もりけん語録
テーマ:「仙道修行2000.07(3)」
書き込み期間:2000/07/18〜2000/07/20
要旨:
今回の旅では、岩でできた洞窟の中や、松の木に囲まれた場所で瞑想をしました。松の木からも岩からも、それぞれのエナジーが感じられました。
瞑想中、「弱いほど強い」というメッセージが降りました。私達は微細になった時にこそ、こうした生命体のエナジーに触れることが出来るのではないかという気がします。
強いとは何でしょうか・・・弱いとは何でしょうか・・・。生命のエナジーに囲まれながら、そんなことを感じました。

今回、導師は子連れでした。私は初めて、子供の面倒を見ながら修練をする母親としての導師を見ました。
導師の子供はトントンといいますが、彼が一緒だったことで、どんなに振り回されたか分かりません。でも同時に、どんなに心を和ませてくれたでしょうか。
修行第一に考えていると、子供のイタズラを邪魔に感じます。ですがトントンはそれ以上に、子供心と解放された心をもたらしてくれました。
導師との仙道修行は、プラスばかりを求めるのではなく、マイナスを含めてもさらに大きなプラスになるような旅でした。そして決して、修練と三次元の生活を切り離してはいないのです。
目次
○ 洞窟は生まれる前へのタイムトンネル(2000/07/18)
○ 黄山とエナジー(2000/07/18)
○ トントン(2000/07/18)
○ 文爺さんと孔子(2000/07/19)
○ 指(2000/07/19)
○ 開発委員会(2000/07/20)
洞窟は生まれる前へのタイムトンネル(2000/07/18)

西安空港から黄山空港に着き、その足で直接黄山には行かず、その向かいにある斉雲山という所に行きました。
ロープウエイで上がるのですが、その景観をご覧下さい。ヨーロッパ、それもスイスの田舎だと言っても通るくらいです。
ゆったりと川は流れ、その川ではボートを浮かべ水泳を楽しんでいる人もいます。
家々も、北京のような赤いレンガ造りではなく、ここでは白いモルタルです。これは初めて見る光景でした。


まるでおもちゃの様なロープウエイですが、客が来ないと止まっています。
しかし客はほとんどありません(笑)。だって山の上ではほとんど観光客に会いませんでしたから・・・。
そして山頂に登ると看板がありました。標高585メートルと書いてあります。
ひょえ〜〜低い・・・
私の生まれ故郷、東京都西多摩郡日の出村のこんぴら山だってそのくらいあります。
前回の断崖絶壁は2500メートルもあったのに・・拍子抜けです。


着替えを済ませ、私達は散策に出かけます。下の写真をご覧下さい。
こういう洞窟が至る所にあります。洞窟の入り口だけはお宮のようになっていますが、中は普通の洞窟です。




導師の服を見て下さい。修練服そのものです。ローブではなく修練服をお見せするのは初めてかも知れません。なかなか気合いが入っているでしょう?
私達は瞑想修行のできる場所を探しては、ちょっとずつ瞑想をしてテストしてみました。そして辿り着いたのが下の場所です。


ここに来るためには、崖の脇にある細い道(道と言えるか?)を通らなければならないので、かなり危険です。それでも導師はここを拠点に決めました。この右側は洞窟になっています。
さて、ここは乞食になってしまった仙人が修行した場所です。何故か仙人達がみんな修行したのは洞窟なのですよ・・。
下は老子が道徳経を書いたとされる洞窟です。誰も行かない、あの場所にあります。


何故みんな洞窟なのでしょうか?
私は以前、ハワイのカウアイ島のウエットケイプ(湿った洞窟)でトランプを使った願望実現の実験をしたことがあります。そのとき、90%以上の確率で思ったマークが出るというトランプを作ることが出来ました(『不思議エネルギーの世界3』を参照)。
いわゆる場が良いのです。導師は磁場という単語を使います。この磁場を経験するのが今回のツアーでもあります。
さて朝早く起き、導師と私は洞窟に向かいました。先ほどのオープンな感じの洞窟です。
私と導師は背中合わせになり、瞑想を始めました。その間に朝日が昇り、鳥が鳴き始めます。
ちょうど無意識と意識を考えていた時なので、そのインスピレーションが降りてきます。エナジーも降りてきます・・・
異次元のエナジーと言うよりも、地球そのもののエナジーという感じです。ピリピリという感じもします。天目、あるいは百会から流れ込みます。
うっすらと目を開けると、洞窟の岩盤が見えます。その時、ふと思いました。これは子宮の中にいる感じではないかと・・・。
もう一度洞窟の画像を出しましょう。


岩盤の襞(ひだ)の感じといい、色といい、なんか子宮に似てませんか?(もちろん想像ですが)
天人合一の修行のとき、返嬰童之体功ということをやりました。いわゆる胎児のポーズです。
その目指す先は、なんと「生まれる前」でした。前世を通り越した、もっと前なのです。宇宙が誕生する以前です。
神がいたとして我々を作ったとすれば、その以前に戻る修行でした。
今、まるで私は胎児・・・子宮に浮かんでいて・・そしてもっと前にバックする・・。誕生以前・・それは「生まれてはいない世界」
その方法として、周りの音を聞くという修練をしました。この洞窟はまさにぴったりだったのです。入り口がラッパ型に前に開いています。ですので鳥の鳴く声はもちろんのこと、10キロくらい先の人の話し声まで聞こえます。
まさに私は時間の中に入り込み、魂以前に戻ります。
自然の音、人工の音・・あらゆる音が私の内部で聞こえると感じます。私が大きくなったのか、世界が小さくなったのか・・・
音に聞き入ると、私はまるで流れのようです。
水の流れは川・・・、空気の流れは風・・・、水のように、風のように・・私は漂いました。もはや私の魂は洞窟を抜け出していました。
ここで修行した李鉄拐(りてっかい)という仙人、彼は幽体離脱をして七日間も遊び呆けていました(それで自分の肉体を失い、死んだばかりの乞食の肉体に入りました)。その気持ちは分かります。
彼はモンロー離脱のように空間に出たわけではないのかも知れません。時間の流れに乗ったのです。まるで風になったように・・・。
私の風の流れは、この時点から始まっていたのです。マスターが組んだ今回の旅の計画。それはまさに佳境に入ろうとしていました。
導師がそのとき「OK」と言いました。
私達は山を歩き、宿舎に帰りました。遠く向こうには、黄山がそびえていました。


黄山とエナジー(2000/07/18)

アメリカ人達とハグで別れ、私たちは公安の車で黄山のふもとのホテルに直行。
この件は前にも書きましたが、私たちと酒を飲んだポリスがあらゆる音色のサイレンを鳴らしながら疾走したのです。道行く車はみんな停車してくれました。
さて、以前デジカメとPCを繋ぐケーブルを無くしたと書きましたら、デジカメも無くしたのではないかと心配されたかがたくさんいました。デジカメは無くしていません。無くしたのはケーブルだけなのです。
とは言え、PCに画像を吐き出せないので、めったやたらとデジカメで撮影できなくなってしまいました。64メガのメモリステックとは言え50枚ほどしか保存できません。
ですので普通のカメラ(スチール)で撮る時が多くなりした。
ここからお見せする画像はスチール写真で撮ったものをスキャナで取り込んだものが多くなります。ご了承下さい。

(スチール写真より)


さて翌日、私達は目指す黄山に出かけました。ふもとに着くと、人人人です。みんなお揃いの帽子をかぶっています。
ここは中国国内でも有名な観光地になっていました。約30分待った後、やっとロープウエイに乗れました。
(スチール写真より)


全長2800メートルもあるロープウエイです。このロープウエイから見る限り、普通の山です。「何か、大したことないじゃん」と思って上がっていきました。


下の写真をご覧下さい。山頂に着いても、人人人です。たまたま赤い帽子の軍団に囲まれていますが、こういう団体の旅行客でいっぱいなのです。
「あ〜、きょうは土曜日でしたね・・・」導師が言いました。
黄山に行く人は、土日は避けた方が良さそうです。

(スチール写真より)


しかしです・・私達は人のいない所を探しました。すぐ探せます。
というのは、この黄山はとても広いのです。団体の人たちが行くルートは決まっていて、それから外れると閑散としてきます。
私たちは「仙人峰(Immortal Peak)」と言われる峰が見える場所に落ち着きました。
そこからの眺望をご覧下さい。デジカメによる直接撮影なので特に美しいです。




黄山は黄帝という王が修行をした場所であり、それにちなんで黄山と名付けられました。黄帝は房中術でも有名でして、2000人の女性と交わることで仙人になった人です。
2800メートルのロープウエイに乗ると書きましたが、歩いたって充分に日帰り出来る距離です。ふもとはあのゆったりとした川が流れる肥よくな大地です。秘境と言われていますが、私が最初に行った龍門洞窟(海抜2500メートル)の方がよほど秘境です。
黄帝は、ふもとに家臣(美女軍団を含む)を待たせ、一人でこの山に入り、修行をしたのではないでしょうか・・
形から入るとすれば、この山は仙人にピッタリの山です。私も形から入ってみました(笑)。


私は岩の踊り場の様な所に陣取りました。見渡すと松の木ばかりでした。そう、この旅の最初は松の木の実でした。そして今、松の木に囲まれて瞑想・・・。
もう一つのポイントは岩・・・。最初の龍門洞も、昨日の洞窟も岩で出来ていました。
私は「エネルギーを見るモード」に入ってみました。しかし岩のエネルギーは見えません。無生物のエナジーを直接見ることはまだ無理でした。
しかし、松の木は違います。生命体です。見ると松の葉の尖った先端から大量のエナジーが出入りしています。まるでアンテナです。まるで避雷針です。
私は目をつむり、瞑想に入りました。
「弱いほど強い」というメッセージが降りたことは、前に書きました。
うっそうと繁った広葉樹よりも、針の先のように細い針葉樹・・・。
光合成にとってはとても弱そうなこの葉は、太陽が少ない冬、大気から直接エナジーを導き入れているのでしょう。
それが集まった松の木の実は、大変なエナジーがあるのかも知れません。
雑念が消え深い瞑想状態に入るのには20分ほどかかりますが、ここでは10分ほどで入りました。
エナジーは頭の上の松の木からも入りますが、座っている岩からも入るのが分かります。
松の木からはピリピリという感じですが、岩からはドクンドクンという感じです。体まで動きそうになります。
う〜ん、大地からこんなにエナジーを受けたことはあったでしょうか・・・。
この山の岩は、先端が尖っています。ひょっとすると尖った先が何らかの作用をしてエナジーを集めているのかも知れません。
私は深い瞑想をたっぷりと楽しみました。

突然、私のすぐ前で何かが動く気配がしました。びっくりして目を開けると、リスが手すりの上にいて、やはりびっくりした顔で私を見ていました。
笑いかけるとリスは何度かまばたきをして、こっくりをする格好をしました。
わたしもこっくりをすると、リスは私のすぐ横を走り抜け、私が背にしている岩に上がっていきました。
リスがいなくなった手すりの上に、エネルギーの残像が残っていました。エネルギーの残像を見たのはこれが初めてです。それはリスの格好でそこに佇んでいます。
リスのような弱い動物でも、こんなにエナジーが・・・。弱いからこそ・・なのでしょうか?
一筋の風が吹き、松の小枝をほんの少し揺らしました。それでもエナジーは消えません。
試しに手のひらを出し「私のエナジーよ、出ろ」と念じてみました。その瞬間にリスの残像は吹き飛び、二度と現れることはありませんでした。
私達は本当に微細になった時、こういうエナジーと遭遇できるのでしょうか・・・。
強いとは何でしょうか・・・弱いとは何でしょうか・・・
トントン(2000/07/18)

導師の子供はトントンと言います。ルイジントンというのが正式な名前です。返還前の香港で生まれているので、英国国籍です。ですので彼は自由にどこにでも行けます。
今回、子供と同行して初めて導師の母親ぶりを見ました。
導師と私のコンビネーション瞑想は夜の23時から始まるので、子供はたいてい寝ています。それをリサに任せて外に出て瞑想します。
でも、時々寝ていないことがあります。そんな時は膝にだっこで瞑想です。片手でヨシヨシをしながらもう一方の手はバシッと仙道の瞑想ポーズをとっています。
山歩きはたいてい導師が手をつないで行きます。
トントンも大変です。ほとんどの山を我々と一緒に制覇したのですから・・・。
で、宿に着くとこんな顔になります(笑)(隣の女の子は現地にいた弟子の子供です)


トントンは、ピースサインの手すら上がりません。人に上げてもらっています。既に彼は仙人の領域に入っているのでしょうか?
私達の旅は、彼がいたことでどんなに和んだことでしょう・・・。
彼はところ構わずタダをこね、イタズラもし放題・・・
ある時は池に落ち(笑)、ある時はアヒルに追いかけられ(笑)、ある時はウエイトレスにエッチなことをして嫌われ(笑)・・・
振り返ってみると、彼は私達にとても大切なものをプレゼントしていました。
修行の旅と言えば、ともするとエネルギー系ガチガチになりそうです。
ここは場が良いだの悪いだの・・・今日は瞑想に深く入れたの、入れないだの・・・
しかし、そんな会話をしていると「トントンがまたいないわよ〜」というリサの声がします。そうなるとエネルギーどころではありません(笑)。
たった一人の子供がいるだけで、こんなにも振り回させるものでしょうか・・。
いい調子でエナジー感じていたりすれば、後ろから突然蹴りが来たりします(笑)。
「おじちゃんは瞑想しているんだぞ」と日本語で言っても、「アハハハハ・・」と、まるで『ちびまるこ』に出てくる山田君風に笑います。
私も瞑想中に風を感じると、すばやく手を後ろに出し、むんずとばかりトントンの足を掴めるようになりました。
風ですよ、キーは・・・(笑)。
彼は私達に子供心を持ち込みました。彼は私達に解放する感情を持ち込みました。
導師の厳しい点も見ました。
トントンは何度お尻を叩かれたか分かりません(笑)。トントンは何度ビンタを食らったか分かりません(笑)。そのたびに大泣きです。
しかし導師の「叩き」はとても優しいです。バシッではなく、ピシッという感じです。叩くのは彼女の気持ちだけです。
しかし叩いた後、その数秒後にはトントンを抱きしめています。トントンは泣きながらも幸せそうに私を見たりします。
仙人仙女は三次元の生活から離れてフワフワとしているわけではないのです。

このトントン、疲れているように見えますよね。しかし今回の旅は、肉体は疲れても精神が疲れるということは、全くありませんでした。
マイナスなことがあっても、それで逆に元気100倍になる旅だったのです。
それはどうも「修行を第一とは考えない」ことにあるのではないでしょうか。
修行を第一に考えていると、他の要因が第二以下になります。第一のランクが出来ないとそれだけでマイナスと考えます。そしてそれを阻害した第二以下の要因を邪魔物扱いにします。
ところで、「人生はこれが目的だ〜」と言っている人がいたとします。その人にとってその目的以外は、「困難を乗り越える手段」と化するのです。
例えばツアーを募集し、その時トントンがいたらどうでしょうか?
全員で瞑想していてとても良い状態に入っている時、トントンの蹴りが後ろから来たらどうでしょうか?(笑)。
「あ〜、いい状態だったのにぃ・・」とぼやく人はいないでしょうか?
今回の経験から言うと、その人はエネルギー瞑想だけを修練と考えているのです。
瞑想中に蹴りが来るという、意表を突かれることを楽しむ修練は度外視されています。
三次元で生きているとこんな事ばかりです。××が無かったらスムーズにいったのに・・・。
トントンはシンセンに帰っても、相変わらず導師に怒られているでしょう。
今度、みんなで蹴りをよける瞑想法というのをやりたいものです。そうでないと導師との旅は出来ません(笑)。
文爺さんと孔子(2000/07/19)

導師には、爺さんがいました。爺さんと言っても、1236年6月6日生まれ・・。ですので770年も前の話です(もちろん亡くなっています)。
まぁ、私だってお爺さんは聖徳太子だという説もあるくらい(無いって?)ですから、このくらい前にさかのぼると信憑性は薄れますが。
でも、それは大きな問題ではありません。導師が言うのですから導師のお爺さんだと言うことにしておきましょう。
ここでは文爺さんと呼びます。正式名は文天祥と言いますが・・・。
さて文爺さんは秀才でした。この銅像をご覧下さい。凛々しいでしょう?

(一番右は案内人です)


さて、どのくらい秀才かといえば・・・
この銅像が建っているのは導師の故郷にある、エリート養成校です。800年もの歴史があります。さすがに中国、歴史の長さは半端ではありません。
文爺さんはここで一番になりました。全科目が一番だったというのは彼が最初だそうです。
文爺さんはそれで終わりません。あまりの秀才ぶりが買われ、なんと24歳で国の首相になります。
当時は皇帝の時代です。首相は皇帝に次ぐナンバーツーです。皇帝はセレモニーが主体で、首相が実際の政治を担当しました。

文爺さんは文武ともに力を発揮します。
文爺さんの資料館は全国各地にあり、その最大級のものが導師の故郷にあります。
その資料館の資料には、彼が皇帝と共に出兵している勇ましい姿もあります。
ところで最初の銅像の下には文字が書いてあります。この意味は
「人生には必ず終わりがある(死がある)。だから一生懸命に努力してその結果を残せ・・・」
う〜ん・・。何だか道教の言っている事と逆のようですねぇぇ。で、この学校には孔子の像が書いてあります。


孔子は紀元前552年に生まれました。孔子は大変に勤勉でした。世の中を良くしようとして学校を作ります。そして「正名の主張」というのを始めます。
正名の思想とは、君主は君主の名に恥じないことをしなければならないというものです。大義名分という言葉もこの頃に出ました。孔子は秩序を広めようとしたのです。
地位も司法長官という高い位置につき、彼は全国を回って改革に努めます。
しかしどの国に行っても高官が孔子に尋ねたことは、軍隊を強くするにはどうすればよいかとか、利益を上げるにはどうすればよいかということばかりでした。
私欲にふける政治家に彼の言葉が通じませんでした。
結局60歳まで説得を繰り返しますが、誰も聞き入れてくれず、全ての役職を捨てて故郷に帰り、私塾を作ります。そして弟子達に夢を託しました。
そして74歳で静かにこの世を去ります。彼の思想が儒家思想として歴史に残るのは、彼が死んでから後になります。
その孔子の思想を引き継いだのが、この学園でした。文爺さんはその第一頭として活躍します。下の絵は、爺さんが皇帝のために(国民のために)計画を立案しているところです。


国の首相として名に恥じない事をします。しかし彼が44歳の時に自分の仕えていた皇帝が死に、新しい皇帝が誕生しました。
彼は以前と同じように皇帝に進言します。しかし、皇帝の方針は前の皇帝のものを引き継ぎませんでした。彼はそれでも前と同じ方針で行こうとします。
で、新しい皇帝は頭にきました。「お前はわしの命令に従えないのか?」
「申し訳ございません。あなたの方針は国のためになりません」
この会話の後、爺さんは牢獄に入れられます。牢獄でも彼は相変わらずの方針を皇帝に進言し続けます。紙がないので自分のローブにそれを書いて皇帝に渡してもらいます。
資料館では、これらの話は美談として扱われています。
一人の主君に仕え、その人を裏切らなかったとして爺さんは評価されます。国を愛するということは、こういうことだと評価されます。
爺さんは3年間の牢獄生活の後、死刑になります。それとて、国のために身を削って死んだと評価されます。
しかし・・・国(新しい皇帝)はそれでも大きな間違いを犯さずに発展し続けます。
種の保存の原理では、寿命が長い種は競争力がなく、滅びると言われています。長生きする種は、環境の変化に対応できないからです。
「今の若い者はダメだ。わしらが若い頃はこんな風ではなかった」と言って、時代遅れの価値観を若い世代に押し付けようとします。
不老不死が実現しない最大の理由が、ここにあると思います。私達は過去の経験を、なかなか手放せないのです。無意識からの微弱な信号よりも、過去の経験に従います。
文爺さんは、新しい環境(新しい皇帝)に適応できなかったものでしょうか・・。
そして時は流れ、この地に導師が生まれます。導師の父は、まるで文爺さんのような人でした(この話はまた書きます)。
一生は結果を残すためにある・・・目的を持て・・為さず(目的を持たず)して為す・・・
私達がぶつかるのは、いつもこの二つの問題です。これが導師の故郷でもこのぶつかりがあるのです。このぶつかり合いは、またアップします。
指(2000/07/19)

仙道は指の形だとは思いませんでした。指の形をちょっと変えるだけでエネルギーの流れが全く変わるのです。
プラスからマイナスに流れていたのが、マイナスからプラスに変わるように、180度も変わるときがあります。
下の写真がぼやけているのは、仙道は直接伝授が基本だからです。ぼやけていても、概略は分かると思います。



この瞑想ポーズは天人合一のポーズとも言われています。
通常、私時は瞑想する時は指を丸くします。それはエネルギーを内へ内へと入れます。内観瞑想とも言われます。体内の気を高めるのには良い方法です。
しかし、私達の気は循環しているというのが仙道の一つの考え方です。一つの例が換気扇です。部屋の空気を外に出すことによってリフレッシュさせます。
あれが外の空気を中に入れたらどうでしょうか?なかなかリフレッシュしないでしょう。
このぼやけている写真は、指が丸くなっていません。丸くしないとエネルギーは外に出ます。
エネルギーが外に出ると、あなたは損をした感じがするでしょうか?
やってみると分かりますが、エネルギーを外に出すというのは気持ちの良いことなのです。
自分でやってみると良いと思います。指の先同士をくっつけた状態から、少しずつずらすのです。するとエネルギーの流れが逆転する位置があるはずです。
仙道は厳しい修行をするのかと思いました。それは指先一つだったのです。
開発委員会(2000/07/20)

帰国後に書いている中国紀行ですが、流れ的には黄山の上でリスと遭遇したところまで行っています。
しかし断片の記事は、既に導師の故郷のことを書いたりしています(文爺さんの件)。
これは私の心境に従って書いているのが原因です。
今日は、旅の最後のイベントをここに書くことになります。
それはあの松の木の林での、マスターとの遭遇の後でした。
導師の生まれ故郷は江西省吉安市青原山と言います。下の写真は青原山の入り口です。
車がなかった頃は、この門を通って行ったのでしょう。


さて、導師は吉安市の開発委員会に招かれました。一介の主婦がなぜそんな会に招かれるのか・・・。
ここで雑談になりますが、導師は文爺さんの血を引き継いでか、非常に記憶力が良いです。
私はリサにシンセンのホテルの予約をキャンセルして欲しいと言いました。帰国日前日にシンセンに帰る予定にしていたからです(それが当日に変わったため泊まる必要がなくなったのです)。
シンセンにいる間はリサが私と導師の間を取り持つので、私のホテルには大抵リサが電話してきます。導師は拙い英語で一回かけてきただけです。
リサはその時「電話番号を忘れたわ」と言いました。しかし隣にいた導師が「××番です」と言いました。その通り、合っていました。導師は左脳もすごいです。
で、社会に出てから北京大学の法学部を出ています。そんなことも今回初めて知りました。で、開発委員会の上座に座っても、落ち着いたものです。


開発委員会が導師を招いたもう一つの理由は、導師が風水を見られることにありました。導師は地図を見て診断します。その時、あの松林が開発計画に入っていることを知りました。


中国にとっての開発は、やはり「発展」です。田舎なのに(失礼)ものすごいきらびやかな計画を立てているのです。まるでカジノが出来そうな雰囲気です。
市長(右側にいる)の狙いは、観光です。だって、大した産業はここにはないのですから・・・。
導師はそこで力説します。「あの松林は残して下さい」と・・。「いつか、あの松林を体験するために日本人さえも来るようになります。最初の一人がここにいます」と・・。
私は導師の隣で、場違いに座っていたのですが、意見を述べることになりました。
英語で言って、それをリサが中国語にします。
「今回の旅では導師に多くのところに連れていってもらいました。龍門洞窟、斉雲山、黄山・・いずれも中国の秘境と称される場所であり、黄山は中国政府も観光に力を入れています。でも、もっとも良かったのはここ、吉安市です。青原山です。一見何の変哲も無い林なのですが、あそこには仙人・仙女が住んでいます。こんな話は信じないかも知れませんが・・・。このような場所を日本で体験したことはありません。」

さて、もう一つ書いておくことがあります。
ここには道観はありません。道教という哲学はここには薄いのです。だから、文爺さんの銅像があり、孔子の像がありました。
開発も、ある意味では孔子の儒教に沿って行われています。開発委員長は、その名にふさわしい事をやるべし・・・と。
さて、もう一つ書いておくことがあります。
何故ここには仙人仙女がいるのでしょうか?その理由の一つが、道教が進出していないことにあるような気がします。
6000年前に仙道が起こりました。その流れを汲む導師・・・。
4000年前に道教が誕生します。そこに仙道は吸収されるような形となります。仙人は道教の神のように祀られます。
私は老子を見ると、道教に見えます。彼はアンチテーゼ、つまり孔子の儒学に反論する形で存在しているからです。
為さずして為す・・と言うこと自体、少しずれています。放っとけばいい・・それが本来の為さずして・・だと思います。
しかし、民衆は孔子の「なるなる政治(笑)」に反論したかったのです。もう一つは仏教の勢力にも対抗したかった・・・。それで老子が担ぎ出された。理論付けのために・・・。
私はリトンビンに道教を感じないのです。彼には、仙道なら感じます。
老子はイデオロギー的であり少し不自由、しかしリトンビンは自由・・・。そんな感じです。
もしもきらびやかな道観がここにあったとしたら、マスター達はここに住まわなかったのではないでしょうか?

さて、今後開発計画はどうなるでしょうか?
日本でこんな話が持ち上がれば、「××を守る会」かなんかが誕生し、開発当局と対立して意志の力で守るような気がします。
トトロは人間の開発に一石を投じる物語でしょうか?
先に開発をして経済力を高め、のうのうと旅行に来た日本人の私・・・そこで開発委員会に意見する私・・・。
あの松林の横は既に道が出来て、ダンプカーがブンブンと唸って走っています。
「昔はこんな道は無かった・・」と導師は嘆きました。
でも、あのとき出現したマスターにそういうものを憂う表情は見当たりませんでした。それをも楽しむような表情で消えていきました。
コンクリートの東京のど真ん中、ふと風が吹いた時、仙人・仙女に再び会えるような気がしてなりません。
書き込み期間:2000/07/18〜2000/07/20