テーマ:「中国諦め紀行2000.10(2)」
要旨:
チベット密教の修行僧からの話で印象に残ったのは、「極楽は自分の中にある」という言葉でした。チベット密教の基本をなす考え方のようです。
もともと自分の中に極楽を持っているのなら、私達はどこへ行って何になろうとしているのでしょうか。
また、極楽を知った者は輪廻することなくここに居続ける、とも言われています。これは一種の仙人、不老不死の世界ではないかと思います。
チベット密教には、世間法と出世間法という教えがあるそうです。
肉体と魂が一緒の状態で普通の生活をする世界が世間法と言い、魂が肉体よりも拡大していく状態を出世間法と言うのだそうです。
外にも存在する極楽を自らの内にするのが出世間法なのだといいます。
私は中国であった出来事をその日の内にHPに出すようにしていますが、これも一種の出世間法ではないかと思います。後戻りがきかない怖さはありますが、快感もあるのです。
出世間法は、生の表出と密接に繋がっていると思いました。
チベット密教で修行したというセンセーが来ました。そこで彼は何と、釘を食べ始めたのです。私も釘を差し出され、一本だけ飲んでしまいまいした。
一緒に食事をした時、彼は皿をバリバリと食べ、さらには口を切って血を流しながら、どんぶりまで食べたのでした。
他に、何人かの予知能力者から話を聞きました。先入観で判断していると思われるものもあれば、本当に当たっているものもありました。
私が彼らに投げかけた主な質問は、「何のために生きているのか?」という問いでした。
前回の中国紀行では、不老不死に関する質問がメインでした。
「何のために生きるのか」と問うと、相手は先生的な口調から普通の声に戻り、この質問によって初めて対等になるのを感じたのです。
目次
○チベット密教の房中術(2000/10/15)
○極楽は自分の内にある(2000/10/16)
○世間法と出世間法(2000/10/16)
○「出世間法」には極楽がある(2000/10/16)
○内なる極楽(2000/10/17)
○釘を食べ、皿を食う(2000/10/17)
○チベット密教(2000/10/17)
○架空の針治療(2000/10/17)
○宇宙語で遠隔予知(2000/10/19)
○ミスター登場(2000/10/19)
チベット密教の房中術(2000/10/15)

 いよいよチベット密教のセンセーに会うことが出来ました。しかし・・・
 なぜ「しかし」がついたか・・・いきなり湯飲みの蓋を食べてしまったのです(笑)。
 中国の湯飲みは大きいです。湯飲みにはぶ厚い蓋がついています。それをバリバリと・・。
 聞けば釘も食べると言います(笑)。
 釘を食べた後レントゲンを撮っても、釘は無いのだそうです。
 テレポートしたか、もしくはエネルギーになってしまうらしいのです。
 さて、そういった能力(?)をどうやって身につけたのか・・それが、あの・・房中術なのです。
 今日はセンセーからチベット密教の房中術のさわりを聞くことが出来ました。
 チベット密教の宗派は大きく分けて三つに分かれているらしいのです。
 そして彼が所属している宗派は、特に房中術を重要視するのです。
 男女の交わりの描画が多いのも、この宗派だそうです。あの描画は、歓喜仏というのだそうです。
 さて、房中術の修行には二つの道があります。
1.欲楽定
2.双運道
 今日教えてくれたのはこの名前だけですが、なんか凄そうです。
 私は訊きました。「あの〜、相手は女なら誰でも良いのでしょうか?」
 するとセンセーは首を大きく振りながら言いました。
「相手を選ぶことは重要じゃ。相手を選ぶことが修行の一つである。熟女なんかダーメダメ」
「えっ、熟女はやはり、ダーメダメですか?」
「そうじゃ。処女でなければならん。」
「え〜、しょ、処女ですかぁ?じゃあ、最初の一回だけじゃないですか・・」
「最初処女なら、あとは何回シテも構わん。」
「で、容姿とかも関係ありますか?」
「ある。目、鼻、口、指の形・・すべて房中術の基準がある。しかしな・・」
「はい、しかし?」
「内径が大事じゃ・・男は重陽といい、体全体は陽である。しかし生殖器は陰。女は重陰といい、体全体は陰である。しかし生殖器は陽・・まあ、機会があれば詳しく教えてしんぜよう・・」
 ということになったのです。
 内径と言われ、危なく「何センチ?」と訊くところでした(笑)。
 房中術の相手を選ぶときには、病気がないことが最も重要だと言っていましたので、処女はその条件を満たす可能性が高いからでしょう。
 それにしてもこのセンセー、いったいどうやって処女をゲットしているのでしょうか?
 そして彼は結婚しているのでしょうか?
とにかく聞きたいことはたくさんあります。
 彼の指導で超能力が出たと言われている弟子に、明日会うことになりました。

極楽は自分の内にある(2000/10/16)

 今日はチベット密教で修行したという人に会いました。彼の話の中で、次の言葉が心に残りました。
「極楽は自分の中にある」
 月並みな表現でもあり、精神世界ではよく言われる言葉です。
 そこでは「すべては自分の中にある」と言われます。
 それを探し出す・・もしくは思い出すという表現がとられます。
 しかしそれは「極楽」を含むものでしょうか? 
 彼はあるとき、五体山に行きました。五体山は、仏教系の修行僧のメッカです。
 私も行ったことがあります。3000メートルの山の上にあります。
 まさにそれなりの風体をした修行僧達がいました。
 彼はそこで多くの僧に訊きました。「極楽はどこにあるのでしょうか?」
 僧達は口を揃えて言いました。「遠い所にある。我々はそこに到達するために修行している。」
 彼はさらに訊きました。「遠い所とは、どこですか?」
「高い次元の所です。ブッダがいる次元です。」
「その高い次元とは、どこですか?」
「ここではない、もっと高い所です」と言って彼は上を指さしました。
 彼はガッカリしました。だって彼にとっての極楽とは、すべて自分がここに持っているものだったからです。
 彼は「私にとっての極楽は、ここにある」と言って自分を指さしたのでした。
 これはチベット密教の基本をなす考え方のようです。
 同じ事は先日、歌でヒーリングする女性にも言われました。
「森田さんが作ったいのちの世界の図は、大変に素晴らしいです。でも次元という考え方を入れたのは違うと思います。高いとか低いとか言えるものではありません。」
 そこで私はリングが三次元に帰ってきている「天人合一の図」を見せました。
 すると「かなり近くなっていると思います」と言われました。
 彼女が歌でヒーリングできるのも、このような考え方にあるのではないでしょうか?
 彼らは正確には極楽とは言いません。ニルヴァーナと言います。それは悟った世界でもあります。
 私達は極楽を自分の中に持っていながら、どこへ出ていこうとしているのでしょうか?
 もともと極楽を持って生まれながら、いったい何に変わろうと言うのでしょうか?
 私は今、この気付きを自分の中で消化することが出来ません。
「いのちの世界」の中にどのように反映して良いか、分かりません。
 でも、私の中にワクワクする何かが出たことは確かです。
 それからもう一つ・・
 仏教では悟ると輪廻から抜け出すと言われています。
 これはチベット密教風に言い換えると、「極楽を知ると輪廻はしない」なのです。
 これは一種の仙人なのです。これは一種の不老不死の世界です。
 つまり輪廻を脱して別の世界に行ったり(戻ったり)するわけではなさそうなのです。
 ずっと「ここに居続ける」ことのようなのです。
 まだあります。
「チベット密教の修行をした人は、“ああ、あの人はさすがに修行をした人だ”と言われるようではいけない」と言われました。
 まったくの凡人になることが、修行なのだそうです。
 当然、「力」を持ってはいけないと言いました。「力」は人を導こうとし、果ては社会までも変えようとします。
 それではいけないと言うのです。

世間法と出世間法(2000/10/16)

 このタイトルは、チベット密教の教えらしいのです。 
 世間法を一言で言えば、肉体と魂が一緒の状態です。
天人地の3つの世界であり、普通の我々が生活する世界です。つまり分離の状態です。
 出世間法とは、魂が肉体よりもどんどん拡大していく状態だそうです。
 極楽は内にあるという概念も、言い換えれば世界は自分の中にあるとなります。
 しかし外の存在だってあるはずです。
 その外の存在を内のものにするのが、出世間法なのだそうです。
 私は以前、海外にパソコンを持って行きませんでした。
 すでにポータブルになっていたにも関わらずです。
 海外の体験は、私の中にのみ蓄積されて、消化され、帰国後にその結果のみを出していました。
 これは世間法だと思いました。
 今の私はパソコンを持って行き、ほとんどその日にあった事は出してしまっています。消化していなくても出しています。
 最初これを始めたとき、私は怖かったです。だって後戻りが出来ないのですから・・・
 今私が部屋に帰り、その日の出来事をまとめるための時間はせいぜい30分です(その30分も取れない日もあると思います)。
 撮ったビデオを点検したり、明日の用意をしたり・・
朝はたいてい早いです。ですのでパソコンの時間は30分しかありません。
 ですから思考している余裕がないのです。ああだこうだと考える前にキーボードを打ちます。 
 すると、そこに表出されるのは自分そのものなのです。「私」はピンポイントではなくなり、全体になります。
 このHPにおける「中国諦め紀行」は、私そのものなのです。
 その書き込みに対して、私は責任を取ることが出来るでしょうか?出来ないのです。
 ですので場所や人物が特定されるような情報は、すべて「肌色部屋」に持っていってしまいました。
 なぜなら、ここでそれをやると、私に社会的責任が付いて回るからです。
 私に責任はなくても、社会的責任は追いかけて来ます。日本国内なら言論の自由がありますから問題はありません。しかし・・・というわけです(・・の意味は察して下さい)。
 
 さて話を戻しましょう。
 出世間法になると、後戻りができないから怖さを感じると言いました。しかし逆に、快感もあるのです。
 今ここを「読むだけの人」がいると思いますが、その人達は世間法なのです。
 私には、そういう生き方ができなくなりました。「出」ていないからです。
 海外に来ると、それがもっと出来なくなります。現象の中にいるしかないのです。
 現象の中にいないと、現象が起こらないのです。現象の中にいないと、体験的に知ることができないのです。
 そしてリアクションを返さないと、いられないのです。リアクションを返さないと、増幅しません。
 リアクションは私にとっての「生」なのです。「引いて」いられないのです。
「出世間法」・・これは「リリース」と非常に繋がっていると思いました。
 昨日からどういうわけか、チベット密教に触れています。
 私はいままでチベット密教のことを、仏教の一派だとばかり思っていました。
 しかし、どうも違うようです。
 どこがどう違うのか、そして道教とはどう違うのか・・非常に興味があります。
 その興味も、「出世間法」で行こうと思います。

「出世間法」には極楽がある(2000/10/16)

 この表題の言葉も、チベット密教の言葉です。
 ここでいう極楽とはニルヴァーナ、すなわち悟り、すなわち光明です。
 仏教でのそれは、無になることでした。
 全てを否定していった世界に悟り・・すなわちここでいう極楽があるのです。
 道教でのそれは、無為でした。目的を持たずに行動することでした。私はそれを「時間系」と言い換えました。
 そしてチベット密教でのそれは、「出世間法」なのです。
チベット密教の定義では、極楽とは輪廻転生を越えた(終えた?)世界・・らしいのです。
どうも常識的に考えると苦のない世界ですが、常識をそのまま持っていって良いかどうかは、分かりません。
 さて、チベット密教における「出世間法」とは、世間「から」出るということではありません。世間「に」出るということです。
 何が出るかというと「私」が出るのです。
 道教でも似たような概念がありました。それは「マーケットで悟りなさい」ということでした。
 しかし次のものを、道教はタオで言おうとしました。為さずして為す・・無為・・
 実はこの表現は、世間法に基点を置いているような気がします。
 世間法は、有為なのです。分離があります。
 しかし出世間法は、世間に出るということで、運動そのものを言っているような気がします。
最後に・・今日、本当に諦めなければならない事がありました。期待しなくて良かった・・
でも、諦めるって大変です。本当に諦めることは、私にも難しい・・・

内なる極楽(2000/10/17)

  
 五台山いうところは、仏教系の30もの宗派がひしめき合い、修行を積んでいます。そこを出た僧達は、エリートになっていきます。
 つまり「極楽(悟り)はどこにあるか?」質問に対して、上を指さす・・すなわち、「お前ら凡人にとってはここ(五体山)なんだよ」ということを暗に言いたいわけです。
 自分を指さしてしまうと、そこに来る必要が無くなってしまうからです。
 しかし、それは同時に私達の中にもあると思います。変わろうとか成長しようとかするときは、「今ここ」ではない、何かの目標ができると思います。
 道教には愛はありませんでした。さて、チベット密教には・・まだ分かりません。
 私は、作られる愛はいけないと書いたことがあります。
 しかしです。本物の愛も、価値があるものなのでしょうか?
 私は愛と嫉妬の件で帰国後に議論を再開しようと思いますが、人間である以上、「今ここ」にはなれないのではないかと思います。
「今ここ」・・すなわち「極楽は自分の中にある」と言い切れる人は、別の意味の偽善者ではないかとさえ思います。
 嫉妬心は不満足な心の現れです。でも、嫉妬心を抱えたまま、極楽に行くのでしょうか?
 エデンから出た(出つつある)人間が今そのまま極楽であるという考え方は、私にとっては衝撃的であり、新しいものです。
 だってその概念は、「いのちの世界」には反映されていませんから・・・
 昨日会った人は、一昨日会った人(房中術のおやじ)の直系の弟子です。

釘を食べ、皿を食う(2000/10/17)

 今日はチベット密教で修行したというセンセーが来ました。彼は来るなり、湯飲み茶碗の蓋を食べようとしました。
 しかし・・端っこしか食べられませんでした。
 次は、釘を出してきました。これを食べるというのです。
「おい、簡単だよ、お前も食べろ」などと言うではないですか・・。
 下の写真は、食べる前の釘です。右に見えるのは、食べかけの茶碗の蓋です(笑)。


 
 さて、さすがにこのままでは食べませんでした。私が持ってきたペンチで半分に切断しました。
 そして切断した破片を20個くらいトラさんに渡すと、「俺の口に放り込め」と言うのです(笑)。
 トラさんは言われた通りにセンセーの口に放り込みました。そしてお茶と一緒に流し込んだのです。
 食べ終わると「さあ、あんたの番だ」と言って、私に釘を差し出しました。私も引っ込みがつかなくなり、一本だけ飲んでしまいました。


 
 さて、そのあと昼食に出かけました。
 彼はまず、レストランにある皿をバリバリと食べました(笑)。次は、スープをすくうためのおしゃもじを食べました。
 そして最後にどんぶりを食べた時です。彼は口を切り、血を流しました。オヨヨ・・
血だらけになっての実演は初めてでした。

チベット密教(2000/10/17)

 皿を食べた後は(笑)、チベット密教について教えてくれました。チベットは中国語で西蔵と書きます。
チベット密教には5つの宗派があるのだそうです。
 黄教(ラマ教)、紅教(コウ教)、白教(ハク教)、黒教(コク教)<花教・笨教とも言います>、藍教(ラン教)です。
 チベット密教は、シャカムニ(仏陀)が秘密の事を教えたものだという主張をとっています。
 小乗仏教や大乗仏教は秘密のお話がカットされていると言うのです。
 その秘密のお話は、インドの蓮華生というお坊さんから伝えられたのです。
 秘密のお話がチベットに残り、色々な過程を経て上の五つの宗派に分かれたというわけです。
 チベット密教に入信するにはお金がかかると言われています。法器も金や銀で作らなければならないからだそうです。
仏教の宝器は銅で作られていると言っていました。だからコストが安いのだそうです。
 チベット密教に入信する人はまず、お金を貯めることが必要だそうです。
 金持ちはチベット密教に入り、貧乏人は仏教なのだそうです(もちろんこのおっさんの言うことですから当てにはなりません)。
 仏教にはエネルギーという概念は、あまりありません。しかしチベット密教の中心をなすものは、エネルギー修行だと言われています。だからチベット密教では、超能力者が出やすいのだそうです。
 例えば、3本の脈・・・左脈、右脈、中脈を人体高速道路というのだそうです。
 百会からエネルギーを入れると、魂が自由に抜けられるようになります。百会から吉祥草(本物の草)を差すと、お尻から出せるのだそうです。
 この百会からお尻までに草が通るようになった時、初めて修行が完成したことになるのだそうです。
「道教はエネルギーの回転を重用視するが、我々は人体高速道路を重陽視する」などと言われました。
 
 密教では死んだ時、次の状態になるそうです。
1)肉体まで、極楽世界に持っていく。
2)髪、爪だけこの世に残し、あとは光になる。
3)体全体が鉄のように固くなってこの世に残す。今でも何体か残っている。
 この番号が若いほど優秀なのです。
 今回、私に対していろいろと教えてくれている(皿まで食べた)人は、紅教(コウ教)の宗派です。この宗派が最もエネルギーに興味を持っています。
 しかし孫さんの指導霊であるツンカバは、黄教(ラマ教)でした。孫さんに付くくらいですから、やはりエネルギーに興味があるのでしょう。
 私は、初めてチベット密教に接しました。
 皿を食い(笑)、処女を食い(笑)、出世間法などという教えを垂れるこの宗教は、一体何なのでしょうか?
 そのセンセーは結婚していました。トラさんの話では、たぶん処女を相手に修行することは、無いのではないかと言っていました。皿を食うのも、もちろん余興でしょう。
 それにしても楽しいおっさんです。食っているのは、世間かも知れません(笑)。

架空の針治療(2000/10/17)

 このオヤジは、自動書記(笑)でお習字をします。
 この文字は私のために書いています。目的は、私の天目を開くためだそうです(笑)。


 
 さてこのオヤジは、空中から架空の針を出して治療をします。でも、誰でも出来ます。秘訣があるのです。
 下の言葉を唱えながらやってみて下さい。針を取りだし、自分の手にさしてみて下さい。チクリとするはずです。私にも出来ました。
 空中から針を取り出す・・・依沙(イサ)
針を刺す・・・・・・・・・瑪特(マタァ)
針を空中に返す・・・・・・嘩(ファ)

宇宙語で遠隔予知(2000/10/19)

 今日は宇宙語で遠隔透視(予知)をする人が来ました。


 
 まずは日本地図を片手に予知を始めました。その全文を載せます。
日本の災害について
 日本の周りは海で長い列島の国。86点の山地が占めている。火山も多く、山の中の8%が火山である。
 古いものも新しいものもある。爆発する原因は古代からのエネルギーのバランスが壊れると起こる。火山の爆発によって別の損害も起きる。死亡、財産の損失。
 季節風が2つの被害を与える。地震、災難起こる。
 難しい問題ではあるが、解決できないものではない。星宮の問題である。
 地震は星宮の運行に関係している。惑星、月、金、木、火の太陽系の惑星の影響。
 月、水面から反射したエネルギー。遠いもの北から南まで運動しているので地震が起こる。
 近畿地方によく起こる。東京のあたりは今年から来年にかけてはない。
 日本には草、花、がいっぱい生えている。国民が生体に関心を寄せている。
 燃料を使って生活している。使いすぎて、影響がある。
 工業は特に発達している。
 国民の生活と密接。発展のスピードがアジアの中ではすごい。
 環境問題が5つある。
原子爆弾の影響。大阪あたりの空気の汚染。人の健康に影響。子供の育成、抗体にも影響。性欲にまで関係してくる。遺伝子にも影響。
 日本には無理な環境問題がたくさん出てくる。
 空のオゾン層の破壊で2003年には大きな地震。
 特殊な地震の形式。小さな地震があり、だんだん大きくなる。7.8が最高。
 2週間くらい続く。3000回くらいの小さな地震。
 有害な気体が出て、多くの人の死、病気、伝染病がある。
 二酸化炭素が増え、空気が暖かくなり、海の水位も高くなる。西から東へだんだん移動。
 さて、これを読む限り、先入観に影響され過ぎていると思いませんか?
 私は彼らをテストすることにしました。
 予知だけでなく遠隔透視も出来ると言うので、会社に電話をかけて経理の女性の生年月日を聞き、彼女のことを透視してもらいました。以下はその結果です。
 優しい人。背が低い。元気いっぱい。皮膚が白い。(→皮膚は黒い)
 健康だが、少し病気がある。学問のある人。人を助けるのが好き。(→人を助けるのは好きではない)
 科学技術について関心がある。古代の事、未来の事にも興味がある。(→科学技術や古代の事になど、何の興味もない。うちの会社で唯一の「不思議を全く信じない人」)
 森田とは深い友誼がある。仕事にも協力して素晴らしい成果がある。(→これは当たり)
 易経にも興味がある。研究するのにたくさんの資料を集めている所にいる。(→これは全くそうではない)
 今、少し太っている。心臓が少し弱い。胃腸消化不良。歩くのが遅い。(→痩せている。歩くのは速い)
 目の方には不適な感覚、発見されていない病気がある。(→知らない)
 心臓の病気も悪くなる。西洋料理が病気を作っている。(→知らない)
 よく、働いていて、経済的な効果をもたらす。(→確かによく働く)
 未来の研究にはとても役立つ。(→役立たない(笑))
 これは私が不思議研をやっていて、そこに電話をかけて彼女の誕生日を聞いたので、「不思議研」という先入観が作り出した情報だと思います。
 従って、日本の予知も先入観の影響が強いと思われます。
 
 しかし一つが×だとすると全て×だというのも、同じように先入観です。私はインタビューを始めました。
森田:魂について語って下さい。
彼ら:人間が魂を持っているのは事実である。
 魂には3つあり、1.とりつくもの 2.体の中に隠れているもの 3.幽霊魂
 夢を見るのは3.の働き。魂が人に取り憑いて全く違う事を言い出す。
 生まれ変わりは誰にでもあることではない。エネルギーによって違う。
超能力者やよく修行した人は、次から次にエネルギーを持っていくことが出来る。
森田:不老不死は来ると思いますか?
彼ら:不老不死は不可能。生物が進化する。延ばすことは出来る。
高い山などでは200才以上生きられるようになる。地球の上ではダメ。
森田:私は肉体の不老不死だけを言っているのではありません
彼ら:肉体が増えると魂も増える。
 人が死んでから3年くらいは存在。修行した人はエネルギーが強いので長く存在することが出来る。弱い魂はバラバラになり、気体になる。
 魂も物質の一種類。魂は光に弱い。魂も分裂できる。いくつかの魂になる。
 チベットの生き仏。自分の前世がすべて分かるので、魂のコントロールが出来る。
森田:人間は何のために生きるのだ思いますか?
彼ら:生活を満たすため、学問をするため、政治をするため
森田:涅槃(悟り)のためではないのですか?
彼ら:そうです。涅槃です。
森田:涅槃に至ると、不老不死ではないですか?
彼ら:そうです。不老不死です。もう輪廻はしませんから・・
森田:涅槃(悟り)に至ると、欲望は無くなるのですか?
彼ら:欲望は無い。虚無の状態だから・・
 以上の問答でも分かる通り、「何のために生きるのか」という質問で、日本人の私と中国人の彼らは、初めて対等になっていることが分かります。

ミスター登場(2000/10/19)

午後は、中国のミスター(笑)が来ました。長島監督に似ているのです。
 さて、この人も予知と透視をする人です。以下は彼の言った内容です。私の予知をしました。
<個人の歴史>
 小さいときから聡明であった。
 20代のとき、家の経済的トラブルがあった。
 45才くらいから人生が変わった。これから10年は楽しい波乱の連続。
 老年まで病気はしない。
 そのころ(老年)やっと小さな平和が訪れる。
 中貴人(?)があなたを助ける。
<健康>
 全体的に見てとても健康。コレステロールが高い。
<瞑想修練>
 これをやると、あなたの健康だけでなく、あなたの研究にも役立つ
 コレステロールが高いのを透視したのは、彼が最初でした。
 
次は質疑応答です。

私:あなたは何の修行をやっているのか。
彼:ここはシルクロードの入り口に当たり、色々な宗教が通ったところです。私はチベット密教の紅教の一派である「ニンマ派」の修行をしました。さらに道教の修行もしています。
私:密教と道教の違いはあるのか?
彼:大きな違いがある。一言では言えない。
私:さきほど私の未来も見てもらったが、運命は自分で変えることが出来るか?
彼:出来る。人間は肉体と霊魂に分けられる。霊魂は霊と魂に分けられる。霊のエネルギーを高めると、運命を変えることが出来る。
私:運命を決めたのは私自身でしょうか?
彼:そうだ。あなた自身だ。しかし宇宙からの影響もある。
私:密教はどうしてエネルギーにこだわるのか?
彼:・・・
 彼が答える前に、私に一つのインスピレーションが降りました。
 それを私は彼に伝えます。
私:それは愛するためではないでしょうか・・
 愛は状態です。行為ではありません。なぜならすべての行為に愛はついてくるものです。ですから愛は状態です。
 その状態のエネルギーを上げるのではないでしょうか・・
 状態が上がりさえすれば、自動的に相手に流れます。
 あなたはとても高いエネルギーを持っています。一緒に話しているだけで気持ちが良いです。それはきっとエネルギー状態が良いのでしょう。
彼:私は初めて日本人と接したが、こんなに良い話をしたのは初めてです。
私:シルクロードの起点とおっしゃいましたが、基督教も入ってきたのではないでしょうか?
彼:入ってきました。とても面白い現象が起こっています。一人が洗礼を受けると、村中が洗礼をうける場所が出てくるのです。
 それは彼らが孤独への対処方法としてなのです。
 神がいれば孤独ではなくなります。日曜に礼拝にいけば、孤独ではなくなります。
私:そこへいくと、密教や道教には神がいないのですね。
彼:そうです。ですから非常に弱いのです。

 以上のように、とても示唆に富んだ内容でした。 
「何のために生きているのか?」 今回のメインの質問は、これです。何となく、これが出ています。
 前回は「不老不死は来ますか?」という質問でした。今回は不老不死の質問は、補足的な質問に落ちています。
 何のために生きるのかという質問をすると、大抵、笑われます。そしてそれまで声高々に「教えていた」のが、突然普通の声に戻ります。
 何のために生きるのか・・という質問は、ひざまづいて聞きたいときもあれば、椅子に座ったまま聞きたいときもあります。相手が声高々だと、椅子に座ったままで聞きます。