もりけん語録
テーマ:「メインテーマ2005.02」
書き込み期間:2005/02/02〜2005/02/27
要旨:
「やりたいこと」「好きなこと」をやりなさい、というフレーズに疑問があります。
私がやってきたことはどれも、最初からやりたいと思っていたことではなかったからです。
女装も、りんごの部屋で過ごすことも、不思議調査さえもです。それらは、向こうから降ってきたのです。
好きなことと言われて思い浮かぶことと言えば、どれも一時的なもので、大半は惰性で過ごしています。
私は何かに熱中して瞬間の快楽を得ても、虚無感を覚えるだけなのです。それよりも下位の問いの方が大事だからです。
好きなこと、やりたいことをやって生きて、何が楽しいのかと思います。
「好きなこと」「やりたいこと」は前提なのです。好奇心そのものの中にいる人はそんなことを口にしません。
好きなこと、やりたいことよりも私が大事にしているもの・・・それは「やってみなければわからないこと」です。
私の不思議研究はまさに「やってみなければわからないこと」です。
もし私が好きなことだけを追いながら不思議調査をやっていたら、六爻占術にも生まれ変わりの村にも出会わなかったでしょう。
そして時空もまた、好きなことをやっているのではなく、「やってみなければわからない」状態なのだと思います。
だって、やってみなくてもわかっているのだとしたら、わざわざ宇宙を作る必要がないと思わないでしょうか。
時空さえも固定されていないのです。「好きなこと」「やりたいこと」にこだわって生きるのは、運命をますます固定させるだけだと思います。

縁について考えてみました。
私は当初、六爻占術を全く信じていませんでした。だからトラさんに出会った時も、全く注目していませんでした。
にも関わらず六爻占術は、テキストの入力を手伝っていた考古学者の女性を経て、私のもとに巡ってきました。
その事を思うと、タイミングなどというものはなく、その時にチャンスを掴むかどうかという問題でもなさそうです。
そういう問題とは関係なく、縁さえあれば出会うことになっているのではないかという気がします。
では、縁を決めるものはいったい何なのでしょうか。
私は下位の問いを持っていたから六爻占術と縁ができたのでしょうか。それとも縁が先にあって問いは後から持たされるのでしょうか。
時空の意志とも思えないし、かと言って、単なる方程式の結果に過ぎないと言い切る気にもなれません。
縁には説明のつかない不思議な何かを感じます。
もう一つの疑問は、問いを持つのは「私が原因」なのかということです。
問いを持つことさえ「私は結果」なら、私達は完全にがんじがらめです。かと言って、問いは自由意志で持つものだとも考えにくいです。
私は以前、「問わなくていいの?」という励起パルスが時空から降っているという仮説を出しました。
しかし時空は人間に呼びかけているのでしょうか。また、励起パルスをキャッチして下位の問いを獲得することは、掴むかどうかその人次第のチャンスなのでしょうか・・。
ところで励起パルスについて、私が一つ見落としていた点がありました。励起パルスをゼロイチの「1」としてしか捉えていなかったのです。
しかしパルスが降りる瞬間の感覚は、「1」よりも「0」に近い感じがします。
パルスがゼロの情報である可能性も充分あると思いました。ゼロも一つの大きな情報です。
ゼロのパルスをゼロとして受信するには、こちらもゼロになれないといけません。これはもしかしたら大変なことかも知れません。

富士通時代の話をします。
私が入社したときの新人社員歓迎会で、M氏(当時の課長)が早口言葉大会を提案しました。私がその審査員になりました。
その次は、女子社員による男性人気投票を企画しました。いずれも常務や室長の許可なしにです。
そしてある日、課員が全員遊んでいるという内部告発書が届きました。
M氏は一度本社を離れることになったのですが、最終的に副社長にまでになりました。同じ課の課員も、ほぼ全員が取締役になりました。
M氏にはカリスマ性があったと思います。別の言い方をすれば、自分から「崖っぷち」状態を作る人だったと思います。
早口言葉大会を開催することで、課の全員が「引けない」状況になったのです。こんな遊びのイベントをやって仕事で結果が出せなかったら、ただのバカチームということになるからです。
実際その期間中、最も仕事をこなして成果を挙げていたのは、私も含めたM氏の課員達でした。それが後に異例の出世率に繋がりました。
M氏は昼休みのギャンブルまで主催しました。しかもポーカーフェイスで勝ち越していました。
お金を賭けた昼間のゲームが午後の仕事にどう影響したか・・・ことのほか活気が出ました。
さて私は高校時代、カリスマ性ある神の概念を抱いていました。独断でルールを作って高見の見物をしているような・・。
ところが不思議調査を行っていくうちに、神やその他のガイド、マスターと呼ばれる存在達のカリスマ性が崩壊していったのです。
神こそが、崖っぷちに立ってカードを切るしかない存在なのではないでしょうか。
神も勝つか負けるかフィフティフィフティの賭け事をやっていると思うからです。私もその賭けに乗ることを決めました。
目次
○ 和尚さんよりのメール1
○ やりたいこと
○ 好きなこと
○ 「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」は前提
○ 「やりたいことをやり」とか「好きなこと」をして、何が楽しいのでしょうか?
○ 和尚さんからのメール2
○ やってみなければわからない
○ 時空も「好きなこと」をしているのでしょうか?
○ 直感力研究会報告
○ 天人合一
○ 「縁」なのでしょうか、それとも「事象の内容と出会わすタイミング」なのでしょうか?
○ 縁を決めたのはいったい誰(何)か?
○ 侵されない問い
○ 下位の問いと器の広さ
○ 「私が原因」で「問い」を持つのでしょうか?
○ 励起パルスは、「ゼロ」か?
○ マスターとガイド
○ 主催者は、「みんなのため」に主催するのでしょうか?
○ 内部告発
○ カリスマ性
○ 崖っぷち
○ 賭博の持つ効能
○ 神も崖っぷちでカードを切るしかない
和尚さんよりのメール1

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「自力」の意味について、まだ判然としていない人がいると思います。
実は「自力」とは、「自分の力そのもの」を言うのではありません。
それを聞いて、「エエーッ!?そんな?『自分の力』のことを言うのではないの!?」と思わずビックリする方もいるかもしれません。実は、そのために、最初の第一歩のそこで皆、躓いてしまうのです。これは、「他力」についても同様なのです。
「なぜ、そうなったのか?」。世間の表面現象を言うのではなく、その一番の根源を探っていくと、仏教用語そのもの自体の使い方にまで掘り下げられて辿り着きますが、今回は省略しましょう。
「自力」とは、例えば自分の認識こそが世界で最も確かで、世界で一番頼りになる認識だと判断し、その判断は正に錯覚に過ぎないのにも拘わらず、その錯覚に何としてでもしがみついて離れられず囚われきっている<妄念・妄想・妄執>を言います。簡単にまとめれば、「自力」=<妄念・妄想・妄執>です。だから、自力無効なのです。
「自力」とは、単に「自分の力のこと」を言うのではないのです。だから、もりけんさんが<妄念・妄想・妄執>から離れて、会社のために努力する行為に使われる「力」を自力とは言いません。「当然の力」です(この「当然」と言う表現は私のオリジナルです)。
だから、「自力の人」は、そういう錯覚になかなか気付こうとしない。いや、気付こうとする反省・懺悔すら拒否していると思わされるぐらいなので、その反省・懺悔が欠落しているのです。従って、もはや誰の言う話にも耳を傾けません。独善的暴走に次ぐ、暴走です。いや、これは爆走にまで発展します。誰も付いてきません。こうなると、その人から皆、離れていく結果になるのでしょう。何しろ、「人の言う事を全く寄せ付けず、話を聞く耳を持たない」のですから。

また、「自力の人」を「自力作善(さぜん)の人」と真宗では呼んだりします。
相手が「もういい加減してくれ!!もうごめんだよ、あなたのその独善的な善は。そんな善を押し付け、お仕着せさせられて、こちらは本当に迷惑・困惑しきっているのだよ!あんたの言う『善』は、こちらにとっては善どころか『最悪』なのだよ!もう、怒るよ!!」と叫んでいる「善」を作る。即ち「作善」です。こういう具合に、全く他力に目覚めていなく、変な夢を見続けて覚める事なしに、無自覚・無反省に相手を怒らせる善を作る人を「自力作善(さぜん)の人」と言います。
今まで、「なぜ、善人と呼ぶのか?」。「なぜ、善人より悪人の方が往生し易いのか?」。これらを分かってもらえたと思います。そして今、「自力」の意味も分かり易く理解してもらえたと思います。
では、今回最後に言います。「言葉の真の意味において、あるいは簡単に『本当の』と言っても良いかもしれません。そういう意味において『善人』なんていますか、いるなんて思えますか?この地球上に人類が誕生して今に至るまでに、そういう意味での『善人』が一人でも存在した事実があったと思えますか?」−「答」は言うまでもなく、明らかです。
これらを分かり易く理解して入っていけば「真宗」は、そんなに難しくないはずだと思いますよ。

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やりたいこと

もりけんドットコムのために過去の書き込みを整理していると、次のフレーズにぶつかりました。
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人は本当は、やりたい事をやりたくないのではないでしょうか?
「やりたい」などと言うのは、嘘です。本当にやりたければ、もうやっているはずです。
悪というものが出てきたのは、自分がされたくないからではなく、自分が本当はしたいのに、したくないからではないでしょうか・・・
(したい事の善悪)

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精神世界の本では「やりたいことをやりなさい」と書いてあるのが多いです。でも、「やりたいこと」って、いったい何なのでしょうか?
人は快にしか生きられないはずです。だから瞬間瞬間の快に生きているはずです。
なのに「やりたいこと」って、いったい・・・
私は「女装」などということをやりたいとは思いませんでした。そんなことをしても何の利益もないし、周囲に迷惑をかけるだけです。
女装など、ずっと「やりたいこと」ではありませんでした。
一日を何もせずに一人で過ごすことも、「やりたいこと」ではありませんでした。そんなことをしても何の利益もないし、周囲に迷惑をかけるだけです。
ずっと「やりたいこと」ではありませんでした。第一、そんな事をやっても、面白いとは思えませんでした。
そんな事よりも、セスナ機とかの免許を取って大空を飛んでみたいという方が「やりたいこと」でした。実際20代の始めの頃、その「やりたいこと」を友達に語ったことがありました。

しかし、現実は逆でした。
会社に辞表を出したのは、「やりたいこと」に向かったわけではありません。
不思議研を始めようと思ったのも、ずっと暖めてきた「やりたいこと」ではありません。
ましてや「女装」など、「やりたくない」ことの筆頭でした(おやじもりけんの頃(笑))
やりたいことをやりなさい・・というのは、自力のような気がします。
会社を1秒で辞め、不思議研の発案を1秒で妻に知らせたことは、他力のような気がします。その後の多くの出来事も、他力のような気がします。
私は不思議調査で多くの「縁」や多くの「利益」に出会いましたが、それも、私が望んだ(「やりたいこと」と言い換えられると思います)ことではありません。
それらは、向こうから降ってきたのです。
そういう意味では、お和尚さんの書簡も、向こうから降ってきたのです。

HPの「はじめてなの」のコーナーに「それよりもこのネットの愛読者に真言宗の『修行をした僧侶』はいらっしゃらないのでしょうか。」という書き込みがありました。それは自力だと思います。この書き込みをした人は、真言宗は理解しても、他力を理解していないと思います。
私も相当な努力をして不思議調査をやっています。でもどこまでが努力で、どこまでが他力だかを、少しは理解していると思います。
「やりたいこと」というのは、曲者だと思います。
大空を飛び回る夢・・さぞかし大きそうな夢ですが、そんなことを実際に実現した日には「これって一体何が楽しいんだろう・・」と落ち込むような気がします(笑)。
そして実際には、「やりたくなかったこと」を、別にワクワクすることも、落ち込むこともせずに、やっている毎日なのです(笑)。
「やりたいことをやりなさい」・・これって一体、何なのでしょうか・・
好きなこと

「やりたいことをやりなさい」と同時に使われるフレーズが、「好きなことをやりなさい」だと思います。両方とも問題のある言葉だと思います。妙に説得力があり、反論の余地が少ないです。なのに全面的に賛成できないのは何故でしょうか?
見知らぬ土地で友人に会い、何かを食べる段になったときその人から「森田さん、何が好きですか?」と訊かれると、答えたくない気持ちになります。
なぜって、見知らぬ土地だから、見知らぬ料理が食べたいからです(笑)。
日本人はディシジョンメイキングが下手な民族だと、批判されます。
食事の際、メニュー一つ決める時にも「何でも良いですよ」などと言うのが日本人なのです・・と(笑)。
そこにいくと、外人はちゃんと自分の「好み」を持っているそうです。
主体性の無いのが日本人で、自分の考えをちゃんと持っているのが外人・・というパターンらしいのです。
ところで六爻占術とか下条さんからの情報によれば、「好みは後から作られる」・・でした。でも、これを言ってはオシマイです(笑)。こいつは出さないで吟味してみましょう。その方が味が出そうです(笑)。
さて「好きなことをやりなさい」と言われて、私は不思議研の活動を選ぶでしょうか?
好きなことと言えば・・
・ハワイみたいな南国のプールサイドでうたた寝をする
・足の裏マッサージをしてもらう(笑)
・ハーゲンダッツを1/3だけ食べる(笑)
・美味しいコーヒーを飲む
ちょっと挙げてみましたが、一つの共通項がありました。それはみんな「一時的なこと」なのです。

ああ、そういえば、過去の書き込みにこんなのがありました。
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ハマる

妻が「ハマる」ということをテーマにした講演会を聴きに行ってきました。
講演者は心理学者です。その話を聞いたので、アップします。
マウス(コンピュータのマウスではなくてネズミ君のこと)に快楽を誘発する物質を与えるという実験です。コカイン、覚醒剤、アルコール、ニコチンをです。
その中ではコカインがダントツ一位。でも、面白いのはその後からです。
レバーを3時間もギッタンギッタンしないとコカインが落ちてこないようにします。
でも、マウス君はレバーをギッタンギッタン押し続けます。コカインが欲しいからです。
で、コカインの量を調整して、一瞬だけ快楽が走るようにします。なんと「一瞬」が短ければ短いほど、マウス君は頑張るのです。
う〜ん。快楽が長続きすると、あまり欲しくは無くなるのです。
次に、コカインを与えるのをやめます。それでも押し続けます。
心理学者はこの時「渇望」ということに気が付きました。マウス君の原動力は「渇望」だったのです。この「渇望」は、結果である「快楽」とは切り離されているのです。

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この心理学者とは、下条さんのことです。私はこの日、自分が出る講演会で行けなかったので、妻だけが行ったのです。
うーん、さすがに下条さんです。面白い実験をやっています。
短ければ短いほど、良いのです。セックスの「イクとき」が1時間も続いたら、あれほど求めないかも知れません(笑)。
そうなると、「好きなこと」というのは、自分を騙す行為ではないでしょうか。

不思議研の活動は、今の私にとってはご飯のようなものです。ご飯が好きかと訊かれると、とても困ります。エビフライとかだったら答えられそうですが・・・
でもエビフライはたまに食べるから、「好き」の対象に入るのです。ご飯は好きの対象外だから、毎日食べられるのです。
同様に、自分の生活を振り返ってみれば、惰性でやっていることばかりです(笑)
毎日リンゴの部屋に行くのも、別に好きだから行っているわけではありません。惰性です(笑)。
それはご飯と同じです。毎日「好きか嫌いか」などと問いを発していたら、ご飯がまずくなります(笑)。
精神世界には、「今やっている仕事が好きだから」なとど答える人がいます。その人はそれが、本当に好きなのでしょうか?
逆にサイババはこんなことも言いました。「今の仕事を好きになりなさい。」
何故これほど「好き」にこだわるのでしょうか・・・「好き」にならなけば、罪悪のようです(笑)。
でも世の中の大半の人は毎日の仕事を「好きでやっているわけではない」と思います。そんな風に思えば、続きません(笑)。

ところで好きは過去、好奇心は未来・・だと思いませんか?
全く選択したことのないものを選ぶ時、「好き」が出るわけはありません。
そう考えると、「好き」は、固定された運命を、より固定する方向に働くと思います。
そして「好き」には、自力の感じがただよいます。他力は、好き嫌いを超えたところにあるような気がします。
だって好きか嫌いかなどと自問するときには、他力から抜けてしまうと思うからです。
「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」は前提

私達は突然宇宙に放出されました(生まれたとも言います)。
なぜ生まれたのか、何を目的として生まれたのか、サッパリ分かっていません。
なのに「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」とか・・バカじゃないでしょうか?
各種の娯楽(スポーツなども入ります)に興じる人達も同様です。
昔、NHKで『タイムトンネル』というドラマがありました。アメリカのアリゾナの砂漠の地下に、開発中のタイムマシンがあったのです。そのタイムマシンにテスターとして乗り込んだ(トンネルだから「入り込んだ」)科学者の物語です。
タイムマシンは不安定なので、どの時代に飛ばされるか分かりません。まず科学者は飛ばされた先で、「ここはいつ?ここはどこ?」という問いから始めます。
もしもここに「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」とかいう精神世界の人が行ったらどうでしょうか?
「どこで暮らしても一緒だから、ここで好きなことをして生きようよ」とか、言い出しそうです(笑)。
実際にドラマは、その路線ギリギリのところまでいきます。科学者と仲の良くなる女性が出現するからです。そして大抵、キスシーンの直前で飛ばされます(笑)。
過酷なのは、飛ばされた先が戦場のど真ん中だったりするのです。それでも科学者は問いを発し続けます。
だからこの時代でも、「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」言う人は、どついてやりたいです(笑)。なぜなら我々の状況は、タイムトンネルと同様だからです。

好きなことをしてそれで死んで、何が楽しいのでしょうか?各種の娯楽に興じて、何が楽しいのでしょうか?はっきり言って、分からないです。
独り言を止めるきっかけになった、あの日の独り言・・0:08の書き込みが、まさにそれでした。
DNAの世界だけに終始した個の世界・・その世界で勝ったの、負けたの、楽しいだの、楽しくないだの・・バカじゃないでしょうか・・。
私は16才までその世界にいました。
娯楽に興じる人達(下位の問いを持たない人達)がまだその世界にいるのなら、分かります。でも彼らは大人です。もう子供じゃないはずです。
いえ、この言葉にも語弊があります。タイムトンネルに子供が乗れば、行った先で「やりたいことをやろう」とか「好きなことをしよう」とか、言うはずはないからです。
子供はもともと「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」の世界そのものにいるからです。そのものの中にいるから、好奇心が出るのだと思います。
そう考えると、「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」は、前提なのかも知れません。
「やりたいことをやり」とか「好きなこと」をして、何が楽しいのでしょうか?

前回の書き込みの中心部をもう一度載せます。
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独り言を止めるきっかけになった、あの日の独り言・・0:08の書き込みが、まさにそれでした。
DNAの世界だけに終始した個の世界・・その世界で勝ったの、負けたの、楽しいだの、楽しくないだの・・バカじゃないでしょうか・・。
私は16才までその世界にいました。
娯楽に興じる人達(下位の問いを持たない人達)がまだその世界にいるのなら、分かります。でも彼らはオトナです。 もう子供じゃないはずです。
いえ、この言葉にも語弊があります。タイムトンネルに子供が乗れば、行った先で「やりたいことをやろう」とか「好きなことをしよう」とか、言うはずはないからです。
子供はもともと「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」の世界そのものにいるからです。そのものの中にいるから、好奇心が出るのだと思います。

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この部分に関するレスが少なかったことにも関係するのですが、もう一つ理由があります。
それは、今日『不思議の科学3』をもう一度読み、そこに子供と大人の違いのようなものが明確に書いてあったからです。
『不思議の科学3』によれば、子供と大人の要素は両方必要なのです。
さらに、もう一つ理由があります。億万長者の斉藤一人さんの書いた『絶対成功する千回の法則』という本を読んだからです。そこに「人生の目的を考えてもムダ」と書いてあったからです。子供にそんなことを考えさせるな・・とも書いてありました。
もちろん成功本に下位の問いが書かれた本は、無いと言っても差し支えありません。だから斉藤さんだけに限ったわけではありません。

さて、私は今日は次の問いを発したいです。
「やりたいことをやり」とか「好きなことをして」、何が楽しいのでしょうか?
そりゃあ「やりたいことをやり」とか「好きなことをして」いれば、楽しいに決まっているじゃないか・・・という答えが返りそうです。
果たしてそうでしょうか・・・。私はそうではありませんでした。
会社を始めた頃、テニスをやりました。会社のすぐ近くにテニススクールがあり、そこに通ったのです。
時々、強いサーブが相手のコートに入りました。時々、レシーブの玉が、ネットぎりぎりにかすって相手のコートに飛び込みました。そういう瞬間は気分の良いものでした。
まるで瞬間的なコカインを得たマウスのようでした。
スキーもそうでした。新雪にウェーデルンを決めた時は、やはり瞬間的なコカインを得たマウスのようでした。でもここで問題が発生したのです。
マウスはコカインを得たくて再びペダルを漕いだようです。しかし私には、それが出来なくなってくるのです。虚無感のようなものに襲われるのです。
だから、テニスプレイヤーであれ、スキーヤーであれ、サーファーであれ、スノーボーダーであれ、彼らが何回もそれにトライすることが、私には出来ないのです。
その技術が難しいとか難しくないということにも関係ありません。敵は虚無感なのです。
だからスキー場に行っても、次第に滑らなくなりました。旅館でゴロゴロしていた方が、虚無感が少ないのです。
同様に、ガンガン仕事をするよりも、りんごの部屋にいたほうが虚無感が少ないのです。

私は思います。「やりたいことをやり」とか「好きなことをした」ときの虚無感を、彼らはどうするのでしょうか?
それで「幸せ」になれるなんて、とても「幸せ」な人たちだと思いました(失礼)。
しかしこの感覚は、16歳まで持っていませんでした。私が下位の問いを発したと同時に出てきたと言っても良いのです。
だから「人生の目的を考えてもムダ」というのは分かります。それを考えると、良いことはないからです。
16才のある日を境にして、オール5の人生が変わりました。高校の内申書は3.2に激減したからです。5.0から3.2へ・・・
人生が前向きでは無くなったからです。「前向き」・・それは未来に対する言葉です。
私にとっては、瞬間的なコカインよりも大事な事が出てきたからです。
和尚さんからのメール2

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「なぜ『虚無感』が起こってくるか?」について、遥か2,500年の昔から、仏教は、取り組むべき重要な精神現象だとして、そのテーマの解明に取り組みました。そして、人間の心の真実を探った結果、そこで出来上がったのが、あの有名な「空」観です。
もし、この「空」観を外してしまえば仏教でなくなると言えるほど、仏教にとっては、必須のなくてはならない悟りの要素です。確かに、この「空」観については、チベット仏教(チベットへのルート)・南伝仏教(スリランカ・東南アジアへのルート)・北伝仏教(中国へ、そこから朝鮮へ、そして日本へのルート)の三者において、“違い”と言えるものがあります。
森田さんは、チベットを訪ねてチベット仏教の高僧から「空」観について、教えを聞いたと思います。
私は、その「空」観の教えをベースに、目まぐるしく変化し、かつ決してゴールなんてありはしないと思われるスタートラインに、楽しく喜んで立っています。実は、人間ですから、「虚無感」が胸を横切らないなんて事はない。その事も、この「空」観は教えているから、気にもなりはしない。
だから、この「虚無感」から私を解放しているのは、仏教が教えてくれる「空」観ですね。北伝仏教である日本の大乗仏教ばかりでなく、チベット仏教・南伝仏教からも「空」観の重要性は学べます。
親鸞は、この「虚無感」を門徒の人々に対して、「むなしくすぐる」状態だと分かり易く説明しています。そして「本願力にあいぬればむなしくすぐるひとぞなき・・・」と言い切っています。私もその通りだと思う。

私に関して言えば、以上の様に言えます。
但し、日本人一般から言うと、よく言われる事ですが、「日本人は宗教を知らない!」。宗教を知らないのに、平気で「宗教とは・・・」とか、何とか言っている。全くお目出度く、幸せなのですよ(失礼)。
仏様・神様を、自分に都合の良い様に“利用”して操る、道具・奴隷・召使いぐらいにしか思っていない。そんなようにしか思っていないのが自分の心の真実なのに、仏様・神様の前では、自分の前にぶら下がった自分勝手な欲望を、是非にも何としてでも遂げさせてもらいたいために、うやうやしい態度で頭を垂れる。その態度にあるのは嘘しかないのであって、その姿に真実はないのです。
そして、お願いし頼む「幸福」が、自分の身勝手な幻想から生まれた「自力」=<妄念・妄想・妄執>だと気づくのを拒否して、ただ、ひたすら身と頭を低くして頼み込む。これは宗教的姿勢ではありません。世の中に通じない<程度の悪い取引>です。
これじゃー、その人自身こそが、道具や奴隷だよ!
こんなものが宗教か!?アホらしい。
「宗教であるはずはない」と分からないのだろうか?もはや、笑いすら出ない。
こんなものを宗教としか思っていないようなら、当に「日本人は宗教を知らない!」と言われバカにされ笑われて当たり前です。こんなものを宗教と思っている人は、自分という人間が非人間化されてしまっているのですよ。人間性が阻害されて非人間化に至っている状態にすら気づかない。
宗教とは、この非人間化した人間をまっとうな人間にする働きをするのです。
真宗では、阿弥陀如来に上で言った様な自分の身勝手な欲望の頼み事をする行為は、100%あり得ません。
上の様な宗教観しかないとすれば、その人が「空」観を理解するのは100%無理です。理解できるわけがない。それで、その人の人生は、ただ虚しく過ぎていくだけで終わってしまうでしょう。

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やってみなければわからない

「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」と言われたら、たった一つだけすぐに返せる言葉があります。
それは「やってみなければわからない」です。
「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」が排除していることは、「やりたくないこと」と「嫌いなこと」だけではありません。
「やってみなければわからない」ことも排除しているのです。
好きなこと・・・A
嫌いなこと・・・B
やってみなければ分からないこと・・C
こういう区分けが出来たとき、どちらに「生命」があると思いますか?
私は不思議研究が「好き」だから始めたわけではありません。もしもそうなら、「もっと好き」という領域に突っ走っているはずです。それは超能力かも知れないし、UFOかも知れません。
でも、講演会でいつも出す、「何でもあり」の図が、その答えです。私の研究は何でも良いのです。だって、やってみなければわからないからです。
そして実際にやってみた結果、こんなに不思議なことが多いとは思いませんでした。
もしも好き嫌いにこだわって、例えば超能力だけを追究していれば、生まれ変わりの村に行くこともありませんでした。六爻占術に出会うこともありませんでした。
しかし私以外の不思議研究者は、「専門分野」を持っている人が多いです。それはモンロー研究所だったり、脳波の研究だったりします。

さて、好きなことをして、金持ちになって、幸せになって、何が面白いでしょうか?
そりゃあ面白いでしょう(笑)。だけど・・・
そんなことは前提なのです。スタートラインに立つべき前に、処理しないといけないことなのです。なのに、それをゴールにしているのです(悲)。
「やってみなければわからない」・・それは電気の用語で言えば「カット・アンド・トライ」です。
億万長者のことを書く人の本には、「私は誰?」という話が出てこないです。
それはたぶん、「好きなこと」が見つかってしまったか、もしくは仮の「好きなこと」に、自分を封じ込めてしまったからだと思います。
「やってみなければわからない」・・これはリスクのある言葉です。
笑顔でありがとうと言い、人に感謝しなさいと言っている人には、このリスクある人生のスタートラインには立てないような気がします。
「あなたの大好きなことをしなさい」と言われたら、「やってみなければわからないので、好き嫌いはそれから決めます」と言います。
時空も「好きなこと」をしているのでしょうか?

『運命を変える未来からの情報』とDVDでは、時空の身になって考えるということをやっていました。
時空の身になるというのは、言い方を変えれば神の身になることでもあり、阿弥陀仏の身になることでもあります。
神は我々からすれば計り知れない存在であり、阿弥陀仏も計り知れない存在である・・という反論に遭うかも知れません。
また、そんなこと(神の身になること)は神を冒涜する行為だと言われるかも知れません。
しかし私にとって、この問いが最も下位に属する問いの一つなのです。
なぜかと言えば、これを考えることは、自分の利益(上位の問いへの答え)にならないからです。
さて、もしも時空が「好きなこと」をやったとしましょう(笑)。
辛い物が嫌いで甘い物が好きだとすれば、辛い物がこの世から少なくなります。
男よりも女が好きだったとすれば(笑)、女が多くなります。
こんな例を出すまでもなく、神が「俺って何が好きなんだろう?」という問いのもとに宇宙を作ったら、笑えませんか?
私なら「あんたの好きにはさせないぞ」と言って、ぶった斬りに行きます。
しかし神とて、「やってみなければわからない」という世界にまでぶっ飛ぶでしょうか?
全知全能のはずの神が、「やってみなければわからない」・・だと?(笑)
「おらおら!ええかげんにせいや」と言いたくなる関西人も出ると思います(笑)。
私は、ぶっ飛ぶと思います。
「やってみなければわからない」の反対語は、「やってみなくてもわかっている」です。
もしも神が「やってみなくてもわかっている」だとすれば、わざわざ宇宙を作る必要はなかったと思いませんか?
わざわざ作る必要があったのは、「やってみなければわからない」からではないでしょうか・・・。
時空ですら固定されていないのです。なのに、どうしてあなただけ「好きな」人生が歩めるのでしょうか?
直感力研究会報告

熱海の旅館で開かれた「直感力研究会」は、13万円という価格にもかかわらず、飛び入りで聴きに来た人が沢山いました。以下はその報告です。
<神坂さんの講演>
脳の松果体を大きくすると、時空からのインスピレーションが増えるそうです。松果体は意識するだけで大きくなるそうです。既に神坂さんは倍くらいになったそうです。CTスキャンで確認したそうです。
その結果、スピリット波動というものを受信し始めて、その記録を取り始めてもうすぐ一年になるそうです。
「個」があると、なかなか受信できないのではないかと言っていました。
お寺で、仏像が野獣を踏んづけているのに遭遇する時がありますが、あの野獣は「個」の象徴だそうです。
今回の神坂さんの話はバラエティに富み、みなさん楽しく聴いていました。
<森田の講演>
持ち時間は神坂さんと二人で4時間ですが、神坂さんが1時間半で終わったので、私は二時間半を使いました。
自分で喋っていて面白かったのは、やはり宇宙の輪廻の話です。視点が突然個から離れ、宇宙に広がる感じがするからです。

<船井さんの講演>
二日目の最後は船井さんの講演でした。その時の船井さんの名言を載せます。
●「先にタダで与えると得をする、先にタダでもらうと損をする。」
船井さんは、「不思議の友」を例に出して説明されました。
「先にタダでもらうと損をする」には笑えました。確かにそうですね。
●「人間は、ある部分は神を超える。神を超えたレベルになる人の言うことは参考になる。森田さんはその一人。神もたいしたことはない。」
うーん・・私は神を超えてはいない思うけど・・。
●「FOWのビデオで一番売れたのは森田さんと神坂さんのです。森田さんの講演は内容がビッシリ詰まっているからだと思います。」
はい・・
●「森田さんは高級レベルの人に向けて本を書くから、あまり売れない。KHさんやHAさんは初級レベルの人を相手にするから売れる。KHさんもHAさんも5分で喋れることを二時間かけて喋る」
ノーコメント(笑)
●「文化・芸術にたずさわる人は、最低級レベルの人間」
私のように「芸術家は猿以下です」と言うのではなく、一応人間のレベルとして扱っているところは、さすがに船井さん。
●「毎日5分だけポヤ〜として空(くう)になると良い。森田さんがアイソレーションタンクで経験したことを、日常でやることが大事です。」
ところで船井さんはとてもお元気で、若返ったように見えました。それは「ポヤ〜」の効果だと思います。完全に雑念からも解放されるのだそうです。

<夕食会>
夕食会は、熱海の旅館ならではの、広い畳の部屋に個人的にお膳が並んでいました。
私と神坂さんは、上座でした。お膳はそれぞれ独立しているので、話をする相手がいません(笑)。
それでも始まると、私と神坂さんの周りには、人だかりとなりました。話の相手をしながら、自分のお膳に集中していました(笑)。
<ラウンジでの飲み会>
六爻占術を真面目にやっている人がいました。知り合いの末期癌を運命変更で治してしまい、本人もビックリしているという人がいました。
<私の男装への評価>
久しぶりに終始男装でした。
「森田さんって、男装でもカッコいいですね」と多くの人から言われました(笑)。
「男装のときも色気が出ていて、ドキッとしました」と言う人もいました(笑)。

船井さんの講演


窓からの景色


神坂さんと車内で食べたお弁当
天人合一

『不思議の科学3』の文庫化がスタートしました。この連休は、それに費やします。
さて、私の人生が問いへの答えだと仮定したとき、本を出す一連の流れがとてもよく出来ていると思います。
私がトラさんに会ったのは、『不思議の科学』を出す前でした。
もしもその時点で六爻占術を信じていたらどうなったでしょうか・・・。
ひょっとすると「占いで人生を好転しよう」などと言う、上位の問いに侵された本を書いたかも知れません(笑)。
だってその頃は「私は原因」だったからです。
『不思議の科学』すなわち『「私は結果」原因の世界への旅』を出した後、『不思議の科学2』を経て、『不思議の科学3』を出しました。
『不思議の科学3』には、天人合一のことについて書いてあります。
当初、本の最後に、天人合一の瞑想法を載せるのはしつこいのではないかと思いました。でもそれは違ったようです。
『不思議の科学3』は『不思議の科学1』よりも先に在庫が無くなり、早めに絶版となりました。なので『不思議の科学3』を持っている人の方が少ないと思います。
その後『運命を変える未来からの情報』が出版されました。その本には、運命の変え方が書いてありました。
その方法の一つに、外応というやり方があります。外の音などを聞き、それで判断するのです。

コインを振ったりするのは意識を使うので、自分の内部の現象と言えそうです。
外の音などを聞くのは、自分の外部の現象です。
内と外が一つになるような修行法を、天人合一の瞑想法として『不思議の科学3』の巻末に載せました。
これによって的確に外応が起こる(取れる)ようになるのではないか・・ということに、『不思議の科学3』の文庫化を始めた今、気付きました。
『運命を変える未来からの情報』では「時空と一体になる」というフレーズを使ってますが、それはまさに「天人合一」なのです。
孫さんも天人合一ということをとても大切にします。
天と一体にならなければ何も出来ない・・、自分一人では何も出来ない・・と言います。
それはまさに、他力に乗ることでもあります。
今、『不思議の科学3』が文庫化されて世に出ることは、タイミングとしては抜群に良いというような気がしてなりません。
天人合一した時、自力と他力は一緒になると思います。
「縁」なのでしょうか、それとも「事象の内容と出会わすタイミング」なのでしょうか?

時空が制御する物事に、事象の内容と、それを出会わすタイミングがあると思います。
どちらがずれても「逃す」と思います。でも元々「縁」が原因なのでしょうか・・・。
実は六爻占術に出会った日本人は私の他に、もう一人いました。その人は考古学者(女性)でした。彼女の名前はテキスト第一巻のあとがきに出てきます。
彼女は中国語も堪能で、トラさんの家の近くにアパートまで借りて住みました。テキストの入力を手伝いました。そして私がチベットに行くために北京に寄った時、そのフロッピーを彼女から受け取りました。
彼女の六爻占術に対する感触は、あまり良いものではありませんでした。特にテキスト第一巻は運命変更が書いてないので、「死ぬ人は死んで」います(笑)。そういう事例の連続で、パソコンに入力している時に滅入ってきたと言っていました。
彼女にとって六爻占術は、事象の内容が合わなかったのか、それとも出会いのタイミングが悪かったのか、どちらかなのでしょうか?
しかし私の場合は、それよりも悪かったのです(笑)。
なぜなら、六爻占術を全く信じていなかったからです。考古学を研究していた彼女のほうがまだ近かったのではないかと思います。
でも時空は、内容でダメならタイミングの方を合わせてあげようとしたのでしょうか?
そうも言い切れません。なぜなら8年もかかったからです。その間、私とトラさんは何度も会っています。
タイミングなどというものは、無かったと思います。それを言うのなら、トラさんと最初に出会った日だったと思います。
トラさんは私と最初に出会う前、既にコインは振ってあったと言いました。だから、その後のストーリーは知っていたのです。
それがあるから、トラさんはじっと待ったのかも知れません。

六爻占術のテキストが彼女のパソコンに入力され始めた頃、トラさんはまだパソコンを持っていませんでした。だから私は、山西省にいる彼女とメールの交換をしていました。
私は彼女を通じてトラさんと連絡を取っていたのです。そしてトラさんが日本製のパソコンを買いたいというので、その機種の選定などをしていました。
だから六爻占術のテキストのフロッピーは、トラさん本人ではなく、もう一人の日本人から私に手渡されたのです。
それで彼女は日本に帰り、私とトラさんはチベットの旅に出ました。同時に日本製のパソコンをトラさんに渡して、トラさんとは毎日宿題のやりとりをするようになったのです。 バトンが私に渡された感じでした。
しかし元を正せば、私はトラさんにテキスト作製を強力に依頼したわけではありません。
彼女からフロッピーをもらった時、「ああ、とうとうこの『難物』が私のところに来てしまった」・・と思いました(笑)。
あの誠実なトラさんが作った物でなかったら、私は貰ったまま何もしなかったと思います。
不思議研には毎日多くの「物品」やら「書籍」が届きます。それは売り込みだったり、不思議な話の紹介だったりします。でもそれらをまともに取り扱うことは、ほとんどありませんから(失礼)。
だから、縁さえあれば、どんな内容のものでも、どんなタイミングであろうとも、「出会う」のではないかと思いました。
だとすれば「あのときあのチャンスを掴んでおけば良かった」という問題ではなさそうです。チャンスを掴めなどと書いてある本は、嘘だと思います(笑)。
むしろチャンスは、後から作られてくるものだと思います。
「チャンスを掴んだから俺は成功した」・・などという人は、大事なものを掴み損ねています(笑)。時空の秘密を解くチャンスを・・です。
縁を決めたのはいったい誰(何)か?

「チャンスを掴め」というフレーズは全く無効であることが、前の書き込みで分かりました。でもそれは本当にそうでしょうか?
チャンスを掴むかどうかは、目の前のエサに対する価値判断で変わってくるのではないでしょうか・・・。
例えば六爻占術について言えば、占いに関する価値判断を何もしなければ、私だって最初から興味を持って接したはずです。
つまりトラさんに出会う前に身につけた多くの常識が邪魔をしたのです。占いなどやってもしようがないと・・・。
「やってみなければわからない」というスタンスならば、何でもチャンスになるはずです。
しかし人は「やってみなくてもわかっている」と言い、チャンスを逃します。
さてここで、何世代にも渡り、あの世でスープを飲まなかった人がいたとします。
スープは忘れさせてくれる効果があるので、ずっと飲んでないと、経験則ガチガチの人になっているかも知れません。
「占いかい・・三代前の前世で凝ったけどね、あまり当たらなかったよ・・」
この人はきっと未来永劫に渡り、占いをやらないかも知れません。
そう考えるとスープを飲んだ人は凄いです。何だって初体験なのですから・・。
知らないということほど強いものはありません。無知ほどの武器はないのです(笑)。
うーん・・『スープを飲んだ人の生き方本』が来世では売れるかも知れません(笑)。
でもやはり、そうとも言えません。今問題になっているのは「縁」の問題だからです。

六爻占術の話に戻ります。トラさんも最初、六爻占術を無視しようとしました。
トラさんには元々ダンさんという親友がいました。ダンさんは四柱推命のプロの占い師でした。しかしトラさんは四柱推命にのめり込んだわけではありません。
占いを、距離を置いて見ていたようです。だから六爻占術がトラさんの前に出現したときも、冷ややかだっのです(笑)。
「最初は冗談半分に友達を占った」と、テキストにも書いてあります。
となると、やはりスープを飲んでガチガチになっていたとしても、縁さえあれば向こうから執拗に迫ってくるのです。
ではその縁を決めるのは一体誰(何)なのでしょうか?この問いには、まだ一度も挑戦していなかったはずでした。
六爻占術の縁が何故トラさんと私だったのでしょうか・・・。
それは下位の問いを持っていたからでしょうか・・。
でも「縁」が先ならば、問いは後から持たされたとも言えそうです。
と言っても時空に意志があるとも思えません。かといって「縁」が方程式の解だと言われても、「そうですね」と、即答する気にはなりません。
なぜなら「縁」には不思議な何かを感じるからです。
そんなことを言っているうちは、不思議の解明は出来ませんね(笑)。
侵されない問

縁の話題をちょっと中断して、モンロー研究所の話題を取り上げます。ちょうど『不思議の科学3』の文庫化で遭遇したからです。
さて、以下は「本のコーナー」に入った投稿です。
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坂○さんもついにこの手の本を出してしまったんですね。「マーフィー理論」を検証するとか言って・・・。
モンロー研究所がドンドン安っぽく見えてきてしまうような気がします。書いてある内容はそのへんにある「願望実現本」となんら変わりないと思うんです。。
願望実現のための3つのポイントってあったんですが、その中の一つに見えない存在からの力を借りるみたいなことが書いてあるのを目にして息が止まるのを覚えました。そして3つ目には定番の「自分の思いを強く」すれば願いは叶う・・・もういい加減にしてくれ〜と思いました(笑)。

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次は『不思議の科学3』に私が書いた文章です。
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モンロー研究所で、あのイヤな奴に遭遇してしまいました
その夜のことでした。きょうは特別ゲストが来ていて、その人の話を聞いてもらいますと言われたので、私はカメラを持ってミーティングルームに行こうとしました。そのとき、玄関であのイヤな奴に出くわしてしまったのです。
以前、「お前の英語は全然わからない」、「お前のやっている研究など、アメリカでは百年も前にやっているよ」と言う嫌味を言ったヤツです。
・・・・・・まさか、特別ゲストとはこいつでは・・・・・・、
という私の読みは当たっていました。
彼のスピーチが始まりました。
「私は変わったのです。そこにいるケンと一緒に受けたフォーカス三五のプログラムでです」
ふむふむ・・・・・・。
彼は続けます。
「私は科学者です。私は物質という視点から研究してきました。しかし私はモンロー研で多くの体験をしました。フォーカス一二では、空間がなくなるという経験をしました。そのとき空間とは何だろうと考えました。フォーカス一五では、時間がなくなりました。そのとき時間とは何だと思いました。その後、私は何度かフォーカス三五へのコースを受け、実際に体験することができました。その世界で私はユニティ(一つであること)を体験しました。そのとき、そこにいるケンが格闘していた“Who are you?”という問題に初めてぶつかったのです。私はずっと外の世界探索をしてきました。しかし一番の問題は私は誰かということです」
彼は上の世界は一つにつながっていること、愛が大切だということなどを、とつとつとしゃべりました。
イヤな奴がいい奴になってしまいました。
そして彼は、地球がいい波動を持つためにビジョンを持たなければならないといいました。
「みなさん、最近は車のナビゲーションは、衛星の電波とCDマップを使っているでしょう。目的地をインプットすれば自動的にナビゲートしてくれます。目的さえ持てば良いのです」
と締めくくりました。みんなからは感動の拍手が送られました。彼は満足した顔で私を見ました。私は苦笑いをしました。
私はよほど反論しようと思いました。
「ナビゲートしてくれる人生が面白いですか?」と。
彼はビジョンの中で生きていると思います。
セッションの一つに、二〇五〇年を見に行くというプログラムがありました。それはビジョンを作るためなのです。
思った通りの未来が開ける・・・・・・未来は自分で作っている・・・・・・。ここモンロー研究所でもアメリカナイズされた世界観が主流です。
我々は目的を持って生まれてきた・・・・・・バースビジョン・・・・・・。
まるでナビゲーションシステムです。
幸せになるために・・・・・・欠点を直すために生まれてきた・・・・・・。
まるで目的指向のビジネスです。
しかし、今回のモンロー研究所では、私は人の意見に対する反論はしませんでした。
その代わり、自分の体験を一生懸命にしゃべりました。
やはり、人は反論では変わらないのではないでしょうか・・・・・・。
発表をした彼が変わったのは、当時、私がドアとのやりとりをとつとつと発表していたからかもしれません。
“Who are you?”
どんな科学もどんな探究も、ここから出発すべきだと思います。

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さて、モンロー研究所に行ったとしても、私と同じような経験をする人は稀ではないかと思います。
なぜなら、「本当の自分を見つけましょう」とか、「ビジョンを作りましょう」などというプログラムばかりだからです。
『「私は結果」原因の世界への旅』でもそれを書いた部分がありました。来世の人生のプランニングをするというところです。
私はガンガン反論しました。拙い英語でよくまあ、反論したと思います(笑)。
つまり下位の問いが甘いと、上位から一気に斬られます(笑)。
モンロー研究所のプログラムを正統的に受けてくれば、坂○さんの本になるのは当然なのです。誰もそれを咎めることが出来ません。
考えてもみて下さい。行く場所は「あのモンロー研究所」です。森田健が多くのインスピレーションに出会っている場所です(笑)。
しかし森田健はモンロー研のマイナスの部分をほとんど書いていないので、行った人はそのまま鵜呑みにする可能性が大です。
そしてセッションが始まれば、精神世界どっぷりのコースに早変わりします。
そういうとき私は、自分の下位の問いだけが頼りでした。発表の時でも“Who are you?”を繰り返しました。
そしてあの科学者は気付きました。「そのとき、そこにいるケンが格闘していた“Who are you?”という問題に初めてぶつかったのです。私はずっと外の世界探索をしてきました。しかし一番の問題は私は誰かということです。」
にも関わらず彼は「目的さえ持てば良いのです」と締めくくったのです。
下位の問いを持つのは簡単です。でも環境に「侵されない」ことの方が大切だと思います。
モンロー研のような「高尚な場」で、子供みたいな問い“Who are you?”を繰り返すのは、結構大変なのです。
下位の問いと器の広さ

「はじめてなの」のコーナーに「宮台真司氏は器が広い、正直、もりけんさんの時空追求は宮台氏、宮台氏の師匠である小室直樹氏、見田宗介氏(真木悠介)の持つ世界観と知識量に比べるとまだまだ小さいと思いました。がんばれもりけん!」という書き込みあり、それに触発されて「下位の問いと器の広さ」について考えてみます。
私は器が狭いです。でも器が広いと、下位の問いは持てないような気がしています。
私はこのHPの中で、よく人を斬ります。出て行けと言います(笑)。こんなに厳しいHPも少ないと思います。それは私の器が小さいからです。
もしも器が大きければ「あなたの考え方もアリですよね・・。自分の考えに合わないからと言って、人を追い出してはいけないですよね」となるはずです。
しかし、前回アップした書き込みでは、モンロー研究所で発表した科学者に「苦笑」しました。つまり彼を、私の器に入れたわけではないのです。それは私の器が狭いからです。
私は昼間、りんごの部屋で過ごします。それさえ、非常に狭い選択なのです。それ以外、考えられません(笑)。
携帯電話は持って行きますが、そこに会社から電話が入るだけで不愉快になります(笑)。
つまり非常な緊張感を持って毎日を過ごしているのです。なのに、ブレた人を許容することが出来ましょうか?(笑)
例えば私が職業としての作家であったり、バリバリの三次元的経営者であったとします。
そうだとすれば、器は少しは広くなると思います。だって作家業や経営者をするためには多くの情報が必要だからです。
宮台氏の様に、「お祭りや、映画や音楽などのサブカルチャーに耽溺することが何よりも一番大好き」になるかも知れません。でも私は器が狭いのです。

ところで16歳までは、とても器が広かったです。先生の言うこと、親の言うこと、世間の言うこと・・・全て受け入れていました。
でも逆に、こんな人生、早く終わって欲しいと思っていました。
器が広かった頃、私は「生きていなかった」のです。
でも下位の問いに目覚めてからは、自分がナイフのように鋭くなったと感じました。
生きているうちにヤツの正体を解明したいと思いました。一瞬一瞬が貴重になりました。
つまらないヤツとは付き合いたくないと思いました。
お祭りや、映画や音楽などのサブカルチャーに耽溺することはなくなりました。
そんなことをするよりは、何もしない方がマシになったのです。
そう言えば、27年前の今日、富士通に辞表を出しました。27歳のことでしたから、あれからちょうど倍生きたのですね。
あの日も、ナイフは光っていました。この一瞬を逃してはならないと思いました。
私の器は、点のように狭くなっていたと思います。
「私が原因」で「問い」を持つのでしょうか?

「縁とチャンス」の話題の時、私が六爻占術に出会ったのは下位の問いを持ったことが原因だというレスが多かったです。
そうだとすれば、「自由意志=下位の問い」ということになりそうです。
そして「原因=下位の問い」という関係式も成り立ちそうです。
これは本当でしょうか?しかし・・です。
もしも下位の問いすら持たされていたら、我々はがんじがらめだと言えそうです。
そうだとすれば、運命変更ということも「織り込み済み」になってしまいます。「変更」という言葉すら不的確になります。
でも運命変更した後は、年運には出ていなかった領域に入ります。ということは「変更」は「織り込み済み」ではありません。ちゃんと「変更」していたのです。
では次の問題です。問いは、自由意志でしょうか?それも腑に落ちません。
『運命を変える未来からの情報』では励起パルスという言葉を出しました。五次元から「問わなくてもいいの?」というパルスが降ってくるという仮説です。
それが正しいとすれば、今度は「チャンス」という概念が出てきそうです。「励起パルスのチャンスを生かしたかどうか」ということです。
励起パルスは本当に「問わなくてもいいの?」なのでしょうか?(笑)
というのは、「問わなくてもいいの?」・・には、人間的なものを感じるからです。まるで生きている時空から、レスをもらっているような感じです。
例えば私が高校生の時、物理の時間に黒板を見ているときを見計らって、「問わなくてもいいの?」と囁いたのでしょうか?
これではまるで高次元のガイドです。精神世界の話ではあるまいし、ガイドや守護霊で説明されても困ります。
それにそういう存在がいたとしても、彼らとて運命から逃れられていないはずです。
そうなると、励起パルスは定期的に、誰それ構わず降ってきているのでしょうか?
そしてその「チャンス」を掴んだ人が、下位の問いを獲得できるのでしょうか?
そうなると、その部分のみ「私は原因」になるはずです。
たまには結論(仮説)の無い書き込みも、良いものでしょう?
疑問文禁止なのに、私は管理者なので、疑問文を連発してしまいました(笑)。
励起パルスは、「ゼロ」か?

五次元から私達に対して「問わなくてもいいの?」というパルスが降ってくるから、それが契機として「問い」が発生するという図式でした。
ここで一つの事実を見逃していました。それはパルスとは、イチとゼロで構成されていることです。私は今まで、イチしか見ていませんでした。
コインにも裏表があり、六爻占術では裏の数を基本として数えます。裏は陰です。
レーダーも短いパルスを発射して、その後長いこと待ちます。その「待ち」の時間の方が重要なくらいです。
つまりゼロも、一つの大きな情報なのです。あの世でスープを飲むことも、価値観をゼロにすることです。
だとすれば、励起パルスが「1」とは限りません。
考えてみれば、下位の問いを持つ瞬間は、フッと意識が遠のくような感じがします。富士通で景色がセピア色になった時も、その感覚がありました。
16歳のとき、先生が黒板に方程式を書いていたはずなのに、私は暗黒の宇宙に放り出されたように思えました。何秒か経って、私は教室に戻ったのです。
その間、私は「1」ではなく「0」だったような気がします。
「1」が上位だとすれば「0」は下位・・・
しかしゼロをゼロとして受信することは、もしかすると大変なことかも知れません。
鉄の釘に磁石をくっつけておくと、釘が次第に磁石になります。そのとき元の磁石を引き離しても磁石のままです。
ゼロを受信するためには、磁石を引き離した瞬間、ゼロにならないといけないと思います。
励起パルスなどというものが存在するかどうかさえ分かりませんが、こうやって考えてみるだけでも楽しいですね。
マスターとガイド

孫さんが来ている折りでもあり、孫さんの超能力について考えてみたいと思います。
孫さんは他の超能力者がやることは、やりません。
彼女は、スプーン曲げなどはやらないからです。それは、やらないからなのか、やれないからなのか、分かりません(笑)。
たぶん、やらないのだと思います(今度、聞いてみます)。
孫さんの超能力の特徴は、「戻ること」にあると思います。
ピーナッツを生に戻し、そこから芽を出します、ゆで卵を生卵に戻します、等々・・。
孫さんは言います。「これらは天目が開けば、誰でもが出来ます。私はセミナーでは、天目を開けることと、開いた後の技術を伝授することです。」
その技術は、高次元のマスターと言われる存在から教えられたものが多いです。
しかしマスターはメンターではありません。孫さんのマスターは、孫さんの生き方や私の生き方には、絶対に口を出しません。どこぞの本に出てくるガイドなどとも異なります。
マスターは、「技術」を伝授出来なければ、存在意義を失うのです。だからマスターとして必死です(笑)。何も出来ないと孫さんや私から何を言われるか分かりません(笑)。
さて、どこぞの本に出てくるガイドは、きっとこんなことを言うでしょう
「技術は地球人が努力して見つけていくものです。私たちが口を出すべきものではありません。私たちは地球人のあなた方が、道を間違えないようにガイドしているのです。あなた方の精神成長の手助けをするのが、私達の仕事なのです。」
うーん・・孫さんのマスターとは違う・・
孫さんのマスターの一人は、チベット密教の創始者、ツンカバです。ツンカバの弟子が、ダライラマ一世です。
だとすれば、ツンカバは、悟った人ではないでしょうか・・・。悟った人がどうして孫さんに技術を教えているのでしょうか・・。
また、孫さんの後ろには宇宙人もいます。しかしアミのように、愛の度数計など持ち出しません(笑)。

『戻ってきたアミ(徳間書店)』には次のことが書いてあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
アミにそう説明されたけれども、可愛そうなあの人達を置き去りにするのは、何か彼らに対する報復でもあるかのような気がした。
しかしアミは言いました。
「そうじゃないんだよ。ただ”よい種”を選択しているんだよ。よい人たちだけによって、戸を開け放したままでも安心して眠れるような、自分のものを兄弟と同じように他人が自由に使ってもいいような、安全な社会を作りだせるんだ。残された人たちは残念だけど”よい種”ではないんだ」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
愛の度数が700を境として選別をするオフィル星人(アミの住んでいる星の人達)・・。
アミみたいのがいるかと思えば、蘇生の技術を教えてくれる宇宙人もいるのです。
この差は、何なのでしょうか?
明日から始まるセミナーは、高次元のマスターから教わったことも沢山含まれるのです。
六爻占術も”叡智(えいち)”だと思いますが、孫さんの超能力も”叡智(えいち)”だと思います。今の地球人の「技術」を超えているからです。
主催者は、「みんなのため」に主催するのでしょうか?

孫さんセミナーは刺激的でした。何が刺激的かといえば、自分の思考が・・・です(笑)。
瞑想中は、「考えて、考えて、考えまくる」というのが私のやりかたです(笑)。
特に孫さんセミナーは瞑想の時間が三回もあるので、その間ずっとメインメモリに浮遊することが出来ます。私の仕事と言えば、時々のBGMを変えることくらいしかありません。瞑想中は誰からも話しかけられないので、浮遊しっぱなしです。
それで五行が結果だったという仮説が生まれたことは、次なる仮説に大きく影響しそうです。
ところで主催者というのは、参加者の能力開発のために、何かをしないといけないでしょうか?
さらに言えば、主催者自身が能力開発を何もしていないで、良いものでしょうか?
私は孫さんセミナーを「手段」としてしか考えていません。それも自分自身のための手段です。参加者の「能力開発」など、二の次なのです。
それどころか、「私達はみなさんのためにやっているのです」などというセミナー団体がいると、鳥肌が立ちそうです(笑)。
主催者というのは、自分のためにやる方が良いと思います。私の場合は、「真理への気付きを得るため」です。
でもその気付きは、セミナー中にみなさんに対して発表させてもらいました。決して独り占めしようとは思いません。

懇親会も自分のためです(笑)。「私自身」の発表の場なのです。だから楽しくて仕方がないです。
私は懇親会も目一杯楽しみたいです。だから誰かが発表(自己紹介)している時、他の参加者が料理を取りに行ったり、近くの人とお喋りされては困るのです。
みなさんにとっては、好きなときに料理を取り、勝手にお喋りが出来た方が楽しいかも知れません。私が「みんなのため」に主催していれば、そういうのを「NO」とは言わないかも知れません。
だから「NO」と言う私は、器が狭いのです(笑)。
私は私のため、ピンポイントの運営をしています。

初級コースの懇親会での乾杯シーン


深いスリット(笑)


内部告発

私が入社したときの新入社員歓迎会で、早口言葉を披露しました。放送研究会だったので得意だったからです。
それを、当時の課長が「おお、社を上げて早口言葉大会をやろう」と言い、同じ階にあった常務室を借り切って、そこで私が審査員としてやりました。
問題用紙は、階の全員に配布されました(笑)。
そして仕事中に一人ひとり私の所(常務室)に来て、早口言葉を言うのです。私は新入社員なので、ほとんど全員が年上です。
当時の常務は出張中で、自分の部屋でそんな事が行われているとは、全く知りません。
その後、女子社員による男性人気投票を言い出したのも課長です。
その課長は人事部長に昇格して、人事部に行きました。そして最後は副社長になります。
課員から新しい課長が出て、彼は私を留学に送り出してくれることになるのですが、ある日課長は室長から呼ばれました(室長は一つ上の階にいたので実情を知りません)。
「君の課員は全員遊んでいる・・という内部告発書が届いたよ。本当かね?」と訊かれた課長は、心の中で思ったそうです。「遊んでいるのは本当だよな・・」
その課長も最後は常務になります。当時一緒だった課員のほとんどは、取締役にはなっていました。
ということは、遊んでいると内部告発されるくらいの方が良いかも・・と。
自分も入りたかったのではないか・・と、課長は言っていました(笑)。
カリスマ性

昨日は富士通の私の所属していた部の同窓会でした。
会場の料亭に着くと、どっかりと真ん中に座っている人がいました。
私が配属された当時の課長でした。彼の名をM氏とします。M氏は私を見ると言いました。
「あれ、君も富士通だっけ?」
「えっ・・?(汗)」
あまりの質問に、答えを失う私・・(笑)。
「あのとき何で辞めたの?」
「えーと・・・」
私が答えに詰まっていると、先に来た先輩が言いました。
「森田君は、富士通は給料が安いから早く辞めたいと、いつも言ってましたよ。」
「わはははは、そうか、それが理由だったのか・・君が何で辞めたのか、サッパリ分からなかったんだ・・わはははは」

というわけで、今回の書き込みはM氏に関することです。テーマは「カリスマ性」です。
M氏は私が入社早々、早口言葉大会をやりました。私が放送研究会だったのでそれを宴会で披露したのが原因です。
主張中の常務の部屋を使い、私が審査員で、フロアの人たちに早口言葉を言わせたのです。仕事中なのに半日がかりで・・
その後、富士通本社男性人気投票を企画したのもM氏です。それは早口言葉大会の比ではありません。全社をあげて、一ヶ月かけて行われたからです。
ルールは「何でもあり」でした。買収、職権乱用、すべてアリです。
まずは二週間かけて「いい男50人」がノミネートされます。それに載らないとアウトです。
そしてまた、二週間かけて、何でもアリの運動が決選投票日まで行われます。
私は何もしませんでしたが、チョコレートなどを買って女子社員にばらまく人も出現しました。
交際費を使って女性を食事に誘った管理職もいたと言います。
つまり本社全体が「浮き足立った」のです。それを仕掛けたのは、まだ駆け出しの課長(M氏)です。みなさんなら、出来ますか?
M氏は部長、室長の許可を得ていません。だって許可を得ようとすれば当然却下されるからです。
おそらく役員の中には、「全社一丸となってIBMに対抗しているのに、そんなことを企画したヤツは誰だ?」というチャチを入れた人もいるはずです。
営業からのし上がった役員には、「夜討ち朝駆けで客のところに足を運んでいる営業もいるのに、本社だけこんなことをして、いいはずがない」と言った人もいるはずです。
しかしM氏は、やり通してしまいました。
富士通には1000人を超える課長がいるはずです。
失敗をしないことが日本の会社で出世する方法です。つまらないことで目を付けなれないことが日本の会社で出世する方法です。だから普通は出来ることではありません。
ましてや人気投票などという、業務とは関係ないイベントです。
広告代理店などならまだしも、大型コンピュータを作っているお堅い会社です。
しかしM氏は、チャチを跳ね返してしまいました。彼にはカリスマ性があったと思います。
カリスマ性とは何か?と訊かれても、私には答えることが出来ません。

同窓会でM氏は、ずっと笑顔でした。彼の周りにひとつの女性の輪ができました(もう一つの輪は私の周りです(笑))
彼の話題は豊富です。女性を笑わす話題も持っています。体型もスマートで偉ぶっているところがありません。
しかし彼は温和ばかりではありません。仕事で、ものすごく怒ったところを見たことがあります。
しかも上司にへつらうこともありません。まだ彼が課長だったころ、役員室から「君のような青二才に何が分かる?!」という怒鳴り声が聞こえたこともあるそうです。
しかし数分後に、M氏は平然とその部屋から出てきたそうです。
ところで男性人気投票により、社内は活性化されました。少なくてもノミネートされた男性50人は有名人になりました。
そして彼らは、自分自身により磨きをかけるようになりました(笑)。ノミネートされなかった人達は「今度こそ」と思うようになりました。
女子社員への扱いも優しくなりました。だっていつまた投票が行われるか分からないからです(笑)。
そんな期待の中、M氏は本社を離れることになりました。ものすごく怒った役員の差し金かも知れませんでした。誰しもが「終わった」と思いました。
しかしそれは、次へのステップの序章に過ぎなかったのです。
彼が副社長になったと聞いた時、「予想を上回った」と思いました。そこまで行くとは思っていなかったからです。
彼の最大の財産、それはカリスマ性だと思います。でもカリスマ性って、何でしょうか?
崖っぷち

同窓会には20人くらいが集まりました。私の部は10名程度でしたので、周辺の部の人も「見学参加」したのです(笑)。
それほど私たちの部は、「名物の部」だったのかも知れません。
部員のほぼ全員が取締役以上になりました。これってものすごく確率が高いことだと思います。だって役員はせいぜい20名程度しか存在しないからです。
何故みんなこれほど出世できたのでしょうか・・その答えが例のイベントにあるような気がしました。
配属されて一週間目で、常務室の広い机にどっかりとふんぞり返り、年上の人たちの早口言葉を採点する私・・。
早口言葉はうまく言えないと可笑しくなります。私は何度も大笑いをしました(笑)。つられて参加者も大笑いをしました。
この結果、私に何の変化が起こったと思いますか?「引けない」・・と思ったのです。
私は配属一週間で「崖っぷち状態」にさせられたのです。
この表現は分かりにくいので、男性人気投票で説明します。
一ヶ月にわたる大イベント「男性人気投票」で、私たちの部は、崖っぷちに立たされたのです。
マンガ『スラムダンク』にこんなシーンがあります。
山王高校と戦っている時、主役の桜木は来賓席に駆け上がり、「ヤマオーは俺が倒す」と大声で叫びます。そしてコートに戻った桜木は言います。「これで勝つしかねーだろう。」
そうなのです。これで負けたらタダのバカチームです。
同じことは私達の部にも言えました。全社を巻き込んでバカなイベントをやる部・・仕事で勝たなければタダのバカチームです。

内部告発の手紙が届いたことは既に書きました。もちろん同じ部ではなく、同じフロアの他の部の人の告発文です。
それを室長から見せられた課長は「フンフン・・わははは」と笑っただったそうです。
そして20年間、その手紙が日の目を見ることはありませんでした。
なぜなら私達の部は、常に崖っぷちだということを課長は知っていたからです。
そんな告発の手紙のために、うわべを直してもしようがないのです。
私達はホンチャンで勝たないといけなかったのです。
つまり課長にすれば、その告発の手紙が来ることは計算に入っていたような気がします。
「崖っぷち」を、わざわざ自分で作り出していたのです。

実は、早口言葉大会が実行に移された時、私は思いました。
「この課長はマジなんだ。サラリーマンのくせにマジに勝負しようとしているんだ」・・と。
人気投票の一ヶ月の間、最も仕事をしていたのは、事務局である我々の部だったと思います。
私は当時、アメリカに進出するためのプラン作りをしていました。それは大型コンピュータを使ってシュミレーションをする必要がありました。コンピュータラボに何日も泊まりこみました。
そうして出来上がった資料は、役員の間に回り、良い資料だと評判になりました(私の資料はだいたい評判が良いのですが)。
他の部員達も同様でした。批判の矢は、仕事の結果で返すしかなかったのです。
M氏を始め、私達の部の人達が出世できたのは、本当はカリスマ性などではなく、崖っぷちを自ら作り出す能力にあったのではないでしょうか・・。
「お前みたいな青二才に何がわかる?」・・M氏が役員から怒鳴られたのも、それをされるためにその役員室に入ったのかも知れません。
自分は言いたいことは言った、その役員はフロアに聞こえる声で怒鳴った・・。これで両者が崖っぷちに立ったのです。
そして時が過ぎ、その役員は失脚し、代わりにM氏がその部屋の住人になるのです。
怒鳴った役員は崖っぷちに負け、M氏は崖っぷちに勝ったのです。
もしも私たち部員があのとき仕事の成果を出さなければ、告発書が力を持ち、私達の部そのものが危なくなったかも知れません。
いえ、それは違います。いつもいつも、危なかったからです(笑)。
サラリーマンではあっても、安全圏でばかり仕事をこなしていては面白くないのではないでしょうか。
(私が最初に女装したときも、大きな「崖っぷち」を感じました(笑))

私は今まで、どんな状況でも自分が崖っぷちだと思ったことはなく、あくまで「後から考えてみれば」という仮説です。
今が崖っぷちなんて考えているヤツは、野原の真ん中で妄想しているだけかも知れません。
やっている本人は楽しくてしようがないのだから、崖っぷちなど感じているわけはありません。
昔、学生時代に、どこででも逆立ちするヤツがいました。切り立った堤防の上とか、屋上の手すりとかで逆立ちをしていました。
その時は何でもないのだけれど、後から考えると恐怖だと言っていました(笑)。
賭博の持つ効能

富士通では昼休みにギャンブルをやっていました。もちろん私の課の主催です。
フロアーの真ん中に大きなテーブルがあり、普段は会議に使うのですが、そこがギャンブル会場になるのです。
トランプを使ったギャンブルで、昼休みの一回で数千円が負けたり勝ったりして飛び交いました。
私はギャンブルでは勝てません。
課長は私を見て言いました。「森田君、今いいカードが来たね?顔に出ているよ」(笑)。
そうなのです。私は嬉しさが顔に出てしまうタイプなのです(笑)。そういう意味では、私は勝負師ではありません。
しかしM氏は顔に全く出ません。どんな良いカードが来ても、ポーカーフェイスです。当然、M氏は勝ち越しました。
本社広しと言えども、昼休みに札びらが飛び交うところは、私の課だけでした。もちろん他の課の人も時々参加します。でも彼らは一様に言います。
「公然とこんな事してていいの?告発されたらヤバイですよ」
でもそのとき先輩が言いました。「M課長もやっているでしょ?」
そうなのです。M課長がやらなかったら、我々はとても出来ないのです。
昼休みのフロアーのど真ん中で、賭博をやる課・・・時々高い歓声が上がる大テーブル・・・盛り上がる賭博場・・・
それを取り仕切っていたのは、M氏だったのです。

テレビなどでは、ギャングが「でかい山」の仕事をした後、ギャンブルに興じる場面が出てきます。たぶん「相殺する」からだと思います。
水商売の女性には、一ヶ月かけて稼いだお金を、ホストクラブでパーと使う人がいると聞きます。たぶん「相殺する」からだと思います。
お金を賭けたゲームは、それだけでドキドキ感があります。毎日、競馬をやるようなものです。
それは午後の仕事にどう影響したか・・・、想像がつくと思いませんか?午後の仕事だって活気が出ないわけはありません。
しかし・・・留学から帰ると、課長も部長も本社にはいなくて、賭博はもちろん消えていました。
だから、もしも賭博が続いていると、私は辞められなかったかも知れません(笑)。
(ギャンブルが好きな方、たぶんこの感覚は分かるのではないでしょうか・・・)
伝説の課は、あの手この手で、自分自身のエネルギーを上げていたような気がします。
神も崖っぷちでカードを切るしかない

今回の富士通の話は、カリスマ性から始まりました。
カリスマ性と言うと、私には一つのイメージがありました。それは神です。
高校時代に抱いた神のイメージは、カリスマ性なのです。それは一人で勝手にルールを決めて、上から見ている存在です。
私の下位の問いは、ここからスタートしたのです。
そして不思議研究所を作り、多くの調査を行っているうちに、神は時空という言葉に置き換えられました。つまりカリスマ性が崩壊したのです。
この感覚は、それまで持っていたあらゆる存在に当てはまりました。
ガイドと言われる存在・・マスターと言われる存在・・
すべて、そのカリスマ性が無くなったのです。存在はすべて同等だったのです。
富士通の話で次に出たのが崖っぷちという単語でした。
早口言葉大会や男性人気投票などで、私の課はいやおうなく崖っぷちに立たされました。
告発の手紙が届いても、それを無視する課長・・・。
私たちはいい訳が出来ない世界に入り、結果を出すしかなくなったのです。
ひょっとして時空もそうではないでしょうか?
今までの神の概念のように、我々を作って高みの見物をして、下の者たちを評価している存在でしょうか?
そんなことはなく、神こそが崖っぷちに立っているのではないでしょうか・・・
なぜなら前代未聞の賭け事をやっているからです。
神にも勝てる保証はありません。勝つか負けるか・・その確率はフィフティフィフティ・・
神は、どでかい山を張っているのです。私もそのゲームに加わることを決めました。
そして神のカードは、ジョーカーばかりでしょうか?いえ、そんなことはなさそうです。
ジョーカーばかりなら、それを「賭」とは言いません。
神も崖っぷちでカードを切るしかないのです・・。
書き込み期間:2005/02/02〜2005/02/27