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「盲師派推命占術2005.08-09」
 六爻占術のおける用神は占う対象(ピンポイントな欲望)であり、私達の意識が作り出したものだとも言えます。
 盲師派推命占術は、用神を取り払ったのです。これは個の視点を無くした・・とも言えると思います。
(盲師派推命占術と一般の四柱推命の大きな違いは、用神とか忌神があるかないか)

 しかし六爻占術には誕生日の情報はありません。なのに一生運すら出します。六爻占術が凄いところは、その人の運命を誕生日と切り離したことです。これは画期的なことです。なぜなら、汎用性が生まれたからです。
(四柱推命は経験則的、六爻占術は直感的)

 私は念力超能力者よりも、蘇生超能力者よりも、運命をコントロールできる凡人の方がずっと凄いと思っています。ハッキリ言って宇宙最強だと思います。それは私達です。
(四柱推命は経験則的、六爻占術は直感的)

 六爻占術では十二支が頻繁に出てきましたが、四柱推命では天干がキーです。
 何故「天」という単語が付くのかといえば、エラいからです。それに対して十二支は「地」という単語がついています。エラくないからです。まさに、天と地の差があるのです。
(「地」からの反逆、六爻占術)

 しかし六爻占術は違っていました。それはまさに「地」からの反逆のようです。ゲリラ戦に打って出たのです。ちくしょー、テメーの好きなようにさせるか・・と。
 四柱推命ではあれほど地位の低かった十二支が、高性能小型ミサイルの様に活躍します。
(「地」からの反逆、六爻占術)

 私達はこれから「事前に知っている」という世界に入ります。今度トラさんに会うときは、「事前に知っている」ということの使い方を聞いてみたいと思います。
 ところでこれを読んでいるみなさんも、六爻占術をやっている人が多いと思います。その人達も、「生まれた瞬間」にそれは計画されていたのです。
(六爻占術をやることは、生まれた瞬間から決まっていた)

 2行広告は、次の大運(2001年の大儲け)の布石となっています。つまりこの年の大運をうまく使わなかったとすれば、次の大運で大幅ステップアップは出来なかったということです。
(大運に乗る)

 2行広告を出すには次の大運を待たなければなりませんが、2行広告とて自分でハンドルを切ったとは思えません。
 では何で曲がるのか・・それは傾けた角度なのです。傾ければ大きく曲がれます。初心者は傾けるのが怖くて出来ません。そしてハンドルなど切ったら、転倒してしまいます。
(大運に乗る2)

 ですので私の大運は、ラッキーなものが向こうから降ってきた感じは無いのです。
 むしろ、向こうから降ってきたものは、どちらかと言えば不幸な感じのするものでした。
 大運を当てにしているだけではいけない・・さらに、大運は決して「幸福」が降ってくるわけではない・・と思うのです。
(大運のダークサイド)

 つまり、これでもか、これでもかと、制御されて、カットされて(ダンさんはこの単語をよく使います)、息の根を止めるくらいに剋されまくります。六爻占術で言えば「根のない草状態」になり、運命変更さえ「やっても無駄状態」になります。
 こういう人が大統領になったり、超億万長者になったりするのです。
(運命とは、元々ダークサイド的かも知れません)

 盲師派推命占術での妻財は、川全体のことを指すのかも知れません。だから川を狭くして、自分の獲物を捕獲できるかを見る必要があるのです。
 しかし六爻占術は、既に自分の方にだけ流れてくる水流だけに焦点を合わせたのだと思います。
(ギャンブル運を事前に知る)

 そして「私が原因」ではないとすれば、「外が原因」です。私の誕生日は変えることが出来ません。しかしこれから流れてくる時間は、あらかじめ知ることが出来ます。つまり「イケる日」が計算できるはずです。
(ギャンブル運を事前に知る)

 エネルギーの効率論が議論されたということは、盲師派推命占術で捉えたエネルギーは、「個」のエネルギーではなく時空のエネルギーだと思います。言い換えれば、川の流れ全体です。そして「個」に流入する量と質まで判別されます。カメラに例えれば、広角レンズです。
(運命の良し悪しは、エネルギーとしての効率)

 「逃げる」という表現は適当ではありません。私の方から「制御」している・・というのが正しそうです(笑)。能動的に逃げているからです。
 つまり時空から勝手に制御されるのではなく、私が制御しているのです
(「制御」から「逃げる」)

 みなさんは、財運の良い人や仕事運の良い人を「ああ、いいなあ」と思うでしょうか・・。
 でもそうなったとき、失うものの方が多いような気がします。
(「制御」から「逃げる」)

 以前「制御」という単語が出ましたが、制御されている命式の人は、自分でコントロールできる範囲が広がるそうです。何も制御されていない人は、運命をコントロールすることも出来ないのです。
(盲師派推命占術情報)

 理由を聞けば、「標準時を決めたのは日本の法律です。盲師派推命占術では法律も自然の一部と考えます」ということでした。
 つまり地球の自転を換算する必要はないのです。これはとても不思議な感じがします。 
 誕生日がハード的なものではなく、ソフト的なものに感じられるからです。
(法律(決めごと)も自然の一部)

 普通私達は、同じ時期に出会う異性は選択の対象になります。しかし盲師派推命占術によれば、未来に出会う異性も対象になるのです。まさに時間を超えた選択をするわけです。
(人生には選択の余地があった)

 昨日は、結婚するチャンスが二度訪れる女性の例を出しました。こんな劇的なものではなくても、「未来を知ること」によって改善される例は沢山あるそうです。それを求めて占いに来るのです。
(運命は改善する)

 まず「未来を知る」というのは新しいスタートラインに立ったと言えると思います。
 誕生日に運命が決定されて、人間はずっとそれで一生を終わりました。
 でも選択肢さえ存在することを知ったとき、その瞬間に未来も変わると言えるのです。
(占った日(未来を知った日)が大切)

 盲師派推命占術の師匠は、占いに来た人の誕生日を聞かずに、占いに来た日を誕生日の代わりに命式を作り、ほとんど当てたそうです。
 これによれば、占いに来た日(未来を知った日)というのは、新しい誕生日に当たるわけです。
(誕生日の情報は必要ない)

 トラさんは言いました。「生まれた時間を判断するとき、二時間が最小単位です。ですが二時間を十二等分して、もっと細かく出す方法があります。でも私は占いに来た日と時間でも、同じくらい正確になると思います。」
(盲師派推命占術・・同じ誕生日で同じ時間の人)

 一つの要素を変えると他の要素に影響が及ぶと考えがちですが、トラさんとダンさんによれば、他の要素にはほとんど影響が無いそうです。
(例えば恋愛運を変えても、金運には影響は無い)

 ダンさんは泣いた時間で命式を作り直しました。すると全て当たったのです。
 これにより、ダンさんは次の仮説を作りました。「泣いた時が誕生刻なんだ」・・と。
 そして次の仮説も作りました。「水中出産はしばらく水から出さなくても赤ちゃんに影響は無いはずだ。それで誕生刻を延ばすことが出来る。」
(誕生時間をずらす)

 さて、六爻占術は18ビットでした。盲師派推命占術とて誕生日のビット数です。18ビットよりは多いでしょうが、たかが知れています。
 しかし少ないビット数で確実に勝負できる世界があります。それは「上がる下がる」の世界です。
(職業が出てこない)

 世の中にどれだけの商業があるか、知りません。不思議研究所のような希有なものまで入れたら、とても4ビットでは済まないでしょう。
 娘の将来の職業が出てこなかった理由は、ここにあるのです。
(職業が出てこない)

「盲師派推命占術2005.11」
 言われてみればそうです。誰かとの相性を占っても、その人と一緒になるかどうかというのは、選択の余地が無いのです。
 一般の人はこの点をずいぶんと誤解していると思います。占うことで選択の余地は広がるのだ・・と。
(「結婚の相手を選択するのは無意味です」)

 個人の恋愛運は載っているのに、二人の相性判断は載らないのです。
 それはたぶん、誰と結婚するかは決まっているし、誰と結婚しても個人の運命は変わらないのだと思います。
(「結婚の相手を選択するのは無意味です」)

 掟は最優先されるでしょうか・・それとも命式が最優先されるでしょうか・・。
 訪ねてきた人の命式には、盲師派推命占術をゲットすることが出ています。もしも盲師が断れば、彼は命式通りに生きることが出来ません。しかし掟を破るという「悪事」をしなければなりません。
(盲師はダンさんの命式に自分が掟を破ることが出ていたのを知って何て思ったか・・)

 盲師派推命占術では、「制御されている方が吉」です。墓は制御を意味します。しかし墓から出ないと活躍できません。トラさんのはまさに、バッチリ制御されて、しかも墓から解放されるという運命なのです。
 命式が三次元だとすれば、大運や流年はもうひとつの次元(四次元)です。
 四次元まで加えたとき、トラさんの命式は抜群の命式に変わったのです。
(命式だけでは、一次元足りない)

 でも口述で伝えられたことは、また人に伝えるとき、問い返す人がいるはずです。だって完全に理解して自分のものにしなければ、それを人に教えることは難しいからです。
 こうして考えると、盲師派推命占術は一人の盲師だけが作ったものではないと思います。「盲師ネットワーク」が盲師派推命占術を作ったのです。
(盲師派推命占術は浮遊したネットワークの産物)

 私は浮遊感を大事にします(メインメモリに漂うとも言います(笑))。
 そして盲師だって浮遊していたはずです。文字すら無いからです。人は浮遊したとき、問いを問い直すと思います。
 足が地に着かない状態・・それが口述の世界だと思いました。 
(盲師派推命占術は浮遊したネットワークの産物)

 人生は確かに、カルマで決定されているかも知れません。しかしカルマでは無いという解釈も可能です。
 だとしたら、私達は着地してはいけないのです。
(削ぎ落とすだけでは、事は済みません)

 四柱推命の「体系」には、やはり「体系」を感じるのです(笑)。結構「理屈的」なのです。例えば五行の説明で、水が木を生じるようにです。金が木を剋するようにです。
 理屈で説明できそうなのが、従来の四柱推命の体系です。
 しかし盲師が発見したことは、私に言わせれば「飛んでいる」のです(笑)。
(盲師が発見したことは、ぶっ飛んでいることが多い)

 盲師は、非常に微弱なサインを拾ったのだと思います。
 それは従来の「体系」とは合わなくてもいい・・。とにかく当たるかどうかが重要だ・・こう思ったと思います。
(盲師が発見したことは、ぶっ飛んでいることが多い)

 トラさんとダンさんが私に対して踏み台を用意し、それに登り、私は一歩踏み出します。今度は私がそれよりも高い踏み台を用意して、トラさんとダンさんの前に差し出します。そして彼らがさらに一歩踏み出します。何だか、こういう感じなのです。
(「踏み台の交互差し出し合い関係」と「意図」)

 コインを振るということは、未来を知り、未来を変更できるということです。でも三人がやったのは、縁を重視しようということでした。それは時空が仕組んだ縁を肯定しようとするものです。
(「踏み台の交互差し出し合い関係」と「意図」)

 しかしカルマ派が「私は結果説」を取り入れることは、とても難しいです。しかも「私は結果説」そのものがまだ世に出ていなかったどうでしょうか・・。思考の逆転は、ほぼ不可能ですね・・。盲師派は、それをやったのです。
(「モノの見方」と盲師派推命占術)

 全く同じ素材であっても、見方を変えると、真実に接近出来るのです。
(「モノの見方」と盲師派推命占術)

 用神を捨てるというのは、部分を切り出して人生を見るのではなく、全体を見ろということだと思います。
(盲師は、全体を見た)

 盲師派推命占術では相性占いは無意味だと言います。しかし従来の四柱推命にはそれがありました。なぜなら、部分を取り出して比較することが可能だからです。
(盲師は、全体を見た)

 既に推測がつく方は多いと思いますが、盲師派推命占術では賓に注目します。対する目明きは、主に注目しました。賓とは自分の外側にあるものです。自分の外側のものを観察することで、自分の運命を知るのです。 
(主と賓は、世界の見方を大きく変える)

 もちろん盲師派推命占術を使っても10%は外します。しかし盲師はそこに「自由」を見ようとしたのではなく、「不自由」を見て安心したのではないでしょうか・・。
(主と賓は、世界の見方を大きく変える)

「そうです。だから命式を知ることによって多少の運命改善が出来ます。つまり効能が強くなる方向に引っ越すとかすれば、運命が改善できるのです。」
 やはりそうでした。盲師派推命占術の運命改善も「空間系」で行えるのです。
(美人になることも決まっていた(笑)、でも地域差も関係していた)

 誕生日は運命だけを作り出していたわけではありません。顔を含めた、私達の肉体も作り出していたのです。ということは、私達はあらかじめ出来ていた肉体に入ったわけではないのです。肉体すら、魂が入った瞬間(誕生の瞬間)に決定されたのです。
(美人になることも決まっていた(笑)、でも地域差も関係していた)

 墓には、墓標すらありませんでした。私がこの日、彼の墓を訪れるのも、知っていたかも知れません。そしてこの書き込みを読んでいる人の中にも、盲師派推命占術を勉強する人が出ることも、知っていたかも知れません。
 全く名もない彼の墓・・・。しかし彼が世界を変えるきっかけになるかも知れません。
(都会に出た盲師、そして名もない彼の墓)

 実際に命式に出現して、それに対してある判断を下し、それが本当に当たったかを確認するまでは、「確定的ルール」とはならないのです。だから盲師派推命占術は、机上のルールではないのです。
(「回答不能」)