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		|  | テーマ:「伊勢神宮」 |  |  
		|  | 書き込み期間:2005/04/17〜2005/04/21/2005/05/19 |  |  
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		| 要旨: 伊勢神宮の神主さんから私に、書簡が送られてきました。『不思議の友』の情報が、伊勢神宮の様々な事柄と合致するというのです。そこで今回、神主さん達の案内を受けて、伊勢神宮を訪ねました。
 本堂の隣の空き地は、凄いエネルギーでした。しかも、天照大神のご神体として明鏡が祀られています。明鏡は太極八卦鏡にとても似た鏡です。伊勢神宮には、発動や「明」のエネルギーが満ちているのではないかと思いました。
 伊勢神宮には式年遷宮といって、20年に一度、神社ごと隣に移す儀式があります。これが時間的な金局の三合局を成していることに、後で気が付きました。ご神体の明鏡もご神獣の鶏(酉)も、金の五行です。60年かかって時間的な三合局を作り、ご神体に多大なエネルギーを与えているのです。
 
 神主さんから聞いた話によると、神道は自然か不自然か、入信者かそうでないかの二者選択をしないのだそうです。誰でもどんな宗教の人でも訪れることが出来ます。伊勢神宮の御利益は参拝者の信心に拠るものではなく、各種の秘宝を使って生じるエネルギーにあると考えられます。
 博物館では、神殿の中に奉納されている物のレプリカを見ることが出来ます。その中には、水晶や穴の開いていない真珠、五色の布などがあります。いずれも電波や六爻占術の見地からは理に適っています。伊勢神宮は、科学のメスにも耐えられると思いました。
 
 神道には戒律がありません。私が神道に感じたのは「他力」でした。しかし他の多くの宗教では、悪行をすると地獄に落ちるとされていたり、教祖の言葉が絶対視されたりします。これらは「自力」の世界です。神仏に助けを求めるのも教祖の教えに掴まるのも、自力の拡大なのです。
 式年遷宮の儀式を執り行った天武天皇は、自分の生き方を正すことも天照大神を拝むこともせず、占いを使って未来を開いたといわれています。この行動には、常に他力的な「諦め」と運命変更が流れていたのだと思います。
 伊勢神宮のエネルギーは、他力的に生きる人間に味方をするような気がしてなりません。
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		| ○ 伊勢神宮本殿の隣の空き地は、すごいエネルギー ○ 伊勢神宮の、三合局によるエネルギーアップ
 ○ 科学のメスにも耐えられる伊勢神宮
 ○ 神仏に助けを求める人(願掛けする人)は自力的
 ○ 教祖(キリストや釈迦等)の言葉を借りることも、「自力」の拡大ではないか
 
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	| 伊勢神宮本殿の隣の空き地は、すごいエネルギー 
 
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		| 駅に着くと、四人の神主さんが待機していました。 「森田先生、よくいらっしゃいました。どうぞこの車に・・。」
 「えーと、ファックスにも書きました通り、私は先生ではありません。」
 「そうでした・・。森田さんでした(笑)。」
 ということで、「伊勢神宮不思議調査」が始まったのでした。
 神主さんの一人が四年前、船井オープンワールドに来たのがきっかけでした。私の講演がとても面白かったということで、伊勢神宮内の他の神主さんにも紹介を始めました。
 そしてその中の一人が今回、私に書簡を送ってきたのです。
 伊勢神宮の中の数々の事柄が、私の『不思議の友』の情報で解釈できると言うのです。
 神主さん達は六爻占術のテキストも買い求めました。参考書は素晴らしいと絶賛してくれました(笑)。
 不思議調査の詳細は次の『不思議の友』に譲るとして、今日はそのエキスだけを紹介します。
 
 まず伊勢神宮には、式年遷宮(しきねんせんぐう)という儀式があります。20年に一度、神社ごと、隣に移すのです。だから本堂の隣は、空き地になっています。
 これは「発動」ではないか・・と、神主さん達は解釈しました。
 太極八卦鏡も「明」という字も、「時々動かすと良い」とトラさんは言っています。
 動かすことでエネルギーを出すことは、神坂さんも言っています。
 しかも伊勢神宮に祀られているのは天照大神のご神体である鏡で、明鏡とも呼ばれています。
 ああ、これで分かりました。
 伊勢神宮に行くことは、「明」のエネルギーを得ることなのです。
 だから神主さんが六爻占術を買い、運命改善に使ったとしても、何ら矛盾はないのです。
 しかも天照大神の明鏡は、太極八卦鏡にとても似ています。だからオールマイティなのです。
 (ところで20年に一度ということは、60年で十二支のサイクルと一致します。とすれば途中の三回は、帝王の地を通る可能性があり、三合局作るのではないかと、思いました。正確に出してみないとわかりませんが・・・)
 
 さて、伊勢神宮を参拝する時、行った方が良い場所があります。それは本堂の隣の空き地です。そこが物凄いエネルギーを出しています。だってつい最近まで、ご神体があった場所だからです。
 神坂さんもライフコントローラーを30分回した後、一日中座っていると、下からジワーとエネルギーが上がってくると言います。
 空き地はもちろん立ち入り禁止ですが、そのロープの前に立つだけで凄いです。
 高層ビルの前に立つと、風が強くて風圧を感じます。まるでそれです。凄いエネルギーなのです。エネルギーが強くて鳥肌が立ちそうになったのは、このお伊勢様の空き地が初めてでした。
 みんな、現物が置かれている本堂の前で参拝して、願掛けをしています。隣の空き地に参拝する人など、誰もいません。だから、エネルギーを独り占めです(笑)。
 トラさんは、運命改善をいくらやっても大過にはならないと言いました。だから天照大神の「明」のエネルギーいくら受けても、良い事しか起こらないと思います。
 凄いです。まだ私の中には、エネルギーが残っています。
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	| 伊勢神宮の、三合局によるエネルギーアップ 
 
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		| 伊勢神宮における20年に一度の「遷宮」は時間的な三合局(金局)を成しているというのは、帰りの新幹線で思い付きました。 それまでは十二支の12年と遷宮の20年が、どうしてもラップしなかったのです。
 しかし二つの最小公倍数が60年であることに気づき、ここから3という数字が出ました。3は、三合局の可能性アリでした。
 で・・・ある人が確かめたところ、やはりそうでした。
 2013年・・癸巳年
 1993年・・癸酉年
 1973年・・癸丑年
 1953年・・癸巳年
 1933年・・癸酉年
 巳酉丑・・金の三合局だったのです。
 三合局とは、いろいろな要素が協力し合ってエネルギーを出すことです。
 私が再度調べたところ、1629年から20年に統一されたようです。
 つまりそれまでは結構いい加減だったのが、江戸時代初期に統一されたのです。
 しかし危なかったのは昭和24年です。戦後間もない頃で、この年は遷宮が出来ませんでした。しかし昭和28年に実行しています。つまりこのときだけ24年周期だったわけですが、24という数は三合局を崩しません。
 そして伊勢神宮のご神獣は鶏(酉)であることも驚きです。金局の三合局の中心になるのが酉だからです。
 私は来賓室に入ることが出来ました。そこに美しい鳥の絵が描かれていました。ご神獣だったのです。
 金局の三合局は、天照大神のご神体である金属の鏡に、多大なエネルギーを与えていると思います。それが60年かかって時間的な三合局を作るとは、凄いとしか言いようがありません。
 
 さて昨日、伊勢神宮を始めとする神道について、多くの情報を得ることが出来ましたその中のエキスをちょっと書きます。
 世の中の多くの宗教は、「入信する」か「入信しない」かの二者選択を迫ってきます。信者とそうでない人の差がハッキリします。しかし神道にはそれがありません。
 伊勢神宮にはダライラマも参拝に訪れ、ローマ法王も訪れました。
 ダライラマは、参道の道の木々が切断されていないことに驚いたそうです。
 そうなのです。行ってみると分かりますが、参道の道のど真ん中に大きな木が立っています。天皇もその木の間をぬって歩きます。
 自然か不自然か、の二者選択をしていないのです。二者選択が無いと言うことは、共存を意味します。
 神道は一言で言えば「ファージー」なのだそうです。誰でも、どんな宗教の人でもが、訪れることが出来ます。
 信じている人にも信じていない人にも御利益があるとすれば、それは「内側(内面)」を問わない「エネルギー」でしょう。
 だから伊勢神宮などでは各種の秘宝を使って、エネルギーアップをしてきたのではないかというのが、私の仮説です。
 次に、神道では神様の間に上下関係が無いのだそうです。
 私は、天照大神はけっこう偉いのではないかと思っていました。でも天照大神とて他の神様と同じであり、その間のネットワークを作ろうとしたのが天照大神だと言われました。
 
 さて、みなさんが訪れたとき、是非行って欲しい場所があります。それは博物館です。
 神殿の中に奉納されている物のレプリカがあるからです。
 これを見て、色々と閃く人も多いはずです。
 水晶もありました。水晶といえば電波の世界では、SSB波を作り出すのに欠かすことの出来ないものです。しかしそういう効能を知らない人達が水晶を中に安置させたのというのは、凄いと思います。
 また真珠もありました。伊勢の海では真珠が採れるからです。
 でも穴を開けたネックレスにするのではなく、粒のまま小皿に載っています。たぶん「空亡」を作らないためだと思いました。
 天皇が贈ったとされる五色の布も見ることが出来ます。
 また博物館の一隅に、有名な画家の絵が飾ってあります。これは戦後の遷宮のとき、資金難で実行できなかったとき、「この絵を売って資金の足しにしてくれ」という画家が沢山いたのです。でも何とか資金を作り、絵は売らずに済んだのです。
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	| 科学のメスにも耐えられる伊勢神宮 
 
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		| 伊勢神宮の遷宮を制定したのは天武天皇です。 天武天皇は壬申の乱のとき、全軍に「赤い旗」を持たせます。
 日本書紀には「赤い旗のもとに、敵兵は瓦のように破れました。」と書かれています。
 また遷宮のところは、日本書紀には次のように書かれています。
 「伊勢の駄馬五十匹を得て、それに乗り換える。横河にさしかかると、黒雲があり、広さ十余丈ほどで天をよぎっていた。天皇はこれを不思議に思われ、ともし火をかかげてみずから式(筮竹)を手にとってお占いになり、『天下が二つに分かれようとするしるしだ。しかし自分が最後には天下を得るであろう』と言われた。川のほとりで天照大神を遙拝。ご心中で伊勢神宮の式年遷宮を思い立たれた。」
 つまり天武天皇には、占いをする能力があったと思われます。
 そして式年遷宮が始まるのですが、それは最初、寅の年から始まる火の三合局でした。
 たぶん「赤い旗」で勝利したように、天武天皇に味方する五行が、火だったのでしょう。
 
 さて、話は天照大神に移ります。
 天照大神のご神体そのものは、鏡です。正確には「八咫(やた)の鏡」と呼ばれます。
 これは天照大神が孫のニニギノミコトに「この鏡は私だと思ってお祭りするように」と言われたものなのです。
 この鏡をご神体として約2000年にわたって伊勢神宮でお祭りが執り行われているのです。
 これに関しては、北畠親房(きたばたけちかふさ)の著作「神皇正統記」(1339年)次のように書かれています。
 「天にある物、日月よりあきらかなるはなし。よりて文字を制するにも、『日月を明とす』しいへり。我神、大日の霊にましませば、明徳をもて照臨し給うこと陰陽におきてははかりがたし。」
 これを一つにまとめると、次のようなセンテンスになります。
 「八咫(やた)の鏡は明を形としており、天にある物で日月より明らかなるものはなく、明の文字はまさしく日と月よりできている。天照大神は、大日の御霊であるので、明徳を以て照臨されるので、陰陽を超えた存在である。そしてこの説明を簡単な言葉に換言すると、八咫(やた)の鏡[=天照大神]=:明鏡となるであろう。」
 明という文字については『運命を変える未来からの情報』にも書いてある通り、人工の月日なのです。
 運命を判断して天然の月日から見放されたときは、「明」という字を書いて飾るだけで良いのです。しかもそれを動かせば、絶大なる運命変更のエネルギーが出るのです。
 ところで八咫(やた)の鏡は、金属鏡です。金属の五行は「金」です。それでご神獣も鳥(酉金)になったのではないでしょうか・・。
 最初火局で始まった三合局は、天武天皇にエネルギーを与えるためでした。しかし天武天皇がお亡くなりになった後は、八咫(やた)の鏡にエネルギーを与えるために、金局の三合局に変わったのではないかというのが私の仮説です。
 
 さて、神道には戒律がありません。徳を上げないと地獄に堕ちる・・なんて、言いません(笑)。戒律が無いというのは、「他力」を思わせます。
 だって自分を変えることによって運命を変更するのではないからです。
 伊勢神宮に参拝に行くだけで運が良くなるとすれば、やはり「明」の力だと思います。
 神社なのに、意外にも神がかり的要素は少ないのかも知れません。
 逆に言えば、科学のメスにも耐えられるのが、伊勢神宮だと思いました。
 
 外宮にある式年遷宮のための御敷地
 
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	| 神仏に助けを求める人(願掛けする人)は自力的 
 
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		| 神道に戒律が無いことを書いたら、「戒律が無いとしたら、暗黙の了解というか何も言わないけど、例えば殺人など悪い事をした人は死後、畜生道(いわゆる地獄)に落とされ、来世には何か因縁を背負って生まれさせ魂の修練をさせるのだと思います」というレスがありました。そして紹介されたHPには、行者が修行している風景も出ていました。 昨日の書き込みで伊勢神宮のことは終わりにしようと思っていましたが、もう一日引きずることにします。
 まず神道にもいろいろな種類がありそうなので、私が言う「神道」とは「伊勢神宮に関する神道」とします。
 
 さて、私が伊勢神宮の神道に感じたものは、「他力」でした。
 しかし、「戒律が無いとしたら、暗黙の了解というか何も言わないけど、例えば殺人など悪い事をした人は死後、畜生道(いわゆる地獄)に落とされ、来世には何か因縁を背負って生まれさせ魂の修練をさせるのだと思います」というフレーズに代表される考え方は、「自力」です。自分に原因があるとされる考え方です。
 もしも運命が決まっているのなら、殺人をすることも自分の意志ではないはずで、それを咎めるのはおかしいです。
 伊勢神宮では、来賓室で要職についている神主さんと話をしました。その神主さんは言いました。「ここの神道が一番近いのが道教だと思います。」
 道教の教えの根本は、無為自然です。ハンドルを手放すことです。これは「他力」に近い考えです。
 
 ところで昨日アップした天武天皇の一連の動作を見ても、他力的な部分がとても多いです。
 自分の生き方を変えて勝とうとはしていません。天照大神を、「拝んで」いません。
 自分で筮竹を行い、自分の未来を開いています。
 「天照大神様、私を助けて下さい。お願いします」などという態度を取っていません。
 ここで神仏に助けを求めるのは、自力的だと思いました。他力的な「諦め」が無いからです。
 しかし天武天皇の取った行動は、常に「諦め」と「運命変更」が同時に流れています。天照大神と対等な態度を取っているとさえ言えると思います。
 私は神社で願掛けをしません。時空を解明したい者が、どうして願掛け出来ましょうか・・。
 神社の前で手を合わせた瞬間、何かの願望が浮かべば、その人は他力から遠ざかります。
 自力で生きる者に、運命の好転(変更)はあり得ません。
 伊勢神宮のエネルギーは、他力的に生きる人間に味方をするような気がしてなりません。
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	| 教祖(キリストや釈迦等)の言葉を借りることも、「自力」の拡大ではないか 
 
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		| 昨日「暗黙の了解というか何も言わないけど、例えば殺人など悪い事をした人は死後、畜生道(いわゆる地獄)に落とされる」という話に対する私の意見を書きましたが、表記の文章を書いた方は、私の突っ込みに対して次のように書いてきました。 「この話は、神道である、御嶽教{http://www.ontakekyo.or.jp/content.html}の先達が清滝大日大照不動明王という神に憑依された時に告げていた話しです」
 この方に感謝しなければならないのは、こういう例が宗教では大変に多く、今日の書き込みのテーマを与えてくれたからです。
 宗教の信者を問い詰めていくと(笑)、「釈迦はこう言った」と言ってくる人が多いです。
 これは一見「他力」に見えます。だって他人任せにしているでしょう?(笑)
 しかし本当は「自力」ではないかと思ったのです。
 「他力」とは、タイヤに乗ってオールを手放した状態だと思います。外側に掴まる物がありません。
 しかし表記の宗教の信者はどうでしょうか・・・。教祖や他のHPの教えに、ガッチリと掴まっています。
 これは「自力」を拡大しようとしていることです。「他力」の全く逆なのです。
 神社に行って「どうか私を助けて下さい」と拝むのと、何ら変わりません。
 オールを手放すどころか、自分のタイヤに「神社」や「教祖」や「他のHP」を縛り付けているのです。
 何故こんなことをするのでしょうか・・。おそらく自分一人でオールを離すのが怖いからです。
 
 さて、こうして考えたとき、親鸞の教えを伝道しようとする和尚も自力を拡大していると思います。
 私は、教祖が信者を利用しているとばかり思っていました。しかし本当はそうではないのです。信者が教祖を利用しているのです。
 本来ならば親鸞という人を全く語らずとも、他力を語れるはずです。しかし世の中の和尚達はそうしません。何故でしょうか・・。説得力が出ないからです。
 中には「巨人」まで持ち出して箔を付けようとする人もいます。自分のタイヤに、「親鸞」やら「巨人」やらを縛り付けているのです。
 そうやって「パワー」を得ようとします。オールを漕ぐ力のパワーを・・です。
 キリスト教などはもっとひどいです。キリストがああ言った、こう言った・・。聖書にはこう書いてある、ああ書いてある・・。聖書を出さなければ、伝えられないのかい??
 つまり、人の言葉を使って喋るとき、「自力」を拡大しているのです。
 では、親鸞の言う「他力」を布教させるのはどうすれば良いでしょうか・・。
 簡単です。「私は結果」を知らせるだけです(笑)。
 M.ウェーバー、M.ハイデガー、A.アインシュタインなどは、かえって邪魔になります。だって巨人達の中で「私は結果」を言っている人が誰もいないからです(笑)。
 誰もいないから、自分の言葉で喋るしかありません。
 だからほとんど信用されません(笑)。みなさんが周りを説得するのと同じです(笑)。
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	| 書き込み期間:2005/04/17〜2005/04/21/2005/05/19 | 
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