テーマ:「六爻占術2002.01─六爻占術からの気付き」
書き込み期間:2001/011/15〜2002/01/14
要旨:
六爻占術に関して、大きな疑問が浮上しました。なぜ情報を乗せる媒体がコインであるのか、そしてコインに情報が乗るのはいつの時点なのか、そもそもなぜコインに情報が乗るのか、という問題です。
コインに念が乗るかという実験を行ったところ、念は乗らないという結果が出ました。
このことから、振る人本人の意識や念の影響を排除するために、重い、それも流通して不特定多数の人の手に触れたコインが使われたのではないかという仮説ができました。
もう一つ生まれた仮説は、私たちは潜在意識では全ての情報を知っていて、コインを振る時にもいつ手を放せばどんな目が出るかも知っている、そうして潜在意識の情報を物理的な方法で表出させて顕在化させているのではないか、ということです。
ピンポイントに正確な情報を出すことのできる六爻占術ですが、その特徴として気付いたことがいくつかあります。
六爻占術の卦から応期(ものごとの起こる時期)が情報として出ますが、何月何日という絶対的日にちとしてではなく、エネルギーの波のポイントからこの時点というふうに、相対的な情報として出るのです。
六爻占術では器の中に入っている物を当てることができ、これが私が六爻占術を本格的に始める大きなきっかけとなったのですが、この場合も物の名前そのものが出るのではなく、物の性質を情報として捉えて出すのです。
また、六爻占術に情報として出ないものがあります。例えば病気を治す具体的な方法論や提案などです。
なぜそれが出ないのかというと、時空において善悪の価値判断や余計な介入など、存在しないからではないでしょうか。
ただ、六爻占術には運命変更の方法があります。
その一例は「桃の木で作った剣に松脂を塗って、東の壁に3本吊るす」などの手法です。これは卦の情報を読み取ることで出るのです。
一見非科学的に見えますが、実は極めて論理的に導き出された答なのです。
但しこれは、卦の情報を正確に判断できるようにならなければ出来ません。トラさんでさえ、運命変更の方法を見つけるのに丸一日かけて考えることもあるのです。
運命を変えるということは、とてつもないことだと思います。
●目次
○『ホーキング、未来を語る』より
○宿題・・私の敗因
○運命
○この世に偶然は無い
○波動
○墓の地、沐浴の地
○科学者
○実験報告(コインに念は乗るか)
○器の中に入っているものを当てる
○コインに「乗る」のはいつ?
○潜在意識は未来を知っている、だから次に出るコインの目も知っている
○自分とはあまり関係ない情報を引き出す時
○It is not new!
○トラさんとの宿題のやりとり(女性が占った男性運)
○論理と孤独
○用神
○世爻信仰
○剋は生のエネルギーに変わる
○病気の治し方
○運命を変える方法
未来予知に関してホーキングは次のように書いています。
「ほとんどの科学者が占いを信じない主な理由は、科学的証拠が無かったり、不足している点ではなく、実験でテストされ、正しいとされているこれまでの理論と矛盾するからです。」
私はホーキングを尊敬しています。彼の著書は読みやすく、大変に示唆に富んでいます。
しかし上記の一節はいけません。
矛盾するのは、「実験でテストされ、正しいとされているこれまでの理論」の方が違うかも知れないのですから・・。
彼の書いた一節は占いをハナからバカにしているという記述です。
とは言え、私も去年の今ごろなら、「当然でしょう、未来なんて分かるはずありませんから」という感じで、ホーキングの文章を賛同のもとに読んでいたと思います。
しかし最近、科学は停滞した感すらあります。
12年前に書かれた『ホーキング、宇宙を語る』で彼は、「21世紀に至るまでに科学は終わりをつげるでしょう」とすら豪言していました。
統一場理論が出来ると信じていたのです。それが今回の本では弁解をしています。
「古いことわざにこんなのがあります。"たどりつくより、希望を抱いて旅を続けるほうが幸せなのだ"・・と。ゴールにたどりつしてしまったら、人間の精神はしなびて死んでしまうかも知れませんから」・・と。
いき詰まりを自ら肯定し、それがある意味良いのだと言っています。
しかしですよ、西洋科学のいき詰まりは東洋で打破出来るような気がします。
その芽はすでに色々なところから出ています。
それは「実験でテストされ、正しいとされているこれまでの理論」と対立するものではなく、包含するものだと思います。
銀河運動装置しかり、六爻占術しかり・・です。
宿題は、父の病気を占いというケースでした。この場合は父母を用神とします。
原神(プラスエネルギー)には官鬼が来ました。
この官鬼が月日から生を受けて、とても強かったのです。
官鬼は通常病気を意味します。
私は迷いました。官鬼が強くなるので、その一番強くなる月に死にますと回答しました。
すると、逆だったのです。私が死を予告した月に、父の病気は治ったのです。
年運のように、別に病気を占っていないときの官鬼は病気を意味しますが、病気そのものを意識して占ったとき、官鬼は中立な立場になるのです。卦全体が病気になるからです。
六爻占術は、たった六個のコインに多くの情報を乗せるために、何を占うかによってシチュエーションかどんどん変化します。固定して覚えていると、生死もひっくり返ります。
運命
その昔、インドでアガスティアの葉を調べました。
そこにあった葉には私が生まれた日や結婚する相手や、死ぬ日も書いてありました。
死ぬ日に関しては、「ここに1万円を寄付すればカルマが消えて、10年は延びます」と言われました。
たまたまそこで一緒になった日本人達は、みんな払っていましたが、私は払いませんでした。
その真偽は置いておきまして・・六爻占術から言うと、5000年前にこのようなことが分かることはあり得るでしょうか?
言い換えれば、生まれる前の赤ちゃんに対して、このような運命を出すことは可能でしょうか?
今の私は「それは不可能です」と答えます。
なぜかと言うと、エネルギーが波のように循環しているからです。
六爻占術では時期のことを応期と呼んでいます。
応期はエネルギーの波のポイント・ポイントで起こります。
以前、ニッセンが上がったときトラさんはこういうメールを送ってきました。
「卦には原神の子孫辰土が月破と日破で、月破の場合はその次の月に解かれるが普通ですが、日破にもなり、時間がずいぶんかかり、二ヶ月かかりました。今日は甲辰日でちょうど月破が解かれる日なので、今日上がりました。」
私たちは最初、日破であったことを見逃していました。
しかし問題はそれだけではありません。
コインには絶対的日にちが出てこないのです。あくまで相対的な情報しか出てきません。
ということは、これほどピンポイントに強い六爻占術も、絶対的な応期を当てるということは不可能なのです。
ですからこれをもって六爻占術は当たらなかったというのはちょっと違います。
これは時空のなせる技なのです。
時空は、波のように上下を繰り返し、そのたびにチャンスは訪れます。
それを的確に掴む人が、うまくいきます。
ですから絶対的に運命は、決まっていないと思います。 この世に偶然は無い
この世に偶然は無い・・というフレーズは精神世界でよくきかれました。
私は好きではありませんでした。
なぜかというと、「すべてあなたが作り出しているからです」などという結論になったからです。
さて、私は最近「この世に偶然は無い」のではないか・・と思うようになりました。
それは六爻占術から来るエネルギーの考え方からです。
この世・・特に地球では月日のエネルギーが大きいです。この波は日によって違い、月によって違い、春分・秋分などは秒によって違います。
自転・公転・地軸の傾きによって変わるエネルギーです。
自分も相手もこれらのエネルギーを受け、ある時は自分が墓になり、あるときは相手の墓に入ったりします。
こうやって考えると、どうもこの世は、起こるべくして起こっているような気がします。
人の出会いもそうです。人が出会い、生剋を繰り返して関係が深まったり別れたりするのも、ある意味エネルギーのなす波の仕業だと思います。
人生はハプニングだし、未来に起こることが分かってしまうとつまらない・・という人も多いです。
でも、もしも本当によく当たる占いがあれば、放っておくことは出来ません。
しかも自分で占えるとすれば、なおさらです。
もしも「ハプニング」が大事だとすると、その人はたぶん、生き方が大事なのだと思います。自分を大切にして生きたいのだと思います。
でも私は、自分は無いと思い始めたので、大切にするものもなくなりました。
もう一つのハプニングは、未来を知っている上でのハプニングです。
六爻占術において官鬼は男性、病気、仕事、管理職とかいう意味があります。超能力系では鬼とか妄想とかいう意味になります。妻財は女性とか財運です。
さてそれらは、名前は違っても同じような波動を持つのではないでしょうか・・。
例えば・・特に私にとっては男性性を極めることはストレスになるのです。男性的な信念を持っている人がコロッといくのも、それはストレスと関係していると思います。
財運は、お金を主体的に求めると入ってこないときが多いです。
その気まぐれさは、まるで女性です(笑)。
いかがでしょうか・・それともこれらは、まったく関係ないでしょうか・・
妻財にある意味群を挙げると、
妻 愛人 財産 器 食べ物 台所 飾り物 晴れ 髪 血液 息 呼吸 涙 …など
どうも似た波動を感じませんか?
天気を占う場合、妻財が強いと晴れますが、官鬼が強いと雷になります。
十二支は、ぐるぐる回ります。その生剋関係は、まるでサインカーブの波動のようです。
それが用神、原神、忌神、仇神に来ます。
波動の中で、プラスが重なれば大吉です。マイナスが重なれば凶です。
卦の判断は、そこまでする必要があると思います。
しかし、世の中はみんな、こういう波動の集合体かも知れません・・
この「地」と付くものは、エネルギーの生剋とは関係がありません。
「沐浴の地」が出たとしても、それとは別に、二人の間にはエネルギーの生剋関係はあるのです。
恋愛においては用神(恋人の意味)のエネルギーが弱いと、別れることになります。
ある人の年運のように、新しい(密会する)恋人が現われても、前の恋人と別れないのは、前の恋人が日から生を受けているからです。
そういった別れとかいう流れとはまったく別に「沐浴の地」はあります。
沐浴の地が出ると、エッチな関係だと言われています。
それはエネルギーからくるのではなく、情報からくるのです。
墓の地も同様です。情報なのです。
一方が辰で一方が土という関係で、それが生じたりします。
しかしあくまで二人の関係の情報であって、別れるとか続くとかのエネルギーとは独立しているのです。
逆に言うと、六爻占術においては、エッチしなくても別れるときは別れるし、別れないときは別れないのです。
自分の墓に入ってきた時、好きにしてもしなくても、別れるときは別れるし、別れないときには別れないのです。
情報とエネルギーの関係は、深いものがあります。 科学者
「ほとんどの科学者が占いを信じない主な理由は、科学的証拠が無かったり、不足している点ではなく、実験でテストされ、正しいとされているこれまでの理論と矛盾するからです。」
再びホーキングの一節を出しました。
私はやはり、これには抵抗を感じます。抵抗というよりも、ちょっとした脱力感です。
まず、「科学者が占いを信じない」という言葉です。
「もりけんさんは、それを信じているのですか?」と、よく聞かれます。
私は信じてもいないし、信じていないでもない・・と答えます。
もう一つは「矛盾」です。
科学の世界に矛盾はあるのかもしれませんが、それが理由に「信じない」とは、いかないはずです。
ところで私は、自分を科学者だと思っています。
そういう意味では、世界中の人が科学者です。
私は、矛盾するデータにドキドキします。
なぜなら、いままでの理論では説明でなかったことが説明できるかも知れないからです。
私は、そのために色々な調査をしています。
ピーナッツから芽が出るのも、「矛盾」です。数多くの現象が「矛盾」です。
しかしそれらは、なぜか、私の感性の中では矛盾していないのです。
ですので、理性の世界で矛盾していない法則に書き換えたいのです。
ホーキングの言葉を私なりに書き換えると、「私が占いを扱う主な理由は、実験でテストされ、正しいとされているこれまでの理論と矛盾するからで、そこに新しい理論を作れるかも知れないと思うからです。」となります。
科学者の定義というものがあるかどうか知りませんが、私は科学者が自分のことを「科学者」だと言い切る理由は、何なのでしょうか・・
反対に文科系の人が、「自分は科学者ではない」・・と言い切る理由は、何でしょうか・・。
そして「科学者達は・・」と批判する人は、自分を科学者ではないと考える根拠は何でしょうか?
私は、私を科学者でもあると思っています。
不思議系の人は「科学者はこういうことを研究すべきだ」とよく言います。
で、「あなたも科学者にすぐになれるのだから、自分でやれば・・」と思います。
生まれながらにして人は元々科学者でもあり、芸術家でもある・・
特に文科系の方へ質問です。自分を科学者だとは、思いませんか?
私には世間一般で言われている科学者の肩書きはありません。
調査に行った折、これはよく訊かれます。
「あなたは科学者ではないのですか?」裏を返すと、素人か?と訊かれています。
そのとき自信を持って「科学者です」と答えます。
「科学者ではないのですが、・・えーーと」という具合ではありません。
ところが、たまたま同行することになった人たちの中にはこういう人がいます。
引いているのです。
「奴」との勝負は、そのときの面接者との勝負でもあると思うのです。
自分は誰でもないから、誰であります。
科学者であると同時に宗教家、芸術家、占術家でもあると思います。
不思議な領域に対して「科学的」に対応したいという意気込みのあまり、私は最後の「占術家」を切り捨てていました。
そういう意味で私は今まで、本当の科学者ではなかったと思います。
100円玉を3個用意して、「表よ、出ろ」と念じながらコインを振りました。
手の間に入れて、「表よ出ろ」と念じながら、チャラチャラと5分も混ぜるのです。
5分間混ぜ、20回投げて記録します。また5分間混ぜ、20回投げて記録します。
これを6回繰り返すのです。
総計30分もチャラチャラと混ぜていると、腕が相当に疲れました。
結果は以下の通りです。
混ぜた時間
総計(分) 表が出た確率(%)
0 48
5 55
10 46
15 53
20 50
25 50
30 50
これを見る限り、私の念は全く乗っていません。
「振る人の願望が入っているんじゃないの?」という問いかけにはNOと言えそうです。
私の念も、捨てたもんじゃありません(笑)。最近は念箔計もよく動きますので・・
ですので、古代の人は、振る人の念と願望が乗らないようにコインを選んだのかも知れません。
次の実験として、明日の0時からの天気を占いました
六爻占術と同じように三個のコインを六回振りました。
精神統一し、明日の天気を思って軽い瞑想までして臨みました。
裏の確率(%) 天気の判断
33 晴れのち曇り
44 晴れのち曇り
33 晴れのち曇り
22 晴れのち曇り
33 晴れのち曇り
なぜか、確率はすべてぞろ目でした。最初と最後に出た33%は、すべて同じ目でした。
しかし目が違っても、判断は同じです。
この変換システムを作った人は、本当にすごいです。
私にはどう見ても、ランダムにしか見えません。
共通項は、50%以下ということでしょうか・・?
夕方はかなり雲が出そうだと、コインは言っています。
妻財が剋され、父母に代わっているからです。前半は、妻財が強いです。
器の中に入っているものを当てる
私が六爻占術に入り込む大きなきっかけは、器の中に入っているものを当てることができるというのを知ったときでした。
未来予知が「時間」に対しているのに、器の中は「空間」に対しています。
つまりコインは「時空」の全てに対応するのです。
アインシュタインは、空間と時間は同じようなものだと言いました。
佐々木康二さんは、時間と空間は位相が90度ずれているだけだと言いました。
時間の予知ができるのなら、空間の予知も出来るはずでした。
それが六爻占術では出来たのです。
もちろんコインは事物の名前を知りません。
だからバシッと物の名前を告げることは出来ません。それが超能力との違いです。
それでも、私は六爻のほうに親近感を覚えました。
物の性質を推理していく方が、すごいと思います。
なぜなら、物が波動として、どのように存在しているかが分かるからです。
六爻占術に大きな功績を残した古代人は、盲目だったそうです。
彼は出たコインの目を触り、空間も時間も、私たち以上の世界を見ていたような気がします。
未来のことがコインに乗るのは、いつでしょうか?
コインに未来のことが出るというのが、本当だと仮定します。
その上での議論ですが、一体いつ、それは乗っているのでしょうか?
コインが手から離れてチャリーンと転がっている時でしょうか?
でも、私が目で見る限り、異常な動きをしているように?は見えません。
手から離れれば物理の法則に従うだけではないでしょうか?
運動量保存の法則、慣性の法則・・等々です。
テーブルで回転する余裕も無くボタッと落ちるときもあります(笑)。
そんなとき、「奴」は関与しようがありません。
だとすると、手の中に入れてジャラジャラとかき混ぜているとき以外には、ないのではないでしょうか?
しかし・・・それでも人間が手の中を見られるわけではありません。
どちらが裏か表か、確かめようもありません。
「無意識」が介入しようとしても、手の中でジャラジャラやっているときに順序を入れ替えることなど、可能でしょうか?
私はトラさんと一緒に何度も中国を旅しました。
私の隣でトラさんはコインを振っていたのですが、私は全く相手にしませんでした。
それは上記の理由です。みなさんもそう思いませんか?
私は、これをトラさん以外の人から知ったら、一生相手にしなかったと思います(笑)。
信頼できるトラさんだから、私も相手にし始めたのです。
でも、聞けば、トラさんも同様なのです。
彼も最初は信じていなかったのです。冗談半分に友達を占ったら、当たったのです。
つまり、開発者からして、原理が分かっていないのです(笑)。
でも、考えてみれば、現代科学もそうです。
電気の世界でプラスとマイナスがなぜ引き合うのか、分かっていません。
なのに人間は、コンピュータまで作ってしまいました。
電波がなぜ飛ぶか、分かっていません。なのに携帯電話は、これほど普及しました。
根本原理が分からないのは、どちらも同じなのです。
しかし・・私は知りたいです。コインにそれは、いつ、乗るのか・・を。
潜在意識は未来を知っている、だから次に出るコインの目も知っている
なぜ表題のことに気付かなかったのでしょうか・・。
まず、今までのアプローチを書いてみます。
「私たちは時空から未来の情報を取ることが出来ます。それはラジオのチューニングのような感じです。そしてその情報が何らかの形でコインに乗ります。」
私は前半の部分には納得していましたが、後半の部分に納得できないでいました。
コインに何らかの形で・・と言っても、信じられないのです。
だって、コインは物理の法則で落ちているだけです。
どこに未知のエネルギーの関与する余地があるでしょうか・・
でも、考えました。それは手を離れる前か、後か・・
手を離れた後は、どう見ても物理の法則に従っています。コインが手を離れたときのエネルギーの量の方向が分かれば、コンピュータで計算できそうです。
そこには未知のエネルギーは関与する余地はありません。
さて、そうすると手を離れる前です。ジャラジャラとかき混ぜている間です。
しかしたとえここで何らかのエネルギーが関与していたとしても、高いところから放られては元も子もありません。
せっかく裏を出そうと思ったのに、コインは転がり、下に落ち、壁にぶつかって表になってしまいました・・ということになります。
つまり、コインに情報が乗るのは、不可能なのです。ホーキングが言った通りです。
「ほとんどの科学者が占いを信じない主な理由は、科学的証拠が無かったり、不足している点ではなく、実験でテストされ、正しいとされているこれまでの理論と矛盾するからです。」
やはりコインは偶然に転がっているとしか考えられません。
ここに未来の情報が乗るとすれば、今まで正しいとされている理論と矛盾します。
で、ここの部分までを不思議研の所員に話しているとき、突然閃いたのです。
実を言えば、ずっと袋小路に追い込まれていた私は、前日テレビで五木博之が言ったセリフ「喋る人間になりなさい。出す人間になりなさい。出す人間は、それだけで成長します。出しながら気付き、フィードバックで気付くからです」を実行していたのです。
誰かと喋れば、何かが開けるかも知れないと思いました。
そして・・喋っているとき、気付いたのです。
「潜在意識は未来を知っている、だから次に出るコインの目も知っている」・・と。
つまり、アプローチはこう書き換えればいいのです。
「私たちは時空から未来の情報を取ることが出来ます。それはラジオのチューニングのような感じです。そしてその情報を自分の手でコインに乗せます」・・と。
自分の手でコインに乗せているのです。
六爻占術は大きな前提があります。「私たちは未来を知ることができる」というものです。
未来を知ることができるのなら、なぜ、コインの目を知ることができるということにも気がつかなかったのでしょうか・・。
つまり六爻占術は、二つの未来予知から成り立っているのです。
一つは占う対象の未来を知っているということです。
二つ目は、それをコインに出す際、コインの目も、知っているということです。
二つの未来予知が同時進行しているのです。
だから、コインに念が乗ってはまずいのです。
中国の弟子達はパソコンを使わず、すべて暗記する方法を取っています。
(だから3年もかかります)
暗記していると、どういうことが起こるか・・。
例えばトラさんは、五回目を振り終わったとき、六回目では、裏が一枚出る組み合わせが一番吉になる・・とかが分かるんです。
自分や身内の占いなら、嫌でも意識が介入しそうです。
それに対して中立でなければ占いは出来ません。
それで重いコインになったのではないでしょうか・・。重ければ、念を排除できます。
(念でコインを動かせるのは孫さんですが、20分もかかります)
流通するコインを使うというのも理由がありそうです。
トランプを使った実験のとき、新品でないとダメでした。
使ったトランプは、他の人の念などが混じっていて、なかなか自分の念が乗らないからです。
コインでも、新品だとこういうことがあるかも知れません。
使うのは大抵自分だけなので、自分の波動が乗り移ります。
すると、意識の影響があるような気がします。だから古銭が良いのかも知れません。
トラさんはテキストに「できるなら、古銅銭でしかも四角い穴のあるものが良い」と書いてありますが、丸い外形と四角の穴も、一つの意識に同調させないためかも知れません。
ここまでの話を一言で言うと、「人は潜在意識の下で、次に出るコインの目を知っている」のです。壁に当たろうが、ボタッと落ちようが・・です。
「ここで離せば表が二枚出る」という必然性のもとに離しているのです。
もちろん意識では分かりません。あくまで無意識の世界です。
無意識の世界を全開にするために、振っている間は喋らない方が良いのでしょう。
六爻占術は良く当たる・・しかしなぜコインに情報が乗るのか・・
こんなバカな問いは、六爻占術に対して失礼でした(笑)。
よく当たるのなら、出る目だって知っているはずです。
古代人は、まず、この前提があったのです。
「自分達はすべて知っているはずだ」・・という。
精神世界でも良く言われていたことでした。
しかし知っているのは、潜在意識であって、顕在意識ではありません。
株を買ったり売ったりするのは顕在意識の世界です。
ですので、潜在意識を顕在意識の世界に引きずり出す必要がありました。
潜在意識を陰の世界だとすると、顕在意識は陽の世界です。
六爻占術は陰を陽に変換しているのです。オーラメーターもその役割をしています。
潜在意識の情報を、物理の世界で表現させているのです。
でも六爻占術のすごいところは、デジタルな点でした。
陰の、しかもアナログな世界を、陽の、デジタルな情報に変換するのです。
陰陽五行や十二支は、その変換システムなのです。
さて、一度はパソコン上でコインを振るシステムを作りました。
これは自分のエネルギーが奪われるようでイヤな感じがして、やめました。
たぶん、次に何の目が出るのかを予知するのが、とても難しいためだと思います。
一度だけやって結果は当たりましたが、すごく疲れたのです。
未来はどんなことでも、簡単に知れるわけではない・・と思いました。
しかし波動さえ合えば、どんなことでも知ることができると思います。
トラさんの不思議占いなとは、その際たるものです。
何億年前に死んだ恐竜達にも波動を合わせることが出来ました。
人間はアンテナとチューナー、コインはスピーカー、パソコンで動く解読ソフトは通訳です。
「奴」は無意識の世界にいそうです。そして、コインはその通信手段かも知れません。
神坂さんの地震予知は、外側から行っています。自分の外側のデータを調べるからです。
一般的な科学は、ほとんどそうです。
六爻占術は、内側から行っています。
「すべては自分が知っている」という前提のもと、それを表に出そうというものです。
「すべては自分が知っている」だけではありません。
「自分を通して、何もかも知っている」というのにまで発展します。
この問題は結構重要です。私はしばらく目をつむり、じっとその状態を想像し続けます。
ラグビーなら、そのチームがゴールを決めているときや、観客が立ち上がって歓声を上げているとき、とかです。
天気も、やはり目をつむり、窓から見ているところ、とかです。
カレンダーで未来にアクセスするのは、難しいです。
過去、素敵な出来事があったときカレンダーでその日を見ても、あまり感動しないと思います。カレンダーは左脳的なのだと思います。
本人の恋愛占いとか年運が当たるのは、本人の生き方そのものだから、何も考える必要がないからです。
もしも明日の外出で天気が重要なファクターなら、大した努力は無しにアクセスできるわけです。
自分とはあまり関係ない情報を引き出すために、トラさんは色々実験をしたそうです。
私が株をやると言った時、トラさんは私にアドバイスしました。
「毎日、同じ時間に、同じ場所で振った方がいいです。そうすれば、どういう状態がいいのかが、自分で分かってくるからです。時間と場所が違うと、どちらのファクターだか、分からなくなるからです」・・と。
古代人には、風呂に入り身を清め、香まで焚いて振った人も多いそうです。
たぶん、上司の指示で、戦争の行方などを占うときのような、重要なときだったのだと思いますが・・
一昨年西安に行った時、私は超能力者の前で日本地図を広げ、いつどこに地震がくるかと尋ねていました。
超能力者は一時間もやったのに、ダメだと言いました。
その場は来年の日本の地震の話題で持ち切りでした。
超能力者が帰った後、トラさんとダンさんは隣の部屋に行き、チャリーンとコインを振っていました。私はその時点でまだ、六爻占術を信じていませんでした。
でも、トラさんはほとんど当てました。これは状況をうまく利用したのだと思います。
六爻占術は古文書の世界です。すでに多くは出土されていました。
ですから、占いに関わる人は知っていました。
トラさんが言うと「知っているよ、六爻だろう・・あれは当たらないよ・・」と言われ続けました。
「Itisnotnew」でした。
でも、彼らの持っているのは、一つの古文書からの情報がほとんどだったそうです。
トラさんが中国で第一冊目の本を出すと、すぐに売り切れました。
しかし海賊版が出てきてしまうのは、中国の法制度が整っていないためでした。
占い関係の雑誌からは出稿願いが相次ぎ、いくつかの雑誌に書きました。
でも、もう書かないそうです。今、彼が書いた雑誌にはプレミアムがついています。
なぜこうなったかというと、多くの古文書が彼のもとで一つになったからです。
それは彼が考古学者だということも追い風でした。
考古学というのは、決して新しくはありません。
「Itisnotnew」です。
しかも「六爻は俺も知っているよ・・」というケースがほとんどだそうです。
名前は知られていながら相手にされなかったのが六爻占術なのです。
なぜでしょう?
下の写真は古文書です。
ちゃんと古代人も同じ書き方をしてますね・・老陰とか・・世爻とか・・
本当のマニアになると、古文書のように六親の頭文字と十二支の頭文字しか書きません。
問題
占い日(旧暦):己亥(水)月癸未(土)日
仇神 兄弟土 白虎
原神 妻財水 忌神 子孫金 世 回頭性 兄弟土 とう蛇
父母火 勾陳
仇神 兄弟土 朱雀
用神 官鬼木 応 青竜
父母火 回頭性 官鬼木 玄武
用神は月(水)より生じられている
原神は月と同性五行
原神は日(土)から剋されている
忌神は日(土)より生じられている
仇神は日と同性五行
世爻は日(土)より生じられている
応爻は月(水)より生じられている
森田
官鬼を用神とします。
応爻に用神があるので、今付き合っている恋人がいるでしょう。
応爻は二爻であり、二爻はベッドの意味があるので、もうベッドの関係でしょう。
また二爻は夫婦の意味があり、相手の男性はすでに結婚している人でしょう。
初爻に父母が発動して、父母には結婚証明書の意味がありますが、月破でしかも月から剋されているので、この人との結婚は難しいでしょう。
しかし父母の変爻が官鬼なので、そのうち新しい恋人ができるでしょう。
回頭性なので、新しい恋人と結婚するでしょう。
トラさん
森田さんの推論は合っています。
世爻に不思議の意味を持つが出ているので、本人は不思議が好きで、それで応爻にある男性と知り合ったのでしょう。
官鬼木が強くて応爻にあり、古代には官鬼が応爻に臨めば好きな男性であるという言い方があります。
今付き合っている男性が本人の好きなタイプです。
しかし、官鬼木が日の未という墓に入って、羊は兄弟で、兄弟には競争の意味があり、自分と競争すれば、別の女性でしょう。
そういえば付き合っている男性は結婚しています。
父母は発動して初爻は考えの爻位で、本人には別の人との結婚の情報が出ています。
新しい彼との結婚を判断すれば、父母午火を巡って判断します。
父母が日と判断すれば、結婚期が決まるという言い方があります。
ですから、来年の五月に結婚へのための新しい出会いがあるかもしれません。
五月は巳月で月破が解かれるからです。
でも、それで今付き合っている人との別れは卦には出ていません。
論理と孤独
トラさんが送ってくる宿題は、実際のものばかりです。
つい最近は、重病になった人の相談でした。
大きな手術を受けないとダメだと医者に言われたそうです。
手術をすれば大きな跡が残り、結婚にも差し支えます。
コインで占うと、手術をしないでもOKだと出ました。
それを言うトラさんは、相当に孤独だと思いました。
でも、手術しないで、予告した月に治りました。
以下は、トラさんから送られてきたテキスト第二巻の原稿に載っていた例です。 ある男性は妻の出産を占いました。(卦は省略)
[判断]
子孫を用神とします。子孫が世爻にあり、子孫の胎の地が胎児の爻位にあって、もう妊娠しているに違いありません。
子孫申金が陽爻で、そして、艮宮にあり、艮は陽の卦で、動爻の父母巳火も陽爻で、男の子です。しかし、生きたまま生まれません。
なぜなら、月は子孫の死の地で、忌神だけが発動して、用神に不利な要素が多いです。特に1998年に入ると、戊寅が巡ってきて、用神の絶の地になります。
実は妊娠した女性は妻と言えないです。父母巳火が玄武と同じ爻位にあって暗動した兄弟戌土に入墓して、結婚届をしていない情報です。
妻財が隠れて日に入墓して、日の辰土と暗動した兄弟戌土に剋されています。
そして動爻の父母巳火が妻財の絶の地で、この女性との付き合いは長くできないです。
妻財子水は子孫申金の死の地で、この女性は胎児を堕胎するでしょう。
…以上の判断を言ったら、この男性は突然不機嫌になって出て行ってしまいました。
が、翌年に再び私のところに来て、結果を告げました。占いが当たったのです。
ちなみに今度は未来の妻を占ってもらいたいですって。
中国では、同棲は違法なのです。
でも、トラさんはそれを相手に伝えます。しかも、死産まで・・
そして、相手は怒ります。トラさんは、一人部屋に残ります・・
なお、不機嫌になって出て行かなければ、運命を変える方法があったかも知れません・・?
六爻占術は論理的なのです。時空の論理なのです。
時空に目を向けたほうがいいです。用神とは何か。世爻、応爻とは・・何か。
用神
なぜ用神という概念が出てきたか・・という問題があります。
世爻と応爻だけでよいなら、用神などというものを作る必要もなかったわけです。
精神世界でよく言うところの「自分がすべを作り出している」なら、自分とは別人格のような用神を作り出す必要はなかったわけです。
しかし、用神という概念を作り出さないと、運命の問題を、古代人は、どうしても解釈できなくなったのだと思います。
以前、卦の計算の仕方を出しました。
世爻は卦の陰陽をひっくり返していき、上と下の八卦が同じになる点だと言いました。
つまり、コインを振った時点で世爻と応爻は決まっていて、動かしようがありません。
でも、用神は違います。用神は後から自由に変えることができます。
年運を見るときなどは、どんどん変えて見るのが普通です。
そういう意味では、年運においては忌神も固定されているものではありません。
世爻と応爻は固定されたハードウエアで、用神はソフトウエアだという感じがします。
ソフトとしての用神は、自分のエネルギーも入るし、相手のエネルギーも入るし、世間のエネルギーも入る・・という「場」のようなものだと思います。
選挙を占う場合、世爻や応爻はあくまでハードウエアとして入れ物なのです。
それを「利用」するのは、時空のエネルギーなのです。
選挙と同じ考え方をするものが、もう一つあります。それは試験です。
入試にパス出来るかどうかというのと、選挙でポストを得られるかというのは、とても似ています。
選挙でも、特に参議院のように多数の中から多数が選ばれるという場合は、入試などに似ています。入試も官鬼を用神とするのです。
六爻占術において、他の占いでは、用神にエネルギーが集まれば吉でした。
しかし、選挙や入試においては、違うのです・・
私に対するトラさんからの宿題が、あるとき入試シリーズになりました。
そして同様の問題にぶつかったのです。用神は月日から生じられて強いのです。
しかし・・他の要因は、今回の選挙と同じでした。
わたしは、一晩悩んだ末に、わたしの仮説で回答したら、それは合っていました。
選挙に受かるか入試に受かるか、その切り分けはたった一つなのです。
それは、用神とは、わたし達とは別にあるエネルギー体のようなものだという仮説から生じるものです。
試合などの問題では、結局世爻が主人公でした。
だから、世爻にエネルギーが集まれば吉・・という「世爻信仰」ができたような気がします。
それまではエネルギーの方向性というものをあまり気にしませんでした。
エネルギーが集まったほうが勝ち・・の世界でした。
でも、選挙や試験の問題でそれは崩れました。
いくら用神にエネルギーが集まっても、吉ではなくなったのです。
集まったエネルギーには方向性というものがあり、それが大切・・
応爻を生じていたら、アウト・・こういう前提ができました。
世爻信仰が強いのは、占いでは自分(世爻)が良くなることが重要だからです・・よね?
もちろん、世爻信仰は私にもありました。
実践編の最初の占いが「薄いパンスト占い」だったからです。
それは世爻にエネルギーが集まるか、否か・・でした。
世爻や用神という関係を、私はゲーム機に思えます。ゲーム機が「私」です。
世爻はカーソルのようなものです。「あんたは、ここだよ」と指し示しているだけです。
ゲーム機には多数のソフトが同時に乗ります。だから次世代型ゲーム機なのです。
仕事ゲームがダメでも、恋愛ゲームは良かったり・・
それぞれのゲームがどういう展開になっていくかを、画面に映し出すようにコインは出してくれます。
ゲーム(試合)は世爻と応爻の比較だけでした。
これはソフトを入れ替えることのできない・・つまりハードに縛られた安っぽいゲーム機のようなものです。
だって、ゲームをしている人たちはそれしか出来ない・・
厳重なルールの元、「人間」というよりは「動物」となって戦う・・
そこには、汎用性なるものは少ない・・だから、用神すら、出てこない・・
用神が登場するのは、マルチタスクのゲーム機だからです。
なぜマルチタスクのゲーム機でないといけないかというと、一つのことを占うのに、同時に二つの用神を使うときがあるからです。試験に受かるか受からないかがそれです。
自分の成績と、試験の順位は別だからです。一方を官鬼、一方を父母で見ます。
官鬼は父母の原神になる関係ですから、矛盾にはなりません。
しかし月日は一方を生じ、一方を剋していたとすれば、試験では頑張ったのに受からないという結果になったりします。
これは主観的な場と客観的な場です。
これが別々の用神として出てくるあたりは、連立方程式という感じすらあります。
まさにゲーム機はマルチでないといけないのです。
ですが、こういうケースは多くないのです。試験くらいのものです。
恋愛は、用神は一つです。男なら妻財、女なら官鬼です。
これは外からの点数をつけようが無い世界なのです。
私は批判を受けたりします。ですが、そのほとんどがエネルギーになるのです。
急激な剋に出会うと、それは高く飛ぶための踏み台にすらなります。
だから私は、自ら剋を作り出しているところがあります。
生のみの世界なんて、つまらないと思います。剋フェチです(笑)。
私には、コインの読みを超えていることがあります。
バカバカしくって、振っていられないことがあるんです。
例えば不思議な調査・・これに対して、コインなんて、振っていられません。
評価は私がするものです。「奴」になんか、させません。
振ってもいいですけど、吉と出ようが凶と出ようが、知ったことではありません。
病気の治し方
六爻占術の卦に、病気の治し方そのものは出てきません。
例えば株を占う場合、「買い方」までは書いていません
もちろん「この治し方でいった場合・・」という問いで聞くことはできるでしょうが。
もしも六爻占術に直し方が書いていると、トラさんは相談者に向かって「私に占ってもらってもしようがないですよ。直し方を含めて未来はすべて決まっていますから・・」と答えた方が手っ取り早くないでしょうか?
病気を占い、治し方が書いてあるとすれば、時空は「治ることが善」だと言っているようなものです。それは余計なお世話ではないでしょうか?
もしも治し方の選択肢などが卦に出るとすると、宗教になると思います。
選択肢であっても、「奴」から出してはいけないのです。神を定義しない六爻占術では・・
長いこと人間は、このドツボにはまってきました。
選択肢を知りたくて教祖の所に行きました。
選択肢を知りたくて占い師の所に行きました。
トラさんからの宿題の一つを紹介します。 <問題>
丑月庚申日ある人はお母さんの病気を占いました。吉凶と応期を判断してください。
(卦は省略)
<森田の回答>
用神は月と同性五行で強いです。
忌神は発動していますが、日から剋され退神で弱いです。病気は治るでしょう。
用神が丑の空亡なので、丑日か未日が応期ですが、未日は忌神を墓に入れてしまうので、未日に直るでしょう。
<トラさんの解答>
森田さんの答えは正しいです。病気が治りました。
普通なら未の日を応期にしますが、この人のお母さんが本日に医者に治されました。
これは人為的な改変でしょう。
みなさん、これをどう思いますか?
「病気は治るでしょう」このセリフは、占い師の推測ですよね・・
病気を治す方法論は、「人為的な改変」なのではないでしょうか?
例えば「手術で治る」は出ないと思います。「手術をする」は出ると思います。
もしも病気治療の方法が出ていれば、それは「奴」からの提案なのです。
でも、「奴」は、そんなことはしないのです。私から言わせれば、余計なお世話なのです。
しかし世の中には、余計なお世話を期待する人がとても多いのです。
でも、私はずっと思っていました。「奴」は余計なお世話をするわけがないと・・
おそらく、「奴」は病気が治ろうが治るまいが、知ったことではないのです・・
そこに価値観の差は無いのです。だから、「治る方法」など出しようがないのです。
もともと、「治る」という概念すら無いのでしょう・・
つまり、我々の持っている言語の単語数を落とさないと理解できない・・
「どうすれば治るんですか?」この問いは、時空に対して愚問です。
しかし、うさぎ八匹で治った例はありますが・・
なぜ「治し方」が出ないのでしょうか・・
ペットの病気の原因は、食べ物に付いた腐敗菌かも知れません。
腐敗菌にとってはペットが病気になった現状が吉です。しかし病気が治ることは凶です。
私の会社でネズミが発生し、その駆除のために9個の鈴が吊るされました。
それは会社にとっては吉ですが、ネズミにとっては凶でした。
「奴」は人間だけのためにあるのではありません。
腐敗菌は悪いという価値観のもと、高等生物を生かす方向に持っていくための「治し方」を出すはずがありません。
こう考えると、運命を変えるというのは、ものすごいことなのですね・・
トラさんが一日考えても、その方法が見つからないというのはありそうです。
運命を変える方法
トラさんのテキストより。 私たちはこの世に生を受けて暮らして、世間の出来事を肉体でひとつひとつ味わっていきます。不幸は誰でも味わいたくないものでしょう。
しかし、ほとんどの人が自分の思ったとおりに生活してゆくわけに行きません。
来たる明日は金運がめぐり来る喜びか、商売に失敗した悲しみか、結婚のために生じた悩みか、病気の苦痛か、交通事故のような突然現れた災厄か、誰もが知りたいでしょう。
幸せと喜びならば、言うまでもなく喜んで受け入れられますが、悲しみや災いならば、前もって知っておいて避けることが望ましいでしょう。
私たちは聖者ではありませんが、時空を超越してなにかの力を借り、世間の出来事を知っておいて、自分の思うままに変える能力を持つことが可能なのでしょうか。
もし十年前にこのような質問を出されたら、「わかりません。そんなこと出来っこないでしょう」と答えたと思います。
が、今のわたしは肯定的に、六千年前の聖者の創られた易のことを思うでしょう。
「易を身につければ、普通の人でも自分の運命を把握できるようになります」、と。
例をあげましょう。
1999年5月1日、山西省漢方医学校で病気の占いの授業をしていたとき、40代と思われる婦人から16歳の子供の病気について見てもらいたいと頼まれました。
授業中のことで断ろうとしましたが、その婦人があまりに悲しそうな顔をしていたので占ってみました。
それはちょうど授業の内容とも合いましたので、実例として黒板に書きながら分析し、以下のような判断をしました。
お子さんの病気は普通の病気ではなく、精神病と誤解されやすい病気です。
1997年に病気にかかったはずです。特に夜のほうがひどくなります。
主な病状は横になっても眠れなく、悪夢か幻覚かで苦しそうな叫び声をあげて、誰かに吸血される感覚があるに違いありません。
実は死んだ二人の女性の霊にとりつかれています。霊が窓から入ったのです。家の東か東南にもともと林があったのですが、建物を建てるために伐採されました。そのために住宅の磁場が変わって、お子さんが病気になったのです。
婦人はびっくりしました。
占いの結果が子どもの病状にぴったり当たっていたからです。
1997年に引っ越したとき、思い返してみると東のほうに確かに柳の林がありました。
別のマンションを建てるために切り倒され、その後、子どもが病気になり、原因がわからなかったので精神病としてあちこち回り、いろんな医者に診てもらいましたが効果がありませんでした。
子どもは毎日ぼんやりした状態で明るいところを嫌い、夜明けまでの暗い生活を三年間送り続けました。
何度も誰かに吸血されているように感じていましたが抵抗することができず、うんうんとうなるほかありませんでした。
母親のほうは、夜になると子どもの部屋から二人の女性の話し声が聞こえるけれど、何を言っているのか分かりません。
こっそり覗いてみましたが子どものほか誰もいません。
子どもは部屋の窓を開けて寝るのが好きでした。
そっと窓を閉めてしまうと、彼はすぐに目を覚まし、苦しそうな顔をして泣いてしまいます。
判断と現実の状況が一致しているので、次に病気を治す方法を教えました。
桃の木で作った剣に松脂を塗って、東の壁に3本吊るすのです。
不思議なことに、教えたとおりに実行したその日から、子どもの状態が元に戻り、病気が治りました。
(長いのであと二つの例は省略)
三つの例をあげました。
推論し、判断し、卦のなかからいい案を考え出して災厄を避けることができる、という具体例です。
苦しいときの神頼みといいますが、苦しいときには自ら占いの方法を身につけて災厄を最小限にくいとめる、自分の運命を自分の手に握るという努力をしたほうが、しっかりとした人生を歩んでいけるのではないでしょうか。
六爻占術の問題を見ていくうちに、みなさんは、運命は半ば決まっているものだという気持ち持たなかったでしょうか?私は持ちました。
そしてどういう方法で変えることができるかに、興味を持ちました。
それが上の例では「桃の木で作った剣に松脂を塗って、東の壁に3本吊るすのです」でした。まさに陰陽師の世界です。
でも、運命とはこういう・・一般的には非科学とされていることでしか、変えることが出来ないのではないかと思うようにもなりました。
月日から剋され、動爻から剋され・・そういうとき、運命の前に為すすべもないのでしょうか・・
運命を変えるというのは、すごいことなのではないかと思います・・
私たちが今できるのは、未来の事象に関してです。
薄いパンストかどうか・・(笑)あの株を買うかどうか・・
でも、現在進行形で起こってしまったことを変えるのは、未来を変えることではなく、過去を含めた現在を変えることだとも思います。
それが「桃の木で作った剣に松脂を塗って、東の壁に3本吊るすのです」なのです。
今までの授業や問題を見ていくと、ものすごく論理的だと思いませんか?
私は思います。超能力の「超」の字も無く、まるで理科の授業のようです。
ですから「桃の木で作った剣に松脂を塗って、東の壁に3本吊るすのです」というのも、きっとものすごく論理的に出てくるのでしょう・・
トラさんは言いました。「森田さん、あせる気持ちは分かります。でも運命を変える方法は、第四冊です。なぜなら、運命すら判断できないのに、変えると危険です。」
確かにそうです。私が間違えて「りんごの木で作った剣に松脂を塗って、東の壁に3本吊るすのです。」などと判断したら、私が剋されそうです(笑)。
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