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		|  | テーマ:「幸福論」 |  |  
		|  | 書き込み期間:2005/05/15〜2005/05/17/2005/06/15〜2005/06/17 |  |  
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		| 要旨: 私は学生時代から、「それがどうした?」という感覚をずっと持っています。授業や研究に打ち込んでいる教授にも、国際関係や哲学を議論している人達にも、生き方論を聴きに講演会に行く精神世界の人達にも・・・「それがどうした?」と思ってしまうのです。もちろんこれは、私自身のやっている事にも向けられます。
 「それがどうした?感覚」とは、今のステージそのものに対する疑問視です。私達は世界の存在理由を知りません。現状はどの分野も答えを持たないのです。なのに何の疑問も持たずに自分のやっている事にのめり込むことが、どうして出来るのでしょうか・・・。
 私は自分のやっている事に対して、「それがどうした?」と思いながら先に進むしかありません。私の中に「それがどうした」という感覚がなくなったら、終わりだと思っています。
 
 私の小学校の夢は、科学者になることでした。しかしその夢は実現しませんでした。高校時代に下位の問いを持ってしまったからです。もしも科学者になっていれば、今やっているような運命の研究などは出来なかったでしょう。
 こうして考えてみると、夢の実現と下位の問いは相反関係にあるようです。これは多くの場合に当てはまると思います。そうなる理由は、下位から見ると夢が「それがどうした状態」になってしまうからです。「それがどうした感覚」の前では、職業が素晴らしくても関係なくなってしまいます。下位の問いは、夢を融かしてしまうのです。
 さらに、下位の問いは幸せをも融かします。私は高校時代に下位の問いを持った時から、幸せ感を飛び越えてしまった感じがします。それ以来、7億円の借金事件の最中でさえ、全く不幸を感じなくなりました。幸せも不幸も眼中になくなってしまったのです。
 この差は、意識で幸せを追っているか、時空の謎を追っているかにあると思います。私は幸せを自動操縦に任せているのです。つまりハンドルを手放した状態です。
 下位の問いを持つことは、時空のネットワークに繋がることだと思います。そして幸不幸とは、ネットワークの接続・切断なのではないかと思いました。幸福感を感じられない人は、ネットワークに繋がっていません。しかし、ネットワークの繋がった先から不幸はやって来ないというのが私の考えです。なぜなら、ネットワークに繋がっている時はハンドルを手放した状態であり、不幸感はハンドルを握っている状態の時に起こるものだというのが、私の仮説だからです。
 
 幸せはどうすれば手に入るのでしょうか。それは諦めることと肯定することです。
 諦めるとは、送信を止めて受信状態に入ることです。受信が始まればネットワークと繋がります。肯定することは、ネットワークに対してONになることです。否定すればOFFになります。だから諦めて肯定すれば、必然的にネットワークに繋がって幸せが来ることになります。
 ですが普通の人は欲望でいっぱいなので、諦めて肯定しようと思ってもそう簡単には出来ないでしょう。ではどうすれば良いのでしょうか。それは、「いくら達成しても幸せになれない欲望を持つこと」です。
 私にとっては、下位の問いがそれにあたります。達成しても幸せにはなりません。しかし下位の問いを持つと、上位の欲望や幸せが小さくどうでも良いことになってしまい、結果的に諦めた状態になります。私はこの最後の手段をやり続けているために、17歳の頃から今までずっと幸せなのです。
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		| ○ 「それが、どうした?」 ○ 夢を融かす
 ○ 幸せを融かす
 ○ 幸せって何?
 ○ 幸せはどうすれば手に入る?
 ○ 相手を幸せにすることから始めましょう・・に、どう反応します?>
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	| 「それが、どうした?」 
 
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		| いくつかのSFCの授業を見て思ったこと、それは何かと言えば「そんな事に、何故そんなにも関われるんだ?」ということです。 一生を懸けて研究するのは大事かも知れません。しかし大学の授業でインターネットの未来を探って、それが一体どうした?・・というのでしょう。
 文系の授業でも同様です。90分の授業で国際関係を議論して、それが一体どうした?・・というのでしょう。哲学を議論して、それが一体どうした?・・というのでしょう。
 もちろんそれは、私の学生時代にもありました。電気回路を学んで、それが一体どうした?
 実を言えば、精神世界でも同様です。講演会などで「生き方論」を聴いて、それが一体どうした?
 先生も聴いている人も、マヒしていると思います。
 同様な事は、この社会の中でもそうです。街に出れば沢山の人がいます。色々な会話をしています。そのほとんどが、それがどうした?・・です。
 「私は結果」は、なかなか浸透しないと思います。その大きな理由が、日常の中で「それがどうした・・」という感覚を持っていないからだと思います。
 ほとんどの人は「どうもしない」の世界なのです(笑)。バカみたいです。
 私は真面目な人をバカにします(笑)。なぜなら、その人のやっている事に「それがどうした?感覚」を持ってしまうからです。
 当然これは、私自身にも跳ね返ってきます。
 今私がやっている事・・それがどうした?・・と思えなければなりません。
 
 さて、私は理科系でしたが、文化系でも十分に太刀打ちできると思います。それは理科系に対して「それがどうした?感覚」を持っているからだと思います。
 そして私は、文化系にものめり込まないと思います。それは文化系にも「それがどうした?感覚」を持っているからです。
 「それがどうした?感覚」とは、今いるステージそのものを、疑問視することです。
 なぜ疑問視しないといけないのでしょうか・・。理由は簡単です。
 私は、世界の存在理由を知らないからです。現状のあらゆるステージで、その答えが出ていません。
 だとすれば、先に進むしかありません。今やっている事に対して「それがどうした?」と思いながら・・。
 従って、私自身の中に「それがどうした感覚」が無くなったとき、私のGはゼロになるのです。
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	| 夢を融かす 
 
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		| 真面目な事をやっている人を見ると「それがどうした?」と言いたくなることは、昨日書きました。 さて、このメインコーナーでは、今「運命の解明」をやっています。
 こんなに大事な問題なのに、他では出来ないのでしょうか?官・学・民で考えてみます。
 まずは「官(政府関係)」を考えてみます。
 宇宙探査とか、最先端の科学には、国がお金を出して開発設備を作ります。
 しかし・・・テーマが「運命」では、無理でしょう(笑)。いちいち理由は述べません。
 次は「学(大学)」を考えてみます。政府よりは大学の方が自由な感じがします。
 まずは、既に実力のある教授の場合を考えます。その教授が「運命の解明」を始めたら、どうでしょうか・・・。おそらく次のように言われます。
 「あの先生もいい業績を上げていたのに、残念だねえ・・。」
 この教授は、次第に大学内でのパワーを失います。そしていつか、いなくなります(笑)。
 次は駆け出しの若い講師の場合です。彼には上司(教授)がいます。その上司がOKするわけはありません(笑)。
 これらの根底に流れる理由があります。「運命は決まっていない」・・という前提です。
 あらゆる科学は、この前提に基づいています。
 ユングはコイン占いからシンクロニシティと集合無意識という概念を考えますが、それで学会を追われます。
 アインシュタインが相対性原理を考えたのは、特許事務所で働きながらでした。
 もともと「科学」に乗らなければ、官・学では相手にされないのです。そして全く新しい概念は、いつも科学の外にあります。
 こうして考えると、「民(民間)」しか残りません。
 しかし民間は、食べていかなければなりません。食べながら研究しなければいけません。すごく不利な感じがします。
 でも、よく考えてみて下さい。官と学は食べさせてもらっているから、自由ではなかったのです。
 民間は自分で食べているので、怖いものがありません。どんな変な研究をしても、「お前はクビだ」と言う上司がいません。
 予算を削られることもありません。自分で稼いでいるからです。
 
 話はいよいよ、きょうのメインテーマに流れます。
 小学校のとき、何になりたいかと訊かれ、科学者になりたいと答えました。
 しかし私は、その夢を捨てざるを得ませんでした。下位の問いが発生したからです。
 もしもあのまま上位に生きていれば、私は暗記科目も一生懸命に勉強したはずです。私はやれば出来ると思っていますので、もっといい大学に入れたかも知れません(笑)。
 さらに大学院にも行き、さらにそのまま大学に残って科学者(教授)への道を歩んだかも知れません。当然、運命の研究なんて出来ません。
 あのとき、願望実現の方法(紙に書く)などをしなくて良かったと思います(笑)。
 こうして考えると、「夢」と「下位」は、おかしな関係にあります。
 私は下位の問いを持ったのが原因で、夢が実現しなかったのです。
 この現象は、多くの人に当てはまるような気がします。
 夢は普通「××になりたい」だと思います。その「××」は大抵、三次元の夢です。
 パイロットになりたい、お嫁さんになりたい、芸術家になりたい・・・
 つまり自分がなりたい職業に就き、性としての役割を全うするのが、一般的な「夢」だと思います。
 しかし昨日、次のフレーズが出ました。「それが、どうした?」
 下位から見れば、夢が「それがどうした状態」になってしまうのです。
 このHPの中では、自分の職業を自慢する人はほとんどいません(笑)。どんな素晴らしい職業についていても「それがどうした状態」だからです。
 下位の問いは、すごいと思います。だって夢を融かしてしまうのですから・・。
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	| 幸せを融かす 
 
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		| 夢を融かすに続いて、今回は幸せを融かす・・です。 多くの人は幸せを否定しないでしょう。書店に行けば、幸せになるための本がたくさん並んでいます。精神世界では「幸せとはそれに気づくこと」などという路線が多いです。
 さて、私がものごころ付いたのは高校生です。
 信じられないかも知れませんが、それまで私は動物と同じでした。自分というものを意識したことはありませんでした。成績も大変に良くて、先生の言うことを良く聞く優等生でした。
 余談になりますが、『ユミット星人からの手紙』という本を読んだことがありました。UFOで地球にもやって来ているそうで、科学技術は大変に進んでいます。しかし個が発達していません。
 何故そんなことがわかったかと言えば、彼らのメモから住居の様子がわかりました。
 何と、ドアが無かったのです。つまりオープンスペースでセックスしているのです(笑)。
 筆者(フランスの科学者)は悩みました。「彼らは露出狂なのか、それとも個が無いのか・・」(笑)色々調べた結果、後者だということになったのです。
 何を言いたいかといえば、「頭の良さ」と「個の発達」は、無関係なのです(笑)。
 しかし、「個の発達」と「幸せ」は無関係ではありません。個の発達が未熟な動物は、幸せ感が薄いと思います。
 個が発達すれば孤独感が増し、それで幸せ感が生じるのだと思います。
 
 さて私に関して言えば、個が出た高校生のときに、幸せ感を飛び越えてしまった感じがするのです。
 7億円の借金事件の時、私は富士通に勤めていました。私の変化を誰一人、察知できませんでした。家に帰れば債権者が取り囲み、毎晩その対応に追われているのに・・です。
 男性人気投票で一位の私は、幸せなサラリーマン生活を送っていたのです(笑)。
 役員の前では自説をプレゼンして、私の机に女子社員がくれば、にこやかに対応していました。絵に描いたような幸せ社員でした。
 それは取り繕ってやっていたわけではありません。心底そうだったのです。
 先日、富士通の同窓会がありました。そこで七億の借金の話をしたら、誰も信用しませんでした(笑)。
 つまりその事件で私は、ちっとも不幸ではなかったのです。
 しかしそれを知った人の中で、こんなことを言う人がいました。
 「森田さんは前世で、お金の件で人を欺いたのです。そのカルマを受けているのです。」
 もしも私が不幸ならば、これに反応しかたも知れません。しかし不幸どころか、私は幸せだったのです(笑)。
 自宅がブルドーザーで壊された日、その瓦礫の上に座ると空は満点の星でした。
 「神はなかなかのシナリオライターだ」・・と思いました。当時は時空と言わず、神と呼んでいました。
 どう考えても、これはプラスの出来事としか考えられません。これで日の出村から完全に出られると思いました(笑)。ど田舎から脱出するには、このくらいの荒療治が必要です。
 
 さて今はと言えば、やはり不幸ではありません(笑)。しかし当時の状態と、大して変わらないのです(笑)。
 多くの人は、意識の世界で幸せを追っていると思います。しかし私は、意識の世界では、時空の謎を追っています。この差だと思います。
 幸せなど、眼中にないのです。という風に言い切れるのは、ハンドルを手放してしまっているからです。幸せになることを、自動操縦に任せているのです。
 自動操縦に任せてどうなったかと言えば、少なくてもホリエモンの年収の倍はあるようです(笑)。
 しかし彼が「ホリエモンの部屋」で一日中ゴロゴロしているかといえば、そうではないと思います。しつも数々の戦略を練っているはずです。
 そのとき私は、スリップ姿を鏡に映して、うっとりしています(笑)。
 眼中に無い・・。
 シカトされるほど、嫌なことはありません。しかし時空は逆のようです。追えば逃げ、シカトすれば近寄ってきます(笑)。
 だから私は、下位の問いを持ちっぱなしだとダメだと思っています。リラックスして「忘れたふり」をするのです(笑)。
 すると時空は騙されて、向こうから近づいてくるかも知れません(笑)。そこをすかさずガバッと襲うのです(笑)。
 
 スリップで・・・
 
  
 突然「ガバッ」はだめよ
 
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	| 幸せって何? 
 
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		| この超上位の問いを、下位的に考えてみたいと思います。というのは、このテーマで、来週アネモネの取材があるからです(笑)。 まず自分自身のことを振り返ってみます。
 私も幸せでなかった時期がありました。それは16歳までです。生まれてから16歳になるまで、私は幸せを感じたことがなかったのです。
 もちろん外から見れば、幸せな坊やだったと思います。先生の言うことは良く聞き、学級委員でオール5でした(笑)。
 でも今から思い出しても、あの時期にだけは帰りたくありません。
 しかし17歳を過ぎてから、今度は不幸を感じたことがありません(笑)。
 
 さて、ここで六爻占術に話は飛びます。六爻占術に幸せを現す用神はあるでしょうか?
 子孫には「快楽」の意味があり、それが近いかも知れません。しかし子孫を生じるのは兄弟です。兄弟には出費とか競争という意味があります。出費や競争が増えて、幸せを感じるでしょうか?
 また、子孫は妻財を生じます。妻財が発動していれば子孫はエネルギー漏れを起こします。つまりお金が儲かったり女性関係がうまくいくと、幸せではなくなるのです。
 何か、変です。
 こうして考えると六爻占術で幸せを占うことは、たぶん出来ないのです。
 もしも出来るとすれば、今までもたくさん話に出てきているはずです。
 例えばトラさんの添削にも「お金が儲かりますが、幸せにはなれません。幸せになりたければ貧乏のままでいることです」・・とか(笑)。そうなるとお金を取るか、幸せを取るか、悩む人は多いはずです。でもそういう事例はありません。
 ということは、「幸せ」は、運命の18ビットには乗ってないのです。
 なのにこの世に幸せというファクターがあるのは、どうしてなのでしょうか?
 精神世界のように、「心の持ち方で幸せにもなれるし、不幸にもなれる」とでも言うのでしょうか?これは「私は原因」の考え方です。でもやはり、「私は結果」のはずです。
 
 そこで閃いたのが、ネットワークです。
 幸せとは、ネットワークにつながっていること。不幸とは、ネットワークが切れていること。うーん、単純かしら・・(笑)。
 しかし、そうでもありません。
 私が16歳まで幸せを感じられなかったのは、ネットワークから切れていたのだと思います。下位の問いが、私をネットワークに繋げたのです。
 さて「私は結果」なので、幸せの原因も外側にあるはずです。
 おお、だとすると、不幸の原因も外側じゃん(笑)・・となるはずですが、そうは問屋が卸しません。
 両者が外側にあるとすれば六爻占術の卦に出るし、幸せのための運命変更も出来ると思うのです。
 そうではないので、幸せというのは、別のシステムの状態だと思ったのです。
 それが「ネットワークの接続、切断」・・だと。
 道に咲いている草花を見て幸せだと感じるのは、その草花とネットワークがつながったからではないでしょうか・・・。
 
 今、「初めてなの」コーナーに次のメッセージが書き込まれました。
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 私も生きている実感が全然ないです。セラピーを受けても何もよくならず、周りの人々が涙を流してエネルギーを感じてもわたしには「無感情」しか残りません。どこかで心がガードしてるのか・・とも悩み、また別のセラピーを探す日々です。意識の問題か?・・・私の場合『意識しているとよい方向へ動く』という考えには、もう疲れ果てました。『よい方向に動いたらがんばれるのに』という、結果が先にほしいです!!
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 この人は幸福感をあまり感じていないと思います。それはネットワークに繋がっていないのだと思います。
 どうすれば繋がれるかって?
 それは今書いている『不思議の科学U』の文庫版を読むことです(笑)。読むだけで繋がるのです(笑)。
 
 さて、ネットワークの繋がった先から、不幸はやって来ないのでしょうか?来ないというのが私の考えです。
 7億の借金が来ようが何がこようが、ちっとも不幸を感じませんでした。
 不幸というのは、「私が原因」という概念の為せる業だと思います。「内側」を変えようして発生してしまうのが、不幸なのです。
 つまり不幸は、ハンドルを握ることによって生じるというのが私の仮説です。
 ハンドルを手放した状態に、不幸は無いと思います。それはつまり、ネットワークに繋がったからです。
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	| 幸せはどうすれば手に入る? 
 
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		| 一般的精神世界の人のほとんどは「私は原因説」なので、自分を変えれば幸せになれると言います。でも昨日のネットワーク論からすれば、どうでしょうか・・。 ネットワークを繋ぐのが自分で出来るとすれば、「私は原因説」と似てきます。しかし私は、ネットワークに繋げるのさえ、外からでないと出来ないと思います。
 つまり人は、幸せをひたすら待ち続けている存在なのです。
 「幸せは待っていてもこない」などと言いますが、待っていないと来ない・・・と言いたいところですが、そうではありません(トリプル否定(笑))。
 幸せになる極意というのも、あるような気がしました。
 おお、今日のテーマは必見です(笑)。やっと幸せになれるかも知れないのですから・・(笑)。
 そのハウツーの一つは、「諦めること」です。
 もちろん諦めるという行為も結果ですから、これを自分で出来るかどうかは問題があります。
 そのメカニズムはどうあれ、諦めるとネットワークに繋がれるのではないかと思います。
 何故でしょうか・・。
 諦めるというのは無線機で言えば、送信をやめることです。ハムのトランシーバーは送信をやめると自動的に受信状態に入ります。360度の方向からの電波を一気に拾い始めます。受信を始めたということは、ネットワークと繋がったからです。
 送信を「願望」と定義すれば、願望は一瞬しか出してはいけないのです。
 しかし、この「諦める」という行為が人間にはなかなか出来ません。未練がましく執着するのが人の常です。
 もう一つの極意は、「肯定すること」です。
 肯定することはネットワークに対してONになることです。逆に否定することはOFFにすることだと思います。だって否定は「それではダメ」と言っているのですから・・・。
 考えてみれば、「諦めて」「肯定」すれば、幸せが来るに決まっています。そこに不満の要素が無いからです。
 しかし人間は欲望のかたまりです(笑)。そう簡単に諦められるわけはありません。
 
 では、欲望の主が幸せになるにはどうすれば良いでしょうか・・。
 いよいよ最後の手段です。それは・・
 「いくら達成しても幸せになれない欲望を持つこと」です。
 私の場合、それが下位の問いです。「私は誰?」を達成しても、幸せにはなれません。
 しかしこのような全く新しい目標が出来てしまうと、今までの目標はどうでも良くなります。「幸せ」など小さいことになってしまいます。これは結果的に諦めた状態とも言えます。
 しかも問いをぶつける相手は時空そのものです。瞬間的にぶつけては受信し、ぶつけては受信し・・ネットワークに繋がらないはずはないと思います。
 私は17歳からずっと幸せです。それは最後の手段をやり続けているからだと思います。
 まさかあの日持った神への問いが、自分を一生幸せにしてくれることになるとは、思ってもいませんでした。
 神様、ありがとう(笑)。
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	| 相手を幸せにすることから始めましょう・・に、どう反応します? 
 
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		| 「私は結果」では、私以外のどこかに原因の世界があり、私たち人類全てがその原因の世界にあるプログラムで動かされているということでした。これによれば、私達は全員が影絵でした。 しかしネットワークの概念が出て、変わりました。
 原因は、私以外の他の人間だ・・・と。言い方を変えれば、私は他の人間の原因です。
 つまり他の人の幸せの原因は、私です(笑)。
 確かに言えているかも知れません。一昨日、女性全員を敵に回す発言(「女性が映画を選択するのはヒロインの要素が強く、ミーハーだ」)を書いたら、文句を言ってくる人が多発して、その人達を不幸にしましたから(笑)。
 文句を言う人がその行為で幸せになれたかと言えば、そうは思えません。
 自分で自分を幸・不幸には出来ませんが、他人を幸・不幸には出来ます。
 もちろん私も結果なので、ああいう発言をした私に責任はありません(笑)。
 「私が結果」の時は、どこかにあるとされる「原因の世界」をぶち壊せば、自由が手に入ると思っていました。
 しかしネットワークの概念になってからは、「どこか」が「私以外の全部」になりました。
 トラさんのテキスト第八巻は、人と人との卦が相関関係で繋がっているということを書くものらしいです。まさにネットワークの状態です。
 
 さて、やっと今回の本論です。
 「自分で自分を幸・不幸には出来ませんが、他人を幸・不幸には出来ます」と書きました。私は他人の原因だからです。
 しかし私が他人の原因であったとしても、嫌いなヤツに金をあげる気にはなりません(笑)。
 つまり世の中の多くは、自分が損をして相手が得をするというパターンが多いです。
 長い箸で相手にだけ食べさせても、自分は幸せにはなれません(笑)。
 両者が同時に幸せになれるものはないか・・そう考えた時、浮かんだものがありました。
 それは、「笑い」です(笑)。笑う人は、本人も楽しいです。そしてそれが外応となって他人も幸せにします。
 やはり世界を良くするのは、笑いしかないのかも知れません。ここまでは良しとします。
 
 しかしこのまま突き進めば、「他人のために尽くせ」「まずは与えることから始めよ」「滅私奉公」「エゴを無くせ」等々、精神世界で言われてきた事が、そのまま真実になりそうです(笑)。
 そのうちアミ星から宇宙人がやってきて「周囲に与える度数計」で測定し、「まだまだ地球人はレベルが低い。周囲に与えていないから見返りもないのだ」などと言われかねません。
 周囲が原因だという思想は、大変に危険な思想です。相手を幸せにすることから始めましょうと言い出すからです。
 そのど真ん中に我々はいるのです。
 みなさん、どうします?
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	| 書き込み期間:2005/05/15〜2005/05/17/2005/06/15〜2005/06/17 | 
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