TOP >  もりけん語録集 > 『「私は結果」原因の世界への旅』編
「『不思議の科学』文庫化」
 『不思議の科学』の文庫化はすごいです。だって巻末には「今」の私でエッセイを書きます。ということは、六年かかって書いた本に匹敵します。
(文庫化スタート)

 原因が外側だという考え方は、極めて斬新だと思います。だって世界観がひっくり返るからです。『不思議の科学』は、その先駆的な本だったのです。
(原因の世界)

 体脱や臨死体験はこの世の肉体とまだ繋がっています。だからこの世の価値観を持って行っている可能性が高いと思うのです。
(輪廻転生の管理責任者は実在するか)

 個人が勝手に「計画する」ことなど、あり得ないと思いませんか?
 こんな誰でも分かることなのに、どうして今まで「個人計画説」がまかり通ってきたのでしょうか。
(『死後体験』)

 普通の人は、自著を超えられなくて終わっていきます。それは「自著」という過去に縛られたのと同じです。
(自分の著書をどう乗り越えるか)

 私は精神性とか生き方論とか、嫌いです。
 そんなことを言う奴は、ケツに発信器でも入れたろか・・と思います(笑)。
(一方方向からではない『不思議の科学』)

「あなたは誰?」と訊かれて、その問いを迂回するわけにはいきません。
 もしかすると「LAST QUESTION(最後の質間)」と定義する人は、いつも迂回しているのではないでしょうか・・。
(LAST QUESTION)

 私は好奇心でやっているのですが、それはエゴだと思わせられる時があります。好奇心は自分のためであり、自己満足そのものだからです。
(好奇心)

 発信器を入れられる瞬間、私は神に祈ったわけではありません。
 血も涙もない、大量虐殺までしでかす秩序の神を信じていたのです。
 ルール通りにコトが運ぶと・・私の仮説通りにコトが運ぶと・・。
(奇跡の神と秩序の神)

 視点移動・・・実はこれを成し遂げたくて、体外離脱に挑戦したのです。女装だって一つの視点移動なのです。
 そして『不思議の科学』では、根本的な視点移動が行われました。それは原因と結果の関係です。
(結果の世界と原因の世界)

「自然界は我々が質問するのを待っているのではないか。その質問に合うように物理世界を作り替えているのではないか。万物の奥底にあるものは、答ではなく質問なのだ。」
 これは六爻占術で出会った世界そのものではないでしょうか・・・。
(おおもとは問いで変わる)

 私の講演会は、問いかけが多いです。最初に「私の発表は仮説です」と言い切り、みなさんには問いかけをします。それは世界を変えるきっかけになっているかも知れません。
(おおもとは問いで変わる)

 私は結果・・
 人類は、歴史が始まって以来、ずっと自分を原因だと思っていました。
 なのに、人は、なぜこうも自分という個に固執したがるのでしょうか・・
(『「私は結果」原因の世界への旅』)

 私は奇跡の神を信じません。秩序の神は信じます。だから孫さんの蘇生も、何かの方程式を使っているのです。
(孫さんの蘇生)
「LAST QUESTION(メインコーナー2004.12)」
 つまり私にとっては彼の「LAST QUESTION」が「FIRST QUESTION」なのです。
 だから私のセンテンスによれば「人間とはなにかを考え続けること」が最初に来るので、仕事は何でも良いのです。別に、仕事をしていなくたって良いのです。
(『働くということ(実社会との出会い)』)

 つまり神の大仕事を割り振られることが「役割」なのです。
 だとすると・・「役割」という概念を認める人は、上位の神という概念を認めることだと思います。逆に役割を無視する人は、そういう神の概念を無視する人です。
(人から必要とされる人間になってはいけない)

 ということは、「供給」が先なのです。供給が需要を作り出してしまっているのです。
 私は世の中から必要とされて、やっているのではないのです。
 さらに言えば、世の中から必要とされて、下位の問いを持ったわけではありません。
(人から必要とされる人間になってはいけない)

 何もしない日々・・・でも私は、360度、開けていました。私の将来を規定するものは、何もありませんでした。
(何もしない日々)

 しかし辿り着いた先はなんと、私は「結果」だったのです。「問い」に対する・・
 だから、「やること」など、あるわけないのです。
(何もしない日々)

 結果である自分は、欠点を直したって、時間の無駄です。それよりも、その欠点で快を感じた方が良いのです。
(欠点を直すな)

 私は自分を変える気はありません。だから気に入らない人は、斬るだけです。相手だって、自分を変えようが無いからです。だから斬るのなら早いうちが良いのです。
 そして容赦なく斬ること・・
 だから、欠点を背負ったまま、刀を抜くしかないのです。
(欠点を直すな)

 欠点を認めるというのは、個に固執しなくなることだと思います。
 とすれば、長所とて同じです。個への固執を手放せば、長所も消えていくはずなのです。
(長所も捨てなさい)

 私の三次元の行動が、私の五次元の本質に、嘘をつきたくないということです。
 不思議研究所を発案して、それを実行に移したのも、自分に嘘をつきたくないからです。
 とすると私は、変われもしないのに、変わろうとしているのかも知れません。
(人は変われるか)

 人はずっと「仮解決」で生きてきました。一時的な安定を得たいから・・
(一点から攻めまくることの大事さ)

 私には前提がたくさんあります。億万長者、幸せ、自然を感じる力・・これらはすべて「前提」なのです。
 もしも満たされていないと、私は下位の問いに向かっていません。
(「生きているさん」)

 これだけ真剣にゲームに参加できるのは、三次元の世界では多くの「前提」を持っているからなのです。三次元の世界では満足して生きているからです。
 それでなければ、もっと個人的な悩みで精一杯のはずなのです。
(「生きているさん」)

 もしも私が「物わかりの良いマネージャー」だったら、逆に人は去っていくような気がします。
「もりけんは多くの人を受け入れるけど、内心は何を考えているか分からない」・・と。
 そうなると、やはり「正直」というのは、大事なファクターかも知れません。
(「物わかりの良い人間」になってはいけない)

 とすれば、「冲」の世界を作りたくて宇宙ができたのではないでしょうか・・・
 あの世は物質的な世界ではありません。だから冲が難しいのです。
(あの世は「合」で、この世は「冲」)

 人と人とが意見を違え、ぶつかり合い、冲し合うためにあるのだと思います。
 地域差や言語の違いが生まれたのも、冲のためだと思います。
(あの世は「合」で、この世は「冲」)

 たぶん向こうの世界は、計算にかかる時間はゼロかも知れません。
 だとすると、我々の生息する四次元は、わざわざスピードに制限をつけているのだと思います。
 何のためかと言えば、運命の波動を乗せるためだと思います。
(光速以上の世界は、パルスの世界に通じている)

 でも私の仮説では、経過時間はゼロなのです。だからテレポーテーションのことを、「瞬間物質移動」というのです。
 もしもそうだとすれば、経過時間がゼロでも、この四次元の世界を変えることが可能なのです。これってすごい気付き(発見)です。
(経過時間ゼロということ)

 さて、私は自分の意志で生まれた記憶を持っていません。生んでくれと頼んだわけでもありません。気が付いたら「誕生させられて」いました。
 なのにずっと、お前に原因があると言われてきました。
(私は結果)

 ところが真理を追究していく過程で、「私は結果」という概念にぶつかりました。もしも私が従来の価値観に毒されていれば、それを出すことが出来ませんでした。
「私は結果」・・この言葉は、ひょっとすると世の中をひっくり返すかもしれません。
(私は結果)

「最終的には宇宙をなぜ作ったか、分からなければならない」・・と言いました。
 そして、それは宇宙を作った本人(神)は、分かっているのか・・ということまで言いました。
 もしかしたら、分かっていないのではないか・・原因というのは、どこまでいっても分からないのではないか・・これが今日の気付きでした。
(本当に原因はあるのでしょうか?)

 ゴールを設定しなければ、突き抜けることが出来ます。それが「諦めること」だと思います。
(諦め)

 不満や満足は、感情の問題でもあります。六爻占術では吉凶は出ますが、不満や満足といった感情の問題はなかなか出せないと思います。
 とすれば、起こる事は一つでも、受け取り方が変わるのです。
(ユーザの立場)

 やる事はたった一つ・・彼らを切ること。そして勝手に満足する客を残すことです。
 そんな事をすれば、会社の成長は止まるとでも思いますか?
 客を切れない経営者は、そのうちマーケット全体から切られます。
(ユーザの立場)

 少しのことで満足を感じる人は、テスターの側のレンジ調整が上手なのです。
 どんな電圧が入力されても、一瞬でレンジを調整して、「8」の位置に合わせます。
(「ユーザーの立場」から「時空の快」への斬り込み)

「快」を「与える電圧」と「テスター」に喩えれば、与える側(電圧側)と与えられる側(テスター側)の両方で調整可能なのです。
(「ユーザーの立場」から「時空の快」への斬り込み)

 一方を少し動かし、もう一方を調整するというやり方を繰り返していくと(これをカットアンドトライと言います)、最後には抵抗値がほぼゼロの点が出てきます。
 そうすると、発信器の波動は、抵抗ゼロの経路を通り、すべてアンテナから発射されます。これぞ、「快」が最大になった状態です。
(「ユーザーの立場」から「時空の快」への斬り込み)

 人は、満足した事は、とりあえずそれで終わります。しかし不満な者は、後に残します。
「こうすれば良かった、ああすれば良かった」「こうなりたかった、ああなりたかった」
 つまり不満な人は、未来に向かうとき、過去の波動に合ってしまうのです。
(「ユーザーの立場」から「個人の快」への斬り込み)

 小さな事でも満足を繰り返せる人は常にゼロ点状態であり、テスターのレンジは最大感度にセットしておけるのです。
 だから次に来た些細(ささい)な信号でも、ビンビン振れるのです。
(「ユーザーの立場」から「個人の快」への斬り込み)

 自分で作って、それを自分のテスターで測っているのです。
 外からだと思っていた「幸せ電圧」は、実は自家製なのです(笑)。
(時空の快は「勝手に満足型」)

 木々が緑が輝いているのは、何も人間を幸せにするためではありません。
 木々の波動を受けて、人は「差」を取り出すのです(作り出すと言っても良いかも知りません)。
(時空の快は「勝手に満足型」)

 しかし時空は不思議研のように、勝手に満足しない人間を切りはしません。
 ということは、人間を含めた時空の変化があるとすれば、勝手に満足しない人が勝手に満足する人に変わっていく方向です。
(測定器の方が変化する)

 今後時空(人間の外側の時空)は何一つ変化しないかも知れません。しかしセンサー(快の測定器)が変われば、もっと多くの快を感じられるようになります。
(測定器の方が変化する)

 普通、「1,1」から「10,10」になることは、10倍の努力を必要とします。
 いえ、面積が成果だとすれば、100倍の努力を必要とします。
 ところが座標が変化(移動)することで、本人はまったく努力無く、100倍の成果を得られます。
(座標が変化するということ)

 しかし、勝手に満足する客や、求めていないことに幸せを感じられる人は、その瞬間に座標を変化させているのかも知れません。
 これが出来るとすれば、自分を全く変えなくても、いくらでも快を感じたり、幸せになったりすることが出来ると思います。
(座標が変化するということ)

 今の私には、神の存在を問うことが無くなりました。なぜなら、神を含めた存在全体を問うようになったからです。
 だって神が宇宙を作ったとしても、神は誰が作ったのか・・という問いが残るので、神を問うことは、下位ではなく中位なのです。
(クリスマスと座標崩壊)

 神が無い概念・・それは座標軸が無い概念とも言え、勝手に満足する人間達の概念のことだと思います。
 勝手に満足する人が増えることは、歴史が変わる一つの象徴であり、神のシステムが崩れていくことだと思うのです。
(クリスマスと座標崩壊)

 もしかすると悪の根本的な原因は、自分を責めることにあったのではないでしょうか・・・。
 だって「あんたが原因」と言われ続ければ、誰だってメゲます。
 そして、もしも私の提案する「順序」が正しいとすれば、今までの人類の方が「順序」が逆だったのです。
(順序が逆)

 私はこれから何かを発見するでしょうか・・・
 発見するとすれば、それはやはり「性質」でしょうか・・・
 いえ、そうでないかも知れません。
 なぜなら神は、自分の性質を捨てたくてしようがないかも知れないからです。
(「神の性質」・・・性質は捨てる方向にあるのか)

 インターネットの中には、一方的に喋る動画があるサイトは、沢山あります。でもインタラクティブ(双方向)ではありませんでした。
 双方向であるかないかは、重要なキーだと思います。おそらく時空と個は、双方向だからです。
(2004年という年)

 願望を紙に書くとか強く思い続けるとか、手段は様々ですが、一様に共通点があります。
 それは・・・その先が無いのです(笑)。
 (笑)という文字を付けましたが、笑いどころではありません。
(2005年という年に向かって)

 さて、私が億万長者になることで、時空の真理を得たでしょうか?
 もっと言えば、億万長者になることが、時空の真理と何の関係があるでしょうか?
 私とサラリーマンは、時空の真理の前に、何が違うでしょうか?
 私と主婦は、時空の真理の前に、何が違うでしょうか?
(2005年という年に向かって)
「メインテーマ2005.01」
 願望を持った瞬間、「その先」は消え失せます。神社でお賽銭を投げて、願掛けをした瞬間に、消え失せます・・紙に願望を書いた瞬間に、消え失せます・・。
(「その先」2)

 今年は、自分の幸せのためにだけ、私に接近して来る人を切ります。つまり三次元の幸せ(財、呂、地、法)だけの関係を絶ちます。仙人の世界からの脱出です(笑)。
(「その先」・・最近の世相感)

 事柄は、分断されてはオシマイなのです。  私が本を書くくだりを入れたのは、私にとってはどこが仕事場でも関係ないのです。
 もっと言えば、下位の問いには、場所と時間が関係なくなるのです。
(自分へのご褒美)

 でも社員になってホッとすることもあります。責任が無くなるからです。
 しかし、ここから出発する世界は、すごいかも知れません。だって、社長はいないかも知れないからです。
(あんたは平社員)

 問いが減れば、私の概念で言うところの「成長」(変化とも言い換えられます)が止まります。
 宗教の教祖になると答えることが多くなり、成長が止まるのだと思います。答えの世界に入ると、変化が少なくなるからです。
(疑問文禁止の会社)

 人は必要とされたい・・だから答えたい・・でも答えを出す「方程式」は教えない・・のだと思います。
(人は必要とされたい)

 確かに下位の問いは重要です。でもそれを持ったからには、上位の問いを下位の問いで考えることが出来ます。
(「経済価値」と「飯の種」)

 だとすれば「所有」というのは、人間が作り出した概念ではないのです。
 浮気をしたからそれが卦に出るわけではないのです。卦に出ているから、浮気をせざるを得ないのです。
(時空所有論)

 時空にとって、「食べ方」はアドリブのはずでした。でもそれが原因で宇宙の流れが変わっては困ります。
 つまり極めて詳細にシナリオは書かれているのです。
(芽のアンケートと仮説)

 と言うと、時空の書くシナリオも「仮説」だと思います。そして時空は仮説を作り、それを壊すのも好きなのです。
(芽のアンケートと仮説)

 そうなのです。私は時空の調査を進めるうちに生き方が変わったと言えば、主体性というものに対する変化が大きいのです。
 一言で言えば、「もう、どうにでもしてくれ」です(笑)。
(時空の調査と生き方の変化)

 道教は無為自然と言いますが、どこかにまだ「個」を感じます。「個」のカルマを全面否定するところまではいっていないような気がします。
 ところが浄土真宗は、個のカルマを全面否定しています。ビックリしました。仏教でカルマを否定していたのです。
(自力から他力へ)

 もしも証拠が見つかった時、道教と浄土真宗はさらに浮上すると思います。だってそのときの生き方に最も近いのは、この二つだからです。
(自力から他力へ)

 みなさんは自力がほとんどだったのではないでしょうか・・・。  自力から概念としての他力に入り、そして六爻占術で運命変更だと騒いでいます(失礼)。
 運命変更があることにより、自力をそのまま続けていないでしょうか?
(和尚の書簡)

 苦しむ人々を前に「現実は変えようがありません。希望など持たないことです」としか言えなかったと思います。だって真実は、そうなのですから・・・
 真実を曲げて、甘い夢を見させるのが宗教だったはずです。これでは逆です。
(和尚の書簡)

 自力であるように見えても、阿弥陀如来の他力の流れに乗っているのです。
 運命を変更したとしても、四次元の時間の流れによる、流れ着く先が少し変わるだけです。それがいったい何だと言うのでしょうか ・・。
(同窓会と人生)

 クラス会に出ると、みんな、何も変わっちゃいないと思うのです。なのにあなたは、何を変えようと言うのでしょうか・・・
(同窓会と人生)

 素晴らしい・・・他力には人間の意志が入らず、行を行うのは、他力であると・・・
 だとすれば、人間の意志は、どこにも反映されないことになります。これは現在、私が辿り着いた仮説そのものです。
(和尚さんからのメール1)

 現状においては、自力も他力も、私には同じに感じます。なぜなら、どちらも「大きな他力」の流れに乗っているだけだと思うからです。
 私は、そちら(大きな流れの方)が知りたいです。
(和尚さんからのメール1)

 ここで、大きな問いが発生します。「全体」は、本当に存在するのでしょうか?
 全体というものが存在するための一つの条件は、「閉鎖システム」であることが必要だと思います。
 どこまでも解放されたシステムは、全体と呼べるでしょうか?
(「全体」って本当にあるの?1)

 個も全体もぶっ飛んだ時、その破片が問題だと思います。破片そのものに生命が宿っているとすれば・・・
 個しか存在しなくても、あたかも全体があるように構成出来るかも知れません。
(「全体」って本当にあるの?2)

「私達はどこから来てどこに行くか」・・という壮大な問いは、身近な法則性を知り、カメラを引けば、もしかすると、知れるのではないでしょうか・・。
(身近なところの法則性・・それはシンプル・イズ・ベスト)

 ところが五行は、時間と空間を超えて影響します。
 規則性を見出すためには、我々側も、時間と空間を超えた視点から観察しなければなりません。
(五行のメダカは時間と空間を超える)

 なぜ世間一般に広がらないのでしょうか?  その一つの理由は、他の人は、「答え」を得たいからだと思います。具体的な生きるためのノウハウを得たいのです。それが私には不足しています。
(次の話題への架け橋としての書き込み)

 しかし・・です・金儲けは何か問題でしょうか?そういうメディアは次元が低いでしょうか?
 そういう人って、たぶん億万長者にはなれないと思います。だってお金は本来、自動的に入りたがっているのに、自分で壁を作って拒否しているのですから・・・。
(『不思議の友』2)

 でも目的というのは非常に複雑だと思います。相手の人が何を目的としているのか、それは一生かけても分からないと思います。
(『不思議の友』2)

 あの世で一生の行いを反省させられると言われたことがありました。その考え方は、死を一つのゴールとして考えてますよね・・・。
 常にスタートラインの生き方は、死のうが生きようが、関係ないはずです。
(神坂さんの『不思議の友』の感想文)

 手帳が真っ白なのは、「分刻み」で作り出したのです。積極的に作り出さなければ、真っ白にはならないのです。
 真っ白な手帳は「無」なのではなく、「無色を塗り尽くした」のです。
(手帳を真っ白にすること)

 商人が「他力思想」を理解し、それを自分の血としたときには、流れの少ない小川から、大河に乗ることができるのではないか・・というのが私の仮説です。
(商人が「他力」を理解すると、すごい)

 私が感情を表に現し、それを肯定できるようになったのは、下位の問いととても関係しているのです。
 下位の問いに生きることは、真宗を生きることに繋がりました。
(他力的生き方と感情)

「仕事を追う」というのは、川の流れに例えれば、みずから本流の中央部に移動するようなものだと思います。それで流れに逆らってオールを漕ぐのではなく、流れの方向に泳いでいる感覚もあります。
(スープと価値観)

 さて、過去の記憶を「情報」と「価値観」に分けたとき、情報はあった方が生存率が上がると思いませんか?これが正しいとすれば、リセットすべきは「価値観」だけなのです。
(スープと価値観)

 さて、生まれた時に私たちはゼロから出発します。そして何かの行為をした時、マイナスになります。マイナスの積み重ねをするのが、人の一生です(笑)。
 どんな事をしようが、マイナスなのです。
(人生に「プラス」は無い)

 しかしマイナスにはならない行為がありそうです。それが「他力の行」ではないでしょうか・・。他力のみが、ゼロのまま維持できる・・。
(人生に「プラス」は無い)

 他力に乗る私が、なぜ感情を肯定して表に出すようになったのでしょうか・・。それはそのときに限って、私が時空に乗っ取られているような快感を覚えるからです。
 つまり時空女王様に、「私」を明け渡すのです。
(時空快感プレイ)

 ということは、真宗は「限界」というものを置いていないと思います。限界を作り出したのは、私たちの価値判断だけだと思います。
 時空の川幅はとても広いと思います。私はそれを知りたいです。
(「それは、違うと思います」「これを待っていたんだ」)
「メインテーマ2005.02」
 やりたいことをやりなさい・・というのは、自力のような気がします。
 会社を1秒で辞め、不思議研の発案を1秒で妻に知らせたことは、他力のような気がします。その後の多くの出来事も、他力のような気がします。
(やりたいこと)

 ところで好きは過去、好奇心は未来・・だと思いませんか?
 全く選択したことのないものを選ぶ時、「好き」が出るわけはありません。
 そう考えると、「好き」は、固定された運命を、より固定する方向に働くと思います。
(好きなこと)

 子供はもともと「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」の世界そのものにいるからです。そのものの中にいるから、好奇心が出るのだと思います。
 そう考えると、「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」は、前提なのかも知れません。
(「やりたいことをやれ」とか「好きなことをしなさい」は前提)

 私は思います。「やりたいことをやり」とか「好きなことをした」ときの虚無感を、彼らはどうするのでしょうか?
 それで「幸せ」になれるなんて、とても「幸せ」な人たちだと思いました(失礼)。
(「やりたいことをやり」とか「好きなこと」をして、何が楽しいのでしょうか?)

「やってみなければわからない」・・これはリスクのある言葉です。
 笑顔でありがとうと言い、人に感謝しなさいと言っている人には、このリスクある人生のスタートラインには立てないような気がします。
(やってみなければわからない)

 もしも神が「やってみなくてもわかっている」だとすれば、わざわざ宇宙を作る必要はなかったと思いませんか?
 わざわざ作る必要があったのは、「やってみなければわからない」からではないでしょうか・・・。
(時空も「好きなこと」をしているのでしょうか?)

 孫さんも天人合一ということをとても大切にします。
 天と一体にならなければ何も出来ない・・、自分一人では何も出来ない・・と言います。
 それはまさに、他力に乗ることでもあります。
(天人合一)

 だから、縁さえあれば、どんな内容のものでも、どんなタイミングであろうとも、「出会う」のではないかと思いました。
 だとすれば「あのときあのチャンスを掴んでおけば良かった」という問題ではなさそうです。チャンスを掴めなどと書いてある本は、嘘だと思います(笑)。
(「縁」なのでしょうか、それとも「事象の内容と出会わすタイミング」なのでしょうか? )

「やってみなければわからない」というスタンスならば、何でもチャンスになるはずです。
 しかし人は「やってみなくてもわかっている」と言い、チャンスを逃します。
(縁を決めたのはいったい誰(何)か?)

 でも「縁」が先ならば、問いは後から持たされたとも言えそうです。
 と言っても時空に意志があるとも思えません。かといって「縁」が方程式の解だと言われても、「そうですね」と、即答する気にはなりません。
 なぜなら「縁」には不思議な何かを感じるからです。
(縁を決めたのはいったい誰(何)か?)

 下位の問いを持つのは簡単です。でも環境に「侵されない」ことの方が大切だと思います。
 モンロー研のような「高尚な場」で、子供みたいな問い“Who are you?”を繰り返すのは、結構大変なのです。
(侵されない問い)

 私は器が狭いです。でも器が広いと、下位の問いは持てないような気がしています。
 私はこのHPの中で、よく人を斬ります。出て行けと言います(笑)。こんなに厳しいHPも少ないと思います。それは私の器が小さいからです。
(下位の問いと器の広さ)

 器が広かった頃、私は「生きていなかった」のです。
 でも下位の問いに目覚めてからは、自分がナイフのように鋭くなったと感じました。 生きているうちにヤツの正体を解明したいと思いました。一瞬一瞬が貴重になりました。
(下位の問いと器の広さ)

 励起パルスは本当に「問わなくてもいいの?」なのでしょうか?(笑)
 というのは、「問わなくてもいいの?」・・には、人間的なものを感じるからです。まるで生きている時空から、レスをもらっているような感じです。
(「私が原因」で「問い」を持つのでしょうか?)

 つまりゼロも、一つの大きな情報なのです。あの世でスープを飲むことも、価値観をゼロにすることです。
 だとすれば、励起パルスが「1」とは限りません。
(励起パルスは、「ゼロ」か?)

 しかしマスターはメンターではありません。孫さんのマスターは、孫さんの生き方や私の生き方には、絶対に口を出しません。どこぞの本に出てくるガイドなどとも異なります。
(マスターとガイド)

 主催者というのは、自分のためにやる方が良いと思います。私の場合は、「真理への気付きを得るため」です。
 でもその気付きは、セミナー中にみなさんに対して発表させてもらいました。決して独り占めしようとは思いません。
(主催者は、「みんなのため」に主催するのでしょうか?)

 私達はホンチャンで勝たないといけなかったのです。
 つまり課長にすれば、その告発の手紙が来ることは計算に入っていたような気がします。
 「崖っぷち」を、わざわざ自分で作り出していたのです。
(崖っぷち)

 今が崖っぷちなんて考えているヤツは、野原の真ん中で妄想しているだけかも知れません。
 やっている本人は楽しくてしようがないのだから、崖っぷちなど感じているわけはありません。
(崖っぷち)

 お金を賭けたゲームは、それだけでドキドキ感があります。毎日、競馬をやるようなものです。
 それは午後の仕事にどう影響したか・・・、想像がつくと思いませんか?午後の仕事だって活気が出ないわけはありません。
(賭博の持つ効能)

 今までの神の概念のように、我々を作って高みの見物をして、下の者たちを評価している存在でしょうか?
 そんなことはなく、神こそが崖っぷちに立っているのではないでしょうか・・・
 なぜなら前代未聞の賭け事をやっているからです。
(神も崖っぷちでカードを切るしかない)
「幸福論」
「私は結果」は、なかなか浸透しないと思います。その大きな理由が、日常の中で「それがどうした・・」という感覚を持っていないからだと思います。
(「それが、どうした?」)

 「それがどうした?感覚」とは、今いるステージそのものを、疑問視することです。
 なぜ疑問視しないといけないのでしょうか・・。理由は簡単です。
 私は、世界の存在理由を知らないからです。現状のあらゆるステージで、その答えが出ていません。
(「それが、どうした?」)

 こうして考えると、「夢」と「下位」は、おかしな関係にあります。
 私は下位の問いを持ったのが原因で、夢が実現しなかったのです。
(夢を融かす)

 しかし昨日、次のフレーズが出ました。「それが、どうした?」
 下位から見れば、夢が「それがどうした状態」になってしまうのです。
(夢を融かす)

 多くの人は、意識の世界で幸せを追っていると思います。しかし私は、意識の世界では、時空の謎を追っています。この差だと思います。
 幸せなど、眼中にないのです。という風に言い切れるのは、ハンドルを手放してしまっているからです。幸せになることを、自動操縦に任せているのです。
(幸せを融かす)

 ということは、「幸せ」は、運命の18ビットには乗ってないのです。
 なのにこの世に幸せというファクターがあるのは、どうしてなのでしょうか?
(幸せって何?)

 私が16歳まで幸せを感じられなかったのは、ネットワークから切れていたのだと思います。下位の問いが、私をネットワークに繋げたのです。
(幸せって何?)

 不幸というのは、「私が原因」という概念の為せる業だと思います。「内側」を変えようして発生してしまうのが、不幸なのです。
 つまり不幸は、ハンドルを握ることによって生じるというのが私の仮説です。
(幸せって何?)

「いくら達成しても幸せになれない欲望を持つこと」です。
 私の場合、それが下位の問いです。「私は誰?」を達成しても、幸せにはなれません。
(幸せはどうすれば手に入る?)

 しかも問いをぶつける相手は時空そのものです。瞬間的にぶつけては受信し、ぶつけては受信し・・ネットワークに繋がらないはずはないと思います。
 私は17歳からずっと幸せです。それは最後の手段をやり続けているからだと思います。
(幸せはどうすれば手に入る?)

「私が結果」の時は、どこかにあるとされる「原因の世界」をぶち壊せば、自由が手に入ると思っていました。
 しかしネットワークの概念になってからは、「どこか」が「私以外の全部」になりました。
(相手を幸せにすることから始めましょう・・に、どう反応します?)

 両者が同時に幸せになれるものはないか・・そう考えた時、浮かんだものがありました。
 それは、「笑い」です(笑)。笑う人は、本人も楽しいです。そしてそれが外応となって他人も幸せにします。
(相手を幸せにすることから始めましょう・・に、どう反応します?)

 周囲が原因だという思想は、大変に危険な思想です。相手を幸せにすることから始めましょうと言い出すからです。
 そのど真ん中に我々はいるのです。
(相手を幸せにすることから始めましょう・・に、どう反応します?)