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テーマ:「フナイオープンワールド2000」 |
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書き込み期間:2000/08/30〜2000/09/18 |
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要旨:
今回のフナイオープンワールドは、私と孫さんとローリー・モンローさんとのジョイント講演になります。
私は本番でブチ切れたいと思いました。自分自身にです。そうでなければ面白くないからです。カッコつけてはいられません。
孫さんとモンローさんにとっても刺激になったようで、米中和合の一歩になったことが嬉しかったです。
私の部で最も伝えたかった事は、「生きることそのものよりも、成長が大事ですか?」この一言に尽きます。
一度用意した台本は、本番前に捨てました。そして台本に書いた事をそのまま読むことはありませんでした。
それでも、伝えたかった事は舞台そのもので充分に表現できたと思っています。
モンローさんの部では、「私達は肉体以上の存在である」というフレーズに私は最も感動していました。
これは精神世界を知った人にはありきたりに思えたかも知れません。
しかし私が感動したのは、モンローさんがこれを答えとせず常に問い続け、地道に研究を続けているところだったのです。
沈教授は、今回の講演で伝えたい事がたくさんある様子でした。
孫さんは出番の直前でも全く緊張することなく、自然に任せている様子でした。
マイクの音量が打ち合わせ通りに切り替わらないというアクシデントはありましたが、孫さんのエネルギーと沈教授の情熱を伝えるには充分な講演になりました。
FOWの後は、ホテル横浜で夜の講演会がありました。
一方は死語の世界、一方は蘇生と瞑想、それぞれ違ったアプローチで、モンローさんも孫さんも、「私とは何?」という問いを追求しているのでした。
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○ 凝縮された講演会
○ ブチ切れたい・・
○ 初めの一歩
○ ブチ切れる
○ 夜の講演会にて
○ 支離滅裂な講演会
○ 成功ほどの失敗は無い
○ 生き方と気付き
○ やはりすごい孫さんとの瞑想
○ FOWのもくろみ
○ モンローさんとの再会、孫さんとの再会
○ FOW本番
○ ホテル横浜での講演会
○ 大阪オフ会
○ 孫さん能力開発研究会
○ 熱海
○ 最後のミーティング
○ モンローさん帰国
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凝縮された講演会
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今回のフナイオープンワールド(以下FOW)の私の部・・
アメリカからモンローさんを呼び、中国から孫さんを呼び、しかも私の講演もあります。
それが一時間半に凝縮されます。丸一日かけたっていい講演会を一時間半で・・。
それはそれで、とても意味があると思います。
講演が終わった後、頭は拡散するかも知れません。「いったいさっきの講演は何だ??」・・と。
私自身は30分しか持ち時間はありませんが、その中で12分間をビデオの上映に使います。私の体験を、フルスクリーンで流してみたいという私の欲求です。
先ほど、ビデオの完成品を受け取りました。非常に良くできています。ハリウッドも真っ青・・(笑)。
地球を離れ、太陽系を離れ・・これらは全てNASAの実際の映像です。音楽は、KITAROの曲を使っています。
フォーカス35で出会う、顔、顔、顔・・そして時間のドアを開けると・・
そうです。今回の私のテーマは「空間から時間へ」です。
慌ただしい中で、私はみなさんに瞑想をしてもらう予定です。「マーケットで悟らずして、どこで悟るのでしょうか・・」
う〜む、やはり、あと5分は欲しい・・
主催者がシナリオを要求しています。スタッフがそのシナリオを持ち、スライドやビデオの頭出しをするためです。
しかし、そのシナリオは毎日変わっています。当日も変わると思います。そして喋り出しても・・。
今回は、自己紹介なんて全くやりません。いきなり内容に入ります。
私が演台に出た直後、「瞑想して下さい」これから始めましょうか(笑)。
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ブチ切れたい・・
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原稿はやはり「過去」でしょう。原稿を読んでいる限り、「今」はありません。
「今を生きよう」なんて原稿を読んで言ったら、笑っちゃいますね。
ところで今日、出版社から読者のハガキが送られてきました。
『不思議の科学3』の中にハガキがはさんであるでしょう。あれに書き込んで送る(タダ)と、それは私のところにくるのです。その中にこんなのがありました。
「1,2は結論があってよかった。しかし3には結論がなくてイマイチだ」というものです。
それを見て、私は少しニッコリしました。ああ、私もやっと結論のない本を書いたのだと・・・
ブチ切れる・・普通は、反抗心で他者にブチ切れるのでしょう。でも、私は自分自身にブチ切れたいのです。
うーーむ。ブチ切れ宣言したら、なんか冷静になってきた・・(笑)
でもやはり、ブチ切れない人生なんて、全然つまらないと思うのです。
人間の生き方は、それこそ360度選択可能です。ブッダは苦のない生き方を教えたと言われます。キリストは愛のある生き方を教えたと言われます。
しかし・・やはり一番面白いのは、「面白い生き方」なのではないでしょうか・・
苦のない生き方も愛のある生き方も、それが面白ければ選択の余地はありそうですが・・。
「専門家になるな、裾野は広くなきゃいかん。裾野が広くないと、山は高くならない」これが亡くなった父の口癖でした。
確かに私の山は高くありません。しかし、親は何を期待したのでしょうか・・
私が辞表を出して帰った日、父は「おお、出したのか」としか言いませんでした。
姉は「そういう世の中になったのねえ」と言いました。
婚約者(現在の妻)は、「やっと出したのね」と言いました。
そして、母は何も言いませんでした。いつものように夕食を作り、その後片付けをしただけでした。
たぶん、何も期待してはいなかったような気がします。期待とは、裾野を狭くすることだとも思います。
独立して会社を作ったとき、祖母は言いました。
「大きい人と一緒に仕事ができる人になれ。それはお前が大きい証拠だ」・・と。
このHPを訪れる人は、みんな大きい人です。FOWに来る人も、みんな大きい人です。
六千円もの料金を払い、講演者がブチ切れないで、いったい何でしょうか・・。
大きい人小さい人、関係無くしてみんな思っています。私は誰だと・・。
私は少なくとも、講師として選ばれました。大事な時間と金を使って聴きに来てくれる人・・。
カッコつけてなんか、いられますか・・私は神から大事な生を受けているのです。カッコつけてなんか、いられますか・・(でも、カッコつけて登場すると思いますが・・)
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初めの一歩
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一番良かったことは、モンローさんと孫さんと沈教授にとって、とても刺激になったことです。
ホテルに帰り、お休みをするときにみんなは言いました。
「私たちは偶然に会ったわけじゃない。前世でも何かしらの研究を一緒にやっていたんじゃないか・・」と。
孫さんは実際にフォーカスレベルの話を聞き、とても興味を持った様子でした。
モンローさんは孫さんの脳波を再現するヘミシンク音を作りたいと言いました。
米中和合の一歩になったのが嬉しかったです。
熱海のナイトクルーズを楽しむモンローさんと孫さん
今回のFOWの目的は何だったのでしょうか・・。
それはモンローさんと孫さんが同じ所に立つということです。
それは私の個人的な目的です。極々個人的な興味です。
1+1は2以上になるかも知れません。それが、なりそうなのです。
下の熱海のナイトクルーズの写真を見ても、それは起こりつつあります。
私の興味を実現するために、みなさんの興味を満足出来なかったかも知れません。私の話があまりに短すぎたのです。
しかし・・短くても、私はエネルギー的には充分にぶつけたつもりです。
ナイトクルーズの後は、反省会のようなディスカッションをしました。その時に何人かから頂いた感想文を見せ合いました。
それで・・1+1は2以上になる予感がしたのです。
頂いた感想文は、モンローさんが出している『フォーカス』という会報誌に載せるそうです。
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ブチ切れる
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私がFOWでブチ切れると宣言したのは、あのビデオが出来上がってからです。
マスターテープを受け取り、講演用のダイジェストを作ったのは二日前でした。
それを何度も観たのですが、最後のところで必ずブチ切れるのです。自分自身に対してです。
お前は生きることより、成長する方が大切なのか?・・・と。
カッコつけようとして生きてしまうとき・・・相手の為だとうそぶくとき・・私は、私にこの言葉を浴びせたい・・
お前は生きることより、成長する方が大切なのか?・・・と。
本の中でもほとんど同じ文章があります。しかし、ビデオの説得力とは比べものになりません。何故なのでしょうか?
あのビデオは私のために作られたようなものです。
私は私に常に問いたい。Who are you?
そして、お前は生きることより、成長する方が大切なのか?・・・と。
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夜の講演会にて
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モンローさんのフォーカス12の音を使った瞑想が終わった時、モンローさんが「何か、発表のある人はいませんか?」と言いました。
こういった発表の場は、アメリカのモンロー研究所では頻繁にあります。アメリカ人はこういう時、どんどん手を挙げます。しかし・・
私が「はい、日本人はシャイで・・」などと言いました。
しばらくすると、一人の男性が手を挙げました。私はマイクを持って猛烈なスピードですっ飛んでいきました。ああいう時にチンタラ行くものではないからです。
彼もびっくりして言いました。「早いですね・・」
そして彼が前方に向かって言った最初の一言がこれでした。「あの〜、何を言ってもいいのでしょうか?」
モンローさんは「もちろん」と言いました。
彼は、かぼちゃが割れるビジョンを見たと言いました。
そして「もしかしたら、私の殻が割れたのかも知れない」と締めくくりました。
そして翌日の夜、すなわち熱海の晩にモンローさんは言いました。
「あの方、そう、かぼちゃの話をしてくれた方・・。あの方は“何を言ってもいいのでしょうか”と言いましたが、あの一言であの方の殻が取れてしまったのが見えました。アメリカ人の場合には発表をしただけで取れることは少ないです。何を発表したか・・その内容に関係している場合が多いです。しかし日本人の場合、特にあの方の場合は、発表しただけで取れてしまったのです。私は感動しました」・・と。
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支離滅裂な講演会
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私のマシンガントークが無いとか、もっと話を聞きたかったと言う人が多い割には、最初のスライドのコメントがありません。あのスライドは、かなり厳選して選びました。
オババの毛を立てるシーン、「これは何の意味もありません」と言いました。
金魚オヤジ、「彼は金魚しか出来ません」と言いました。
確かに空間的な現象ですが、私としては、短い時間の中にも「時間系」をちりばめたつもりでした。
「何の意味もありません」このフレーズは、時間系なのです。
オババや金魚オヤジの前には、フィリピンやブラジルの心霊治療が出てきました。
あれは「意味」があります。だから空間系なのです。
はっきり言えば、こうではなかったでしょうか・・支離滅裂・・
ということは、支離滅裂が目的だったとすれば・・それは達成していたことになります。
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成功ほどの失敗は無い
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みなさんの感想を読んで、私の感じた違和感を書きます。モンローさんの部分にです。
みなさんはモンローさんの詩に共感を覚えたようですが、実は、あの詩はFOWではカットされる予定だったのです。
事前に送ってきた原稿を見て、私がとても気に入ったという返事をE−MAILでしているにも関わらずです。
前日のミーティング(モンローさんは前日に着いたのでそれは一回だけでしたが・・)では、「私が本当に伝えたいのは、あの詩ではありません」と言いました。
しかし私は「あの詩が無ければ皆は感動しません」とさえ言いました。
そして、あの詩は読まれました・・・。
そのやりとりがあったのが原因でしょうか、私は別の箇所に感動していました。
「私達は肉体以上の存在である」という内容です。
これは今までの精神世界から言えば、ありきたりのフレーズでしょう・・。
常識であり、「で、それがどうしたの?」と言いたくなるかも知れません。
しかし、FOWの短い30分の間でもその意義は充分に表現されていました。
精神世界がどんどん早足で歩く中、モンローさんは、まるで亀のように歩んでいるのです。
あの詩を読み上げたとことでFOWのモンローさんの部は成功しました。
しかし「成功ほどの失敗はない」のです。FOWでの最大の失敗はその点にあります。
マイクが聞こえにくかった?クーラーが効きすぎていた?スライドの出が悪かった?そんな事は、この比ではありません。
私達は、あの詩を差し引いてみる必要があるのです。
何故かと言えば、あの詩は、答えなのです。問いではないのです。しかし、モンローさんは問いに生きているのです。
「私達は肉体以上の存在である」モンローさんはこれを答えとして言ってはいません。問いとして言っているのです。
つまり、彼女はそれを疑問文として問い続けているのです。
私が夜の講演会の最後に「感動しました」という前置きで発表したのは、この点でした。
問い続けている人が海の反対側にいると知っただけで、とても嬉しくなったのです。
「Who are you?」モンローさんの夜の講演会は、このフレーズで終わりました。
私は「肉体以上の存在」だというフレーズを書きましたが、これをこのままキャッチした人はいましたか?いないのではないでしょうか。
だって言ってなかったと思います。ただ単に、私が集約しただけの話です。ですので、このフレーズに縛られると困ります。
別な表現で言えば、「世界は広い」ということだと思うのです。
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生き方と気付き
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私とモンローさんとは、それなりのやりとりがありました。日本人のわびさび、道教のタオ・・色々話しました。
そして「聴衆の心を掴むには・・」という感じで、私がサジェスチョンしていたのです。
あの詩があればモンローさんのパートは100点だろう・・と。
そして開始30分前に、楽屋裏で彼女は言いました。
「あの詩は、私は読みません。しかし、『ハイヤー』をかけている間、通訳に読んでもらいます」・・と。
しかし講演が始まると、彼女は実際に自分で読みました。
でも夜の講演を聴けば、あの詩にポイントは無いということは明白だと思います。
モンローさんは夜の講演の最後に言いました。
「私というものを引きずり出してやる・・」これに似たようなことを言いました。
みなさん、どうしてそんなに「生き方」が好きなのですか?
生き方は、人間性として評価されるのでしょうか?それがあなたの気にそぐわなかった場合、どうするのでしょうか?
生きることそのものより、生き方に気付く方が大切ですか?
モンローさんの講演に無意識が挙がっていなくても、それは充分すぎるほど私を揺さぶるものでした。それは今でも続いています。
モンローさんの探求する世界は、無意識を越えているのです。
夜の講演会でモンローさんは言いました。
「死んでも魂は死なないということを、当時はほとんど受け入れてもらえませんでした。」
しかし、今は意味付けが先行していく・・人はモンロー研に生き方や気付きを求めていくようになる・・
それでもモンロー研は、世界とは何か、私とは何かを問い続けます。
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やはりすごい孫さんとの瞑想
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能力伝授会のリハーサルとして、孫さんと瞑想を行いました。
瞑想CDをかけて孫さんと向き合って瞑想していると、やはりそのパワーはすごい・・。
実際、孫さんと対面で瞑想したのは初めてでした。
しばらくすると孫さんは私の天目をじっと見つめました。
そして「森田さん、天目がパックリと開いています。前回会った時は本当に少ししか開いていませんでした。しかし今は、コインの大きさほどに大きく開いています。」
そう言って指でコインの大きさを作りました。しかし・・です。
「しかし、森田さんの天目は立体的な層になっています。その一番内側の部分は、まだほんの少ししか開いていません・・。これが全部開くとすごいです」と言いました。
前回孫さんに会ったのは5月でした。
そしてその間、
●一応毎日瞑想をしていました。
●7月に導師との洞窟修練がありました。
●今日孫さんと向かい合って瞑想しました。
が、ありました。
このいずれかが原因か、もしくはこれが複合的に合わさったのかも知れません。
それにしても孫さんはすごいです。人の天目が一発で見えてしまうのです。
その後、みんなでダイヤモンドゲームをやりました。
一位はゲンさん、二位は沈教授、三位は私、ビリは孫さん・・
う〜ん。超能力とダイヤモンドゲームは反比例?
9/9,9/10に向けて、夜はずっと瞑想のリハーサルが続きました。
おかげで孫さん瞑想が少し分かってきました。
孫さんに今の瞑想法を教えたのは、第一の指導霊なのです。そのマスターは基本を教えるという意味で現れたのだと思います。
孫さんはその瞑想法をやってから超能力が一段とアップしました。
しかしなぜ孫さんに指導霊が付いたのか・・それは彼女の天真爛漫さにあると思います。
みんなでディスカッションをしていると、彼女だけテレサの「北国の春」で踊り出したりするんです。あの曲に合わせて彼女の瞑想法を表現したりもします。
やはり、瞑想は楽しみながらやらないといけないようです。
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FOWのもくろみ
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FOWへの講師の依頼があったのは、5月の中国紀行の真っ最中でした。
私はすぐに孫さんに連絡をしてOKを取り、その晩にはアメリカにメールで問い合わせてモンローさんのOKを取りました。それは山西省の山の中での出来事でした。
フナイ事務局のOKを取ったのはその後です。
私には一つのもくろみがありました。それはフナイオープンワールドを利用してやろうということです。FOWを利用してモンローさんを日本に紹介しようと思ったのです。
もくろみは、それだけではありません。蘇生の研究をしている孫さん達と、死後の研究をしているモンローさんを同時に舞台に立たせたかったのです。
さらにもくろみは続きます。彼らをフリーにしゃべらせて、私がそこから何かを得ようとしたのです。
私のもくろみの中には、「聴衆の皆さんに何かを与えよう」などという気は、さらさらありませんでした。私は「得たかった」のです。
さて、そのもくろみは成功したでしょうか?
中国から帰国すると、FOWの概要が送られてきていました。
私たちの持ち時間は一時間半・・・一時間半を四で割ると一人22分・・・。22分でいったい何が伝えられるでしょうか???
この時点で先方に原稿を依頼することになりました。通訳がきっちりと読んでおくためです。
沈教授の部分はどうしても短くならず、中国語と日本語を同時に喋ってしまおうということになりました。中国語の方のマイクのボリュームを小さくしぼってしまえば良いということになったのです。フナイ事務局もそれでOKとなりました。
沈教授には、たくさん伝えたいことがあったのです。
「自分の声は聞こえなくてもいいから、伝えることだけは伝えたい」と言いました。
事前準備のメールのやりとりをする中で、私とモンローさんは信頼関係で結ばれつつありました。
ローリー・モンローさんは、私がモンロー研を訪れた最後のプログラムのトレーナーでした。ですのでずいぶんと話はしているのですが、初来日ということもあり、不安は拭いきれなかったようなのです。
つたない英語で、毎日のようにやりとりをしました。
最初に送られてきた原稿は、一時間は超えるものでした。ですのできっちり30分にしてくれと、何度も頼みました。
そして米中共に、30分の原稿が出揃いました。
私も30分しか持ち時間はありません。しかも孫さんやモンローさんの紹介等にも時間を使うため、実質的には20分ほどでしょう・・。
FOWを目の前にして、私は悩みました。全部で2時間あれば・・。
しかし私達の持ち時間は90分で、私は私の部を20分でやるしかありません。
私は台本を書きました。最後のサビの部分です。
実際にはほとんど喋ることは出来ませんでしたが、事前準備の段階で喋ろうとしていたことですので、ここにアップします。
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スライド:いのちの世界の図(FK1用)を写す
さて、この図は、モンロー研の体験をもとに私が作った図です。
これは二年前のフナイオープンワールドでお見せしました。
スライド:いのちの世界の図(FK2用)を写す
これは去年見せました。
スライド:天人合一の図を写す
これは今回のものです。大きく違っている点があります。それはこのリングの部分です。
大人になる(成長する、あるいは孤独になる、あるいは分離する)のは、私が今まで書いた通りの平面二次元でよいのです。
しかし、再びこの三次元に戻るのは、同じ平面上ではないのです。90度ずれた時間上を帰るのです。
大人になることと子供に戻ることが、矛盾しないということです。
意識(意識)と無意識(アウトオブフォーカス)が対立しないことでしょう
宇宙のインフォメーションセンターはどこにあるのかと言うと、このリング部分あると思います。
何故かというと、孫さんはすべての次元の念写が出来ます。信念体系領域も、指導霊症候群の領域も、天使の領域も・・
これは立体部分からアクセスするからこそ出来ることです。立体次元は、情報の通路でもあるのです。
三次元は重要です。その例を挙げましょう。孫さんの例です。
孫さんには五人の指導霊が付いています。彼らはそれぞれ連絡がとれません。孫さんは彼らのすべてと連絡が取れます。
これは孫さんがこの三次元にいるからなのです。立体的な時間次元は、すべての空間次元と接触しているのです。それがすべて我々の三次元に集約されているのです。
しかし高次元同士に対しては、なぜか、連絡通路の役目をしないのです。これは連絡されるとまずいのです。だって指導症候群が全高次元領域にプロパガンダを始めかねないからです。
この三次元にはあらゆる領域の情報が降ってきます。
そして私達も立体次元に乗り、あらゆる所にアクセス可能なのです。
さて、このリングに乗る方法です。孫さんのセリフをもう一度。
「忘我、無為」とも言います。我を忘れ、自然に任せるという意味です。こうして、宇宙のインフォメーションセンター(HIIPC)につながらない限り、私も自分自身の超能力を発揮することは出来ないです。
スライド:無為を写す
無為とはオートマチックで運転することを意味します。その時、私たちは周りの景色を楽しむだけで良いのです。
意識で運転をしている間は、それが気になって景色も見ることが出来ませんでした。
立体次元からの景色は、それこそ素晴らしいのです。コーヒー一杯だって美味しくなるのです。
これに乗ると、どの次元にもアクセス出来ます。途中のフォーカス領域の人がアクセス出来ないのは、手放せないんだと思います。
ハンドルを手放して、オートマチックで乗れない・・そのオートマの状態が恐怖なんです。
モンローさんの詩をもう一度。
始まりはない、終わりはない、ただ変化があるだけ。
善はない、悪もない、ただ表現があるだけ。
結合はない、分割もない、ただ一者があるだけ。
優はない、劣もない、ただ均衡があるだけ。
静止はない、エントロピーもない、ただ運動があるだけ。
覚醒はない、眠りもない、ただ存在があるだけ。
これも同じことを言っているような気がします。
先ほど空間から時間だと言いました。それは私達自身にも言えることです。
私とはいったい何でしょうか?あなたとはいったい何でしょうか?
あなたというモノは実在しますか?意識はあなたですか?無意識はあなたですか?
(演台を指さしながら・・)
この机のように私とかあなたというのは、存在するものでしょうか?
この机の特徴は言えます。高さがこれほどで重さもこれほど・・・形もこんなもの・・・
私達自身も同じように考えます。男か女・・そして歳はこれほどで、学歴はどれほどで長所は何で、短所は何で、財産はどれほどで・・。
「私」とは大きく分けると三つに分けられます。
物質的側面です。それは身体、家族、財産等です。
社会的側面もあります。地位、経歴、他者の評価等です。
精神的側面もあります。価値観、自己評価等です。
訊きますが、これらはあなたでしょうか。これに存在感を求めると、どうなりますか?
私は経済的に安定している、私は××の才能がある、私は美人だ・・そういうものに自己感を持っているといずれ失われませんか?
失うかも知れないいう感覚は、不安を引き起こしませんか?
でも私達は机ではありません。より良い机になる必要はないんです。より良い机になるということが、言い換えれば空間的なのです。この空間の中で良い机の位置を占めようとすることです。
私達には机にないものがあります。それは感情です。
私達の心の中に起こっているのは、「風を感じた」とか「いい匂いがした」とか「運動したあとの水はうまい」とか、心の感情のプロセスです。
ああ生きているんだなあと感じるのは、どちらでしょうか?あなたが主役になっている方ですよね。
なのに私たちは主役をどこかに置いているのです。
例えば美味しいコーヒーが運ばれてきたとします。あなたはそれを飲みながら、心配事を考えます。するとせっかくの美味しいコーヒーは、味わわれないで終わってしまいます。
それと同じです。私達は空間にあるものばかりが気になっています。時間の中にあるものは、実体がないからです。でも本当の幸せは、時間の中にあるのです。
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これを喋ると20分以上はかかります。実際、あの場で私はこの原稿を捨てました。
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モンローさんとの再会、孫さんとの再会
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二人が成田に着いたのは、FOWの前日でした。
孫さんは14時の飛行機で到着しました。彼女とは握手で再会を喜びました。
モンローさんは15時の予定でしたが、到着が早まり14時半にゲートから出てきました。米中日は、30分の待ち時間で出会うことが出来ました。
モンローさんはさすがアメリカ人です。私を見つけると走りより、ギューとハグをしました。
その夜は船井さんとの会食でした。品川の料亭に向かうまでの間、モンローさんが色々な質問をしてきました。
「ミスター・フナイとは、どういう人物ですか?」
この質問に対して、日本最大のコンサルタント会社の創設者であること、不思議な事に興味があることなどを喋りました。
しかしモンローさんには、コンサルタント会社の社長が何故FOWのような精神世界系の啓蒙活動をするのかが、いまいちピンと来なかったようです。
料亭には約束の時間の一時間前に着きました。そこでは私に対して質問が浴びせられました。
「FOWでケンは、何を喋るつもりですか?」この質問に対して、私は空間系と時間系の事を喋りました。
日本語でも分かりにくい概念ですが、同じ時間を使って講演する以上、必要だと思ったのです。そしてそれはモンロー研で遭遇したドアの話にまでいきました。
「Who are you?」実はモンローさんにこの問いを面と向かってするのは初めてなのです。
しばらく時間が流れました。そしてモンローさんは言いました。
「ケンと講演が出来て幸せです。私もこの問いの中に生きています。」
その後、例の詩の話が出ました。彼女はあの詩をカットしたいと言うのです。
「あれは一つの答えだからです・・」私はモンローさんが言ったこの言葉に、ジーンときました。
一つの答え・・しかしこの時の私は、コーディネーターだったのです。あの詩を読み上げて感動する聴衆さえ、見えてしまったのです。
「是非、あの詩を読んで下さい・・」少しばかりの間がありました。
私は言いました。「でも、それはモンローさん、あなたの自由です」
モンローさんは言いました。「はい、自由をありがとう。私は私を信頼しています。私の気持ちが動いたら、読み上げます。」
そして船井さんが登場し、私達は料亭に移動しました。
料亭で話題になったのは、「無為」という言葉でした。FOWの孫さんのパートが「無為」で締めくくられるからです。
この話題の時、モンローさんは言いました。
「今の人間はHuman Doingをやっている人が多いです。それは有為に当たるのではないでしょうか?これからはHuman beingにならなければなりません。それは無為に通じると思うのです。」
船井さんもご機嫌でした。信念体系領域が消滅しようとしている話などをモンローさんとしました。ルーシュの話もしました。指導霊症候群のマスターの話も出ました。
FOWも終わり帰国する朝、モンローさんは言いました。
「今回の来日で良かったことは、船井さんに会えたことです。お父さん(ロバートモンロー)も日本に良き理解者がいて、とても喜んでいます」・・と。
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FOW本番
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私達の講演は1時半からでした。でも、12時から楽屋に入ることが許されました。
実は、その時にFOWの私たちのパートのほとんどが作られたのでした。
モンローさんはメモをどんどん走り書きし、通訳に渡します。事前に出来ていた原稿をモンローさんは捨てたのでした。パソコンをいじり、スライドの選定を始めました。
彼女は全ての写真をパソコンから出すため、すぐに並べ替えができるのです。ちなみに機種はバイオでした。
私もその時、スライドのセッティングをやっていました。
そして当初、計画にはなかったスライドをセットしました。毛を立てたオババの写真と金魚オヤジの写真です。
隣では沈教授が音声スタッフと相談をしています。
「私の声は聞こえないくらい小さくて良い。その代わり、日本語の通訳の声を大きくして欲しい。私は伝えたい事が沢山あります。」
音声スタッフは「はい、教授の声を小さく・・・ですね。わかりました」と言っていました。
楽屋にて
少し緊張気味の私・・笑顔の孫さん、構成の作り直しをするモンローさん
五分前に舞台裏に移動しました。その時点でもモンローさんはメモを書いています。
ブザーが鳴り、私は舞台に登場しました。満員の聴衆を見渡すことが出来ました。
私は私を見ることはなく、みなさんを見ることができました。
すぐにリリース状態に入れたのは、とても珍しいことでした。
聴衆が出すエネルギー以上のものを、私は最初から出すことができました。
スライドのコーナーに入ったとき、うまくスライドが出ませんでした。でも、何も焦ることはありませんでした。
写真が写るようになり、オババと金魚オヤジが映し出されました。
時間系に乗る意味を感覚で伝えたかったもくろみは、ここから始まりました。
そしてモンローさんに引き継ぎます。私は舞台の袖から見ていました。
すると、パソコンの絵とスライドがラップしているではないですか・・。
すぐに直ると思い、しばらく静観していました。でも、その気配はありません。
私が舞台裏にいるスタッフにそれを告げます。彼は慌てて走り去り、しばらくしてからうまく出るようになりました。
こう言っては大変に失礼ですが、FOWのスタッフに対して、私は諦めています。実はあれでも上出来なのです。二重ではあっても写っているだけマシなのです。
私はモンローさんの講演に聴き入りました。自分の原稿は捨てているので、モンローさんの講演に聴き入ることが出来たのです。
死後の世界の存在をモンローさんは言っていました。それを探査することは、一歩一歩しか進まないことも言っていました。
つまらない講演でしたか?あの世が存在するなんて・・・
あなたは、もっと「答」が欲しかったですか?どうすれば色々な関門をクリアーすることができるのか・・そういう答を知りたかったですか?
そういう人には、とても残念な講演でした。モンローさんは答を言わなかったからです。
あの世が存在する・・なんてありきたりな内容でしょうか。そんなことは、言われなくても分かっているでしょうか。わざわざアメリカから来て言う内容でしょうか・・。
一万円以上もする入場券を買い、交通費も使って何かを得ようとして来た人にとって、あの世が存在するという講演は、とてもつまらなかったのではないでしょうか・・。
しかし、私は舞台の袖で聞いていて、まるで滝の下にいるようでした。前提としていたことがどんどん下に流れました。
モンローさんは問い続けていくことの大切さを淡々と表現していたのです。
そのとき孫さんは何をしていたと思いますか?舞台裏を訪れた船井さんに何やらパワーを送っているのです。
聞けば、数ヶ月前に来日した陳さん(中国一の予知能力者と言われている人)に船井さんはちょっとマイナスなことを言われたらしいのです。その未来予知をキャンセルしているというのです。う〜ん・・。
「でも孫さん、次は孫さんの出番だということは知っていますよね・・」と言うと、「はい、でも自然に任せていますから・・」
う〜ん、やはりすごい・・
モンローさんの後は沈教授でした。しかし彼の講演では、もくろみが狂いました。
沈教授のマイクのボリュームが小さくなっていなかったのです。この時点で私は瞬間に選択をしました。
「少なくとも音は出ているこのままいこう」と思ったのです。
沈教授の音を小さくすると、次の孫さんの時に大きくならない可能性が大きいです。
中国語と日本語の声が場内に渦巻いていましたが、沈教授の情熱を伝えるには、あれでも良いと思ったのです。
そして孫さんが続きました。二ヶ月ほど前のやりとりで孫さんは言いました。
「前回は会場全体に私のエネルギーを送りました。でも今回はしたくありません。なぜなら、私が喋っている時にエネルギーは出ているはずだからです。前回のようなパフォーマンスは思い込みを多くするだけです。」
私のパートが来ました。まずはビデオの上映です。
ビデオの最後で舞台の袖にいたモンローさんが親指を立てて「グー」と言ったのが分かりました。
原稿を捨てたのは、この瞬間に賭けていたからです。
私は二日前にできあがったCGビデオを見るたびにブチ切れていたのです。
CGビデオの前半はNASAの映像までも使い、とても美しい絵が続きます。
そして時空のトンネル・・フォーカス35・・ビヨンド35・・・
こんなにも世界は広く、そして美しいのに、なぜもっと生を全開にして飛び出していかないのでしょうか?
私の文章を越えた世界がCGビデオにはありました。
最後は私自身のナレーションです。私は、私のナレーションにエネルギーを感じ、ブチ切れてしまうのです。
その「ブチ切れ」がFOWの本番でも得られるかも知れないと思っていました。そしてそれは起こりました。
一時間半もの時間をかけて私が伝えたかったのは、あの一言なのです。
「生きることそのものよりも、成長が大事ですか?」
私はあの一言を心から言うことが出来ました。
私はそのことにより、少しだけ変わることが出来ました。たぶん、少しだけ成長することが出来たのかも知れません。
矛盾していますよね・・・なんか・・。
聴衆に向かって言いながら、私はシフト出来ました。もっと自由へ・・・
言葉を尽くして喋るより、それは重要な事でした。演台の机を指さして論じるよりも、それは重要でした。
台本には「私達には感情がある」と書いてありました。
なら、それを舞台そのもので表現してしまえば済むことではないですか・・。
みなさんは何が欲しかったですか?何を求めてFOWに来ましたか?
得られたのは、たったの一瞬でしかありませんでした。
「生きることそのものよりも、成長が大事ですか?」
例えば人のために何かをするとき、成長の意識はありますか?
人のためにするとき、無になっていますよね。魂を磨こうなんて思っていないですよね。
その瞬間は、生きるためにしか生きていないのではないでしょうか・・。
生きることに意味を見出そうとしたとき、何かがズレてきませんか?空間に存在する魂が顔を出してきませんか?
そして最後に口をついて出た一言・・
「世界は広い。それをモンローさんと孫さん達は表現しようとしていました。」
世界はこんなにも広い・・私達はそこで目一杯遊べるのです。なのに、あなたは自分の魂を磨きますか?
三分間延長しただけで講演は終わりました。舞台裏に降りた私達は、また全員で握手を交わしました。
私達は1時間半という時間を、生きるために生きたのです。
未来のためでもなく、聴衆へのパフォーマンスでもなく、私たちはただ何となく手が出て来て、握手をしていました。
うまくいったかどうかなどは問題ではなく、私たちは時間に乗ることが出来たことで、四人が笑って握手をしていました。
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ホテル横浜での講演会
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夜ホテル横浜で行われた講演会は、刺激的でした。
モンローさんの講演が始まりました。私は一言も聴き逃さずにじっと聴いていました。
モンローさんは、FOWで話した事をもっと詳しく話していました。体外離脱などほとんど信用されなかった時代の話も出ました。科学的探査が難しくて、体験主義に頼らざるを得ない状況も話しました。
淡々と話は進んでいきました。フォーカスの話などは、私の『不思議の科学』に出てくる説明と同じでした。
そんなこと知っているよ・・と思った人も多かったかも知れません。
でも聞いていると、モンロー研究所は常に「ドア」と向かい合っているのだと思えてきました。
モンローさんは言いました。「肉体はその一部にしかすぎない・・・」
私達はこの一言に、どれほどの確信を持っているでしょうか?
肉体が死ねば「私」も死ぬと思っている人は多いのではないでしょうか。
そして最後の一節が最も刺激的でした。これはノートに書き取りました。
「私たちの人生は、私たちが何ものであるのか・・その実体へ迫る旅なのです。その実体知ための旅なのです。いまこそ、私とは何かという実体を明らかにしましょう。モンロー研究所は長い年月に渡って研究を重ねましたが、まだ多くの疑問が残っています。人間は肉体という限界を超えた存在であるということしか分かっていません。それにどういう意味があるのか、それをどう生かすのかはあなた次第です。」
英語だと主要な部分は次のように言っていました。
「It is a journey into Self - a journey to the essence of who we are…」
私はこれを受けて、私は次のようにスピーチしました。
「私とは誰かという問いかけを、地球の反対側の人から聞けたことに、今、とても感動しました。」
モンローさんの話の中に、こう生きなさい、ああ生きなさい・・というメッセージがあったでしょうか?人類はこういう方向に向かうべきだという啓示があったでしょうか?
それをどう生かすかはあなた次第だと言われ、あなたは答を出しますか?
もちろん答を出すことも大事です。でも、答と同時に問いを終わらせてはならないのです。
世の中の講演会の多くは、答としての何かを与えようとします。それはともすると方向性です。問題解決の仕方・・夢の実現の仕方・・
しかし、モンローさんの講演会は淡々と問いを発するのみでした。私はああいうスタンスの講演会にしびれてしまうのです。まるで滝の下にいるような感じになります。
もう一つ、感じたことがありました。
それは脳波をコントロールしながらあの世に行ったりするくせに、脳波との相関関係を論じないことです。
脳波論に行くと、たぶん方向性は変わります。日本でも超能力を脳波という切り口から研究している人がいます。
アルファー波がどうの、シーター波がどうの・・・その相関関係を見つけて、分かったような気になります。
モンロー研究所がそれを重要視していないのは、まるで蘇生とDNAを切り離しているようなものです。
「孫さんの蘇生は、DNAを変化させているのではないですか?DNAの研究者と一緒にやれば良いのではないですか?」私のところにはこういう質問(要求)が絶えません。
しかし、それを研究して「私とは誰か?」が分かるのでしょうか?
モンロー研は、脳波とフォーカス番号との相関関係など、知ったことではないのです。
モンロー研のプログラムに参加すると、あの世で死んだ息子に会ってきたと涙ながらに発表する女性がいます。彼女にその時の脳波を見せたら、ひょっとすると、どうにかなってしまうのではないでしょうか?
脳波を得意気に見せる技術者の首根っこを掴んで「息子を返して欲しい」とせがむのではないでしょうか?
モンローさんは何度も強調していました。私達は体験主義なのだ・・・と。
体験主義・・これは東洋のやり方なのです。体験主義・・これは感覚で捉えるやり方なのです。
20時から始まる孫さんのパートも、もちろん体験主義でした。その後は孫さんの瞑想法でした。
何も解答が出ていないのは、孫さんも同じです。彼女は単に経験上有効と思われる瞑想方法を披露しただけです。
経験主義・・これは科学技術が道具になることを意味するのかも知れません。
私達はずっとデータの側を優先してきました。左脳の側を優先してきました。
何となくという理由は通用しないのが今の世の中です。
私のどこが好きなの?この会社を選んだ理由は?あなたは何に向かっているの?××をする目的は何?
おまけに「ワクワク生きなさい」などと言われたりもします。
喜び・・愛・・そういうものも、コントロールして作り出しなさいと言われます。
理性が上で感覚が下。怒りはいけないと言われ・・感情的になるなと言われ・・
・・・・
一方は死後の世界から「私とは何?」かを追求し、もう一方は生き返りという世界から「私とは何?」かを追求する。
最後は来場者200人との握手でした。突然の提案に、モンローさんも孫さんも喜んで対応してくれました。
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大阪オフ会
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こういうパーティーでいつも思うことがあります。
それは相乗効果というやつです。言い換えるとそれは「場」なのです。
誰がキーになって盛り上げたのか、分からないのです。
もちろん幹事だった人、東京の連絡役の人、司会の人の功績は大きいです。
しかしそれがどんなに良くても、どんなに頑張っても作り出せない何かがあります。
いつか知らないうちに発生しているもの・・それが「場」なのだと思います。
自分のためだけではなく、相手のためだけではなく・・
孫さんという人は、パーティーが大好きなのです。でも事前に「××して」などと言うと、結構嫌がります。計画性の中にいるのが嫌いなのです。
ですから、テレパシーの遊びも、事前に言っておいて欲しい言われたのですが、断りました。その場のノリあれば、孫さんはノリまくるのです。
その甲斐あって(笑)、孫さんが「パッ」と言いながらテレパを送るシーンを作り出すことが出来ました。
場とは空間系に存在するような言われ方をしますが、実は時間系と関係しているような気もします。
「その場の雰囲気」・・それは時間の概念です。
あの部屋は、セミナーに使われたりパーティーに使われたりしました。
でも、あの時、あの瞬間は、私たちのパーティーの場として生きていました。
それにしても、孫さん伝授会には出ないで(出られないで(笑))パーティーだけに来てくれた人も大勢いました。
不思議な趣味に生きる私達は、やはり話の分かる仲間が欲しいようです。
私は今まで、自分が主宰する講演会というものをやったことがありませんでした。自分が主宰すれば、私は脇役でした。
今度は、自分の講演会を自分でやってみたくなりました。ただ何となく・・
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孫さん能力開発研究会
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孫さん能力開発研究会は、50人という定員でした。
東京大阪共に150人を上回る申し込みがあり、その後の電話の問い合わせ(キャンセル待ちには加わらなかった人たち)を含めると、4倍もの人が出席したいという意志を示しました。
通常は一割のキャンセルが発生します。しかし東京で1人のキャンセルが出ただけで、大阪はゼロでした。
何故これほどの人気かといえば・・その大きな理由は、孫さんが「天目」という概念を日本に運んできたからではないでしょうか。
天目?・・そんなことは知っているよと言う人も多いと思います。
しかし最近の日本では、天目はどうでもよい存在として扱われていたような気がします。その昔は、ちゃんと天目の概念がありました。
孫さんは去年、唐招提寺の千手観音の前で果実の若返りをやりましが、そのとき話しかけてきた千手観音にはちゃんと天目が彫ってあるのです。
しかし、最近の日本では、「意識」とか「気」の方が重要視されていました。
相手に強い意識を送って心的作用を起こす・・その気の強さが問題でした。
私も孫さんに会うまで数々の能力者に会いましたが、いずれも能動的タイプの人たちばかりでした。しかし彼らには蘇生が出来ません。
孫さんに会って、私の中で初めて天目という概念が生じました。
おまけに最初の通訳は、天目とは訳さずにチャクラと言っていました。
「私にはチャクラという概念はありません」というコメントを孫さんから聞いたのは、だいぶ後になってからでした。
天目は孫さんが言うところの「宇宙のインフォメーションセンター」に繋がる窓なのです。その天目の開き方を孫さんは知っているのです。
おまけに相手の天目が開いているかどうかを見ることが出来ます。
私は、事を受動的に進めていますので、バリバリと瞑想をするタイプではありません。それでも続けていると「だいぶ開いた」などと言われました。
もしも天目というものが次へのステップ(例えば蘇生)の大きなキーになるのなら、それを開いてみたいという人は多いのではないでしょうか?
孫さんの指導を受けた人の中に、中国地質大学の教授がいました。沈教授ではありません。沈教授は瞑想修行をするタイプではないのです。
瞑想の仕方を伝授された人をA教授としましょう。A教授は既に60才でした。やり方を教わった時点では、天目は全く開いていませんでした。
A教授は、言われた方法で毎日やりました。孫さんが推薦する時間帯の間、毎日やりました。孫さんも同じ時間でやっています。
るとある日、孫さんは突然体脱し、A教授の部屋に行ってしまったそうです。
A教授は頑張って座禅を組んでいましたが、眠くて眠くて、体が斜めに曲がっていたそうです。
孫さんは「それで修行をしても効果はありません。寝た方が良いです」とテレパシーで告げたそうです。するとA教授はスックと起き上がったそうです。
翌日、A教授は孫さんに告げました。「昨日瞑想していたら、あなたが来た。そして私は寝た方が良いと言われてしまった」・・と。
孫さんは、真面目に修練している人のことは、やはり気になるそうです。
自分がやり方を教え、その人が夜修練していれば、天目を開くために行ってあげたくなると言います。
A教授は一年も頑張りました。そしてある日、密封されたものの中が見えるようになってしまったのです。孫さんが見ると、A教授の天目は開いていたそうです。
今回能力開発研究会に参加された人達は、大変に状態が良いと言っていました。
孫さんと場を共有しただけで「変調」がかかっていると言いました。(変調についてはまた別の時に説明します)。
とにかく、一日同じように瞑想しただたけで、天目は開きやすくなっていると言うのです。
また、財運ストッパーを持っている人は、瞑想している場所の前に置くと、共振しやすくなるとも言っていました。
今回は初級でしたが、次は
・天目を使った治療法
・幽体離脱
・宇宙のインフォメーションセンタへの接続法
・蘇生の仕方
などを教えたいと言っていました。
尚、今回のような初級は何回か実施する予定です。
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熱海
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FOWとホテル横浜の講演が終わると、私たちは熱海に移動しました。
浴衣を正式な着物と間違えたモンローさんですが、それでもエセ着物が着れて大満足です。しかし、男性用のLサイズ・・・
浴衣が気に入ったモンローさん
その後、孫さん達も浴衣に着替え、日本での米中和合は、まさにここに完成の色を見せたのでした。
浴衣三人組
これらはすべてモンローさんが「ねえ、一緒に撮ろうよ」と誘っています。
しかし、カメラマンの私は・・
そうです。次の写真の通り、ひとりぼっちで撮ることになりました。
Lサイズをモンローさんに取られ、私はMサイズでつんつるてん。カッチョ悪〜い
モリケンの浴衣姿
そしていよいよ宴もたけなわ・・旅館の部屋での和食です。
モンローさんはアメリカでもお寿司が大好きなので、ここでもお刺身を全部平らげました。
エビの活き作りが出てきて、まだヒゲが動いているのですが、それでも「フォーカス27に行ってね」と言いながら(笑)、美味しい美味しいと食べていました。
たった一人、中国語の通訳の人だけが「キッチンで殺してきて下さい」などと、不気味なことを言っていました(おかみさんは、厨房に息の根を止めに行きました)。
さて、夜はナイトクルーズに出ました、
その時は、孫さんとモンローさんは大の仲良しといった感じになっていました。
ナイトクルーズで・・
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最後のミーティング
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ナイトクルーズから帰ると、私達は最後のミーティングをしました。
私が日本語で喋り、それを二人の通訳がそれぞれの言語に通訳します。そのリアクションがまた日本語になり、私のところに返ります。
日本語と中国語と英語が同時に聞こえます。FOWでは中国語と日本語が同時に流れましたが、それ以上でした。
この時、私が言ったことは次の通りでした。
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私達はフナイオープンワールドで同じ時間に講演をやりました。そしてホテル横浜ではさらに詳しく突っ込んだ講演をやりました。モンローさんと孫さんは同じような瞑想もやりました。
孫さん達は宇宙のインフォメーションセンターという単語をデビューさせました。
モンローさんはフォーカス12のテープを使い、「情報をもらってきて下さい」という趣旨の瞑想をやりました。両者はとても似ています。
しかし・・しかし、大きく違う点があると思うのです。
それは、モンローさんのヘミシンク方式では、私たちは為す術ないということです。
私はモンロー研に何度も行きました。しかし、私は体脱に向かって努力をするということが出来ないのです。モンロー研に滞在している間に体脱できなければ、無理なのです。
フォーカス27のヘミシンク音を買うことは出来ないからです。自宅でやることが難しいのです。
つまり、能動的に立ち向かうことが難しいのです(ここでモンローさんは頷きました)。
それに反して孫さんの方法は、音という外部の手段を使いません。自分で自ら修練してその領域に達することが出来ます。
能動的に状態を作り出すことが出来ます。その場にステレオ再生装置がなくても可能です。
それでも両者がアクセスする先、すなわち孫さんが言うところの「宇宙のインフォメーションセンター」は同じ所ではないかと思うのです。
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ここまで言ったところで沈教授が半ば興奮気味に言いました。
「私たちはコンバインする必要があります。是非、一緒に研究をしましょう。モンローさんに関係あるような論文が私たちたちには沢山あります。英語で書いてあります。それをさっそくE−MAILで送ります。」
私は続けました。
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ロバート・モンローさんは、人の生まれ変わる瞬間を探査しようとしました。しかしその瞬間にだけは、どうしても遭遇することが出来ませんでした。
地球の生命系に入るための待ち行列に入るところまでで、あとはその魂を見失ってしまうのです。
孫さんは蘇生が出来ます。生まれ変わる直前の魂とコンタクトまで取れます。
この両者が繋がると、大変に面白いのではないかと思っています。
私はモンロー研のCDを売るための代理店をしています。
さらに今回、孫さんの蘇生瞑想法を広めるための第一回研究会を開きます。
物事は一方だけでなく、多くの方向から見る必要があります。
日本人は外国のものをどんどん取り入れ、独自のものを失う傾向にあると言われています。これは長所でもあり、短所でもあります。
しかし、伝統とか独自のものにこだわる必要もないと思っています。
私の中では、孫さんの方法とモンローさんの方法は平等の立場を占めています。どちらがどちらに劣っているということは、ないのです。
是非これからも情報交換を続けましょう。
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ここでモンローさんが言いました。
「孫さん、是非モンロー研に来て下さい。両者にとって、多くの発見があると思います。」
孫さんは答えました。「うわ〜、行きます、行きます。」
というわけで『不思議の科学』で私を通じて間接的に知り合った二人は、この日本の地で直接知り合うに至ったのでした。
この熱海の旅館は、波打ち際にあります。露天風呂のすぐ下には波が砕けています。
私たちはこの後、それぞれ露天風呂に入りました。海の音を聞きながら、外の風呂に入る・・
モンローさんは東京から横浜に向かう首都高速の上で「なんて都会なの?こんなに人口密度が高いのに、どうして犯罪が少ないの?」と驚いていました。
そしてこの熱海の地では「自然を生かしたお風呂は素晴らしい。日本の料理も自然を生かしています。私は日本がとても気に入りました」と言っていました。
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モンローさん帰国
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最後の報告です。彼女は帰国の朝、言いました。最後に彼女は言いました。
「昨夜、初めて畳の部屋に泊まりました。寝たとたんに素晴らしいエネルギーに襲われました。畳というのは日本が発明したエネルギーグッズの中では、最大のものなのではないでしょうか。しばらく寝ていると父がコンタクトしてきました。そして『日本に来て良かったね』と言いました。その後、私は45分ごとに起こされました。45分ごとに別のスピリットがコンタクトしてくるのです。みんな暖かいメッセージを送って来ました。」
そう言えば、こんなことがありました。
FOWで孫さんが講演しているとき、舞台の袖で見ているモンローさんが言いました。
「あんなに大きなオーラを持つ人を、私は見たことがない」・・と。
そしてその後、熱海の夕食の時「ここに大きなスプーンはありませんか。私は簡単に曲げられます」と言ったのです。
あいにく和食専門なのでスプーンはありませんでした。
しかし彼女は私の講演の時に写されたスライドを見ているはずです。張宝勝がぐにゃぐにゃに曲げたスプーンを・・・。
スピリットとコンタクトできたり、オーラが見えたり、スプーンが曲げられたり・・。彼女はそういうものとは無縁だと思っていました。
モンロー研ではそういう事を自慢するようなことは、一切ありませんでした。
それでもゲームがありました。
ローリー・モンローさんがフォーカス27に置いてくる手紙を読むというゲームです。
私は彼女が本当に体脱をするのだろうか・・と疑ったものでした。
しかし、なぜか偶然にも、私が提出した解答が100%合っていたのです。
ホテル横浜の講演の感想の中に「ヘミシンク音だけではなかったような気がします。モンローさんのエネルギーが相当出ていたように感じます」というものがありました。
残念ながらモンローさんの目の前で孫さんの実演はありませんでしたが、モンローさんは孫さんのエネルギーをオーラという形で感じました。
ある意味ではローリーさんも、超能力者の部類に入るのではないかと思います。
今度来るときは、日本にあるブッダの像(仏像)を見たいというモンローさんでした。
出来れば一緒に回ってみたい気もします。
畳は、アメリカにある柔道ショップから取り寄せるそうです。そのうちモンロー研に畳が敷かれる日が来るかも知れません。
最後はもちろんハグハグで別れました。最後に彼女は言いました。
「この旅は最高でした。何度か日本に来ようとした時がありましたが、なぜか実現しませんでした。この旅を最初にするためだったのかも知れません。オープンワールドを主宰した船井さんにお礼を言っておいて下さい。そして講演会等を通じて私と会った多くの人たち・・ありがとう。これらの出合いはとても偶然とは思えません。」
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書き込み期間:2000/08/30〜2000/09/18 |
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