もりけん語録
テーマ:「無意識のルール」
書き込み期間:2006/08/02〜2006/09/06
要旨:
一般に約束を守ることが善とされていますが、これについて問題提起をしてみたいと思います。
私の親戚の人が、海外旅行に行きたいという理由でイベントをキャンセルしたため、キャンセル料を請求されて訴えられたことがありました。しかし弁護士が経緯をよく調べたところ、お互いに合意した約束事は元々存在していないことが明らかになったのです。
このように、約束を勝手に強要されるケースはよくあります。しかしさらによく強いられるのは、一対多の暗黙の約束ではないでしょうか。これは社会的な常識や決まり事のようなものです。例えば「男はスカートを穿かない」などもこれにあたります。
約束を強いられることに被害者意識を感じる人は多いです。しかし人間は本来、自分から拘束を求めているところがあると思います。本当は自由になるのが怖いのです。拠り所を失うからです。
「腹が減ったら飯を食う」といいますが、私もこの境地になれるわけではありません。しかしそれでも、過去の約束で今を潰したくはないと思っています。だからいつも手帳は真っ白にしています。約束を破って非難されることがあっても、無責任にやりたい事をしたいからです。

約束(ルール)は、意識の世界だけにあるものと思われてきました。ところが無意識の世界にもルールはあったのです。今それを追究しているのがトラさんや面相師です。
無意識のルールに気づくキーの一つは、下位の問いです。人間は自然の中から次第に意識が発達していきました。無意識が自然的存在だとしたら、意識は反自然的存在と言えます。そして意識が発する問いの中でも「私は誰?」といった下位の問いは、特に反自然的だと思うのです。それが、無意識のルールを冲して表に出させる作用を及ぼすのではないかと思います。
もう一つのキーは、メイドの視点です。プロは自分の技術を磨いて自己主張してくるのに対し、メイドは特別な技術を持たない代わりに、ひたすら自分を無くしご主人様を観察して奉仕することに徹します。そのためには、自分の経験を上回る視点を開いておく必要があります。つまり、メイドだけが視点を外部に出すことが出来るのです。その結果、ご主人(無意識)の側からルールが見えてくるのだと思います。

私はルールの中にこそ自由があるのではないかと考えています。それは変更できる自由のことではありません。人生を旅行に喩えると、事前にスケジュールが組まれた団体旅行は、自分で計画できない代わりに全てお任せすることが出来ます。そうすると、自分は旅の間に別のこと・・例えば「私は誰?」というようなことを考えていられます。
中国で発見された占術により、運命の行き先を知る方法が明かされました。そして、進路を変更する方法も開発されました。しかし私は、進行方向をより良い方へ変えることに興味はありません。それよりも、進行に対する垂直方向、前方に対する側面側の方に興味があります。
垂直・側面方向は、90度のズレとも言えます。そこからは意外なものがやってきます。それは外応であったり、世間的には価値を認められていない問いであったりします。
前方の運命に対して正面から取り組んでも、運命を変えることは難しいです。90度ずれた方向から来る情報こそが、間接的に前方の運命を大きく変えるのではないかと思います。

時空と私達人間との関係を、ご主人様とメイドの関係に置き換えてみます。どちらがご主人様だと思うでしょうか。ほとんどの人は時空をご主人様だと考えるでしょう。上から人間の運命を操っているように見えるからです。
そして私達は、ご主人様に気に入られようとしながら、脱メイド化の方向を目指してきました。運命変更の方法を知ったことで、今度こそ運命のご主人様になろうとする人も出てくるのではないでしょうか・・。
しかし私は、時空も私達人間も、両方メイドだと考えています。
時空は宇宙を具象化し、それと共に終わりまでの運命を決めた上で変更法までも作りました。これは観察されいじられる立場になり、人間に対して「好きにして」と言っているような状態なのです。
そこで人間側もメイドになったとしたらどうでしょうか。そこには目的が存在しません。
私達は誰一人、「私は誰?」の答えが分かっていません。それなのに目的に向かった行動をとります。そして「ご主人様」として命令を出そうとします。
「私は誰?」の答えが出ていない時、目的は発生しないはずなのです。目的が出てくるとすれば、「私は誰?」の問いを意識していないのだと思います。
両方メイドは、どちらからも命令が出ない、対等で新しい関係です。目的も方向性もありません。時空も私達もメイドだったと知った時、初めて平和が訪れるような気がします。

目次
○ 約束
○ 約束したと勝手に思い込んでいるケース
○ 約束を勝手に強要される・・
○ 一対多の暗黙の約束
○ 人は約束を欲する
○ 作り出す約束
○ 約束を破るバカと、守るバカ
○ 「約束」は、無意識が顔を出すことに制限をかける
○ 無意識にも「約束(ルール)」があった
○ 無意識のルールに気づけなかったワケ
○ 無意識のルールは、なぜ今まで隠してあったのか?
○ 下位の問いが、無意識のルールを引き出したのかも
○ 意識と無意識が分離して、関係が対等になる
○ メイドが外部の視点を獲得
○ 視点こそ、モノを言う・・
○ 「無意識は意識をネットワーク化している」(東天紅さんのアイディアより)
○ 「ルール」には自由の香りが・・
○ 決められた中での自由
○ 運命にお任せ
○ 運命変更のインプット・アウトプットは、垂直方向から
○ 90度のズレ
○ 90度のズレが、ネットワークを形成するのかも・・
○ 「前方側」の価値と、「側面側」の価値
○ 子供には「側面」が見えるか? ○ やはり「大人」
○ 無意識のマルチタスク
○ 前方の信号を相対的に落とす方法
○ 上位同士のマルチタスク
○ 息抜きに、散歩してはいけない
○ コトをすることで切り替える
○ ブレーキ(制御)
○ 「やるべきであること」に対するブレーキ
○ 時空はご主人様かメイドか
○ 「ご主人様」でなくて良かった
○ 両方「メイド」
○ メイドとメイドだと、目的は存在しない
約束


 今日から、ちょっとの間、「約束」をテーマにしたいと思います。
 中国で会った人達は、私の間で約束をしません。
 約束の一番典型的なのが契約書です。トラさんにしてもダンさんにしても面相師にしても、誰であれ、契約書に書かれるのはたったの一行(金額)だけです。
 契約をキャンセルをしたらどうなるか、そんなことは一切書かれません。契約書というものは普通、そういう時のためにするものです。
 つまり、そういう人達と私は、ほとんど約束をしていないことになるのです。
 ところが面相師は、ふとっちょの弟子が美人を見ている時でさえ(笑)、テキストから目を離しませんでした。
 テキストは既に日本語に翻訳されているので、それ以上中国語で加筆されると、困るのは私です(笑)。
 ちゃんとした契約書があれば、こういう風景は無いかもしれません。だって契約書には「甲は×月×日までに中国語の原本を送ること。乙は○月○日までに翻訳すること」などと書かれると思うからです。その期間を過ぎた行為は契約外のことになり、追加費用をどうするかなどという問題が発生します。
 しかし契約書(約束)が元々無いから、美人も見ずに追加行為をしています(笑)(私もそれで日本での追加行為が発生します(笑))。
 約束が無いから、上海空港の待ち時間に凄い作業(特大加筆作業(笑))をやったのだと思います。
 約束にはプラスのイメージがあります。約束を守ることが善的行為だともされています。
 しかし本当にそうでしょうか・・。


約束したと勝手に思い込んでいるケース


 親戚の人が訴えられました。お稽古ごとの教室に通っていたのですが、そこでイベント(お稽古の発表会)をやることになりました。イベントの参加費は20000円ほどでした。
 しかしその人はイベントが行われる25日ほど前に「キャンセルしたい」と言いました。
 すると教室(業者)側は、キャンセル料をこれから計算するからと言いと、翌日全額払えと言ってきました。
 なぜ全額払わなければならないのでしょうか・・。無断でドタキャンしたわけではありません。
 払わないで放っておくと、今度は次のように言ってきました。
「イベントへの参加者は数人しかいなかった。あなたがキャンセルしたお陰でイベントも出来なくなった。会社がかかった経費をすべて支払え。」
 つまり損害賠償請求に変わったのです。
 請求のメールやら電話は、毎日来るようになりました。そしてしばらく来ないと思ったら、なんと裁判所からの呼び出しが来ました。相手が訴えたのです(驚)。

 実はその人自身も、多少の負い目を感じていました。キャンセルした理由は、海外旅行に行くためです。つまり自分のエゴのためにキャンセルしたからです。自分のエゴが相手(業者)に迷惑をかけたと、少し反省している状態でした。
 例えば親の死のような、どうしても回避できないような理由ならともかく、別な遊び(海外旅行)に行きたいからと言って、最初に申し込んだ方をキャンセルするのは裁判でも不利だと、周囲からも言われていました。
 私は、何か変だと思いました。人が生きたいように生きては、いけないのでしょうか?
 イベントの参加費は20,000円ほどでした。これが全額請求されても大した金額ではありません。しかし被告が未成年者(たとえば高校生)だとしたら、どうでしょうか。

 その人は弁護士の知り合いがいないので、私の会社の顧問弁護士を紹介しました。弁護士は経緯を調べた結果、言いました。
「相手(業者)はあなたに対して『約束』を一方的に押し付けているだけではないですか・・。申込書も無し、キャンセル料の明記も無し・・。お互いに合意した約束など、一つも無いですよ。約束が元々存在しないのだから、それを破るという概念を持ち出すことすら出来ません。あなたに非は、全くありません。しいて言えば、相手にも非はありません。相手は勝手に約束したと思い込んでいただけなのですから・・。この裁判、私が介入しましょう。」
 これを聞いて私は思いました。「この弁護士、イケている」・・と(笑)。
 不思議研はまだ裁判を経験していませんが、この弁護士なら裁判が起こったとしても面白そうです(笑)。


約束を勝手に強要される・・


 昨日のは、相手から約束を勝手に強要された例だと思います。それが始末に悪いのは、書面など一切無く、しかも親戚は未成年だということです。さらに、相手は「先生」と呼ばれている人です。
 この場合を考えてみれば、もしも契約書が存在すれば、生徒と先生は対等になることが出来ました。
 その契約書を見て、「25日前のキャンセルなら支払う料金は20%なんだな・・」とか言って、簡単にキャンセルできます。
 なので、学校側はわざわざ契約書を作らなかったのではないでしょうか・・。上下関係を保持するために・・です。
 だから契約書は無い方がいいとは、一概に言い切れません。元々の関係がハイアラキーの時は、作ったほうが良いと思います。

 さて、この裁判は学校側にとしては、とても重要です。他の生徒の見せしめになるからです。契約書が無くても、キャンセルすれば全額払うことになる・・こういう前例(常識)を勝ち取れるからです。
 裁判の対象となっている金額は小さいですが、その後のことを考えれば、とても「でかい山」(笑)なのです。
 向こうは組織(学校)です。こちらは個人(しかも未成年)です。
 この裁判は少額訴訟と言って、訴える側もとても簡単です。1.000円しかかかりません。そして裁判はたったの一日です。
 でも訴えられた側はそれなりの準備をして(これがけっこう大変です。素人が作るにはかなり無理があります)、その準備した書類を事前に裁判所に送り、指定された日に裁判に行かなければ、自動的に相手方の勝ちになると、裁判所からの手紙には書いてあります。
 たぶん学校側はそれを狙ったと思います。
 でもこちら側は、裁判で白黒つける気です。
 しかし訴えられた本人は、正義感などありません(笑)。常識的に考えられるキャンセル料は払いたいと言っています。この時点で初めて本来の「約束」に戻るのだと思います。
 勝手に約束を強要されるケースは、いくらでもあるような気がします。それは「約束」に対して「善」の響きがあるからだと思います。
 でも考えてみれば、約束というのは、エゴとエゴがぶつかり合った接点のようだと思います。お互いがお互いを最大限に利用するという接点です。
 言い過ぎでしょうか・・。

 その学校、生徒が激減しているのです(笑)。今回、卒業生は三人、一時は20人もいた・・。
 弁護士は言いました。「三人だって二人だって大して変わらないだろう・・。二人でやれよ」(笑)
 私は言いました。「学校は、プライドが許さない。」
 裁判する動機の大半は、「プライド」だと思います。


一対多の暗黙の約束


 一対一の約束の事例が続きましたが、今日は「一対多の暗黙の約束」がテーマです。これは、別に約束をしたわけではないのに、約束を破ったときのように非難される場合があります。
 私は会社員だったとき、社費で留学させてもらいました。三食の食事費用まですべて負担してくれましたので、会社は大変にお金をかけました。それとは別にちゃんと給与は振り込まれました(笑)。なのでこの時期、私はどんどんお金が貯まりました。
 しかし会社に戻って半年で辞表を出しました。
 このとき会社側では、モリタの留学費用の返却をどうするか、もめたそうです。しかしそういう契約を元々していたわけではないので、私には請求は来ませんでした。
 でもさんざん嫌みを言われました(笑)。
 日本の会社は終身雇用制が基本的な理念として流れています。別に強要はされませんが、暗黙の了解というものがあります。暗黙の了解を破ったとき、その組織には居づらくなります。
 服装についての暗黙の約束というのもあります。男性はスカートを穿かない・・というのも、一つの暗黙の約束です。これを破ると、世間から後ろ指を指されます(笑)。
 もしも富士通にいる時にOL服で出勤すれば、たぶんその後の出世はないでしょう・・(笑)。

 一対多の暗黙の約束というのは、一対一の約束事よりも影響力が大きいのではないでしょうか。
 一対一の約束は、破ったとしてもその人との関係にヒビが入るだけです。
 しかし一対多の暗黙の約束を破ると、社会との関係にヒビが入ります。
 でも考えてみれば、「男はスカートを穿かない」などという契約にサインしたわけではありません。なのに自分に強いてきます。
 昨日は「約束を勝手に強要される・・」という題名でしたが、それと何の変わりがあるでしょうか?いえ、それ以上だとは思いませんか?
 音楽教室に対して憤慨するのに、こういう社会には憤慨しないのでしょうか?
 音楽教室の問題など、社会全体からの「強要」に比べたら、ゴミみたいだと思います。


人は約束を欲する


 約束は、現在や未来を決めるものです。男はスカートを穿かないというのは現在を決めるものです。手帳に書き込む約束は、未来を決めるものです。
 人間は本来、拘束を嫌うでしょうか?人間は本来、自由に生きたいのでしょうか?
 否・・だと思います。これは17歳の時から私がずっと追求している問題でもあります。
 人間は放っておけば、ルールを欲します・・。人間は放っておけば、自由から遠ざかりたいのです・・。
 自分は組織に属し、その組織がルールを強要してくるから自分はその被害者だ・・。他人が約束を強要してくるから、自分はその被害者だ・・。こう考えるのは多分、自分への認識が甘いのではないかと思います。
「腹が減ったら飯を食う」・・この境地の逆を人間はやっています。それも好き好んでやっています。
「腹が減ったら飯を食う」・・こんな境地になれば、ほとんどの人は生きていけないと思います。拠り所を失うからです。
 私も同様です。だから私は諦めました。
「腹が減ったら飯を食う」・・この境地になれるわけはないからです。


作り出す約束


 約束というのはルールとも言い換えられます。道路交通法は約束事ですが、交通のルールと言った方が分かりやすいです。そして法律はどんどん出来ます。
 それだけではありません。人間は法律以外のルールも勝手に作り出すのが好きです。例えば・・。
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 良い人間になれば、アセンションを切り抜けられる・・。
 今のあなたは過去のカルマが具象化したものであり、カルマを解消しない限り、来世も同じことを繰り返す・・。
 思いは実現する・・、だから良いことを思えば、良い世の中が実現する・・。
 100人の人間が同じことをすれば、世の中が変わる・・。
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 精神世界のセミナーは、その人の「発見」したルールを説明するのが常です。聴衆はそのルールを教えてもらうために参加するのです。
 ビジネスセミナーとて同様です。お金儲けのルールを教えてもらうのです。
 本を読むのも同様です。著者の「発見」したルールを知りたいのです。
 恋愛のコツ、食についての新しい発見・・。
 そしてルールを知り、ルールを満載して私達は死んでいきます(笑)。
 あの世で出される「スープ」は、「ルール除去水」です(笑)。それを飲まなければ、来世にも同じルールを持ち越すからです。
 約束、決めごと、ルール・・私達は本能として欲してしまうのだから始末に悪いです。
 このHPでは「私は結果」が前提となりつつあります。その上に「約束、決めごと、ルール」が構築されようとしています。そうしないと多分、安心できないのだと思います。


約束を破るバカと、守るバカ


 私の手帳は真っ白です。正確に言えばノバの受講予定時間が真っ黒に書き込まれているので、それ以外は真っ白です(笑)。
 私は「いい加減」が好きです(笑)。だから「あの時、ああ言ったじゃないか」と言われるのが辛いです(本当はちっとも辛くない(笑))。要するに、無責任なのです。
 私は無責任に、やりたい事をしたいです。だから手帳は真っ白です。その日は、その日思った事をしたいのです。さらに、その日した事には、責任を持ちたくありません(笑)。
 ここまで書いて自分は、どうしようも無いバカ男に感じられます(笑)。でもそれでしか、生きたくないのです。
 言ったことに責任を持たないから「約束を破る男だ」と言われます。でも本人は破ったつもりはありません。あのときああ言ったのは、せいぜい数秒先までしかの約束でしかないからです(笑)。しかし世間は、それを許しません。
「数秒先までしか責任を持てないヤツは、程度が低い男だ」・・と言われます、多分(笑)。
 だから手帳は真っ白です。
 程度の高い人間は、20年間も約束を破ってはいけないらしいのです。しかしそういう「程度の高い人」は、約束を守るために生まれてきたのでしょうか・・。
 こうして考えると、約束を守るということが、バカみたいに思えてきませんか?


「約束」は、無意識が顔を出すことに制限をかける

 人は無意識の世界に身を委ねることが嫌いなようです。だから「約束」をするのではないでしょうか・・。
 無意識は瞬間瞬間、自分に何をさせるか分かりません(笑)。ムラムラとした欲望が渦巻くのが無意識の世界です(笑)。しかし・・です。
 世界を意識と無意識に分けたとき、私が信用しないのは意識の世界です。意識の世界は社会そのものだと思います。だから約束を強いてくるのだと思います。無意識の世界に支配されないように・・。
 私はむしろ、無意識の側を信用しています。突発的な何かが起こった時、冷静に考えたらアウトだと思います。意識が顔を出すからです。
 無意識の世界は過去から未来まで、時空全てに通じているはずです。
 それを「約束」ごときで潰したくはありません。


無意識にも「約束(ルール)」があった


 意識の世界だけに約束(ルール)があるわけではありません。無意識の世界にもあるのでした。それを追求しているのが、トラさんであり面相師などであります。
 混沌として掴み所がない無意識の世界・・だから人類は「そんな世界にルールなど無い」と思ってきました。意識の世界が無意識の世界を支配するのだと思い込んできました。
 しかし中国の頭の良い人達によって、どちらの世界にも約束(ルール)があり、ルールとルールがつばぜり合いをしていることが分かりました。
 これは、恐ろしいくらいの発見だと思います。
 今まで自分は世界に対する「ご主人様」だと思い続けてきました。今でも大半の人はそう思っています。自分の意識が世界を変えるのだ・・と。
 しかし自分はメイドでした(笑)。
 それと同時に、メイドは見てはイケナイものを見てしまいました(笑)。ご主人様の真の姿を・・。それは無意識の世界のルールでした。
 そのルールを知ると、どうなるか・・・ドキドキ・・


無意識のルールに気づけなかったワケ

 私達はみんなメイドだったのに、それに気が付きませんでした。それどころか、自分が世界のご主人様だと思っている人さえいました。
 何故こんなことになったかと言えば、理由は二つあると思います。

●無意識が意識を包含していたこと
 意識の周りを無意識が包含していたら、意識は気づくでしょうか?
 一部が接触していれば、他の部分と比較することで、違いに気づくはずです。
 でも周りの全てが無意識なら、気づかないのではないでしょうか・・。
 例えば生まれたときから、世界中の人がメイド服を着ていたとします。
 とすれば、それはメイド服が特殊な服だとは気づけません。
 つまり無意識のルールに包含されていると、そのルールに気づけないのではないかと思います。

●無意識と意識の接点に、矛盾点が見られなかったこと
 二つの世界の接点において、何か一つでも「おかしい」と思えることがあれば、それが突破口になり、ルールが暴き出されると思います。
 しかし、矛盾点は発見されていないのです。
 もちろん超常現象の世界では、ありました。孫さんの蘇生などです。
 しかしこれは日常的に起こることではないので、非科学の領域に押し込められました。

 下に、図を出しておきます。


無意識のルールは、なぜ今まで隠してあったのか?

 無意識のルールが「単に隠れているだけ」なのか「何かの理由があって隠してあるのか」分かりません。もちろん時空に意図は無いとすれば、「理由があって隠してある」という表現はマズイです。
 しかし、あえて、そんなタブーを破ってみました(笑)。時空の「意図」を想像したくなったのです(笑)。
 言っておきますが、以下は私の「超仮説」です。そしてかなり精神世界っぽくなります(笑)

 時空は、バカみたいに運命変更をされたくなくて、秘密を隠したのではないでしょうか・・。
 無意識のルールは、運命を決めるルールであると同時に、運命を変更できるルールでもあります。
 もしもそれが簡単に見つけられてしまえば、「私は原因」の人たちにも、バンバン運命変更がかけられてしまいます。
 例えば「運命が決まっているのが気に入らないから」という理由だけで変えようとしたりします。自由はまるで、運命変更の向こう側にでもあるかのように・・・。
 これでは戦争だって、ちっとも無くなりません。
「終わっていない人達」が関与すれば、「私は結果」だって「私は原因」に成り下がります。
 やはり「私は結果」的概念の特徴である「間接性」、「ネットワーク性」、「代替可能」、「一過性」などを、理解する必要があったのかも知れません。
 それを経てから、運命変更をスタートさせたかったのではないでしょうか・・。
 しかし遅かれ早かれ世に出るとすれば、何故こんなに時間が必要だったのでしょうか・・。今までの私の説明でも、理解できません。


下位の問いが、無意識のルールを引き出したのかも

 時空はなぜ今まで、無意識のルールを隠しておいたのでしょうか・・。今日は私が思うところの理由を書きます。
 動物と人間には両方とも無意識はあります。違いは「意識」があるかどうか・・です。だとすれば、これがキーだと思います。
 しかし元々人間に意識があったわけではありません。次第に「意識的」になってきたというのが私の考えです。原始時代、中世、近世、そして現代・・長い時間の流れの中で、人間の意識というものが発達してきたのです。
 言い方を変えれば、人間は「自然」の中から次第に「出てきた」のではないでしょうか・・。なので、無意識は「自然的存在」だと思います。しかし意識は「反自然的存在」だと思います。そして「私は誰?」という問いを発するのは、その中でも特に反自然的行為だと思います。

 ところが「この恋愛はうまくいくか」という風な問いは、どちらかと言えば自然的行為だと思います。
 つまり下位の問いが反自然的なのに対して、上位の問いは自然的だと思うのです。
 上位の問いが自然的ならば、それは無意識に近い領域です。
 だから何も、無意識のルールを公開する必要もありません(少し論理は飛んでいます(笑))。
 しかし無意識に正面から向かってくるような問い、すなわち下位の問いは、無意識のルールを表に出さす作用があるのではないかと思います(論理はさらに飛びます(笑))。
 ちょうどそれは、空亡が冲されて開けるように・・です。
 以上、あくまでも私の超仮説です。 


意識と無意識が分離して、関係が対等になる

 以前は、無意識が意識を包含している図を出しました。
 それは自分達がメイドだということを認識するためでした。
 実は、認識すると分離するというのが私の仮説です(大した根拠はありません)。
 そしてメイドだということを認識した後、メイドとご主人は対等の関係になっていくのだと思います。
 メイドの側は、自分がメイドだと分かって、メイドを続けるのです。ということは、メイドを楽しむスタンスも取れるということです。
 しかしそれだけではありません。プレイが面白くないと、ご主人さまにさえ問いを発します。「もっと楽しもうよ・・」(笑)
 ここで初めて、ご主人様はルールを見せるのだと思います。
 つまりメイドなのにそれを認識せず、メイドが「世界を変えよう」なんて言っている限り、ルールは見せないと思います。
 メイドが世界の頂点に立とうというスタンスだからです。メイドがご主人様を征服しようという考えだからです。これは対等ではありません。
 しかし対等になれば、相手もソノ気になるのです。
メイドが外部の視点を獲得


 メイドというのは、ご奉仕をするのが仕事です。なので、どちらかといえば、自分を殺しています。
 上の写真でも、メイド以外は自己を主張しているように見えます。「私の技術はプロとして凄いのよ。私に任せなさい」と言っているようです。
 しかしメイドは違います。メイドは自分を無くし、ただひたすら、ご主人の意向を察することに集中しているようです。
 メイドは自分が「代替可能」であることを知っています。しかし他の人達は、そうは感じていません。「私のプロとしての技術に任せなさい」と自信満々です。 
 メイドは大した技術もないので、ただひたすらご主人を観察するだけです。
 しかし、自分を殺してひたすら観察するということに対して、ご主人様からのご褒美がありました。ルールを見せてきたのです。
 つまりメイドは観察していく中で、ご主人様にもルールがあることが分かってきました。
 ご主人の勝手気ままに見える行為も、実は勝手ではなかったのです。ご主人様も、がんじがらめだったのです。
 メイドだけが、視点を外部に出すことが出来ました。



視点こそ、モノを言う・・

 昨日のポスターでは、メイド以外は、自分のプロとしての仕事に自信があるように見えます。しかしそれは、あくまで自分が培ってきた経験の上でのことだと思います。
 つまりプロ達は、自分の経験の視点からモノを見ています。
 でもメイドは違います。ご主人様は、どういう意向を持つか分かりません。
 つまり経験を上回るような、360度の視点を開いていないといけません。
 この「視点」こそが、モノを言うのだと思います。決して「行動」だけではないのです。
 ひとたび行動を起こせば、その行動の中に埋没してしまう可能性があるからです。
 人類の歴史を考えれば、まだ現段階では、時空がご主人で、人間がメイドです。
 いつかはこの関係が対等になる日が来ると思っています。
 その時までどうすれば良いかと言えば、メイドの視点だと思います。
 私事になりますが、毎日りんごの部屋で過ごしています。行動することは何もありません。しかし、メイドを堪能していると思っています(笑)。
 視点は散らばっていると思うからです。


「無意識は意識をネットワーク化している」(東天紅さんのアイディアより)

 東天紅さんより、一つのアイデアが送られてきましたので、紹介します。

<東天紅さんより>
 もりけんさん。
 意識と無意識の関係について、ネットワークを加味した場合のアイデアを以下の図にいたしました。



 これを説明しますと、図のように「無意識は意識をネットワーク化している」‥‥つまりは、意識(点)を無意識(線)が縦横無尽に結んでネットワークができているのではないかと思います。
 この状態を遠くから見ると、あたかも無意識が意識を包含しているかのように見えると思います。
 でも、ネットワークという概念を持たないと、無意識(線)の認識はできないし、意識(点)だけで全部が成り立っていると考えてしまうと思います。
 そして意識(点)を拡大すれば、意識同士がつながってネットワークっぽいのが出来上がると思っているかもしれません。
 意識と無意識との関係ですが、お互いに完全に別物として分離していながら、ネットワーク的に一体になっている、なんとなくどっちつかずの関係に見えます。
 とはいっても、意識あるいは無意識だけでは通信ははじまらず、意識と無意識が両方セットになったときに通信がはじまる、そういう性質はあると思います。
 両方が存在していないと通信がはじまらないと言っても、無意識側は主人的、意識側がメイド的だと思います。

<森田の意見>
 意識のネットワークがあり得ると思うのは、場を取るということです。場は、「その場」に行かなくても取れます。あれはネットワークの作用ではないかと思っています。
 なのでこの図は、その可能性を示唆したものと言えると思います。


「ルール」には自由の香りが・・

 今日の書き込みはとても感覚的です。
 親戚の子が音楽教室の業者から訴えられました。勝手にキャンセルしたというのが先方の理由です。
 その子は、音楽教室のイベントに申し込んでから後、短期留学を決めました。なのでとても悩んでいました。
 しかし音楽教室が最初からルールを提示していれば、自由になることが出来ました。20日前にキャンセルすれば料金は幾らかかると、すぐに分かったからです。
「運命ががんじがらめなのに腹が立つ」という人もいます。しかしそれは神が気まぐれに決めている運命ではありません。あるルールに則った運命なのです。
 私は、ルールに対して、自由の香りを感じます。それを知れば、単に「変更できる」という意味合いの自由だけではありません。


決められた中での自由

 今私の娘は、友達とふたりでイタリア旅行をしています。
 最初は、全て自分達で計画を立てて行くのだと言っていました。
 私はローマとベニスには行ったことがあるので、たびたび相談を受けていました。
 でもある日、言われました。「団体旅行に申し込んだから。」
「あっ、そう。」(笑)
 見れば団体旅行は、事細かにスケジュールが組まれていました。添乗員から娘に電話までかかってきました。
「バチカンとか、ノースリーブじゃダメなので、カーディガンとか持ってきてね。」
 至れり尽くせりで、「自由」が入り込む余地もありません(笑)。
 私は運命を知れば知るほど、自由になれるのではないかと思っているタイプです。何故かと言えば、旅行に喩えれば、運命を事前に知るというのは団体旅行そのものです。
 団体旅行では、「人生」を自分で計画するのは不可能です。どこに行くかは、全てお任せです。なので、旅の間は別のことを考えていられます。
 実は、この点に私は「自由」を感じるのです。
 この先に滝があることは分かっている、しかし死なないことも分かっている。だったら別のことを安心して考えられる(笑)。別のことというのは、「私は誰?」・・。
 これが私の自由です(思考もあらかじめ決められていることかも知れませんが)。


運命にお任せ

 昨日の書き込みをもう少し発展させます。
 私達は運命の船に乗っています。行き先は分かりません。
 この点が団体旅行との違いです。団体旅行は行き先が決まっているからです。イタリアに行こうと思ったのに、南極に着いたりはしません(笑)。
 しかし私やあなたを乗せた運命の船は違います。大金持ちの島に着くはずが、貧乏人の島に着くことだってあります。いえ、そっちの方が多いです(笑)。
 しかし中国の頭の良い人達によって、行き先を見る方法が発見されました。
 それによって見れば・・大半の人は・・運命は普通じゃん・・(笑)。
 普通だということは、もっと上もあるということです。そして、進路を変える方法も発見されました。
 さあ、あなたなら、どうしますか??船の行き先の変更に一生をかけますか?どうせ生まれてきたのだから、より良い一生に変えますか?
 私はそうしません。どうせ生まれてきたのに、船の進行方法に興味を持つのは、バカバカしいです。
 それは子供の頃、成功した人を見て、バカみたいだと思ったのと同じです。
 私が興味あるのは、船の進行に対する垂直方向です。つまり、「よそ見」です(笑)。
 しかし楽しむためではありません。
 垂直方向を見るというのは、手放し運転です。つまり、運命にお任せです。


運命変更のインプット・アウトプットは、垂直方向から

 昨日は次のように書きました。

> どうせ生まれてきたのに、船の進行方法に興味を持つのは、バカバカしいです。
> それは子供の頃、成功した人を見て、バカみたいだと思ったのと同じです。
> 私が興味あるのは、船の進行に対する垂直方向です。つまり、「よそ見」です(笑)。
> しかし楽しむためではありません。
> 垂直方向を見るというのは、手放し運転です。つまり、運命にお任せです。

 さて、垂直方向からは、意外なものがやってくると思います。それは「外応」です。
 前から来る歴史の流れに入り込んでいると、これは見えないと思います。
 つまり運命変更に夢中な人は、おそらく自分の運命を変えることは、難しいのではないかと思います。
 置物を置くというのも、垂直方向の作用だと思います。船の進行方向に作用していれば、進路は変わらないと思うからです。
 置物がアウトプットだとすれば、外応はインプットです。その両方が、垂直方向だと思うのです。
 進行方向に向くことは、運命とガップリと組み合うことです。運命を受けて立つことです。大抵の人は、これをやっています。
「目の前のことから逃げるな」とか「すべてに責任を取れ」とか「コミットせよ」とか美麗言葉で自分を奮い立たせます(笑)。
 そうすればするほど、意識は運命の進行方向に向かいます。六爻占術をやっている人なら「運命を変えてやろう」と思うようになります。
 しかしそれだと、垂直方向を見失うと思います。以上はあくまでも私の私見ですが・・。


90度のズレ

 電気や数学の世界では、「90度のズレ」というのが頻繁に発生します。
 電波は、磁場と電場が90度ズレて、それが連鎖反応を起こして伝わっていきます。鎖(チェーン)のようにです。
 テレビアンテナは水平で、携帯のアンテナは垂直ですが、発信地のズレに合わせたものです。
 数学で実数と虚数を図に表現するときも、90度ずれています。横軸が実数で、縦軸が虚数です。
 90度ズレるとどうなるのでしょうか・・。連鎖していくことが可能になります。
 鎖(くさり)は、それぞれのパーツが90度ズレています。だから次々に噛み合って、連鎖(チェーン)を作ることが出来ます。
 もしも90度ズレないと、チェーンは出来ません。一本の鉄の棒になってしまいます。針金などがそれですが、チェーンのようには優柔不断に変化しません。優柔不断にしようとすれば針金を細くするしかなく、長くすれば、切れてしまいます。
 こうして考えると、90度のズレというのは、とても大変な意味を含んでいそうです。
 運命の方向にだけ注意を向けるのは、針金的思考だと思います。今の延長上に未来を考えるのです。
 しかし垂直方向は、回り回って運命に影響を与えると思います。
 

90度のズレが、ネットワークを形成するのかも・・



 歴史の流れを縦にしました。すると、問いと答えは、水平方向に変わりました。
 赤と黄色のヤツは、問いが無いので縦の流れ一直線です。
 しかし白と青の人は、水平方向に輪が出ています。問いを発しているのかも知れません。でもそれが一部で重なり合っています。
 ネットワークは、こうして出来る可能性もあり得ます。


「前方側」の価値と、「側面側」の価値

 普通人々は、前を向いて生きています。高校時代で言えば、毎日の予習復習から始まり、中間テストだったり期末テストだったりします。それらをこなすことが「仕事」だと思います(笑)。
 しかし少なくても私がいた高校では、出席さえしていれば落第はありません。なので、本人は物理的には前に進みます。
 ところが既に本人は前を見ていないわけです(笑)。前に価値を見出していないからです。
 本人にとっては、今まで教えられたあらゆる価値が崩壊し始めていると言っても過言ではありません。
 とすれば、虚から現れるちょっとしたことが、本人にはビックリするくらいの価値になるかも知れません。
 私の下位の問いは、こうしてやってきたのかも知れません。
 物理の時間に「神の在・不在」を問うことは、学校側にとっては何の価値もありません。しかし本人にはとても大きなものとして出現し、それが一生に影響を与えてしまいました。

 言い換えます。下位の問いというのが、前方からやってくるとは思えません。「前方側」にとっては何の価値も無いからです。
 これをもう少し一般化してみます。
 外応として来る情報は、「前方側」にとっては「無価値」だと思います。
 外で雨が降ろうが矢が降ろうが(笑)、部屋の中で判断している占い師には関係なかったはずです。
 柳生の道場の外で鳥が鳴こうが鳴くまいが、試合には無関係のはずです。
 これが90度のズレだと思います。
「側面側」から来るズレた情報が「前面側」の運命を大きく変えるのが、今議論している問題であり、我々の運命の研究だと思います。


子供には「側面」が見えるか?

 子供から大人になるにつれて、能力が減るように言う人が多いです。つまり大人になるにしたがって何かを失ってきたような・・。しかし本当にそうでしょうか?
 私が下位の問いを持てるようになったのは、「制御」が原因です。制御とは自分にブレーキをかけることです。
 しかし子供はむしろ逆です。ブレーキをかけないでどんどん行く方です。あとさき考えずに行くのが子供です。
 なので子供には「側面」は見えにくいのだと思います。何故かと言えば、「開放的」に生きているのが原因だと思います。
 今までは『ハンドルを手放せ』というのは「開放」だと思ってきたフシがあります。それは子供の頃に戻るという概念に近かったです。
 しかし最近の話題の中で、「制御」が見直されてくると同時に、「開放」はむしろ前しか見ないという感じになってきました。


やはり「大人」

 昨日の書き込みは「子供には側面が見えるか?」でした。
 子供には前しか見えそうにありません。それも極めて直近の前です。
 とすれば、側面が見えるのはやはり「大人」だということになります。
 この視点は、今までのものとは大きく異なると思います。今までは子供が絶賛されすぎました。
 子供はエゴが無い、だから子供のような純粋さを取り戻そう・・とか、あの人には子供のような心がある・・とか。
 そして年を取るにつれて「使い物にならない人間」に近づく・・(笑)。それだとマズイので、再び生まれ変わる・・。
 ここに書き込みしている人も、人生半分くらい過ぎて、そろそろリニューアルの時期に入っている・・・(笑)。
 しかし「制御」という概念から「側面」という言葉が出てきて、それは大人でなければアクセスできない領域ではないか・・と。
 別に私は子供を否定したいとは思いません。しかしわけもなく子供を絶賛して、いかにも自分は子供の味方だという人達に対して、今回のテーマは、いい気分にさせるのです(笑)。
『星の王子様』などという本もありました。「子供心を忘れるな」ということを言っている本でした。
 もしかするとそれは、違うのかも知れません・・。
 何だか知らないけれど、今回の流れにホッとする私です(笑)。


無意識のマルチタスク

 子供は前方しか見ることが出来ず、大人は側方も見えるということでした。これはどういう事かと言えば、子供はシングルタスクで、大人はマルチタスクで動けるということではないでしょうか・・。
 子供は遊び始めると、それだけの世界にのめり込みます。ご飯を食べるのも忘れて遊びます。前しか見えないというのは、シングルタスクということだったのです。
 しかし大人になると、一つのことにのめり込むのが難しくなります。気が散るからです(笑)。この「気が散る」という現象がマルチタスクのひとつの現れだと思います。
 宮本武蔵で話題になった「鳥の声を聞け」も、ある意味、「気が散る」現象のひとつだと思います(この件についてはまた別に論じたいと思います)。
 子供はシングルタスク故に、「純粋で素晴らしい」と言われるのです。
 さて、気が散るのは意識の仕業と思われるかも知れませんが、意識は五秒遅れた無意識と考えられるので、無意識のマルチタスクと考えられます。
 トラさんが外の雨に気づいたのも、無意識だと思います。意識的に探してはならないというのが外応だからです。
 マルチタスクだとすれば、ネットワークの為せる業とも考えられます。


前方の信号を相対的に落とす方法

 無意識マルチタスクをどうやって稼働させるか、その一つの方法です。
 私がりんごの部屋にいるのが、それだと思います。
 私は会社そのものに出勤すると、その中の流れから脱出するのが困難になります。私が会社にいれば、私に対するアクションは沢山あるからです。なので会社にいる間は、ほとんどシングルタスクの状態です。
 しかしりんごの部屋は違います。目の前にはいつも同じ風景が見えて、夏は蝉の声が聞こえるだけです。ミーン、ミーン・・
 いつもと同じ、メトロノームな生活です。そこにいると、一つのメリットがあります。
 側面からの割り込みが拾いやすいのです。しかも前面からの信号が少ないので、それを頭の中で浮遊させることができます。これは、前方からの信号をわざと落として、側面の信号を相対的に上げていると言えます。
 高校時代は「地上の出来事」に関する勉強を意識的に下げて、下位の問い(地上を離れた出来事)の信号を上げていたのではないかと思います。
 となると、前方の出来事にのめり込みすぎないというのが、マルチタスクのひとつの手段だと思いました。
「前方の出来事にのめり込みすぎない」というのが一つの「制御」であり、マルチにする方法だと思います。


上位同士のマルチタスク

 根源的な問いを「下位」と言い、刹那的な問いを「上位」と定義していますが、三次元の普通の仕事は上位に入るわけです。
 で、今日は普通の仕事のマルチタスクを考えてみます。すなわち上位同士のマルチタスクです。
 私の場合、シングルタスクではやる気が出ません。かといってマルチになるまで待っていれば、いつまでたってもそれは来ません。もともと暇だから(笑)。
 で、どうするかと言えば、前倒しにするしかありません。
『「不思議の友」13.1』が出ましたが、あれを発行する2週間も前に、次の号『「不思議の友」14』の裏表紙の見開きが出来ました。
 普通の出版社ならば、その号の編集が佳境に入った頃です。しかし私は、次の号を書いているのです(笑)。
 私が仕事を前倒しにするのは、わざわざマルチ化するためでもあります。そのくらい、仕事が少ない(笑)。
 マルチでやる人は経験があると思いますが、もう一方の仕事からヒントを貰えることがあるということです。
 しかもシングルでやっている時よりも、スピードがアップしているはずです。
「モノを頼むのなら、忙しい人に頼め」ということわざがあるくらいです。暇な人はいつまで経ってもやってくれないのです。
 上位同士のマルチの場合、どちらが「前方」でどちらが「側方」か分かりません。なのでその都度切り替わっているのだと思います。
 しかしシングルでやっつけている時よりもスピードが上がり、仕事の完成度が上がるのはどうしてでしょうか?
 みなさんはどうでしょうか?人によって得手不得手があるのでしょうか・・。


息抜きに、散歩してはいけない

 以前読んだある本に、表記のセンテンスが書いてありました。
 例えば執筆作業をしていたとします。なかなか次の文章が出てこないときは、一息入れます。しかし頭の中は、ペンディング状態です。言い換えればCPU上で浮遊しているのです。いつなんどき閃きが来るか、分かりません。
 そんなとき散歩をしてはいけないのです。散歩をすると、美人(あるいはイケメン)にバッタリ出会ったりするからです(笑)。すると頭の中は、その相手のことで占有されます。今まで考えていた事が飛んでしまいます。
「ああ、いい女(男)だった。ハアハア」・・と(笑)
 でも部屋で、お茶ばかり飲んでもいられません。
 私は、最近良い方法を使っています。語学をやるのです。私の場合、中国語を覚えるのです。語学というのは、今までの思考作業に全く影響がありません。
 なぜなら語学は、頭を使わないからです(笑)。
 だってそうじゃないですか・・、日本語を喋るという動作そのものに、頭を使いますか?
 英語なんか、アメリカ人ならどんなバカでも喋っているでしょう?(笑)
 それでも長いことは、やりません。10分ほどで切り上げます。覚えるという作業も結構疲れるからです。それが休憩効果となり、また仕事へのやる気が出ます。
 もう一つは、寝るときに語学のCDをつけたまま寝るのです。すると、いつの間にか寝ます。でも一ヶ月続けたら、そのCDを丸暗記してしまいました。
 そして副次的効果もあります。CDをかけてしまうと、独り言にバカなことを書いたとしても、取りあえず忘れます(笑)。

 以上のことを少し一般化します。
 今回の書き込みは、同じ上位同士でも、一方が「主」で、もう一方が「副」でした。
「主」は、ご主人様とも言い換えられると思います。「副」がメイドです。
 メイドは出過ぎてはいけません。ご主人様がいつでもホンちゃんの仕事に戻れるような状態でいなければなりません。
 ご主人様の肩を揉む程度はしても良いですが、それ以上のことはイケマセン(笑)。
 イケナイ所を触った日には、ご主人様の頭が真っ白になり、そのままイッてしまうかも知れないからです(笑)。もちろんメイドはサッとおしぼりで拭きますが、そういう問題ではありません。
 考えてみれば、この状態のメイドは、さすがです。ご主人様に奥さんがいるとすれば、完全に裏方に回らないといけないからです。
 奥さんが帰ってきて(つまりホンちゃんの仕事に戻り)、奥さんと激しくシテいる声が聞こえたら、メイドは音もなく自室に引き上げないといけないからです。
「だめ・・・そこは感じるの・・。舌先が当たる・・。舐められただけでイッちゃうわ。アッ、アッ・・・」
 そして奥さんとのコトが終わり、その後始末の掃除のために呼ばれるのをじっと待つのです。
「側面」というのは、こういう立場なのです。
「突然の雨」にしても、トラさんの判断に使われた後は、見向きもされません(笑)。
 もしかしたら、時空の方が偉大なメイドかも知れません。奥さんと何したって、嫉妬の雨なんて降らせませんから・・(昔はそういう神もいましたが・・(笑))
「上位のマルチってどうよ?」・・これは意外に奥の深いテーマかも知れません。


コトをすることで切り替える

 執筆時に次の章に入るときは、前の章を完璧に忘れないといけません。そんなときは、どうすればよいでしょうか・・。
 散歩をして美人(イケメン)に遭遇しないとダメなのです(笑)。
 つまり普通に散歩して、普通の女(男)を見ても、どってことありません(笑)。「いい女(男)だった・・、ハアハア・・」とならないからです。だから、散歩しても無駄なのです(笑)。
 私が読んだ本では、既に読んだことのあるコミックを読むことを勧めています。
 なので私の机の前にある本棚には、『スラムダンク』や『魔法陣ぐるぐる』が置いてあります。
 一度読んだコミックなら、どのページからでも読めます。しかもストーリーの成り行きを知っているので、途中で止めることが可能です。そして読んでいる間は、コミックの世界に没頭できます。
 絶対にやってはいけないのが瞑想です。瞑想は妄想をするようなものなので、頭の切り替えにはならないからです(笑)。
 つまり、頭の切り替えるするには「何もしない状態」であってはならないのです。短期的に何かに没頭することで頭は切り替わるのです。

 これをメイドの話に置き換えてみます。
 第一章を書き終わったご主人様が部屋から出てきます。メイドは、いつものように、黒のメイド服で部屋を窓を掃除しています。
 ご主人様はいきなり後ろから抱きかかえ、ソファーに運びます。
 メイドが「いけません、奥様がもうすぐ帰ります」と言おうとした口を、ご主人様の口が塞ぎます。そして手は、露わになったメイドの太ももに伸びます・・。
 しばらくするとご主人様の口は、メイドの下半身に・・
 恥ずかしい場所を覆っていた、たった一枚の布を横に寄せると・・イケナイ蜜が溢れた場所に唇は移動し、そして舌を立てて・・。
 それはメイドしかされたことがない、執拗で、激しい責められ方です。女芯を唇でつままれ、舌で摩擦され、時には強く吸われます。
 メイドは、ソファーを握りしめて耐えます。
 と思ったら、有無を言わさず、硬直したモノをいきなり挿入してきました。そのプレイは誰に対してよりも激しく、そして奥深く突き上げ・・・
 服を付けたままのメイドを、ご主人様が激しく突いています。
 今度はご主人様はメイドに、バックになれと命じます。メイドはソファーの背に両手を付き、ご主人様にお尻を差し出します。
 ご主人様はスカートの中に顔を埋めると、再び執拗に・・
 布が邪魔になるのか、フリルの突いた下着を片足だけ脱がせました。メイドの下着は太ももに付いたまま落ちません。そして再び舌が・・
 いきなりスカートをたくし上げたかと思うと、服を付けたままのメイドを、後ろから激しく突き上げてきます。
 メイド服のファッスナーを半分下げ、上半身を露わにします。そしてブラジャーを脱ぎ捨てて、胸を露出させます。
 時には指で乳首を転がし、時には乳房全体を激しく揉みながら、ご主人様は恍惚の世界に入っていきます。
 ご主人様の熱いモノを受け止めながら、それでもメイドは、声を上げることが出来ません・・。
 さらにご主人様へのご奉仕が目的なので、決して自分だけでイッてはいけないのです。イク直前で止めていなければなりません。ソファーの背に顔を埋め、メイドは頭を少しだけ左右に振りながら、自分がイクのを食い止めます。
 ご主人様は何事も無かったかのように部屋に戻り、第二章を書き始めます。
 メイドはご主人様がはぎ取った下着を拾い服装を戻し、カチューシャの位置を正し、位置が少しずれたソファーを動かし、再び窓の掃除を始めます。
 ところでこのHPでは「私達はメイドだ」という意見が大勢を締めています。しかしここまでメイドに徹することが出来るでしょうか・・。


ブレーキ(制御)

 昨日のストーリーで、ご主人様とメイドは、ブレーキ(制御)をかけていなかったと思います。特にご主人様は、やりたい放題でした。
 メイドはどうでしょうか?メイドのプライドは既にありません。ご主人に尽くすためなら、何でもします。
「ご主人様、そのプレイだけは出来ません」などと言いません。
 そういう意味では、メイドとてブレーキをかけていないのです。
 ついこの間までは「制御は必要なんだ」というテーマが展開されていました。りんごの部屋に私が一人でいるのは、制御をしているのだと書いてきました。
 ブレーキ(制御)とは一体何でしょう?メイドのストーリーに置き換えます。
 昨日のストーリーに対しては、メイドに同情するようなものが多かったです。「あそこまでプライドを捨てることは出来そうにありません」という書き込みもありました。
 でも「それは本当でしょうか?」というのが今日の問いでもあります。
 今回は「ご主人様とメイドの、ブレーキ(制御)編」です。

 第一章を書き終わったご主人様が部屋から出てきます。メイドは、いつものように、黒のメイド服で部屋を窓を掃除しています。
 ご主人様は、メイドの後ろを通り過ぎて、テーブルに着きます。するとメイドは訊きます。「執筆でお疲れでしょう・・。コーヒーにしましょうか?紅茶にしましょうか?」
「コーヒーにしてくれ・・。君も何か飲んだらどうか?」
「お気遣いありがとうございます。では、後で紅茶をいただきます。」
 ご主人様はコーヒーを準備しているメイドの後ろ姿を見ます。そして思います。
「いつも清楚なメイドを一度でいいから、好きなようにしてみたい。こっちに尻を向けろと命じ、あのスカートをたくし上げ、下着をずらしてそのまま挿入し、失神するほど突いてみたい・・。一体どういう反応をするだろうか・・」
 メイドがコーヒーを運んできました。「ここに置きますから、ゆっくり飲んでいって下さい。」
 少し前かがみになったので、メイドの胸が奥まで見えました。
「今、後ろから行って抱きたい・・。しかし私には地位も名誉もある。メイドが騒げば大変なことになる。それに家内ももうすぐ帰ってくる時間だ。」
 コーヒーを飲みながら、理性を取り戻したご主人様・・。
 もちろん、部屋に引き上げても、執筆のエネルギーは湧いてこないのでした・・。
 一人になったメイドは、紅茶をテーブルに置きました。そして思いました・・。
 彼女はご主人様の視線は感じていました。そういう目で見られることも、決して嫌ではありませんでした。それどころか、イケナイ妄想まですることがありました。
 バックから激しく突かれるシーン・・。露わになった乳首を後ろから摘まれるシーン・・。挿入したままのご主人様が後ろから首を回し、唇を求めてくるシーン・・。舌が吸われていたかと思えば次の瞬間、ご主人様の唾液が流し込まれるシーン・・。ご主人様の唾液を音を立てて美味しそうに飲み込むシーン・・。「ご主人様、もっと飲ませて下さい」と言うシーン・・。「そんなに飲みたいか?」と・・。「はい、ご主人様のなら何でも」と言うシーン・・。この後は、もう想像を超えたシーンになるのでした。
 冷めた紅茶を一口飲むと、メイドは窓拭きの仕事に戻るのでした・・。


「やるべきであること」に対するブレーキ

 昨日のブレーキは、「やりたいことに対するブレーキ」でした。きょうのテーマは逆のブレーキです。「やるべきであることに対するブレーキ」です。
 例えば私は高校時代に、一般的に「やるべきであること」とされている科目の勉強をしませんでした。今では、一般的に「やるべきであること」とされている日々の社長業をやっていません。
 昨日のご主人様は、社会的に「やるべきであること」を優先し、それに対してマイナスになりそうなメイドプレイは自制しました(笑)。
 一方メイドの側も、「やるべきであること」を優先し、それに対してマイナスになりそうな「ガータベルトをちらつかせてご主人様を誘惑する」ようなことは自制しました(笑)。
「やるべきであること」を優先してやっていれば、事は円滑に運びます。
 社会を良くすることとか、人を助けることなども「やるべきであること」です。
 しかし・・です。「やるべきであること」というのは時として変化します。
 例えば私の高校時代は、世の中の改革が「やるべきであること」でした。肩を組んで『友よ』を歌い、今よりも未来に生きることが「やるべきであること」でした。
 しかし今になって彼らは言いました。「あの頃は若かった」・・と。
 今、社会を良くしようという人達は、「やるべきであること」を強調します。自己成長を提唱する人達も「やるべきであること」を列挙します。
 ですが私は「やるべきであること」など、一つも無いのではないかと思います。
 なので、これに対するブレーキは、個人の好みにより(笑)、かけた方が良いのではないかと思っています。


時空はご主人様かメイドか


 時空はご主人様かメイドかと訊かれれば、「そりゃあご主人様でしょう。人類はみんなメイドで、それを好きにコントロールしているのだから」と言う人は多いと思います。
 中には「こんな運命にしたご主人様(時空)を許すわけにはいかない」などと言う人もいると思います。
 だから私が「時空はメイドだ」と言えば、相当数の人が違和感を感じるかも知れません。
「神」という呼び名から「時空」という呼び名に変わっていくとき、「ご主人様」から「メイド」に変遷しました。
 なぜかと言えば、その理由は二つあります。
 一つ目は、宇宙というものを作り、具象化したということです。具象化するということは、観察され、いじられるということです。
 二つ目は、宇宙は誕生した瞬間に、宇宙の終わりまでの運命を決めてしまい、その変更という方法も作ってしまったことです。
 それはちょうど、「好きにして♪」と言ってベッドに横たわっているメイドです(笑)。
 60億人の手がメイドに伸びようとしています。60億人の手で触られたら、メイドもさぞかし感じることでしょう・・。


「ご主人様」でなくて良かった

「神は偉大な存在で、上から我々を見て、コントロールしている」・・という概念がまかり通っています。これは「ご主人様像」です。
 我々人間は、ご主人様の機嫌を取り、気に入られようとしてきました。そのノウハウが、宗教の教えでもありました。
 私の行った大学なんて、大学の授業でそれをやり、試験までやり、単位まで取れてしまうのだから、すごいことです(笑)。神がいるなどという証拠などは一つもなく(笑)、いるということが前提となって、その後のことを教えるのです。もはや学問ではありません。
 まあそれでも、そういう授業を受けて良かったと思うことは、従来の神に対する概念を詳しく知ることが出来たからです。神を引きずり降ろすには、その概念はよく知っていないといけないですから・・。
 オシムが対戦チームを熟知して、研究するようなものです。
 
 映画『ダビンチコード』を観ましたが、イエスキリストに子供がいて、その子孫が生きているかどうか・・が焦点となっています。それが世に公開されれば大変なことになる・・と。
 しかし神がメイドだったということがバレる方が、もっと大変なことになると思います(笑)。 
 もしもバレた場合、神のお告げとかも変わりそうです。「大変に言いにくいのですが・・・神は、脇の下の方も感じることを伝えてくれと言っています。」
 中には「私は神とつながった」などと言う人もいます。でも袋叩きに遭うでしょう。
「り・・りんごちゃんに・・何ということを」(笑)
 話はそれました。
 神がご主人様で無くなる日、平和も来るような気がします。


両方「メイド」

 今私は、時空も私達も、両方メイドだと思うようになっています。しかし世の中全般の意見は逆です。両方とも「ご主人様」でした。なので主体と主体がぶつかっていたのです。
 しかし人間の「ご主人様度」が低かったので(笑)、次のようにも思ってきました。
「神は我々の自由を奪ってきた。だからこれからは人間が自由になる番だ」・・と。
 もしくは人間は、メイドくらいの自由度に落ちてしまったので(「私は結果」の概念より)、これからは運命をしたい放題変えて、今度こそ本当の「ご主人様」になろうとする人も出てきました。
 方向性としては「脱メイド化」です。
 ところが一昨日、「神もメイドだった」という仮説を出しました。これが正しいとしたとき(別に正しくなくても良いのですが)、人間はどうなのでしょうか・・。
 寝ているメイドを一気に犯してしまうのでしょうか?(笑)それではドールを買って一発やったオヤジと同じです。
 両方がメイドという概念が、今私にとっては一番しっくりきます。



メイドとメイドだと、目的は存在しない

 神は目的を持ってこの世を作ったという考え方が支配してします。目的に沿わないバカ人間は、駆逐するか、もしくは気づいてもらうかして、とにかく目的に沿わせようとさせます。
 目的を持つということは、「私は誰?」がある程度分かっていることだと思います。だって目的を持つというのは、目的外のものを切り捨てる作業とも言い換えられるからです。
 そこには取捨選択をするための基準が存在するということです。基準というのは「私は誰?」を分かっていることです。
 でも一つの矛盾も出てきます。
「私は誰?」を分かっていないのに、目的に向かった行動をする人が多いからです。これは「私は誰?」を意識していないのだと思います。意識していなければ無いも同然です。
 なので目的に向かってしまうという人は、ある意味、とても動物的なのだと思います。
 いわゆる「ご主人様」のように命令を出す側だとすれば、そこには既に目的が感じられます。
 ご主人様−メイド嬢・・という関係も、「命令を出す側と出される側」という区分けになると思います。ところがこれは対等ではありません。対等なのは以下の2種類です。

1.ご主人−ご主人
 人は外に対しても内に対しても「ご主人」になることが求められました。

2.メイド−メイド
 これは新しい関係です。命令はどちらの側からも出ません。両者とも「待っている側」です。そして方向性を持たないので、目的が不在です。
 かといって、これは「M」とは違います。「M」にはご主人様の概念があり、命令(目的)を待っているからです。


書き込み期間:2006/08/02〜2006/09/06