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テーマ:「FOW2005」 |
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書き込み期間:2005/09/27〜2005/10/31 |
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要旨:
今年のFOWでは、アニメのテーマソングを大音量で流し、アニメキャラのスーツを着て登場して寸劇を行うことにしました。さらに、休憩時間中に「第一部の講演でどこが印象に残りましたか」と、参加者の人達にインタビューする場を設けることも決めました。
上記の内容を始め講演で行う予定の詳細を事前にHPで公開し、スタッフ達にも伝えました。ここまで事前に手の内を明かしたのは、今回が初めてです。
さて、前もって内容を知ってしまうと、楽しみが半減するでしょうか・・。このテーマは時空の謎にも運命の問題にも関わっています。
人は知らない部分を体験したいわけではないと私は考えています。それどころか、情報が多いものほど人は興味を持って体験したくなるのだと思います。
重要なのは既知か未知かの問題ではなく、最終的な結果でもなく、「途中」にあるのではないでしょうか・・。
私は本番の何日も前から、講演の準備を周到にやっていました。
スライドは何度も何度も見直して、その都度プレゼン内容に変更が加わりスライドが追加されていきました。常に変化が起こるのは、私には意図も「言いたいこと」も持たないからなのです。
また、以前は言っていた「私の仮説です」という台詞も今回は取っ払いました。身体を張って生データを提供してくれた人達のためにも、たとえそれを聞いて怒り出す人が出たとしても撤回するつもりはなくなったのです。
本番を控えて、体調管理とデータのバックアップには特に気を遣いました。体調を崩して出られなくなったり、PCの不具合やデータの破損などでスライドが使えなくなったりしたらアウトだからです。PCとデータのコピーはもちろん、プロジェクタの電球に至るまで予備を用意しました。
ここまで徹底するのは、私が賭に出ない人間であることを意味しています。
私は講演の内容を分単位まで詳細にスケジュールを立て、スケジュール通り遂行できるために念入りな準備をしました。何が起こるか分からない世界に身を投じる生き方の人よりも、賭をせず予定通りに事を運ぶ方に徹底する人の方が運命の解明には向いているのではないかと思っています。
本番の講演は小さなアクシデント(スライドのトラブル)はあったものの、ほぼ筋書き通りに進行されました。インタビューでは、皆がとても楽しそうな様子で答えてくれました。
参加者の人達からは、大変な反響がありました。あらかじめ知っていても(知っていたからこそ)ドキドキしたという感想の人が多かったです。何も知らなければ、ただビックリして終わるだけだったかも知れません。初参加者からのFAXがたくさん届き、その中には「何を言いたいかよく分からなかったけど感激した」という感想もありました。
私の講演では、大量のスライドを高速でどんどん送りながら早口で喋っていきます。それはあえて足を地に着かせず、不安定な浮遊状態を味わってもらうためです。これは私の時空調査にも通じています。視点も仮説も、一方向に固定されてしまってはいけないのです。浮遊しながら、仮説を次々に作っては壊していきます。それが下位の問い状態なのです。
それから、私が今回、女装にしろデータの内容にしろ、それについて理由を言わなかったことも大きかったと思います。理由を言った途端に落ち着いてしまい、存在が限定されたものになってしまいそうな気がします。理由も意図も持ち込まなかったことで、360度に広がりを見せる講演になったと思います。
私は事前に手の内を明かしたことで、本番では自ら追い込められるような緊張感を味わいました。でもそれと同時に、とても「生きている」感じも味わっていたのです。それは振動とも呼べる状態で、講演が終わった後も続いています。参加者のみなさんも同じ振動を味わったのではないでしょうか・・。
問いはいのちに振動を起こし、より「生きている」状態にさせるのだと思います。今回の講演では、私も含めてその場にいた全ての人に励起状態が起こったような気がします。
ところが大盛況の結果にも関わらず、主催者の船井さんから「演出は嫌いだ」という批判的な意見が来ました。そこで、演出について考えてみました。
私はずっと真面目に情報を出し続けていると、どこかで中和しないとやっていられなくなってくるのです。そこで演出としての女装をするのですが、それ自体がその時の私の「素」なのです。また演出をすると、素で真面目に喋っているだけでは表に出ることのない無意識層の側面を引き出してくれる効果もあります。
運命が決まっているとすれば、私達は時空の前では台本通りの演技をさせられている役者に過ぎないかも知れません。そこで演出は嫌いだと言ったところで、自由に迫れるでしょうか。私の講演会は演出から入りましたが、最終的には演出から脱する道に辿り着くと思っています。演出から自由になるには、演出の世界に入らなければなりません。
HP上でやりとりをした末、私は船井さんに辞表を提出しました。私が折れて船井さんの意向に沿えばこれからも関係を続けていけたでしょうが、講演を聴きに来るお客さんや時空と対面することを差し置いて、私の表現を狭くするわけにはいきません。それに何より私は「より生きている状態」であり続けたいのです。
ところで、私は講演のプロでしょうか。プロとは「それでお金を稼ぐ人」「それをある程度極めた人」のことをいうのでしょうが、私は自分をプロだと思ったことはありません。実際今回の講演料は、演出にかけたコストで全て消えています。私は自分をアマチュアだと思っています。だからこそ自分の全てを懸けて全力でやります。
では、時空はプロでしょうか、アマでしょうか。時空が何かに卓越していればプロなのでしょうが、私は時空こそアマだと思っています。何かに突出しそうになればリセットをかけて常にスタートラインに立ち続けているのが時空なのだと思います。
私の人生も、リセットをかけてはスタートラインに立ち戻ることの連続でした。今回の船井さんとの件もその一つです。
私はプロにはなりません。これからもアマチュアを貫いたまま、時空と対面していきます。
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○ モンロー研究所と生まれ変わりの村の差・・「地獄のような場所」をどう考えるか
○ 体脱&臨死体験と生まれ変わりの村の差をどう考えるか・・ソウルメイトと人生のやり直し
○ 体脱&臨死体験と生まれ変わりの村の差をどう考えるか・・来世を計画する
○ モンロー研究所参加者にとっての「中国発」
○ 聴く側から見て、面白い講演会
○ 話す側から見て、面白い講演会
○ 面白い講演会になるのか?・・FOW森田健の部を予測する
○ 面白い講演会になるのか?・・日々変わるプレゼン内容
○ 手の内を明かすと、面白くなくなるか?
○ 人は、「知らない部分」を体験したいのでしょうか?
○ マーケッティングから見たFOW
○ 賭をしない人間が、FOWを明日に控えて・・・
○ 筋書きのある講演会・・・導入部
○ あらかじめ決められた時間の流れに乗るということ
○ 用意周到で賭をしない男の事後報告(笑)
○ 同期
○ 休憩時間のインタビュー
○ 演出・・講演スローガン・・使命
○ 演出から自由になるには・・
○ 地に足が着かない講演会
○ 講演者の肉体から離れる講演会は、実際の人生そのものと似ている
○ 「理由」を言わない講演会
○ 意図が無いと、広がりを見せる人生
○ 「あと一分」
○ 振動
○ 振動は「生きている状態」ではないでしょうか
○ 制御と振動
○ 遡ってみれば・・
○ 「無いものを証明するのは難しい」・・しかしその課程で「得られるもの」は
○ 恐怖心
○ 「誕生日 なんで私は 私なの」・・アイデンティティの崩壊
○ SMも、たまには逆転を・・続アイデンティティ
○ 私はアマチュア、時空もアマチュア
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モンロー研究所と生まれ変わりの村の差・・「地獄のような場所」をどう考えるか
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モンロー研究所と生まれ変わりの村では、一つの大きな差がありました。それは「地獄のような場所」に関してです。
モンロー研究所ではフォーカス23〜26は、信念体系領域と言われ、成仏できない魂が行く領域でした。しかし生まれ変わりの村の証言には、そういう場所はありません。
今日は一日中これを考えていました。そして一つの仮説に辿り着きました。
世の中ではこう言う人がいます。「想いが全てを作り出している・・だから地獄があると思う人には地獄が出てくる。」
しかし「私は結果」が一つの前提となりつつある今、この説は了承しにくいです。
もう一つ、事実があります。それは生まれ変わりの村の人達ですら、死ぬ前は地獄があると思っていました。それは仏教思想の影響です。ということは、彼らとて同じです。
だから想いが作り出すというのはやはり変です。
ではなぜ差が出たのでしょうか・・。それは観察者と体験者の違いだと思いました。
体脱して行く人は、観察者なのです。非文明国に短期旅行に行くようなものです。
そこで暮らしている人を見て「なんてひどい暮らしをしているのだろう・・。ここは地獄だ」と思うのと同じです。
でもそこで暮らしている人は、自分が地獄だなどとはちっとも思いません。むしろ文明国よりも幸せだと思っています。
文明国の連中は彼らを蔑むだけではありません。助けようとさえします。それがモンロー研では「救出プログラム」などと呼んでいるものです。
私は生まれ変わりの村で取材するとき、インタビューされる側になるというスタンスになろうとしていました。データだけを集めるのではモンロー研と同じだからです。
でも一歩間違えると、観察者になってしまいます。棒で叩かれる人を見れば「あの人には前世の審判が下されている」と観察する人もいるでしょう(笑)。
体脱者は死んだわけではありません。だから死の世界を外から眺めているに過ぎません。
しかし「観察する」ということは科学の世界では正しいやり方です。彼らには、やはり死んでもらうしかありません(笑)。実際に死んでみないで「体験者」になることは、相当難しいです。
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体脱&臨死体験と生まれ変わりの村の差をどう考えるか・・ソウルメイトと人生のやり直し
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体脱や臨死体験者が時々次のように言います。「今世で学ばなかった者は、来世でやり直す。」特に夫婦関係についてこれが言われます。今世で失敗した夫婦は、来世でも出会い、やり直すのです。
しかし生まれ変わりの村には、この事例はありません。6年間に渡り調査を続け、今年は15人にインタビューすることが出来ましたが、それでも事例がありません。いえ、逆の事例になっています。前の夫に会いに行こうなものなら、病気になってしまいます。
時空が多くのサンプルを必要とするのなら、同じカップルでやり直すというのは、やはり変です。
では何故、人生のやり直し論などが出たのでしょうか・・・。それは「ソウルメイト」という単語に関係すると思います。
体脱と臨死体験では、なぜか親戚知人と会うことが多いです。生まれ変わりの村でも同様です。臨死体験した人が肉親と会い、「お前はまだ早い」と言われたのです。
つまり体脱者があの世で会うのは肉親知人関係ばかりなので、来世もそうなるに違いないと判断したのです。そしてそれが増幅して「人生のやり直し論」に発展したのだと思います。
体脱時になぜ肉親知人に会うのか、その理由は意識のパワーだと思います。体脱の方がおそらく意識のエネルギーが強くて、それが知人の場を引き寄せる(あるいは知人の場に移動する)のだと思います。
しかし生まれ変わりの人達は、向こうでは意外に会っていないのです。「あの世には知っている人がいなくて寂しかった」と言った人もいました。
これは意識のパワーが少ないのだと思います。あの世では皆、ぼーとしているのです(笑)。
体脱と生まれ変わりは、やはり違うのです。
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体脱&臨死体験と生まれ変わりの村の差をどう考えるか・・来世を計画する
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生まれる前に人生を計画してくると言う人が多いです。
10年ほど前に『聖なる預言』という本がヒットして私も読みましたが、この考え方をいくものでした。計画された人生はバースビジョンと言われ、それを思い出しなさいと本では書かれていました。この論法でいくと人生は決まっています。しかし運命論との大きな違いは、それを自分で決めたのです。
モンロー研究所でも同じような事に遭遇しました。『私は結果』に書いた文章であり、ここにも何度も出していますが、再び出したいと思います。
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<輪廻転生の管理責任者は実在するか>
モンロー研究所のセッションはこのころ佳境に入っていました。フォーカス二七を管理する管理責任者に会いに行き、さらにプランニングセンターにも立ち寄るというのです。プランニングセンターとは輪廻転生において、来世の計画を立てる場所です。この場所にはどうしても行ってみたかったのです。それがわかれば、私は現世においてなぜ日本を選び、なぜこの両親を選び、なぜ男性という性を選び、なぜ不思議なことを研究するようになったかも分かるはずです。
精神世界にバースビジョンという用語があります。生まれる前に持っていたビジョンという意昧で、それを思い出すことが大切だということです。それがわかれば「私は誰なのか」という質問にも答えられそうだと思いました。
フォーカス二七につくと、Coordinative Intelligence(管理責任者)に会いに行けと言われました。私はイメージしたのですが、どこにも行けませんでした。
次にプランニングセンターに行けと言われました。そのときもどこにも行けませんでした。つまりどこにも移動できなかったのです。
この最終コースでは一回のセッションごとにアンケートと感想文を書かなくてはなりません。セッションの最初のほうは自由形式でしたが、このころになるとアンケートも詳しくなります。だからセッションに入る前に読むようになってしまいました。
たとえばプランニングセンターのセンターはどんなところにあり、センター長はどんな仕事をしていたか? あなたは彼からどんなメッセージを受けたか? などという質間が書いてあります。できればアンケート用紙は全部記入したいので、セッション中に見落としがないように、事前に質間を知っておきたくなるのです。
この後の報告会で私は次のような報告をしました。
「私は両方とも見つけることはできませんでした。それは私がそういう存在を信じていないからかも知れません。
しかし、ひとつ言いたいことがあります。彼らは本当はいないのではないでしょうか。モンローさんの著書の中にはプランニングセンターらしきものは書かれています。プランニングセンター長のような存在(エドという名前の魂体)も記述されています。しかしこのアンケートにあるような確立されたイメージではありません。
ひょっとするとこのアンケートとコントロールルームからの誘導音声によって、存在しなかったものまでが作り出されたということは考えられないでしょうか? 管理責任者などというのはアメリカでいえば大統領を思わせます。ひとつの魂体が全体の魂を管理するなどというのは、この世の話ではないでしょうか? それが本当だとすればその魂体は神の親戚ですか? そうでないとすれば、輪廻転生をちゃんと卒業した存在でしょうか? 東洋の仏教には管理責任者なるものは存在しません。輪廻転生のシステムが存在するだけです。
私はプランニングセンターが存在するとしても、システムとして存在するのではないかと思います。誰か個人の意志のようなものは働いていないと思います。ところでモンローさんの存命中は、モンロー研究所はどんな宗教からも独立していたと思います。俗にいう精神世界からも独立していたと思います。けれど、この状況はアメリカの議会システムみたいです。それであの世を定義しようとしています。」
こう述べると、確かにそうだという意見もありました。そして話題はエドというプランニングセンター長の話になったとき、あるアメリカ人が言いました。
「私はロバート・モンローの著書を読んでいません。読むと事前に影響を受けてしまうと思ったからです。」
おお、そういう人までいたかという感じです。後で彼と話してみましたが、彼は十三回もモンロー研究所のコースを受けています。一回二十万円前後かかりますので、お金も時間も相当かけています。そこまでしていながら、彼はモンローの本を読んでいなかったのです。徹底しています。自分の体験だけを信じるタイプなのです。しかし彼は一度も体外離脱に成功していませんでした。これは本を読んでいないことのひとつのデメリットかもしれません。しかしよく考えてみれば、他の人たちは彼の著書(『究極の旅』『魂の体外旅行』いずれも日本教文社)を事前に読むことによって、ひとつの幻想の世界に入っていないとも限りません。
プランニングセンター長の存在は賛否両論がでましたが、見たという人の方が多かったように思います。本当に存在するのでしょうか?
私はこれ以降、アンケートヘの記入を拒否しました。もちろんちゃんと理由を書いてですが。
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13回モンロー研に行った人は、坂本さんの本「死後体験」にも出てきました。26回行ったことのある人として・・(笑)。
当時私はモンロー研究所の発表ルームで、頭から湯気を出しながら力説しました。特にアメリカの議会システムのところはです(笑)。真珠湾攻撃を仕掛けた日本人から文句を言われたことで、アメリカ人達は頭に来たと思います(笑)。
でもあそこで言いたい事を言ったお陰で、私はFOWでも大手を振って言うことが出来ます(笑)。
体脱は、実際にやってみれば分かりますが、対象物がハッキリと見えないときの方が多いのです。それは魚銀レンズのような感じになるからです。つまり360度の世界が同時に見える感じなのです。しかもピントも合っていないような時が多いです。
そんなときに「あれがプランラングセンターだ」と言われると、おそらくほとんどの体脱者は、そう思うに違いありません。しかもアンケートの追い打ちまで待っていますから・・。
アンケートに「そんなの無かった」と書けば、小学生が0点を取る答案用紙のようなものです。
しかし私の発言があるまでは、アメリカ人達は次のような発言をしていました。
「私は確かに見ました。人生の計画センターをです。」
「私が生まれる前にビジョンを作ったのは、間違いありません。」
このHPでこんな書き込みを発見すれば「バーカ、いつまで成長論者をやっているんだ、頭を冷やせよ」と言うところですが、それを英語で端的にどう言っていいか分からないので、あれだけ長く喋ったのです(笑)。
モンロー研究所では文句を言うヤツはほとんどいません。それは体脱に自信がないからです(笑)。だからボーと見えた物を「確かに見ました」などと言ってしまうのだと思います。
アンケートに「思い出したバースビジョンを書きなさい」とあったのには、閉口しました。そこまで追い打ちをかけるか・・と思いました。
モンロー研究所はいったいどこに行くのでしょうか・・。
しかし彼らだけに問題があるのでありません。モンロー研に行かなくたって、「人生は生まれる前に自分で計画を立てた」と信じている人は多いからです。
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モンロー研究所参加者にとっての「中国発」
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今日は愚痴を書きます。さらに何度かこの話題は書いています。でもまた書きたくなりました(笑)。
私はモンロー研究所で発表会の時間を持たせてもらいました。昼食の時間の私の話がとても面白いらしく、トレーナーが「それをみんなの前で話して欲しい」と言われたのです。
たぶんとても異例のことだと思います。参加者がプレゼンテーターになった話は聞かないからです。
プレゼンはとても大変でした。スライドでもあればいいけど、そんな物ありません。テレポーテーションや蘇生の話を中心にしました。
プレゼンの後は質疑応答でした。その時言われました。
「それは中国での調査だろ?」
「はい、そうですが・・それが何か。」
「中国発・・は、信用できないんだよね」
「だって気圧計とかの実験器具を作っていったのは、この日本人の私ですよ。」
「でも被験者は中国人だろ。」
「はい、そうですが・・それが何か。」
「中国発・・は、信用できないんだよね。」
話がループするかと思いました(笑)。
別のヤツが言いました。「中国人はコミニュストだろ・・。」
この部分は、本に書いたので割愛します。
イギリスから来ているヤツが、シェークスピアの言葉を借りながら「真実を見抜く目を持たなきゃダメだ」と言いました。
ミニ講演会の最後に、念力計を披露しました。それを講演会に参加した人に実際にやってもらいました。右へ左へ、面白いように振れるその機械に、歓声が上がりました。
しかし「中国発氏」と「シェークスピア氏」は、それには参加しないで席を立ったのでした・・。
中国発の男は翌日、車で家に帰りました(往復四時間)。
翌日彼は「ランチは俺の席に来い」と言いました。こんなヤツからランチを誘われても楽しそうではありません(笑)。
ランチの時、彼が出してきたのは、アメリカで行われている超常現象の研究資料でした。それを見せながら言いました。
「アメリカの方が進んでいるんだよ、中国発の情報を追いかけたって、騙されるだけだよ・・。」
ところで孫さんと沈教授はアメリカに招待されたことがありました。ペンシルバニア大学です。でも孫さんは「二度と行きたくない」と言っています。
たぶん「中国発」として見られたのではないかと思います。つまり本物かどうかをテストされることに終始したのではないかと推察します。
最先端という言葉があります。アメリカ人は自分達を最先端だと自負していると思います。しかしこのHPの議論で言えば、「私は結果」という概念が最先端です。
その基準で言えば、アメリカは最も遅れています。さらに逆走しています(笑)。差は開くばかり(笑)。「私は結果」を最も受け入れないのが、アメリカだと思います。そこには「中国発」という先入観があるからです。どこ発だっていいじゃないの・・。
そんなヤツが「私がフォーカス××で会ったガイドは、ずっと私を導いてくれると言っていました」などと言われると、そのガイドに言いたくなります。「アホなアメリカ人にヘタなガイドしてんじゃねえよ」・・と(笑)。
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聴く側から見て、面白い講演会
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一般的に言って講演会とは、どういうのが面白いのかを考えてみました。
●一瞬でも思考が止まる時がある講演会
講師の口から私の下位の問いに対するヒントが出て、それが輪郭がはっきりした答えになっていないため、思考が止まってしまうようなことが起こった時・・・。
実はこれが起こるのは、講演会の内容や面白さには拠りません。
つまらない講演会で「ああこんな話を聞いているより、自分の問いを自問自答していよう」と思ってしばらくした時、講師が何気なく言った一言がヒントになったりもします。
つまり、これは面白い講演会でなくても良いことになります(笑)。
●思考している暇がない講演会
これは上記とは逆です。自分が思考している暇がないくらい講師から情報の流れを受けるときです。プレイで言えば、手足を拘束されて刺激を受けているような、「どうにでもして〜状態」です(笑)。
人間は常に能動的で生きていると思っています。本を読むときも、どんなに面白くても途中で止めることが出来ます。
しかし思考している暇が無いくらいの状態というのは、ある意味、受け身の状態に入ります。
こういう講演会は滅多にありません。内容の濃い情報が出続けるのですから・・。
●脱線話が面白い講演会
ホンチャンの話は、聴く側は期待済みです。だから期待通りの成果があって当然です。しかし脱線話は、期待の外です。
脱線話から何かを得てしまったとき、「この講師は凄い」などと思います(笑)。その講師の幅の広さを感じるからです。
しかも脱線話には「意図」がありません。「押し付け」もありません。ジャズの演奏で言えば、アドリブの部分です。
私が思う「面白い講演会」はこんなところですが、いかがでしょうか・・。
みなさんにとっての「面白い講演会」がどんなものかも、聞かせてもらえると嬉しいです。
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話す側から見て、面白い講演会
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昨日は「聴く側から見て面白い講演会」というテーマでしたが、双方向・参加型が良いという案が多かったです。しかし私はどうもこれが好きじゃない(笑)。何故かと言うと、自分の世界に入れないからです。
講演者が良い内容を喋っている時は私の頭もフル回転して、講師と自分の違いなどを考えています。気付けばメモも取ります。でも参加型になると、それが出来なくなります。
とは言え、私も聴衆に問いかけます。でも必要最低限にしようと思っているのです。
さて、今日は「話す側から見て、面白い講演会」というテーマです。
●話す内容は決まっていても、それを忘れることが出来る講演会
話す内容が決まっているというとき、二つの場合に分かれます。
一つは、その内容を忘れることが出来ない・・という場合です。そのとき講演者はその都度台本(あるいはメモ)を見たりもします。
もう一つは、その内容を忘れることが出来るという場合です。これは話す内容など、いつでも出てくるという状態です。話す内容が、講演者にとって血や肉となっている場合でしょう・・。
これだと、講演者にとって、面白い講演が出来るわけです。
●聴衆の成長意識が低い講演会
表記とは逆に、聴衆の成長意識が高いと、講師は手段となります。言い方を変えれば「教えてくれる先生」となります。
私は昔、地方講演が多かったです。その地区で勉強会などを開いているグループが「先生」を呼んだりしたのです。私もそこに講師として行きました。
しかし彼らと「交わる」ことはありませんでした。エッチな意味で交わるのではなく(笑)、精神的に交われないのです。
その人達は私を「先生」と呼びますので、対等にはなれません。私が上かと思えば、そうでもないのです。なぜなら私は「手段」だからです・・自分を成長させてくれるための・・。
そして私は一切の地方講演を断るようになりました。
やっと私は、自分が取り戻せるようになりました。りんごの部屋で・・。
●演台が低い講演会
演台が高いと、参加者を見下ろす感じで、とても嫌です。だから講演用に作られたホールでするのが嫌いです。
FOWは普通の宴会場を使っているので、演台が比較的低くて、やりやすいです。
●スタッフが「出たとこ勝負」をしていない講演会
講演者には入念に準備する人もいます。なのにスタッフが講師に対して「出たとこ勝負」をするところが多いです。いえ、「出たとこ勝負」をするところが全てです。
私は未だかつて、講師に「事前勝負」をかけてきたところに遭遇していません。
これはどうしてそうなるかと言えば、スタッフにとって講演者は「外」なのです。
これを改善する方法はありません。講演者がガーガー言うしか無いのです。
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面白い講演会になるのか?・・FOW森田健の部を予測する
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●時間がたくさんある
今回の最大の特徴は「時間がたくさんある」ということです。私にとっては昨年の倍の時間があります。
この時間を何に使うかと言えば、脱線話です(笑)。テーマとは直接関係の無い話を30分も入れようと思います。それは中国紀行です。
しかし中にはこんなことを思う人がいるはずです。
「何だよ、パンフレットに書いてあることと違うじゃねえか?」
はい、確かにそうです。でもこれがあるから、今回のFOWは面白い講演会になるのではないかと思います。
ホームページを見ている人ですら「えっ、そんな事があったとは知らなかった」という話が飛び出すかも知れません。
中国にいるときには、わざわざ書くほどのことではないと思ったからです。でも話で聞くと、意外に面白いかも知れません。
そして直接関係ない話が、実はホンチャンの話に繋がっていくはずです。だって体験者はどちらも「私」なのですから・・。
電波の発信源を色々な方向から探査するのに似ています。
時間がたくさんある場合、講師がつまらないと最悪です(笑)。爆睡すらも、それほど長い時間できるわけではないからです。しかもチケットは買ってしまったし・・(笑)。
でも私の場合は、たとえ倍の時間でも、マシンガントークはずっと撃ち続けると思います。
●休憩時間のリスク
今回初めて休憩時間が入ります。これはプラスに働くかマイナスに働くか分かりません。
マイナスに働く場合を考えてみます。
さっきも書いたように、私はマシンガントークです。前半でノリノリの状態だったのが、休憩により解除されます。マイナス効果はこれくらいしか考えられません。
次はプラスの効果を考えてみます。
休憩が入ることで、観客の頭が「空」になります。
ラブホテルに入って2時間セックスし続ける人はいないでしょう(笑)。その間にベッドでの会話があるはずです。それが適当に間が入るあたりで第二戦に・・(笑)。
頭が「空」になることで、次のマシンガンの弾を受け入れる余地が生じます。
休憩時間も「効く」かも知れません。
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面白い講演会になるのか?・・日々変わるプレゼン内容
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最初、パンフレットに書く字数は100字と決まっていました。私は次の文章を書きました。
「宇宙にあるすべてのものはつながっています。ですから宇宙が変われば、あなたは変わります。あなたひとりが変わることはできません。時空はネットワークであり、運命共同体だからです。」
しかしパンフレットを校正する際に余裕が出来たらしく、追加依頼が来ました。なので先週、下記の文章を送りました。
「でも多くの人は、自分だけを変えよう変えようと歯を食いしばって頑張っています。それだと内面にばかり目がいき、外側のネットワークにつながることができません。ネットワークでつながると、お互いにフィードバックが生じるようになり、全体と一緒に変われるようになるのです。」
この文章を書いたおかげで、プレゼン内容に変化が起こりました。「フィードバック」がキーの一つだと気が付いたからです。
するとこれがきっかけとなり、以前作ったイラストや画像表現ソフトが別の切り口で再登場することになりました。
何故こんなことが起こるかと言えば、私の言いたいことが無いからです。
「私の言いたいことが無いからです」・・こんなことを言って良いのでしょうか・・。
はい、私はもともと何かが言いたくて、講演をするわけではないのです。
意図があってするわけではありません。ましてや愛ある世界を創りたくて講演するわけでは、もっとありません 。
私は時空の謎を知りたくて調査をしています。その結果を報告するのが講演会ですが、敵は「謎」ですから、解明が進むにつれ、どんどん仮説は変わります。
今日は編集者が来て、私の事前講演を聴きました。それを行っている最中だって、新しい気付きが起こりました。それを受けてスライドを追加するのに三時間かかりました。
現在スライド数は394枚です。
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手の内を明かすと、面白くなくなるか?
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舞台関係のスタッフ達に、本日以下の文書を送りました。まずはご覧下さい。
<FOW2005森田健の部の音声映像関係の注意事項>
●オープニングのアニメの音声はできるだけ大きく
今回の注意事項は、このために書いていると言っても過言ではありません。
通常のFOWでは、アニメの歌など大音量でかける場面など無いと思います。しかし私の講演会ではこれがキーになります。
私の講演会のテーマのひとつは「外側」です。人は外側でしか変われないという仮説をもとに私は講演会を行います。なので外側からの影響度を増大させるために、大音量が必要なのです。
これを普通の音でかけると、私は突然舞台に飛び出して、「もう一度やり直して下さい」と言うつもりです。
ですので、くれぐれもよろしくお願いします。
●オープニングのアニメDVDの最中は舞台を暗くすることが望ましい
このアニメのテーマソングはアップテンポで、しかも映像と音楽が合っています。それをシンクロと言いますが、「シンクロ」が私の講演会のもうひとつのテーマです。
舞台が暗いとスクリーンが強烈になり、シンクロの効果が大きいと思います。
●森田が登場するシーンは舞台だけのライトが望ましい
森田はアニメのヒロインの格好で登場します。そして短い寸劇(一人芝居)をする予定です。
森田ふんするヒロインは根源的な問いを持っています。しかしもうひとりのキャラクター(アニメでは主人公なので「ヒーロー」とします)は「なぜ戦わなければならないか」などという根源的ではない問いを持っています。
森田がヒーローを演じるときは、1メートルほど移動して行います。
この間、ライトは舞台のみが良いです。
ヒロインはヒーローとの会話が進まず、会話の対象を観客に向けます。
この時点で舞台を全面照明にしてもらえると嬉しいです。
観客に向かって喋るとき、観客に問いを発して、挙手を取る場面があります。
そこでは客席の照明を明るくしてくれると嬉しいです。
●オープニング前の10分から始める
『密着ドキュメント森田健の世界』の取材際行われたインタビューを、ノーカットで上映したいと思います。
開始前だからと言って、チマチマ流さないで下さい。本番と同じ音量でお願いします。
場内アナウンスのときは、一時停止モードで止めるのが良いと思います。
●休憩のインタビュー
休憩が10分経過したところで私がマイクを持って客席に行き、インタビューします。
リアルタイムで場内に流して下さい。
開始二分前にブザーを鳴らして下さい。それを合図に戻ります。そして一分で着替えます。
●観客の様子は映さない
2001年のFOWで、正面スクリーンに観客の様子が映り、多くのブーイングをもらいました。私の講演はスライドの枚数が多いです。今回は395枚です。
これを消化するには一枚を20秒以下で出さないといけません。観客はスライドを見て、私の説明を聴いて、ほとんど前方に集中しています。
なので観客の様子などを映すのは、やめて欲しいのです。
ただし、観客を映しても良い瞬間があります。それは私が観客に問いかけ、挙手をしてもらった時です。
いろいろ書きましたが、あくまで私の案です。ご検討下さい。それではよろしくお願いします。
<タイムスケジュール>
オープニング10分前 陰アナウンス
「これより『密着ドキュメント森田健の世界』の取材の際行われたインタビューを、ノーカットで上映いたします。講演開始までお楽しみ下さい」
オープニング5分前 |
陰アナウンス |
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1分前 本ベルが鳴る |
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司会、登場。森田さんと神坂さんの紹介 |
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「それでは、どうぞ! |
オープニング |
DVDによるアニメの映像と音をダイナミックに流す |
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1分半 |
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曲が終わり次第、森田がアニメヒロインの服装で登場 |
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第一部の森田の講演 イントロ10分 |
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そのまま引き続き |
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神坂さん登場 30分講演 |
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森田 再登場 60分 |
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森田は普通のワンピースに着替えて登場 |
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前半1部で、動画の映像を使うところは3カ所あります。 |
休憩(20分) |
休憩が終わる10分前から森田が会場に降りてお客様へインタビュー |
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「第一部で印象に残ったところを教えて下さい」 |
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このインタビューを会場の大きなスクリーンに流す。 |
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2分前ベル |
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インタビューを終わり、森田は元の上手に戻る。 |
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そしてチャイナドレスに着替える |
第二部 |
1分前のベル |
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司会のアナウンス |
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本番スタート 神坂さんの登場の前に、森田が登場 |
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数分間お話をする(さきほどのインタビューのまとめ) |
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神坂さん再登場 25分にさせていただきます。 |
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(この間に森田は男性服に着替え) |
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森田登場 50分講演 |
送った文書は以上です。先方から、「対応します」との返事をもらいました。
今回のFOWは、このHPを通じて私の手の内が明かされています。
普通はこういうことはしないでしょう。楽しみが半減しそうだからです。
しかし本当に楽しみが半減するでしょうか・・。
今日のテーマは、時空の謎にも関係します。
時空は手の内をなかなか明かしません。それは我々が明かさないからではないでしょうか(笑)。
もしも私が結果だけで勝負するのなら、手の内は明かさずに結果を見てもらうべきです。
でも時空がそれをやったらどうでしょうか・・そもそも出来るのでしょうか・・。
宇宙はこのまま膨張を続けるか、収縮するかのどちからです。結果は悲惨です(笑)。
最終局面で生き残っている生物はいないでしょう・・。みんなあの世に行って暮らしているはずです(笑)。だからあの世の探査は必要です。
話を戻します。
目標を目指して頑張っても、最後に宇宙はなくなります。作り出した結果は、全て消失します。
だとすれば、「途中」に何かがあるのではないでしょうか・・・。
そして手の内を明かしても楽しめるということが、「途中」なのではないでしょうか・・。
さらに言えば、私が手の内を明かす方向に変われば、時空も手の内を明かすようになるのではないでしょうか・・。
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人は、「知らない部分」を体験したいのでしょうか?
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私が富士通で初めて配属されたときの部長は、とても頭が良くて、尊敬していました(辞表を出したときの部長はバカです)。彼は社長の娘と結婚して、社内でも評判でした(しかし私よりも先に富士通を出てしまいました)。
その彼が時々講演会の講師をやるので、私は聴きに行っていました。
ある日のテーマは「情報の流通と人の移動は、反比例するか?」というテーマでした。
昨今、私はSFCでインターネット関連の授業を受けています。そういう授業では「インターネットが普及すると、行かないで済むようになる」というのが一般的な説として挙げられています。
しかし私の上司はそう言いませんでした。「情報の流通と人の移動は比例する」・・と言うのです。
例えば旅行を例に取れば、ガイドブックの数が多く、その地域の情報が溢れている所ほど行きたがるのです。映画を例に取れば、ストーリーが洩れてしまっているものほど、観たくなるのです。
だから「居ながらにして全て入手できるから、どこにも行く必要がないのです」という人間は、ほとんどいないのです。
では、人は何のために行くのでしょうか・・。
私はFOWの情報を事前に漏らしています。漏らしていない部分を知るために行くのでしょうか・・。
そうではないと思います。なぜなら、私の上司の仮説に反するからです(笑)。
23歳と30歳の両方に結婚の可能性のある女性には、それを告げました。でも前にも増して、エキサイティングに生きています。
私もかなり詳細に自分の人生を知っています。でもやはりエキサイトして生きています。
人は、知らない部分を体験したいのでしょうか・・そこに疑問に思います。
ガイドブックに「この店の××は実に○○で美味しい」と書いてあれば、それだけで行きたくなります。
そこで私だけの「別物」を体験する必要はないのです。
だから、私がFOWで既に発表した部分以外を体験しに行く・・というのは、違うのではないかと思います。
ご飯だって毎日同じだけど、美味しく食べます。私の家族は、ハワイの同じ場所に、何度行ったか分かりません(笑)。同じCDだって、何度聴くか分かりません。
だとすれば、「初めての講演会」だって「同じCDを聴く」という感覚で行く人は、とても多いのではないかと思います。
そして人間の運命が全て決まっているとすれば、「既知」とか「未知」が、「選択」のキーにはならないと思います。それは後からの理由付けだと思います。相性占いが無意味なように・・。
人は「知っていること」しか体験したくないのではないかと思います。だから情報が多くなればなるほど、そこに行きたくなるのではないでしょうか・・。
今の私の視点は、昔からあったわけではありません。つい最近です(笑)。
だからFOWの情報を公開する方向に変わったのです。
人は 「未知の物にドキドキする」と思い込まされてきたのです。
クリントンの命式では、自分が唯一無二の大統領になることがフロンティアだと思い込まされているのだと思います。
科学者ですら、自分は「未知」の領域に切り込んでいると思い込まされている・・。
こうして人は、本当の自由からどんどん遠ざかった・・。
この問題を解明していくと、運命と自由の突破口があるのではないかと思います。
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マーケッティングから見たFOW
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FOWに来る客層を考えてれば、やはり精神世界を抜きにしては語れないでしょう。
私が普段考えていることの中には、精神世界がほとんどありません。時空の成り立ちというテーマの前には、自分の生き方などどうでも良いのです。
しかしこれをそのままFOWに持っていけば、ウケません。
でもFOWで精神世界の話をすれば、「森田さんは、自分を偽ってまで精神世界のことを発表するのですか?」と訊かれれば、「そうです」と答えます。
なぜなら、精神世界というマーケットの上でFOWは成り立っていると思うからです。
「今日は××先生から、いいお話を聞いたわ」・・こういう層を否定できません。
だからスライドの後半10%は、生き方のお話になります。
しかし、他の先生の中には生き方のお話が90%だったりもする人がいます。そういう人は、10%のデータから90%の生き方論を展開します。しかも10%のデータが自分のデータでない人もいます。自分のデータであったとしても、一つの方向からのデータだったりもします。
私の場合は、多方面からの探査で90%を占められます。
だから生き方に関する部分は、それなりに重いです。裏はいくつも取ってあるからです。
しかし今回の最後に出てくるスライドには「私の生き方」と明記してあります。
他の先生の中には、「みんなもこう生きるべきだ、そして世界を良くしよう」などと言う人がいます。しかし私は、他人の生き方など知ったことではないし、それを公の場で叫ぶのも、どうかと思います。だから「私の生き方」なのです。
そう明記してでも生き方論を出さないと、私はマーケッティングで失敗するからなのです(笑)。
でも内容が他の先生の言うことと全く逆だから笑えます。
その筆頭は「人を助けるな、人に親切をするな」・・です(笑)。
これを見た人の中には、また怒り出す人が出るかも知れません。「撤回して下さい」と言うかも知れません。
でも、もう撤回しません。なぜなら、それを出すに至る元データを提供してくれた人達に悪いからです。
彼らの中には、自殺までしてあの世を経由した人もいます。彼らの中には、盲目なのに、一生をかけて運命に取り組んだ人もいます。
精神世界の右翼が怒ろうがアメリカ人が怒ろうが、撤回する気はありません。しかも「私は仮説」というスライドが今回、姿を消しました。だってそんなの、当然だからです。
やはり、「アブナイ路線」ギリギリが面白いのです(笑)。精神世界というマーケットサイドから見ても、私はその路線から攻めなければならないのです。
何故こんなことが出来るのかと言えば、「言いたいこと」が無いからです(笑)。
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賭をしない人間が、FOWを明日に控えて・・・
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FOWを明日に控えて、私がやることは次の2点です。
●健康管理
健康を害してFOWに行けなくなれば、ゼロになってしまいます。
私は二三日前から外出(遠出)を控えています。外が雨だからです(笑)。
二三日前からベッドの横には、肌着を一枚置いて寝ます。朝、もしも冷え込んだとき、着るためです。実際、一昨日、それを着ました。
この場に及んで、行けなくなることが最大のリスクです。行けさえすれば、講演はすることが出来ます。
何故こういうことをするのか・・それは私が賭をしないからです。「今日一日くらい外出しても大丈夫だろう」・・そういう賭には出ないのです。
●データのバックアップ
スライドのデータのバックアップには特に気を使っています。どんなに素晴らしいスライドが完成しても、PCの不調とかで壊れてしまえば、それで終わりです。
毎晩不思議研のサーバーにバックアップをしていますが、それとは別に、USBカードにもバックアップしています。
最新版が壊れても、昨日のもので講演をすることが出来ます。それ以降の新しい気付きは、喋りでカバーできます。
HPの中では「PCが壊れた」と言ってブーブー書き込んでいる人がいますが、信じられません。PCはいつか、必ず壊れるのです(笑)。
私は賭をしない人間です。だから中国にすら二台のパソコンを持っていきます(以前は一台だった)。
私は現在、自分のいる場所には全てPCを置いています(5台)。それだけの台数があれば壊れるのも出てきます。ですから私が「PCが壊れた」とブーブー書き込んでいるのを、見たことが無いと思います。
明日のFOWにも、当然二台持っていきます。電源ですら二セット持っていきます。もちろんスライドデータも全く別の媒体で二つです。
賭をしない人間は、もちろん用意を周到にやります。
賭をしない人間は、運命の解明に向いているかも知れません。
ドキドキワクワクするよりも、予定通りに進む方に喜びを感じるからです(笑)。
しかし賭をしない人間は、全くしないのでしょうか・・。
小さなところで賭をしない代わりに、でかい山を張っているかも知れません(笑)。
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筋書きのある講演会・・・導入部
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事前の打ち合わせが出来たお陰で、音響・映像共に文句無しでした。アニメのテーマソングが、あれだけの大音量で流れるとは思いませんでした。FOW始まって以来のことだと思います。
それまで会場には、『もりけん密着ドキュメント』が流れていました。にも関わらず、ざわざわしていました(笑)。
しかし最初の大音響で、話など全く出来ない状態に入りました。そのあと私が登場するシーンには、白煙まで出ました。
お客は何が始まるのか、固唾を飲んで見守りました。だから、私が出るまでの数秒間はシーンとしていました(笑)。
しかし私がアニメ服で登場すると、その時点でどよめきが起こりました。おそらく期待以上の「格好」だったのです。
しかしこのHPを見ている人は、筋書き通りでした(笑)。
それでも肌色部屋のメンバーで開かれたオフ会では、「あらかじめ知っていてもドキドキした」という意見が多かったです。
たぶん知らなかった人はドキドキしようがないと思います。だって一分半を「ビックリして」終わるだけですから・・。
しかし「ドキドキ」というのは、知っていたからこそ出たのだと思いました。
そう考えると、ドキドキは不思議な現象です。
寸劇に入る前は拍手まで入り、私はしばらくそれが止むのを待ちました。これは筋書きにはありません(笑)。まさかアニメ服だけでこんなにウケるとは思わなかったからです。
その後は寸劇です。台詞を言う場面です。でも自分としては結構入れ込んだと思います(笑)。
そのあと講演会のメインテーマに入るのですが、それもスムーズにいき、導入部としてはFOWの歴史に残ると思います(笑)。
手の内を明かすのは、「自ら追い込められたい」のかも知れません。
FOWでやる事は、事前にみなさんに知られていました。だからやる方(私)は大変でした(笑)。
だってお客が何も知らなければ、嫌なことはパスすることも可能だからです。
お客が私のやることを知っているので、私は引くことが出来ませんでした。普通ならもっと肩の力が抜けるはずなのに、本番前は本当に緊張していました。
12:00〜12:20まで船井さんと会食しました。そのとき秘書の女性に言われました。
「森田さんて、普段になく緊張していますね・・。」
「はい・・」
「森田さんでもこういう時があるのですね・・。」
お昼はプリンスホテル特製の和風膳でした。普通なら、一気に平らげるところです。しかしその日は、半分しか食べることが出来ませんでした。
最初のテーマソングの音が小さくても、事前にリークしていなければ、お客はガッカリしません。これが普通のFOWの音量だと思い、「なかなか良かった」という書き込みが入るはずです。
しかし今回は、音量すら事前に宣言してありました。音が小さければ、私は壇上に飛び出して「チマチマと小さい音で、かけるんじゃあネエ!!」と言わなければなりません。
私はリークすることで、自分を追い込んでいました。それで緊張感を久々に体験していた・・とも言えます。
どっしりと構えて、悠々と壇上に向かう・・こういう人間を人は目指しているのでしょうか・・。生きることよりも、成長が大事なのでしょうか・・。
5分前になった時、裏方のスタッフ達も緊張していたようでした。音声の人、白煙を出す人、スポットライトの人・・チーフはみんなと最後の連絡を取っていました。悠々と構えている人は一人もいません。
もしかするとそれは、プログラムそのものを観客が知っているということを、知っていたからかも知れません。
これを時空の視点から考えてみます。
時空は今まで、手の内を知られませんでした。だから何を起こそうが勝手でした(笑)。
しかし今、運命が明かされつつあります。
それは、裏方にいた私達と同じ状態ではないでしょうか・・。
もともと小さい音量の運命にあれば、それは猿の置物かなんかで音量アップさせられます(笑)。「チマチマと小さい音で、かけるんじゃあネエ!!」・・これを人間の側から事前に言われるのです。
再び視点を私に戻します。
緊張していても、私はいつもより「生きていた」ような気がします。
もう一つの感覚・・私は一人ではない・・とも思いました。
もしも事前の情報がなく、「チマチマと小さい音で、かけるんじゃあネエ!!」と言った日には、客は目が点です(笑)。
しかし事前に言ってあれば、賛同の拍手すら起こる予定でした。
時空が手の内を明かしたいのは、こんなことにも理由があるのかも知れません。
自ら、追い込められたいのか・・と。
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あらかじめ決められた時間の流れに乗るということ
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私の講演は、いかに時間の流れに乗るかにかかっています。
精神世界が好きな人の中には、自分を客観的に見ろという人がいます。
例えば、「怒っている自分を外から観察しなさい。そうすれば怒りが静まります」という手法です。もう一人の自分を見出しなさいと言う人もいます。
私はこれをやりません。というか、もしもこれが起こると、自分の講演会は失敗に終わります。
私のスライドは多いです。喋る内容を考えている暇はありません。
もしも私が私を客観的に見るようになったら、私の話はスピードダウンするはずです。 考えながら話すように変わるからです。
時間の流れに乗るというのは、我を忘れることです。
しかし外から与えられたスケジュールに対して「我を忘れる」のなら、六爻占術で言うところの「入墓」と同じです。
私はスケジュールをガチガチに作りました。それを参加者の一部も知っていました。
もともと知っている事に「我を忘れる」のは、ちょっと異質なのです。私は「今」に生きているのではなく、「講演会全体」に生きていたのです。
「あなたはいつ居ますか?」・・「いつも居ます」
この状態にシフトしたのは、講演開始一分前からです。
それまでは『密着ドキュメント』のノーカット版が流れていました。でもお客のざわめきが耳に入り、私はシフトしていませんでした。
一分前のブザーが鳴り、お客のざわめきが減りました。
アイソレーションタンクのように、私にインプットが少なくなりました。次第に「空」に近くなりました。
そしてあの大音量です。私は自分の計画したものに、我を忘れて入っていきました。
この状態にシフトするのは、一度でいいんです。もう抜けませんから・・。
「私」は、講演時間全体に溶けました。
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用意周到で賭をしない男の事後報告(笑)
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講演中にトラブルが発生しました。スライドの絵が出なくなったのです。数枚送っても出ないので、舞台裏に飛び込み、りんごさんのハンドバックから外部ディスクを取り出しました。
私が突然舞い戻ったのに、中にいたスタッフたちは声も掛けられない状態でした。だって何が起こっているか、分からない(笑)。
例えばステージで一分も立ち往生していれば「異変」に気付くはずです。でもスタッフが「異変」と感じられない時に、私は舞い戻ったのです(笑)。
私はディスクを掴むと、すぐに舞台に舞い戻りました。そしてパソコンに入れ、起動しました。復旧!ロスタイムは、30秒ほどではなかったかと思います。
途中、「あの世のお金がいけなかったのかな」ブツブツと独り言を言いましたが、今から思えば「やはり青いパンツをはいてくるべきだった」とか言うべきでした(笑)。
私が用意周到なのは、FOWの前日にも書き込みをしました。「体」と「データ」だけは大切だ・・と。その「データ」に異変が起こったのです。
しかし「データ」は、外部ディスクとICメモリの両方にコピーしてありました。舞台裏に戻った時、いつも使い慣れているディスクにしか頭は行きませんでした。
実はもう一台パソコンがありました。でもそれは「冷えていた」のです。
次回からは、「ホットスタンバイ」させるつもりです。そうしておけば、パソコンごと交換しても、30秒以内で済ますことが可能だからです。
私の「用意」は、パソコン関係だけではありません。アニメのDVDもビデオの画像も、全てコピーを持参して持っていきました。
極めつけは、プロジェクタの「電球」も・・です。
電球はいつか切れます。「まさかFOWで切れるとは思わなかった」では済みません。
私が保険に入ると言ったら、「森田さんらしくない」と言われたことがありました。
「自由」に生きる人間に、保険は似合わないと言うのです。
イチかバチかを生きるヒーローは「自由」を感じさせます。ギリギリで危機を突破するヒーローは「自由」を感じさせます。賭をするヒーローは「自由」を感じさせます。
しかし私は賭をする男ではありません。そして賭をする男よりも自由に迫りつつあると思っています。
でもここまで書いて、「自由って何だろう」と本当に思います(笑)。
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同期
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今回の講演会は、スライドの右下に、時々時刻表示が出ていました。私はそれに同期を取られるように、駒(スライド)を進めました。これも事前にみなさんに漏らしていたので、見ていて気になった人もいたと思います。
でも今回、あれがあったお陰で、延長したビデオがありました。モンロー研の体脱シーンでは、その体脱シーンのみで、私の「語り」まで延ばすことは予定されていませんでした。
しかしスライドに表示された時間を見れば、予定よりも5分早めに進んでいました。ということで、あのCGビデオが全部入ったのです。
さて、「私」はスライドという外部から「同期」を取られていました。これと同じく、私たちの人生も、同期を取られていると思いました。
なぜなら、「出会い」は1秒もの誤差さえあってはならないからです。交通事故などは0.01秒の世界です。それが原因で結婚した夫婦だっているはずです。
AさんとB君が同期を取らずに動いていたら、占いは全く当たらなくなります。
どっちかが行きすぎれば、待っているように自動調整されているのです。それは私とスライドの関係とそっくりです。
パソコンのCPUは、ギガヘルツ級の細かい同期で動いています。
では時空はどうでしょうか・・・。
私の勘ですが、ギガヘルツなんてものではないはずです。微細な世界ので同期を取っていると思いますから・・。
ニッセンは12月7日に突然上がり始めました。「同期」されていただけの話です。
ニッセンの社長がいくら頑張っても、その同期を崩すことは出来ませんでした。
そう言えば、シンクロすることは「同期が取れる」とも言われます。あちらの世界とこちらの世界の同期が取れるのです。
そして運命変更とは、同期をずらすこと・・と言い換えることが出来るかも知れません。
今回の講演会には、時空の秘密が色々と隠されているようです。
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休憩時間のインタビュー
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今日のメインコーナーの書き込みは、写真入りです。
休憩時間にインタビューをしました。
驚いた事があります。それはインタビューされる側が、とても楽しそうだったことです。
普通はこうはいきません。お客はマイクが自分に回ってこないように祈るのみ・・(笑)。
マイクを向けられても、言葉に詰まったり考え込んだり・・。
それは質問が統一されていたことにもあると思います。「どこが印象に残りましたか?」
この質問は、他の観客も興味を持ったはずです。
例えば「あなたはどこから来ましたか?」とか質問すれば、他の観客にとって、どうでも良い質問になってしまいます(笑)。
休憩時間なのに、しかも3000人近く入っているのに、場内は静まり返っていました。
以下、インタビューされる側が楽しそうなのにも、注意して下さい。
何故こんなに楽しそうだったのでしょうか・・。それは講演会が楽しかったからだと思います(笑)。
あのアニメ音楽と寸劇から始まったら、普段の憂鬱など吹き飛ぶに決まっています。しかも動画も盛りだくさん・・・。
講演会というよりは、エンターテイメントのショーに近かったのですから・・。
だからインタビューだって一つのショーでした。だってリアルタイムに大写しにされるからです。私が大写しにされていると思ったら、インタビューされているみなさんではないですか・・(笑)。
でも答える内容は知的です。これは知的なショーだったのです。
さて、みなさんの答えに、私はとても新鮮なものを感じました。答えが人によって全然違ったからです。でも観た講演会はみんな一緒のはずでした。しかもそれは直前に観たものです。
これが「個」かと思いました。全く同じものを見ても、「個」によってバラバラになるのです。60億の人が見れば、60億の見方が生じるのです。
たぶん私達は、違った体験を、それぞれがしているのです。
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演出・・講演スローガン・・使命
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今日のメインの書き込みも、写真を使います。まずはオープニングです
未確認情報によれば、この司会者(プロのアナウンサー)は紀伊国屋サザンシアターの講演会に聴衆として来ていたそうです。そして並んで私のサインを貰ったそうです(笑)。
あっでも、この写真は今日のメインの書き込みとは無関係です(笑)。
関係あるのは、以下の写真です。
この服装は、インタビューが終わってから一分間の間に着替えたものです。演出です(笑)。
数日前に、社内で試着選考会がありました(笑)。白と黒のワンピースの後には、何がいいかって・・。私は下のミニチャイナが良いのではないかと提案しました。
でも社内の意見は、圧倒的に「赤」でした。それまで着ているのは黒と白だし、赤で出るのは短い時間だからです。で、赤に決まりました。
で・・これが船井さん主催の講演会で着る最後の女装服になるとは、思ってもいませんでした。
さて、演出について考えました。私にとっては、こういうチャイナ服を着ること自体が、その時の「素」なのです。その理由を話します。
私は講演会で沢山のデータを提供します。それは一種、「愛を与えること」に似ているのです(笑)。
あのデータを取るために、多くの時間と労力を払っています。ダンさんは100人の友達に手紙を書きました。そして中国を渡り歩く中、多くの人が私に協力してくれました。
日本では決算期に、私が不在でも会社を成り立たせる社員達がいました。
たった一枚のスライドにどれほどのコストがかかっているか、分かりません。私にとっては全て事実のデータです。それを15秒以下で出していきます。
私にとってこれらの行為が、恥ずかしくて仕方がないのです(笑)。だから「中和」しないとダメなのです。
私は真面目な講師が、最後まで真面目に講演をすることが、どうしても理解できません。彼らは「エゴを無くせ」だの、中には「この美しい地球を守ろう」などと言う人もいます。最後まで真面目に話して、真面目に終わります。
しかしそれで終わるわけはないと思います。どこかで中和しているはずです。例えば私生活がとってもエゴとか・・(笑)。
時空の身になって考えます。もしも世の中が善人ばかりだったら、時空は恥ずかしくて仕方がないと思います。「こ・・こんな世の中なんて、恥ずかしくて見ていられない」そう言って悪人を作ったのです(笑)。いえ、これは冗談ではありません。
私は私生活も公開するタイプです。なので私生活で中和するわけにはいきません。全ては公の場で中和せざるを得ないのです。
中国紀行に女装用品を持って行かなかったときがありました。やはり、荷物としてかさばるからです。で、毎日真面目に報告をしていました。
でもある日、キレたのです(笑)。露店で化粧品を買うと、それで化粧して、女装の写真を出しました。「マジにばかり、やってられるか・・」と思ったのです。
演出をする効果はもう一つあります。それは私の無意識層を引き出してくれるのです。
真面目に話していると、それは左脳の世界であり、それで終わります。しかし何かしらの演出をすれば、それが引き金になって無意識層が顔を出すのです。
予定外の言葉が飛び出す頻度が高くなるのです。
だから思います・・真面目に最後まで講演する人は、いったい何が面白くてそれをやるのか・・と。
ここからが今回の書き込みで、重要なところです。
彼らが最後まで真面目に講演できるのは、使命感があるからだと思います。
使命感だとすれば、理解できます。赤字で続けるのも、演出を否定するのも・・・。
でも、真理の探究に使命感があったらどうでしょうか・・。使命感とは、ある方向性を持つことです。地球を良くする・・とか。
で、自分の発見したデータがそれにそぐわなければ、よほどの事が無い限り、採用しないと思います。だって講演などで、自分の達成したい使命についての説得力が減るからです。
つまり使命とは、360度の可能性を狭めるのです。だから使命は、真理の探究には向かないのです。
同じように使命型スローガンも同様です。集合講演会には大抵、社会使命を前面に出したスローガン(テーマ)を掲げます。あれが私は、さっぱり解りません。
そこに「エゴをなくせ」などと書いてあった日には、「まずそれを外すことがエゴからの脱却です」と言いたくなります。
私の講演会は、「言いたいこと」がとても少ないです。だから使命感も少ないのだと思います。このHPの右上にも「不思議研究所は社会使命を持たず楽しむだけに研究をします」と書いてありました。
使命がないから、たった一分の着替えに命を懸けられるのです(笑)。
(私はこの文章を真理の探究のために書きました。全て書かないと、真理の探究から外れるからです。さらに言えば、この「演出」という切り口ですら、時空の謎を知るきっかけになるかも知れないからです。私は自分の人生はデータを取る駒だと思っています。世間体や迎合を気にして何もしなければ、時空の真理を解明することは、あり得ないと思っています。)
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演出から自由になるには・・
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私は大学時代、放送研究会にいて、ラジオ番組を作っていました。私のポジションは「演出」でした。自分で書いたシナリオを、自分で演出してドラマにしていました。
私のドラマはそのほとんどが「問い」でした。ですから伝えたいメッセージは何もありませんでした。
でも先輩の中には、伝えたいメッセージが強くあるものがありました。
番組研究会と称される討論会があり、そこで私はこっぴどく追究されたものでした(一年の頃)。
「お前はこの番組で何を言いたいんだ?」
「そんなの、ありません」
「言いたいこともないのに、番組など書くな。」
当時は学生運動が盛んで、社会変革が番組に込められていないとダメだという風潮があったのです。しかしそういうドラマを私は好きではありませんでした。
社会変革系のドラマでメッセージを伝えるために効果音などが派手に入ると、嫌悪感すら感じました。
さて、講演会も似ていると思います。伝えるメッセージがある講演会で派手な演出が入ると、私も嫌です。
「演出が嫌いだ」というのは、伝えたいメッセージがあるときのことだと思いました。
私はFOWの講演会の最後に「私の生き方」というスライドを出しましたが、数秒ですっ飛ばしました(笑)。あれは言いたいことではないからです。
私の講演会は、問いかけと仮説が中心です。そうだとすれば、「演出」も「問いと仮説」と一体なのです。
さて、演出者というのは普通、舞台には出ません。舞台裏(安全圏)で指示するだけです。しかし本人自身(綾波レイ(笑))が出てきて自我をも捨てる覚悟で演技したら、それを演出と言えるのでしょうか・・。
これを時空の側面から考えてみます。
私達は肉体に入った瞬間、その肉体を役者とした演技を始めさせられます。
ある人は人を殺す役です。ある人は殺される役です。
既に演技とか演出を超えています。だって本当に死ぬのですから・・・。
シナリオは「おぎゃ〜」と泣いた瞬間に作製されます(笑)。
演出が嫌いというフレーズは、時空の前では全く無意味です。演出が嫌いというフレーズを言っている時ですら、演出されて、それを言っているのです。
私はあの時、寸劇を終わると、シンクロニシティという単語を言いました。それがキーで、自由になる方法を提案しました。
演出からスタートした私の講演会は、演出から脱する道に辿り着くのです。
運命から自由になるには、運命の世界に入らなければならないと言いました。
今日のテーマでは、次のセンテンスを言いたいです。
演出から自由になるには、演出の世界に入らなければならない・・
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地に足が着かない講演会
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講演はいよいよ後半に入りました。後半は本格的に「データ編」が始まります。
生まれ変わりの村の情報、六爻占術、盲師派推命占術、道教、親鸞、宇宙の輪廻、シナリオから自由になるには・・スライドはどんどん進みます。
何故こんなにスライドのスピードが速いのか・・、なぜこんなに喋るのが速いのか・・ それはスライドの枚数が多いからです(笑)。
だったら減らしゃあいいじゃん。あれだけ準備する時間があったのだから・・(笑)。
でも減らすわけにはいかないのです。喋る内容がいっぱいある・・からではないのです。
スライドが早く送れなくなるからです。げっ、それって一体・・(笑)
仮にもしも、生まれ変わりの村だけの講演会を開催したとします。スライドの枚数も少なめにして、トークを多くします。
するとどうなるでしょうか・・。私も聴衆も、ドツボにはまっていくような気がします。つまり地に足が着いてしまうのです。
地に足が着いては、いけないのでしょうか・・はい、イケマセン(笑)。
去年のFOWは、りんごが飛ぶシーンのスライドで終わりました。地に足が着くというのは、視点が固定されるということです。その方向からじっくりと攻めることです。
地に足が着くと、そこである方向の仮説が誕生します。「生まれ変わりはカルマが決定しているのだ」・・とか(笑)。
その仮説は何でも良いです。「生まれ変わりはカルマが決定していないのだ」・・でも良いです。それはマズイのです。
私はりんごの部屋で、メインメモリに浮遊します。それは、あの419枚のスライドが同時に出ているような感覚です。
仮説連続ぶち壊し浮遊作戦・・
私の講演会では、お客を固定して帰したくないのです。その状態が「下位状態」だからです。それが私の真の問いかけだからです。
昨日、編集者が来ました。そして言いました。「森田さん、あの状態をもっと加速した講演会をやりませんか?」
加速した講演会・・・?(笑)
時空の演出をブッチギるには、こちらもそれなりの高速宇宙船でないとダメなのです。もちろん何故そうなのかを、編集者とその後2時間近く議論しました。
時空の自由は、スターウオーズのデススターに開いた直径15センチほどの穴に命中させるくらいの芸当なのです。しかもそれを撃つのは、Xウイング機並の高速宇宙船から撃たないとダメなのです。それは極めて不安定な世界なのです。
それを講演者も参加者も同時に体験できるようなもの・・そう、その第一歩があのFOWだったのです。
初めて来た方からのファックスには「何を言いたいか、よく分からなからないまま講演会場を後にした。でも感激した」というのが多かったです。
きっとその人は、足が地に着かないまま帰ったのだと思います(笑)。
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講演者の肉体から離れる講演会は、実際の人生そのものと似ている
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今回は、私の口以外のものを多用しました。面相占術師のところでは、彼が占った結果を文字として画面に出しました。生まれ変わりの村のスライドでも、あの世の状況を文字として画面に出しました。
あの画面はよく見ると、下に写真がありました。喋るべき内容を、文字として書きました。この理由の一つは、正確に伝えたいからです。
生まれ変わりの村の情報でも昔の調査結果のスライドには、文字がありません。正確さよりも、伝えたいものが先行したのです。そういう意味では、意図がありました。自殺しても天国行けるよ・・とか「伝えたかった」のです(笑)。
でも今年の分は、文字で書きました。正確に伝えたいからです。何故か?
それは「息をしていた」とか「重力があった」とかいう証言が多かったからです。写真だけ見せて、私がそれを喋っても、信憑性があるでしょうか?
文字は、信憑性を増すと思います。
それでもファックスからのレスには「嘘くさい」というのがありました(笑)。
不思議なことを発表する場合、出来るだけ外部から発信すると受け入れやすいです。それはスライドであったり、ビデオであったりします。
光の超能力者が光線を吐くシーンなど、私が喋るのとビデオで見るのでは、全然違います。
つまり「私が現場で体験したこと」をそのまま観客も体験できるような感覚に近づけるのです。つまり講演者の口以外を使えば、体験はより直接的になってくるのです。私の口から喋ると、より間接的なのです。
講演者の口以外の延長が「演出」です。今回は最初、映像や音をふんだんに使いました。
講演会はその時、講演者の肉体から離れました。しかし講演者の肉体から離れれば離れるほど、参加者は講演者の「現場」に近くなる体験が可能なのです。
時空の図書館に宇宙の歴史が全部書いある本があったとします。それを読めば宇宙の全歴史を知ることが出来ます。でも間接的です。図書館の隣では、講演者が言葉だけで喋っていたとします。それを聞けば宇宙の全歴史を知ることが出来ます。でも間接的です。
でもその隣に、極めて精巧に演出されて作られた空間がありました。宇宙そのものに匹敵する壮大な設備が必要ですが、それが整っているのです。でもそこには「肉体」という服を着て入らなければなりません。それは直接的です。
つまりそこでは人生を直接体験できるのです。しかし客観性は失われ、そこから抜け出る方法も分かりません。それが私達の人生です(笑)。
「演出」には一般的に「素」から遠ざけるような感覚があります。しかし「素」から一番遠ざけているのが「素」で喋ることかも知れません。なぜなら生データを出さずに、結論を出す行為だからです。
しかし私達は巨大な演出空間で、生データを体験しているのです。自分の人生を・・。こんなに凄いことはありません。
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「理由」を言わない講演会
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初めて参加した人から、驚きのレスポンスが多いです。
「初めてお話をお聞きして、本で想像していたイメージと違っていて、ただただ、びっくりでした。」
「初めて森田さんを観ました。女装して出てきたので、この人はどんな人なんだと今まで本を読んでいた感覚との違いに驚きました。」
今回の講演会では理由をほとんど言いませんでした。本の中では真面目な「先生」が、いきなりプラグスーツで出たり女装で出たりすれば、そりゃあビックリのするでしょう(笑)。
今までの講演会ではその理由を言っていました。「生まれ変わりの村で、魂には性差がないことを知りました。今世で実験したくて女装しています」・・と。でも、今回は理由を言いませんでした。理由を言わないのは、女装に限ったわけではありません。
孫さんの蘇生など、前回までは頑張ってその理由を述べていました。六爻占術でなぜ運命変更ができるか、その理由も相冲図を使って説明していました。でも今回は、それをしませんでした。
それで、参加者は余計に「浮遊」したのではないでしょうか・・。理由があれば、みんなそこに落ち着きます。
ウサギ八匹で9月に死ぬべき人を治したのは、酉(9月)と卯は相冲するから・・。みんなここで納得します。でも何故そんなシステムになっているのか、より下位の問いに人は移行できません。
科学者は方程式を発見します。そこで終わります。「私はみなしご」への答えを教えてくれません。
オープニングから不安定が始まりました。そして中身に入っても、不安定さは解消されません。それはあらゆるところで「理由」を言わなかったからだと思います。
冒頭にも書いたように、私の服装について、FOWに初めて来たお客さんは悩んだことと思います。「何故この人は、女装でいるのか???」・・と(笑)。
でもそれが私にとっても「快」でした。理由を言えば、その理由だけに限定されて、「私」が狭くなるからです。
「言わない」のではなく、「言えなくなった」という方が正解かも知れません。私自身が分かっていないのですから・・。なぜ私は女装したのか・・(笑)。
こうして考えると、時空が存在する理由が分かった瞬間、時空が小さくなってしまうような気がします。それは個人とて同様だと思います。存在理由を言った途端、「私」はとても狭いものになると思います。
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意図が無いと、広がりを見せる人生
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最初脳裏に浮かんだことは、「宇宙服のようなものを着てみたい」でした。このHPにもそう書いたと思います。次は宇宙服だと・・・(笑)。
コスプレショップをネットサーフィンしていると、ありました。中野ブロードウエイの店まで行きました。その宇宙服は店の表で、マネキンが着ていました(笑)。
中には数人の女性客がいました。いかにもアニメ通に見えました。しかしポッチャリ系でした(意味不明)。私は客が出て行ってから店に入ろうと思い、何度も前を行ったり来たりしました。でもポッチャリ客は、なかなか出て行きません。
私は意を決して中に入りました。そして言いました。「これって宇宙服なのですか?」
「えっ、宇宙服ではありません。プラグスーツです・・。」
「でも未来の人が着るんでしょ?」
「はい、2015年のお話ですから・・。」
「これ、着てみたい・・。」
「は・・はい・・」
試着室に入っていく私の後ろで声がしました。「あれ・・綾波レイのだよね・・」
レジで大枚11枚数える私を、客達は半分イッた顔で見ていました。「このスーツを着るヒロインとは、15歳の少女だということを、この変態おじさんは知っているのだろうか」・・と言わんばかりです。
しかし店を出る時、私は小さく呟いたのでした。「君達にはこの服を着ることが出来ない。ふっふっふっ・・。なぜならもっとダイエットしないと、この服が張り裂ける。」(笑)
(実際あの服は、私にだってピチピチでした。特に足が・・。パウダーを全身につけて、滑り込ませたのです。)
さて、ここまで書いて何が言いたいかといえば、私はエヴァンゲリオンを全く知らなかったのです。
私はこのスーツを着て、何かを訴えようとする意図はありませんでした。でも、息せき切ったように、その後の展開がありました。
5万円で、そのアニメのDVDを買いました。そして知りました。このアニメはシンクロニシティが鍵の一つだと。「シンクロ率」とか「シンクロ度」という単語すら出てきました。私の講演のキーが、それになったのです。
もしも私が、最初から意図を持っていたとしましょう。すると着ていく服は、その意図で決まります。しかし私の場合、着ていく服で意図が決まったのです(笑)。逆なのです。
上のスライドで、画面左のアニメ服の写真は固定されたまま、右の画像が変わりました。まずは、昨年のFOWの最後を飾ったシーンが出てきました。手放して、崖から飛ぶイラストです。
まさにアニメ服を買った時の状況でした。意図がなく飛んだのです。するとドアが出現して開きました。
アニメのDVDが届くと、肌色部屋(100回書き込みしたら出現する部屋)に「エヴァンゲリオンを語ろう」という趣旨のコーナーを作りました。そこで常連達とそのアニメについて語りました。それはFOWの私の講演に影響を与え始めました。
開催日の数日前に寸劇をすることが決定され、現場のチーフ達に連絡を取りました。そして当日の大音響とともに、それは幕を切りました。
あの店にいた客達は、まさかあの変態オヤジがここまでやるとは思わなかったでしょう・・。だってオヤジは、アニメの名前すら知らなかったのてすから・・。
意図が無ければ、360度に開かれた体験が出来るのです。
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「あと一分」
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講演の最後の方で、スタッフから「あと一分」のプラカードを掲げられました。
しかし講演責任者からは事前に「森田さんは10分ほど延長しても構いませんから」と言われていました。さて、どうしましょう・・(笑)。
私は山田太一という放送作家のドラマが好きです。彼のドラマは本当に引き込まれます。視聴者に向かって「お前ならどうする?」と問われているようなところがあります。
しかし最終回はひどいものです(笑)ほとんどが、いい加減なハッピーエンドで終わります。でもドラマの場合、友達同士で次の会話が聞かれます。「ねえねえ、最後、どうなったの?」「それがねえ、意外なラストだったのよ。」
最後に真犯人が現れたり、どんでん返しをするドラマは多いです。だから最後の一シーンに向かってドラマは進みます。
「あと一分」の時、「私の生き方」のスライドでした。今回あのスライドの内容は、「自分ひとりでは変われないあなたへ」の特別取材記として使いましたが、あの時だって10分あれば、バッチリ喋ることも出来ました。
でもそれをする気が無くなりました。私が1時間50分かけて喋ったことは、「私の生き方」だったのか・・・そんなもん、どうでもいいじゃないか・・と思えました。
前世で仏教の修行をして生まれ変わった人は、いきなりカメの中でした。「死んでくれと言っている親父の声が聞こえた。」彼がそれを喋るとき、涙を流していました。
(今気が付きましたが、彼は「大人」だったのですね・・言葉を理解出来たのですから。)
なのにそれらの総括が「私の生き方」ですか?
生まれ変わりの村の人達から「けっ、ふざけるんじゃないよ・・何しに生まれ変わりの村に来たんだよ」・・そう言われそうでした(もちろん言わないでしょうが、私の心の声として、そういう感じなのです)。
あのスライドは、一分で端折(はしょ)って終わりました。で、終了時間ピッタリに終わりました。
もしも私が死ぬとき、有終の美を飾る死に方をするでしょうか・・しないと思います。
途中でぽっくり、もしくは苦しんで(笑)死ぬのです。何の結論も出さずに・・。
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振動
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講演を終わった直後、私自身が呆然としていました。「これで良かったのか」などという問いすらありませんでした。達成感などはゼロでした。とても不思議な感じでした。
一言で言えば、私は振動を始めていたのです。その振動は今も続いています。「浮遊」とかも言いますが、みなさんも得体の知れない振動を感じているのではないでしょうか・・・。
ルビーに電気エネルギーを与えると振動を始めます。そしてレーザー光線を発射します。
振動は、ここに情報を前もって公開する時から始まっていたような気がします。それが原因で怒り出した人まで出ました(FOWの主催者)。
さて、この振動は何なのでしょうか・・。もしかするとアセンションかも知れません(笑)。この振動が原因で、カルマだとのと言っている人はふるい落とされるのです(笑)。冗談ではなく、マジにそんな感じがします。
この振動は、講演中に多発された「問い」の連射が原因ではないかと思います。
今日は『「不思議の友」12』に新「いのちの世界」という図を書きました。今に至っても何故「いのちの世界」かと言えば、この世界はいのちそのものだと思うからです。そしてそのいのちは、問いで振動を起こすのです(笑)。
つまり「より生きている状態」にシフトするのです。だからアセンションと書いたのです。
「より生きた状態」とは、神坂さんが言うところの「励起状態」です。励起状態とは、未知エネルギーが満ちた状態のときに起こります。
自然現象としては12年に一度起こります。木星の公転が原因だと言われています。木星が太陽のエネルギーを引き出し、それを地球に浴びせるからです。
でも今回の講演でそれが起こったような気がします。だってそれ以来私は、励起状態です。問題を起こしまくっています(笑)。
中央四列目に座っていた編集者はその後、「演出大好き講演会」をやろうと言って、興奮して私に会いに来ました。あれから二回も会いました。
編集者は言いました。「森田さん、これってもしかして、真理の一つを掴んだと言ってしまって良いのではないですか?凄いですよ。」
FOW以後に起こった私の気付きに、とても感動したのです。
その気付きは深夜の「独り言」でさわりを公開していますが、大事な部分は「演出大好き講演会」でやろうと思います。なぜなら、言葉では伝えられないものを、演出で伝えようとするからです。
参加する人には、もっと振動して帰ってもらうことになるかも知れません(笑)。
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振動は「生きている状態」ではないでしょうか
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悟るという言葉があります。その状態は、何事にもこだわらず、何事にも動じず、静止したような状態だというイメージがあります。しかし私は逆のような気がします。振動状態のような気がします。じゃあ、私は悟ってんじゃん(笑)。
悟りがどういう状態かどうかは、今日のメインの話題ではありません。私が「いのちの図」というネーミングでこだわっているのが、「生きている状態」ということです。
私は生きている間に、「生きている状態」を経験したい(し続けたい)と思います。
いい子ぶったりすることが、「生きている状態」でしょうか・・。願望を実現することが「生きている状態」でしょうか・・。
私が下位の問いにこだわるのは、問いを持った状態がとても「生きている状態」ではないかということです。根源的な問いには、答えは無いかも知れません。しかしそれでも問いを発するのは、私が振動するからです。安定から、不安定なります。
下位の問いの下では、全員が平等です。上も下も、ありません。目指すものも、ありません。私にとっての「生きている状態」はこれなのです。「納得した」という状態の正反対なのです。
もしもこの「生きている状態」がアセンションだとすれば、「納得する状態」はアセンションの足を引っ張る側です(笑)。しかしアセンション派のほとんどは、これではないでしょうか・・。
何故なのでしょうか・・。やはり自由から逃げたいのだと思います。
私が謙虚になり、落ち着いて事に当たるようになれば、私は「ダメ」にはならないでしょう。しかし私は自由という世界から「ダメ」になると思います。
大音量で始まり、寸劇があり、その後マシンガントークが続きます。「これはいったい??」・・という問いは、最後まで続きます。講師が女装で出て、その理由すら言いません。
しかしリアクションは凄いものがありました。会場からの笑い、拍手で、講演中も話を一瞬止めた場面もありました。「もうどうにでもしてくれ」という感じが伝わってきました(笑)。これって「死んだ状態」でしょうか?
今日来たファックスの中に「他の講師はとても重かったです」というのがありました。答えを教えるのは、重くなると思います。
「生きている状態」って何でしょうか。
「万物の奥底にあるものは、答ではなく問なのだ」・・講演中にもスライドで出したジョンウイラーの言葉です。
時空も「生きている状態」に興味があるのではないかと思います。
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制御と振動
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今、盲師派推命占術を勉強してします。そこでは「制御」という単語がよく出てきます。制御とは、逃げ場が無いことでもあります。
講演中にクリントンの命式についてのスライドを出しました。クリントン(猿)が火にあぶられて、不自由の女神(牛さん)に向かって走っていくところです(笑)。逃げ場を失い、彼は大統領になるしかありませんでした。
しかし命式は、制御されているほど良いのです。異性運だって制御がキーです。選択の余地無く、その相手に引き寄せられないとダメなのです(笑)。
さて私は今、次の企画に向かって進んでいます。「演出大好き講演会」です。しかし私のふとしたアイディアで、大変なことになろうとしています。
たった二時間の講演会ですが、事前の準備が8時間も必要だと言うのです(出来れば前日もと言われた)。「素」でいく講演会とは段違いです。
それで、講演会場を朝から押さえることになりました。講演は夜の二時間だけなのにです。会場使用料も3倍以上かかるでしょう・・。しかもスタッフは、かなり本気です。
この状況を知った時、私は思いました。「大丈夫か・・この私が・・。」
実はFOWの時も思いました。私のアイディアをスタッフがどんどん取り入れて、事前準備が整っていく段階で・・そして10月9日に、音が小さいらしいとチーフに電話して「今日と一緒にしないでくれ」と言われた時・・思いました。「大丈夫か・・この私が・・」
私は、自分自身をどんどん追い込んでいたのだと思いました。「制御」の中にどんどん・・。しかしそこから振動が増幅を始めたような気がします。
クリントンも同じでしょう。彼は大統領になる課程で・・、そして大統領をやっている間、多くの振動を感じていたに違いありません。
確かに私は、開かれた自由が欲しいです。でもやっている事は、逆なような気がします。
「開かれた自由」と「生」とは、正比例しないような気がしてきました。
今日の書き込みも、全く結論が出ません。
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遡ってみれば・・
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それは2001年3月に遡ります。このHPで「こんな宇宙服を着たい」私のイメージを書き込みました。すると、みなさんから幾つものイラストが届きました。
それを元に、アニメキャラ衣装仕立て屋に連絡を取りました。半月にわたるやりとりの後、私は10万円でOKして発注しました。
しかし二ヶ月経っても三ヶ月経っても音沙汰がありません(笑)。メールを出したら、不達で返ってきました。たぶん潰れたのです。
お金を払っていないからこちらは問題ありませんでした。br>
そして2005年6月、エヴァンゲリオンのプラグスーツを買いました。そのアニメに興味を持った私はDVDを買い、テーマソングがイカしているのを知りました。
それを使って寸劇をやりたいと思いました。さらに、寸劇に突入する前の音楽は、フルボリュームにしたいと思いました。
それらのやりとりは、HPにも書き、みなさんを巻き込む形で進められました。
船井さんが私のホームページを二時間もかけて見たという情報が流れ込んできました。私は感動しました。とうとう私のテーマである「私は結果」から「カルマは無いかもしれない」を導き出すかも知れないと思い、ウキウキしました。
しかし私のホームページ見た船井さんは、社内で突然大剣幕になり、次のように言ったそうです。「照明をどうしろとか音楽を最大限になんていう演出は、僕は大嫌いなんだ。来年も、森田さんがそういうことをするなら講演会は、断ってもらっていい。」
これはFOWが終わった4日後に知りました(これを知った時、私は恐怖心で震えました。だって当日、船井さんと会食した時、船井さんは極めてにこやかだったからです。「次はラスベガスでやりたい」と言ったら「それもいいねえ」とさえ言いました。そして真意を知るのが「なぜ船井さんは私の講演会に来なかったか」と騒ぎ出した後だったからです)。
これを本人に直接書かせたくて、私は頑張りました。だってこだわりのない船井さんがそんなことを言うなんて、誰も思わないでしょう?
HP内で私がガーガー吠えているとき(笑)、「森田さんは可愛いねえ」というメールまで来ました。そして・・・本人に書いてもらいました。その後の顛末は、知る人ぞ知る・・です。
「『船井さんコーナー』というタイトルを早く消せ」「こだわる人には気をつけよう」「もっと謙虚になれ」「そうしないとダメになる」「この10日間、インターネットを見ていない」・・(ずっと高圧的な言葉が続いていたのに、生まれ変わりの村のデータの件が出た途端「見ていない」にはビックリです)。
そして今日、私は辞表を出しました。
「船井さんは私に、いつまでも関係を続けようと言ってきましたが、船井さんが言った上記の文章を読めば、私が続けるためには、船井さんに「趣味」を合わせなければなりません。しかし、私は問いが優先され、講演会すらその一環です。なので、そのために表現を狭くすることなど出来ません。」
辞表は当然のことでした。今朝の10時にファックスで出しましたが、その後何の音沙汰もありません。
富士通で辞表を出した時、室長から「俺をバカにしているのか?」と怒鳴られました。今から思えば、この室長はとても愛されるべき人でした(当時私は嫌いだったのですが)。
(ここまで公開した私は一体どうなるのでしょうか・・)
さて、今日の書き込みのテーマはこれからです。
この一連の事件の発端は、2001年3月の「宇宙服仕立て事件」(笑)にあるのではないかと思います。これがちゃんと出来上がっていれば、宇宙服に満足してしまい、エヴァンゲリオンを買わなかったと思います。するとあのテーマソングもありません。
つまり船井さんが「大嫌い」な音や映像は、無かったのだと思います。そうすれば今後も、船井さんと付き合うことになります。
でも時空は、そうはさせませんでした。なぜなら、筋書きから外れるからです。
仕立屋が潰れることも、エヴァを買うことも、大音量も・・全て筋書きでした。
時空にとって、私と船井さんがここで切れてもらわないと、困るのです。
今日は私の誕生日です。だからちょっとしたスタートラインの気持ちがします(笑)。それがまさか、船井さんへの辞表だとは・・。
今日の事がきっかけで、私には新しい展開が待っているのだと思います。
2006年1月×日の寅の刻が、私の次の大運の始まりです(日にちは秘密)。次の大運は「発展充実期」だそうです。その最初のイベントが「演出大好き講演会」なのです(笑)。
もうプログラム通りだとしか、言いようがありません。
あの日、こうしなければ良かった・・あの日、ああしとけば良かった・・そんなの、全く無意味です(笑)。カルマが入る余地すらありません。
こうして遡っていくと、誕生した瞬間に辿り着くのでしょう・・。
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「無いものを証明するのは難しい」・・しかしその課程で「得られるもの」は
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「無いものを証明するのは難しい」というセンテンスは、講演中に下條さんの件で出た言葉です。私にとっても、意表を突いて出たインスピレーションでした。
下條さんは自発的なパルスは無いと言っています。このHPでは「私は結果」だというのが流行っています(笑)。それは私がそういう本を書いたからです。
でも科学的な裏付けの一つが、下條さんです。彼はノーベル賞に最も近い大学で研究をしています。上智大の教授(神父)が言っても全然信用されませんが(笑)、彼の大学は違います。そんなわけで彼の研究はとても参考になるわけです。
しかしです・・。もしも、たった一発の「自発性パルス」が発見されたらどうでしょうか・・。そのパルスは「私は原因」の裏付けになるはずです。
自発性のパルスは自由のパルスと言い換えても良さそうです。
だから私達が「私は結果」と考えている土台も、非常に微妙なのです。
でも下條さんの論文は、アメリカの有名な学会誌にどんどん採用(レフリーが採用する)されています。それがもしも真理となったったとき、大変なことが起こります。私達には自由は無かった・・という概念が世界的に広まるからです。
しかし私達はもっと先を行っています。自由が無いとすれば、この運命を作っているのはいったい何なのか・・それが私達が今取り組んでいるテーマなのです。つまり私達は、下條さんの一歩先を行っているのです。
さて、今日のメインのテーマに入ります。無いものを証明したり、伝えたりする・・ということは、それをする本人にどういう影響を及ぼすかということです。
「私は原因」の人に「私は結果」だと言っても、なかなか信用されません。なぜなら、私達は無いものを相手に伝えなければならないからです。
「運命で決まっていると言っても、それが全てではないでしょ?」と言われたとき、反論の余地はありません。
六爻占術や盲師派推命占術ですら、当たる確率は90%です。「残りの10%が自由意志さ」・・と言われれば、それで終わりです。そう主張する人は、「10%」に自分の自由を見出します。
で・・、私達はどうでしょうか・・。で・・、下條さんはどうでしょうか・・。
自分の自発性がゼロではないかという研究を続ける人は、自分で言うのも何ですが、「自分の生き方」などというものを捨てないと出来ないと思います。
努力をする人は、何らかの形でそれが自分に返ってくることを期待します。それは研究者とて同様です。何か「あるもの」を発見したとき、それは何らかの形で自分に付加されると思うからです。そうやって歴史は「あるもの」を蓄積してきたわけですから・・・。
精神世界も同様です。「新しい自分を発見しよう」・・などと、よく言います。FOWのほとんどの講師は、「あるもの」を自分なりに解釈して講演します。
しかし私はそうではありません。そしてその私は、一体どういう影響を受けているでしょうか・・。
「ないもの」を伝えるとき、自分の中の輝かしいもの・・自分の中の醜いもの・・そんなものは、問題外になってしまうのです。この行為は、一見自己否定に繋がると思います。
でもよく考えてみれば、否定しようとする自己すら無いのですから、否定しようもなくなるのです。だから自己否定という言葉は、「私は原因」に立っているのです。
下條さんは東大で同人誌(小説)を作るサークルに入っていたそうです。そこで賞まで貰ったと聞きます(これって実は相当なことです)。ですから当時の彼の生き方は「芸術家」の部類に属していたと思います(笑)。
そういう人は、普通なら「自分の内部の価値」を高める方向に行くと思います。しかし彼は、一転しました。小説を書く能力など「自分のものではない」と捨て去ってしまったのです。感情ですら「自分のものではない」と言い切っています。
彼にいつこれが起こったのか、私には分かりません。
推測するに、それは下位の問いを持ったからではないかと思います。下條さんの研究室には、チベット密教の本などがあったからです。
無いものを証明するのは確かに難しいです。しかしそれを研究しようとする方向性(あるいは生き方)は、人生を一転させるような気がするのです。
私自身に関して言えば、「ない」という方向性に入って以来、世界というものに透明感が増し、自分も軽くなり、生きるのが楽になってきました。
「ある」ものを積み上げていく人も、ひょっとするとこの状態が欲しいのかも知れません(笑)。
「ないもの」を追求していく課程で「得られた」この状態は、とても「評価」して良いと思いました(笑)。
今回の書き込みは 、「従来の四柱推命」から「盲師派推命占術」への変化でもあることが、今分かりました。でもそれは、盲師でしか出来なかったのだと思います。なぜなら、目明きは「ある」が強調されるからです。
技法の変化ではなく、視点の変化だったのです。世界観の変化と言っても良いです。
盲師派推命占術のテキストの中にダンさんがコンパクトな文章で述べていますが、その凄さにやっと今、気付きました。
「従来の四柱推命」と「盲師派推命占術」では、世界を見る方向性が全く逆なのです。盲師は、今私がやっと到達した世界観などは前提であり、もっと先に行っていました。
以前に盲師派推命占術と出会っていても、上記の「真理」には気付かなかったと思います。演出騒ぎも効いています。
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恐怖心
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船井さんは、私と食事をするときもSPを連れてきました。これは身体的恐怖心から来ていると思いますが、今日私が話題にするのは、身体的恐怖心ではありません。
「ない」ものに向かうとき、一番のネックは恐怖心だと思うのです。私はハンドルを手放せと言いますが、そのときのネックも恐怖心だと思います。
恐怖心は孤独感とも似ていると思います。
例えば私が初めて女装して街に出た時もそうでした。ワンピースで外に出て、一歩一歩遠くに歩くにつれ、私は孤独感と恐怖心を味わったのです。
その恐怖心とは、今まで私を形成してきた自我を失うことです。そんなとき「謙虚になれ」「こだわるな」「ダメになる」・・そんなフレーズを言われても、何の意味も無いのです。
なぜなら「私」はその時点でかなり崩壊しているからです(笑)。既に「ダメ」状態なのです。これ以上落ちようがない人間が、「ダメになる」と言われても、意味はありません。それどころか「どうせならもっと落ちてみたい」という気持ちさえ湧いてきます(笑)。
そうなのです。「ない」ものに向かうことは、一種「ダメになる」「落ちる」ことに通じているのです。
人は登る時に恐怖を感じるでしょうか? それとも落ちる時でしょうか・・。
遊園地の乗り物も、「恐怖モノ」は落とすのが多いです。しかし「恐怖モノ」に人気があるのは、そこに快感を感じるからだと思います。
船井さんへの辞表が受理され、私と船井さんは切れました。もしも続いていれば今後、大変な相乗効果をもったと思います。
10万部にも達する『不思議の友』に船井さん関係のチラシを同梱すれば、船井さん関係のセミナーはすぐに満席になると思います。講演には私が登場して、最新の演出を使って下位の問いを発すれば、参加者は浮遊し、何度も参加してくれることになったと思います。
しかし私は辞表を出しました。それは受理され、既に了承していた三つの講演会を全てキャンセル出来ました。
船井さんが予言した通り、私は「ダメ」になりました。しかし「ない」ものに向かう気迫のようなものは、ますます高まりました。
折しも、FOWの講演では、次のスライドを出しました。
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「誕生日 なんで私は 私なの」・・アイデンティティの崩壊
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まずは私が受講している「ネットワーク社会論」の課題から入ります。
教授からの問題提起(参考文献):
日本で形成されたネットワークコミュニティが海外と異なり匿名性が優位になっているのには理由があって...原則匿名のネットワークは「無責任で安心安全」であったこともあり、新規開拓分野だったネットワーク事業でユーザー数は急速に増えましたが、「責任の無い限定的な自由」を求めるユーザーが増える一方で、「責任を負うことで得られる無限定な自由」を求める人たちの忌避を誘った事実は、情報フロンティア研究会が指摘した通りです。
そして、匿名性が優位の状態のままインターネット元年を迎え、インターネットにおける情報環境は日本だけが匿名性優位でスタートしてしまいました。
これではマズイと思った政府は、刑法改正に始まり、電気通信事業法改正、プロバイダー責任法改正、サイバー犯罪対策法などなど、かなり強引に「監視と制裁」を実施し、“政府管理のもとで限定的に享受される自由”政策を加速していきました。
しかし、みなさんご承知の通り、そうした他律的な規制によって匿名性は衰えることは無く、監視と制裁だけではネットワークの長所を産業で活かしきれないことに今ごろになって気づいた政府(の一部官僚)が、「採算優先で匿名性や管理を優先させたのはやっぱりマズかったなぁ」と反省して、政府内権力闘争の結果、実名使用を含めた自律的秩序環境を整え始めた、というのが今回の「情報フロンティア研究会」の報告書までの顛末です。
課題:ネット上の匿名性についてどのように考えるか400字以内で論じてください。
さて、ここからがメインの私の書き込みです。まずは私の写真からご覧下さい(笑)。
課題に対して私が提出したものは以下です。
<匿名は「個」の発展を助長させる>
匿名は視点移動をさせます。例えばそれは、「責任を取る自分」から「責任を取らない自分」への移動です。視点移動をすることによって、今までとは違った「個」を経験します。
「個」というものは、「ズレ」を起こすとき新たな発見をして、それが契機で発展をする可能性があります。
一般の実社会ではこの経験をすることは難しいです。男性ならば女装をするくらいのことは必要です。しかしバーチャルな世界ならそれが可能です。匿名なら性別を変えることも簡単だから可能です。自分が今までにない自分を演じることができます。場合によっては、サディズムな人間になることも可能です。
「個」が発展すれば社会はダイナミズムを得て、多様性の中で発展していきます。
(400字で勝負しないといけないのですが、学生が100人近くいるので、表題と最初の一行に結論を持っていっています(最初がつまらないと教授は最後まで読まないので))。
さて、今日はパソコンから授業を観ました。驚いたことに、私と反対の意見が優勢を占めていました。
その最たるものは「バーチャルな世界であれ、違う自分を体験するとアイデンティティの統一性が取れなくなり、精神的にも不安定になる。高校生ならば登校拒否も増えるでしょう」というものでした。
そして授業に参加していた多くの学生は、インターネットの中でも規制を強化すべきだという意見が多く見られました。
ところで私は高校生のときに下位の問いを持ちました。そして一昨日の54歳の誕生日には、一句詠みました(笑)。「誕生日 なんで私は 私なの」です(笑)。
インターネットの世界であれ、もちろん中傷するためにだけに使う「匿名性」は問題外です。だからと言って、バーチャルな世界にもタイトな法制を持ち込むべきではないと思います。それは何故かと言えば、法制によってアイデンティティを強化させる方向に向かうからです。
私は講演会で衣装替えをします。あれで「場」が、変わると思うからです。もりけんが「素」のままインタビューに行くのと、りんごさんがインタビューに行くのとでは、ドキドキ度が違うと思うのです。
社会では、アイデンティティがバラバラになるということを、とても悪いことだとします。登校拒否だって、悪いことだとします。
しかし私は毎日会社に登校拒否をして、りんごの部屋に引きこもっています(笑)。そこで鏡とにらめっこしています。時々女の格好で(笑)。さらにドールに向かって「あなたはだあれ?」・・外から見れば完全に壊れています(笑)。
アイデンティティを統一するというのは、人生の課題のように言われてきました。しかし考えてみれば、こんなに窮屈な考え方はありません。それは「いつも同じ反応をしなさい」「過去の自分から大きく外れないようにしなさい」と言っているようなものだからです。
ネットワークに関する授業なのに、受けている学生の大半は「私は原因」なのです。しかも「私」をタイトにしなさい・・とまで言っているのです。
そういう人達は「誕生日 なんで私は 私なの」とは思わないのでしょうか・・。
しかし教授は少し違うようでした。私の提出したものを優秀だったレポートとして「森田健」の名前を言いました(笑)。
法制は縦の関係です。ネットワークは横の関係です。横の広がりを縦の関係で規制しようというのです。
そして今、授業の掲示板に次の反論を書いてきました(笑)。
「今回の授業について(アイデンティティの変化を柔軟に受け止める社会に)
匿名性はアイデンティティの崩壊に繋がり、精神的にも不安定になる可能性があり、登校拒否も出てくるという意見がありました。
しかしアイデンティティは常に変化するものだと思います。縦社会ではそれが顕著にならずに済んだだけです。なぜかと言えば、アイデンティティを変化させる要因は「私」の外側だからだと思います。縦社会は横の繋がりが少なく、「私」にとっての外側が変化しにくいのです。
しかしネットワークは横の社会です。要因としての外側から、変化がどんどん押し寄せます。
だからアイデンティティを保とうとするために、政府が管理を強化するのは間違いだと思います。
それよりも、アイデンティティの変化を、柔軟に受け止める社会構造を考えたほうが良いと思います。それが「個」を多様化させ、社会のダイナミズムを生むと思うからです。」
さて、講演会では「演出」が話題になりました。
私は大音量でエヴァンゲリオンのテーマソングを流しました。場内は真っ暗・・。そこに、あのアニメの画面がフラッシュモードで流れます。
あの時、冷静でいられたでしょうか?
私は舞台の袖に待機していましたが、「私」はどこから飛んでいました。そうです・・私は「時間の流れ」に乗ったのです。
道教ではそれを「無為自然」と言います。孫さんはそれを「自然に任せなさい」と言います。これはアイデンティティなどというものにしがみ付くのはやめなさい・・と言っているようなものだと思いませんか?
いくら「自分」を構築したとしても、それは、計算不能なデータを無意識の底に沈めただけだと思うのです。
アセンションでは「アイデンティティの統一された人」が生き残るようなイメージがあります。とんでもないと思います。
アイデンティティという概念をネットワーク全体に広げられた人が生き残ると思います。
しかしその人達は、既にアセンションなどには興味が無いはずです。
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SMも、たまには逆転を・・続アイデンティティ
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アイデンティティの話題をもう一日引きずります。
アイデンティティがあるということは、「自己」があるということで、例えばそれによって「選択」をします。そして選択をすることが自由だとしています。
先日も、私と良く似た名前(木が二本少ない(笑))の人からメルマガが届きました。そしてそこには「自由になるには全てを自分で決める必要がある」と書いてありました。アイデンティティが崩壊すると(笑)、何かを決めようとする自分がフラフラすることになります。そこには自由は無い・・というわけです。
つまりアイデンティティに対する捉え方で、自由の意味合いもひっくり返るのです。
アイソレーションタンクに入ると、私は「無」になりました。宇宙が消滅し、次の宇宙が誕生するまではこれだったのか・・と思いました。
宇宙の死の体験・・それが私にとってのアイソレーションタンクの経験でした。
タンクから外に出ると、子供の遊ぶ声が聞こえました。犬の吠える声も聞こえました。それに対する自分の反応で、私は「私」を取り戻したのです。
さて、そのとき私は全ての音をキャッチしたのでしょうか・・。してはいないと思います。現状の「森田健」というフィルターに引っかかるものしか「聞こえていない」ように思えます。
そこで私は女装してみました(笑)。すると見える景色が変わりました。
私は男性のままで歩いている時、外の景色はほとんど目に入りません。私は「主体」としての森田健で歩いているからです。言い換えれば「私から見たら外部はどう見えるか」という問いで歩いているのと同じです。
しかし女装すると、180度変わります。私の主体が外部になるのです。なぜなら、人の目線がとても気になるからです(笑)。そうなった時、「私は外部から見たらどう見えるか」という問いの元に歩くのです。
これって視点の大移動です。しかも、外部に対してセンシティブになるのです。だって外部が気になって仕方がないからです(笑)。
これは純女とて同様だと思います。純女はお化粧します。それはつまり「演出」です。外に出たとき、演出の効果は気になるはずです(笑)。(だから「演出が大嫌い」という人は、女性にすっぴんで歩けと言っているようなものです。)
しかし男は「素」です(笑)。「素」というのはどうも、アイデンティティを固定させる働きがあるような気がします。
だからスカートをあまり履かない女性は履いてみて下さい(笑)。周囲の視線に対してセンシティブになるはずだと思うからです。すると今まで聞こえなかった音が聞こえ、見えなかった景色が見えてくると思います。それこそアイデンティティの変化だと思うのです。
私は時空からヒントを受けたくて、あの手この手を使っています。それが講演会では「演出」となったりします。それは時空に対する私からの問いかけです。
私とよく似た名前の人のメルマガには、料理を選ぶときも全部自分で選べと書いてありました。それが自由・・だと。
だとしたら、私は逆に「好みから外せ」と言いたいです。好みとは正反対のものを頼んでみる・・これは一つの「アイデンティティの崩壊」だと思います。
「自己は出来るだけ不統一にする」・・これが私の、時空探査の方法でもあります(笑)。
M系だったら、たまにはSになって攻めてみる・・S系だったら、たまには縛られてみる・・
時空だって同様だと思います。時空が「アイデンティティの統一」なんて目指していたら、私は降りたいです。
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私はアマチュア、時空もアマチュア
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3週間前の今日、FOWがありました。エヴァンゲリオンのコスチュームを買ったのが6月・・具体的にはそこから始まっていました。そしてエヴァのDVDを買ったのが7月・・
コスチューム・・105000円
DVD・・・・・・50000円
合計155000円。
私の講師料は150000円なので、この時点で既にオーバーです(笑)。しかもこれは、開始してたった5分で消えていきます(笑)。
中国紀行から帰ってくると、HPに「FOWコーナー」を作り、準備状況を書き込むようになりました。
講演会ではどんな話が、どういう風に出てくるかも公開されました。そして皆さんのレスを受けるうちに、私の中で変遷が起こりました。オープニングは大音響で、しかも途中では観客にインタビューも入るという「演出」です。
しかし今までのFOWのスタッフを考えれば、そんなことは不可能でした。適当に音量を上げてお終い・・というのが今までの人達でした。
だからこのHPを使って私は音量に関しての意見を、これでもか・・と書き込みました。なぜなら、ここはあらゆる場所に通じているHPのようだからです(笑)。
しかし船井さんにも通じていました(笑)。船井さんは、なぜか怒りました。メールによれば「講演前の森田さんのホームページが社内でも大問題になって、船井が全て3時間かけて見ました。その後船井は、大剣幕でした。私たち社員もびっくりするほどでした。」
これは過去の不手際を、私が指摘したからだそうです。
でもスタッフにも通じていました(笑)。「FOW2005」のコーナーには次の書き込みが入りました。
「FOW2005の出展ブースの準備をしていた時の事です。突然大音量で音楽が流れました。8日夜のことです。咄嗟に、もりけんさんのリハーサルではないかと思いました。音量チェックは何度も何度も繰り返されました。爆音でした。飛天の間で流れているであろうその音が、展示スペース中に響き渡っていたのです。スタッフの真剣さが伝わってきて、とても興奮しました。」
始まった当日参加した人から、音量が小さいという連絡が入りました。で、私は音量関係のチーフに電話しました。すると「今日と一緒にしないでくれ」と言われました。
私はスタッフのやる気に感動しました。
しかしFOWが終わった5日後に、私は次の事実を知りました。
「船井は、過度の演出が大嫌いです。昨日も、船井と話をしまして「照明をどうしろとか音楽を最大限になんていう演出は、僕は大嫌いなんだ。来年も、森田さんがそういうことをするなら講演会は、断ってもらっていい」という答えでした。私も念のために、今おっしゃったことを森田さんにお伝えしていいですか?と聞きましたら「いいよ」とのことでした。」
でも講演会当日の船井さんには、その気配もありませんでした。私が「次はラスベガスでやりたい」と言ったら「それもいいねえ」と言いました。
私達は写真を撮りました。
そして一緒にお昼を食べると、私は舞台裏に飛んで戻りました。
開始です。テーマソングが流れ始めました。スクリーンにはアニメの画像が映りました。
それが終わるまでの間に私は「時間の流れ」に乗りました。もう、戻るつもりはなくなりました。舞台に飛び出すと、寸劇を始めました。
さて、私はプロでしょうか?私は講演をするのが仕事ではありません。私は演劇をするのが仕事ではありません。プロの部分など、何もありません。
もしも私がプロだと言い出したらどうでしょうか・・。プロとは「それでお金を稼ぐ人」「それをある程度極めた人」でしょう。お金は既にマイナス5000円です(笑)。「それでお金を損をする人」なら、合っています(笑)。
だから、極めているものなど、ありません。私はいつもアマチュアです。アマチュアだから、全力でやります。それしか自分の「売り」は無いのです。
お客も大満足でした。それは初めて参加した人のファックスからも伺えます。しかも「時空ならどうする」という問いの結果、「意図のない講演会」をやってみようという私の問いかけは、演会全体で行われました。
午後のほとんどを使うという長丁場ですが、私は持っているものを全部出し切りました。
なのに私は船井さんから「次は断ってもらってもいい」と言われました。
ところで・・思います。もしも私が手抜きでやったらどうだったでしょうか・・。船井さんはOKしたはずです。何か、変ではないでしょうか・・・。
人は、一生懸命にやると損をするのです(笑)。しかし私はこれをやめる気はありません。
船井さんの意向を汲んで、次回は自制したとします。3000人のお客の前で、私は自分を出し切りません・・。すると何が起こると思いますか?時空との通信回線が途絶えるのです。
私はいつも、戻れない場所で問いを発します。すると時空は、答えをくれます。私が安全圏で問いを発すれば、時空は何も答えません。それは糸電話に似ています。たるんでいると、通話が出来なくなるのです。
私は船井さんから「次は断ってもらってもいい」と言われて、本望です。私はそこまで出し切ったからです。
さて、ここからがメインの書き込みです(笑)。
時空はプロでしょうか、アマでしょうか・・。
時空は何かに卓越した部分を持っているのでしょうか・・。もしもそうなら、すごいことです。だって「その道150億年」ですから・・(笑)。
しかしカルマの考え方には、それがありそうです。経験を積み重ねる考え方だからです。
しかし時空こそ、アマだと思います。プロ的な部分が少しでも出れば、リセットをかけていると思います。そしていつもスタートラインに立っているのです。
それは私も同様です。富士通の時、フランス留学が終えて次はニューヨーク勤務というコースになっていました。それはエリートコースでした。でも私はリセットをかけました。
今回の船井さんの件だって、私が折れれば、関係は続きました。そうすることによって私はもっと「上がった」と思います。「森田は自分の言うことを聞く」・・という意識が船井さんにもインプットされ、私は今まで以上に公式な場に引き出されたと思うからです。
でも私はリセットをかけました。私はプロにはなりません。
FOWには何回も来ていながらこのHPを見ていない人は、今回のFOWは意表を突かれたと思います。それは今までの私の講演会をリセットしたからに他なりません。
アマを貫いた私は、これからも時空と対面できると思っています。
FOWに来ていただいたみなさん、本当にありがとう。
来なくても、ここに書き込んでくれたみなさん、本当にありがとう。
これでFOWの書き込みを終わります。
さて、今回のFOWで私が最も楽しかったのがインタビューの場面です。それをもう一度出して、お開きとします。
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書き込み期間:2005/09/27〜2005/10/31 |
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