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テーマ:「仙道修行2000.07(1)」 |
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書き込み期間:2000/06/29〜2000/07/12 |
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要旨:
導師との仙道修行のため、中国へ向かいました。意識と無意識の合一の旅になりそうです。
龍門洞直営ホテルでの瞑想中、私の過去または夢のパノラマショーが次々と見えました。そして、「無意識を意識の次元に上げるのではなく、意識が無意識の次元に降りる」というインスピレーションを受けました。さらに、意識と無意識はどちらも主体ではないという仮説も浮かびました。
意識で無意識を変える方法はあると思います。それは24時間考え続けるということです。といっても、本当に24時間意識し続けているわけではありません。
別の言い方をすれば、常に「引かない」でいるということなのです。そうすると、意識からのセンサーが無意識に降りた状態になります。
私は道教に出会ってから無意識の素晴らしさを強調してきましたが、今回は意識と無意識の両方を対等に見られるようになりました。
引かないということは強い意志を持つことだと思う人は多いと思いますが、逆です。
佐佐木浩二さんの説によれば、三次元ではエネルギーが強いほどスピードは高まり、高次元ではエネルギーが弱いほどスピードは高まるのだそうです。
意識から無意識に信号を送る時は、強い願いを込めるとかえって届きません。逆に無意識から信号が送られてきた時、「〜しなればならない」という意志を強く持っているとかき消されてしまいます。
ということは、引いていないというのは実はとても弱い状態なのです。
導師の生まれ故郷の旅は、連日の山岳登山となりました。その中でも、風が一番印象に残っているのです。それもかすかな風です。
松の木のエナジーからも、マスターの存在からも、風を感じました。
導師は、「エネルギーが入ると風のように軽くなります」と言いました。「風が吹くところどこにでも仙人・仙女はいます」とも言いました。
意味を求めずただ風に身を任せるような、素晴らしい世界を感じた旅でした。
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○ ではでは・・(2000/06/29)
○ 飛行機の中で(2000/06/29)
○ 龍門洞(2000/07/02)
○ 夢のパノラマショー(2000/07/03)
○ 子連れの導師と共に(2000/07/05)
○ バックアップ(2000/07/05)
○ センサーを降ろす(2000/07/06)
○ 意識と無意識は恋人同士(2000/07/07)
○ 弱いほど強い(2000/07/08)
○ 同時並行処理(2000/07/09)
○ トトロの里と仙女の里(2000/07/10)
○ 風(2000/07/11)
○ 軽く・・軽く・・風のように・・(2000/07/12)
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ではでは・・(2000/06/29)
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私の今回の「中国山中」ですが、導師が来日したとき行われたトランプ占いで決定されました。
「シンデンシェンはなんて運がいいんだ」と言われ、この計画が実行されたわけです。
この計画とは、洞穴での修行です。露水と言われるカスミを食べるのだと言われました。
しかし常識は何度も覆される仙道修行ですので、どうなるか分かりません。
香港で行った天人合一から、(たぶん)江西省の山中へ・・・。
修行はマーケットの中でしなければならないとか、四徳が大事だとかいう仙道で、「山中」の意味は何なのでしょうか?
いずれにしても流れに乗るだけです。
雨の成田空港もなかなか良い感じです。雲の上はいつも晴れ。でも晴れてばかりじゃつまらないから雨も降る。
都会と洞窟・・さて、いよいよ開始です。
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飛行機の中で(2000/06/29)
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今は、香港への機内です。
ここに来る前、『不思議の友』の編集作業に追われていました。
『不思議の友』の前書きでは意識と無意識について書いていました。意識は過去、無意識は現在と未来に関係していると書きました。
なぜ分かれているのか・・その一つの例として、佐佐木康二さんが計算したスピードとエネルギーの話を載せました。
「私たちが住む三次元プラス時間の世界では、最も速いのは光のスピードです。そのスピードに近づくためにはエネルギーをどんどんインプットしなければなりません。ここまでは私たちも知っています。
さてその上の次元ではどうなるのでしょうか。
その上の次元では最低スピードが光速で最高スピードは無限大だと言います。そして無限大のスピードにするためにはエネルギーをゼロにしないといけないのです。
一つ上の次元ではエネルギーを入れれば入れるほど遅くなると言うのです。」
一応これは、印刷物に載るので彼の所に送り、添削を依頼しました。すると次のような解答が返ってきました。
「森田さんの文章だとこの三次元の世界とその上の次元は、まるで切り離されているような感じを受けます。しかし切り離して考えることは出来ません。なぜなら量子力学の世界では上のような状況が、この三次元の世界で起こっているからです」という解答でした。
私自身はまだ「切り離された状態」にいます。
「意識と無意識は一つだ」というような言い方は、これを言ってしまうと言語の方が先行してしまうのです。
というわけで佐佐木さんの件は、私の仮説としての文章に書き換えました。
そんなこともあり、この中国行きは、意識と無意識の合一の旅になるような気がします。まぁ、気がするだけで何とも言えませんが・・・。
成田を出てから二時間が経過しています。太平洋上を飛ぶこの飛行機は、もちろん光速を越えることは出来ません。
しかし佐佐木さんの件は、「私達が住む三次元の世界は・・・」といつも言っている言葉が、ひょっとすると先入観であることを示唆しています。
香港に着くと、電車とバスとタクシーを乗り継ぎシンセンに向かいますが、合計三回も通関しなければならず、この三次元も大変です(笑)。
五時半に起きて出発し、着くのは18時を過ぎるでしょう。北京よりも大変です。
これがアップされた時は、無事にシンセンに着いた時です。
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龍門洞(2000/07/02)
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龍門洞という洞窟に着きました。で・・・私達は登り始めました。
この画像は、登っている途中で撮ったものです。左から、香港の弟子、私、導師、そして女性の道士2人です。女性の道士はこの洞窟の管理人兼案内人です。
今回沢山の写真を撮りましたが、この女性の道士を出したくてこの写真をピックアップしました。
ここでは女性の道士が男性以上に機敏に働いています。この道案内も相当危険な個所を行かなければなりません。断崖絶壁を垂直に立てられた梯子で登ったりするのです。それでもこの女性道士はサッサと登ります。何だかとても清々しい気持ちにさせられました。
さて、さて・・。この洞窟に泊まる予定でした。しかし・・・。
途中で蛇と遭遇したのです・・。そして、洞窟の中にはコウモリもいたのです。そして、洞窟の中がなんとなく湿っていたのです。というわけで、洞窟に泊まることはやめました(笑)。
泊まるのならもっと洒落た洞窟にしよう・・ということになったのです(笑)。
で、これはホテルで書いています。しかしホテルには電気はあるけど電話がありません。
で、みなさんは私が洞窟に泊まったと思っているでしょうね・・・ふふふ。
しかし「ふふふ」と笑うわけにもいきません。このホテルは洞窟直営なのです(笑)。シャワーも無ければトイレもありません。
じゃあ、洞窟と同じジャン。確かに・・・しかしベッドはあります(笑)。
この洞窟は、ある仙人(書きたいけど日本語の漢字には無い)が13年間修行した所です。それで有名になりました。
ところでこのホテルがなぜ洞窟直営かと言えば、修練を目的とした人しか入れないからです。観光目的でここを訪れることが出来ません。だから洞窟は自然のままで保存され、蛇がいたり、コウモリがいたりするのです。ガッツのある修行者だけが洞窟内で頑張るのです。
で、根性無しの私たちは、洞窟直営のホテルになったのです(笑)。でもホテルとは言え、写真の通りです。
たぶん、洞窟内に泊まる人は皆無でしょう。なぜなら修行目的としたホテル(宿泊施設)が充実(これで?)しているからです。同じエネルギーを受けられるような環境なら、現代人は蛇やコウモリの中での修行はしないでしょう。
というわけで、現代の洞窟修行者はこういう所でするのです。(もちろん昔もそうだったかも知れませんが・・・)
写真を見ると、導師の足はしっかり組んでありますが、私は苦しそうです(笑)。
ああ、言い忘れました。私は昨夜からビーク(僻穀)という修行に入っています。いわゆる仙人食しか食べないのです。
何を食べているかと言えば、生の松の木の実と、干したナツメです。それをほんの少しを一食として食べるのです。
松の木の実は、日本でも売っているはずです。結構値が張ると思いますが・・。
ところでこれがアップされたということは、どこかの電話のある宿泊施設に辿り着いたという事です。
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夢のパノラマショー(2000/07/03)
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今朝までがビーク(僻穀)で、松の木の実を食べていました。
山の中にいた1日半で私たちの食事は元に戻ります。というのは山を降りるからです。
リュックを背負って山をおり、車で四時間の旅行をする時にはビークは良くないと言うのです。
さて、昨夜のことを書いておきましょう。
昨夜は龍門洞直営のホテルで導師と対面で瞑想修行をやりました。23時から1時にかけての瞑想でした。
環境が良いのでしょうか、私の百会(ヒャクエイ)の所からドバーっとエナジーが入り込むのが分かりました。すごい量のエナジーです。その後はエナジーがまるで生き物の様に私の頬を持って、体全体をギューっと上に引っ張り上げるのです。まるで三次元で誰かに引っ張り上げられているのと同じです。誰かがいたずらをしているのかと思い、目を開けそうになったほどです。
そして私は目を瞑っているのに目を開けているのと同じ状態になりました。周囲がはっきりと見えるのです。新月が開けたばかりなので光はなく、山は真っ暗なのですが、とてもよく見えるのです。しかしこの時は別次元への飛躍はありませんでした。
ただ、その次から起こった出来事が面白いのです。私の過去がパノラマショーの様に、ショートショートドラマで次々に見えるのです。
夢以外のインフォメーションはたった一つ「無意識を意識の次元に上げるのではなく、意識が無意識の次元に降りるのだ」という一言です。意味は不明です。
二時間の瞑想は導師の「OK」という一言で終わりました。しかし床に入ってもパノラマショーは続きます。そして翌日、洞窟の山を降り、次の地点に向かいました。
四時間の車の中でもウトウトするとパノラマショーが始まるのです。しっかりと感情まで付いてくるので、結構しんどい時もあります。それらの夢はすべて明晰夢に近いのです。
その連続する夢が何を意味するのか、全く不明です。今はただ、起こることに身を任せていくしかありません。
四時間かけて辿り着いた先は、老子が道徳経を書いたとされる場所です。今はそこの宿泊施設に泊まっているのですが、またまた電話がありません。山を降りたとは言え、山の中です。
この場所で得たことについては、後日書くことにしましょう。いわゆる今の私についてではなく、過去の老子についての記事ですから・・。逃げやしません。
そうそう、昨夜、今回のツアーの目的のようなことを導師が話しました。
それは多くの場所を短時間で行くことにより、エナジー(彼女は霊気と言う)の違いを身をもって知ることらしいのです。そしてそれは外国人の私のほうが優位だと言われました。中国人はその霊気そのものの中にいつもいるので、違いがはっきりと認識できないらしいのです。
そして導師が私に対して何故こんなにもしてくれるかという理由の一つが分かりました。それは違いを知りたいのです。さらに、別の視点が欲しいのです。
だから私に対してどんどんオープンに出しているのです。私はそれに対して、いつもリアクションで応えます。
「このツアーでシンデンシェンは仙道のエナジー上の違いを知ることが出来るでしょう。それは今後、日本で説明するときにとても役立つはずです」と言われました。
でも今のところは、何も言葉には出来ません。
今夜は、老子が道徳経を書いたとされる場所での瞑想修行になります。ではでは・・。
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子連れの導師と共に(2000/07/05)
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今日の午前中は観光でした。導師と一般的な観光をしたのは、おそらく初めてではないかと思います。
行ったのは「秦始皇帝陵兵馬傭」という場所です。秦始皇帝のお墓に埋められた何百体もの等身大ハニワの遺跡です。西安を訪れた人はたいていここに行くのではないでしょうか?(私の隣はこの場所にいた通訳のお姉さんです)
さてこの写真の下に子供が写っていますが、これは導師の子供です。今回、彼女は子連れです。導師のご主人に用事が出来てしまい、家に置いてこられなかったのです。
夜瞑想修練をする時、子供が起きていると片手でヨシヨシをしながら瞑想します。
食事の時に子供が寝てしまうと、椅子を列べて子供のベッドを作り、彼の食事の分はちゃんとパックしてもらいます。
明日は中国有数の秘境と言われる黄山まで連れて行きます。
導師の修行生活にとって、子供の存在はあまりマイナス材料になっていないと思います。
さて、午後は仙道・道教関係の場所に行きました。
リトンビンについてまた前進がありましたが、その件は画像を何枚も見せないと分かりにくいので帰国後としましょう。
導師との瞑想は毎晩続いています。昨夜は天目から大量のエナジーが入ってきました。その前の日は百会でした。さっきまでその理由を考えていたのですが、一つ閃きました。
今回は毎日指の組み方が違うのです。
一人でテストしてみると、やはりそうでした。指の組み方で共振するツボが違うのです。
私の講演会で「天人合一のミニミニツアー」をやった方は体験していると思いますが、あそこでも途中で指の組み方を変える指示をしました。するとエネルギーの流れが逆になるのです(参加者の中でもこれを経験した人はいると思います)。
昨夜のは天人合一に近い形の組み方ですが、ちょっと違うのです。ちょっと違うだけで共振するツボが変化するのです。
仙道とは、こういうノウハウの蓄積だったのかも知れません。
しかし、マニアですね・・仙人達は・・・。指の組み方一つを研究したのですから・・。
そして今、導師が私に対して「短期強化エナジー体験ツアー」をしているのは、そういう過去の仙人達の開発した場所を次々に訪れて、そのノウハウを吸収してしまおうというものです。
さて、下の絵は今日訪れた場所にあった「八仙の絵」です。八仙とは代表的な八人の仙人という意味です。一番前で虎さんに乗っているのはリトンビンです。
この絵を見ると、快楽の限りを尽くしているような気がします。それも努力無しで・・・。「指一本でチョチョイがチョイだ」と・・(なんかエッチだ・・)。
私の夢のパノラマショーも、ひょっとすると瞑想時における指の組み方が関係しているのかも知れません。だとすると、世界は指の組み方一つで変わるのかも知れません。
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バックアップ(2000/07/05)
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さてパノラマショーですが、見ている時に私自身を見るということはありません。必ず主人公のミーとしての視点から見ています。ですので体外離脱とは全く違います。
ミーとしての視点が私の視点なのか、導師の視点なのか、それ以外の人の視点なのかは不明です。過去の私の体験が80%ほどですが、20%は体験したことの無い風景です。それも現代の風景なので単に忘れたわけではなさそうです。
それは私の未来でしょうか?もしくは他人の何かでしょうか?
普通の夢なら続きを見ることがありますが、今回は全くありません。
昔、NHKのドラマで『タイムトンネル』というのがありましたが、まさにそれです。次はどこに飛ばされるか分かりません。
「無意識を意識の次元に上げるのではなく、意識が無意識の次元に降りるのだ」ということを書きました。
パノラマショーはまさに意識が無意識の次元に降り立ち、そこで何かの情報を拾って意識の次元で展開しているような気がしてなりません。
さて、無意識は意識で変更可能なのでしょうか?
私は「森田さんは独立して20年間にわたり会社を存続できた秘訣は何ですか?」と訊かれると、「24時間それを考え続けることです」と答えていました。私は実際、かなりしつこい方だと思います。
物心ついた頃「私って何だろう・・どこから来てどこに行くのだろう」と考え、「そんなのは答が出ないでしょう」という大人の助言にも耳を貸さず、ずっと考え続けてきました。
私は、結構しつこいのです。それで何が起こるかと言えば・・・。
これは今日浮かんだ仮説ですが、「潜在意識はバックアップしているんじゃないか」ということです。
何に対してのバックアップでしょうか?意識ではありません。実は、意識もバックアップしていると思ったのです。では、何に対してのバックアップでしょうか?
うーーん、これがですねぇぇ・・何だかわからないもの・・神様かも・・私自身かも・・時空かも・・・
つまり意識も無意識もどちらも主体ではないのではないかというインフォメーションなのです。
で、無意識は意識で変わるのです。例えば24時間考え続ければ・・・それを打開するワダチが自動的に出来るのです、きっと・・。
(「24時間・・・」の件ですが、あまり私の「言葉」にこだわらないで下さい。でもニュアンスとしては「したいこと」という意味ではないのです。私の今日の文章の中では、したとか、したくないという意識の話は無しです。私だって24時間意識し続けているわけじゃない、でも24時間・・・なのです。そうすれば夢がヒントをくれる時もあります。)
ですので仙人の「指一本ノウハウ」を、簡単に手に入れたら、それは「何か」のためにはならないのです。
さて、みなさんの中には「何か」を定義しようとする人がいると思います。「それは魂だ」とか・・・。
しかし私は、無いもの・・、あるいは無限・・、あるいはゼロ・・・。そんなふうに思えます。
例えば綺麗な花を見た時、それを摘み取らなければ何も残りません。「綺麗だ」という感情は後に流れます。そしてその一瞬を二度と味わうことはありません。
何の為に・・・ゼロのために・・・。
八仙の連中も、何かを残すために遊び呆けているとは、思えません。
だから、「ワダチ」も主体にはなれそうもない・・ワダチも何かのバックアップ・・すべてはお陰様の世界・・・。
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センサーを降ろす(2000/07/06)
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斉雲山という山にに着きました。ここは黄山の対面に当たります。絶景です。
ナントカという仙人が修行をした山です。昔は修行の道を求めて一歩一歩登ってきたのでしょう。でも、私たちはロープウエイで来ました(ドテッ)。
何で来ようと、斉雲山は斉雲山・・・。
夜は満天の星。私は山の上で、北斗七星に向かって瞑想しました。
その時のインスピレーションは「意識は無意識にセンサーを降ろす」ということです。
ここに来る前、「24時間考え続けること」が話題になりました。
以前、日経ベンチャーという雑誌にサンリオの社長が社長の条件としてこんなことを書いていました。
「入念に練った計画の元、工場を開設するという計画が決定されたとしましょう。施工式にはマスコミも呼んでいます。政府の関係者も呼んでいます。しかし・・・、その時にゴーしてはならないという直感が働いたとき、やめることの出来る社長が成功するのです。」
私はこれは24時間考えることと結びついていると思います。
別の例です。
今日は西安から黄山に向けて飛行機が飛び立つはずでした。しかしお客は私達と2人のアメリカ人しかいなかったのです。それで飛行機はキャンセルになってしまいました。ひどい話です。
その時点では黄山に行くのは至難の技でした。ほとんど不可能・・・。
しかし導師は諦めませんでした。その航空会社に掛け合い、他の航空会社のルートを探し、そのチケットを発行してもらいます。それは上海経由でした。
しかし上海でもトラブルが続きます。飛ぶの飛ばないの・・、チケットが別のだの・・、それを導師がひとりで掛け合い、黄山に辿り着きました。
アメリカ人は言いました。「あの人は凄い人だ」と・・。
そして無事に着いても導師はそれが自分の努力の結果だということを人に自慢しませんでした。
これも「24時間考え続けること」に関係しています。
24時間・・を別の表現で言えば「引いていない」ということだと思います。
その瞬間、瞬間を他に依存していないのです。
引いていなければ、「考え続けて」いなくてもいいのです。
引いていなければ、考え続けていなくても、24時間考え続けているのと同じなのです。
なぜなら・・意識の領域が、オートマチックのセンサーを、無意識の領域に降ろしているのと同じだからです。お喋りをしながら運転できるのと同じです。
24時間運転に没頭していなくても良いのです。頭は別の事を考えていても目的地に着きます。
これが「24時間考え続けること」の意味です。
工場を設置するというプロジェクトを持った社長には、既にセンサーが降りていたのです。
導師にもセンサーが降りていたのです。だからとても楽しそうに困難を乗り越えてしまったのです。
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意識と無意識は恋人同士(2000/07/07)
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今日は山歩きでくたくたです。
で、その途中、デジカメとパソコンの接続コードをどこかに落としてしまいました。そんなわけでこれから帰国するまで、画像の投入はありません。
夕食を終わってからここ、黄山の近くのホテルにやってきました。
その道のりは、ビールをいっぱい飲んだ公安の人に、なんとサイレンを鳴らしながら(各種のサイレン音を取っ替え引っ替えすべて鳴らして)送ってもらいました。その公安の人は導師の弟子なのです。
で、あっという間に黄山のふもとに着いてしまいました。
サイレンも鳴らしたい放題、仙人修行もやりたい放題・・・(笑)。
さて、今朝は早朝に起き、本当の洞窟そのものの中で瞑想をやりました。雲海を見下ろし、崖にある洞窟で、導師と背中合わせの瞑想です。瞑想中に日の出がありました。香港の高層ビルでの瞑想もいいけれど、ここも素晴らしいです。
ここでは李鉄拐(りてっかい)という仙人が瞑想修行をした場所です。彼はリトンビンと同じく、八仙のひとりです。
彼は面白い体験をしている人です。幽体離脱をして別世界で遊び呆けているうちに、三次元に置いてきた肉体を焼かれてしまったのです(笑)。で、同じく焼却場で順番待ちをしている、死んだばかりの乞食の肉体に入りました。でも7日間も別世界で遊んでいたのですから、しようがありません。その後何百年も乞食の姿で過ごします(笑)。
彼は実在の人物とされています。
まあ、そんな話はさておき・・・。
さっきの書き込みでは意識が無意識にセンサーを降ろすという話をしました。今度は逆の話です。
夢のパノラマショーを観察していると、これは無意識の側から意識の側へのアクセスであることがわかります。無意識の側が何かの「意図」で意識の側に情報を送ろうとしているのです。
意図にカッコをつけたのには意味があります。それは意識も無意識も、バックアップだという意味です。無意識で「意図」するものは何か・・・それは今のところ、不明です。
朝の瞑想中に降りてきたインスピレーションですが・・・
意識と無意識は双方向通信をしているのです。当たり前の話のようですが、私にとってはちょっとした発見なのです。
「通信」というからには離れている存在なのです。これも当たり前かも知れませんが・・・。
精神世界はどちらかと言えば、意識の世界を追っています。意識を高めるのが主な目的です。
それに対して私は導師と出会うことによって、無意識の素晴らしさを強調してきました。
為さずして為す・・ワダチに生きる・・等々。
24時間・・云々の書き込みを読んだ時、「ふ〜う」と溜め息をついた人がいるのではないでしょうか。私が努力とか強い意識の世界の話をしたからです。
でも今、私は再び意識の世界に帰ることが出来ました。意識を左手に繋ぎ、無意識を右手に繋ぎ、やっと二つを対等に見られるようになりました。
それは「パノラマショー」や、「意識が無意識に降りる」というインスピレーションが発端でした。無意識に降りるのは、意識のセンサーだったのです。
人間が人間としてあるのは、意識があるからです。ワダチ=無意識だけで生きていけば動物と同じです。
ここでもう一度考えてみましょう。ワダチとは何でしょうか・・・
センサーが無意識の世界からキャッチした情報は意識に登ります。その情報には未来の情報も含まれています。
しかし意識は過去にも生きています。常識やルールや信念です。それを優先するかセンサーからの情報を優先するかは、やはり意識が決めるのです。たぶん・・・。
もう一つ言っておきたいことがあります。
それは「引いている」と、無意識領域にセンサーは降りていないのです。
ワダチという概念は一見受け身的に見えますが、実は本当に「引いていない」時、つまり主体的な時しかないのです。それはある意味では意識が全てやっていることなのです。
これが動物と人間の違いです。動物には私が言うところのワダチはないのです。
あるとすれば自然が作ってしまったワダチです。自分の意識が作ったわけではありません。
さて、センサーから信号が来ても、それでも「過去」を選択する時はあります。安全確保のためだと思います。
先ほどのサンリオの例では、その社長にセンサーからの信号が来ても、安全確保のために工場設置を中止する指令が出せないのです。ここでいう安全確保とは、「見栄」であり「対面作り」です。
そこで中止の指令を出せば、言い出したことを実行しない社長だとか、せっかく時間を割いてセレモニーに来たのに・・とか、部下の決定を無視するワンマン社長だとか、色々言われます。
しかしそれらは短期的な事です。長期のスパンに対して最も「引けない」のは、おそらく社長しかいないのです。
不謹慎にも、瞑想中にこれらの雑念が飛び出すのが、楽しくてしようがありません。意識と無意識は素晴らしいコンビネーションを取っているのです。
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弱いほど強い(2000/07/08)
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夜行の電車で移動し、やっと電話のある場所に着きました。
その時ノートに書いたことを打ち込んでアップします。ですのでリアルタイムな時間とずれますが、私のインスピレーションと思考の順序を追って読んだ方が良いと思いますので、これからそうします。
朝6時に起きて黄山に行きました。ロープウエイで山頂まで一気に行けます。さすがに絶景・・・海抜1800メートルそこそことは言え、山の構造が仙人にピッタリの所です。
私は岩の一つに登り瞑想を始めました。その時のインスピレーションは「弱いほど強い」・・です。
昨日は引かないことについて書きました。引かないことというのは、どういう状態でしょうか。ビジョンを持って力強く生きることでしょうか?
この問題は、主体的とはどういうことかという問題も含んでいます。文字面からすれば、引かないこと=頑張ることでしょう。
でも佐佐木浩二さんの話を思い出して下さい。三次元ではエネルギーが強いほどスピードは高まり、高次元ではエネルギーが弱いほどスピードは高まります。
さて、意識は三次元の世界に対応し、無意識は高次元に対応すると思いませんか?それを前提にして考えてみます。
前回、引かない人生を生きると無意識の世界に意識のセンサーが降りると書きました。そこでお互いの世界の通信が始まるわけです。
エネルギーの立場から言えば二つの世界は反転しています。そこに通信線が張られるとどうなるのでしょうか。
まず、意識から無意識への通信を考えましょう。意識から強い信号が行った場合はどうなるのか・・・
例えば幸せになりたいと強く願ったらどうなるでしょうか。
強い信号が無意識領域に入ると、エネルギーが高いためにスピードが落ちます。処理速度が落ちると言い換えても良いと思います。
ですから、無意識からはいくら待っても返事が来ません。つまり幸せになるワダチ作りのための答が来ません。
逆に弱い信号を入れると・・・極端な話、幸せになりたいなどと願わなければ・・・
そうです、その答は常に出ているのです。今が幸せだと・・
今度は無意識から意識に信号が行く場合を考えましょう。これは予知などの信号に相当します。
施工式のセレモニーを前にした社長の例そのものです。彼はある意味では、施工式後の未来を予知したのです。
無意識において精度の高い予知をするためには処理スピードを早くしなければならないでしょう。色々な要素を同時に処理する必要があるからです。
するとエネルギーはどんどん落ちます。そして結果が出て意識に到達した時には微弱になっています。
そこで、もしも彼が強い意志を持っていると・・・例えば「一度決めたことはやり通す」というような・・。
このような信念を持っていたとすれば、無意識から昇ってきた微弱な信号は消されてしまいます。
だとすれば・・引いていないという状態は、とても弱い状態なのです。
黄山の断崖絶壁での瞑想から醒め、私は山を降りました。夜は21時発の夜行に乗り、導師の生まれ故郷に向かいました。この文章は夜行の中でノートに書いています。
寝台席がいっぱいで取れなかったので、普通車の自由席です。大変に混んでいます。
インドで同じような夜行に乗ったことはありますが、それよりはマシといった感じです。
やっとの思いで席を確保しました。
私の前の席には、寝てしまった自分の子供を抱いた導師が座っていますが、やはり彼女も疲れたのか、ウトウトし始めています。
最も弱くて強いのが母親・・。なぜなら、無意識からの通信を最優先してやっていると思うからです。
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同時並行処理(2000/07/09)
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体力的な側面から見ると、今回の旅行が最も過酷かも知れません。山から山へ・・・。そしてシャンプーの出来ない日々が続き・・(大したことないって??)
さて、サンリオの社長が書いた「社長大学」での、社長の条件の一つは既に書きました。
施工式の前に、設置はやめた方が良いという直感が働いた時、やめられる人でないとダメだということを・・。
確か雑誌の中では、サンリオの社長はこの条件を二番目に書いていたような気がします。
一番目に書いたのは次のことです。「社長が男性なら、女性の噂話が出ない社長なら、すぐやめた方が良い」・・と。
女子社員から「うちの社長も結構アッチが好きなんだから・・」と言われるくらいでないとダメなのだそうです。
これは実際に特定の女性を作らなくても、噂だけで良いのだそうです。もっと正確に言えば、この話は比喩なのです。
この話の意味は、律することの少ない社長であるということです。多方面に興味を持っているという意味でもあります。
ガチガチではダメなのです。柔らかさが必要なのです。
施工式云々の条件を読んだ時、孤独で真面目な社長像を想像した人は多いと思います。
しかし、女の噂が上がるくらいの社長でないと、無意識にセンサーを降ろせないのではないでしょうか。これは水平思考ということにも関係します。
意識は多分、同時には一つの事しか出来ません。しかし、無意識は同時並行処理が可能なのです。
無意識にセンサーが降ろせる社長は仕事であれ、女の噂であれ、同時並行処理が出来るのです。頭が二つどころの話ではありません。
そういう社長だからこそ、施工式の日に無意識からの信号をキャッチ出来たのだと思いませんか?
ここまで書いたところで、時計が一時を回りました。夜行にゴトゴトと揺られています。
子供を抱いて完全に眠ってしまった導師・・・彼女も同時並行処理が可能なのです。
先ほどスポーツの選手らしい若者達が、どっと乗ってきました。車内は200%の混雑。
明日6時に着くのですが、それまでに眠れるでしょうか・・・。
斜め前の女性のチャイナドレスの割れ目を気にしながら、私も同時並行処理で寝ましょうか・・。
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トトロの里と仙女の里(2000/07/10)
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導師の生まれ故郷の旅をしました。午前中は逍遙功と呼ぶには高すぎる山に登ったのですが、連日の山岳登山がこたえて、かなりバテました。そこはマーケット(混俗、あるいは俗世間)に近い山です。
導師は言いました。「こういう所の方がエネルギーが高いのです。」
実際、その通りなのです。黄山を始めとする有名な山よりも、マーケットに近い方がエネルギーは高いのです。
午後はいよいよ導師の生まれ育った家に行きました。山に囲まれた素晴らしい場所です。既に他の人が住んでいますので、中には入れません。そして歩いて10分ほどの所に・・・
そうです。導師が少女時代に初めて仙女・仙人と出会った場所がありました。
何だか時間が止まったような感じでした。小さな湖が開けていました。導師は子供になったように、木に登りました。
そして、まさに導師が仙女から多くの事を教わった場所に来ました。松の木に囲まれた、直径20メートルほどの空き地でした。
松の木も普通ではありません。周りには100本以上の松の木があるのですが、その空き地を取り囲んだ松の木だけ、異常に成長しているのです。
成長しているという表現もおかしいです。
目測ですが、高さは50メートルほどもあるのですが、下から40メートルは真っ直ぐなのです。そして枝がありません。まるで杉の木の様な感じ・・・。
その異常な感じの松の木が一本ではなく、空き地を取り囲んでいる数十本が全てそうなのです。
そして下には、やはり異常に大きな松ぼっくりが落ちていました。
その空間の真ん中に座り、私は瞑想に入りました。その時のすごいこと・・。日本時間では17:30くらいです。
まるでエナジーの滝の下に入ったようでした。ドドーっと私の上部から入り込みます。
百会なんてものではありません。頭の全てからエナジーが入り込みます。ほとんど気を失いそうになりました。
目を開けると、導師が歩いてきて私の頭に手をかざしに来ているのが見えました。
再び目を瞑ったのですが、景色が消えません。少なくとも瞼だけは透視して、外の世界を見ているのかも知れません。
すると目の前に一人の女性が現れました。それは導師のマスターでした。彼女は両手をほんの少し私の方に出し、微笑みました。
その時、周りの松の木がエネルギーの流れそのものとなりました。虹色の流れです。
私はとっさにマスターに訊きました。「すべてはエナジー(波動)なのですか?」
私の口が開かず、情報の入ったエナジーだけがマスターに届いた感じがしました。
マスターは笑ったまま頷きました。そしてフッと消えてしまいました。と同時に、異常な松の木も消えてしまったのです。
ライアル・ワトソンの本に同じような光景が出てきます。インドネシアの島で、少女が木々すべて消すシーンです。それと同じ状態になったのです。
私の場合も、すべて消えたわけではありません。
向こうに湖は見えます。しかし、松の木は無いのです。
「ケン、導師がエナジーを入れる作業は終わっています。そろそろ立った方がいいです」とリサ(香港の弟子)が後で言っているのですが、私は動けません。と言うよりも、動きたくないのです。
導師が三次元の世界で最後にマスターに会ったのは五年前だそうです。それ以後、マスターの三次元での消息は全く不明なのだそうです。
突然、松の木が現れました。エナジーの流れは強く続いているのですが、感覚は三次元に戻ったようです。「OK?」と導師が訊いています。
何も言わないでしばらくそのまま座っていると、リサが「導師にお礼を言ったほうが良いでしょう、ケン?」などと言っています(リサはエネルギーを入れてもらえなかったのです)。
トトロは確か、樫の木に住んでいましたっけ??そのとき、トトロは特定の人だけにしか見えませんでした。でも、トトロの里は決して秘境ではありませんでした。
ここの松の木の一角も秘境ではありません。ちょっと離れた小さな湖ではアヒルの飼育をしている人も見えます。
しかし、この空間は仙人・仙女の世界へのトンネルなのでしょうか?
もう一つ、言い忘れた事があります。
その松の木の部分だけ、デジカメのシャッターが降りないのです。他の箇所に移動すると撮れます。ですので導師の家の近辺しかデジカメでは撮れていません。
但し松の木の部分は、普通のフィルムのカメラではシャッターが降りました。ちゃんと写っていればスキャナーで取り込めますが、デジカメで直接撮るのよりは精度が落ちますよね。
でも、どうして撮れないんでしょう??私は何度もバッテリーやらメモリーステックやらを取りだし、点検をしたのですが・・。
そう言えば今回は、旅そのものの話はほとんど書き込みませんでした。それは帰国してから写真と共に入れます。
ではおやすみなさい。明日も一日行動します。
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風(2000/07/11)
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まだ、導師の故郷にいます。
今回の旅で印象に残っているのは、風なのです。
老子の里に吹いていた風・・・黄山に吹いていた風・・・西安に吹いていた風・・・大きな松の木に吹いていた風・・・
思い出すのは風ばかりです。みんな微風なのです。v
かすかな風だから、汗が引くのに時間がかかりました。その間、ずっと山を見ていました。
麦わら帽子をかぶり、山を登り、そこには一軒の寺がありました。
寺でお線香をつけようとすると微風がマッチの火を消そうとします。
それでもなんとか火が点いて、そのお線香をさすと、風で煙がたなびきます。
振り返ると、緑の山々がありました。その下には里が見えました。
里からは所々でかまどの煙が見えます。それも風でたなびいていました。
こんなに風を感じたのは初めてでした。
そして仙人の松の木の下・・・エナジーがまるで風のように舞い降りました。
マスターは風そのものだったのかも知れません。
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軽く・・軽く・・風のように・・(2000/07/12)
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今、香港空港です。
夜行列車には14時間も乗りました。でも快適そのものでした。
行くときの二等車自由席とは大違い・・。冷房入りでお掃除付きお茶付き・・。値段はそれでも二等車の6倍ほどします。
しかし前回の二等車自由席は、やはり同じ時間乗って400円でしたから、まぁ、日本人の私にとってはそれでも格安だと思います。
前日の18時に乗り、22時の消灯時間まで導師と喋りました。
松の木の場所で私が瞑想中に遭遇したのは、やはりマスターでした。予期せぬ出会いに導師も大喜びでした。
導師が幼少の当時も、導師がマスターと遊んでいるのを誰かに目撃された時、導師にはマスターが見えても、他の人は見えない時の方が多かったそうです。
ということは、もともとマスターという存在は、波動周波数のかなり高いエネルギー体なのかも知れません。
ところで私が遭遇したマスターは女性だと書きましたが、彼女の後ろにもう一人の存在もいました。その存在も同じように少し手を前に出していました。その存在は男性でした。
この話を導師にすると、またまた大きく頷きました。
実は、導師が一番最初に出会ったのはこの男性の仙人なのです。
その時、この仙人の前には何故か傷ついた兵士が横たわっていました。
男性のマスターは何かの薬のようなものをヒョイと取りだし、それを塗ると兵士の傷はその場で完全に治ってしまったと言うのです。
その後、ボジン密法を教えてくれた仙女に出会います。ボジン密法とは時空を超越する術です。
その女性のマスターは湖の上をルンルンと歩いたそうです。しかしその風景を見える人の方が少なかったと言います。
文化大革命の中ではそういうことを見たというだけで、親からものすごく怒られたそうです。
<ここまで書いたところでキーボードは機内に移ります>
さて、今回の旅は意識と無意識から始まりました。
意識はエネルギーが大きいほどスピードは速くなり、無意識はエネルギーが小さいほどスピードは速くなる・・・。
マスターは、二つの世界が逆に働く作用をうまく利用しているような気がします。
我々が科学で解明しているのは、まだ一方方向の世界だけなのかも知れません。
松の木の森に着いた時、導師は「還童功だぁ〜」と叫びながら、まるで子供の様に飛び跳ねました。私もその後について飛び跳ねました。木に登ったりもしました。
そして導師が「小さい頃、ここで座ったの・・」というので、私もペタリと座りました。ローブを着るのも忘れてそのまま座りました。
すると、一筋の風が吹いたかと思うと、突然エナジーが舞い降り、マスターが手を出して微笑んでいました。
その時、何の期待も、何の思いもありませんでした。ただただ、無心に座ったのです。
地図を見てもらえば分かると思いますが、導師の生まれ育った場所は決して山岳地帯ではありません。辺境ではありません。
帰りの夜行で導師は言いました。
「シンデンシェンに伝えたかったのはその点です。仙人や仙女は秘境にはいないのです。あなたが風にそれを感じたように、風が吹くところはどこにでも彼らはいます。」
私は松の木が異常だったことを導師に言いました。すると彼女はこう答えました。
「マスターは時々私の中をスタスタと通り過ぎ、後に立っている松の木にすっぽりと入ってしまう時がありました。松の木と一体化してしまうのです。そしてしばらくするとまたスタスタと出てくるのです(笑)。」
あの松の木はマスターのエナジーと一体化し、松の木自身がエナジーの昇華をしたのかも知れません。
兵士の傷を治した仙人は、一種の蘇生をやったのだと思います。
8歳の頃にこういう体験をした導師は、この道に入ることに何の躊躇もありませんでした。
夜行列車の夜が明けて、朝日が昇るとき導師は訊きました。「シンデンシェンは今、どういう状態?」
私は答えました。「風のような感じです。何か、飛んでいるような・・・。」
導師は言いました。「それは素晴らしい。軽くなったのですね。エネルギーが入ると風のように軽くなりますよ・・。重いエネルギーは物質に変換します。それはむしろ三次元のエネルギーです。高次元のエネルギーは風のように軽くなります」と。
我思う故に我有りと言った人がいました。何も思わず、何も期待せず、風のようになった時、我はあるのでしょうか・・それとも無いのでしょうか?
あると無いの差は何でしょうか?トトロはおとぎ話でしょうか?仙人仙女は伝説でしょうか?
マスターは導師を通り抜けて松の木に入りました。導師はその時透明でした。
強い意志が世界を変えるのでしょうか?弱くて何も出来ない人は価値がないのでしょうか?
今は高度一万メートル・・・。ジェット気流に乗って飛行機は飛びます。
マスターのあの笑顔・・・マスターのエナジー・・・この世界が悪い方向に向かっているのではないことだけは確かです。
佐佐木浩二さんは言いました。「高次元は私たちと切り離されて存在しているのではないのです」・・。
いつか私たちは彼ら仙人仙女達と一緒に楽しむ時が来るのです。
ここから見ると地上はまるで二次元です。時空の旅はまだまだ始まったばかりです。
なぜなら、マスターの瞳の中に私の好奇心を肯定する眼差しを感じたからです。
そしてどこにでも吹いている風・・・。それも微風・・・。風に意味など、あるのでしょうか?
ただ意味もなく・・・今回の旅では・・世界は予想以上に素晴らしいと感じました。
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書き込み期間:2000/06/29〜2000/07/12 |
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