングの通訳として入りましたが、その時は孫さんの手から虹色のエネルギーが出ているのが見えたのだそうです。
 すべての色が入っている虹色が出ているのを見たのは初めてだそうです。
 大抵の超能力者は出たとしても(出るときのほうが少ないとトラさんは言っていますが)ある色だけに偏っているのだそうです。
 私にはそのような色が見えません。

尼寺(2001/07/14)

 ラサに帰ってくるとき二つの尼寺に行きました。一つは山の頂上でした。ランドクルーザーでも上がれず、私達は歩き始めました。そこにトラクターが上がってきました。
「途中まで乗せていってあげる」と言われました。しかし後部座席は鉄製のリアカーです。
 私は岩陰に行き、生理用ナブキンをお尻に付けました。
 しばらく走りましたが坂が急になりトラクターも上がりません。そこで私達はトラクターのあとを押し始めました。一体何のためにこんなことをしているの・・(笑)。
 結局そこからまた歩いて登り始めました。その斜度は30度から45度・・
 ほとんど垂直に見えます。どうしてあんな所に尼寺を作ったのでしょう・・
 一時間かかってやっと登りました。肺活量の多い私は一番先に頂上に着き、休んでいました。
 すると尼僧たちが集まってきて私を取り囲み、ガヤガヤ言っています。私の顔に触ってくる人もいます。
 カメラを取り出すと「きゃ〜、恥ずかしい・・」とか言って逃げます(笑)。
 カメラをしまうと、また集まってきます。そして触りまくります(笑)。
 トラさんと通訳が登ってきたのはそれから30分も後でした。

 頂上にある尼寺の庭では10人くらいの尼僧が食事の準備をしていました。
 大きな釜を置き、その下に薪をくべるのです。
 みんなキャーキャー言いながら楽しそうにやっていました。
 そのなかから中国語が喋れる人を探しました(トラさんが直接理解できるためです)。
 三人いました。三人とも20歳前後でした。彼女達の話は次のようなものでした。
 彼女達が尼寺に来た(出家した)のは14歳前後だそうです。
 出家したのは自分から望んだそうです。
 ここにきて良かったのはちゃんとしたものが食べられるようになったことだそうです(経済的理由)。
 次は友達がいっぱいできたことだそうです(人間的理由)。
 彼女達は私が質問をするたびに協議し、抱き合ったりしてはキャーキャー言って盛り上がるのです(笑)。
 二丁目のレズの店を思い出します(どっちがどっちに不謹慎(笑))。
 その尼寺には240人もの尼僧がいます。そんなにいれば同じ年齢の人達も多いのです。
 異性と結婚して家庭を持つか、それともこういう所で同性同士で生きていくか、どちらが幸せかは誰にも判りません。
 帰る時、20代の尼僧10人くらいにキャーキャー言われながら見送られました。
 男性の寺ではこういう騒ぎはありません。
 次に行った尼寺は平地にありました。そこには120人の尼僧がいました。
 私達を案内してくれた尼僧の、まずは写真をご覧下さい。中央の女性が尼僧です。
 その向かって左は彼女の妹さんで、まだ僧ではありません。でも僧になる予定です。
 妹さんが手に持っているのは私が上げた四色ボールペンです。
 この写真、何かとても明るく快活としたものを感じませんか?



 ちょっと話は外れます。
 私達が5000メートルの寺、ロンボク寺に向かって川を上っていた時です。
 向こうから大型トラックが来ました。浅瀬の上でトラックは止まりました。私達も止まりました。
 そしてトラックの窓が開き、そこから顔を出したのは可愛い、そして快活なチベット族の女性だったのです。歳は二十歳前後だと思います。
 彼女は言いました。「どこまで行くんだい?」
 こちらのタフガイ運転手が答えます。「ロンボク寺だよ。」
 彼女が言います。「ああ、だろうと思ってね・・。そこに行くなら早く川の向こう側に行ったほうがいいよ。先に行くと水かさが増えて渡れなくなってしまうのさ・・」
「ありがとう」「じゃあね・・」
 こういう会話があったのですが、そのときトラックの運転台から顔を出したのがこの写真の真中の尼僧に似ています。
 ラサを離れると、こういう女性が大変に多くなります。
 この写真の姉妹も実に楽しそうに寺内を案内してくれました。姉妹はいつも手を繋いでいました。
 6000メートルで出会った精霊(もう精霊としておきましょう)は、快活と明朗をエネルギー体にしたような感じなのです。
 明るさと快活さがキラキラとオーラを放っているようでした。
 特に私はその二人の精霊のうち、お姉さんの方に恋をしてしまったような感じです(笑)。瞼の裏にまだチラチラ出てきます。

 さて、写真に出ている姉妹とはたくさん話しました。と言うのは、英語が出来るのです。
 既に尼僧になったお姉さんの方ですが、なぜ僧になったかと言うと、彼女は家を出たかったというのが本当の理由みたいです。
 両親がいつも喧嘩をしていて家の雰囲気は悪く、しかもお父さんはあまり働かず食べていくのがやっとの状態だったそうです。
「こんなことを言っていいのか分かりませんが・・」と前置きして言いました。
 尼寺にきてお経を上げるだけで食べていけるなんて、こんなに幸せなところはないと思ったそうです。
 この尼寺は一ヶ月の間に12日間だけ皆と一緒にお経をあげれば良いそうです。あとはどこで上げていても良いのです。
 そう言えば、お経を上げる修練室(のような所)には座布団が40個分(全員は120人)しかありませんでした。
 お経を一緒に上げる日数さえクリアーすれば、あとは何をしていても良いのです。外出ももちろん自由です。
 それでいて食べていけるお金がもらえます。その一部を家にも送っていると言っていました。
 次に良かったと言う点は、やはり人間関係だそうです。
 女性同士でもこんなに良い関係が出来るとは思ってもいなかったそうです。
(もしかすると給与が一定だから嫉妬も起こらず、しかも男性問題が無いというのも原因かも知れないと思いました。)

 文殊菩薩が編み出した真言の中で「頭の良くなる真言」というのがあるらしいのですが、彼女は毎日その真言を上げているそうです。
 それは「オン アラバザナ ディーディーディーディー」を繰り返すのだそうです。
 そしてそのあと英語の勉強をするのです。
 妹さんは今夏休みなので、お姉さんのところに泊まりに来ているのです。
 妹さんも英語の勉強をしています。実は妹さんの方が英語は上手いです(笑)。
 彼女はお姉さんが大好きだと言っていました。
 そして来年は出家してお姉さんと一緒に住むのだそうです。
 お姉さんは20歳、妹さんは13歳です。
 尼僧達の部屋を見せてもらいました。6畳一間でした。
 でもこじんまりとした中にも、私の目から見ると女らしさを感じるのです。
 窓には綺麗な花が植えてありました。壁には綺麗な風景の写真が飾ってありました。
 次にお寺の中を案内してもらいました。お寺の中にはたくさんの仏像があります。
 彼女にはその半分しか名前を言えませんでした。
「ごめなんさい、私は仏教の世界のことをまだあまり知らないんです」と言いました。
 でも、悟りを得ようとしてしゃにむにお経を上げ瞑想する僧に、「空」はあるのでしょうかという疑問もあります。
 空が肉体に関係しているとすれば、瞑想に生きることは果たして空に生きることでしょうか?
 空に生きるということは仏陀の像の様に何事にも動じず、じっと座っていることでしょうか?
 仏像の名を半分しか知らない彼女は、チベット密教の仏の世界から外れているでしょうか?

 同様なことは私達にも言えます。
 何かを目指して精神世界に生きることは・・言い換えれば肉体以外の何かの価値に向かって成長しようとすることは、本当に正しいのでしょうか?
 怒りもせず、悔やみもせず生きようとすることは、本当に神の意図でしょうか?
 6000メートルで出会った精霊が、観音様のように静かな面持ちだったら、私も恋をするまでに(笑)至っていないでしょう。
 私がチベットで出会ったもの・・最初は風(ルン)の銀河の渦でした。
 次は風(ルン)の竜巻でした。次は生命そのもののオーラを放つ精霊でした。
 主役はこの三次元だと思います。
 尼層達はこの現世を生きるために出家しています。あの世のためではありません。
 三年も英語を習いながら、今まで誰も英語を喋る人が来ませんでした。
 私はその最初の人だそうです。
 デジカメで撮った写真を見せると、是非送って欲しいと言われました。
 尼層はサラサラと英語で住所を書きました。
 英語が役に立った最初の出来事として壁に写真を貼っておきたいと言うのです。
 北京で自動書記の女性に「あなたはグルに会うでしょう」と言われていました。
 今回の旅で誰がグルだったかと言うと・・この尼僧の様に三次元を快活に生きる人達ではないかと思います。

 聖者ミラレパも決して秘境ではありませんでした(日本に帰ってから画像を出します)
 彼はチベット族の持つ生命力と離れた位置で修行をしていたわけではありませんでした。
 男性の寺と尼寺の違い・・
 それは『「不思議の友」6』にも書いた、映画『ザ・キッズ』に関係していると思います。
 男性の寺で感じたものはやはり『ザ・キッズ』なのです。
 いつか涅槃に至ろうとして修行をしているものを感じさせるのです。
 反対に尼寺は映画『恋はデジャブ』なのです。ループなのです。
 いつか涅槃で楽しく生きるのではなく、今楽しく生きているものを感じるのです。
 歴史に名を残すのは男性のグルでした。でも私にはそこに「目指したもの」を感じさせるのです。
 私はりんごという女性性を経験しなかったら、これほど尼寺に惹かれたでしょうか・・。
 もっと男性の寺を訪問し、グルになるべき人を探したような気がします。立派なことを言う人を探して・・です。
 ループの中を生きる尼僧達・・
 それはグルと呼ぶにはふさわしくないと思います。彼女たちも嫌がるでしょう。
 ですのでグルではなくお姉さまと呼びたいと思います(笑)。もちろんりんごもお姉さまですが・・(笑)。

 もう一つのグルは自然そのものだったのではないでしょうか・・。
 写真はすべての情報を持つと言ったのは孫さんですが、このチベットの画像を送ることは見ている側にも風(ルン)の回転を引き起こしたのではないでしょうか。
 導師と行ったあの松林で、マスターも導師も指を立てる動作をしました。あのポーズは風(ルン)を集めているのだと思います。
 そしてエネルギーの渦の中に消えたマスター・・さらに風(ルン)の竜巻の中に消えた精霊・・何か関係があるような気がします。
 チベット密教と道教・・切り口は違っても行き着く先は同じなのかも知れません。
 そして三次元で生きる私達に、ゾクチェンの教えは「あるがまま」でいいのよと告げます。
 明日は北京に帰ります。チベットからの書き込みはこれで最後になります。

北京に向かう機内にて(2001/07/16)

 北京行きの飛行機は5人しかお客がいないので飛びませんでした(笑)。
 私達は四川省の成都まで行き、そこで乗り換えて北京に着きました。
 で、今着きました(笑)。でも楽しかったです。
 私が推薦したホテルですが、旧市街にありジョウガン寺にも近くて大変便利です。
 泊まるときには「ジョウガン寺側(中庭側)の一番最上階(4階)にして下さい」と頼んだ方が良いです。
 そこに空き部屋が無いと言われれば、空いたら移動させてくださいと頼んでください。うまくすればジョウガン時上空の風(ルン)が見えるかも知れませんから。
 ホテルの近くの外国人向けレストランには昨日行きました。それも間違って入ったのです(笑)。外人ばかりでした。
 いつもトラさんと安い現地の食堂で食べていたのですが、きょうは最後だから高くてもちゃんとしたチベット料理を食べようといって入ったのがその店です。
 でもその店にはチベット料理は無いのです(笑)。
 だからコックさんまで呼んできてチベット料理を作るように頼みました。
 ところがコックさんはチベット料理の作り方を知らないのです。「そんな料理、あるの?」なんて訊かれました。
 そしてコックさんが「ネパール料理なら作れる」と言うので、「隣の国だし、まあいいか・・」なんて言いながらOKしました。
 場違いなキャンドルなんかをはさみながらトラさんと最後の夜を楽しみました。
 ネパール料理も美味しかったです。

 私はコーヒーが好きです。あまりに好きだから一日に一回か二回しか飲みません。
 それを飲む時、とても幸せです。
 チベットにも日本からフィルタータイプのコーヒーを持ってきています。
 それを飲むときに気が付いたのですが・・ただ、漂っているのです。
 昔、バイク事故で入院している時もそうでした。
 看護婦さんに内緒でコーヒーを飲んでいる時は、ただ、漂っていました。
 私は考え事をしたり、インスピレーションを得ることが大好きです。
 それは目的を持たない時間です。漂っている時間です。



 これはランドクルーザーで旅をしているところです。後ろに見えるのは雪原です。
 通訳は助手席に乗っているので、一番怖い思いをしていると思います。
 彼女は飛び上がった時なぜか斜めに着地をする癖があるようです。でもわざわざシートベルトをしないのは、それが快感だからでしょう・・。
 洋服に関して彼女はTPOを利かせていました。
 山岳部だと写真のようにセーターにジャケットですが、平地に入ると一気にTシャツになります。
 あまりにテキパキ脱ぐので、Tシャツまで脱いでしまわないかとお姉さまは心配でした。
 トラさんは相変わらず呑気ポーズです。
 さて、このランドクルーザーは運転手の車ではありません。
 車を沢山所有している資本家がいて、それを運転手に貸しているのです。
 ですのでどんなに壊れても修理費は資本家持ちです。
 その修理費も平均化してレンタル料に入っていますので、ある意味、壊さないと元が取れません(笑)。
 だから運転手はかなりノリノリで運転できるのです。
 この写真はミラレパの第三の聖地に向かっているところです。
 ですが、走り始めると目的地などどうでも良くなるのです(笑)。
 この写真の標高は5600メートルくらいですが、30分後には6000メートルに達して、精霊と遭遇します。その後は虹のトンネルをくぐり・・。
 朝は6時に出発しているので結構眠いのですが、それどころではないのです(笑)。
 期待感なしで起きています。風(ルン)に期待感を入れると「気」に変わります。

 さて、虹のトンネルをくぐった先はミラレパの聖地でした。
 でも一分前までそんなことはどうでも良かったのです。
 移動するだけの日もあります。つまり目的地まで行き着けないので途中で一泊するという日です。
 その朝、通訳が言います。「森田さん、今日一日は無駄になってしまうかも知れないですね・・」もちろん私に気を遣って言ってくれている言葉です。
 しかしよく考えるとこれは人生そのものだと思います。やりたい事を全部やり遂げて死んでいく人はほとんどいないでしょう。みんな途中で死ぬのです。
 漂っている時間、最後にインスピレーションが湧かなければ無駄な時間です。
 人生は必要必然などと言いますが、無駄だと考えた方が良いのではないでしょうか・・。
 神は無駄な時間を浪費するために宇宙を作った・・こう考えてはどうでしょうか?
 これは空の概念にかなり合致すると思います。
 ループした人生には目的なんて持ちようが無いかも知れません。しかし宇宙は本当は・・ループしていると思います。
 こう考えると少し虚無的になりました。でもそれをぶち壊してくれたのが精霊なのです。
 実を言うと、あれは精霊でも生身の人間でも良いのです。
 彼女達の放つオーラが生命というインスピレーションをくれました。
 目的というものを考えてみると・・・
 神が時間的未来に対して何らかの目的をもってこの宇宙を作ったとしたら、初めからそれを作ったと思いませんか?
 そうではないという考え方が空の概念であり、ゾクチェンの「はじめから在りし」の概念だと思うのです。

日本に向かう飛行機の中で(2001/07/16)

 昨日の出来事です。ラサ空港に着くとまず荷物の検査がありました。X線の検査です。
 そこの係員から「北京行きはお客が少ないから中止かも知れませんよ」と言われました。
 チェックインのカウンターに行くとそこの係員はまだ知りません。
 でもテキパキと確認をしてくれて「ああ、乗客が少ないのでキャンセルになりました」と言い、四川省の成都経由の手続きをすぐにしてくれました。
 さらにカウンターのお姉さんは言いました。
「でも成都でできるだけ早く北京行きの手続きをして下さい。ここからではオンラインで予約できません。その便はオーバーブッキングの可能性もありますので・・」
 私達は頷きました。係員は言いました。
「北京に行く人は全員で五人のはずです。あと一人いません。アメリカ人の女性です」
 他の四人は揃っていました。私とトラさん、あとは中国人の生物学の教授、それと中国人の若い女性です。
 英語が喋れるのは私しかしませんでしたので、私がアメリカ人を探す役を引き受けました。
 待合室を歩き回ると30歳前後の西洋人の女性がいました。私は声を掛けました。
「あの〜、もしかして北京に行くのではないですか?」
「はい、そうですが・・」
「これこれしかじかの理由で私達の便はキャンセルになりました。あそこのカウンターで成都経由の手続きをして下さい。」
「えーーーーーー!!! 冗談じゃないわ。不運だわ。私はきょう北京でママと会うのです。あななたちはそれでいいんですか?私が文句を言ってきます。」
「そんなことをしても無駄です。もう飛ばないんです。成都経由で行けるんだからいいじゃないですか・・」
「あなたはどうしてそんなに楽しそうに言うのですか?」
「だって私は成都には一度も行ったことがないから・・」
「冗談じゃないわ。人が不運と言っているのに・・」
 彼女はカウンターに行きました。カウンターの女性はそのアメリカ人に言います。
「成都経由の手続きをしますのでチケットをお願いします」「・・・・」
「チケットをお願いします」「・・・・」
 ここでカウンターの女性はトラさんに中国語で言いました。「この女性にどう説明したのですか?」
 私は日本語で「どうも私が楽しそうに言ったのがいけないみたいです(笑)。」と言い、それをトラさんが中国語で伝えました。
 アメリカ人の女性はその時チケットをカウンターに叩き付けました。
「クレイジー!!」と言ってです(どひゃ〜恐い)。
 それでもカウンターの女性は怒らずにテキパキと手続きをしました。私達はその場を離れました。
 後ろで「えーー、オーバーブッキングですって!!。冗談を言わないで下さい。ちゃんとやって下さい。あななたちが全部悪いのですよ!!」と言っているのが聞こえました。

 飛行機に乗るための待合室にいると彼女も後から来ました。まださっきの件をブツブツ言っています。
 それが済んだところで私は旅行の話に切り替えました。彼女はチベットのお寺に感動したと何度も言いました。
 しかし話題はまた飛行機の件になりました。
「成都から北京まで何時間?」
「たぶん二時間でしょう・・」
「まったくもう・・・今日は不運だわ・・」
 しばらくすると飛行機へのバスに乗るために待合室のドアが開きました。
 みんなワッとそこに集まりました(とは言えみんな歩いてです)。
 それを見て彼女は「オーマイ・ゴッド・・」と言って手を広げました。
 私はここでチョッカイを出したくなりました。だって彼女がチベットの寺に感動したなどと言ったからです(笑)。
 私は「なぜオーマイ・ゴッドなのですか?」と訊きました。
「チャイニーズは並ぶということを知りません。」
「でもあなたが中国に生まれれば同じように行動するでしょう。」
「しませんよ。」
「環境が変わればあなたも変わります。魂は環境で変わります。環境も一つの服です(ここまで言ってしまいました(笑))。」
「いいえ、魂が学習するんです。」
「だとすると中国には学習していない魂が集まっていることになりませんか?」
「だってそうでしょ?」
 ここで飛行機に乗って、私達はバラバラなりました。

 さて飛行機は成都に着きました。
 荷物が出てくると、私のスーツケースはなぜか水でビッショリでした。見ると全員のがビッショリです。
 そこに例の女性が来ました。「あーー、私のスーツケースがビッショリだわ。なんてきょうは不運なんでしょう。文句を言ってくるわ。」
 トラさんが小声で言いました。「出てきただけましですよ・・濡れたっていいですよね・・」
 私は彼女に言いました。「出てきただけましでしょ?」
 そのとき彼女はものすごく怒って言いました。「私はこういうのは大嫌いなの!!」
 私は言いました。「でもねえ、北京行きの飛行機の手続きを先にした方がいいですよ。オーバーブッキングをしている可能性がありますから・・」
「こういうのを放っておくから、いつまでもコミュニズムから抜け出せないんです!!!」
 彼女はスーツケースを持って文句を言いに行きました。
 私達は北京行きの手続き終わり、待合室にいました。でもいくら待っても彼女は来ません。
 生物学の教授が言いました。「まずいなあ、彼女、乗れなくなるぞ。ちょっと探してくる」
 すると若い女性が言いました。「彼女の好きにさせればいいじゃない・・」
 しばらくして教授が戻りました。「いない・・」
 教授がカウンターで問い合わせると、便は既に満席になったとのことでした。それは北京行きの最終便でした。
 しかし出発直前に彼女は現れました。私の方に来ると「アンラッキー・・」とだけ言って登場口に消えました。
 教授は呟きました。「彼女、間に合ったんだ・・ラッキーだった。」
 この教授、待っている間、私達に飲物をおごってくれたりして親切だったのです。

 さて何年か前のことです。
 アメリカ人の写真家がチベットにある中国公安局管轄の刑務所を撮影しました。
 酷い状況を撮影したのです。
 その写真は有名になりました(確かピューリッツァー賞まで取ったと聞きます)。
 それで中国政府が怒りました。
 その結果、チベットにおける外国人の旅行が極端に制限されました。特にアメリカ人に対してです。
 しかし日本人もその余波を食らっています。いちいち許可を取らないと行けないからです。
 その刑務所の写真を見てチベットの人は言ったそうです。「彼らは食べてけるだけで幸せだよなあ」・・と(これは尼寺の若い僧達の言ったことを思い出させます。)
 正義とエゴは裏腹かも知れません。
 アメリカ人の女性は体制を直そうと思って文句を言いに行ったのでしょうか・・
 写真家は正義のために撮ったのでしょうか・・。
 状況を受け入れて楽しく過ごしてしまった私達四人は、受身的すぎるでしょうか・・。

簡単な旅の感想(2001/07/16)

  
 下の写真は成都に行く時、飛行機の上から撮ったチベットの山々です。



 今回のチベット紀行ほど無計画なものはありませんでした。
 通訳や運転手さえも行ったことのない地域でした。
 チベットを個人で旅行するのは大変です。
 観光地域以外のところに行くには当局に申請し、許可を取らねばなりません(上に書いた理由から)。
 私はラサを離れたその日にミラレパの故郷まで行ってしまいました。
 それは偶然だったのです。ある場所に行くための途中経路として通っただけでした。
 しかしその時点で後半の予定をミラレパに絞ってしまいました。
 しかし日本から持ってきたミラレパ関連の資料とチベットにある資料が違うのです(場所がです)。
 その日から通訳の本格的な活躍が始まりました。
 幾つかの文献を調べ、さらに知り合いにも色々と電話して、ミラレパが修行した正確な場所を調べてくれました。そしてそれを当局に申請して許可を得たのです。
 タフガイ運転手もそのニックネームの通り、頼り甲斐がありました。
 毎日14時間にも渡って悪路を運転し続けました。
 しかし、途中でも行き先がどんどん変わりました(笑)。
 通訳は日本語が出来るので、いつも日本人を相手にしているそうです。
 通常は10人〜20人の団体客のお世話をするそうです。
 そこではいつもキッチリとしたスケジュールを遂行するために気を使うそうです。
 ラサ空港でお別れするとき通訳は言いました。
「こんなに楽しかったのは初めてです。どんどんスケジュールが変わるのも最高ですね。特に標高6000メートルはすごかったです。」

 思うのですが・・バースビジョンって、本当にあるのでしょうか?つまり生まれる前の決め事です。
 今回の人生は男に生まれ・・あれをして・・これをして・・
 そうそう、前世はこれを失敗したからそれはしないようにしよう・・とか・・・
 精神世界ではよく言います。「バースビジョンを思い出しなさい」・・と。
 今回のチベットは私とってどんな分岐点になるのでしょうか・・そんなことはたぶん永遠に分かりません。
 女装した時点では「魂には性差は無い」でした。チベットでは「魂は無色透明」でした。
 これは性差どころの話ではありません。アイデンティティそのものが吹っ飛んでしまったのですから・・。
 もう一つ、このチベットで出た言葉がありました。「全体の業」です。
 このインスピレーションはまだほんの小さな芽にすぎません。
「空」についてはハワイで書くと言いましたが、期待は風(ルン)を気に変えます。
 どんどん変更する人生・・楽しいではないですか。
「空」とは変化に乗ることだと高僧も言っていました(ここでいう変化とは、全体の業です)。
 もうすぐ成田です。
 チベット紀行の一ヶ月は、男性性の良さを発見した期間だと言えます。
 今まで嫌いだった男性性は、かなり肯定できるものだと気が付きました。

空と全体の業(2001/07/17)

 空の状態になると、運命は決まっているのかいないのか・・という問いかけをクリアー出来てしまうと思うのです。
 だって身体の変わりに時間が来ただけですから・・
 身体や環境が私達を規定しているように、時間に規定されただけですから・・。
 そこに本当の自由を見出せるかどうかだと思うのです。
 私はこれから「運命は決まっているのではないか」という実験を始めたいと思っています。
 私の場合、体験したことを生き方に活かそうという気はあまりないのです。
 精神世界の解明に使おうという気はありますが・・。
 私は自分の身体はテスターなのです。ですから実験的に空を体験してみたいだけです。

風(ルン)の渦巻き(2001/07/17)



 チベット紀行を少しずつ続けたいと思います。
 この写真はミラレパの聖地の一つです。大きな風(ルン)の渦巻きが見られました。
 この写真をよく見ると、霧も少し渦巻状になっているのが確認できますか?
 朝日が昇る瞬間だったので、ちょうど霧が見えやすい状態になってくれました。
 地面に散乱している白い布は、私がチベットに着いた日に頂いたものです。
祝福するために使う布で、ここの場合、この地域を祝福するために信者たちが置いて行っているのです。
 標高は5520メートルです。

ランクルの危機(2001/07/18)

 昼間走る時には川に落ちても大丈夫です。
 もともと川を走っているので、それ以上落ちようがないという話もあります。
 やはり怖いのは夜です。
 突然深みに落ちた時、何もしなければランクルは沈んでしまう深さでした。
 それでも脱出できました。
 その後、本当の恐怖が始まります。
 どこから入ったか分かりませんが、燃料系統に水が入ってしまったのです。
 その水がフロートという部分にたまり、車は動かなくなってしまいました。
 でもタフガイがボンネットを開けようとしても、さきほどの落下事故で開きません。
 そのうちボンネットを開けるワイヤーが切れてしまいました。ゲッ・・
 最終手段はバールでボンネットをこじ開けることです。しかしこれがなかなか開きません。ボンネットを外側からこじ開けるのに30分もかかりました。
 その間、ちょっと太った二匹のウサギがずっと見物していました。
 その後フロートから水を出し、走り始めましたが、200メートルももたないのです。
 200メートルごとにそれは起こり、タフガイはそのたびにボンネットを開け、フロートを修理します。
 後輪の両輪がパンクし、水の混入・・
 遠くに村の明かりが見えなければ私達はどうなったのでしょうか・・
 チベットでは村と村の距離があります。ランクルで全力で走って6時間はかかります。
 その間、道はありません。村と村の間に道というものが存在しない国は初めてでした。
 両方が切り立った山のときは、その間を流れる川が道となります。増水すれば当然行き来はありません。
(村の人口は100人くらいです。彼らはその村の中だけで結婚するのでしょうか・・一妻多夫も分かる気がします。)

 さて、気温はどんどん下がり、氷点下となりました。
 あのまま野宿しても死ぬことはないと思いますが、かなりのダメージとなるでしょう。
 200メートルごとに止まり、修理する車・・
 そのとき我々も外に出て小さな懐中電気で照らす手伝いをします。
 でも上を見上げると満天の星でした。
 標高が高いので日本で見る星の数の100倍はありそうでした。
 と、突然「ちゃんと照らしてくれ」といった風の声がします。
 上ばかり見ているので、タフガイの手元から光が外れているのです。
 でもまた上を見ます。
 上では壮大な銀河が動いているのに、我々は五キロほど先に行くのに難儀をしています。
 やっと村に入ると、深夜2時頃だというのにほとんどの人が飛び出してきました。
 この地域、ランクルでさえ行く人はめったにいないらしいのです。
 それでもランクルの部品が置いてあるのはすごいと思いました。
 村一番のメカ好きが、ボンネットのワイヤを交換し、フロートを交換し、両輪のバンクを直してくれました。しめて400元(5000円)。
 私から見るととても安いのですが、この金額は彼らの半年分の収入になると言われました。ランクルに乗っているのは外人が多いために、率先して修理したがるのです。
 私はこの時、ちょっと離れた場所からそれらを見ていました。
 すると村の若い女性がきて顔をスリスリします。これはいつものことでした。
 でもこの時はそれだけではなく、私の腕を引っ張り、家に来なさいというジェスチャーをします。
 私は彼らと一緒だからダメダメというサインをしたのですが、あのまま行くとどうなったのでしょうか?
 一妻多夫の一人の夫になったのでしょうか?
 数年後、私に似た子供がチベットでウロウロしていることになるのでしょうか(考えすぎ?)

 翌日、完璧に直ったランクルで出発しました。
 ガス欠が恐いので、ほとんどのランクルには50リットルのドラム缶が積んであります。
 一時これも全部使い果たしてしまいましたが、このときも村まで500メートルの場所でした。私達は500メートルを押して行きました。
 非常にラッキーだと思いました(もちろんこれをアンラッキーと取る人もいるかも知れませんが・・)。

風(ルン)に任せて(2001/07/23)

 ミラレパが空を悟った洞窟に行く途中の私です。
 道は無いけど、どこも道って感じがしませんか?



 こういう砂漠のような所にも道のような跡があります。別の4WDが通った跡です。
 そういう「道」を通る4WDもいますが、実際に通ってみると前に通った車のワダチに乗ってしまい、かえってハンドルを取られたりして乗り心地はよくありません。
 全く跡の無い新規の場所の方が早く、安定して走れます。
 こういう道では、ゆっくり走るよりも速く走る方が安定します。
 その代わり、半分はジャンプをして走っています。
 二次元運動だけでなく三次元運動も予測する運転手は、ある意味、勘だけが頼りです。
 川の深みにゆっくり突っ込むかスピードを上げて突っ込むかも、勘だけです。
 500メートルほど離れた場所を、並行して別のランクルが走っている時があります。
 二台は同じ方向に向かっています。しかしあるとき私達の車はその車の後ろを横切り、交差しました。
 それは私達の運転手がその方が良いと判断したからです。
 二台の車の間に山が出現し、二台は別れ別れになります。
 私たちが峠の上で下の村を見ながら休憩していると、だいぶ時間が経ってからその車が通りました。
 その車の運転手は言いました。「あれから突破不能な崖に遭遇してUターンしたんだ。あんたはこのルートを知ってたのかい?」
 タフガイは答えます。「初めてのルートだよ・・村はなんとなくこちらのルートでないと来られないような気がしたからさ・・」
 実を言えば、二台が分かれた時、私はエネルギーモードで観てみました。
 すると何となく粗い風(ルン)を私達の取ったルートの先に感じたのです。
 チベットを走る運転手は、風(ルン)に任せてハンドルを切っているのかも知れません。
 私は後部座席で方位磁石を見ていました。「あれれ、方向はそっちじゃない・・」と呟いても、無視される私・・
 だって方位磁石とは違っていてもなぜか目指す場所に着いてしまうのですから・・・
 運転手のタフガイは、かなり目が悪いです。
 私が紙に文字を書いたとき「それでは小さすぎて読めない」と言ったのです。
 彼は目で見て運転していない?メガネは掛けていませんが・・

虹のトンネル(2001/07/23)

 精霊の出現直後に、それは現れました。急ブレーキをかけて撮影です。
 高度6000メートル・・右に見えるのは雪です。
 その後、このトンネルをくぐりました。



 ここから一番近くの村までは1000メートルも降りなければなりません。
 女性がよそ行きの民族衣装でいるわけはありませんでした。
 地面を見れば分かる通り、ここには植物の気配すらありません。岩石だけです。
 ここにこの時間帯(夕方)に取り残されれば、私でも生還できるか分かりません。
 人間の身体ではない存在・・
 トラさんが叫んだ「普通じゃない」というのは、「普通の人間じゃない」という意味です。
 そして、彼女達精霊は、下の虹のようなオーラを放っていたのです。
 虹の写真を見れば分かると思いますが、大地はなだらかに上下をしています。
 時速80キロほどで走ると、その上下はゆっくり起こります。
 最初、彼女達の頭が見えました。数秒後、彼女達の全身が現れました。それは姉妹のようでした。
 中国やチベットでは車が優先されています。車の進路を人が塞ぐことはありません。
 しかし、背の高い方の女性(お姉さんとしましょう)は、ランクルの進路そのものに移動したのです。数歩、横に歩いてです。そして彼女は満面の笑みを放ちました。
 私にとって、これが印象的でした。車の進路にわざわざ出て、笑みを放つ人がいるでしょうか?その二人からはものすごいエネルギーが出ています。
 私には色が見えません。見えればきっと虹色に違いないと思いました。
 運転手は手で「どけどけ」をしました。クラクションは鳴らしませんでした。
 これはタフガイにとって異例のことでした。通常はどんどん鳴らすのにです。見ると彼も笑っていました。
 お姉さんは横にどきました。その二、三秒後に私達は彼女達のエネルギーの圏内に達し、そして横を通り過ぎようとしました。
 りんごをもっと快活にしたような笑顔が飛び込んできました。
 二人から出るエネルギーの矢が、ランクル全体を突き刺します。
 通り過ぎた瞬間、トラさんが言いました(彼は叫びません)。「普通の人間じゃない・・」
 みんなが振り向きました。そこには大地があるだけでした・・。
 私にはエネルギーの竜巻が二つ見えました。
「幽霊かな・・」「精霊かもしれないわ・・」「こういう現象を聞いたことがあります・・」
 それらは四人が遭遇した幻かも知れませんでした。

●虹のもう一方の端



●それは二つあったのです。まるで姉妹のように・・(外側にも見えますか?)



●虹をくぐると、そこはミラレパゆかりの村でした。後ろに見えるのはミラレパの祠です。



 祠の天井には、なんと下の図形が描かれていました。回転をイメージさせます。
 これは対極図なんてものではありません。ド迫力です。
 だって祠の天井いっぱいに書かれていたからです。
 直前に出会ったエナジーいっぱいの精霊と、虹を思い出せさます。
 ミラレパの図案だそうです。祠は、このまま宇宙船にもなれそうでした。


神と人間の視点の違い(2001/07/26)

 普通、時間軸に対しては水平に見るものです。過去、現在、未来が水平的な配置になっているからです。
 でもそうではなく、私は垂直に見るようになりました。それは厚みとも言い換えられます。
 エネルギーモードにするのは、厚み方向にするイメージです。それは女装とも関係しています。
 時間軸の垂直領域には、瞑想でアクセス出来ると思います。
 時間軸の垂直領域に入ると、同時に二つの側面から人生を生きることが出来ると思います。今この瞬間は一つじゃない・・
 神は縦方向の視点も持ち合わせています。人間は普通横方向だけです。
 人間は「自分」という穴から世界を経験しているだけです。
 しかし神は「自分」も「他人」も、「牛」や「馬」という穴からも経験しています。
 神は同時にです。人間は同時ではありません。
 縦と横を同時に経験できる神・・横しか経験できない人間・・・
 しかしこれは本当でしょうか?
「向こう側」を見ようとした時、エネルギーモードに切り替わります。風景が変わります。
 男性にとっては向こう側の性を経験しようとしたとき、その能力が高まりました。
 何か、関係はないでしょうか?
 私達は神だといわれています。だとすると、向こう側を経験することは出来ないでしょうか?
 平面的思考・・すなわち過去や未来に囚われていると、これは出来ないのではないかと思います。
 時間の奥行きを考えると、運命が決まっていようと無かろうと関係ない・・

境界は無い(2001/07/29)

 境界は無い・・というフレーズ・・神坂氏が講演会で何度も言った言葉でした。
「物質とエネルギーの間に境界はない・・」「国と国に境界はない・・」「この世とあの世に境界はない・・」
 実を言うと私りんごは、最近この境地なのです。女装をしたとき自分の中での境界が感じられないのです。
 以前は、アイシャドウを引いたときが「境界」でした。
 その瞬間、りんごは女になりました(なろうとしましたというのが正確な表現です)。
 そしてお化粧を落としたとき、りんごは男に帰りました。
 今回の講演会は、最初ベトナム服のアオザイと、スパッツという出で立ちで準備をしました。そして講演が始まる直前にワンピースに着替えました。
 しかし精神の「お着替え」はありませんでした。
 りんごは境界を感じられないまま演台に立ち、そして境界を感じられないまま7時間半の「講演」&「講演二次会」終わりました。
 しかしトイレは境界の選択を迫ってきました。男性トイレに入るのにはとても抵抗感がありました。
 だから四次会のカラオケ屋でも女性トイレに入りました。
 境界は感じられないと言いながらも、女性側に振れているのだと思います。
 五次会の大橋会館に行くとき、路上でワンピースの上にバイクジャケットが羽織れませんでした。で、講演会場の地下のトイレで羽織りました。
 単に羽織るという行為なら、以前は路上でやったはずでした。「私はオカマなんだ」という居直りがありました。
 でも最近は、オカマの居直りが出来ません。これも女性に振れているのだと思います。
 声のトーン、歩き方・・りんごは女性を意識してはいません。しかしオカマも意識してはいません。非常にぼやけた境界の無い領域を「振れている」ような気がします。
 男女の差って、元々こうだったのではないでしょうか?
 りんごのスカートの丈はだんだん長くなっています。
 そのうち女装でズボンを履く日も近いかも知れません。